イダイなる(笑い)ダイセンセイが語る聖教新聞の使命とは

平成19年10月7日日曜日曇り ○
 昨日の気狂い新聞(通名聖教新聞)にはこの新聞の「果たすべき使命と役割」として池田大作ダイセンセイのお言葉が掲載されていました。
以下引用
「一般の新聞は、暗いニュースに満ちている。それは、社会の反映だから仕方がないにしても、そうした社会のなかで、人びとが、どうすれば希望を見い出していけるのか、歓喜をわき立たせていくことができるのかを考え、編集している新聞はない。
 また、人生の苦悩に対して、いかに挑み、克服していくかを教えている新聞もない。しかし、社会が最も必要としているのは、そういう新聞だ。
 それをやっているのは、聖教新聞はまさに人間の機関紙という以外にない」
「聖教新聞の使命は極めて大きい。学会にあっては、信心の教科書であり、同志と同志の心をつなぐ絆になっていかなくてはならない。また、社会にあっては、不正、邪悪と戦い、仏法の慈光をもって、まことの人間の道を照らし、万人に幸福と平和への道を指し示していく使命がある」

 (聖教新聞平成一九年一〇月六日第四面)

 第一面に毎日のように池田大作ダイセンセイが
金で買った名誉を掲載することが、「人びとが、希望を見い出していける」「歓喜をわき立たせていくことができる」「人生の苦悩に対して、いかに挑み、克服していくかを教えている」ということなのでしょうか。
 自分の食い残しを他人に
食べさせて喜んでいる変態が、ここまで言うかという感じです。

 ちなみに、今日はギリシャ国際作家・芸術家協会とかいうところが、「桂冠詩人」の池田大作ダイセンセイを顕彰だそうです。

これほど、世界で有名といわれているお方も少ないでしょう。

あほらし