台湾小年工

平成15年5月11日日曜日曇り ○ S

台湾小年工とは大東亜戦争末期、内地の労働力不足を補うため集められた高等小学校卒の十三歳以上の少年で、働きながら学べば、国民学校卒であれば工業学校卒の、旧制中学卒の人は大学予科卒の資格を与えることになっていた。しかし、途中で戦争が終わったために終了証書を貰えない人がほとんどだった。これについて、全員に終了証書を出すことになった。一九四三(昭和十八)年から翌年にかけて台湾各地から八千人以上が高座海軍工廠(現、座間市)に入り、戦闘機「雷電」の生産などに従事しました。
 だが間もなく終戦になり、混乱の中で卒業証書を渡されることなく台湾に帰国。台湾の民主化が始まった十六年前、元少年工たちは親睦団体、台湾高座会を結成し「第二の故郷」と呼ぶ、当時、少年工の宿舎のあった大和市との交流し、同時に、旧海軍の人事資料を継承した厚労省に卒業証書の発行を求めてきたそうです。
 「卒業証書はいまさらしょうがないけれど、感謝状は客間に飾ります」「子孫のための家宝にします」と元少年工たちは喜んでいると、紹介の新聞記事にはあり、朝鮮と他の国々との落差を感じるのは私だけでしょうか。
 また強制ということについても、当然朝鮮人とは違った反応です。少年工は強制だという人に対しては少年工だった人たちが非常に怒っています。「自分たちは志願で来たんだ」とはっきりといっています。学科試験も大変で、校長の印鑑と家長の印鑑も必要で、選ばれて郷土の誉れを担って自分は日本にきたというわけです。
 自分達は選ばれた人間だと思っているから団結も強く、今でも会合には1500人もの人が集まるそうです。当たり前の事ですが、元々、挺身隊は工場だけではなく看護婦など多様なことをしていたわけですから。日本でも、働ける人はみな挺身隊に参加したわけですから、台湾の人たちの場合も女子挺身隊だったと言って堂々と集会に出てこられているそうです。
それが、朝鮮では挺身隊は慰安婦だったと言い張り、日本政府に謝罪を求めています。アホとしか言い様がありません。
それに輪をかけてオオバカは
岡崎トミ子とか清水澄子などです。

まあ朝鮮人にも元在日韓国大使だった崔慶禄氏みたいな方もいらっしゃるのですけど・・・・・どちらかというと・・・・

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