売国奴・小沢一郎と朝鮮の影
(小沢一郎 朝鮮人説に関連して)
小沢一郎研究 実家についた朝銀の担保と出生のなぞ
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
平成22年5月20日水曜日雨 △
以下は今まで私が小沢一郎氏に付いてこの日記に書いてきた事を、自分なりにまとめたものですので、重複している箇所がありますことをご了承下さい。
(左のすばらしいポスターはネット上にあったもので、制作者の許可を得ておりません。制作者の方がご不快に思われましたらお知らせください。直ちに削除させていただきます。
でも、腐れ売国奴の小沢一郎関係者はお断り)
小沢一郎氏には影というか謎の部分が多くあるだけでなく、その周りにも影が多くある。
まず、先に書いたが小沢一郎氏自身の出生にまつわる謎である。
それは、普通の日本人には考えられないというか必要のない謎である。
小沢一郎氏の父である佐重喜(さえき)について書かれた『人間小沢佐重喜』(小沢一郎後援会・陸山会発行)には、荒木みちについての紹介として小沢一郎氏の母親のみち(旧姓・荒木)の父親・儀助の伝記について「父儀助は、千葉県議会議長もやった地方の名望家だった」という箇所についての虚偽記載が君島文隆氏により指摘されている。
君島氏は小沢一郎氏の二人の姉の出生の謎にも触れている。
(二人とも違う女性との間に出来た子供であるといわれている)
それぞれ小沢一郎氏が誕生した直後の、昭和十七年と十八年に養女として小沢家に入った。
続いて君島氏は小沢一郎のその二人の姉たちのルーツについても書いている。
戸籍上は吉田泰造(仮名)の最初の妻との間にできた娘の一人が長姉。
そして、吉田泰造と愛人との間に出来た息子の一男一女のうち娘の方が次姉となっている。
かたちの上では、吉田泰造氏の「娘」と「孫娘」が小沢一郎の長姉、次姉に当たる。
吉田泰造氏の息子の子、つまり戸籍上の一郎の次姉の兄に当たる人物から君島氏は話を聞いている。
「私は一人っ子で妹がいたことなんてない。小沢家とは何の関係もない。ただ祖父の泰造が、佐重喜と日大時代のポン友だったことは知っている」
(「新潮45別冊小沢一郎研究」(新潮社 平成二十二年刊)
「小沢一族の深き闇」君島文隆 p七十七〜七十八
どうして、このようなややこしい形を取る必要があるのであろうか。
小沢一郎氏の出生に関して年表を見てみるとその謎は余計深まる。
小沢一郎氏は明治三十一年(一八九八年)生まれの父・佐重喜、明治三十四年(一九〇一年)生まれの母・みちとの間に結婚一八年めの昭和十七年にやっと誕生している。
此の時、佐重喜四十四歳、みち四十一歳である。
その間
昭和七年、十五年に長姉・スミ子、次姉・則子がそれぞれ愛人との間に誕生している。
つまり小沢一郎は結婚してから十八年間子供のできなかったが、父・佐重喜四十四歳、母・みちが四十一歳になって「初めて」授かった子であるということがわかる。
医学が発達し、お子さんが欲しくて不妊治療により授かることができる今の時代でも結婚して十八年たって初めて授かるということは大変なことと思う。
長姉、次姉と小沢一郎のそれぞれの母親が日本人でなくとも何の不思議も無い。
先に書いた二人の姉の戸籍上の複雑な状況も少しは理解出来るように思う。
そして、小沢氏も、みちの子でなくとも不思議ではない。
そうすると、小沢一郎の近い親類筋により母親の実家を担保に朝銀より融資を受けたことも不思議ではなくなる。
まあ、以上はすべて私の推測の域を超えるものではありませんが。
あと、小沢氏には金についての朝鮮の影があるのは確かです。
小沢氏の母親の実家を担保に朝銀千葉信用組合(登記簿には千葉朝鮮信用組合と記載)から三億五千万円を極度額とする巨額の融資を受けていた事である。
朝銀は朝鮮人のために設立された金融機関であり、普通に考えれば、日本人が関わる事などあり得ない。
それが、小沢氏一族はその金融機関からの融資を受けていたのである。
それも三億五〇〇〇万円もの巨額の融資である。
どうして、「普通の日本人」であるはずの小沢一郎氏の一族が朝銀から融資を受けているのであろうか。

そして、秘書についても朝鮮の影がある。
小沢氏の国際担当秘書は金淑賢女史という南朝鮮人でした。
金女史は留学生として平成十年に日本に来て、わずか二年しかたたない平成十二年の留学生時代に小沢一郎氏の秘書に抜擢されています。
南朝鮮の聰合ニュース平成十九年八月九日には、<金さんは「ボス」である小沢代表が、政権奪取の夢を実現するその日まで、秘書として補佐していく考えだ。>と紹介されているが、此の事が我が国で話題になると、どういうわけか「政権奪取」を待たずに秘書を退任し、平成二十年東北大学大学院法学研究科准教授に就任する。
それも、博士論文を取った東京大学ではなく、東北大学なのである。

あと、小沢一郎氏の会計責任者で元公設第一秘書で政治資金規正法違反容疑にて逮捕された大久保容疑者の実家が岩手県の実家が朝鮮総聯系と思われるパチンコ屋の可能性があるという。
ネット上で大久保氏の実家と「される」有限会社大久保興行は業種としてパチンコ・パチスロとなっている。
住所:岩手県釜石市大町二丁目五−十六
同じ住所に「国際会館」というパチンコ屋がある。
住所 岩手県釜石市大町二―五―十六
国際という名前は朝鮮総聯系の可能性がある名前です。
つまり、大久保容疑者の実家とされる会社は朝鮮総聯系の可能性があるというわけです。
いずれにしても、小沢一郎氏については、出生、そして、母親とされる人間および一族、秘書について多くの謎があり、朝鮮の影がある。
そして、確かな事は、小沢一郎氏の国籍は日本でも、精神は日本人でなく、朝鮮人であるという事です。
そう考えると、朝鮮人にとって宗主国である支那に対する三跪九叩頭の礼としか思えない小沢氏の支那詣でに対しても納得がいく。
小沢一郎研究 実家についた朝銀の担保と出生のなぞ
3月23日火曜日くもりのち雨 △

小沢一郎氏の母親の墓は済州島にある。
小沢一郎氏は年に一回墓参りをする。
小沢一郎氏の父親は終戦時に籍を買って日本人になった。
これらはネットに流布されていることであるが、土井たか子女史、福島瑞穂女史朝鮮人説と同じように確認されたものではない。
(写真は平成二年、北朝鮮にて金日成と握手する笑顔の小沢一郎。毎日新聞社)
(ちなみに、土井たか子女史同志社大学大学院卒業という学歴詐称疑惑については、私が社民党に二度問い合わせたことがある。
名誉党首のそれこそ「名誉」に関わる事であるし、普通の人間であったなら誰でも簡単に証明出来る事であると思われるが、「当然」のごとく返答はない。)
以下の文書は今発売中の「新潮45別冊小沢一郎研究」(新潮社 平成二十二年刊)に掲載されていたものです。
以下引用
実家についた朝銀の抵当権
今回の取材の過程で、小沢一族に関連する、もうひとつの不可解な事実に行き当たった。荒木家のある親族が、昭和六十一年五月、自宅を担保に朝銀千葉信用組合(登記簿には千葉朝鮮信用組合と記載)から三億五千万円を極度額とする巨額の融資を受けていたことがわかったのだ。
朝銀は周知のとおり不適切な融資を繰り返して経営破綻が相次ぎ、一兆四千億円もの公的資金が投入された金融機関である。もともと、戦後に在日朝鮮人のために設立された信用組合で、朝鮮総連を通じた北朝鮮との関係も懸念されている団体だ。
土地建物の登記簿を見ると、債務者は姜某(なにがし)という朝鮮・韓国人名の第三者になっている。この人物が荒木家の自宅土地を担保に融資を受けたという体裁になっているが、実際は荒木家親族の借金だという。その抵当権自体は、同年十一月に抹消されているが、同日付けで今度はその親族を債務者として、三菱銀行が三億円の根抵当権を設定している。
取材をすると、当時その親族の弟がクリーニング事業に失敗し、多額の債務を負ったことがわかった。その弟に事情を訊くと、「お金の面倒はすべて兄に見てもらった。なぜ朝銀の世話になったのかはわからない。第三者が債務者になった理由は知らないし、債務者の名も聞いたことがない」と答えた。
そこで、その親族の兄を直撃すると、「借金の原因は私じゃないから、その件に関しては記憶に残っていない。債務者のことも覚えていない。小沢一郎とは関係がないと思うよ」と、まるで他人事のような、要領を得ない回答が返って来るばかりだった。
借金の内実はともかく、外国人参政権を強力に推し進める小沢一郎の極めて近しい親族が、主に在日朝鮮人を顧客とする朝銀の助けを、このような形で受けていたという事実があるのだ。
そして不可解なことに、その親族の家には、小沢一郎の逮捕された元私設秘書、池田光智が親しく出入りをしていたという。
一郎の母親、荒木みちの生涯を調べるつもりが、取材は思わぬ方向に転がっていった。それだけ小沢家のルーツには、予期せぬ引っ掛かりが数多くある。
引用終わり
「新潮45別冊小沢一郎研究」(新潮社 平成二十二年刊)
「小沢一族の深き闇」君島文隆 p七十九
朝銀信用組合とは昭和二十七年(一九五二年)に在日朝鮮人のために設立された金融機関であり、朝銀の銀は銀行の略ではなく地域信用組合である。在日朝鮮人に対するでたらめな融資、犯罪国家北朝鮮に対しての不正送金による破綻した朝銀に対して、腐れ売国奴野中広務氏の鶴の一声で公的資金が一兆四千億円以上も投入された。
このように朝銀とは在日朝鮮人のための金融機関であり、普通一般の日本人は関わることの無い、いや、関わらない金融機関である。
普通の日本人が在日朝鮮人のための金融機関から三億五〇〇〇万円もの融資を受ける必要がどこにあるのであろう。
小沢一郎氏の近しい親族が朝銀から融資を受けていたという事実はどう受け止めるべきであろうか。
君島氏はこの記事で、他にも小沢一郎氏の母親のみち(旧姓・荒木)の父親・儀助の伝記についての虚偽記載もしている。
小沢一郎氏の父である佐重喜(さえき)について書かれた『人間小沢佐重喜』(小沢一郎後援会・陸山会発行)には、荒木みちについての紹介として
「みち夫人は明治三十四年二月十五日、千葉県東葛飾郡風早村(中略)に、元庄屋、荒木儀助の四女として生まれた。
略)
父儀助は、千葉県議会議長もやった地方の名望家だった」
と書かれていて、小沢一郎の母親みちについて語られるとき、この本が出典元となって引用されるが、現在の戸主である後藤則道氏は君島氏に対して儀助の県会議長など聞いたことは無いと否定し、君島氏も後日、千葉県議会事務局総務課に問い合わせてそれを確認している。
(同書p七十四〜七十五)
つまり、千葉県議会議長というのは大嘘で、議員などやった事もなかったわけです。この陸山会から出された『人間小沢佐重喜』は小沢一郎、みち夫人の追悼文まで掲載されている小沢一郎の後援会の公式本とも言えるものであるが、このようなデタラメが訂正されることも無く掲載されている。
そして、君島氏は一族の謎として、小沢一郎氏の二人の姉にも触れている。
「一郎には十歳違いの長姉と、二歳違いの次姉がいる。実は佐重喜の古い関係者の間では、この姉たちは佐重喜が外でつくった子であることが定説となっている。しかも二人の姉の母親はそれぞれ違う。みちはそれも承知で二人を引き取って養女として育てたのだと。
略)
長姉は昭和七年生まれ、次姉は昭和十五年生まれで、それぞれ一郎が誕生した直後の、昭和十七年と十八年に養女として小沢家に入ったという。
なぜそのタイミングで養女として迎え入れたのか。それはあたかも、姉達を幼い一郎の養育係として引き取ったとも受け取れる。」
(同書p七十七)
続いて君島氏は小沢一郎の二人の姉は二人とも違う女性との間に出来た子供であるといわれているが、その二人の姉たちのルーツ似ついても書いている。
それについて私なりに略して書かせていただく。
戸籍上は吉田泰造(仮名)の最初の妻との間にできた娘の一人が長姉。
そして、吉田泰造と愛人との間に出来た息子の一男一女のうち娘の方が次姉となっている。
かたちの上では、吉田泰造という男の「娘」と「孫娘」が小沢一郎氏の長姉、次姉に当たる。
吉田泰造氏の息子の子、つまり戸籍上の小沢一郎氏の次姉の兄に当たる人物から君島氏は話を聞いている。
「私は一人っ子で妹がいたことなんてない。小沢家とは何の関係もない。ただ祖父の泰造が、佐重喜と日大時代のポン友だったことは知っている」
(同書p七十七〜七十八)
どうして、このようなややこしい形を取る必要があるのであろうか。
この本の別のところには「乳母、姉が語った『人間・小沢一郎』」という内海武一氏の文書が掲載されている。
そのうち長姉に平成十二年初夏にインタビューした時にお父さんはどんな方だったですかという問いに
「強情。この強情は家系です。私もそうです。妥協が無い」
(同書p八十六)
と答えている。
つまり、戸籍上は養女でありながら、佐重喜の血を引いているということを自覚してのことだろう。
この長姉スミ子は小野健知氏(平成二十二年三月現在道都大学名誉教授)に嫁ぎ、長男・健太郎氏(大学講師)は北海道五区で平成八年に新進党、平成十二年に自由党より衆議院選に出馬し、いずれも町村信孝議員に大差で破れている。
次姉則子は吉村龍助(元農林官僚)に嫁いでいる。
小沢一郎氏の出生に関しての年表を書いてみる。
明治三十一年(一八九八年)父・佐重喜生まれる
明治三十四年(一九〇一年)母・みち生まれる。
大正十三年(一九二四年)結婚
父・佐重喜二十六歳
母・みち 二十三歳
昭和七年 長姉・スミ子、愛人との間に誕生
昭和十五年 次姉・則子、愛人との間に誕生
昭和十七年五月二十四日 小沢一郎 東京市下谷区御徒町にて誕生
この時、父・佐重喜四十四歳
母・みち 四十一歳
結婚して十八年目に授かった「初めての」子供であった。
昭和十七年 長姉養女として小沢家へ
昭和十八年 次姉養女として小沢家へ
つまり小沢一郎氏は結婚してから十八年間子供のできなかったが、父・佐重喜四十四歳、母・みちが四十一歳になって「初めて」授かった子であるということがわかる。
医学が発達し、お子さんが欲しくて不妊治療により授かることができる今の時代でも結婚して十八年たって初めて授かるということは大変なことと思う。
普通に考えて、佐重喜は平気で愛人との間に二人の子をつくったような男です。スミ子、則子の二人だけでなく、一郎も佐重喜とみちの子供でない可能性もあるのではないかと思うのは私だけだろうか。
そして、長姉、次姉と小沢一郎氏のそれぞれの母親が日本人でなくとも何の不思議も無いと思うのだが。
そうすると、小沢一郎の近い親類筋により母親の実家を担保に朝銀より融資を受けたことも不思議ではなくなる。
まあ、当然すべては私の推測の域を超えるものではありませんが。
普通の日本人は、自分の先祖や家族の経歴について、このような嘘をつく必要もないし、小細工をする必要もない事は確かです。
小沢一郎氏に関して断言出来る事は中身は日本人ではないということである。
たとえ、戸籍は我が国でも、脳の中の祖国、心の祖国は土井たか子女史、福島瑞穂女史などと同じく支那か朝鮮である事は間違いない。
尊敬する西村眞悟氏が民社党時代に先輩議員から民社党の口伝として聞いたこととして正論三月号に書かれていた言葉を思い出した。
「世の中で、何が正しいかすぐ見つけることができる便利なものがある。それが社会党だ。社会党が反対しておれば賛成するのが正しい。社会党が賛成しておれば反対するのが正しい」
まさに、今の民主党は社会党いや、それ以上に悪い。
そして、小沢一郎氏のやっていることで、我が国のためになるようなものはただのひとつもない。
こんな腐れ売国奴は我が国の為に一刻も早くくたばってほしい。
Bさん来店。MさんTさん三名様で来店。二名様来店。
遅い時間、ほんとに遅い時間に、追い出しコンパの後の三次会か四次会か五次会かわからないが、江上さん、中島さんそしてフィリッポさんと早大棒術会の皆様十名様以上で来店。
今日は珍しく意識あり。サルよりはマシ。