飲んべえ日記平成20年11月分

11月30日日曜日晴れ ○
 午後より高田馬場のスポーツセンターに行く。今日は昨日できなかった肩、腕、下半身のメニューを消化後、有酸素運動をやったので久しぶりに三時間近くジムにいた。帰りに芳林堂さんに寄り、洗脳売国奴の集まりである中帰連編の「完全版 三光」(晩聲社 一九九七年)など数冊購入。
 珍しく片付けは昨日営業終了後に終えていたので、夕方、店に寄り生ゴミを出してから帰るだけで。土曜日は翌日が休みということもあり、ドンチャン後に店が終わってから飲みに行ったりして、片付ける事ができない(やらない)ので、日曜日の午前中が潰れる事が多い。
 
 日曜日の夜は翌日起きる時間を気にしなくていいので、至福の時間。


ネコについて
11月29日土曜日晴れ△

 午後、生ゴミを店の前の花壇に埋めていたら、足下に顔をすりつけゴロニャンしてくるトラネコ。よくみると、毛も荒れていて、左目はほとんど塞がり、右目が少し開いている程度。そのまま、足下で寝っころがり、どうでもしてポーズまでとる。店の中までついてくる。だが、かわいそうだが、私にはどうにもできない。
 店の前の道の真ん中に座っていて、人なっこいので、女性が通る度にゴロゴロされている。スポーツセンターに行くのに店を出ると、また、足下にゴロニャン。
それを振り切り、スポーツセンターに行き、胸部、背中の三セットずつのスロートレーニングメニューを消化して帰ってくると、いなくなっていて、正直ホッとしました。
 私は、数年前までネコに餌をやるのには何も思わなかったので、ネコが来た時には店にある煮干しなどをあげていた時期があった。今は一切、餌をあげるべきではないと思っている。餌をあげることにより、そのネコが来る事が多くなれば、飼い猫でも、ノラネコでも問題があると思う。その結果として、飼うのであれば、そのネコの一生をみてあげるべきと思う。ネコだけでなく犬も鳥も亀やヘビ、魚もペットといわれるものすべてがそうだと思います。

 写真は神楽坂駅を降りて、当店までの途中にある電信柱に張られているものですが、まさにそのとおりと思います。人間の無責任な行動が、結果として、多くの不幸なネコを増やすのだと思います。
 私の淡路島の実家は父も母も動物が好きだったこともあり、多くの動物(魚)が飼われていました、父親はアイヌ犬、紀州犬、アメリカンビーグルなど狩猟犬、お袋がダックスフント、私は、柴犬。その他ネコもいましたが、私の現在の状況では、仕事場である店でも部屋でも、ネコも犬も飼う事が出来ないので、飼ってはいません。
動物は生きたオモチャではないので・・・・・・

 大阪からKさん来店。四名様来店。インチキラクターさん来店。インチキラクターさんは、私がスポーツセンターに通いだした頃に、インストラクターとして勤務されていた時からのおつき合いですから、もう一〇年。今日もいろいろとトレーニングネタで盛り上がる。大台さん二名様で来店。遅い時間にYさん三名様で来店。


11月28日金曜日小雨のちくもり△
 めずらしく忙しい。でも、電話で予約しておきながら、「ヤマグチ」と名乗る来ない人がいた。いまどき「×××ー4678ー3652」と電話番号が表示されているのを知らんのだろうか。おかげで、その後にお電話いただいた他のお客様に迷惑をかけることになってしまいました。
 Tさん五名様で来店。アンコウ鍋でドンチャン。バンブーさん来店。長島さん四名様で来店。メキシコのグアダラハラで半年も居候させていただいた。帰国後もいろいろとお世話になっている。Mさん二名様で来店。Sくん来店。Tさん来店。営業終了後、Tさんと池袋のTさんのなじみのバーへ。
 女性のスタッフ二人のみの看板もでていない隠れ家的なバー。私は白のグラスワインとカクテルを二種類。
 帰りに乗った東京無線(明治自動車)のタクシー運転手はどうしようもないバカで、東西線神楽坂駅と言っているのに、目白通りを飯田橋駅まで行き、なおかつそのまま外堀通りを市ヶ谷方向に走る。
 神楽坂通の一方通行が神楽坂駅から飯田橋方向に流れがなっている時間に、神楽坂の坂上、坂下に行くにしてもそういうルートはないだろう。「Uターンするつもりでした」とぬかす。アホか。


人を食う 支那における食人の歴史2 人肉加工場
11月27日木曜日雨 ×

 黄文雄氏の著書「戦争の歴史 日本と中国」(WAC)の巻末には、BC五九四年の楚の時代から一九五〇年の蒋介石の国府軍と毛沢東の共産党軍による戦いまでの「中国籠城食人史年表」なるものまで掲載されています。まさに、支那の食人の歴史です。
 支那の兵糧メニューとして、人肉加工場によるものまであったことが歴史書に書かれているそうです。
 八七五年から八八四年まで一〇年間にわたり、唐王朝の国家土台を揺るがした黄巣の乱は八〇〇万人もの犠牲を出したといわれている。黄巣軍が長安城を占領したときの様子を『資治通鑑』唐紀には
「(八八一年に)民衆は乱をさけ、ことごとく山奥に逃げ込み、戦柵を築いて自衛をはかった。農工商は荒廃し、長安城中の米は一斗三〇貫にも値上がりした。官軍は山寨にとじこもっている民衆を捕らえて、賊軍に売り渡した。一体は数百貫にも達した。その値段は肥痩に応じて決められた」
八八二年四月「このとき民間には貯えがほとんどなくなった。賊衆(黄巣)は人々を捕獲して食糧にした。生きているまま巨大な石臼に投げ込まれ、骨とともに砕かれて、一緒に食べられた。その食糧供給場を『舂磨寨』(しょうまさい)という」
翌年八八三年五月、『唐書』黄巣伝には「黄巣は兵を率いて陳州を攻めて百日経った。関東地方は農地が荒廃し、餓えた人々が壁や垣根にもたれているのがみえる。賊は人々を捕らえて食用に供した。一日ごとに数千人をも食べてしまった。賊は『舂磨寨』という巨大な石臼数百基を備えていた。人々を臼に入れて、骨と一緒に細かく砕いて食用に供した。」
 『唐書』昭宗本紀、『資治通鑑』唐紀にも「この年(八八三年9は大飢饉なので、飢民には貯えがほとんどなかった。賊衆は人々を捕らえて食糧に供した。その炊事場を『舂磨寨』という。白骨が山積みし、これ以上乱れたことはなかった)とある。
 「戦争の歴史 日本と中国」(黄文雄 WAC 二〇〇七年)P二四五〜二四六

 流石です。人肉加工場。スケールが違います。こんな食文化を持つ人たちを一〇〇〇万人受け入れようとしている売国奴政治家ども。

 ナベちゃん来店。ナベちゃんともメキシコのグアダラハラで知り合って、もう三〇年。Oさんところの社員の方二名様で来店。
 飲む。でも一通りだけ。


森永卓郎という「経済」学者
11月26日水曜日晴れ ×

 森永卓郎氏は獨協大学の経済学部教授だそうだが、過去に下記のようなことを書いているそうです。
この十年間は、グローバル・スタンダードという名のアメリカン・スタンダードが他国を凌駕した十年だった。しかし(中略)これからは、グローバル・スタンダードは中国が握っていくのではないだろうか。
 すでにアジアの経済は日本と韓国をのぞけば、華僑が握っている。日本で中国語講座がブームになり、中国式ビジネスを大学が教え、
人民服がブームになる日も近いかもしれない。
 そうなるといちばん問題になるのが、アメリカ化を狙った構造改革は、すっかり時代遅れになってしまうということだ。
日本経済の手本はアメリカではなく、中国になっていくからだ
これで自動車の生産がのびていけば、モノづくりのすべての分野で中国がトップシェアを握るというのも、あながち夢物語ではなくなってきている
「Voice」二〇〇二年一月号

人民服を現在の支那人がどれほど着ているのであろうか。わたしなど、支那のもの作りというと、偽物、毒入りなどマイナスイメージしかないが、この人は違うようです。
 この人の発言では、下記の発言が何と行っても、経済学者としての程度をよく現しているのではないでしょうか。 
バブル崩壊の直前で世界中がアッと驚く前代未聞の勝ち逃げを収めるに違いない。
 略)
 
最も極端でドラマチックな選択は「鎖国」である。一三億人もの人口を擁する中国は世界で唯一鎖国が可能な国なのだ
「アサヒ芸能」二〇〇二年一月一〇日号「サルでもわかるニッポン経済」

 私にはどうみても、本人の頭がサル以下としか思えないが。
 どうして、支那が世界中の資源をなりふり構わず手を出しているか。支那に農地として利用可能な土地がどれほどあると思っているのであろうか。現在の支那において、鎖国がどうすれば可能なのであろうか。
また、人口が多ければ、鎖国ができるのか。人口の多い少ないと鎖国とはどういう関係なのだろう。
 支那に対してのODAについて、
アメリカの国債を買うくらいなら、中国のODAのほうがいい。中国は利子をつけてちゃんと返済している
「Voice」二〇〇二年一月号
 竹島についても
韓国にあげればいい、東京都内だって外国の投資ファンドに買われている>(二〇〇四年三月二九日放送のたけしのTVタックルにて)と発言しているそうです。
 アホなだけでなく、性根まで腐っているようです。もっと、こんな程度のひとでも経済学者として登場させる腐れマスコミのほうが、問題は大きいかもしれません。

 午後よりスポーツセンターに行く。時間がなかったので、各メニューを三セット(インターバル一分)づつのスロートレーニング。

 ヒマをぶっこいていたら、N代議士、Iさん、秘書のAさん来店。私も早い時間から、ドンチャンやっていたら、わ。さんご夫妻来店。マロさん来店。名古屋からの出張帰りという小胡子さん(男性です)来店。
 ドンチャンで、気がついたらカウンターの中で寝ていました。客席の方ではマロさんも同じく。

金嬉老というどうしようもないクズ在日朝鮮人を英雄視するテレビ朝日(腐れテレビ局)
11月25日火曜日晴れのち雨 △

 昨日、午後七時より、<ドキュメンタリ宣言「お母さん、許して・・・」独占金嬉老の闇 ライフル魔が語る戦慄の真相」>と題されたテレビ朝日の番組が放送されました。
 「お母さん、許して・・・」金嬉老四〇年目の告白として、金嬉老がいかに差別されてきたか、壁に「お母さん許して」と書いた金嬉老として、ドキュメンタリー番組であるとして放送していた。
 テレビでは、女をめぐる殺人未遂と放火で捕まって刑務所にいたことを<文字どおり「疾風怒濤の人生」>と言っていた。どこが疾風怒濤の人生なのだろう。どうしようもない金嬉老という在日朝鮮人の人々にとっての恥さらしな人間が、自分で、犯罪を犯して、刑務所を出たり入ったりして、ただの根っから腐りきった犯罪者であることを証明しただけのことがテレビ朝日に言わせると「疾風怒濤の人生」になるらしい。アホか。

 同じく、この番組のナビゲーターである長野智子女史は
「金嬉老の逮捕を報じた新聞には、金嬉老が命がけで訴えた民族差別の文字はなかった」「金嬉老は民族差別を裁判で訴えた」という事を言っていたが、アホとしか思えない。普通、金嬉老の事を少し調べれば、その行動が、犯罪者以外のなにものでもない事が理解できるはずです。
 たとえば、その民族差別を訴えたゴリッパな思想信条をお持ちなはずの金嬉老が刑務所内でなにをやっていたか。
 金嬉老は逮捕後、静岡刑務所未決監独房に身柄を移されたが、二年後、看守が包丁、ヤスリ、ライターなどを差し入れたことが発覚した。
それは、金嬉老が自殺をほのめかしたり、差別に関して毒舌し、看守を脅し所内の規則違反がエスカレートし、独房は施錠されず、散歩、面会は自由で金品の制限は無し。独房内にはテープレコーダ、カメラ、望遠レンズ、香水、金魚鉢まであり、看守が機嫌を取る為にエロ写真まで渡していた。まさに、詐欺師・金嬉老の面目躍如です。

 私は以前にあの朴一氏のアホさについて書きました。そのときに、朴氏が金嬉老という在日朝鮮人殺人者について書いている事について、
<この昭和三年、静岡生まれの元在日朝鮮人殺人鬼が、金嬉老と本名の権禧という二つの名前以外にも近藤安広、金岡安広、清水安広 と多くの通名という偽名を持ち、昭和一八年(一九四三年)、一五歳で窃盗で捕まり、朝鮮人専用少年院に入れられたが、我が国の敗戦で出所。その後も詐欺・窃盗・強盗を繰り返しては刑務所に入れられるという生活を二〇年も送っていたどうしようもない在日朝鮮人犯罪者であった。一九六八年、昭和四三年三九歳の時にライフル銃で暴力団を殺し、人質をとり、旅館立にてこもり逮捕され、七〇歳の時に仮釈放されるまで三一年間刑務所に入っていた。日本での七〇年の人生で五〇年以上が刑務所暮しのクズ人生である。それは仮出所後に移住(帰国)した南朝鮮でも同じである。>
<南朝鮮政府から助力を得て釜山に渡って高級マンションを与えられ結婚もしたが、その移住からたった一年後の平成一二年にその本性を現して、人妻であった愛人の夫への殺人未遂と放火容疑で再度南朝鮮でも逮捕され服役した>
<金嬉老という元在日朝鮮人殺人鬼は民族差別のために戦った英雄などというりっぱなものではなく、在日朝鮮人という立場に居直り、自分の犯罪も全て周りが悪いと差別、差別と騒いでいただけの只の卑しいバカ人間であり、在日朝鮮人の人々にとっては恥ずべきどうしようもないクズ人間だった>
と書きましたが、このテロ朝の金嬉老を特集した番組も、どうしようもないクズ在日朝鮮人の金嬉老を、民族差別を訴えた在日朝鮮人の英雄のように扱ったテロ朝らしいアホな腐れ番組であった。
 多くの日本人に、強制連行、従軍慰安婦などの在日朝鮮人の嘘、戦後の悪行などが知られるようになった現在、このような在日朝鮮人の恥じでしかないクズ在日朝鮮人を英雄視するテロ朝の意図はなんであろうか。
 
 このテレビ番組について、新聞記事をみると読売新聞は金嬉老を「キンキロウ」ではなく「キムヒロ」とテレビ局のわざわざ表示して、下記のように書かれています。
「金嬉老事件」の舞台裏に迫る
テレ朝系「ドキュメンタリ宣言」
24日午後7時放送のテレビ朝日系「報道発 ドキュメンタリ宣言」では 「金嬉老(キムヒロ)事件」を取り上げる。韓国・釜山市に暮らす79歳の金嬉老・元受刑者=写真=への独占インタビューのほか、事件を取材した元NHK記者が、金氏と40年ぶりに再会する。
略)
番組では、98年に亡くなった母から獄中の金氏に送られた手紙114通を初公開。籠城(ろうじょう)した「ふじみ屋旅館」の女将(おかみ)や、逮捕した警察官、人質らの証言を通して事件の舞台裏を伝える。

(2008年11月20日 読売新聞)

「金嬉老事件40年目の真相」24日に放送
2008.11.22 10:00産經新聞
このニュースのトピックス:TV番組
 11月からスタートしたテレビ朝日の「報道発 ドキュメンタリ宣言」(月曜後7・0)で24日、「お母さん、許してください〜日本初の劇場型犯罪・ライフル魔金嬉老事件40年目の真相〜」を放送する。
 略)

「決して美化することなく、母との関係を淡々と伝える」(広報部)としている。

この番組ホームページには、番組制作に関して下記のように書かれている。

切り口は「人間」〜 本当に感動できるドキュメント ニュースの裏側に隠れている精一杯生きる人たち。。。 彼らは「社会のコマ」ではない、そこには「一人の人間」の生き様がある 思いもよらない「苦悩」と「葛藤」 私たちが忘れていた「情熱」と「勇気」 そして秘められた「愛」 彼らの生き方を徹底的にモ人間目線モで密着。 その姿に、「共感」と「感動」が私たちのカラダを震わせる。。。 「報道発 ドキュメンタリ宣言」 徹底的に人間目線で追うモ人間ドキュメントです


 そして、この番組のホームページに寄せられた投稿です。
「共感」と「感動」が私たちのカラダを震わせたという番組スタッフが伝えたかったものに対しての投稿文です。(棒読み)


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りんご  女性  30代   2008/11/25
日本社会でタブーとされていた民族差別の問題を、金嬉老事件として民放で報道できたことに、驚きとともに日本のマスコミも捨てたもんじゃないと思いました。以前、NHKスペシャルドラマ「海峡」をみて受けた衝撃を、この番組をみて改めて感じることができました。このような扱いにくい題材に取りかかったスタッフに拍手です。視聴者が好む題材ではなく、視聴者に何かを考えさせることができるメディアこそ、真のジャーナリズムと思います。これからも頑張ってください。

keke823  女性  50代   2008/11/25
在日コリアンの方達がなぜこれほどまで差別をうけなければならなかったのか・・・当時の時代背景を実感できない年代の私たちには、事件は朧気ながら覚えていますが、根幹の差別の実態を自分史と比較することができないので、本当に直球で考えさせられる時間だったと思います。「同じ人間だ」当たり前のことなのに・・・それが許されない時代・・・。
「今」の時代だからこそ、ストレートに疑問や矛盾を感じられる番組でした。
取り上げてくださりありがとうございました


日高屋秀太郎  男性  50代   2008/11/25
2008年11月24日放送分「「お母さん、許して」独占!金嬉老事件の闇メライフル魔モが語る人質との88時間全真相」拝見しました。所謂「金嬉老事件」当時、私は10歳でしたが【金嬉老=ライフル魔】というイメージしかなく、とても怖い思いをしました。今回の放送で、在日コリアンの差別問題が事件の要因だったことを知り、新聞やテレビの記事や報道って怖いな、当時は真実を世間に知らせてなかったのだという気持ちになりました。金嬉老事件ばかりでなく、過去には似たような事件は沢山あると思います。また新しい真実を番組を通し、紹介して頂ければ幸いです。以上。

mi-koh  男性  40代   2008/11/25
真実の報道、とても意義深いものです、これからも応援をしています。がんばってください。

煎井  女性  30代   2008/11/25
「お母さん、許してください〜日本初の劇場型犯罪・金嬉老事件の真相〜」を家族で観ました。事件報道というのはどうしても風化しまうものだけれど、過去に遡ってひとつの事件を丁寧に描くというのは意義深いなと思って関心しました。映画だと忠実に再現をしようとしても、監督・俳優・製作者などの主観が入ってしまうし、観る側もいくら実際にあった事件だと理解して映画館に行ったとしても、起承転結を求めてしまう。ドキュメンタリーもプロデューサーもスポンサーもいるだろうけれど、当事者が自分の言葉で当時のことを語るし、現場には生の傷跡が残っているし、なにしろ事件発生前から現在までが進行形であることが大きく違う。金嬉老さんと同じ時代に自分が呼吸しているということが、自分のこころにずんと圧し掛かってくる。彼や当時の関係者がこの番組に参加することの理由。日本人であるわれわれに伝えたいこと、言いたいことがあること、意図的に伝えようとしていることは明らかだ。そして、その言葉が視聴者にずっしり届いてしまうことはすごいのだと思う。番組の今後も期待しています。

mamajp  女性  50代   2008/11/24
ぜひ再放送をお願いいたします

NIPPONJIN  男性  40代   2008/11/24
金ヒロさんを取り上げた放送を、大変、興味を持って拝見させていただきました。正直、どこかに朝鮮(韓国も含むのかも)という言葉に偏見を持っている世代かもしれないと感じました。私は北海道出身で東京で暮らす身ですが、私自身も、あるいは、私の家族も、どこの人間(何県がルーツ)なのか、或いは、本当の日本人(何世代で本当の日本人というのかわかりませんが)なのか、自信もありません。でも、今、日本の国土の中に過ごしていることだけは事実です。その事実だけで、皆が、幸せに平等に暮らしていける日が来ることを祈るばかりです。仕事もあり、毎回見られるわけではありませんが、すばらしい番組だと思います。内容からして、簡単に作れるものではなく難しいテーマが多そうですが、是非、頑張ってください。期待しています。

尾崎  女性  20代   2008/11/24
本日初めてこの番組を見ました。
いままでドキュメンタリーといえばNHKという印象だったのですが、本当に素晴らしい番組でした。
このような丁寧なフドキュメンタリーを作ってくださってありがとうございます。
今、私の大学にはたくさんの韓国人留学生がいて、友達も多いのですが、
60年代の日本の在日コリアンに向けた差別にびっくりしました。金嬉老さんのしたことは警官への無差別の八つ当たりで悪いことだとも思いつつ率直に重罪だと断罪できないのが印象的でした。
いま築けている韓国人留学生との友人関係を愚かな行為で壊さないように大事にしていきたいです。

素敵な番組をありがとうございました。
これから毎週楽しみにしています。


FK  男性  60代〜   2008/11/24
 
今日の番組は、久しぶりに、あるいはもしかするとテレビを見始めて初めて、真のテレビジャーナリズムの一端を垣間見た気持ちがしました。
 この事件は私が二十歳の頃に起きたものですが、
当時は新聞が書いていることが事実だとばかり思っていた間抜けな若造でした。
 しかし当時の私のような若造が、今も多くいるだろうことは想像に難くありません。それが日本人か外国人かとは関係なく。
 どうぞ、今後とも、メディアの役割を全うしていかれるようお願いするとともに、視聴者として可能な応援をさせていただきたいとおもいます。
 オンエア、ありがとうございました。
 日本人としてもとても嬉しい、誇らしい番組でした。


はまみ  男性  40代   2008/11/24
金嬉老事件について、あまり知らなかったので参考になりました。よくまとめられていると感じ、番組に好感を持ちました。取り上げられているテーマは、どれも大切なことばかりだと思いますし、できるだけ視聴すると共に、微力ながら宣伝もしたいと思います。12月1日の番組も期待しています。

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さとか  女性  20代   2008/11/24
今回のキムヒロ事件、とても考えさせられました。
私は韓国に住んでいた事もあり、日本人に対する韓国人の気持ちがちょっとは分かっているつもりです。
でも、韓流、韓流というこの時代に、昔の日韓の歴史や人々の思いを知っている人、特に若い人たちはどれだけいるだろう、と思いました。

この時間帯にこういう問題を提起できる番組を作ってくださってありがたいです。
少しでも多くの人が日韓の歴史について関心を持ってもらえたらと思いました。


ドキュメンタリ大好き  男性  40代   2008/11/24
11月24日の「キム・ヒロ」の番組は大変すばらしいものでした.次も期待します.

差別とは  女性  30代   2008/11/24
金ヒロの特番拝見しました。彼よりだいぶ若い年代ですが、心が痛み未だ日本に残る差別の根強さを感じます。いわゆる植民地時代も含め韓国人を日本につれてきて、日本全国の日本列島をつなぐための立派な橋やトンネルを作るためなど、様々な労働力としてつれてこられたことは事実で、終戦後、そのまま日本で生活するようになった時代背景を事実として一緒に報道していただきたかったです。一人の韓国人を出稼ぎにきたと報道されると、強制的につれてこられた何万人の人たちのことも自分の意思で日本にきておいて日本で居座るという発想を生み、差別への警鐘という主旨の番組だと思いますが、歴史を知らない若者へ新たな在日韓国人差別を生む材料になります。

Pete  女性  30代   2008/11/24
11/24の放送を観ました。クイズやバラエティー番組が多すぎて、本当にテレビの質が低下し続けていると感じる昨今で、やっと観たい番組ができたという感想です。夜7時台に報道ドキュメンタリーを流すことはテレビ会社としてリスクの高いことなのかもしれませんが、これからも様々な問題、社会の断面に光を当ててほしいと思います。

大澤先生の教え子  女性  20代   2008/11/24
今日番組を初めて拝見しました。しかし、『報道発 ドキュメンタリ宣言』と冠している割には本当に報道陣として訴えなければいけないことが薄いように感じました。金嬉老事件をただ親子の美談だけに視点を置いて再報道したところで、それはただの『ドラマ』でありドキュメンタリーではない。当時の記者が、報道に紛れて警察が介入することを疑問に思ったということに軽く触れられてはいたが、その扱いも中途半端で何が訴えたかったのか、訴えたかったことはあるのでしょうが伝わりませんでした。某財界人の『提供降りるぞ』という脅し文句が通用してしまう世の中のだから、報道の人々が本当に伝えたいことと実際の番組がずれたとしても仕方ないのかもしれませんが。本来のジャーナリズムを忘れず、自分たちの影響力を忘れず番組を作り続けてください。 頑張ってください。

Kai  女性  60代〜   2008/11/24
1人の人間の生き様モを興味深く拝見しました。
当時20代半ばでしたが、社会情勢には疎く新聞の見出し程度の認識でした。
近く成った韓国への偏見はまだ残って居るようですが、原点は日本の植民地政策に行き着きます。貴社の中国、韓国寄り?の偏見を正そうと思いました。
長野さんへの信頼感がこの番組を輝かしていますね。


星砂  女性  30代   2008/11/24
金嬉老事件、始めて知りました、当時のマスコミの「ライフル銃犯罪」という取り上げ方に、納得いきません。確かに、犯罪は許されるものでは、ないけど、彼を、そこまで追い詰めた何かを、当時の世間に報道してほしかった。
 差別からは、何も生まれない。人との違いを認めた時こそ、相手を理解できるのではないか。
 毎回、楽しみに拝見しています。色々な人々の生き方に触れたとき、明日から頑張ろうと思うのです


いち市民  女性  30代   2008/11/24
朝鮮半島の人々に、過去の戦争でひどいことをした
日本は恨まれても当然かもしれないとおもいました。
つまらない意地をはっている場合ではありません。
ぶんをわきまえ、しゃざいするべきではないでしょうか。
れいぎをしる朝鮮半島のかたは、きっと許してくださいます。
ていどの低い国とは言われたくありません。わたしたちの
ねがいは一つ、アジアの友好です。


横浜34才  女性  30代   2008/11/24
今日の金嬉老さんの番組を見て涙が止まりませんでした。この事件自体知らずにいた事が日本人として申し訳なく、亡くなられたお母様の差別に苦しまれた心情を思うと胸が張り裂ける思いです。この事件は、金さんだけが犯人ではなく差別をする日本人が犯人です。私には少ないですが在日コリアンの友人がいます。差別を無くすには、人と人との交流と理解が必要です。オモニのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

saki  男性  40代   2008/11/24
金嬉老事件の回
とても考えさせられるよい番組でした。ありがとう。
私は日本人ですが、戦後しばらく見られなくなっていた差別が最近また強まっているように感じます。特にネットには見るに耐えない書き込みが多く、若年層に差別を悪いこととも思わない人が増えていることに危惧を覚えます。そのような人達に彼の叫びが少しでも届くとよいのですが。

奈良県人  男性  30代   2008/11/24
11月24日の金嬉老事件の番組を見ました。金嬉老事件については、過去に「金の戦争」というテレビ映画で民族差別をとりあげたものがありましたし、仮釈放の際にもニュースでいろいろ報道されていましたが、このようなゴールデンタイムに、民族差別が引き起こした事件という視点で番組が作られたのは初めてではないでしょうか。番組の最後に流されたいろいろな人の意見もとてもよかったです。差別の問題に正面から向き合う制作者の方々の良心と執念のようなものを感じ、感動しました。

はっち  男性  40代   2008/11/24
今夜のドキュメンタリー宣言、拝見させて頂きました。同じ、日本人として、差別を行う日本人に対しては、恥ずかしい気持ちもを感じます。最近は、減っていると思いますが、日本人は、弱い者虐めをするところがあり、隠します。現在も、人種差別以外にも、格差社会もあり、弱い者に対しての差別を感じます。会社でも、派遣社員、正社員、又、合併した会社でも、資本の比率が多い、吸収した側の社員、吸収された側の社員等、同じ日本人の社会でも、格差を付けて差別が多くなってきてるような感じがします。私の個人的感覚ですが、関西本社の会社は、格差がはっきりしてる会社が多いです。私も吸収された会社で、関西の会社が本社に吸収されて、そう感じます。人種差別等が、関西以西で、多いからかもしれませんね。
これも、
格差社会を作った、日本の政治にも責任があるとも感じます。もしよろしければ、これらの日本の格差社会を題材に放送して頂き、格差を是正する社会を訴えて頂く、番組を作って頂けないでしょうか?

るい  男性  20代   2008/11/24
テーマ曲本当にいいね
もう少し長く流してほしいね

佐々木良助  男性  30代   2008/11/24
あの時代、在日の方々があそこまで執拗な差別を受けていたことには考えさせられました。
ただその反面、殺人犯の主張を一方的に流すためにテレビが協力するというのには聊か疑問を感じずにはいられません。
時期的に事務次官殺害事件があった後だけにそれを強く感じます。


ごり  男性  60代〜   2008/11/24
今テレビを見ていたが、その通り。
テレビのドキュメントと同じく、警察官に汚い言葉で罵られ、そのことは一生心の奥深くに焼き付いて忘れられないだろう。今でも思い出すたびに腹わたが煮えくり返ってしかたがない。


山口峰子  女性  20代   2008/11/24
キム・ヒロの放送を見ました。民族差別を訴えていた金の主張をしっかり放送していて良かったと思います。当時のマスコミについての反省も含まれていて良かったです。
不満だった点は、金一家が出稼ぎに日本に来たと解説した点です。日本の植民地支配によって日本で働かざるを得なくなった点をしっかり含めてもらいたい。
金の母は日本人を恨むなと言いましたが、この言葉に甘えるのではなく、
恨まれないように日本人自身が植民地支配を反省し、過去・現在に存在する差別をなくしていかなければならないと強く思います。

tad  男性  50代   2008/11/24
日本社会が抱える民族問題・差別問題を、メディアの課題を含めて描き出した素晴らしいドキュメントだとと思います。これからも期待して見ます。

よし  男性  30代   2008/11/24
とても良い番組ですね。毎回いろいろと考えさせられています。
スタッフの皆さんがんばって下さい。
期待してます。


まり  女性  20代   2008/11/24
金嬉老事件の番組を見ました。
正直、このような事件が起こっていたという事も知りませんでした。
人種差別について非常に考えさせられる番組でした。
肌の色がどうであれ、話す言葉が何であれ、様々な文化の違いはあれども、同じ人間に変わりはない・・・
本当にその通りだなと思いました。




 これが金嬉老について投稿文として掲載されているすべてです。
確かに、ミエミエのアホな釣り投稿もありますが、それ以外の投稿を読んで、なんだこれ〜と思わない人はいるでしょうか。
 まるで、犯罪国家北朝鮮のあの醜いブタ首領様を讃えているだけの朝鮮総連のアホどもと同じ程度です。(普通の感覚だと、あのアホ首領様を罵ることはあっても讃えることなどないでしょう)
こんな偏った投稿だけというのが異常でしょう。テレビ朝日は自分たちに耳障りな投稿を排除し、都合の良い投稿だけアップして喜んでいるのであれば、やっていることは北朝鮮なみのレベルです。

 わたしも「木下隆義」という投稿名で、下記のような文章を投稿させていただいた。
 <金嬉老氏は、日本名としての通名を持ちながら、多くの偽名を使い、そして、窃盗、詐欺、強盗、殺人と人生のほとんどを刑務所で過ごして来た単なる犯罪者であるということは、我が国から韓国に渡り、すぐに放火、殺人未遂をおこし、5年間も服役したことで証明されています。
旅館立てこもりが、民族差別についての社会問題提起であるならば、
南朝鮮での放火、殺人未遂は何の社会問題を提起するためおこしたのでしょう。
単なる朝鮮人女性をめぐるトラブルであり、それにより金嬉老氏が放火、殺人未遂という彼として今まで繰り返して来た犯罪をやっただけのことではないでしょうか。
そのような犯罪者が、民族差別を訴えるためにあのような事件をおこしたと考えるのが異常であり、不自然であるとおもいます。
このような在日朝鮮人の皆様にとり、恥以外の何ものでもない犯罪者を美化する番組は、
我々日本人だけでなく、我が国に住んで、懸命に生活しておられる他の多くの朝鮮人の皆様をも侮辱するものであり、異常な番組であると思います。>と投稿させていただきましたが、当然アップされていない。

まあ確かに、掲示板の一番上に
<※ここに寄せられた
メッセージの中から、一部を掲載させていただきます。また、まことに勝手ではございますが、こちらの判断によって部分的に削除・訂正して掲載される場合があることを予めご了承ください。 >
と書かれてるけど。

 元NHK(その後朝日新聞)の村上義雄氏というのも、カスとしか言い様がない。あの金嬉老事件の時に警官が新聞記者の間に混じったことを、「報道の側からすると葛藤があった」と話していた。頭の中は、まるで、金嬉老事件の時に支持したアホ文化人グループと同じである。現実にはあの時、警官と一緒に多くの報道陣も金嬉老に飛びかかっている。この殺人鬼を擁護したアホ文化人グループについて書いてあった本が部屋にあったはずですから、今度アップします。

 流石は、日本のためにならない事だったらなんでもやる人民日報築地支社の朝日新聞と関係の深いテレビ朝日。
 腐れテレビ局だけのことはあります。
 こんなテレビ局早く潰れてほしいものです。そういや、朝日新聞が赤字という記事もありました。我が国にとっては慶事。

 昨日は早く寝たので、気持ちよく起き、河岸に行く。
 小胡子さんBOOちゃん来店。初めてのお客様来店。
 ヒマ。少し飲んでさっさと寝る。


11月24日月曜日くもりのち雨 ○
 朝、川頭さんに「朝飯どうします。食べないですよね」と布団の中から尋ねたら、「もう、九時半ですよ」と。
 でっ、シャワーを浴びて、着替えていると、今回我々のお世話してくださっているOBの宮崎さんがスーツ姿でいらしてくださる。
 普通、この手の役は現役の連中がすることが多いと思うが、ここのクラブは、若いOBが車の運転から、列車の手配まですべてしてくれた。お亡くなりになったOBの御両親にも、ず〜と迎えの列車から帰りの列車まで荷物を持って、OBが世話役として付いていた。凄い事だと思う。
 一〇時五七分の新幹線で帰る。これまた、グリーン車。
 
 昼過ぎに神楽坂に着き、駅を出たところで、福井県の物産展をやっていたので、のぞいてみると、酒、サバ寿司などとともに、古代米というのがあり、この赤米というお米を炒ったお茶?を飲ませていただいたら面白い味だったので、その赤米を五〇〇グラム(千円)購入。その時、オマケとして、漬け物をいただく。でっ、抽選券でガラガラをやったら、カタクチイワシの煮干しがひと袋当たる。何も朝から食べてなかったので、駅前の「小諸そば」にてうどんを食った後に店に寄り、少し片づけをしてから帰宅。

 古代米というのをインターネットで探したら、淡路島でも作られているようで、いろいろと出てくる。

 部屋でテレビを見ていたら、テロ朝が在日朝鮮人殺人鬼金嬉老を美化する醜い番組をやっていた。よくここまで物事を歪めてみる事ができるものだと感心する。
 酒を飲む元気もなく、早い時間に寝る。


早稲田棒術会30周年
11月23日日曜日晴れ×××××

 朝起きて、店に寄り、四合瓶三本をリックに詰め込み、東京駅へ。午前十一時二六分の新幹線で熱海へ。
 早稲田大学棒術会の三〇周年に来賓として呼んでいただき、出させていただくためです。
 大学も違うし、何も関係ないのですが。まあ、師範の江上さんとは、私が若い時にメキシコを放浪していた時に偶然お会いしてから三〇年以上おつき合いさせていただいている。
 東京駅では川頭さん、原口さんなどとホームでお会いし、そのまま送られてきたチケットで乗車。熱海に行くのにグリーン車。川頭さんと「別に、普通でええのに・・・」
 我々以外はみなさん、スーツ姿。私はいつもの背中に「猿」のTシャツにジャンパーと破れジーパン。
 演武会は網代の「南熱海マリンホール」
空手の型は、私が若い時に知っている流派と違い、無駄な力を抜いた流れるような動き。
六尺棒を使った演武も迫力満点。力一杯降りおろす棒が当たれば大怪我でしょうから、まさに命がけ。


 宿泊および記念式典及びドンチャンは「大野屋」さんというでっかいホテル。川頭さんと同室と案内された部屋は、豪華過ぎるほどのりっぱな部屋。そして、ひと組にひとりのOBが世話役として付いてくれている。

 七時から記念式典。九時過ぎから始まった二時会は延々と二時過ぎまで。その後、我々の部屋で三次会。しかし、都の西北とうたっていた一番上座の人たちはだれも早稲田出身の人はおらんのだけど・・・・

二次会では、前回は一〇分で裸になったのがいたそうですが、今回はそれなりに時間が経ってから。

 しかし、いつも思うのは棒術会の人たちの礼儀正しさと結束の強さです。現役の学生さんから、OBのみなさんまで、一四〇人以上が集まられ、そのみなさんの礼儀正しさが無理な不自然さはなく、自然に身についている。
 今回の記念の会に出席させていただいて、なんといっても感激したのは、お亡くなりになったOBの御両親を来賓としてよばれていた事です。今さらながら、この部の結束の強さを感じました。お父上の「息子の分まで生きなければと思います」というお言葉を聞いた時には、がらにもなくこみ上げてくるものがありました。学生時代に一生付き合える人たちを得、師と思える人に出会えるのは幸せな事と思います。


墜落
11月22日土曜日晴れ ×

 週刊新潮に「墓碑名」というコーナーがあります。手元にある今年始め(平成二〇年)に発売された週刊新潮(一月十七日号)のこのコーナーは土志田勇さんという方でした。私は存じませんでしたが、昭和五二年九月二七日午後一時二〇分頃に、厚木基地から空母ミッドウエーに向かっていた米軍戦闘機ファントムが横浜市緑区(現青葉区)の住宅地に墜落。この土志田勇さんの長女の和枝さんと幼子の裕一郎ちゃん(三歳)は「お水をちょうだい。」といって、半日後になくなり、次男、康弘ちゃん(一歳)は覚えたばかりの鳩ポッポの歌を力なく口ずさみ息を引き取ったそうです。母親の和枝さんも壮絶な闘病に耐えていたが、お子さん二人の死を知らされた後、昭和五七年一月に呼吸困難により御亡くなりになる。
 その後、土志田勇さんは事故の記録を残す事と母子像を建てる事、福祉の仕事をする事を目標にして生きたそうで、「港の見える公園」に母子像を建てられ、六〇歳を過ぎてから福祉関係の資格を取得し、社会福祉法人を立ち上げ、知的障害者を支援する授産施設、ハーブ園、保育園の開設に力を尽くしたそうですが、一月三日に八十三歳でお亡くなりになったそうです。
 米軍のファントムと違い、このような御不幸を避けるため、平成十一年十一月二十二日、眼下に広がる住宅や商店の建て込む地域をさけ、高度九〇mという墜落ぎりぎりのところまでコントロールし、入間川上を通る二七万五〇〇〇ボルト高圧電線を切断して首都圏に大規模な停電を発生させたものの、民間の生命財産に重大な被害をもたらすということは何とか回避しましたが、そのことにより脱出が遅れてお亡くなりになったお二人の航空自衛隊ベテランパイロットがいらっしゃいます。
 自衛隊員は入隊するときに『国民の生命財産を守る、その使命のためには自らの命を懸けても職務を遂行する』という誓約をし、そして隊員になります。その誓約をしっかり守った航空自衛隊のすばらしい隊員が二人いたことを我々は誇りにすべきです。

 中川 尋史(なかがわ,ひろふみ)
平成十一年十一月二十二日没 享年 四十七歳
長崎県出身 自衛官 航空自衛隊 F-1支援戦闘機パイロット
航空学生二十八期
十一月二十二日付で空将補に特別昇進 第一級賞詞

門屋 義廣(かどやよしひろ)
平成十一年十一月二十二日没 享年 四十八歳
愛媛県出身 自衛官 航空自衛隊 F-15J戦闘機パイロット

スポーツセンターに行く。 
珍しく早い時間からマロさん来店。三名様来店。二名様来店。Iさん来店。恭子さん来店。
カウ゛ェルナのオーナーの森さんから電話をいただく。

11月21日金曜日晴れ ××
 バンブーさん来店。二名様来店。小胡子さん、BOOちゃん来店。Oさん御夫妻、お母様と来店。二名様来店。Nさん来店。恭子さん来店。

ボジョレーヌーボー
11月20日木曜日晴れ××

 ボジョレーヌーボーは、我が国においてクリスマスケーキなどと同じく、今や11月の風物詩のひとつとなっていると思います。今日はそのボジョレーヌーボーの解禁日ということで、いろいろなお店でそのパーティが開かれている事と思います。うちの店はやってませんが・・・・・
 日本酒でもヌーボーとかやっていたような覚えがあるので、「日本酒 ヌーボー」と検索してみましたら、結構でてきました。

ただ、その中で、「秋の日本酒 ヌーボー『ひやおろし』」と書いてある酒屋さんのページがヒット。開いてみると、ひやおろしの意味は分かっているみたいで、この書き方をしているようですが、春までに造った酒を火入れし、夏をこして秋になってから出荷する酒がひやおろしだから、どちらかというと、今年の秋に造ったばかりの酒を出荷するものがヌーボーというのに相応しいと思うのですがどうなのでしょう。
 小胡子さん来店。へべれけさん、ぐでんぐでんさん来店。今日もパソコンの事でお世話になる。まだ、新しいMacがどうもいまいちうまく使えない。まあ、古い方も一部分しか使ってないのでしょうが。幹子さん来店。Yさん来店。ボジョレーヌーボーの会の帰りというKさん、Yさん三名様で来店。「Kくんも来てたよ」「あとで、来るんんじゃあないの」と話していたら、Kくんから電話があったので、大笑い。営業終了後、遅い時間に来店したKくんと一緒にラーメン屋さん。ヨッパラッテのラーメン・・・体に悪いだろうな・・・・・

 久しぶりに高田馬場のカヴェルナさんにおじゃまする。残念な事に、今日もオーナーの森さんにはお会い出来ず。明日は顔を出されるそう。

渡辺淳一
11月19日水曜日晴れ ×

 コンビニに行くと、連休なので一日発売日が早まったみたいで、週刊新潮と文春が並んでいる。購入して読んでみると、週刊新潮に渡辺淳一というエロ作家さんが「あとの祭り」というコラムを書いている。
 見開き二ページのコラムなので全文を掲載いたします。
以下引用
あとの祭り
なぜ田母神論文が生まれたか
このところ、田母神前空幕長の話題が新聞やテレビで大きく取り上げられている。
この男が発表した論文。たしかに狂って的外れだが、それを取り上げるマスコミの意見も、同様に少し的を外れているように思うのだが。
知らないだけ
日本は朝鮮半島や中国大陸に相手国の了承を得ないで、一方的に軍を進めたことはない。我が国は蒋介石により、日中戦争に引きずり込まれた。日本が侵略国家だというなら、当時の列強で侵略国家でなかったのはどこかと問いたい。アジアの多くの国が大東亜戦争を肯定的に評価しているのに、日本が侵略国家だというのは濡れ衣である。
以上が
田母神論文の要旨だが、これが誤りであることは明白である。
 事実、一九九五年に発表された
村山談話で、昭和期の戦争について、日本が国策を誤ったこと、植民地支配と侵略により、アジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたことを明確に認めている。
だが田母神氏は、これは誤りだという。日本はアジア諸国、朝鮮も中国も侵したことはなく、侵略は濡れ衣だという。
 なぜ空幕長の要職にいた男が、こんな馬鹿げたことをいうのか。
理由は簡単である。日本の過去の事実をほとんど知らされず、体験もしていないからである。
非道の数々
 日本が戦争に敗れたとき、わたしは小学六年生であった。
当時、わたしは札幌に住んでいたが、その前、小学校低学年のときは北海道でもっとも大きな炭坑があった砂川に住んでいた。
ここで、私は信じられない、恐ろしい状景を目撃した。
 まず砂川の市街を外れた丘の下、山峡を流れる川のほとりに炭鉱労働者の飯場があった。たまたま親戚がその丘の上で新聞販売店をやっていたので、ときどき遊びに行ったが、「下の川べりに行ってはいけない」と厳しくいわれた。
 そこには、朝鮮人の飯場があって、腹をへらした労働者が「アイゴーアイゴー」といって泣き、ときどき殴られている、ときいていた。
 またあるとき、表通りが騒がしいので出てみると、裸同然の朝鮮人労働者が、棒に両手と両足を縄で吊されたまま運ばれていた。大人たちの噂では、日本人の棒頭に逆らって制裁を受けたのだといっていた。
 そしてある冬の日、わたしの家の屋根の雪下ろしにきた朝鮮人に、母があたたかいおにぎりを渡すと、涙を流して喜んでいた。
彼らはなぜ日本にきて、このような過酷な労働にたずさわっていたのか。
理由はただ一つ、日本軍に一方的に捕らえられ、強制的に連行されたからである。
 子供の世界でも、朝鮮人はすぐ泣くといって馬鹿にしていたし、中国人は「チャンコロ」と呼んでいた。
 この傾向は戦後も続き、在日韓国人は公務員や一流企業に勤めることができなかった。
 たしかに、欧米諸国もアジアを植民地化したが、
日本は朝鮮人すべてに日本語を強要し、名前を日本式に変えさせ、文化まで破壊した
 敗戦まで、日本人はどれだけの朝鮮人と中国人を強制連行して、炭鉱などで過酷な労働をさせたのか。その数、百万とも二百万ともいわれているが、今、日本で生活している韓国系の人のほとんどは、この人たちの子孫である。
 こんな過去があるかぎり、北朝鮮を巡る六カ国協議で、日本が訴える拉致問題に対し、中国や韓国が積極的に支援してくれないのは、当然といえば当然である。
教科書で教えろ
 以上の事実にくわえて、
戦時中の、あの異様な軍人の威張りかた。そして朝鮮や中国への蔑視教育を思い出したら、日本が侵略戦争をおこない、植民地やそこに住む人々に過酷な仕打ちをしたことは、疑いようのない明白な事実である。
 この傾向は戦後も続いたが、幸か不幸か、田母神氏はそれを知らない。なぜなら戦争が終った時、彼はまだ生まれていないからである。
 ならば、これらの事実をしっかり学ぶべきではなかったか。
 しかし、彼が小学校から中学校にすすんだ頃、日本の歴史の教科書では、それらのことをまったくといっていいほど教えていなかった。教科書は明治維新までで、そのあと日韓併合や日支事変の実態についてはほとんど記されていない。
 これでは、侵略戦争はなかった、と思い込むのも無理はない。
そして、彼の言動を批判しているマスコミも、かつての日本については、あまりよく分かっていない。
 実際、今回の事件について新聞の社説などでは、「言論の自由をはき違えている」「歴史観を述べるのは空幕長の仕事ではない」「文民統制に問題がある」といった、現実離れした記述ばかりで、侵略は事実か否かについては触れていない。
 要するに、今、マスコミの第一線にいる記者たちも過去、日本が犯した罪については何も分かっていない。
 こんなピンボケ状態を正すにはどうするか。
もっとも重要なことは
、歴史教科書にきっかり、かつて日本は侵略国家で、アジアの国の人々を苦しめたという事実を、明確に記すことである
 自分たちの国の犯した罪を子供にしっかり教える。それを知らされることは辛いことだが、そうすることでしか、アジア諸国との真の理解は生まれないだろう。

引用終わり
 週刊新潮平成二〇年十一月二七日号p六六〜六七「あとの祭り 渡辺淳一」

 いかがでしょう。
私は、渡辺氏のこの文章より我が国が侵略国家であったということがどうしても理解出来ません。渡辺氏は「日本人はどれだけの朝鮮人と中国人を強制連行して、炭鉱などで過酷な労働をさせたのか。その数、百万とも二百万ともいわれているが、今、日本で生活している韓国系の人のほとんどは、この人たちの子孫である。」とし、在日朝鮮人が我が国にいる理由について「理由はただ一つ、日本軍に一方的に捕らえられ、強制的に連行されたからである。」と断定し、続いて、
「戦時中の、あの異様な軍人の威張りかた。そして朝鮮や中国への蔑視教育を思い出したら、日本が侵略戦争をおこない、植民地やそこに住む人々に過酷な仕打ちをしたことは、疑いようのない明白な事実である。」と断定して書いています。
 
 野中広務氏も朝鮮半島に対する関心と親近感を感じるゆえんとして、「少年期から青年期にかけて、当時自宅の近くにあった造兵所で、朝鮮半島から連行されてきた人たちが、重い石を背負い日本人からムチを打たれながら働いている姿や、隣町のマンガン鉱の採掘場で朝鮮人や同和の人たちが劣悪な環境で働いている姿を目にしてきた」と似たような事を講演会で語っていたそうですが、同じようなものと思います。(2006年十一月二九日東京ウィメンズプラザ)
 現実に朝鮮半島において行われた統治についての知識も無く、調べようともせずに渡辺氏はご自分が子供のとき見た記憶と思い込みにより、我が国が朝鮮に対して醜い事をしたに違いない、侵略国家であると断定しているだけなのです。「日本は朝鮮人すべてに日本語を強要し、名前を日本式に変えさせ、文化まで破壊した。」と書く渡辺氏には、ぜひ具体的にその事について書いてほしいものです。
渡辺氏は以前も、
アウシュビッツと我が軍を同列にみる醜い文章をこのコラムに書いていました。
 渡辺氏は、当時より祖国が裕福であろう現在においても朝鮮人、支那人の不法滞在や不法就労が我が国に多い事にも当然触れていません。
 このような現実を見ようともせず、村山談話の如何わしさを疑う事も無く、自分で調べようともしないこの程度の人間が偉そうに「かつての日本については、あまりよく分かっていない。」、「歴史教科書にきっかり、かつて日本は侵略国家で、アジアの国の人々を苦しめたという事実を、明確に記すことである。」とし、そうしないと、「アジア諸国との真の理解は生まれないだろう。」と書くことは、滑稽さを通り越して恐ろしさを覚えます。

 初めてのお客様四名様来店。Mさん二名様で来店。ケイザブロウさん四名様で来店。
 ドンチャン。記憶あり。

日中友好教会による田母神俊雄前航空幕僚長批判
11月18日火曜日晴れ ポカポカ陽気

支那の新華社の記事を伝える形で、「日中友好協会、日本政府に責任追及 航空幕僚長事件 」と題したチョンイル新聞(通名で朝日新聞ともいう)の記事がずいぶん前にありました。
以下引用
日本の日中友好協会は11日、前航空幕僚長が歴史を歪曲する論文を発表したことについて、日本政府に厳粛な処理を求める声明を発表した。新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。
この日、麻生太郎首相と浜田靖一・防衛大臣に送られた声明文は、田母神俊雄・前航空幕僚長が日本の過去の侵略事実を美化する論文を発表して解任された問題について、歴史の真相と平和を求める国際社会に対する重大な挑戦であり、田母神氏個人が責任を負うだけで決着がつく問題ではないとし、次のように続けた。

日本は植民地統治によってほかの民族の固有の文化を剥奪し、中国をはじめとするアジア各国を侵略して2千万人以上を殺害した。この侵略戦争の事実は否定できるものではない。
「三光政策」「731細菌部隊」「従軍慰安婦」など日本軍の加害事実は被害者だけでなく、加害行為を行った日本軍元兵士の証言でも明らかになっている。このような確固たる事実を否定して「濡れ衣」と言うのは全くもって許せないことだ。
今回の航空幕僚長事件が証明するように、自衛隊は侵略戦争に対して反省の色がなく、過去の日本軍と同じ流れをくんでいる。さらに恐ろしいことに、田母神氏は航空自衛隊の長官でありながら、集団的自衛権の行使と攻撃的兵器の保有に対する制限を解除するよう論文で主張した。
 田母神氏が投稿した「真の近現代史観」懸賞論文には、ほかにも現役の航空自衛官94人が応募し、応募総数の3分の1を占めている。彼らの行為は戦前に軍部の特権を容認して重大な結果をもたらした事実を思い起こさせ、無視できないものだ。
日中友好協会は平和・民主、それにアジアと世界の平和に貢献する立場から、日本政府に自己責任を明確にするよう強く求める。田母神氏を解任するだけで決着のつく問題ではないし、自衛隊が継承する過去の日本軍の思想と体質の撤廃に全力を尽くし、再び戦争に踏み出さないためにも、侵略と植民地化統治を反省する歴史認識を徹底して明確にしてもらいたい。

引用終わり
朝日新聞 2008年11月12日15時51分

 つまり、国内反日団体(日中友好協会)→反日国家(支那)→国内反日新聞(朝日新聞)と「身内」の間でグルグル回しただけのマッチポンプ記事なのです。チョンイル新聞が、ご主人様のために我が国を貶めるために今までに仕掛けて来た慰安婦問題、靖国問題、教科書問題などと同じ構造になっています。

 「2千万人以上を殺害」「三光政策」「731細菌部隊」「従軍慰安婦」記事の内容も醜いものですが、それ以上に醜いのは、友好を謳っているこの団体です。
 日中友好協会の現在の会長は
加藤紘一議員です。その加藤氏の会長に就任する前からの支那コネクションは、「民間団体」の中日友好協会でした。一九六三年一〇月に誕生したこの協会の日本側受け皿機関として、誕生したのがこの日中友好協会です。
 中日友好協会とは、支那共産党の対外交流組織「中央連絡部(中連)」のダミーであり、冷戦当時はこの党組織が日本共産党、社会党左派と密接なつながりを持ち、対日工作を行ってきました。
 加藤氏の著書「テロルの真犯人」(講談社)に書かれている「私の得た中国政府の最新の動向情報」のソースとして、「日中関係についての根本理論を作った」として、名前を具体的に挙げている張香山は中日友好協会の幹部(顧問)であり、「中央連絡部」の幹部です。
 張香山は、当時、日本共産党の最高指導者であった野坂参三が提唱した「平和革命論」を否定し、武装蜂起を伴う武力革命をうながす指示文書を書いた人物です。
 一九五〇年六月、朝鮮戦争勃発後、日本共産党は徳田球一書記長のもと、五一年一〇月の「第五回全国協議会」で「日本の解放と民主的変革を平和的手段によって達成しうると考えるのは間違い」として、武力革命をめざす「五一年綱領」を打ち出した。当時、日本共産党員の中には団体規制法で、暴力主義団体に指定され解散に追い込まれた「在日本朝鮮人連盟(朝連)」に属する朝鮮人が数多く在籍していた。そして、日本共産党は交番を襲撃し、拳銃を入手したり、武力闘争という破壊活動を繰り返したが、その時の共産党の先兵のひとつとなったのが、在日朝鮮人の一部です。徳田ら日本共産党最高指導者たちはGHQより追われ、日本海から「人民艦隊」と呼ばれた密航船で支那に渡り、毛沢東の庇護のもと一生を支那で終えている。その徳田らの地下活動を含む謀略的革命工作の責任者だった男が、現在、「中日友好協会」の顧問を務めている張香山なのです。
 そんな組織の日本の受け皿がこの加藤氏が会長を務める「日中友好協会」ですから、この組織がどのようなものか、その程度がわかります。
 「中国の黒いワナ」(別冊宝島 P四八〜五二)、「ザ・在日特権」(別冊宝島 P八七〜八八)

 ちなみに、この組織の前の会長は
平山郁夫氏、名誉顧問は村山富市氏です。野中広務氏も名誉顧問に就任していたこともあるというなんとも判りやすい売国奴どもの集まる組織だからこそ、日本のためにならないことだったらなんでもするのです。

 別の機会に詳しく書かせていただきますが、河野太郎とは、所詮、腐れ売国奴河野洋平の汚れた血が流れていることが証明された、今日の国籍法改正案の衆議院採決でした。
採決までのやり方は、今でもその後遺症に日本国民が苦しんでいる一九九一年に在日朝鮮人に特別永住権を与えた「入管特例法」、一九九五年の「村山談話」ときと同じ匂いがします。

 今日は昨日あれだけ飲んだのに、すっきりと起きられた。帰って来てからゴロゴロと雑誌を読んでいたので、寝るのが遅くなり、少し眠いですけど。
 シャワーを浴びてから河岸に行く。今日の活けアンコウは先週より小さかったが、肝はずっと大きかった。新しい冷蔵庫は磯自慢35%、40%などと初亀の「亀」を入れ、今まで磯自慢が入っいた冷蔵庫には、義侠「妙」と「慶」を入れることにする。
 二名様来店。四名様来店。アンコウ鍋。


冷蔵庫搬入
11月17日月曜日くもり△

 冷蔵庫の搬入があるので、午後より店に行く。午後三時過ぎに冷蔵庫を業者さんが搬入してくださる。流石は、プロ。手際がいい。当店の冷蔵庫で初めてのキャスターが付いていない冷蔵庫になる。
 それなりに酒をそれぞれの冷蔵庫に移すだけで、三時間もかかってしまう。
 酔狂師さんと待ち合わせて、久しぶりに七時過ぎに西大島の「與
兵衛」さんに伺う。オーナー御夫妻によるカウンター八席だけのお店。テーブル席は荷物置場。
 いつもどおり、無理をお願いして、今回も松の司出品酒、初亀出品酒、醴泉蘭奢待の三本を持ち込ませていただく。おまかせでいただいた後、銀座のシェリークラブに伺う。私は初めて。銀座なんてほとんど来た事もないので、場所もようわからん・・・・
 帰りは、二人とも今日もタクシー。
 記憶は最後までありました。ほんまは、それが普通でしょうから、自慢するほどのことではないんですけど・・・・今日はサルよりまし。

1200×1800
11月16日日曜日くもり一時小雨 ○

 今日は、一番ちっこい冷蔵庫を片付けて、1200mmのスペースを作るのが大変でした。全部の冷蔵庫を少しずつ移動させて、何とか確保。
 当店にある冷蔵庫では一番大きなものとなる、明日に搬入予定のホシザキの1200×1800×650mmの冷蔵庫(リーチインショーケースとかいうらしい)のためです。
 捨てる予定だった一番小さい冷蔵庫を厨房に入れて、タレ、醤油など専用にしたので、これで、冷蔵庫がまた増えて、魚等を入れているもの、ワインクーラー、酒用など大小合わせて十一台・・・・・

 今日は飲まず。
 

腐れジャーナリスト
11月15日土曜日晴れのちくもり△

 今日、あのテロ国家北朝鮮に拉致された市川修一さんのご母堂、市川トミさんがお亡くなりになったそうです。三〇年間もの間待ち続けた、息子の修一さんとの再会を果たす事無く旅立たれたのはさぞ御無念だったことと思います。
そして、今日は三一年前に、当時、中学生であった横田めぐみさんが新潟において、卑劣な北朝鮮工作員に拉致された日です。
 
 この横田めぐみさん、他の方々の北朝鮮による拉致について、小泉元首相が訪朝し、金正日が拉致を認めるまで、在日朝鮮人はもとより、我が国政治家、マスコミ、教授など多くの人間が北朝鮮擁護をし、家族会の皆様に対して酷い対応をしてきた。
 
辛淑玉女史、北川広和氏など「拉致はウソだ」と明確に否定する人物も多くいました。
 拉致が明らかになったとき、「救う会」の佐藤勝己会長は「九〇年代以降は、自民党のなかに
金丸信さん、渡辺美智雄さん、加藤紘一さん、野中広務さん、中山正暉さん、こういった方たちが、たえずコメを出すとか拉致問題を不問に付して日朝交渉をやれとかやってきたことが、今日まで拉致問題が問題にならなかった大きな理由の一つ」と述べています。黄元朝鮮労働党書記を日本に招こうとした行動にストップをかけたのは、中川秀直衆議院議員だそうですが、ジャーナリストという肩書きを持つ者の中にも、同じような人間が山ほどいます。
 野田峯雄氏などもそうです。
 野田氏は<国会議員秘書、「現代コリア」、産経、アエラ「横田めぐみさんら致騒動」で奇妙なハーモニー 起点”は佐藤勝巳氏?>という記事を月刊「宝石」で書いて、それを朝鮮新報が、九七年一二月二四日引用する形で記事にしています。(現在は削除されているのか見つける事ができません。)
 この中で、野田氏は<それにしても、産経新聞とアエラと西村議員。2月3日の彼らのハーモニーをどのように理解したらいいのか。
 たとえば産経新聞やアエラの記者たちはちょっとしたトリックにひっかかってしまったのではないか?>と横田めぐみさん拉致事件に疑問を呈し、
<「めぐみさん」は彼らの主義主張(いわば反北朝鮮過激派)の悲惨なマチエールと化してしまった感がしないでもない。>
と書いています。


 同じく、あの吉 田 康 彦氏が中心となって活動する「北朝鮮人道支援の会」の ニューズレターNO.5 2000(平成12)年5月1日
には「日本人拉致疑惑をめぐる“疑惑”」として、
 <4月下旬に横田めぐみさんの両親の滋さんと早紀江さんの住まいを訪れた。
緩慢ながら着実に前進している米朝協議、4月上旬に再開された日朝国交正常化交渉、6月中旬の南北朝鮮首脳会談、また、これらを手がかりに浮上してきたさまざまな経済的・対北朝鮮アプローチ(胎動)など、北東アジアがやっと過去に決別して新しい舞台へ入る、いわば回天の季節を迎えようとしている中で、なお、けっして見落とすことのできない「問題」があったからだ。>
として、
 <どうやら「拉致」と「ミサイル」と「不審船」を渾然一体化しているようなのである。なぜ渾然一体化するのか? ちなみに、防衛庁資料によるとミサイル(飛翔体)の軌跡は、日本上空には違いないが各国があたりまえに利用している人工衛星ゾーンであり(領空に関する国際的な共通概念や規定は存在しない)、おまけに同飛翔体の落下ポイントは、「三陸沖合」などどはとても言い難い、日本の領海の外縁からなお60キロほど向こうである。不審船のほうにもちょっと触れておく。2隻のうちの1隻(同名の漁船)の経歴には、奇妙なことだが、日本から「韓国」へ売られたことを示す痕跡がかい間みえる。
 
いずれにしろ、すべてを一括して北朝鮮に背負い込ませる「思考」パターンから、私たちは、もう脱却すべきではないだろうか。あまつさえ「拉致」の場合、これまでいくらでもチャンスがあったにもかかわらず、日本の捜査当局(および外務省)は、だれもが納得できる明確な証拠を私たちにも北朝鮮にも提示し得ていない。いいかえれば、いまもって「行方不明者」と「北朝鮮」を結ぶ鮮明な糸がない。
略)
 さて、横田滋さんの署名活動についての説明(前述)によってとくに喚起されたのは、今日、私たちの耳にしている「拉致」が、行方不明者たちの個々の事件の客観的な検証に立脚しているのではなく、「ミサイル」や「不審船」などに強く結びつけられ、支えられて、なんとか成立しているという点である。そのため「拉致」はいったいどんな形に成長したのか?
略)
 
おそらく、「元北朝鮮工作員の囁く横田めぐみさん」や「売国奴!」や「日の丸」や「うさぎ追いしかの山」の混濁した沼からは、何も生まれないだろう。
 と書いています。(現在は、これらは消されており、ホームページではNO.二〇からしか見る事はできません。)

北朝鮮工作船については「何を物語る−江ノ島騒動」として
「朝鮮新報」2002年 1月 25,28日付
 <昨年12月、海上保安庁は東シナ海で戦後初めて危害射撃を行い、船舶を沈没させて15人の命を奪った。
 小泉首相はそれを「正当防衛」だと言う。だが、この主張はまさに子供だましでしかない。武力による威かくや武力攻撃を禁じた憲法下では、原則に忠実なら、いかなる形であれ攻撃的な武器使用は許されない。ましてや一件は「公海」で発生している。国際慣習法や国内法を踏みにじった行為である。そこには自分勝手な秩序を主張するごう慢さが張りついている。
 事件の経緯から見てもさまざまな疑問が浮かぶ。
 自衛隊は「不審船」が出港する時点で電波を傍受したと言う。とすればなおさら、海上自衛隊の哨戒機P3Cが奄美大島付近で「不審船」を視認した時、海上保安庁にすぐさま通報しなかったのはなぜか。通報するまで自衛隊は何をしていたのか。
 船が撃沈された場所は、最初に視認された場所から遠く離れている。なぜ海上保安庁は中国の排他的経済水域(EEZ)まで「不審船」を追跡、あまつさえ3度も攻撃し沈没させなくてはならなかったのか。腑に落ちないことがあまりにも多い。
 公開された映像も作為的だ。たとえば「不審船」が北の方向へ向かう映像が繰り返し流されている点に私は強い疑問を感じている。
 
そもそも日本政府は、「不審船」が「北朝鮮のもの」であることを大前提にして対処しているのだ。彼らがなぜそう言えるのか。客観的に検証されたものは何もない。
 また、自衛隊は「不審船」と朝鮮の間で交わしたとみられる無線交信を傍受したと言う。しかし、今まで自衛隊が傍受電波の存在を公表したのは83年の大韓機撃墜事件のときだけである。それ以外は一切ない。としたら、なぜ今回に限ってこれをむやみに振りまわすのだろうか。軍事、安全保障上の問題があるなら、逆にすべての電波情報を 国民に提示すべきではないか。その方が事の真相を明らかにすることができる。
 ところで、
日本では、いわゆる北朝鮮がらみの事件が起きるたびに必ず国内の世論を一定の方向へ持っていくような付随的な動きが発生する点を見落とすわけにはいかない。今回もそうだった。
 事件後、ハングル入りの漂流物や菓子袋が発見されるなど補足的な情報が流れた。それらがデマなのか、真実なのかは脇に置くとして、とにかく活字や映像にすれば世論を一定の方向へ誘導していくことができる。

 つまり、予断ありき。そのうえで事件化をはかる。できるだけ多くの情報を加工してメディアに流す。あたかも第3者が認めた証拠であるがごとく提示し、人々の頭の中にすり込んでいく――。日本政府は北朝鮮問題に関してこのような 「定型化したパターン」を何十年も繰り返しながら、偏見と脅威をあおってきたのだった。
 このたびも平然と人殺しを犯しながら、その正当性と真実を明確に開示しないばかりか、世論を一気に有事法制支持に持っていこうとしている。

 略)
 
日本人拉致、不審船…。事実かどうかが検証されていないふわふわとした出来事が今や既成事実化され、「北朝鮮はテロ行為をやっている」という認識が拡大、普遍化されている。その過程で首相が「次は有事法制だ」と断言しても誰も異議を唱えない。有事法制が何かもわからないまま。

 私は声を大にして言いたい。人殺しは決して「これから始める」と宣言して始まるものではないのだ。むしろ戦争は喜劇じみたふるまいから始まることを歴史が教えている。あの冷酷な侵略戦争に突き進んだ日本の歴史がそれを証明している。>

拉致問題があきらかになった後も、「拉致問題から抜け落ちた視点」として、北朝鮮人道支援の会ホームページにて、
<“9・17衝撃”の拡大過程で奇妙なほどきれいに抜け落ちてしまった視点が、以下の通り、3つある。
(1)日本の警察は何をしていたのか、何をしているのか
拉致事案にもっとも深くかかわってきた官庁はいうまでもなく警察である。したがって彼らはいまこそ前面に立つべきなのに、まるでかき消えてしまったようだ。
略)いずれにしろ、度し難い無責任と怠惰で、まず被害者の家族を絶望の淵に追い込んだのは警察官僚であった。
 略)
 (2)いわゆる日本人拉致問題の解説者たちの横顔
 その多くは妙な方々である。「横田めぐみさん事案」が発火した1997年に戻ろう。横田さんレポート(活字と映像)に関与した者たちはいずれも、当時、新潟市の現場に出向いていない。彼らは韓国の情報機関や同機関の用意した元北朝鮮工作員からの?おもらい情報?で記事をつくっている。
略)
 
目をカッと見開いて注視すべきなのは、彼らの多くが直感に憶測や妄想や偏見のたぐいを結びつけてワケ知り顔で語る手法をいまもテレビや新聞などで続け、9・17現象と呼ぶべき集団ヒステリーの様相を平然と肥大化させている点である。蓄積データを元に推測や推定を、そう断言した上で語るのは自由だし、むしろきわめて大切である。が、憶測や妄想や偏見を狂騒にまぎれ事実にスリ替えるマジックは犯罪だとしか言いようがない。

 (3)なぜ我(特異な日本列島の枠組み)にのみ囚われ、彼(北朝鮮)を見ないのか
 国交正常化交渉の再開は金正日が日本からのカネを欲しいためだと喧伝されている。そうだろうか。重要なのは彼我を等分に凝視する姿勢である。そもそも9・17では小泉首相にも訪朝する理由があった。彼が今日の苦境から国民の目をそらせたり、日本史に自分の名前をゴチック体で記されたいために北朝鮮カードを利用している側面を看過するわけにはいかない。
 また、北朝鮮はいまだ「朝鮮戦争」を戦っている。敵は米国である。いま北朝鮮の最大課題は米国の経済封鎖を解除させることだ。そのため冷酷にも拉致問題をテコに、まず日本を動かそうとしているのではないか。もし米国の経済封鎖が解ければ、欧米資本や中国・華僑資本や韓国資本などが入り、日本の位置は相対的に低下する。米系資本はすでに、地球最後の開発地と言われる人口約1億5000万人の北東ア・マーケット(朝鮮半島+中国東北部+極東ロシア+モンゴル)への進出シナリオを作成している。
 つまり、我のみ、言い換えると「ぬくぬくとした特殊日本列島」の枠組みでモノゴトを理解しようとしては、おまけに蔑視とセットになった金持ち幻影に溺れていては、北朝鮮の言動(狙い)を読み取ることができないのだ。> 
引用終わり。

 このように、北朝鮮が拉致を認めるまでは、拉致に対して否定的であり、そして、北朝鮮核兵器開発についても、北朝鮮工作船についても同様に否定的、あるいは擁護までしている。しかし、それはすべて、外れた結果、警察の無能さ、拉致報道について真摯な報道をして来た人たちをまさに逆切れして攻めて、そして、「北朝鮮は今だに戦争中である」のだと開き直る醜態を曝しています。
 この男のジャーナリストとしてのアホさ、無能さだけが証明されたわけですが、私には、野田峯雄氏の文章のどこからも拉致をした北朝鮮という犯罪国家に対しての怒りも、拉致された罪なき同胞に対しての日本人としての思いも感じられない。己のイデオロギーに基づく記事を書くだけの典型的な腐れジャーナリストの姿だけしか見えない。 

 午後よりスポーツセンターに行く。
 Oさん来店。Eさん来店。Tさん来店。Tさん三名様で来店。
 早い時間に、女性の方三名様来店。「ソフトドリンク何あります」なにもありません。「食事のメニューを」ありません。「うっそー」
でっ、お帰りになりました。
何見てきたんだろう。うちの店に飯を食いにくる・・・・・
 でっ、早い時間から飲む。今日は記憶あり。

赤城神社無惨
11月14日金曜日晴れ

 今日、赤城神社の前を通った時の写真です。もう一枚は、鳥居さんを壊す前の赤城神社の写真です。その下の写真にある大きな御神木も、きれいさっぱり無くなりました。毎日、神様を踏み付けながら生活することのできるという、日本人にとってはなんとも「オアリガタイ」マンションを建てるそうです。

 そんな「オアリガタイ」マンションに誰が入居するのだろう。

 バンブーさん来店。小胡子さん来店。Sくん来店。博子さん四名様で来店。女性ばかりで華やか。わ。さん来店。ホロン部員Yさん来店。弟さんの御不幸がありフィンランドより急きょ帰国。明日、成田から帰られるそうな。大台さん来店。Yさん来店。
 昨日に引き続き、Sくんのお話に、みなさんあの国らしさ発揮に今さらながら納得。
 ドンチャン。記憶は珍しく最後まであり。


11月13日木曜日晴れ
 今日はきれいな満月。
 小胡子さん来店。Sくん来店。川崎からKさん御夫妻来店。東京ドームでの野球観戦の帰りに寄ってくださったそう。お風呂帰りにマロさん来店。Bさん来店。
 ドンチャン。記憶あり。

 写真は近所の空き地の変化。

7月15日撮影

7月30日撮影

8月19日撮影

8月26日撮影

9月9日撮影

9月16日撮影

10月15日撮影

11月13日撮影

ところで、ず〜と咲いているこの花は何という花なんでしょう。



11月12日水曜日くもり
 カトリーヌさん三名様で来店。お刺身と日本酒。

人を食う
11月11日火曜日くもり ○

 我が国と違い、支那人は人間を食う。それは、生死がかかった飢餓のときだけではなく、平時にも行われ、すでに支那民族としての食文化といっていい歴史を持っている。毛沢東という史上最大の人殺しがやった愚行のひとつである「文化大革命」の時にも、多くの支那人が食べられた。支那の食人の歴史は長い。食人が公然たるひとつの食文化として存在し続け、食用人間の養殖までしていた。食人は支那の正史である「史記」に、堂々と記載されている。そんな程度の支那でも自国の歴史を誇っている。
 支那における食人の歴史について、多くの本に掲載されています。私の手元にも、「食人宴席」(鄭羲 黄文雄訳 光文社 一九九三年)、「中国食人史」(太田龍 雷韻出版 二〇〇三年)、「中国四〇〇〇年 弱肉強食の法則 驚異の繁殖力の秘密」(徳田隆 講談社二〇〇四年)、「日本人が知らない中国『魔性国家』の正体」(黄文雄 成甲書房 二〇〇八年)、「戦争の歴史 日本と中国」(黄文雄 WAC 二〇〇七年)等に支那人の食人についての記述があります。
食人についての記述は少ないですが、虐殺についての記述では「中国大虐殺史 なぜ中国人は人殺しが好きなのか」(石平 ビジネス社 2007年)があります。この石氏の著書と他の著書を合わせて読むと、虐殺された民衆がどのように処理されたかよく理解できます。
 我が国の腐れテレビ局もどうせ、支那特集を放送するなら、こういった支那人の本質を報道して欲しいものですが、報道する事はない。
 それらの本には、下記のような食人についての記述があります。
文革時代の食人について書かれた「食人宴席」には。
「武宣県では、食人事件が流行にさえなった。街頭引き回しデモ闘争があるたびに、老婆たちはかごを下げて、糾弾大会の終わるのをじっと待っていた。人間が殺害されると死体に競って群がり、
なるべくいい人肉を切り取って持っていく。遅れてきた者は人肉を切り取れないので、骨まで持っていく。人肉を食べた者は幹部の中でも少なくなかった。
略)
 もっとも残虐な食人事件は、生きているままで腹を裂き、まだ息絶え絶えなのに肉一切れ一切れを削ぎ落とし、その人肉を油で揚げて食べるということだろう。」P六二〜六三
「陳は最初、腹を裂き、肝を取り出すことができなかった。どういうふうに手を下せばよいかを知らなかったのだが、そのとき、一人の年寄りが彼に人肉と肝を切り取る要領を教えたという。腹部に向かって『人』の字をの形で霧、足で力強く下腹部を踏めば、心臓と肝臓がすぐとび出て来るということを教えたのだった。つまり、
これは、腹を裂き、心臓をえぐり取る技術がすでに存在していたことがわかる。」P八〇
「一九六八年七月一日夜八時、

 黄副校長の人肉は、人間の教育と人材を育成する場所で、すっかり削ぎ取って持ち去られ、最後は人骨しか残らなかったという。まことに恐ろしい光景が出現したのであった。
略)
 やがて、人肉削ぎが始まり、だれが最初に切ったのか、諸説紛々いろんな説があるが、大多数の証言によると、当時、女子学生の紅衛兵・覃柳芳が最初に人肉を削いだようだ。彼女は、黄副校長の息子と恋愛関係にあり、彼女は自分の立場をはっきりさせるために、人肉を取る行動に走ったらしい。
 彼女はもう一人の学生の名前を告白した。黄佩農である。彼は、最初に肝を切り取ったのだった。
略)
 彼女の証言によると、自分と甘票英らが見たところでは、黄佩農は肝を下げて、近くの田んぼまで行って、水で洗い、その後、肝を炊事場まで持っていったようだという。また多くのクラスメートも同じく人肉を切り取って、食堂まで走っていったという。
略)
 
この日の桐嶺中学は、人肉料理をつくるのに忙しく、賑やかな光景が見られた。
 厨房で人肉を煮たり、教員宿舎で人肉を煮たり、女子学生宿舎でも人肉料理をつくっている。教室の廊下で人肉を焼いたり、校内で人肉を焼いたり、臨時的につくられた二つのレンガの上に瓦をのせたかまど、自家制作の即席かまどで人肉を焼いているのが目撃されたのである。
政府側の資料でさえ、こう書いている。
『七月二日、桐嶺中学校の厨房のまわり、宿舎の縁の下など、人の肝、人の肉を焼く状況は、いたるところで見られた。いたるところが血だらけで、臭気が、なまぐさい匂いが漂い、煙がもうもうと出て、焦げた匂いが充満し、恐ろしい状況が人の度肝を抜いた』
 略)
 人肉を食うことができなかったのは、四人の黒いグループと言われた教師だけである。教師達は、たった二つの小さな竹かごに黄副校長の遺骨を入れ、牛の骨を担ぐように集めて埋葬した。
略)
・ ・・七月二日午後五時、われわれ四人が呼ばれ、遺骨収集に行った。黄副校長の遺骨は運動場近くのかわやの側に置いてあったので、二つの竹かごだけでそれを全部入れた。頭は殴られ、真っ黒にはれ上がり、大腿骨とすね、そして手の肉は全部、切り取られ、肝、心臓、性器もすべてとられ、胸部は空っぼで、はらわたも流れ出していた。」P一〇一〜一〇六
「文革期間に、武宣県で殺され、迫害によって死んだ人間は五二四人。そのうち、食われた者は百数十人。最終的に裁判で有罪判決となった者は三十四人。刑期がもっとも長かったのは十四年、最短二年。一般的には七〜十年の刑であった。
 ただ民衆の不満を和らげることができなかったのは、たった一人の死刑者もでなかったことだし、無期懲役さえ一人も出なかったことだ。簡単に計算すると、一人の人間を殺しても、刑期はたった半年だけにすぎないことになる。
 略)
 さらに
人肉を食べた人間は、ただの一人さえも法的制裁を受けたことがなかった。私は武宣県の文革収拾事務所の四百余人の食人者の名簿を握っている。」P一三一
 以上、「食人宴席」(鄭羲 黄文雄訳 光文社 一九九三年)より引用。

 一九六八年というと、我が国で初めてのオリンピックが東京で開催された昭和三九年より四年後です。メキシコオリンピックが開催された年です原始、未開の文明の人々ならともかく、二〇世紀なのです。その頃でも、支那では食人が行われていたのです。すでに、支那の食文化です。
 毛沢東という殺人鬼は同国人を殺して尊敬され、その国民は同国人を食いながら酒を飲み宴会していたのです。こんな連中が今、我が国に多くはいってきているのです。一〇〇〇万人移住政策等やったらどうなることでしょう。
 こんな国に対して、我が国はというと、自国の歴史を誇るどころか。偽り、先人を虐げている。「我が国は侵略国家です」と言わせるために、村山富市は「村山談話」とつくり、河野洋平は「河野談話」をつくった。これにより、贖罪意識を持った我が国を支那が食う事ができるからです。村山富市、河野洋平の罪は重い。

日本のためにならないことだったら何でもやる売国奴ども。

 写真は、本日購入の山葵。これまたデカイ。
 今日はメチャヒマ。今年三回目のお茶ピーかと思ったら、Mさん来店。
 とりあえず、お茶ピーは回避。


支那人、朝鮮人の名前の読み方
11月10日月曜日くもり ○

 在日朝鮮人を飯の種にしている辛淑玉女史は「シン・スゴ」と読ませています。同じく柳美里女史は「ユ・ミリ」と読ませるらしいが、日本人には辛淑玉は「からしゅくぎょく」、柳美里は「やなぎみさと」か「りゅうみさと」しか読めません。
嫌だったら、日本人でも読めるようにカタカナで表示すればいいのです。
 支那人の名前について、チョンイル新聞などは胡錦濤について、「こ・きんとう」ではなく、わざわざ「フー・チンタオ」と読み方として書いている。

これについて、「中国人名の読みかたの大混乱」と題したコラムを泉幸男氏が、
国際派時事コラム「商社マンに技あり!」の第236号(平成20年8月14日発行)に掲載しています。
以下一部を引用させていただきます。
中国人名が、ある時は政治家の「こ・きんとう」「おん・かほう」のよ
うに漢字音読みされ、またある時は映画監督の「チャン・イーモウ」
(北京五輪開会式を演出した)のように現代北京音ふうにカタカナ読み
される。
略)
「こ・きんとう」さんと 「チャン・イーモウ」さんが会談したら、報道
はどう対処するのかね。
胡錦濤(こ・きんとう)さん と 張藝謀(ちょう・げいぼう)さんの会
談となるか。(つまり「チャン」さんが「張(ちょう)」さんになる。)
それともフー・チンタオさんとチャン・イーモウさんの会談になっちゃ
うのか。(つまり「胡(こ)」さんが「フー」さんになる。)
略)
■ エセ国際派の「進歩的」? ■
そもそも日本語は漢字を体系的に受け入れ済の言語だ。中国古代の発音
に基づいて、日本語なりの漢字音を体系的に定めてある。
そういう言語は、現代北京音に右往左往することなく、定められた漢字
音でもって「もう・たくとう」「しゅう・おんらい」「こ・きんとう」
流を貫けばよいのである。
 これは別に「ナショナリズムの発露」なわけではなく、ひ
とつの独立した言語として当然のあり方なのだ。
毛沢東を「マオ・ツォートン」、周恩来を「チョウ・エンライ」、胡錦
濤を「フー・チンタオ」と書いたほうが国際的・進歩的だと信じている
「エセ国際派」がある。
現代中国語のたしなみがないと、こういうエセ国際派を前にして下を向
いてしまうことになる。
エセ国際派諸氏に借問(しゃもん)するが、香港で広東語のニュース番
組に毛沢東、周恩来、胡錦濤の諸氏が登場するとき、どう呼ばれるか。
毛沢東は「モウ・チャクトゥン」
周恩来は「チャウ・ヤンロイ」
胡錦濤は「ウー・カムトウ」。
どんなに「国際的・進歩的」な香港人でも、広東語で話すときに胡錦濤
のところだけ北京音で「フー・チンタオ」などということはありえない。
それをやったら、悪ふざけになる。
胡錦濤さんは、広東語ではあくまで「ウー・カムトウ」さんなのだ。だ
から、日本語でも「こ・きんとう」さんで、よい。

略)
日本語は独立した言語で、古代中国音にもとづく漢字音体系をもってい
るのだから、固有名詞などの漢字を読むときには基本的にそれに拠るべ
きだ。
そういうやせ我慢が、一言語の独立を支えるのである。

引用終わり

 詳しい内容は、泉氏のコラムをぜひ読んでいただきたいと思います。
 私は泉氏の<日本語は独立した言語で、古代中国音にもとづく漢字音体系をもっているのだから、固有名詞などの漢字を読むときには基本的にそれに拠るべきだ。そういうやせ我慢が、一言語の独立を支えるのである。>と述べておられるが、まさに、その通りと思います。「フー・チンタオ」と読み方をわざわざ書いているチョンイル新聞などは、泉氏の<どんなに「国際的・進歩的」な香港人でも、広東語で話すときに胡錦濤のところだけ北京音で「フー・チンタオ」などということはありえない。それをやったら、悪ふざけになる。
胡錦濤さんは、広東語ではあくまで「ウー・カムトウ」さんなのだ。だから、日本語でも「こ・きんとう」さんで、よい。>という意見についてはどう思うのであろう。
 在日朝鮮人の犯罪者は通名しか報道しないで、その犯罪者が在日朝鮮人ということを隠している腐れ新聞社だから、何も思わないのだろうな、きっと。
ところで、通名という偽名を使っている在日朝鮮人が何か顕彰でもされたときは、チョンイル新聞(通名朝日新聞)は在日朝鮮人ということを隠して、通名だけで報道するのだろうか。

 午後に店に寄り、昨日の後始末を終えてから帰る。


飲んべえの会「醴泉」
11月9日日曜日くもり一時雨 △

 今日は午後三時より、当店の飲んべえの会。本日は岐阜の「醴泉」。
 醴泉の蔵元である山田敦社長。そして、磯自慢の蔵元である寺岡洋司社長も参加してくださる。
 途中から、山田社長が「醴泉正宗」18BYなどのお燗をして、本日の出席者の皆様に提供。
 結局、今日もドンチャン。会終了後に、山田社長、寺岡社長とラーメンを食べに行く。今日初めて入ったお店がなんとスポーツセンターで何度もお会いしている方のお店。わざわざ、カウンターの外に出てきてまで挨拶してくださる。
 その後、恭子さん姉妹と神楽坂のお店でビール。その後、店に帰ってきて、また酒でドンチャン。
 今日は珍しく最後まで記憶あり。サルよりまし。

本日の出品酒
NO.1 醴泉『醴泉正宗』純米大吟醸 中汲み原酒 2006
NO.2 醴泉『醴泉正宗』純米大吟醸 中汲み原酒 2007
NO.3 醴泉『蘭奢侍』大吟醸 原酒19BY
NO.4 醴泉 『純米大吟醸』
NO.5 醴泉『純米吟醸』山田錦 18BY
NO.6 醴泉『純米吟醸』山田錦 19BY
NO.7 醴泉『純米酒』 山田錦 19BY
NO.8 醴泉『特別吟醸』山田錦 18BY
NO.9 醴泉 純米活性にごり

  その他醴泉黒糖梅酒

11月8日土曜日雨のちくもり△
 二名様来店。Tさん三名様で来店。Sさん三名様で来店。二名様来店。KくんMさんと来店。今度、副会長になったそうな。K@京城さん来店。本日、来店いただいた女性のお客様、美丈夫のゆずリキュールを御注文いただいたので、最初にお飲みにならない方が、と言ったのだが、「なにか問題あります。問題ないと思いますけど」と宣う。
今日は、早い時間から忙しい。あまり、飲まず。

11月7日金曜日晴れ △
 早く仕込みを終えたので、スポーツセンターに行く。
 
 バンブーさん来店。Tさん二名様で来店。塾長二名様で来店。Iさん四名様で来店。アンコウ鍋でドンチャン。一名様来店。小胡子さん二名様で来店。アンコウ鍋でドンチャン。酔狂師さん来店。めちゃ遅い時間に金ちゃん、リエちゃん来店。
珍しく、今日はメチャ忙しく、疲れる。あまり飲まず。

11月6日木曜日晴れ×
 Oさん二名様で来店。Nさん二名様で来店。大野さん来店。最近、ピアノを買ったそうな。お風呂帰りのマロさん来店。
 ヒマなので、早い時間からドンチャン。記憶無し・・・サル

腐れ売国奴・野中広務の真骨頂
11月5日水曜日くもり ×××

 「諸君」一二月号に一〇月一〇日に、アホな集会が開かれたと毎日新聞九月二七日の新聞の記事を引用してコラムが書かれていた。そのアホ集会とは日本社会党浅沼稲次郎委員長が刺殺されて二〇一〇年で満五〇年を迎えるから四八年目のいま思い出すための集会だそうな。じゃあ、毎年でもできるじゃあねえか。
 「庶民派?政治家」だったそうな淺沼氏を「右翼の狂刃」が殺した。だから土井たか子女史(七九歳)、村山富市氏(八四歳)が呼びかけて、野中広務氏(八三歳)などが加わった追悼集会だったそうですので、私などは呼びかけ人とパネラーの七九歳、八四歳、八三歳という」年齢からして、余命を考えて早い目にかなと思ってしまいました。
 それについて、週刊新潮の一〇月三〇日号によると、そこで、野中氏は島根県議会が「竹島の日」を制定したことに関して、
島根県の小さな島がどうのこうのと言って、県議会が出て来た。(私は)議会が出て来てどうなるんだと言いましたよ。(県議会は)だいぶ起こっていたけど」と言い放ち、
 
「韓国は怒るかもしれないけど、人が住んでいないのだから、あれは爆破したら良いんです」
続いて
「尖閣諸島の問題も日本は遅れて参加した。それが今、共同開発しようというところまで話が出来て来た。だから(日本は)一人前の国になって(領有権を)言い出したらダメですよ」

 腐れ売国奴の野中弘務氏のまさに真骨頂です。しかし、引退した身とはいえ、我が国の元国会議員が、島根県議会が決めた「竹島の日」についてケチをつけただけでなく、爆破しろとは何とも醜いものです。普通だったら、爆破ではなく、取り返すために「攻撃」か「爆撃しろ」というべきでしょう。
 尖閣諸島についても醜いものです。我が国の領土である尖閣諸島を、このように元国会議員、しかも、官房長官、自民党幹事長まで務めた男が言う。まあ、歴代自民党幹事長だったら、あの下等好位置いや加藤紘一氏、山崎拓氏、小沢一郎氏などのそうそうたる売国奴がいますけど。

 平成九年五月六日に尖閣諸島に国会議員として、西村眞悟氏が志しを同じくする仲間均石垣市議会議員、カメラマンの宮嶋茂樹氏、そして、ビデオカメラマンとして映像教育研究会代表の稲川和男氏の四名で上陸した時に、我が国の海上保安庁はサポートせずに、上陸を阻止しようとし、その行動について、売国奴である時の橋本総理は、地主の意思を無視したと非難し、同じく池田外相、梶山官房長官は支那の感情を害したと非難したそうです。
 ちなみに、支那政府は「西村代議士の行動は支那の主権に対する重大な侵害である。なぜなら、かれは支那領である尖閣諸島に無断で侵入した」と適切に問題の本質に触れていたと西村代議士の著書「誰か祖国を思わざる」(クレスト社平成九年)に書かれています。

 同じ著書に、平成九年二月二〇日の衆議院法務委員会において、前年一〇月七日、我が国の領土である尖閣諸島に無断上陸した香港、台湾人四人を逮捕しなかった事について西村代議士は質問しています。
それに対して、時の法務大臣であった松浦功氏は「国際関係に与える影響あるいは邦人の安全に与える影響等を総合的に判断して冷静に対処する方針である」として答弁を差し控えています。
 同じ質問を梶山官房長官(当時)にしたところ、
「いたずらに、事を構えるということも一つの方針かもしれないが、必ずしも事を構えるのがいいかどうか。一時的な上陸があったとしても、継続的なことはなし得ないという現実をよく見られたい」と戯けた言葉を吐き、それに対して西村代議士は
「この問題は、いたずらに事を荒立てないという問題ではない。我が国領土に不法侵入した者の逮捕を差し控えるということは、我が国の主権を尖閣周辺で放棄したことになる、という問題であるから聞いているのだ」と言っています。
 どちらが正論であるか。普通の国であったなら、無断で侵入すれば、逮捕どころか殺される可能性もあります。現に南朝鮮ジャンボ機は当時のソビエト領空侵犯で撃墜されました。
 普通の国では考えられない政府首脳部の異常さです。我が国政府はこのような異常な外交をやってきたのです。現政権には普通の外交をやって欲しいものですが、自民党にも売国奴がゴロゴロしていますし、創価学会公明党とつるんでいる限りは駄目でしょう。かといって、民主党は、あの
岡崎トミ子など旧社会党から流れ着いた売国奴ネズミが多いので問題外・・・・民主党が政権をとると、腐れ売国奴・村山富市が首相をやった時と同じく、我が国は支那、朝鮮の格好のエサになるでしょう。
 さっさと政界再編をしてほしいものです。

 仕込みを終えてから、スポーツセンターに行く。今日は時間がないので、それぞれ、セット数を少なくしてメニューを消化。
 Oさん四名様で来店。Oさん二名様で来店。大台さん来店。遅い時間に三名様来店。ホンマに遅い時間。
 ドンチャン。今日は、冷蔵庫に空になった酒瓶は冷やしてなかったが、いろいろな銘柄の空瓶がカウンターの上に列んでいた。全然、記憶無し・・・・サル・・・・


飲んべえの会「醴泉」「磯自慢」
11月4日火曜日くもり △

 今日、河岸に行く途中に、醴泉の山田社長から電話をいただき、御好意により、蔵に置いてあり、まだ出荷していない酒を出してくださるということで、飲んべえの会に出す醴泉を醴泉正宗18BYと19BY、蘭奢待18BYと19BYなど一部変更。
 午後、磯自慢の寺岡社長に電話させていただき、12月7日日曜日に磯自慢の飲んべえの会が決まる。
 醴泉の会には蔵元である山田敦社長と秘書・寺岡洋司氏が、磯自慢の会には同じく蔵元である寺岡洋司社長とその秘書山田敦氏が出席する事が決定。
ふ〜む、このノリは・・・・・・・

  ちなみに、磯自慢出品予定酒です。
NO.1 磯自慢 純米大吟醸 中汲み35%
NO.2 磯自慢 純米大吟醸 山田錦40%
NO.3 磯自慢 純米大吟醸 愛山 40%
NO.4 磯自慢 大吟醸   山田錦45%
NO.5 磯自慢 純米吟醸 多田信男 山田錦50%
NO.6 磯自慢 大吟醸  愛山50%
NO.7 磯自慢 大吟醸 水響華 山田錦50%
NO.8 磯自慢 純米吟醸 山田錦
NO.9 磯自慢 吟醸 山田錦

 お時間がございましたら、ぜひ、御出席ください。

 小胡子さん、BOOちゃん来店。Kさん来店。Iさん来店。
ヒマなので早い時間から飲む。でも、今日は記憶ありということで、サルよりはマシだったようです。先日、Iさんからいただいた「なでしこ隊」のDVDを観る。


11月3日月曜日くもり○
 部屋にたまった古雑誌、古新聞などを片付ける。狭い部屋なので、それだけでも随分広くなった感じがする。
 夕方、食事に出たついでに、古本屋さんに寄り「捕虜の文明史」(吹浦忠正著 新潮選書一九九〇年)を購入。

辺真一という在日朝鮮人の歴史観
11月2日日曜日晴れ

 今日は午後からスポーツセンターに行く。昨日出来なかった肩、腕、下半身などのメニューを消化。帰りに寄った芳林堂さんで、週刊現代に「橋下知事の朝日批判は筋違いだ! 闘う社説の若宮啓文前論説主幹が徹底反論」という記事があったので、チョンイル新聞主幹を長年務めたお方ですので、期待して購入したが、読んでがっかり。まあ、週刊現代もどうしようもないバカ朝鮮人女性の
柳在順女史を使っていましたし、アホ記事も書いているような週刊誌ですから、この程度か。
 今回も、「在日一世の記憶」(編者小熊英二・姜尚中)という嘘本を、これまた評者として在日朝鮮人の辺真一氏が書いていますが、その内容はいかにも在日朝鮮人が嘘をつき続け、我が国で逆差別によりのうのうと暮らしてきたかが、多くの日本人に知られるようになって来た現在においても、なをも平気で嘘をつき続けているこの辺真一氏という在日朝鮮人の醜さをよく現している文章となっています。
以下引用
読者に隠蔽されていたもう一つの戦前・戦後史があったことを知らしめている。
略)
 土地を奪われ、創始改名を強いられ、神社参拝を強要され、学校では朝鮮語の使用が禁じられ、さらに家族に別れを告げる間もなく徴兵、徴用されたり、犬狩りのように捕まりそのまま北海道の炭坑に強制連行されたりの悲惨な話が異口同音に語られ、身につまされる思いだ。また、異国の地(日本)においても蔑視、偏見、差別に苦しみ、虐げられ、炭坑での過酷な労働をはじめ汚い、きつい、危険な仕事に従事させられてきた悲哀が回想させられているが、これぞまさに日本の「裏面史」と言えなくもない。
 本書を読めば、「植民地時代に日本も良い事をした」とのかっての閣僚の発言も「創始改名は朝鮮人が求めたものである」との麻生総理の発言も「裏面史」の生き証人らにとってはたえがたき暴言であったことがわかるだろう。また、在日朝鮮人の祖国(北朝鮮)へのルートである万景峰号の入港禁止などの制裁措置が果たして正しい選択であったかのか、考えさせられる。
 なぜ「在日」となったのか、なぜ今も日本名を名乗らざるを得ないのか。なぜ帰化にこだわるのか。「在日」に関する疑問への解答がまさにこの一冊に集約されている。

 週刊現代平成二〇年11月一五日号P一一八

 私は、この辺氏の書いている<なぜ「在日」となったのか、なぜ今も日本名を名乗らざるを得ないのか。なぜ帰化にこだわるのか。>についてはすべて答が出ていると言わざるをえない。
「それはすべて、お前ら、在日朝鮮人自身による問題だ」という答が。
 外国人の中で在日朝鮮人だけが、どうして偽名を名乗っているか。そのまま辺氏というこの厚顔無恥で鉄面皮な在日朝鮮人に問いたい。帰化にこだわるという事についても同じである。そして、在日朝鮮人の戦後の蛮行についてこの本に書かれているのであろうか。朝鮮人が戦後にどのようにして土地を奪ったか書かれているのであろうか。
川崎在日コリアン文化資料館のホームページにおける在日朝鮮人イ・プンジョさん(女性 87歳)の証言のように「川崎の駅のキング通りは終戦直後は、みんな焼け野原で店は一軒しかなかった。土地は誰のものでもなくて、みんな勝手に自分の土地にした。うちは韓国に帰るつもりだったから、そういうことはしなかった。向こうのみんなが日本に帰ってきたから、自分たちも帰るのをやめた。今ある川崎駅近くの店は、一軒残っていた呉服屋以外、みんな戦後勝手に振り分けた土地の所有者が代々継いできた店。」というような事は書かれているのであろうか。
 しかし、編者が小熊英二氏と姜尚中氏というのもすごい。
強制連行などなかった 本にみる強制連行否定 朝鮮と徴兵・徴用

林えいだいの著書にみる強制連行の嘘 当時の新聞に見る朝鮮人の不法入国 

創氏改名の誤解 創氏改名とは 朴一の著書に見る創氏改名 

朝鮮統治時代の教育 ハングルは日本が普及させた

11月1日土曜日晴れ ×
 午後よりスポーツセンターに行く。今日は胸部、背中のメニューのみ消化して帰る。高田馬場にある芳林堂さんに寄り、雑誌等数冊購入。
 一名様来店。横浜よりお客様一名様来店。二名様来店。松本さん、龍星さん来店。金ちゃん、マロさん来店。
ドンチャン。記憶無し。

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