柳沢発言
1月31日水曜日晴れ △
柳沢厚生労働相が「(女性は子供を)産む機械、装置」と発言したことについて、野党は一斉に批判しているそうです。
民主党の鳩山幹事長
「女性に大変失礼な発言だ。女性に『がんばってもらうしかない』という発言も責任逃れで、厚労相として子供を産み育てやすい環境を作ってこなかったことが問題だ」
自民党中川幹事長
「発言を言い直している。釈明したと理解している」
公明党
「穏当でない発言だ。気を付けてほしい。首相が注意すべきだ」
そして、
辻元清美議員
「女性は『産めよ増やせよ』の道具ではありません」、「私は、すべての女性を代表して、柳沢大臣の辞任を求めます。大臣、この場で潔いお答えを頂きたいと思います。男性の皆さん、賛同して頂けないんですか? 輪をかけて情けないのは、安倍総理が注意だけで済むと認識されていることです。早く対処しないと、国際的に恥ですよ! 」
[一月三一日]
テレビ朝日
福島みずほ議員
自身のメールマガジン「福島みずほの国会大あばれ2007/01/30号」より引用
「わたしたちは産む機械ではない」と世界中で、日本で多くの女たちががんばって運動をしたり、闘ってきました。なぜ今「産む機械」などと言われなくてはならないのか。
言ってはいけない最低の言葉を発したと思います。
女性のなかには、子どもを産んだ人、産まなかった人、産もうとしている人、産むかどうか迷っている人、欲しくても産めなかった人、流産をした人・・・・
・・実に様々な人たちがいます。
一人ひとりの人生があり、選択があり、思いがあります。それを「産む機械」と呼ぶなんて。
女性の人格を否定するものであり、許される発言ではありません。
女性たちは、「年金の財源」を産む機械ではありません。
「お国のために」子どもを産むのでもありません。
わたし自身、子どもがいたらとってもハッピ−だろうなと思い、子どもを産みました。
でも子どもを持ったらハッピ−だろうなとなかなか思えない社会だから、多くの女性たちは、子どもを持つことu危阿靴討い襪里任呂覆い任靴腓Δ。
発言が厚生労働大臣ということも許されません。
こんな認識で少子化問題が解決するわけもありません。
「女は子どもを産むものだ」と決めつけて、頭数の分だけがんばれと言うなんて。女性を「優良な機械」「性能のだめな機械」と分類をするのでしょうか。
日本は、戦前は兵隊さんを作るために「産めよ、ふやせよ」政策がとられました。
60年前、「わたしたちは、子どもを産む機械ではない」とされました。
今回の大臣の発言は、「お国のための子ども」という感じもします。
わたしは、教育基本法の改悪によって、子どものための教育から、国のための教育に変えられたこととも連動していると思います。
総理は、子どもたちに、道徳や規範意識を教え込む教育が重要だと言います。
お国のために、上から規範を押し付けていく、そんな感じがします。
「女性は産む機械」だと、上から単なる数として見ているだけではないでしょうか。
超党派の女性議員で、1月29日(月)に、柳沢大臣に辞職を求める文書を手渡し、話し合いをしました。野党の女性国会議員全員の連名です。
大臣は、問題の本質を全くわかっていないと思いました。
そして、今日1月30日(火)に、民主党・社民党・国民新党の3党の党首会談を行い、
「耶V厚生労働大臣の女性は子どもを産む機械であるとの発言は、女性の人権を否定した女性蔑視の発言であり、閣僚、政治家はおろか人間として許されない暴言であり、到底容認できない。われわれ三党は、予算審議に入る前に、安倍総理が任命責任を明確にするとともに、耶V大臣が辞任するよう要求する」
という申入れ内容を確認し、その後、民主党・社民党・国民新党の3野党党首と幹事長で、官邸に行き、総理に対する申し入れをしました。
総理は公務のため会えないということで、塩崎官房長官が対応をしました。
塩崎官房長官は、「大臣は、誤解を与えたことについて、訂正し、国会でも謝りました。総理も注意をしました」と答えました。
誤解を与えたのではなく、ひどい発言をしたわけで、官房長官もことの本質と重要さをわかっていないと思いました。
官邸、大臣の鈍さはひどいものです。
わたしは、参議院の厚生労働委員会の委員ですが、このような大臣のもとで、審議はできません。
基本的な信頼関係が作れないです。とことん辞職を求めてがんばっていきます。
こんな発言を厚生労働大臣がしても許されるという日本ではだめだと思います。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
明日、緊急集会を女性議員で開きます。
呼びかけ人は、民主党副代表の円より子さん、
共産党参議院議員会長の吉川春子さん、
そして私です。
日時は明日、2007年1月31日(水)16:30〜
場所は、参議院議員会館第2会議室で行ないます
たくさんのご参加をお待ちしています!みんなで声を届けましょう!!
引用終わり
西村眞悟議員
メールマガジン「西村眞悟の時事通信No.269 平成19年 1月31日(水)」より
(西村議員のメルマガは前半に拉致問題の本質について書かれているのですが、今回はそれを略させていただきます。)
以下引用
略)
最後に一言。柳沢厚生労働大臣の「失言問題」である。
確かに意味はよく分かるが表現は「不適切」だ。女性は子供を生む機械だとは露骨過ぎる。
しかし、柳沢さんの人格・人柄からみて、私は彼の弁明を素直に受け止めている。即ち、わかりやすく説明したつもりであったが申し訳なかった。女性蔑視などの感情からした発言ではない。
その通りである。そして、本人が直ちに表現を訂正し失言を詫びた以上、この「問題」は解消したと考える。
しかるに、柳沢さんに対する糾弾は、しつこく止まない。
では、糾弾する人士に言いたい。
柳沢さんの既に訂正された発言だけをしつこく糾弾するのは公平ではない、と。他の表現には何故反応しないのかと。
何故なら例えば、人口問題を論ずるときには、「生産年齢人口」という専門用語が多用されるが、この言葉は、出産することができる女性の人口のことだ。しかし家電製品の生産ではあるまいし、女性の出産を「生産」と表現するとは女性を機械に例えた女性蔑視ではないか、と言えなくもない。さらに、人口予測という学問それ自体、女性の出産を物的に扱いすぎていると言えば言える。
結局、直ちに非を認めて訂正している人に対して、糾弾を止めない状況を見ていつも思い出すのは、聖書の中でキリストが言った言葉である。
即ち、一人の女を糾弾するために集まった人々に対して、一度も罪を犯したことのない者のみが、石を彼女に投げつけるがよい、とキリストが言ったとき、石を持った群集は一人去り二人去り、そしていなくなった。
政争の場においても、もう少し寛容の美徳を自覚しても良いのではないか。
言葉狩り的政治風土からは、建設的で豊かな果実は実らない。
引用終わり
以上の発言を比べてどうであろうか。
確かに柳沢議員は不適切な発言であった。しかし、それをすぐに訂正し謝罪している。
「(女性という)産む機械、装置の数は決まっている。あとは一人頭で(多くの子供を産むように)がんばってもらうしかない」と発言した。厚労相はその場で「機械と言ってごめんなさい」と謝罪し、「産む役目の人」と訂正したそうです。そして、二八日に記者団に「少子化問題はわかりにくいので、モノの生産に例えて機械などという表現を使った。適切でないと気づき、言い換えた。女性を蔑視する考えは全くなかった」
その発言に対しての「私は、すべての女性を代表して」などという辻元清美議員、福島みずほ議員、などの感情に走ったキャンキャン五月蝿いだけの発言とそれに伴う行動を見て、このアホらが国会議員をやっているということが間違いだとつくづく思う。
西村眞悟議員が書いているように他の表現にはなぜ反応しないのか。「言葉狩り的政治風土からは、建設的で豊かな果実は実らない」というのは真実だと思う。
政争の道具として言葉狩りを行い、国会での審議を拒否するという国会議員にあるまじき行為を行っている。こういった行為こそ責められるべき行為です。
しかし、女性の皆さんは本当に「わたしたちは産む機械ではない」と世界中で、日本で多くの女たちががんばって運動をしたり、闘ってきました。」とアホの福島みずほ議員が言うようなこんな生き方をしてきたのだろうか。
仕込みを終えてから、少しの時間だがスポーツセンターに行く。一応いろいろなメニューを一通り消化。ベンチプレスでやっと一〇〇キロを六回まで安定して挙げられるようになった。あと二回。八回×三セットが安定してできるようになれば去年の一番いい状態まで戻るので次の段階にすすめる。
初めてのお客様チャリンコで来店。大台さん二名様で来店。Kさん二名様で来店。第一声「土曜日じゃあなくて今日だったら」そうなんです。Kさんは土曜日に「七名入れない」とお電話いただいたのです。今日だったらお互い幸せだったのに・・・・
今日も途中から飲み始めドンチャン。
台湾と朝鮮
1月30日火曜日晴れ △
先日、産経新聞に掲載されていた「台湾有情」というコラムに現在も残る台湾総督府の見学について「総統府に日本人の軌跡
」として下記のような記述がありました。
以下引用
出迎えてくれた案内役のボランティアは 親日的ないわゆる「日本語世代」で、開口一番、こう言った。
「日本は台湾を植民地にしていない。疫病を一掃し、高いレベルの教育環境を整えたのです。イギリスやフランス
の植民地とは違います」
内部に入って、まず目に飛び込んできたのは、歴代総統を紹介する大型パネル。日本の総督19人の顔写真も総統と同じ扱いで掲げられていた。解説に耳を傾ければ、社会基盤整備など日本の政策が台湾の発展を促した功績として熱く語られる。
歴史認識では日本に厳しい中国通の知人は押し黙った末に、別れ際にようやく口を開いた。「戦後、われわれが自ら封印した日本人の軌跡が台湾では今なお生きていた。しかも権力の中枢である総統府に…。北京ではおよそ考えられない」。
総統府の一般開放は週日の午前九時〜正午。日本人は旅券が必要です。(長谷川周人)
引用終わり
平成一九年一月二六日産経新聞
かたや、南朝鮮では朝鮮総督府は一九九五年より撤去工事を始めて一九九七年(平成九年)にはすべて撤去されてしまいました。
国立台湾大学の前身は一九二八年に作った台北帝国大学であることは台湾大学の歴史として掲載されています。
ソウル大学(ソウル大学校というのだそうです)は(ソウル大学校の公式見解)によると一九四六年に京城帝大と九つの専門学校などが元に統合されて設立されたもので、京城帝国大学が前身ではないとされています。
蔵書などはいったいどうしたのでしょう????
京城帝大以外の九つの専門学校は何処が作ったのでしょう。
日本がイヤでイヤでしかたない国なのでしょうが、そんなにイヤな国から渡った唐辛子。その唐辛子を持ち込んだのは朝鮮人にとって恨み骨髄に徹すあの豊臣秀吉が派遣した朝鮮征伐軍。
朝鮮人の皆様、キムチに憎い日帝残滓である唐辛子使うと「親日派認定」されますよ。
あほらし。
今日はメチャヒマ。やっぱ、土曜日の反動???
初めての方から八名様の問い合わせをいただいたが、テーブル席は六名様しか座れませんので、狭くなりますが、よろしいですかとお答えする。
Iさん来店。Iさん来店。
ヒマなので早くから飲む。ドンチャン。
池田正枝3
1月29日月曜日晴れ ○
反日活動家であるこの女性は下記のような発言、投稿をしています。
母ちゃんピストル上手 池田正枝
秋の終わり、箱いっぱいの柿が届いた。私の生地、韓国全羅北道古阜からだった。生後一年だけ住んだ家は、今も昔のままで、そこに住む韓国の方が送ってくれたものだ。
次に移り住んだ鴨緑江に近い国境の町では、日本人の入植で中国に追われた朝鮮の方々が祖国に帰ってこれないようにするため、日本人女性はピストルの練習をさせられていた。私が二歳の時に病没した母への言葉で、唯一記憶に残っているのが、「母ちゃんピストル上手」だった。
その後、私は朝鮮の子どもの学校の教師になった。日本人教師は六割の加俸付き。創氏改名を強いられた子らに、歴代天皇や教育勅語の鬩屬鬚気擦燭世韻任覆、軍の命令で六人の教え子を挺身隊に送った。
敗戦後、うち五人はすぐに帰ってきたが、最後の子どもの消息を知るまで、私は46年苦しんだ。日本の現状には心痛むことが多いが、光州事件二十周年で出会った女性は「市民同士が手をつないで政治を変えていくのよ」と語った。この、21世紀への希望の言葉を胸の中でくり返しながら、生地の柿を味わった。 (2000年12月31日毎日新聞)
「過去を隠さず文字に残そう」
無職 池田 正枝(奈良県 79歳)
参院選の政見放送で朝鮮民主主義人民共和国の悪口をわめく候補者に驚きました。
「ミサイルを発射し、少女を拉致した。すぐ返せ」
戦争中に日本が朝鮮にしたことをご存知ないのですね、と思いました。
戦争中、私はケソンで朝鮮の子供たちの学校に勤めました。
3・1独立運動では、たくさんの人々が日本人に殺されました。
そんな体験を持つ保護者たちが何もわからない私を優しく守り育ててくれたのです。
ソウルの学校に移ってからも子供たちは列車に乗って会いに来てくれました。
鴨緑江のそばで暮らした私は2歳で母と死別しました。
「母ちゃん、ピストル上手」
唯一覚えている母への言葉です。
日本人が朝鮮に住むために、多くの朝鮮の人が中国へ追いやられました。
鴨緑江が凍ると祖国へ帰ってくる、その人々を撃ち殺せ、と命令が出ていたとのことです。
「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちは 「中学生に慰安婦のことなど」と言いますが、
その年ごろの大勢の朝鮮の少女が連行され、性奴隷になるのを拒否したため虐殺された、
と元慰安婦の方から聞きました。
過去を隠してきた私たちにも責任があります。
自分たちの経験したひどいことを話し合い、文字にしていきましょう。
(2001年8月10日 朝日新聞大阪本社版)
55年前の忘れ物をとりにいく
−池田さんの場合−
略)
奈良県は生駒山のふもとにお住まいの池田正枝さんから,こんな丁重なお便りをいただきました。こんなとき,私たちが投げかけた波紋は,決して消えることなく伝わっていくのだなと,本当に勇気付けられる思いがします。ところで,手紙はさらにこう続きます。「私はひどいことをしました。若い方はこうして,その反対のいいことをして下さってるのですね。」さきほどまでの華やいだ気持ちが,ちょっと申し訳なくなってきます。「ひどいことって,いったい…?」
略)
「生徒たちは,ほんとうによくなついてくれていたから,"挺身隊に行きたい子は?"というと,どの子もみんな行きたいという。家では反対されるんですが,親に反対されても先生の言うことは聞きたいというんです。だから,私は,家庭訪問して"挺身隊にいけば,女学校の勉強ができる"と,説得までしました。そして,あの6人の子達が・・・私は,何も知らなかったんですね。」
朝鮮の地で生を受けた池田さんは,戦後,大阪で教職に奉じるうちに,その6人の子供たちが,もしかしたら性的奴隷になっていたのではないか,という疑念を抱くようになり,とくに,戦後すぐ朝鮮に戻った5人以外の一人の消息が,ずっと気になっていたといいます。「でも,そのことは,ずっと口には出せなかったんです。言えなかったし,今思うと自分も逃げていたんだと思います,あの時までは…」今から10年ほど前,池田さんは「嘘をついて死にたくはない」と意を決し,ついにある会合でこのことを発言したそうです。それがきっかけで,某テレビ局がその行方がわからなくなっていた教え子を探しだしてくれたのでした。「自分は悪い事をしたのにですよ,その子は反対する家族に黙って来てくれて,もう,"先生,幸せか,幸せか"といって,私の心配ばかりするんです。私は,"うん,だいじょうぶ,だいじょうぶよ"というのがやっとで,それでもう10分なんてあっというまでした…」 本当は話したかったそれこそたくさんの思いを,お互い"幸せか""だいじょうぶよ"の一言にこめて,50年ぶりの再会は終わりました。10分/50年,限りなく0に近いが決して0ではないその時間,お二人はどんな気持ちだったのでしょうか。「そして,娘さんからこんな手紙が来たんです。」池田さんが差し出す副犁の文字を追いながら,わたしはとても悲しくなりました。「あなたの謝罪は私たちにとっては何の意味もない。母も,つらいだけだから,以後連絡はしないでほしい」手紙の内容はこう結ばれていたのです。
略)
「私以外にも,当時の教師はたくさんの生徒を送ったはずなのに,誰もそのことを言わない。まあ,ご家族や親戚もいて,いろいろ難しいんでしょう。だから私は,その人たちを責めるつもりはないんです。ただ,あの少女たちを"忘れられた少女"にはしたくない。このことだけは,言っておきたいんです。」当時,ソウルにいた日本人の仲間や親戚からは,よくせめられるとか。「彼らの差別意識は,今も変わらない」という池田さんは,私に「いったいどうしてなんでしょうね。」と問いかけながら,自らこうおっしゃいました。「彼らが,日本に帰ってからつらくあたられすごく苦労したことが,ひとつの原因かもしれません。どういうことかというと,植民地朝鮮の暮らしはとても優雅だった。教師の給料は朝鮮人の6割増,お手伝いさんはいるし,食糧の配給も十分。その生活が,引き上げとともに,どんぞこに落ちたんですから。」
略)
ウリ第22号
1999年5月2日発行
『日本人拉致疑惑を問題にするならその前に二度と帰って来なかった朝鮮の人びとの消息を調査、真相究明すべきだ』(池田正枝)
『北朝鮮人道支援の会』【ニューズレターNo.8】より
ちなみに会長はあの吉田康彦氏(有名?になりはじめた当初はメールを出したたら丁寧な返事をいただいたものだが)
全国在日外国人教育研究協議会(前在日朝鮮人教育研究全国協議会)への手紙ではその女子挺身隊における自分の教え子が慰安婦にされたということを否定しています。
略)
私が10代はじめに金剛山に行きました。なんと地下資源の豊かな地だと、びっくりしました。地球の上はよくできている。韓国は農業ができます。しかし北の方は山岳地、それに寒くて農業は駄目。そのかわりにこうして金属類が豊富で、家具や台所用品も金物がたっぷり使われておりました。共和国では自炊したり、食事のお世話になったり、7軒の家で本当に親切にしていただきました。私も真鍮の食器で御馳走になりました。
しかしすぐに戦争で、その真鍮の食器をはじめすべての金物は「供出」という名の下に、日本がとりあげてしまいました。10代のはじめにみた豊富な地下資源ももうありません。全部、日本が戦争に使ってしまったのです。そうしてたくさんの人々を拉致しました。
私は、そのような時代の中で、少女をだましたり、さらったりしたこと、性奴隷を拒否したことで虐殺したこと、そのような出来事を忘れることができません。私の教え子は小柄な子どもだったということでたまたま助かったのです。今も朝鮮には帰ってこない少女たちを案じつつ、他界していく親御さんがたくさんおられることでしょう。みんな日本人がしたことです。しかし、誰も語らない、ほったらかしですね。私もまだちゃんと語っていません。うっかりすれば殺されます。
今、日本の政治を動かしているのは、ひどいことをした人の子どもや孫です。過去のことがはっきりするのを、最もおそれている人々でしょう。私のような老人を殺すなんて簡単です。交通事故にみせかけたらいいわけです。来年の8月15日にはアジアの国々が日本へ謝罪要求をするでしょう。今度、共和国が柔軟になったのは、このことがあるのでしょう。私はこの日までどうしても生きたいのです。この時、私も謝りたいと思っています。私は勉強していません。しかし、体験をしております。
同封のはがきは賀状ではなく、一年中いろんな方に読んでいただきたいと思っているものです。1才の時は今度の竜川近くの昌城ですごし、いろいろ記憶しています。2才からソウルに行きました。朝鮮人を追い出して、そこに日本の高級官僚の官舎をたくさんつくったのです。このことを知った2才の時から、私は苦しんできました。朝鮮、そして「満州国」、何もかもいまのイラクとまったく同じです。
世界は変わるのでしょうね。日本も変わる。老人はひどいことをしたまま死んでいきます。お許しくださいませ。こんなはがきですが、もらってくださる方があったら、さしあげてくださいませ。生徒さんでもいいです。日本が過去のことをちゃんと謝り、行方不明のままの朝鮮人のことを調べる熱意を示したら、拉致日本人もすぐ帰してもらえた筈です。朝鮮として自分の国の人々の悲しさを知ってもらいたかったのでしょう。
私は幸せな人生でした。どんなこともすべてプラスになるのですね。少女時代、呉ですごしたことは、軍隊で商売をしている人々は戦争を望んでいると知ったことです。自衛隊も同じことですね。ここへ納めることで、物品をつくっている人々、それを売買する商売の人は、自衛隊の発展を願っているのでしょうね。そうして石油…。
略)
朝4時半、NHKテレビから「君が代」全曲の放送が流れました。日本はとうとうここまで来たのですね。落ちていく姿がはっきりしています。そうしなければ日本は謝ることをしない国だと私は思っていますし、どの国も同じようにならなければ手はつなげないかもしれないと思ったりもします。略)
5月17日
池田正枝拝
「私もまだちゃんと語っていません。うっかりすれば殺されます。」「私のような老人を殺すなんて簡単です。交通事故にみせかけたらいいわけです。」って、被害妄想もここまでいくと凄いです。だれがこんな女性をわざわざ殺すのでしょう。このような女性の腐れ投稿を掲載するとは流石は朝日新聞、流石は毎日新聞という感じです。この池田正枝というこの女性の思い込みは各所に見られますが特に挺身隊が慰安婦であるという思い込みには醜いものがあります。戦争のために予定通りされた勉学は思うように進まなかったが、誇りを持っていらっしゃる台湾少年工の皆様の事もこの池田女史にしてみれば同様の事なのでしょう。池田女史が送りだしたという朝鮮人女子学生は全員無事に帰国しているのです。帰国が遅れた一人も病のために遅れただけなのです。
矛盾というものを感じないこの元女教師って・・・・
しかし、「このことを知った2才の時から、私は苦しんできました。」ってすごいよな〜
私なんぞ、アホだからそんなこと想像もできません。
ウソ、バカな事も何百回も繰り替えして言っていると、こんな気狂い女性から影響を受けるアホな記者まで現れます。
「歴史の経験者」
奈良県生駒市に住む元小学校教師、池田正枝さん(83)から先日お手紙をいただいた。
日本が植民地として支配していた朝鮮半島で、池田さんは1922年に生まれ、開城(北朝鮮)とソウル(韓国)で国民学校の教師を務めた。日本人になることが幸せなことだ、と創氏改名した子らに一生懸命に日本語を教えたこと、教え子を「女子勤労挺身隊」として朝鮮から日本に送り出したことなど、自らの経験を各地の集会で語っている。
初めてお目にかかったのも、そうした集会でだった。丁寧な言葉遣いながら、小柄な体から良く通る声で、厳しく自らの行為と日本の戦争責任を問うていた。取材を申し入れ、その後、お手紙を時々いただくようになった。
先日の手紙には、外出が無理になり、文章を書くことも難しくなったことを記しながら、
「朝鮮の少女達が日本に拉致されたことなど戦争中の隠された現実をたくさんの方に知ってもらうことに専念したい」と結ばれていた。重い歴史の経験者の重たい思いが伝わってきた。(湯谷茂樹)
平成一八年二月二五日毎日新聞夕刊「憂楽帳」
同じく
「タブー」
先月のこの欄で、日本の植民地だった朝鮮で教師をしていた池田正枝さん(83)について書いたところ、数人のご年配の読者から連絡を頂きました。
批判や激励など、内容はまちまちでしたが、「よくこんなことを書きましたね…」という意味の言葉が共通していました。「朝鮮の少女達が日本に拉致された」という池田さんの手紙にあった記述が、タブーと映ったようです。
北朝鮮による拉致の被害者の帰国は、私たちが解決すべき大きな課題です。しかし、そのことと、旧日本軍のかつての行為に目をつむることは別です。
今月中旬、韓国の留学生らによる池田さんへのインタビューに同席する機会がありました。「もう私も長くありません」と口を開いた話に、個人を踏みにじる国家の暴力の残虐さを痛感しました。「どうして日本では、池田さんのような話をする人が少ないのでしょうか」。留学生の感想です。
学校での日の丸強制、愛国心教育導入、改憲などの動きが始まっています。タブーなき議論が必要です。(湯谷茂樹)
平一八年三月三一日 毎日新聞 夕刊 「憂楽帳」より
この湯谷茂樹というのも毎日新聞のどうしょうもないバカ記者です。
<「もう私も長くありません」と口を開いた話に、個人を踏みにじる国家の暴力の残虐さを痛感しました。>
この湯谷記者の文章が理解できる方はいらっしゃいますでしょうか。
今日は午後よりスポーツセンターに行く。昨日できなかった背中、二頭筋、前腕、下半身などのメニューを消化。その後、店により資源ゴミを出してから合羽橋に店で使用しているグラスを買いに行くが、すでに生産中止との事だが、まだ工場に在庫があるかもしれないので、調べてくれるそうですが、どちらにしても代わりのグラスを探す事になりそうです。
在日朝鮮人スパイと科協
1月28日日曜日晴れ ○
今日の産経新聞で「科協顧問逮捕へ」という記事が掲載されていた。
以下引用
無許可で人材派遣業を営んでいたとして、神奈川県警外事課などは二七日、労働者派遣法違反容疑で、人材派遣会社「大宝産業」(川崎市)の前社長(七四)と、妻の現社長(七二)を週明けにも逮捕する方針を固めた。
前社長は朝鮮総連の関連会社「在日本朝鮮人科学技術協会」(科協)の顧問を務めており、ロケットエンジン開発の権威とされる。東大工学部卒業後、自動車技術やエンジンの専門研究機関を経て、北の「金剛原動機合併会社」の経営にも携った。独自のロケット推進技術で国内外のメーカーからも注目されていたという。県警は人材派遣の背景にモーターなどの製造技術を北朝鮮に伝える目的があった可能性があるとみている。
調べでは、大宝産業は厚生省に無届けのまま、平成一六年六月、群馬県の機会製造会社に労働者を派遣していた疑いがもたれている。
大宝産業は前社長の辞任後、妻が社長に就任し、一八年一〇月に人材派遣業の届けを出していた。県警は一八年一一月、前社長の自宅など四ケ所を同容疑で家宅捜査していた。
引用終わり
産経新聞平成一九年一月二八日
この在日朝鮮人はこの記事に出てきたように、昨年の一一月に家宅捜査され「ロケットエンジン権威、科協の元副会長宅を捜索 違法に人材派遣か
」という記事が産経新聞に掲載されました、
以下引用
ロケットエンジン開発の権威で在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)傘下の在日本朝鮮人科学技術協会(科協)の元副会長が、無許可で人材派遣業を営んでいたとして、神奈川県警外事課は29日、労働者派遣法違反の疑いで元副会長の自宅などを家宅捜索した。同課は元副会長から詳しく事情を聴き、押収資料の分析を進める。
捜索を受けたのは、人材派遣会社(川崎市)元科協副会長の元同社社長(七四)の自宅、社長(七二)の自宅、派遣先の電気機械製造会社(群馬県太田市)。
調べでは、人材派遣会社は昭和三六年に設立以降、厚生労働相の許可を得ずに人材派遣業を営み、モーターや発電機を製造する電気機械メーカーなどに人材を派遣していた疑いがもたれている。同課は容疑が固まり次第、元社長らを書類送検する方針。
元社長は科協の元副会長で現顧問。東大工学部卒後、自動車技術やエンジンの専門研究機関勤務を経て、北朝鮮の「金剛原動機合弁会社」の経営にも携わった。ロケットエンジンの世界的な権威とされる。独自のロケット推進技術を持ち、国内外の自動車メーカーなどから注目された。
今年六月、神奈川県警が摘発した薬事法違反事件で、医薬品商社からアミノ酸点滴薬などの医薬品を購入、北朝鮮に輸出した北朝鮮系商社の経営にも関与しており、同県警は科協の運営や北朝鮮からの指示などについて詳しい人物とみていた。
警察当局などによると、科協は大学や企業の研究者や医師ら約一二〇〇人で組織され、朝鮮労働党の工作機関「対外連絡部」の直轄下にあり、北朝鮮の国家科学院との共同研究を指示されるなど北朝鮮の核開発などとの関係が指摘されている。昨年一〇月、警視庁が薬事法違反容疑で科協の副会長らを逮捕。家宅捜索で、陸上自衛隊の地対空ミサイル(SAM)の資料が防衛庁から科協に流出していたことが分かった。
科協幹部の妻が不正に入手した点滴薬を北朝鮮に大量輸出しようとした疑いで警視庁公安部が二七日、薬事法違反容疑で朝鮮総連東京都本部などを家宅捜索したばかり。
引用終わり
産経新聞平成一八年一一月二九日
「在日本朝鮮人科学技術協会」(科協)とは朝鮮総連の傘下の関連会社であり、科協は大学や企業の研究者や医師ら約一二〇〇人で組織され、朝鮮労働党の工作機関「対外連絡部」の直轄下にあり、北朝鮮の国家科学院との共同研究を指示されるなど北朝鮮の核開発などとの関係が指摘されている。(産経新聞平成一八年一一月二九日)
兵器産業をはじめとする北朝鮮の科学技術分野との関連が深い。事実、警視庁が過去に摘発した精密機器の不正輸出事件などにも「科協」が関連しており、北朝鮮の日本における「産業スパイ集団」的な役割を果たしている。(正論 平成一八年二月号p一〇五より)
このような組織なのです。そのスパイ組織の科協の名前が新聞記事として注目を集めたのは平成一七年一〇月に関連企業二社が摘発され、その余波として科協本体にも強制捜査が入ったときです。
平成一七年一〇月一四日、無許可で医薬品を製造販売したとして、医薬品会社「エムジー製薬」社長、玄丞培(六九歳)、インターネット関連会社「メディア・コマース・リボリューション」社長・鄭明洙(五三歳)の両容疑者が薬事法違反で逮捕された。医薬品の無許可販売、未承認医薬品の広告宣伝を行っていたとしてです。
警視庁公安部の科協本部など一一ケ所の強制捜査のその結果、自衛隊のミサイルシステムに関する情報などをスパイし北朝鮮に送っていたことが判明しています。
以下引用
「在日朝鮮連合会(朝鮮総連)傘下の『在日本朝鮮人科学技術協会(科協)』(東京文京区)が、陸上自衛隊の最新型地対空ミサイル・システムに関する研究開発段階のデーターなどが記載された資料を入手していたことが二三日、警察当局の調べでわかった。データーはすでに北朝鮮に送られているとみられ、警察当局は資料の流出経路などについて捜査を進めている」
引用終わり
産経新聞平成一八年一月二四日
この記事にある最新型地対空ミサイル・システムとは、陸上自衛隊が二〇〇三年(平成一五年)から配備を進めている「〇三式中距離地対空誘導システム」(略称=中SAM)を指すそうで、三菱総合研究所が戦術弾道弾(TBM)への対処能力の性能などを検討するために作成していたシュミレーション・ソフトに関するもの。自衛隊法上では「秘」案件に相当し、中SAMの展開・運用構想、要撃高度、要撃距離、援護範囲などに関する数値、戦闘爆撃機に対する性能数値なども記載されていたとされている。
このシステム開発には、三菱電機、三菱重工業、東芝などが関わっていたが、三菱電機はこの研究開発を関連会社の三菱総合研究所に委託。そして同研究所がその報告書作成業務をソフトウエア会社に委託していた。この会社が間の抜けた事に在日朝鮮人スパイの経営する科協関連企業で平成一七年一〇月に逮捕された科協幹部二名が役員を努める会社だったのです。
この二つは我国にはスパイ防止法などがありませんので、このような「労働者派遣法違反」「薬事法違反」などという法律で逮捕するしかないのでしょう。普通の国となるためには一刻も早くスパイ防止法が制定されることが必要です。
明日あたりにつづく
昨日は土曜日だというのにめちゃ忙しく、酒を大して飲む事もできなかった???ので、営業終了後にひと休みしてから店を片付け、そのまま店で寝て、朝起きて食事をしてからスポーツセンターに行く。今日は胸部、肩、三頭筋のみのメニューを消化し帰る。
とりあえず
1月27日土曜日晴れ △
大台さん二名様で来店。アンコウ鍋でドンチャン。二名様来店。Aさん二名様で来店。Hさん三名様で来店。インチキラクターさん来店。マロさん来店。私の故郷である淡路島の中学校の同級生の奥野の娘さんが三名様で来店。Sさん二名様で来店。Tさん来店。
どういうわけかめずらしく大忙し。
こういう日にかぎって、Bさん六名、Kさん七名などのお電話。HIROKOさんお二人でわざわざ御来店いただく。初めてのお客様二名様。そして遅い時間にも初めてのお客様一名様御来店頂くがお断りすることになってしまった。
どうして、今日に集中・・・・
せっかくお電話頂いたり、わざわざ御来店いただいた皆様すみませんでした。
しかし、随分前に同級生の教え子も来店してくれた事もあったが、いよいよ同級生の娘さんが来てくれる年になったようで。
池田正枝2
1月26日金曜日 晴れ
まず、この女性の記憶力のよさには驚愕いたします。天才でっせ。いや、まったく。まず、著書に書かれている著者の年齢とその記憶に基づく描写を見て行きたいと思います。
一九二二年生まれの池田女史がわずか九カ月の時の記憶として
<この本を出すためにいろいろ思うようになってからのことです。昼間、ぼんやりしていると、民族服を着た初老の男性が牛を引きながらポプラ並木を歩いてくる姿が突然に浮かんでくるようになりました。それも初老の男性の顔がはっきりと出てくるのです。
略)
少女時代の事です、私があまりにも小さい時の事を覚えていたのを知った父がこう尋ねました。「それじゃ、おまえが九カ月ごろ、古阜の道端で子守りの背中からずり落ちて道端で泣きじゃくっていたことを覚えているかい」と。
首を横にふると、そのまま会話が途切れてしまったのですが、実は民族服を着た男性とは、道端で泣叫ぶ私を助けてくれた朝鮮人のおじさんであり、ポプラ並木は古阜のものであったと、古阜訪問を終えたいま、その記憶が鮮明uヾってきました>
p四〜五
同じく一歳過ぎて間もなく
<昌城での鮮明な記憶にもやはり母が登場します。鴨緑江の河岸に母が立っていた記憶です。川面がキラキラ光っていました。古阜から引越してすぐのころでしたから、一九二三年秋、一歳の誕生日を過ぎて間もない頃だと思います。
略)
初めて覚えた言葉は何だったのでしょうか。「母ちゃんピストル上手ね」でした。一日に何回も繰り返していた言葉だったようです。
略)
「ピストル上手」という言葉にびっくりされるかもしれませんが、私が生まれたのは三・一独立運動から三年後のことです。独立運動への弾圧をみても、本当にひどい圧政でした。
略)
朝鮮独立を願い、または圧政を逃れた人々は河を渡り中国大陸へ逃れて行きました。しかし、冬は鴨緑江に厚い氷が張ります。そこを渡って、人々は朝鮮へ帰ってきたのです。
これに対し朝鮮総督府は「川を渡ってくる者は容赦なく撃ち殺せ」と命令を出していたようです。留守を預かる女たちでも不審と見た朝鮮人を撃つために銃を握ったのでした。
サラリーマンの妻の母もピストルの練習をさせられていました。その練習を見て、私は素晴らしいと思っていたから、そうした言葉が疑いもなく口から出たに違いありません。
p一六〜二三
三歳になっていたかどうかの時の記憶として
ただそのころ心に残ることは、社会主義思想の洗礼を受けた青年の家の表札のことです。
ある日遊んでいると、いとこの冨美子さんが二階から一つの家を指差しました。「あの家の青年は、苦しんでる人々のためにって、一生懸命なの。勤め先がない人だって」
「ふ〜ん」とうなずくと、私はわざわざその家の表札を眺めに出かけました。
p四一
四歳の時の記憶
伯母の知人の言葉として「軍隊が日本人を守ってくれるんだからね。私たちは何も怖いものなんかないさ。何をしてもいいんだよ」こうした言葉が繰り返され、店にいる私の胸に一言ひとこと焼きつけられていきました。
「日本人の私たちは何をしてもいいんだ」
「・・・・何をしてもいいんだ」
この言葉ははっきりと覚えています。
p三九〜四〇
五〜六歳の時の記憶として
町に幟がはためいていました。普通選挙実施を知らせる幟でした。伯父は私と富美子さんを連れて南大門尋常小学校に設置された投票所にでかけました。投票所からでてきた伯父はにこやかで、今日の喜びを語ってくれました。
私にはその意味はわからなかったのですが、伯父の喜びははっきりと伝わりました。
当時、女性にはその権利がないことなどわかるはずもありませんでした。ただ、伯父の喜ぶ顔だけが焼き付いているのです。
p四一〜四二
自分が初めて覚えた言葉を覚えている人がいるでしょうか。また、二歳にならない幼児が初めて覚えた言葉が「母ちゃんピストル上手ね」などという難しい言葉でしょうか。「ピストル」というものが幼児に理解できるでしょうか。また、「上手」という単語も理解できるでしょうか。
三歳になっていたかどうかの幼児が、その時の記憶として社会主義思想の洗礼を受けたという青年という意味を理解し得るでしょうか。ましてや七歳年上の従姉、つまり一〇歳と三歳の会話でそのような話題が出るでしょうか。
この本でに書かれている内容で何といっても笑えるのが、朝鮮半島で実施された普通選挙についての著者のすばらしい記憶でしょうか。
著者である池田正枝女史は一九二二年生まれです。その女史が五〜六歳の時の記憶としての選挙の話題ですから、一九二五年の改正選挙法による一九二八年二月二〇日に実施された日本における国会議員の第一回普通選挙の事と思われます。
たしかに我が国政府は衆議院議員選挙法の改正により朝鮮や台湾の地域住民にも日本本土と同じ参政権が与えられました。
しかし、それは一九四五年つまり昭和二〇年四月一日に公布されたものであり、同年の八月に日本は敗戦を迎えることによりこの改正選挙法による総選挙は実施されませんでした。
池田女史が鮮明に覚えている「はず」の普通選挙は日本本土だけで実施されたものであり、朝鮮半島その他の海外領土には適用されなかったのです。つまり、朝鮮半島や台湾などにいる日本人は選挙に参加することはできなかったのです。それなのに、池田女史は「町はためく普通選挙実施を知らせる幟」「伯父さんに連れていかれた南大門尋常小学校に設置された投票所」そして「投票所からでてきた伯父さんの喜びを語ってくれたこと、喜ぶ顔」までが焼き付いているという。
これはいったいどういうことでしょう。
池田正枝女史は実施されなかった朝鮮半島での選挙を覚えているというのです。なんと想像力豊かな女性なのでしょう。五〜六歳の記憶ですらそうなのです。ましてや二歳にならない時の著者の記憶ってどうなのでしょう。
まるで、膝までぐらいしかない大きさの郵便袋に支那人を詰めて手榴弾をつけて池に放り込んだという東史郎なみ気狂いぶりです。
あほらし。
金曜日だというのにメチャヒマとKさんと話していたら九時頃にマロさんから電話、コバっちさんからも電話あり、わっ。さんからも電話あり。アヤさん来店。初めてのお客様二名様来店。Nさん二名様で来店。Hさん来店。といういことで遅い時間に大忙し。また途中で洗い物もやめて、ドンチャン。
池田正枝1
1月25日木曜日 晴れ 珍しく飲まず。
先日下記のような記事が南朝鮮の東亜日報に掲載されました。
以下引用
「『懺悔の年賀状』これからは天国から送ります」 池田政枝さんの一生
「泣き喚きながら娘を探していた親たち、私をじっと見つめていた幼い少女たち、彼らの姿は私の中で大きくなっていく一方です」
日本の富山県富山市在住vV田純三(78)さんは、毎年、こんな内容が書かれた年賀状の束を受け取ってきた。差出人は日本の植民地時代に韓国で小学校教師として勤めた
池田政枝さんだった。
普通の年賀状と違う点は受取人が書かれていないことだ。名前の代わりに「知り合いに送ってください」という頼みが書かれた手紙が一緒に送られる。澤田さんが日本の強制動員で被害を被った韓国人への補償運動を展開していたため、同氏に発送を頼んだわけだ。
池田さんは毎年、このように知人らを通じて、1000通から1500通の年賀状を発送してきた。できるだけ多くの日本人が自分の告白と懺悔を読んで記憶させるためだった。
敗戦直前、日本の無軌道ぶりがピークに達していた1944年、ソウルの芳山(パンサン)小学校で日本語を教えていた池田さんは「女子生徒をできるだけ多く富山の軍需工場に送れ」という朝鮮総督府の指示を受けた。
日本の「皇国臣民論」に心酔していた池田さんは、他の日本人の教師とともに夜ごと生徒たちの家を訪問した。「日本に行けば、おなかいっぱいご飯も食べられるし、女学校にも通える」と、幼い弟子たちをたぶらかした。当時は、池田さんもそう信じていた。
彼の口車に乗せられた小学生6人は、翌年の3月、他の「勤労挺身隊」の少女100人あまりとともに、ソウル駅で「涙の列車」に乗った。
1945年8月、日本に敗戦した後、はじめて池田さんは自分がしでかしたことがどんな結果を招いたかを知った。彼は弟子らを探しに出た。
6人のうち5人が帰国していることは確認したが、弟子らは「日本であったことは考えたくもない」と言い、彼に会おうともしなかった。
1945年12月にようやく日本に帰った後、「韓国方面の空は見上げることさえできないほど」良心の呵責に苦しんでいた池田さんは、1991年4月になってやっと行方が分から
なかった弟子1人の消息を風の便りで知った。彼は富山のあるテレビ局の企画取材班とともに3ヵ月間その弟子を探し歩き、韓国で弟子に会うことができた。心から謝罪する池田さんを弟子は恨まなかった。「先生は幸せですか?」と、静かに聞いただけだった。
真の謝罪の道を教えてくれたのは、数ヵ月後、弟子の娘から送られてきた手紙だった。
「百回謝罪するより、行動するのが重要だ」という内容だった。その時から彼は自分が無邪気な幼い弟子たちに対して犯した罪を広く知らせるのに全力を尽くした。
「挺身隊動員は民間業者がしたことだ」と白を切る日本政府に向かって、池田さんは「戦時に生徒を挺身隊に動員したのは、逆らえない『天皇陛下』の命令だった」と叫んだ。
「罪を犯したまま死ぬわけにはいかない」と決心した池田さんは、自分の半生をつづった
「二つの祖国」という本を出し、いろんな講演や集会で「日本人は植民地時代の朝鮮に有益なことをした」とする一部歴史学者の主張がいかにでたらめなものかを、肉声でまざ
まざと証言した。
東亜日報
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2007011325038
正月早々にこんなアホウな内容の年賀状をもらったらエライ迷惑でしょう。この池田正枝(政枝は間違い)という人はあの職業詐欺師の東史郎、吉田清治などの女性判です。私の手元に「二つのウリナラ」というこの嘘つき女の著書があります。
明日から著書「二つのウリナラ」(東亜日報が書いている「二つの祖国」などというかっこういい題名ではありません)などからこの女性のウソ、アホウぶりについて書いていきたいと思います。
昨日からURA ホームページの掲示板に投稿ができなくなってしまっている。レンタルサーバーでお世話になっているところに問い合わせても今の処は原因不明。このホームページをあわせて山ほどのアクセス数といい、ここ数日はいろいろとあります。
ケイザブロウさん来店。チヒロさん来店。Fさん七名様でアンコウ鍋でドンチャン。マロさん来店。初めてのお客様三名様で来店。
営業終了後、酒も飲まずに店の流しの下、冷蔵庫の裏などをお掃除。
吉留路樹3
1月24日水曜日晴れ △
この吉留氏は「アメリカ帝国主義」「朴政権の反民族的妥協」南朝鮮、そして「韓国」と表記し、大韓民国とは使いません。また、日「韓」基本条約、在日「韓国」人、「韓国」軍と必ず「」付きで表しています。一方、北朝鮮に関しては朝鮮民主主義人民共和国と長ったらしい嘘臭い国名を記したりまたは共和国と表し、在日朝鮮人、朝鮮籍と「」つきでなく表記しています。
それは下記のような表記のしかたです。
<かって朝鮮人民共和国への帰還を求めて亡命してきた現役の「韓国」兵・・>
<そのアメリカ及び「韓国」が敵視した朝鮮民主主義共和国には・・・・>
この吉留氏のイデオロギーによるものとしか思えません。吉留氏の考え方は「あくまで朝鮮は一つ」としての朝鮮人について書いてある箇所にも現れています。
<ところで、七四年末現在我国に在留する外国人七四万五〇〇〇人の八六・三%を占める在日朝鮮人中、いわゆる「協定永住者」が三四万三〇〇〇人程度でしかないという事実を眺める時、私は朝鮮人民の意志の窮易さと「統一」への願望の強さをまざまざと胸に刻み付けられる。
というのも、日本政府が「韓国」を「朝鮮半島における唯一合法の政府」としたフィクション路線を走り始めて以来、日「韓」協力の下に推進した「韓国」籍への切り替え強要が、ときにアメとなり、ときにはムチとなって、彼らの日常生活の上に暗く重くのしかかった事実があるからである。>
略)
<彼らは南朝鮮の出身者であっても、「韓国」籍を拒否する。一二六とか、四−一ー一六−二とかわけの判らぬ数字入り在留の状態に耐える。なぜであろうか?
それは彼らの心の底に、朝鮮は一つ、朝鮮人もまた単一の民族なのだという意識が、如何なる誘惑や如何なる弾圧にも屈せぬ信念に支えられて明々と燃え上がっているからに相違ない>
<アメリカが創り出した「韓国」、アメリカと日本が支えている朴政権、それらのものは朝鮮人総体の見方や考え方からすれば、やはり一部外国勢力によって組み立てたフィクションなのである>
P一七九〜一八一
だそうで、いくら一九七七年当時とはいえ、よくこうも考え方が凝り固まっているものです。
著者によると朝鮮の南北分断も我国の責任だそうです。
<米ソ両軍が南北から進駐し、朝鮮半島を分割占領した。たしかに、それはそうであろう。けれども、それでは何のために、如何なる目的で米ソ両軍が侵入したかといえば、これはもうj説明するまでもなく、当時の朝鮮が日本帝国の植民地であって、政治的軍事的に重要な基地として機能していたからほかならない。つまり、日本の三六年間におよぶ植民地支配さえなかったらならば、米ソ両軍の進駐はありえなかったし、またそれなしに今日の南北分断もなかったのである。
と、いうことは、南北分断の真因はまさに日本と日本人すべての責任に回帰することを意味し、極めて明確な歴史的事実として把握せざるを得ない。ところが、この明確至極な歴史的事実が大多数の日本人の思考から欠落している。そこで政治家や官僚はもとより、大衆の間にさえ「密航」だとか、「不法入国」だとかの犯罪用語が罷り通るのである。
民族と国土の分断は、米ソ両軍の分割占領から二つの体制を生み、血で血を洗う殺戮を惹起し、南朝鮮におけるアメリカ軍駐留の固定化と軍事ファシズム政権を生み出した。政治的絶望と経済的苦境に最も弱い層が、今日を生き明日に望みを託すため、あえて危険を覚悟してまで祖国を脱出しなければならない理由は実はここにある。>
<しかも、今日三五〇〇万を数える南朝鮮の圧倒的大部分の民衆は、祖国の再建と統一を目指して苦闘している。したがって、最も近いが最もイヤな国への渡航を思い立つということは、いよいよ切羽つまったごく限られた人々と見て差支えない。誰しもが、好きこのんで故郷を捨てる道など選びたくはないのである>
p三二
なんともいやはや。今でも確かにこんなアホウがいるのは確かですが、こんな程度の男が新聞記者をやって報道に携っていたのです。確かに当時は朝日新聞などの多くのマスコミ、美濃部東京都知事、土井たか子、小田実などが北朝鮮を讃美し、在日朝鮮人とその伴侶となった多くのに本女性を地獄に送りだしましたが、それについてはその後口を噤んでいます。
ちなみに私は朝鮮についての表記は「大韓民国」と書くのであれば「朝鮮民主主義人民共和国」と書くべきだし、「韓国」と書くのでしたら「北朝鮮」とは書くべきでないと思っています。北朝鮮と書くのであれば南朝鮮が自然と思っていますので大韓民国については南朝鮮と表記しています。
今日は河岸が休みだったので、午後からスポーツセンターに行く。時間があまりなかったが、一応一通りのメニューを消化。
今日は予約もなくヒマだろうなと思っていたら、二名様来店。先日いらしてくださったEさんがAさんと来店。Aさんは今でも土日に道場で子供達に空手を教えていそうな。Yさん@横浜さん来店。酔狂師さん来店。
飲むが、今日のテキーラは体調のせいかこの前より当たりがきつく感じる。
吉留路樹2
1月23日火曜日晴れ ×
大村朝鮮人収容所の著者である吉留路樹氏は「一家離散の真因を擬視せよ」と題しては、文禄・慶長の役の影響として、<たとえば、朝鮮の各地を歩いてみるとよろしい。いわゆる日帝三六年の植民地支配が残した傷痕と、ほとんど等質のナマナマしさで、加藤清政・小西行長らの暴状に接するはずである>p一九
この手の事を書いている連中が朝鮮人だけでなく日本人も今でもいますが、アホとしか言い様がありません。四〇〇年以上前の影響が今でも残る国って今まで何をやってきたのでしょう。日帝三六年って、我国が近代化する前の世界最貧国で奴隷が半分近くを占める朝鮮の方がいいとでも・・・・
そして我国への朝鮮人の渡航については
<日本が朝鮮を植民地にして、まっ先に着手したのは土地調査事業に名を借りた農地の収奪乃至強奪政策であった。その手段方法の冷酷かつ強引さについては、まさに枚挙にいとまがないほどだが、今回は紙面の関係で割愛する。が、古い朝鮮人の渡航者の八〇%から九〇%の前職業が農民であったという統計でも判るように、土地を奪われ職を失い、一家離散のうちに最も忌むべき国だが最も距離的に近い日本へ、朝鮮農民は明日を生きるため玄界灘を渡った。こうした人たちが一九三七年までに来日した朝鮮人の大部分を占める。
ところが三七年七月に勃発した日中事変、四一年一二月の対米英戦争突入につれて、日本は軍需産業その他の深刻な労働不足を生じた。政府が国家総動員法に基き、労務動員計画を策定した三九年七月には、早くも内務・厚生両次官による「朝鮮労務者内地移住ニ関スル件」と称する一片の通牒に従い、いわゆる強制連行がはじまった。この結果、終戦時に二〇〇万人を超す在日朝鮮人の数を記録したのである。>
<以上のように、在日朝鮮人の圧倒的大部分は、日韓併合以後心ならずも渡航してきた人か、あるいは強制連行とという一種の国家暴力によって、無理に渡航を強いられた人、またはその子か、その孫なのである。
そしてまた、法務当局や警察が無慈悲に「密航者」とか「不法入国者」とか極めつける人びとも、そもそもは日本にいる親兄弟や子や孫や夫や妻をたづね、あるいは一旦帰国したものの、諸般の事情から再び生活の場を日本に求めざるを得ない人たちが大部分だと言ってよい。
したがって、在日朝鮮人であろうと、再度航者であろうと、すべては既住日本と日本人が創り出した歴史の所産にほかならない。世間ではよく、朴政権の暴圧下に喘ぐ南朝鮮人民の今日的不幸に安っぽい同情を寄せる人がいるけれども、朴政権が南北分断の申し子であり、南北分断が米ソ両軍の分割占領から生まれ、その米ソの朝鮮進駐は日本の植民地支配が招き寄せたものである以上、同情する前に、日本と日本人の思考から欠落している歴史的責務を痛感すべきであろう。>
p二二〜二四
<一定期間日本に滞在する者を除き、一応、永住する形で居住する在日朝鮮人は、これまで述べてきた通り、日本の植民地支配〜強制連行〜南北分断というように、何らかの影響を日本帝国主義によって受け、やむなく日本で生活している人たちである>P三五
そして我国の「償いきれない負の歴史」として
<朝鮮人は外国人である。したがって、「一般外国人」という言葉を使用するとすれば、過去・現在・未来を通じて朝鮮人は「一般外国人」以外のなにものでもない。それを過去において、無理やり日本国籍を強制し、創始改名まで強いたのが日本であった。
ただし、この「一般外国人」にたいしては、日本と日本人が償っても償いきれないほどの「負」の歴史を背負っている。その点で、他の「一般外国人」とは立場を異にするのである。決して「日本国籍ウンヌン」のためではない。>
<具体的にいうと、アメリカやソ連あたりから正規の手続きによらず入国するのは「不法入国」であり、「密航」でもあるが、朝鮮からのそれは離散家族の再会であり、あるいは一旦帰国による再入国であり、あるいはまた南北分断による政治的経済的事由が生んだ渡航というケースが大部分であるのだから、日本政府当局が自らの設けた法規のみを盾にとって対処することは許されまい。>
p二九〜三〇
<朝鮮人は外国人に違いないが、アメリカ人やフランス人が日本に来ているのとはそもそもわけが異なる。アメリカ人やフランス人は自分達が希望して日本に来たのだが、朝鮮人の圧倒的大部分は来たくない国に無理矢理こさせられたり、連れて来れたりした者か、またその子、その孫なのである。在日朝鮮人なる存在それ自体の背後に、日本と日本人の一方的恣意では払拭しえない「負」の歴史が厳然と控えているのを忘れてはならない>
そして、こんなバカまで言う。
<つまり、一旦罪に問われた在日朝鮮人であっても、立派に罪を償った以上は日本人がそうであるように、元の居住地で生活を再開するのが当然なのだ。
日本人にして、それでもなお送還を正当だという人があるならば、その人の力で朝鮮を一九一〇年以前の状態に引き戻し、在日朝鮮人の精神的経済的生活環境を渡航以前の状態に復元してもらいたい>
P五六
<戦争末期、日本国内には二三〇万人の朝鮮人がいた。いずれも好き好んで海を渡った人たちではなかった。法務官僚が好きな言葉でいえば、日本帝国なる「国家意志」によって狩り立てられた人びとであった。
略)
最大限ゆずったとしても、日本は二三〇万人までの朝鮮人を無為条件で受け入れるべき義務がある>
P一九六〜一九七
ここまでのアホウは中々いません。李朝の時代に戻せと言っているのです。気狂いというよりどうしようもないアホウです。そして、ほとんどが自らの意思で来た朝鮮人を無理矢理連れてこられたものだと言い張り、我国に二三〇万人の朝鮮人を無条件で受け入れる義務があるとまで言い切っているのです。この本に記されている大村収容所に収容された朝鮮人の例でも、戦後に渡航した来た連中がほとんどです。戦後の強制連行?とでも言うのでしょうか。アホ過ぎます。
しかし笑える「朝鮮を一九一〇年以前の状態に引き戻し、在日朝鮮人の精神的経済的生活環境を渡航以前の状態に復元してもらいたい」
我が国もできたら、あんな半島に投資した無駄金を国内に投資し直すことができたらどれほどいいことでしょう。朝鮮人が言う世界で最も過酷な統治?により人口を倍に増やしてしまい、過酷な統治により米の生産を増してしまい、過酷な統治により小学校から帝国大学までつくってしまい、過酷な統治によりハングルを普及させてしまい、過酷な統治により糞尿まみれの汚い国のインフラを整備し東洋最大級のダムまで作ってしまったわけですから。そりゃあ、今となっては後悔するでしょう。
いつも書くようにこういったこの著者のようなアホな日本人が一番の問題でしょう。まあ、このテの笑えるアホのネタ本として古本市での三五〇円はお買得だったとも思います。見栄えのよい本しか扱わないBOOK
OFFだったら絶対に並ばないでしょうから。
当店のホームページ(URAも含めて)のアクセス数が日曜日から月曜日にかけて異常でした。
| 曜日 | リクエスト数 | ページ数 |
| 金 |
23270 |
11747 |
| 土 |
26068 |
12334 |
| 日 |
266490 |
169705 |
| 月 |
125134 |
77351 |
| 火 |
59209 |
35516 |
そのせいかどうか知りませんが表紙のカウンターが変。(URAはとっくに変になっちまったので、消去しました)
今日はG23さんのアンコウ鍋の御予約があり、活けアンコウをお願いしてあったら五・二キロのアンコウ。
久々にPさん「お酒を飲める年になったから」となんとお嬢様と来店。うれしそうにしていらっしゃいました。G23さん五名様で来店。アンコウ鍋でドンチャン。これまた久しぶりにニセ赤塚センセイ来店。身体の調子があまり良くなかったそう。痩せて益々赤塚先生に似ている・・・まあ、私らの年齢になればいろいろ出てくるでしょう。でもドンチャン。
大村収容所 吉留路樹著
1月22日月曜日晴れ ○
手元に古本市で随分前に購入した早大朝鮮史研究会のスタンプが押されていた「大村朝鮮人収容所」(吉留路樹著 二月社 一九七七年刊)という本があります。この本の著者の吉留路樹氏は一九二五年生まれの新聞記者を経て作家生活に入ったとなっています。この本によると大村収容所とは一九五〇年(昭和二五年)一二月二八日、この年の一〇月以来旧海軍針尾海兵団後に設けられいた「外務省針尾入国者収容所」を元の大村海軍航空廠本館後に移し、二年後の一九五二年一一月一日付けで出入国管理庁に移管、翌五三年八月一日から「法務省大村入国者収容所」といわれるようになったそうです。
この本の中に収められている大村収容所に収容されている朝鮮人の人たちの著者が「悲劇的な」と書く例は下記のようなものです。
例一
一九四三年群馬県の桐生市で生まれ、一九四六年に父親などを残し母親と兄妹で南朝鮮に帰る。南朝鮮で待っていたが、父親は南朝鮮に帰ってこないし、そのうち母親、長姉と死んだので日本にいる父親を頼って一九五六年に密航で日本に入国。
北朝鮮に帰国地を選んでいるのに我国政府は帰国地選択の自由もさせずに南朝鮮に送り返すつもりだと憤慨している。
例二
一九六八年母親(渡航年など記載なく入管令違反のみ表記)と子供三人(満一歳の双生児と乳呑み子)が収容される。二月二三日に父親が面会時に包丁を振り回して部屋の外に飛び出す。五時間後に路上で逮捕。
著者は親と子、夫と妻を生き別れさすことが罪悪でなくて、ただただわが子を抱いて走ったのが「奪取逃走」になるのかと憤慨。
例三
一九四五年一〇月、夫が渡日したあと生まれた長女を抱いて、大阪で働いていた夫の元に。その後夫と死別。別の在日朝鮮人と再婚。四人の子供を生んだ後離別。一年ごとに在留期間の申請を更新する「不法入国者」として扱われてきた。離婚後一九六七年に生活保護を受ける。その年六月二九日に在留期間の更新打ち切り。一九六八年七月三一日母子とも大村収容所に収容。
著者は日本帝国が一九四五年八月一五日に無条件降伏し、同年九月二日にミズリー艦上で連合国相手の文章に正式調印したのは、日本国民大衆にも朝鮮人・台湾人民衆にも相談して行ったのではない。いうなれば天皇制権力が勝手に戦争をはじめて、勝手に内外人民を戦争に巻き込み、そして勝手な時期に勝ってな方法で降伏したまでである。
そして、この例三の場合も一九四五年一〇月に来日したというのは、当時の夫が日本に住んでいて日本で働かざるをえなかったからであって、わざわざ遅れたわけではないだそうです。
例四
日本で生まれ育った朝鮮人が見合いのために戦後、南朝鮮に渡り、従兄弟にパスポート、再入国許可証を預けて旅行していたところ、その間に従兄弟の会社が倒産し、従兄弟当人も行方不明となった。そのために再入国期限が切れてしまったので、日本行きの貨物船に隠れて釜山港を出た。福島県の沖合いで「陸地まで100メートル位だから、あとは泳いで行けよ」と貨物船の船員の言葉により海に飛び込んで半死半生で溺れかけ漁船に救われて病院に収容。身分や住所氏名の発覚をおそれて逃亡。上野駅で逮捕。懲役四年半。刑期を終えて出所後収容。
例五
済州島で生まれて、二三歳の時に(一九五六年)実兄を頼って来日。三年後結婚。一九六六年に大阪入管に自首して特別在留許可の申請したが却下により夫妻で自費出国。翌年の一九六七年に夫が再来日。続いて妻が戻る。
一九七五年二月再逮捕されるまで六人の子供が生まれる。
例六
朝鮮戦争で両親を失い孤児となった後一六歳で一九六五年に密航。叔母の家より通える町工場の旋盤工として働く傍ら夜間中学に通う。七五年一二月に東京入管に自首し、特別在留許可申請を行うが不許可により大村収容所に。
例七
済州島にて一九五九年に結婚した夫妻はあまりの貧しさに一九六一年にまず夫が渡航。その後一九六四年に妻が夫の後を追って渡航しようとし、その時には対馬で逮捕され強制送還。六六年に再度渡航。大阪で夫婦で暮らし三人の子供を生む。七七年「外国人登録法違反」にて逮捕。
著者は夫婦で暮らしたいので、妻が夫の後を追うのが当然と書く。
その他として、
一九六四年に母と二人の姉を求めて渡航。
一九六八年に父親の再開を願って渡航。
一九六四年に兄を頼って入国。
仮放免中に逃亡したという理由で再収容。
以上のような朝鮮人がその大村収容所に収容されていた事を書いているだけのことですが、どこが著者が書くように悲劇的なのでしょう。私には理解できませんでした。
例二は包丁を持ってきていたのですから、最初からそれを使うつもりだったとしか思えませんし、刃物を振り回したのですから逮捕されて当たり前でしょう。例四などは普通に考えて余りにも不自然でしょう。パスポートを預けてあった従兄弟が会社が倒産して行方不明になったから、貨物船に隠れて密航し、飛び込んで・・・。その他はすべて職を求めて食べるために不法に我国に入国してきた人たちです。それを強制送還してどこが悲劇的なのでしょう。恐らく著者の歴史観に基づくものでしょう。
いわゆるこの著者の歴史観というものは「日本と日本人が償っても償いきれないほどの『負』の歴史を背負っている」という醜いぐらいに偏ったもので、それは「具体的にいうと、アメリカやソ連あたりから正規の手続きによらず入国するのは『不法入国』であり、『密航』でもあるが、朝鮮からのそれは離散家族の再会であり、あるいは一旦帰国による再入国であり、あるいはまた南北分断による政治的経済的事由が生んだ渡航というケースが大部分であるのだから、日本政府当局が自らの設けた法規のみを盾にとって対処することは許されまい」とまでいいきるほどです。そのような偏った歴史観に基づく著書となっています。
そのために、このように不法入国は罪ではないと言い切っていいるのです。
今日は風邪で調子が悪いのと、ついつい出るのがおっくうになり、行く予定だったスポーツセンターにも行かずに一日中部屋にいた。ただ、背中、二頭筋、その他下半身のメニューはいつも使っているチューブで部屋で軽く消化。
納豆ダイエット
1月21日日曜日くもり ○
納豆ダイエットとか放送していた番組が酷いねつ造だったそうで、インターネット上もその話題であふれている。まあ、食べたい時に食べたいものをと思っていますし、それでデブってもしょうがない(実際に私の身長で今の体重はめちゃオーバー)。ダイエットというものに縁がないのでどうでもいいことですが、信じてそれを実行していたのに、結果としてだまされた方にしてみたら許せない事でしょう。
店を片付けてからスポーツセンターに行く。スポーツセンターでも今日はその納豆ダイエットの話題で持ちきり。今日も胸部、肩、三頭筋のみを重点的にめにゅーを消化。ベンチプレスは前回より少しアップしたが、ヨッパラッテ椅子から落ちて肩を傷める前の重さには程遠し。残りの部位は明日にして帰る。
連合軍の捕虜虐殺2
1月20日土曜日雨 △
連合軍の捕虜虐殺
オーストラリア軍の不法行為について
「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方に送らねばならなくなった時の話を覚えているかね? あるパイロットなど、僕にこう言ったものだ 捕虜を機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」(リンドバーグ日記八月六日)
ブーゲンビル島トロキナでは、オーストラリア軍によって、日本軍捕虜に「死の行進」が課せられた。
ナウル島とオーシャン諸島を占領していた日本軍は、一九四五年九月、オーストラリア陸軍の捕虜となった。同月二〇日にナウルの日本兵約二〇〇〇名がトロキナの仮収容所に移送されることとなったが、栄養失調と疫病で衰弱しきっているにもかかわらず、気温三五〜三八度の中を一〇マイル行進させられた。翌日、到着の一二五〇人も同様であった。豪州軍の警備兵は行軍の速度をゆるめることを許さず、水もほとんど与えられなかった。死亡者が続出した。
体験者の回想によれば、川を見つけた日本兵が水を求めて駆け寄ると、川の両側に並んだ豪州軍将校たちが水を飲ませまいと、足で水をかき混ぜて泥水にし、そのうえ銃を向けて威嚇した。一〇月八日に着いたナウルからの七〇〇人とオーシャンからの五一三人も同じ扱いを受けた。
くわえて、一〇月末にファウロ群島の常設収容所に移動させられた時には、マラリヤに多数が感染したが、豪州軍は予防薬を支給しなかった。捕虜のほとんど全員が感染、約七〇〇名が死亡したとみられる。
以上「日本の反論」米田健三著 p一六五およびp一七一〜一七二よりの引用ですが、米田氏はリンドバーグ日記および「軍事史学 第三五巻第二号」喜多義人論文より引用されています)
大阪からMさん二名様来店。金ちゃん、マロさん来店。マルガリータさん来店。ひとりアンコウ鍋。
風邪で調子がイマイチながら一応飲む。飲まなきゃいいのでしょうが・・・・
山拓氏訪朝にともなう胡散臭さ
1月19日金曜日 晴れ ×
小朝日とも言われ、また今や聖教新聞の印刷所である毎日新聞の昨日のニュースです。
以下引用
<拉致問題>山崎氏訪朝「風穴開けた」蓮池透さん評価
北朝鮮を訪問した自民党の山崎拓前副総裁と拉致被害者・蓮池薫さんの兄・透さん(家族会副代表)が17日、東京都内で会談した。政府・与党内には山崎氏の訪朝に「二元外交」との批判が強いが、日朝関係のこう着状態が続く中「一つの風穴を開けた。弟も喜んでいる」と一定の評価をする蓮池さん側の申し出で行われた。安倍政権の対北朝鮮「圧力」強硬路線に、被害者家族から疑問符が付けられた格好で、今後の政府の対処方針に微妙な影響を与えそうだ。
会談は、都内のホテルで約1時間にわたり行われ、平沢勝栄副内閣相も同席した。複数の関係者によると、透さんは「『圧力をかける一方で、対話の窓口を開けている』とする政府のやり方では解決できない。まだ目に見える成果はないが、ただ時間だけが過ぎる中で風穴を開けた。弟も喜んでいる」と訪朝を評価。さらに「会談結果を官邸に伝えるなど、政府と協調しながら一枚岩で解決してほしい」と要請した。これに対し、山崎氏は「肝に銘じるが、まだ意見具申する時期ではない」としながらも「圧力をかけて半年過ぎたが、事態は何も変わらない」と安倍政権の対北朝鮮政策への不満を漏らした。
家族会は山崎氏の訪朝を「二元外交」と非難するが、透さんが今回支持したことで、路線の違いが浮き彫りになった。会談後、透さんは毎日新聞の取材に「批判もあろうが、場合によっては私も訪朝し拉致被害者帰国を訴えてもいい」と語った。【中澤雄大】
引用終わり
1月18日3時3分配信毎日新聞
下記はその模様を取材した日本テレビのホームページに記載された内容です。
以下引用
家族会・蓮池副代表 山崎氏の訪朝を評価
拉致被害者家族会・蓮池透副代表が17日、自民党・山崎拓前副総裁と東京都内で会談し、山崎氏が北朝鮮を訪問したことに一定の評価を示した。
蓮池・山崎の両氏は「問題解決のために対話も必要だ」との意見で一致したほか、蓮池氏が今後、政府と連携して「一枚岩で対応してほしい」と要請し、山崎氏も理解を示した。
会談後、蓮池氏は「一歩でも二歩でも前進するような動きを見せてくれるというのは、私は支持していきたい」と述べた。また、山崎氏は「(対話努力の一環として)評価するという話がありました」と述べた。
家族会は、山崎氏の訪朝を「二元外交だ」などと批判しており、蓮池氏の動きは内部の路線対立を浮き彫りにした形。
一方、安倍首相は17日夜、「(北朝鮮が)誠実な対応をしない以上、圧力をかけていくのは当然だと考えています」と述べ、引き続き圧力路線を堅持する考えを強調した。
(1/17 21:26)
引用終わり
それに対し今日の産経新聞の記事です。
■蓮池透さん 評価の報道「間違い」
「個人プレーだ」「二元外交だ」−。自民党の山崎拓・元副総裁の訪朝は、拉致被害者家族の目にはスタンドプレーとしか映らない。都内で18日夜に開かれた集会で、家族からは批判の声しかあがらなかった。家族会代表で、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の父、滋さん(74)は「政府の意向を受けて行くのならともかく、単独で行くのはマイナスだ」と述べた。
増元るみ子さん=同(24)=の弟で、家族会事務局長の照明さん(51)は集会の中で、蓮池薫さん(49)の兄で、家族会副代表の透さん(52)が17日に山崎氏と面会し、「訪朝を評価した」と一部報道で伝えられたことについて、電話で透さんに聞いた話を紹介。照明さんによると、透さんは「『(訪朝を)全面否定はしないが』と言ったのが、『評価』ということになってしまった。評価しているというのはまったくの間違い。山崎氏に利用された。軽率だった」と話したという。
また、透さんが山崎氏に「売名行為ではないか」「政府と一本化してやってはどうか」と詰め寄ったところ、山崎氏は訪朝についての持論を展開するにとどまった。面会は、透さんが個人として山崎氏側に要請。面会場所へ到着すると、テレビ局の記者らが待ちかまえていたという。
照明さんは「家族会は、安倍政権による北朝鮮への圧力を支持している。北朝鮮の言うことを鵜呑(うの)みにしている人が向こうへ行くことはマイナスになる」とし、「(家族会を)分断するような報道には、意図的なものを感じる」と語った。
田口八重子さん=同(22)=の兄、本間勝さん(62)も「山崎氏が北朝鮮に行ったことには、非常に憤りを感じている。自分が対話すれば何かを引き出せるという思い上がった考えで行動されたら、運動の足を引っ張る」と強い調子で批判した。
一部報道では、山崎氏の訪朝を蓮池薫さんが「喜んでいる」とも伝えられたが、薫さんはこの日、「そのような事実は一切ありません。北に利用されるだけであると考えています」とのコメントを出した。
引用終わり
1月19日8時0分配信産経新聞
そして、メルマガ「救う会全国協議会ニュース」の昨日、今日の記事です。
以下引用
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2007.01.18)
■北に利用されるだけ−蓮池薫さんがコメント
昨日、蓮池透・家族会副代表が、訪朝した山崎拓議員と面会し、その後、取材に応じた内容が、日本テレビと毎日新聞で報道されました。日本テレビのタイトルは「家族会・蓮池副代表 山崎氏の訪朝を評価」、毎日のタイトルは「山崎氏訪朝『風穴開けた』蓮池透さん評価」(いずれもホームページから引用)。なお、面会には平沢勝栄議員が同席したとのことです。
この報道について、透さんの弟で拉致被害者の蓮池薫さんが、地元柏崎市役所を通じて、下記のコメントを発表しました。
★蓮池薫さんコメント
昨日の兄(透)と山崎拓議員との会談では、兄は、「あくまでも拉致問題解決には、政府として一体となって対応してもらいたい。北朝鮮に利用されることのないようにしてもらいたい」ということを強調しました。
にもかかわらず、その趣旨が的確に伝えられていません。
一部では、山崎拓議員の訪朝に対し、自分(薫)が喜んでいるとの報道もなされていますが、そのような事実は一切ありません。それは北に利用されるだけであると考えています。
平成19年11月18日
蓮池 薫
引用終わり
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2007.01.19)
以下は、昨日、1月18日に、増元照明・家族会事務局長が、山崎拓氏との面会につき、蓮池透さんから電話で聞取った内容を家族会に伝えたものです。同文は、増元照明さんのホームページにも掲載されています。
■山拓氏に利用されたという感が否めない−蓮池透氏
「蓮池透氏の山拓氏との面談」
以下は、本日14:29に蓮池氏と連絡が取れ、事情を聞いた。その内容に関して、家族会のメンバーに発信した内容である。
家族会各位様
先ず、このような騒ぎになったことを謝罪されました。ただし、報道には意図的に捏造されたものがあるように感じるということです。
透氏は、2004年の大連の会談の真意を聞きたいということで、以前から「山拓氏」に面会を申し入れていたそうですが、それが昨日になって平沢氏を経由して、面会の運びとなったようです。しかし、あくまで「蓮池透氏」個人としての面会を強調されたようですが、面会場所に行ってみるとそこに既にカメラが入っていたということでした。
会談時に、透氏は「山崎さんの訪朝を全面否定するものではないが、政府方針とは違うのではないか。出来れば政府と一体化して『拉致被害者の救出』に努力して欲しい」といわれたようです。そこで、今回の訪朝に関して、売名行為ではないのか?ご自分の政治的な影響力の復権のために「拉致被害者を利用しているのではないか?」等々、詰問したようですが、山拓氏は訪朝に関し、持論を展開し、正当性を主張したようである。
そこで、「そこまで考えているのなら、安倍総理と話し合って、日本として一体になってはどうか?」と問いかけたが、「直ぐには、できない(なぜ、出来ないのかは言明無し)」との回答だったと言うことです。
透氏としては、今回の訪朝に関して「家族会」が反対していることは理解しているし、何等異論はない。ただ、「全面否定しない」と言ったことが「評価」という言葉に変えられ、非情に腹立たしい!「家族会」が今回の山拓氏の訪朝に関して、反対の立場をとっているのは充分理解している。とにかく「二元外交」と言われるような行為は謹んで欲しいと言うことを山崎氏に言ったということです。
さらに、安倍政権の政策に対して批判したことはなく、報道のあり方に疑問を呈していました。今朝方、井上首相秘書官に電話し、真意をお話し、安倍さんの批判をしているのではない。今後も、安倍さんに期待している旨、告げられたようです。
最後に、日本国内で分断しているような報道をすることは、北朝鮮を利するという思いであるということでした。最終的に、「山拓氏に利用されたという感が否めない」との感触であり、皆さんにご迷惑をおかけしたことを謝罪されました。
今回の報道には、意図的に安倍政権の批判を展開し、日本サイドの分断を狙った報道としか思えず、担当者の「拉致問題への理解度の低さ」となにか、北朝鮮の工作をも感じさせる「胡散臭さ」もあるようです。
実は、私も以前から「山拓氏」に面会し、北朝鮮国内で「どのような会話がなされたかを聞こうか」という思いもありました。当然、家族会・救う会の役員と話をしてから申し入れをしようと考えていました。
今、国内が分断されるようなことがあってはならない。そのような報道になること事態が、山拓氏の訪朝の結果と言うことであれば、北朝鮮の意図としては成功であったかに見えるが、我々は北朝鮮との神経戦に負けぬよう、結束を固めたいと思う。
引用終わり
各記載内容の比較を改めて下記にします。
|
毎日新聞記事 |
日本テレビ |
産経新聞 |
救う会全国協議会ニュース |
救う会全国協議会ニュース |
| <拉致問題>山崎氏訪朝「風穴開けた」蓮池透さん評価 | 家族会・蓮池副代表 山崎氏の訪朝を評価 | ■蓮池透さん 評価の報道「間違い」 | ■山拓氏に利用されたという感が否めない−蓮池透氏 | ■北に利用されるだけ−蓮池薫さんがコメント |
| カメラについては記載無し | 同じく取材については記載無し | 面会は、透さんが個人として山崎氏側に要請。面会場所へ到着すると、テレビ局の記者らが待ちかまえていたという。 | 「蓮池透氏」個人としての面会を強調されたようですが、面会場所に行ってみるとそこに既にカメラが入っていたということでした。 | 記載無し |
| 「『圧力をかける一方で、対話の窓口を開けている』とする政府のやり方では解決できない。まだ目に見える成果はないが、ただ時間だけが過ぎる中で風穴を開けた。弟も喜んでいる」と訪朝を評価。 | 「問題解決のために対話も必要だ」との意見で一致した。 | 「『(訪朝を)全面否定はしないが』と言ったのが、『評価』ということになってしまった。評価しているというのはまったくの間違い。山崎氏に利用された。軽率だった」 | 「山崎さんの訪朝を全面否定するものではないが、政府方針とは違うのではないか。出来れば政府と一体化して『拉致被害者の救出』に努力して欲しい」 | 一部では、山崎拓議員の訪朝に対し、自分(薫)が喜んでいるとの報道もなされていますが、そのような事実は一切ありません。それは北に利用されるだけであると考えています。 |
| 政府・与党内には山崎氏の訪朝に「二元外交」との批判が強いが、日朝関係のこう着状態が続く中「一つの風穴を開けた。弟も喜んでいる」と一定の評価をする蓮池さん側の申し出で行われた。安倍政権の対北朝鮮「圧力」強硬路線に、被害者家族から疑問符が付けられた格好で、今後の政府の対処方針に微妙な影響を与えそうだ。 | 蓮池氏は「一歩でも二歩でも前進するような動きを見せてくれるというのは、私は支持していきたい」と述べた。また、山崎氏は「(対話努力の一環として)評価するという話がありました」と述べた。 | 透さんが山崎氏に「売名行為ではないか」「政府と一本化してやってはどうか」と詰め寄ったところ、山崎氏は訪朝についての持論を展開するにとどまった。 | 売名行為ではないのか?ご自分の政治的な影響力の復権のために「拉致被害者を利用しているのではないか?」等々、詰問 | 兄は、「あくまでも拉致問題解決には、政府として一体となって対応してもらいたい。北朝鮮に利用されることのないようにしてもらいたい」ということを強調しました。 にもかかわらず、その趣旨が的確に伝えられていません。 |
| 家族会は山崎氏の訪朝を「二元外交」と非難するが、透さんが今回支持したことで、路線の違いが浮き彫りになった。会談後、透さんは毎日新聞の取材に「批判もあろうが、場合によっては私も訪朝し拉致被害者帰国を訴えてもいい」と語った。 | 家族会は、山崎氏の訪朝を「二元外交だ」などと批判しており、蓮池氏の動きは内部の路線対立を浮き彫りにした形。 | 「家族会は、安倍政権による北朝鮮への圧力を支持している。北朝鮮の言うことを鵜呑(うの)みにしている人が向こうへ行くことはマイナスになる」とし、「(家族会を)分断するような報道には、意図的なものを感じる」と語った。 略) 一部報道では、山崎氏の訪朝を蓮池薫さんが「喜んでいる」とも伝えられたが、薫さんはこの日、「そのような事実は一切ありません。北に利用されるだけであると考えています」とのコメントを出した。 |
日本国内で分断しているような報道をすることは、北朝鮮を利するという思いであるということでした。最終的に、「山拓氏に利用されたという感が否めない」との感触であり、皆さんにご迷惑をおかけしたことを謝罪されました。 今回の報道には、意図的に安倍政権の批判を展開し、日本サイドの分断を狙った報道としか思えず、担当者の「拉致問題への理解度の低さ」となにか、北朝鮮の工作をも感じさせる「胡散臭さ」もあるようです。 略) 今、国内が分断されるようなことがあってはならない。そのような報道になること事態が、山拓氏の訪朝の結果と言うことであれば、北朝鮮の意図としては成功であったかに見えるが、我々は北朝鮮との神経戦に負けぬよう、結束を固めたいと思う。 |
記載無し |
以上の記事はあまりにも違う正反対の内容で、それによりあぶり出されるのは山崎拓氏およびその使い走りをしている平沢勝栄氏、日本テレビそして毎日新聞、中澤雄大という記者の如何わしさです。
毎日新聞の中澤雄大記者は蓮池氏の「売名行為ではないのか?ご自分の政治的な影響力の復権のために「拉致被害者を利用しているのではないか?」等々、詰問したことを書かずに「風穴を開けた。弟も喜んでいる」と書き、「日朝関係のこう着状態が続く中『一つの風穴を開けた。弟も喜んでいる』と一定の評価をする蓮池さん側の申し出で行われた。安倍政権の対北朝鮮『圧力』強硬路線に、被害者家族から疑問符が付けられた格好で、今後の政府の対処方針に微妙な影響を与えそうだ。」とまで書いています。まるで世論を誘導するための捏造記事です。
また、日本テレビは写真のように「支持します」というテロップを入れて、これもいかにも蓮池氏が山崎氏の訪朝を支持したかのような場面作りをしています。
蓮池氏の「山拓氏に利用されたという感が否めない」という言葉が総てをあらわしています。
しかし、平沢勝栄氏は拉致議連事務局長をおりる原因となった平成一六年四月の大連での北朝鮮との接触や蓮池氏から「家族会に伝えてもいない情報を突然テレビで喋り出したり、あるいは、曽我さんを自分の選挙区で連れ回した挙げ句、その模様を特定のテレビ局に放映させたりしていた。また、彼は他の拉致被害者にも、選挙区に来るよう無理強いすることが少なくなかった。彼は自分をいかによく見せるかばかりを考えていた。」と家族会から総スカンを食らっていたはずなのに、懲りない人だ。
W大のSさんドンチャン前のドンチャン?ということで職場の皆様六名様と来店。始めてのお客様Tさん二名様で来店。三名様来店。金ちゃん来店。
一〇時前に松村さん(090ー9×19ー7559)という方から電話あり。「今から四名で入れますか」「はい」その後、何度もお電話頂きその都度、道順を説明させていただく。この村松さんという方は最後は「なんだ、その言い方は。バカヤロウ。もういかねえや」と・・・・来ていただかなくて結構です。でも、お電話によると三回も御来店頂いただいたはず?の松村さんはまったく道も目印も御存じないようで(赤城神社も加賀屋さんもコインランドリーも)、いったい、当店には三回も空でも飛んでいきなり御来店頂いたのでしょうか。不思議な方です。今度、電話でぜひそのあたりをお聞きしたいものです。
秋山成勲選手についての朝鮮の反応
1月18日木曜日晴れ ×
反則負けとなった秋山成勲選手について南朝鮮では批判が起きているそうです。普通は反則を犯した秋山選手への批判が起きると思うのですが、あの国では違うようです。
以下引用
格闘技ネチズンファンの抗議が激しくなっている。
在日同胞の柔道出身選手である秋成勲(チュ・ソンフン、日本名・秋山成勲、32)が日本総合格闘技K−1主催社側から無期限出場停止という重い懲戒を受けたことをめぐり、「‘不敬罪’ではないか」という指摘から「在日同胞に対する差別」という意見まで、さまざまなコメントが出てきている。
99%は主催社側の決定に‘あきれた’という反応だ。各種ポータルサイトやメディア掲示板には、秋成勲に対する懲戒について数百件以上の抗議の文が載せられている。
ネチズン‘rabbitmoon’は「桜庭が何だ。日本格闘技界で英雄視されている選手が無差別爆撃を受けたため、日本人は怒りと屈辱を同時に感じたのだ。かつて日本柔道を捨てて韓国に渡り、日本と闘った選手であるため、目障りな奴だと思われたのだろう」と憤りを表した。
別のネチズン‘lovepplove’は「誰でも一度ぐらいは入浴後にローションを塗ったことがあるはずだ。ローションを塗るなという規定があるのか。 むしろ桜庭の話にならない異議提起よりも、試合中の些細なことでも自分のミスだと反省して謝罪する秋成勲の方が気に入った。プライド移籍の話も出ているが、そうした方がよい」と主張した。
引用終わり
中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=83784&servcode=600§code=600
ローションを塗るという反則を犯したという卑怯な振る舞いをしたヌルヌル秋山選手へ「朝鮮民族の恥さらし」とかいうのが普通だと思うのですが、「在日同胞に対する差別」ですか。らしいといえば、そうなのでしょうが醜い反応のしかたです。
秋山選手が日本人からネット上で叩かれているのは、今までやってきた勝つためにはなんでもやるという姿勢からか、多くの反則疑惑のせいです。柔道の試合でも国内大会での中村兼三選手からの抗議だけではなく、国際大会でフランス、モンゴル、トルコから「柔道着が滑る」という抗議を受け山下泰裕理事の指示で柔道着が交換させられたなどの前科があります。その時にも「洗ったばかりで石鹸が少し残っていた」などと弁解しています。
先日、発表された処分内容では異様な膨らみをもったグローブ疑惑はうやむやにされたままです。今までの試合がこのような疑惑を感じさせるものであるから、よけいに厳しい目で見られるのでしょうが、自業自得というものでしょう。
今回の中央日報の「差別だ」という記事に関しては、柔道の南朝鮮代表を目指して祖国である南朝鮮に渡った秋山選手が、その祖国であまりにも醜い差別?されて嫌気をさして我が国に帰化して我が国で代表選手を目指したのです。在日同胞と思うのであれば、その同胞に対しての醜い差別はやめるべきでしょう。あと、在日朝鮮人の皆様も、在日朝鮮人として足を踏ん張って生きている場所が何処であるかを意識すべきでしょう。いつまでも日本と馴染まずに「差別差別」と騒ぎ立て、誇り高い民族といいながら、普段は「通名」という日本名の偽名を使い本名を隠して生活している異様さ。そして、その誇り高い民族が帰化する時に殆ど「通名」という偽名で帰化する不思議。
まあ、在日朝鮮の皆様の人権を重視する朝日新聞等は在日朝鮮人が犯罪を犯した時は通名でしか報道しないで、まるで、犯人が在日朝鮮人ではなく日本人が犯罪を犯したかのような報道の仕方ですけど。
あと、いくら日本語訳といっても「ローションを塗るなという規定があるのか」って、トルコ相撲ではないのだからK−1ルールとしてありますから記事の前にチェックすべきだし、「‘不敬罪’ではないかという指摘」ってのも酷過ぎる。秋山選手がいつから皇族になったのでしょう。
T先生来店。Sさん五名様で来店。静岡からタカさん来店。マロさん来店。
今日は営業終わり頃から飲む。でも風邪気味なので、一通り飲んでお終い。
当たり前の事
1月17日水曜日くもりのち雨 ×
玉川大学が朝鮮学校生の受験を拒否したというニュースがあったが、どうしてこんな当たり前の事がニュースになるのでしょう。当たり前の事も仰々しく報道する共同通信・・・・
以下引用
朝鮮学校生の受験を拒否
玉川大、一般入試で 神奈川朝鮮中高級学校の高級(高校)3年の男子生徒(18)が今春の玉川大一般入試に出願しようとしたところ、大学側から「朝鮮学校の生徒には受験資格がない」と拒否されたことが16日、分かった。
在日本朝鮮人人権協会によると、現在、国立では朝鮮学校の生徒に門戸を閉ざしている大学はないといい、「私立でも4年制では玉川大ぐらいではないか」としている。
学校教育法では、朝鮮学校は「各種学校」扱いで、以前は大学入学資格検定(大検)に 合格しないと受験できなかったが、文部科学省が03年に施行規則を改正。各大学が
個別に入学資格を判断できるようになっている。
男子生徒は玉川大農学部の受験を希望。中高級学校側が今月10日、問い合わせたところ、大学側は「大学の規定上、朝鮮学校の生徒に資格はない」と回答した。
引用終わり
http://www.47news.jp/CN/200701/CN2007011601000356.html
朝鮮高校は我が国の学校教育法ではあくまで「各種学校」であって高等学校には該当しません。だから、逆に文部科学省による学習指導要領など受け入れる必要がないのです。つまり、朝鮮高校とは我が国にありながらどんな気狂いじみた偏った教育でも可能な学校なのです。昨今、我が国の高校で問題になった未履修などまったく関係ないのです。
そんな偏った教育機関?が大学受験資格があるのがおかしいのです。これも逆差別です。
ましてや、センター試験の外国語には難易度の低い韓国語(これも支那語とおなじく朝鮮語と表記すべきでしょう。まあNHKの「ハングル語講座」ほどではありませんが)で受験出来ます。
早急に是正しなければいけない日本人がこうむっている醜い逆差別のひとつです。
今日はメチャ忙しい。Kさん三名様で来店。Kさん御夫妻来店。Yさん二名様で来店。アンコウ鍋。Iさん来店。始めてのお客さまHさん二名様で来店。Sさん二名様で来店。Oさんお兄さんと来店。
途中から飲み始めてドンチャン。洗い物ドッチャリ。
連合軍の捕虜虐殺1
1月16日火曜日晴れ ×
映画「硫黄島からの手紙」の中に、昭和七年ロスアンゼルスオリンピック馬術大障害飛越競技にて金メダリスト(オリンピック史上、馬術で我が国唯一のメダリスト)であるバロン西こと西竹一中佐(戦死後大佐)が負傷したアメリカ兵の手当てを部下に命じる場面と、アメリカ兵による降伏した日本兵を銃殺する場面までこの映画の中にあります。昨年、日記にも少し書きましたがロシア軍はもちろん、アメリカ軍、オーストラリア軍、オランダ軍、支那軍などの連合国は多くの捕虜虐殺をやっています。もちろん、日本軍もです。
ちなみに、映画でも描かれていますが西中佐が肌身離さず持っていた愛馬ウラヌスv逾は後に一九九〇年になってアメリカで発見され、返還されたそうです。アメリカ軍の戦利品あさり・・・・
連合国軍の捕虜虐殺については有名なリンドバーグの日記にも書かれています。下記の「 」内の引用文はリンドバーグ日記よりの直接の引用では無く、私の手元にある「日本の反論」(米田健三著 並木書房 二〇〇六年)よりの引用ですので文章は米田氏が要約・抜粋したものです。
これについて米田氏は第二次大戦に対してアメリカ参戦を反対していたリンドバークは昭和一九年になって南太平洋の戦場視察と慰問を許される。そこで、「アメリカ人が文明人であることを主張せねばならぬ理由がなくなる」ような、米軍兵士の日本兵捕虜に対する数々の蛮行を見聞することとなったと書かれています。
「日本兵士殺害に関する将軍の話−−−−実戦参加経験がないまま帰国する軍曹が、せめて一人だけでも日本兵を殺したいと不平を漏らした。
偵察隊に捕らえられた一人の日本兵捕虜が軍曹の前に引き立てられた。軍曹は言った。
『俺にはこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ』
『ちぇっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ』
偵察隊の一人がそういうと、日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めたとたんに、日本兵の頭部に腕が巻つき、喉元が一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた。
このやり方全体は、話をしてくれた将軍の全面的な是認を受けていた」(リンドバーグ日記六月二一日)
「ニューギニアの密林を越えて、ホーランディア飛行場周辺に日本空軍の残骸が散乱していた。着陸後、将校連と会議。談たまたま日本兵捕虜の数が少ないという点に及ぶ。
『捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることができる』
と将校の一人が答えた。
『ところがわが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ』
『(原文伏字)では二〇〇〇人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった一〇〇人か二〇〇人だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう』
『あるいは両手を挙げて出てきたのに撃ち殺されたのではね』
と、別の将校が調子を合わせる」
ホーランディア攻略戦で敗れて捕虜となった日本軍人の大多数は、機関銃の乱射で殺されたのである。
「我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが大平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う」(七月一三日)
「安全でかなゆ萪沢な将校クラブに座しながら、これらの日本軍を『黄色い奴ばら』と表現するアメリカ軍将校の言に耳を傾けねばならないのである。彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、惨たらしく皆殺しにすることなのだ。オウィ島に来て以来、敵に対する畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた覚えはまったく無い」(七月二一日)
「私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき断崖の黒点を眺めやる。あの焼hれた地域の地表下に極限の苦悶隠されているのだ 飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとしない。なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも明らかだから」(七月二一日)
「われわれがもし日本兵の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、さらった土をかぶせてやったりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが出来るのであれば、私はわが国民性にもっと敬愛の心を抱けたに相違ない。ブルドーザーで片付けたあとは墓標も樹てずに、こう言うのである。『これが黄色い奴らを始末するたった一つの手さ』と」(七月二一日)
「山道の片側にある爆弾でできた穴の縁を通り過ぎる。穴の中には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾でできた穴に投げ込んだうえ、残飯や廃物を放り込むところまで堕落するとは実に胸糞が悪くなる」(七月二四日)
(以上は先に書きましたようにリンドバーグ日記よりの直接の引用では無く、「日本の反論」米田健三著 p162〜165よりの引用)
そして、米田氏はこうも書かれています。
<第二次大戦におけるソ連軍の蛮行は周知の事実だが、米軍については極めて人道的であったがごときイメージが長い間流布されてきた。記録映画などに登場する日本占領前後の米軍将校のほとんどが、降伏した日本軍兵士や民間人に食糧を支給し、医療を施す善良な姿で映っている。だから、「鬼畜米英という教育はまちがいだった。玉砕は犬死にだった。文明国の軍隊はあんなにも寛大だったのだ」という論理がまかり通ってきた。しかし、前線の諸記録に垣間見られるのは、むしろ日本人が軍民を問わず玉砕を選ばざるをえなかった米軍の残虐さである>(同書p161〜162)
以上は戦後の我が国の単純な「米軍善玉、日本軍悪玉」論者にぜひ読んでもらいたいです。
北朝鮮でマツタケの接待を受けた山崎氏が帰国してからの北朝鮮のメッセンジャーとしか思えない発言を新聞等でみて思うのは、今さらながらに山崎氏はなんのために北朝鮮に行ったのだろうということです。とくに、山崎氏の「対話する事に意味があった」って発言は頭の中が腐っているとしか思えません。
だいたい「拉致被害者と家族の帰国は小泉前首相と金正日総書記の対話の結果生まれたが、それ以降進展がない。圧力がこの分野では必ずしも有効ではないといえる」って、野中広務氏や河野洋平氏、加藤紘一氏らが散々北朝鮮に援助し、朝鮮総連、在日朝鮮人をタブー視した結果はミサイルを作らせただけだったことを忘れたのでしょうか。
いまさら「日朝平壌宣言を生き返らせるため、いろいろ努力してみる」ってなんだろう。核開発をおこない、我が国の拉致被害者のみなさまの解決をしようとしない国に対して破棄されて当然のものです。それを何も思わない山崎拓という男。さすがは加藤紘一の盟友だけのことはあります。
Iさん三名様で来店。初めてのお客様Hさん二名様で来店。大台さん二名様で来店。YさんIさんと来店。Yさんの奥様来店。
営業終了後、寿司屋さんで李さんと飯。
「硫黄島からの手紙」と「男たちの大和」
1月15日月曜日晴れ ○
午後よりスポーツセンターへ行く。時間があまり無かったので、背中、二頭筋、前腕のみのメニューを消化。店により資源ゴミを出した後に、李さんと待ち合わせて新宿の映画館にて「硫黄島からの手紙」を観る。
この映画は監督であるクリント・イーストウッドが五日で落とせるとアメリカ軍がいっていた硫黄島で三六日間戦い抜いて、上陸した六万一千人のうち死傷者二万六千人というアメリカ軍史上、最大の犠牲が硫黄島で生まれました。その最大の犠牲を絶望的な物量差のなかでアメリカに強いた日本守備隊二万一千人を畏敬の念を持って描いているように思います。たとえ、日本兵を嫌々ながら戦うという姿に描いていたとしても、先日来店してくださったSさんがおっしゃっていたように、とてもアメリカ人が監督で製作した映画とは思えないほどの作品でした。(ただ、最初の方に出てくる陸軍の上官のヘルメットは????)
沖縄への海上特攻という同じように全員が死を覚悟した戦いを生存者の方の証言などをもとに書いた辺見じゅん氏の小説「男たちの大和」。これを原作にして製作された映画では、原作には沖縄に向かう大和において昭和二〇年四月五日午後六時に「酒保開け」「各分隊、酒を受け取れ」という艦内スピーカの声により乗員が各々最後と覚悟した酒宴をやり、三時間後の午後九時に流れた「きょうは、みな愉快にやって大いによろし、これでやめよ」という能村次郎副長の声により艦内の騒ぎは収まった。そして「この期に及んでも艦内の規律は寸毫の狂いもなく、出撃に際し一丸となった意気込みを感じ取ることができた」という能村次郎氏の言葉とともに紹介していますが、映画では酒を飲んで殴り合う乗組員たちを制止た長島一茂ふんする白淵海軍大尉に「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めるのが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。それ以外にどうして日本は救われるのか 今日目覚めずしていつ救われるのか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃあないか」といわせています。原作と映画とは違って当たり前ですが、あまりにも違和感があります。
同じく四月六日夕刻、能村副長の訓示のあと、艦上よりの「宮城遥拝」、「君が代」斉唱、「皇国万歳」三唱が行われたという。それについては映画「男たちの大和」のパンフレットにも元乗組員である小林健氏の言葉として「君が代」に続いて「海ゆかば」を斉唱し、その後それぞれの故郷に向かって別れの挨拶をしたと書かれていますがそのような場面もありませんでした。「男たちの大和」の監督の佐藤純彌氏は「日中一五年戦争」(パンフレットより)などという言葉を使っている歴史観の人ですから仕方ないのかも知れません。「硫黄島からの手紙」はそんな「男たちの大和」よりはすばらしい映画と思います。
見終わった後に新宿で飯を食って帰る。夜中三時過ぎに地震。店の酒がちょっと心配だが、こればかりはどうしようもない。
流石はスケールがでかい
1月14日日曜日晴れ ○
大きな(土地と人口)支那らしいニュースです。
以下引用
【大紀元日本1月12日】中国人民解放軍の軍需庫に保管されていた、戦闘機、戦車、
装甲車、小銃、戦略用燃料、大量の野戦ベッド、軍靴などの軍需物資が、忽然と「消えて」転売されていた事実が判明した。
調査チームの報告では、上述の五大軍需庫における横領は、軍、地方政府、企業が癒着結託した結果で、監督管理が長期にわたってなされず、保管制度が「なし崩し」になった後に発生した。
報告ではまた、問題が早くも2000年から発生し、軍装備部が後送処分として報告した航空機をアルミニウム合金として企業に転売、小銃までもが市場に出回っていた。
屮潺15戦闘機」360機が、アルミニウム合金として密売
陜西省寶?の軍需庫に保管されていた後送処分の「ミグ15戦闘機」385機は、目下25機しかなく、これは2000年に航空学校が装備品を更新したために後送処分したものだ。
残りの戦闘機360機は、アルミニウム合金として密売され、転売記録は全て焼却されていた。
戦闘機1機の製造コストは、250−300万人民元だが、アルミニウム合金として僅か1万5000元で転売された。
∪鐚1800両余りが、分解され密売
四川省南充の軍需庫に保管されていた40−50年代・ソ連製「T−48」戦車、国産ライセンス生産「T−50」戦車、装甲車、合わせて1800両余りが、分解され密売されていた。96年以来、地上戦力の装備は毎年のように更新され、廃棄処分となった戦車、装甲車、軍用トラックは1200両を数え、そのうちの約50%は、四川省南充の軍需庫に保管されていた。毎年のように装備品が処分され、それにより関係者の私腹が肥やされていた。分解された戦車、装甲車のモーター部分は、一台につき一万元で密売され、分解された鉄鋼板は製鉄会社に転売されていた。2005年に後送処分となっoAT−55戦車700両は、すべて「消失」していた。その一部は、南アジア、東南アジアにすでに売却されたものとみられる。
http://jp.epochtimes.com/jp/2007/01/html/d17270.html
すんばらしい。いくら古い装備といえども飛行機と戦車をスクラップとして横流しして私腹を肥やす。流石は支那の大人はスケールが違います。古い飛行機、戦車、装甲車はともかくとして、小銃はどうみてもまずいでしょう。チャイナマフィア御用達でしょうか。我国では警察、自衛隊で弾ひとつでも紛失したら大騒ぎでしょう。
店を片付けた後、スポーツセンターに行く。まだまだベンチプレスで上がる重さは怪我をする前には程遠い。今日は胸部、肩、三頭筋のみ。
ピースボート
1月13日土曜日晴れ ○
河岸から帰ってきて仕込みをしていると、「ごめんください」という声。
おっ「野の花会」か?などと不純な?思いが横切る中出てみると、「ピースボートの者ですが、ポスターを貼ってもらいたいのですが」「はっ?ピースボートですか。あの辻元清美さんで有名な」「はい」「お断りいたします」「どこでも結構ですから」「いやです」
てなわけで、でも「活動内容です」とか言ってパンフレットを一部置いていきました。
それを読むと、ボランティアとしてこき使われているのが三〇〇人もいるそうで、応援の言葉として、小林カツ代氏、灰谷健次郎氏とともにあの筑紫哲也氏が出ていました。
筑紫氏のお言葉
<同じ目の高さで交流する冒険的な若者たち
若い頃の船旅は格別だ。学生時代、貨物船に乗り込み、香港へ無銭旅行した経験が僕の野次馬根性の原点にある。
ピースボートに集まる若者はいつも冒険的で大胆な発想で国際問題に挑んでいる。ひ弱な『国際人』が、目立つ昨今、屋台でメシを食らい、同じ目の高さで交流する姿勢はともに航海する者として頼もしい。>
だそうです。
そして、そのパンフレットにはピースボート誕生のきっかけとして下記のように書かれています。
<ピースボートが誕生した契機は1982年の「教科諸問題」。教科書の検定時に日本によるアジアへの軍事侵略が「進出」と歪曲された事実に対して、アジア各国の国民が激烈に抗議、国際問題になりました。この時、教科書では本当の歴史を学べないのではないか?という疑問と、日本はアジアからいったい何をしたのか?という興味を持つようになった若者たちが、実際に現地に行って、自らの目で事実を確認してみようと考えたのが出発点でした。>
あのいわゆる教科書問題とされたのは誤報であり「進出」などと書かれた事がないという事を隠したままです。これは本多勝一氏も辻元女史との対談で<次に起こったのが、「侵略」と言う言葉を「進出」と変えさせ、それに対して中国その他の国々が非常に反発して、大騒ぎされたことがあって、これが第2次教科書事件です。>といかにも本当であったかのように言っています。
パンフレットに書かれている「その名のとおり『平和を運ぶ船』であり続けることを目指して、ピースボートは旅を続けています」という言葉がいかにも空しい。
Oさん来店。金ちゃん、マロさん来店。初めてのお客様Yさん御夫妻来店。同じく初めてのお客様Hさん四名様で来店。アンコウ鍋。
朝鮮総連のアホぶり
1月12日金曜日晴れ ×
朝鮮総連施設に対しての警察の捜索の様子を伝えるニュースです。
以下引用
商工会職員ら抵抗 総連関連施設捜索
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の傘下団体「在日本朝鮮兵庫県商工会」(神戸市中央区)の職員が
無資格で税務業務をしていた税理士法違反事件。昨年12月に続いて2度目となった10日朝からの商工会の
捜索では県警の機動隊や警察官と同商工会職員らが激しくもみあい、周囲はものものしい雰囲気となった。
混乱は捜索が終了した夜まで続いた。
「何してんねん」「また、でたらめの令状持ってきたんか」
午前8時50分、商工会が入る県朝鮮商工会館前に機動隊約60人と警察官約40人が集まると、商工会職員らが取り囲んで口々に叫んだ。
機動隊ともみ合いになり、職員らは会館の捜索に抵抗して鍵を開けなかったが県警がピッキングで解錠。
午前9時すぎ、段ボールを手にした捜査員が5階建ての会館になだれ込んだ。
県警の捜索は延々続いた。会館前では、警戒する機動隊員らを取り囲んだ約100人の商工会職員らが
拡声器で「人権侵害をやめろ」などと声を上げ続けた。
また、断続的に職員らが機動隊の用意した鉄さくや盾を奪おうとつかみ合いになり、 機動隊員が「公務執行妨害で検挙するぞ」と叫ぶなど1日中緊迫した空気が流れた。
県警の捜索は午後8時すぎに終了。押収物の入った80個以上の段ボール箱を運び出す捜査員に対し、
取り囲んだ職員らから「大事な資料を返せ」「ドロボー」などと怒号が飛んだ。
騒ぎを見ていた買い物帰りの主婦(60)は「通りかかったら大きな声がして驚いた。
事情はよく分からないが怖い」と不安そうに話していた。
産経新聞 平成一九年一月一一日
http://www.sankei.co.jp/chiho/hyogo/070111/hyg070111005.htm
それに対しての朝鮮総連の声明です。
以下引用
兵庫県警は10日午前8時、兵庫県商工会の阪神経理室室長宅を家宅捜索。
これを皮切りに総勢300余人の警官を動員し兵庫県商工会と同阪神経理室への強制捜索を敢行した。
同日、兵庫県商工会は常軌を逸した破廉恥な強制捜索を断固糾弾する以下のようなコメントを発表した。
兵庫県警は、昨年12月に続き、再び「税理士法違反」を口実に、兵庫県商工会に対する大々的な強制捜査を敢行した。
兵庫県商工会は、自主申告納税制度にのっとり、同胞商工人の円滑な納税をフォローしてきたのであって、県警当局が言うところの、いわゆる「税理士法違反」行為を行ったことはまったくない。
まさに今回の強制捜索は、まったくの事実無根な容疑に基づく、言語道断な暴挙である。
兵庫県警による二度にわたる不当な強制捜索は、まさに法の名を借りた権力の濫用であり、政治的弾圧以外の何ものでもない。ここに朝鮮商工会のイメージを意図的に傷つけようとする警察当局の政治的意図を感じざるを得ない。
われわれは、これに激しい怒りをもって断固抗議する。
朝鮮商工会は、結成時より今日まで、一貫して日本の法を遵守しながら、同胞商工人の企業権および生活権のサポートに努めてきた経済団体であり、このような理不尽な強制捜査を受けるいわれはない。
周知のように、在日朝鮮人は日本の植民地支配により祖国を追われ、日本への移住を余儀なくされた人々とその子孫であり、日本社会の二重三重の差別のなかで生きる糧を手にするために、相互扶助の精神で朝鮮商工会を結成した。
以来商工会は圧倒的多数である同胞零細業者の企業権擁護と企業の発展のためにさまざまなサポートを行ってきた。
結成以来60年間、朝鮮商工会の正当な活動は、ただの一度も問題視されたことはなく、むしろ、同胞商工人の当然の権利を守りながら、彼らに納税義務の履行を促し地域社会の発展と地域住民との友好親善に貢献してきたとして、日本の多くの方々からも評価と支持を得てきた。
にもかかわらず、朝鮮の「ミサイル発射」「核実験」を機に、日本政府当局は朝鮮に対する制裁措置を段階的に強め、他方では「法の厳格適用」の名のもとに、在日同胞の基本的人権を踏みにじり、同胞組織を政治的に弾圧する行為を公然と繰り広げている。
まさに、今回の県警による兵庫県朝鮮商工会への常軌を逸した強制捜査は、それを象徴する政治的暴挙であり、法治国家として決して許されてはならない不当行為である。
兵庫県朝鮮商工会は、このような公権力による不当な政治弾圧と人権侵害を断固糾弾し、強く抗議する。
われわれは、広範な日本の方々が、在日同胞商工人の生活と企業権、基本的人権を擁護し、円滑な納税をサポートしてきた朝鮮商工会の正当な活動に対し、変わらぬ理解と支持を寄せてくださることを切に願う。
引用終わり
[朝鮮新報 2007.1.12]
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/02/0702j0112-00001.htm
まあ、この朝鮮総連の声明自体突っ込みどころ満載ですが、先の産経新聞の記事に在日朝鮮人という連中の反応の異常さがよく現れている。
今回、兵庫県警外事課は商工会阪神経理室長の金滝夫を税理士法違反で逮捕。金滝夫は容疑を認めているそうであるが、朝鮮総連の傘下組織のひとつである商工会経理室のトップが税理士資格のない無資格で経理をおこなっていたことになる。昨年の一二月五日には同じく経理室の元職員である河英哲を税理士法違反容疑で逮捕している。
税理士資格もない男が在日朝鮮人と税務署の間に入っていたのです。これを可能にしたのがネット上では既に有名ですが、一九七六年に高沢寅男(当時の社会党)の議員室で総連傘下の朝鮮商工会と国税当局との間で結ばれという「五ヵ条のご誓文」あるいは「五項目合意」といわれるものです。それは
一条、朝鮮商工人のすべての税金問題は、朝鮮商工会と協議して解決する。
二条、定器定額の商工団体の会費は損金として認める。
三条、学校運営の負担金にたいしては前向きに解決する。
四条、経済活動のための第三国旅行の費用は、損金として認める。
五条、裁判中の請案件は協議して解決する。
これら総てが異常であるが、この中の一条は在日朝鮮人個人のかわりに朝鮮総連が税務署と対応する事を現している。それにより在日朝鮮人は脱税も容易になるわけでです。
ただ、国税局、朝鮮総連もこれを否定はしている。
一日も早く在日朝鮮人特権という逆差別はやめてほしいものです。
そういえば、朝鮮系日本人であるヌルヌル道着で有名な秋山成勲選手と桜庭和志選手との年末の試合は、今頃になって身体にクリームを塗るという今回もまさにヌルヌルの反則行為で秋山選手が失格となったそうです。勝つための執念はすごいのでしょうが、勝つためには何をしてもいいと言う事でしょうか。普通でしたらある意味、普通の日本人より身を律するものだと思うのですがそうではないようです。試合の前の柔道着を着用しての大勢の子供たちといっしょになっての礼というパフォーマンスも白々しい。
今日はメチャいそがしい。Mさん二名様で来店。初めてのお客様Tさ三名様で来店。バンブーさん来店。AYAさん来店。龍星さん二名様で来店。初めてのお客様二名様来店。Nさん来店。Mさん二名様で来店。金ちゃん二名様で来店。Sさん二名様で来店。二名様来店。私がすぐに注意しなければいけなかったが、席を変わってもらう時に、他のお客様に配慮ができない方もいらっしゃったのが気になった。
今日は遅くなってからドンチャン。洗い物どっちゃり。
犯罪をするためだけに他国に来る民族
1月11日木曜日晴れ ×
下記のようなニュースがありました。
以下引用
重要犯罪:外国人の4分の1が「リピーター」
殺人などの重要犯罪で02年から3年間に警視庁に逮捕・検挙された外国人計80人のうち、
20人が一度何らかの犯罪を起こし強制退去された後に、偽造旅券などで不法に再入国した
「リピーター」だったことが同庁組織犯罪対策2課の調べで分かった。東京都品川区の女性
殺害事件で9日殺人容疑などで逮捕された韓国籍で職業不詳、金相浩(キムサンホ)容疑者(47)も、かつて強制退去になっており、改めて水際対策の重要性がクローズアップされた。
同課によると、02年10月〜05年9月までの3年間に扱った殺人、強盗、放火、強姦(ごうかん)、強制わいせつ、誘拐の重要犯罪で逮捕・検挙された計80人の外国人のうち、20人がいったん強制退去された後に、再び入国したリピーターだった。懲役1年以上の判決を受けた場合、出入国管理法により日本には無期限に入国できないにもかかわらず、偽造旅券を使ったり、密入国によって再入国し犯罪を繰り返していた。
東京都品川区のアルバイト、富士原光代さん(当時69歳)が04年4月に自宅で殺害された事件で逮捕された金容疑者は、殺害事件の1年前の03年4月に窃盗容疑などで逮捕され、懲役3年、
執行猶予5年の有罪判決を受け、強制退去処分になった。しかし、生年月日を偽って旅券を申請し、
04年3月と4月の2度にわたり入国し、殺害の2日後には韓国へ戻った。【鈴木泰広、川上晃弘】
毎日新聞 2007年1月10日 3時00分
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070110k0000m040142000c.html
このニュースの内容については下記のような別のニュースでも再確認出来ます。
【武装すり団】警戒心薄い日本人標的 孫容疑者、平成3年にも犯行
強制送還後も密入国繰り返す
東急東横線田園調布駅構内で韓国人の武装すり団が包丁を振り回し、乗客らにけがを負わせた事件で、孫昌模容疑者(四〇)=銃刀法違反容疑などで逮捕=が平成三年にも東京都内ですりを働き、逮捕されていたことが二十五日、警視庁捜査三課の調べで分かった。警視庁は、孫容疑者がこれまでにも複数回入国して犯行を重ねていたとみて追及。船などで密入国し、逮捕や強制送還された後にも犯行を繰り返して、日本の治安を脅かしている武装すり団の実態解明を急ぐ。
略)
孫容疑者は実刑判決を受けて服役し、四年六月に韓国へ強制送還された。昨年七月に東京都文京区内で逮捕された韓国人武装すり団のメンバーの一人も、平成五年に逮捕され強制送還されていた男だった。
警視庁の捜査員は「孫容疑者のように、逮捕後にも犯行を重ねるグループについて複数確認している」と話す。
孫容疑者が田園調布駅で犯行後、逃走中に投げ捨てたショルダーバッグに、現金約三十万円入りの財布が入っていたことも新たに判明した。既に数件のすりを働き、盗んだ現金を入れていたとみられる。
略)
「日本の漁業関係者が“運び屋”として、すり団をひそかに運んでいることも考えられる。暴力団の影は見えず、国内の支援に在日韓国人が関与している可能性もある」と捜査関係者はいう。
略)
≪転機は平成2年≫
武装すり団はかつては韓国国内で多発していたが、平成二年に日本国内での犯行にシフトしたとされる。多発する被害に韓国政府が「武装すり集団の摘発には拳銃を使用しても構わない」などと取り締まり強化の法律を改正したことが契機となったという。
身の危険を感じたすり団は同年に大阪で開催された「花の博覧会」で大挙して訪れ、犯行を繰り返した。この結果、「警戒心の薄い日本人が多数被害に遭い、『日本はもうかる』との話が仲間の間に広まった」(関係者)。これが、急増の原因とみられている。
刃物を所持していると罪が重くなるため、「催涙スプレーのみで武器を所持しなかった時期もあった」(捜査幹部)。だが、最近は武器を携行するのが一般的だ。
捜査幹部は「手口が荒くなったのは、すり集団に技術が低い素人が入ってきた証拠だ。日本が甘くみられているとしか思えない」と、すり団の凶悪化を危惧(きぐ)している。
-2004/06/26 (産経新聞朝刊)
来日外国人犯罪 検挙4万件、2万人
昨年1年間 警察庁調べ 中国人急増、45%に
福岡市の一家四人殺害事件をはじめ来日外国人による凶悪犯罪は後を絶たないなか、警察庁は十一日、昨年一年間の来日外国人犯罪の状況をまとめた。刑法犯、特別法犯を合わせた検挙件数は四万六百十五件、検挙人員は二万七人と件数、人員とも前年に比べそれぞれ16・9%、23・4%増加して過去最高となった。特に中国人の増加が顕著で、全体の45%を占めた。
外国人犯罪の特徴は複数犯で、四人以上のグループが目立つ。暴力団員を含む日本人と組んで、役割を分担しながら犯罪を繰り返すケースが増えている。検挙件数で最も多いのは侵入盗で、刑法犯の約三割を占めた。
略)
検挙人数の国籍別では中国人が八千九百九十六人と前年に比べ二千五百九人、38・7%の増加となった。次いで韓国人(9%)、フィリピン人(6・7%)、ブラジル人(6・1%)など。
留学生や就学生として入国して刑法犯で検挙された外国人は、二千四百六十八人と五年前に比べ二倍以上の増加。うち八割が中国人だった。
産経新聞2004年03月11日(木)
そして、朝鮮人などの犯罪は他国でも問題になっています。
美 LAに韓人ギャングダンのさばる
http://tvnews.media.daum.net/part/foreigntv/200609/13/imbc/v14025345.html?_right_popular=R10
現在ロサンゼルスには4, 500人の韓人ギャングたちが活動している
日本人の事を支那、朝鮮はいろいろ言いますが、日本人が他国に犯罪のためだけに渡って、その国で問題になっているような事はあるでしょうか。
支那人、朝鮮人は我が国だけでなく他国でも犯罪を犯すためだけにその国に渡っているのです。きれいごとだけではなく、現実のことです。
支那人、朝鮮人は売春などによる金儲けのためだけでなく、犯罪目的で我が国に来ている連中も多い事を知っておくべきです。
Sさん@名古屋さん二名様で来店。ITGさん三名様で来店。アンコウ鍋にてドンチャン。初めてのお客様二名様来店。
ドンチャン。
防衛省
1月10日水曜日晴れ ×
昨日から防衛「省」昇格関連法が施行され、防衛庁が「防衛省」に昇格しました。
国防は国の根幹に関わるもののひとつですから、当たり前の事です。いっそ「国防省」としてほしかった。
この防衛省昇格に対して、支那、朝鮮のマスコミがいろいろ言っています。
以下引用
特に注目されることは防衛省昇格をきっかけに日本の右翼勢力がこれから憲法改正と軍事力強化u何覆靴討るだろうという点だ。現在禁止されている「集団的自衛権」を許容して憲法9条を改正し「自衛隊」ではない「軍隊」を保有しなければならないと主張してきたからだ。このようになった場合、韓半島周辺情勢は極甚な緊張の渦に陥るのが目に見えている。国防費が世界3位の日本の軍備強化と北朝鮮の核による脅威がかみ合うからだ。一言で我々の安保に深刻な挑戦となって作用されるほかない。
引用終わり
【中央日報社説】 日本の防衛省昇格に対する対策あるのか [一月一〇日]
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=83510&servcode=100§code=110
以下引用
中国国営新華社通信は9日、日本の防衛庁が防衛省に昇格したことを論評で取り上げ、「日本が再び軍事大国に向け重要な一歩を踏み出した」と厳しく批判した。同通信は「日本が『専守防衛』戦略を調整」と位置づけ、昇格の目的を「侵略戦争の失敗とそれに伴う規制から脱出し、自衛隊の手足を縛る“呪文”を振りほどくことだ」と指摘。
「防衛省昇格は、日本の平和国家としての組織構造を変え、北東アジア地域の軍事バランスに影響を与える」と警告した。
一方、中国外務省の劉建超報道局長は同日の定例記者会見で「日本政府の組織構成にいかなる変更があろうと、我々は日本が平和発展の道を進むよう望む」と訴えた。
毎日新聞 2007年1月9日 20時30分
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20070110k0000m030109000c.html
我が国にミサイルの照準を定めている支那や我が国を仮想敵国とするように米国に要請したり、大統領自ら「日本とは対決しなければならない」と発言するようなほんとうに自由主義陣営の同盟国かと疑いたくなる南朝鮮には言われたくはないです。
ちなみに、下記の社説はあの新聞です。
以下引用
軍部が政治をねじ曲げた戦前の反省から、戦後日本は自衛隊に厳しい制約を課し、普通の軍隊とは明確な一線を引いてきた。防衛を担当する役所を「庁」としたのも、軍事に抑制的な姿勢を内外に示す狙いだった。
初代の防衛大臣になる久間章生・防衛庁長官は「専守防衛や海外派兵の禁止など、防衛政策の基本は変えない」と語っている。その言葉通り、戦後の日本が守り続けている平和主義の根幹が揺らぐことのないよう望みたい。
気がかりなのは、憲法改正とのかかわりである。
安倍内閣は憲法改正を公約に掲げている。その土台となる自民党の新憲法草案は、「自衛軍」を持つと明記している。自衛隊や防衛政策を縛っているさまざまな制約を取り払い、「普通の軍隊」に近づけようというのだろう。
だが、そのことが本当に日本の国益につながるのか疑問だ。
自衛隊が国民や国際社会から受け入れられてきたのは、専守防衛の原則から逸脱しなかったことに加え、災害派遣などで地道な実績を積み重ねてきたからだ。海外でも、武力行使をしないという原則のもとで活動を続けてきた。
憲法9条のもとで、普通の軍隊とは性格の違う実力組織を持ち、自国の防衛や世界への貢献に使う。そうした自衛隊のありようは今後も変えてはならない。
省への昇格で、自衛隊員たちは自らの仕事にいっそうの誇りが持てる。防衛庁はそう説明してきた。ならば同時に、戦後日本が築いてきた自衛隊のありようについても、誇りをもって内外に主張してもらいたいと思う。
引用終わり
【朝日新聞社説】2007年01月04日(木曜日)付
朝日新聞らしく憲法改正阻止を盛り込み、我が国が普通の国家になるの阻止したいといういかにも支那、朝鮮が喜ぶ社説です。
ソニアさん来店。マロさん来店。Hさん来店。Hさん来店。
知覧特別攻撃隊の遺書
1月9日火曜日晴れ △
昨日、高田馬場のビックボックスにて開かれていた古本市にて購入した「知覧特別攻撃隊」(松永薫編 ジャプラン一九八九年刊)には特攻にて散華された皆様の遺書が掲載されています。
下記は「知覧特別攻撃隊」に掲載されている相花信夫少尉の遺書です。
(第七七振武隊昭和二〇年五月四日出撃戦死 宮城県 一八歳)
母を慕いて
母上様御元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の母にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母
俺は幸福であった
ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと
(ノート二頁に楷書ペン書き)同書 P四二〜四五
下記も靖國神社社頭提示集「英霊の言乃葉 六」に収められた同じ相花信夫少尉の遺書です。
攻撃隊振武隊に加へられ、國恩に報ずることが出来ました。
父母上、信夫は勇躍征途につきました。
父母上、兄上の写真を飛行服に入れて。
父母上、信夫は子としてあるまじき無礼な言葉遣ひを遂に
最後まで矯正せず、唯々慚愧に堪へません。
母上、六歳の時より育て下されし、生母以上の母上に対し
「お母さん」と呼ばなかった信夫。
母上は如何程淋しかったでせう。
呼ぼふと幾度も思ひましたが、面と向かっては、恥ずかしいやうで言へませんでした。
今こそ大声で呼ばして頂きます「お母さん」と。
中支の兄の心境中支の兄の心境亦等しいでせう。母上、我等兄弟をお許し下さい。
今、特攻の征途につくに際し、心に掛かるは以上の二つのみです。あとは 思ひ残すことはありません。
人生五十年、自分は二十歳迄長生きしました。残りの三十年は父母上に、半分づつさしあげます。
同封の金は母上の好きな煙草代に使つてください 。
父母上、では征きます。信夫は莞爾として敵艦必殺へ征きます。
同じ方の遺書としてどうなのでしょう。どちらがどうとは判りませんが、内容は同じようなものだからいいのだという事でしょうか。私は二つの遺書を比べた時に違和感があるのですが、相花信夫少尉はどう思っていらっしゃるでしょう。
フィンランドに留学中のホロン部員Yさん二名様で来店。アンコウ鍋にてドンチャン。本日もめちゃヒマだったこともあり、ホロン部員Yさんに留学中のいろいろな面白いエピソードを聞かせていただきました。二名様来店。
ドンチャン。でも記憶あり。
山崎氏の訪朝って
1月8日月曜日晴れ ○
今日午後、山崎拓氏が北朝鮮にむけて出発したそうな。先日も書きましたが、この人いったい何しに行くんだろう。
ワインの事でいつもお世話になっている「中田屋」さんからブルゴーニュの故アンリ・ジャイエのワインリストを送ってくださった。ブルゴーニュ在庫だそうで、リストで一番安いので九七年のエシェゾーで一六万円。一番高いのが六六年のリシュブール三二八万円。ヒエ〜。
中田屋さん御自身が「とてつもない値段になっています。参考までに」と書かれているだけの事があります。
今日、起きたら胸部、三頭筋などが痛い。午後より新宿スポーツセンターに行く。昨日できなかった背中、二頭筋、前腕、下半身などのメニューを消化。
帰りにビックボックスで開かれている古本市へ。陽が暮れた後は風が強く、冷え込む。「ああ 菊兵団 フーコン作戦」牛山才太郎著 非売品として出されたこの本は北ビルマで戦った第一八師団について参謀であった著者により昭和五三年に書かれている。知りたいと思っていたミイトキーナの戦いについてもその背景などが書かれておりありがたい。「知覧特別攻撃隊」村永薫著、「中国との格闘」バーシー・クラドック著その他を購入。
店に寄り資源ゴミを出してから帰る。
別冊「正論四 大東亜戦争 日本の主張」を読んでいて、この本に論文を書いている多くの人たちに引用されることが多い林房雄の「大東亜戦争肯定論」をもう一度読みたくなり読みはじめるが、途中で寝てしまう。読み終わるのはいつになるのだろう・・・・・
スポーツセンターへ
1月7日日曜日晴れ めちゃ風強し ○
昨日、へべれけさん、ぐでんぐでんさんが当店のパソコンをいろいろと治してくださったおかげで、年賀状のプリントがスムーズにいき、店を片付けた後に風の強い中午後より高田馬場へ行くと、ビックボックスで古本市が開催されていたので立ち寄る。ちょっとのつもりがついつい・・・
「殺される側の論理」本多勝一、「義兵闘争から三一独立運動へ」F・Aマッケンジー、「シベリア捕虜収容所(上・下)」若槻泰雄など数冊を購入。シベリア捕虜収容所の下巻は持っているので上巻だけでよかったのですが、探していた本ですし、上下巻で三〇〇円と納得のお値段だったので購入。その後、食事をした後に、本屋さんに立ち寄り2冊購入。早稲田大学工学部の側にある郵便局にて従兄弟への手紙と友人へ写真を送る。
スポーツセンターへは今年初めてなので、みなさんと年始の御挨拶をさせていただいたあとに、消化したメニューは胸部、肩、三頭筋のみ。久しぶりというか二週間ぶりなので明日は痛そう。
高田馬場の駅でお客様のNさん御夫妻と遭遇。年賀状を手渡し?にて頂戴する。
帰りは店に寄りゴミを出した後に帰る。
飛んで火に入る・・・
1月6日土曜日雨 ×
あのエロ拓こと山崎拓氏が年度内の訪朝を計画というニュースがインターネットにありました。
以下引用
自民党の山崎拓前副総裁は6日午前、自らの北朝鮮訪問について毎日新聞の取材に「行くのは3月だ。核問題について話し合う」と述べた。関係者によると、山崎氏は25日の通常国会召集前の訪朝を探ったが、白南淳(ペクナムスン)外相の死去や、6カ国協議をめぐる人事など北朝鮮側の事情で都合がつかず、再調整することになったという。
訪朝は核・ミサイルや拉致問題の解決に向けた糸口を探るのが狙い。来年度予算案が衆院を通過した後の3月後半を念頭に、北朝鮮側と日程、会談相手の調整を進めている。ただ、山崎氏は訪朝について「政府とは連携していない」と強調している。
1月6日12時24分配信毎日新聞
引用終わり
我国政府の指示でもなく我国の政治家が今の時期に北朝鮮に行く。行って何もできるものではないだろう。北朝鮮を喜ばすだけだろう。過去には同じような事で平沢氏と支那に行った事もありますが、結局は屁の役にもたちませんでした。まあ、山崎氏にとったら、喜び組の接待を我国の税金で楽しめるからうれしいのでしょうか。中山正暉氏と同じ・・・・
私はエロ拓いや、山崎氏の個人的な趣味と言うか嗜好はどうでもいいと思っています。妾を持とうが、世の中で変態といわれるような嗜好であろうが知ったことではありません。ただ、ただ、我が国の国会議員としての責務を果たしてくれればいいだけの事だと思います。どのような形でも国を売るようなまねだけはしてほしくありません。
でも、何しに行くんだろう・・・・
今日は雨。昨日は買えなかった活けヤリが河岸に入っていたので仕入れる。
マロさん来店。へべれけさん、ぐでんぐでんさん来店。お二人には飲んでいただいている途中に当店のホームページの掲示板のバージョンアップなどいろいろお願いする。去年の今頃も同じ事をお願いしているので、当店のこの時期の行事????昨年末にダメになっていた年賀状の住所録も復活。これで、明日はめちゃ楽。ということでドンチャン。さっさと寝る。
初笑い
1月5日金曜日晴れ △
新春早々にあの福島瑞穂女史のメルマガ「福島みずほの国会大あばれ2007/01/05号」よりの引用
【今年の目標!一緒にやりましょう!!】
1 統一自治体選挙・参議院選挙勝利!
2 社民党の支持率を上げる。
3 日本国憲法を変えさせない運動を!
4 現場主義〜地方に行ったとき必ず現場の話しを聞く。
5 改憲手続き法案・共謀罪を成立させない。
6 格差是正・労働・貧困に取り組む。
7 残業代不払い法案である日本版エグゼンプション反対。実効性あるパート法を!
8 「やらせ教育基本法」ではなく教育改革を!提言していく。
9 医療・介護・リハビリの切り捨て。障害者自立支援法を変えていく。
10 中小企業支援・地域振興策の具体的な提案と実現を。
11 DV防止法改正と民法改正。
12 在日米軍基地の強化に反対。
13 社民党をもっと緑の党に。
14 参議院選挙が終わったら海外旅行へ行く。ネルソン・マンデラに会いたいな。
15 演劇・コンサート・映画にもっと行く。
16 新しい友だちを1万人作る。
17 のどを大切にする。
18 私自身がもっともっと楽しくなるような活動をする。
19 体力作り。
20 ステキな人になる。
引用終わり
いかがでしょうか。受け狙いとしか思えないのですが、一部を除き私には理解不能です。
4の「現場主義〜地方に行ったとき必ず現場の話しを聞く」ということは今まで聞いてなかったというか理解していなかった?ということでしょうか。
14以降20まではまったくの個人的なことで、いっしょにやりましょうと書くようなことではない。16の「新しい友だちを1万人作る」ってなんざんしょ。一年で友達ってそんなにできるものか?友人ってどういうものだと思っているのでしょう。一日二七人強の友人作り。福島女史の頭の中といっしょで薄い友達?としか思えない。18の「私自身がもっともっと楽しくなるような活動をする」ってのもお花畑にいる福島女史らしいといえばそうなのでしょうが、どういった活動なのでしょう。
特に20の「ステキな人になる」については絶対に無理です(きっぱり!)
でも、なんといっても、この福島女史の目標で凄いのは1の「統一自治体選挙・参議院選挙勝利!」と2の「社民党の支持率を上げる」でしょうか。正気の沙汰とは到底思えません。
まあ、福島女史らしさいっぱいのメルマガでした。新春早々笑わせていただきました。冷たい笑いですけど。
今日は河岸の初競り。毎年の事ながら魚も薄いので高い。野菜類も同じ。大葉が一パック九〇〇円!
しみずさん来店。磯自慢35%などで。遅い時間TさんSさんと来店。九平次彼の岸、磯自慢35%など。
1月4日木曜日晴れ ○
今日も飯を食いに外に出ただけ。
結局、読みたかった本のうち読み終えたのは少し。
今日のTBSでやっていた関口宏の番組はあの放送局らしい我国と北朝鮮をオーバーラップさせる醜い番組であった。特に大東亜戦争前の我が国と北朝鮮とのシンクロが醜かった。当時の我が国を取り囲む状況と北朝鮮とは似ても似つかぬものである。満州国建国についても「傀儡」という言葉を使って我国の支那大陸侵略としていた。コメンテーターもマトモなのは唯一蓮池透氏だけ。
1月3日水曜日くもり ○
今日も飯を食いに外に出た以外は部屋にいた。
1月2日火曜日くもり △
午後よりケイザブロウさんの御自宅におじゃまする。ケイザブロウさん、奥様手作りのお料理。ワインとお酒を御馳走になりヨッパラッテ帰宅。
1月1日月曜日晴れ ○
今日はどこにも行かずに正月早々からちらかった部屋を片付けたり、TVを見たり本を読んでゴロゴロして一日中いた。
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