平成17年二月分

30万人遺体処理
2月28日月曜日 晴 ×

 河岸からの帰りに、神楽坂駅の側にある本屋さんに寄り、「南京事件 証拠写真を検証する」を購入。支那の捏造写真については散々いわれてきました。在米のキチガイ支那人であったアイリス・チャンの捏造本などが最たるもののひとつと思います。その支那人の捏造写真を、ひとつひとつ検証したこの本はよくできた本と思いますが、文章はこのままでも、もう少し本の版を大きくしてほしかったと思います。

 いわゆる南京事件については、更衣兵などの討伐などからもそれなりの支那人の死者はいたでしょう。戦時中ですから当たり前です。
しかし、あの支那政府がいっている30万人という途方も無い数字はありえないでしょう。

スマトラ沖地震でインドネシアの17万人をはじめ多くの方がお亡くなりになりました。お亡くなりになった方の御遺体の処理がいまの時代でも大変です。
30万人が虐殺されたとされる南京市での遺体処理はどのようにしてスムーズにおこなわれたのか、30万人虐殺を声高々にさけぶ支那政府は、いまこそ、日本軍が殺したとされる30万人を埋葬処理したという支那人団体である「紅卍字会」「崇善堂」などのブルドーザーもパワーシャベルもなく、わずかな人員だけで、30万人を処理するという驚異的な遺体処理ノウハウを提供すべきでしょう。(もし、あったらな)

 日本人で、あのバカ漫画家の本宮ひろ志(ペンネームの「ひろし」の「し」に志すを使っていったい何を志しているのでしょう。)や、大虐殺があったとウソをいいまくって支那から勲章をもらって喜んでいる松岡環という大阪のキチガイ小学校教師がいます。(そのうち、本宮にも支那から勲章が届くかもしれません。本宮だったら喜んで受け取るでしょう)
本宮ひろ志や松岡環なども、日本軍が殺したという30万人の遺体処理を理解しているのでしょうから、その処理法法をぜひ示してほしいものです。

 今日はヒマ。Nさん二名様で来店。Iさん来店。
今日も早い時間から飲む。ドンチャン。

一年前
2月27日日曜日晴れ ○ S

 店を片付けた後、スポーツセンターに行く。
最近、このスポーツセンターのジムで知り合った若い方で、今日も親切にいろいろと教えていただいたが、この方はベンチプレスで自分自身の体重の倍以上、205キロをあげるそうで、ひえ〜と言う感じです。
ちなみに私は自分の体重の1・6倍がやっとですが、私と同じぐらいの体重(70キロ前後)の同世代の日本記録は190キロ以上だそうで、これもヒエ〜という感じです。それどころか、私の今の上げることのできる重量では、同年代のしかも女性の方の記録にさえ負けてしまうような重さだそうです・・・・・・・

 一年前にあの麻原に対して7年も費やしてやっと死刑判決がでました。あの地下鉄サリン事件から今年で10年です。
 なんども書きますが、我が国では人権というものは犯罪者に対しては、異常なほど認められています。
しかし、被害者に対しての人権はあまりにも希薄です。
麻原の裁判でもそれが顕著です。多くの税金の無駄遣いをし、時間稼ぎとしか思えない弁護人どもにもいえます。
キチガイの麻原に注ぎ込む無駄金の半分でも被害者の方々の救済にあてるべきです。
未曾有のこのような無差別テロ事件を起こした「オウム真理教」はアホウな連中の反対運動により破防法適用は見送られて、現在でも名前を変えて、存在し続けています。

 キチガイの麻原を生かしておくのは、時間稼ぎをして、死刑廃しにでももっていくつもりなのでしょうか。
犯罪者の人権のみを大切にして、後何年、このような無駄な事に税金と時間を費やせば気が済むのでしょうか。

大酒飲み
2月26日土曜日 寒い

 昨日の酒で今日はかったるい・・・・・
店の椅子に腰掛けたまま、そのまま寝てしまう。
灯りはつけっぱなし、カギも閉めて無い、ブラインドも降ろしていない、売り上げはカウンターの上に出しっ放し・・・・・・

 そういえば、今日の産経新聞で昨日、帝釈天にある樹齢四百五十年という「瑞龍の松」に一升瓶150本もの酒を与える「松の御神酒あげ」という行事がおこなわれたというニュースがありました。
日本酒は松の葉の色や木肌のつやを保つのに効果的ということからだそうですが、150升のイッキノミといったところでしょうか。
酒粕から化粧品が造られたりしているそうですので、何か効果があるのでしょう。でも飲み過ぎは・・・・・・・

 Oさん来店。初めてのお客さま2名様来店。食事にいらしたようで、御期待には添えなかったみたいです。
英英獻琥店の副店長がMさんと来店。
李さんと飯。初めての台湾料理の店でしたが美味しかったです。

浅野健一というアホ教授
2月25日金曜日晴 ×××

 あの松戸の人殺し男の小野悦男を、冤罪だと騒いで無罪にしたマスコミ功労者のひとりで、当時は共同通信記者で、現、同志社大学教授である浅野健一氏が相変わらずアホな記事を犯罪国家北朝鮮の機関紙に書いています。
以下引用
 <
品格あった朝鮮代表 >
http://210.145.168.243/sinboj/%82%8A-2005/05/0505j0225-00001.htm
<感動的なシーン
 <試合を前にしてテレビの情報番組では、ソウルの市民にマイクを向けて、「日本と北朝鮮のどちらを応援するか」という愚かな質問をしていた。回答した市民が全員、「北朝鮮」と答えていたのを見て、頭を傾げるキャスターもいた。韓国と朝鮮の友好が進んでいることを知らないのだ。>
 略)
 <この試合で日本の対戦相手を「北朝鮮」と呼んでいるのはマスコミだけだった。主催者の日本サッカー協会は「朝鮮民主主義人民共和国」と正式名で呼んだ。英語のアナウンスも「DPR KOREA」だった。テレビ中継のアナウンサーは「北朝鮮」と言っていたが、場内アナウンスは、選手交代のときも「朝鮮民主主義人民共和国」という国名を使っていた。

 1991年に国連に加盟した主権国家の国名を勝手に「北朝鮮」と呼んでいるのは、日本の企業メディアと、メディアに影響された日本人だけだ。>

略)
 <一人だけ浮き上がった男性がいた。試合後も、「北朝鮮代表は帰国後は反省会をさせられる」という見出しで10日付のスポーツニッポンに手記を書いた重村智計早大教授だ。
 重村教授は代表チームが金正日総書記に「勝利のプレゼントを誓って来日しているはずだ」とか、「来日した代表チームの選手たちは、北朝鮮による拉致事件が日本で大きな問題になっていることを知らない」などと書いている。「毎日新聞のときは、あんな人ではなかったのに、何があったのだろうか」と多くのジャーナリストが話している。

 「拉致」問題は朝鮮で度々報道されているから、朝鮮代表が知らないはずがない。彼らは朝鮮民族の800万人以上が日本帝国主義によって拉致、強制徴用されたことも知っている。重村教授が後者の重い事実を語らなくなっただけだ。>


 アホ過ぎます。このアホは北朝鮮がいっている大ウソの800万人という数字の裏付けはどのようにしているのでしょう。まさか、朝鮮人お得意の「経験者から聞いた」「教科書に載っている」とか言うのじゃあないでしょうね。
じゃあ、お前の好きな在日朝鮮人団体のホームページ
http://mindan.org/toukei.phpからでも探してほしいものです。
しかし、こんなバカというかキチガイが教授をやっているのです。同志社大学よ、
新島纒が泣いているぞ。
この男はまた重村教授について
<これについて重村教授は5月30日午前のフジテレビ番組で、「実に軽率」と非難、「来年ならいいが今年はだめだ」と述べた。朝鮮総聯の全体大会は3年に1回しかないことも知らない人が早大教授を務めているのだ。>
[朝鮮新報 2004.6.11]

http://210.145.168.243/sinboj/j-2004/05/0405j0611-00001.htm
と別のページでも非難していますが、犯罪組織の朝鮮総連の全体大会が3年に1回ということを日本人が知らなかった事がそんな非難されなければいけないことでしょうか。
それよりも、800万人強制連行の証拠を示さずに、南北朝鮮の操り人形になっている自分を日本人として恥じるべきでしょう。
バカな文章はまだまだ続きます。
以下引用
<「在日の星」とされる徳山選手は01年5月、二度目の防衛戦として、ソウルで韓国人の元王者と再戦したが、「試合後、『北朝鮮籍』の私を包んだのは怒鳴り声ではなく、満場の拍手だった」と述べ、スポーツには国境がないことを強調した。
 このすばらしい記事に、「北朝鮮籍」という誤った表現があったのは残念だ。>
 略)
 <日朝関係が最悪になっている時期に、両国がW杯最終予選で同じブロックに入ったのは、日本の政府と国民に「隣人と仲良くするように」という世界の声かもしれない。>
略)
 <朝鮮外務省が10日、核問題をめぐる6カ国協議の無期限中断と核兵器保有を表明したことについて、一部のワイドショーを除いて、日米両政府もメディアも比較的冷静な報道を行っている。自民党の安倍晋三幹事長代理も11日、冷静に対処すべきだとの考えを示した。日本と韓国には朝鮮や中国に照準を定めた核兵器が無数に配備されているはずだ。日米両国が朝鮮に「核を持つな」と命令することは難しい。
 サッカーから学んで、日朝関係に関する常識と品格ある報道を望みたい。>
[朝鮮新報 2005.2.25]

 さすがは、小野悦男という希代の人殺しを冤罪だといって釈放させ、その結果また罪も無い方が小野悦男のために犠牲になってもしらぬ存ぜぬで、「万年ヒラ記者から大学教授になった」http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/ASANO/ACHIEVEMENT/career.htmlと自慢している厚顔無知男だけあって、書く事もすごいものです。

 では、このキチガイ教授様はイギリスまたは英国といわずに、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国 (United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)とでもいうのでしょうか。

「日本と韓国には朝鮮や中国に照準を定めた核兵器が無数に配備されているはずだ」と断定して、独裁犯罪国家の北朝鮮の核に対して「日米両国が朝鮮に『核を持つな』と命令することは難しい」と書くとはさすがはキチガイ教授の面目躍如といったところでしょうか。
金正日が拉致を認めて、拉致被害者の方々の一部が帰国した後も、出版物で、トンデモ発言を繰り返してきただけのことはあります。
たとえば、『検証・「拉致帰国者」マスコミ報道』というキチガイ仲間と出した本では

 <私は日本政府やマスコミ企業が、「拉致」の事実を確認してもいないのに、「拉致」があったと断定的に使うことに異論を唱えてきた。国交正常化交渉の過程で、「いわゆる『拉致』問題」とか、行方不明者調査などという言い方をしていたときもあった。なぜ「拉致」と断定するのかという疑問だった。なぜ日本人を「拉致」する必要があるのかも理解できなかった。
略)
真相はまだ分かっていない。「拉致」はなぜ起きたのか。実行者はどういう思いで、国家犯罪に手を染めたのだろうか。朝鮮の総書記が発表した事実が真実なのか。
『検証・「拉致帰国者」マスコミ報道』P30より(社会評論社)
とこんなアホな事を書くような男です。
それだけでは無く、南北朝鮮政府がよくやるすり替えもお得意です。
同じ著書で、
このように、海外では、日本がかつて朝鮮人民に対し、36年にわたり何をしたかよく知っているから、日本国内のような朝鮮糾弾の世論は起きない。(P40)

拉致事件の被害者は、朝鮮だけでなく日本という国家の犠牲者ではないか。日本は朝鮮戦争の特需で経済を復興させ、戒厳令下の韓国軍事政権とだけ国交を樹立し、朝鮮半島の南北分断を固定化させた。日本は朝鮮を敵視する米国に巨大な米軍基地を提供している。日米と朝鮮の軍事対立の中で「拉致」がおきた。その被害者が、日本の国家に、朝鮮への「制裁」を嘆願しているのだから複雑だ。国家とは何か。国家と市民の関係はどうあるべきか。(P44)


 
「拉致事件の被害者は、朝鮮だけでなく日本という国家の犠牲者ではないか」私も、この本を近所の本屋さんで購入して読んだ時には、キチガイの集まりとしかいいようのない内容に驚きましたが、ここまでアホを曝け出されるとお口あんぐりと言う感じです。

 25日の金曜日という当店にとっては鬼門の日でしたが、ケイザブロウさん来店。七重さん、恭子さん、アメリカ人のフィッシャーさん来店。遅れてノンちゃん参加。Nさん来店。ホロン部員Yさん来店。
飲む。飲む。飲む。酒、ビール、赤ワイン、白ワインドンチャン!記憶無し・・・・

田嶋陽子という醜い女
2月24日木曜日雨 ××××

 読売テレビの2月20日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」という番組で、あの田嶋陽子が「北朝鮮の(日本人)拉致は、日本軍の従軍慰安婦を真似してやったんだよ!」と発言したと、今日、発売の週刊新潮に記事が掲載されていました。
記事内容は
以下引用
三宅久之氏(評論家)
 非常に不幸なことだけど、当時は売春というのは公の職業でした。
田嶋陽子
 違うって、拉致だったの、あの人たちはっ!
三宅
 拉致なんかしなくても、(募集の)新聞広告を出せば集まってきたんだ。
田嶋
 北朝鮮の(日本人)拉致は、日本軍の従軍慰安婦を真似してやったんだよ!
三宅
 馬鹿な事を言うな。北朝鮮の犯罪と一緒にする馬鹿がどこにいる。君はどこの国の人間だ!
引用終わり(週刊新潮3月3日号)

 三宅氏でなくとも怒鳴りつけたくはなるでしょう。田嶋というバカは、自分の醜さに気が付かずにその著書「それでも恋したいあなたに」でベルギー貴族やイギリス人アーティストとの恋遍歴とともに
<十代から三十代後半にかけて、私は恋ばかりしてきた。
 恋というより、私と出会う男たちすべてを自分になびかせなければ気がすまなかったのだ。(略
モテてもモテても気がすまなかった。底がなかった。
 女としての魅力を夢中で試していたともいえるが、そんな可愛いものではなかったような気がする。
略)
男が千人斬りとかやるのと似た心理かもしれない>
と書いていますが、アホ過ぎるこの女の醜さはその心よりきています。女の心の醜さが顔に出るというわかりやすい例のひとつでしょう。

 この田嶋は国会議員時代にあの売国奴の岡崎トミ子とともに、インドネシア、朝鮮、台湾等に出かけて戦時売春婦を探し出して、金を払うというバカな事をやっています。
http://www.ne.jp/asahi/tajima/yoko/top/top-seiji.htm
こういった人間は北朝鮮にでも行ってほしいものです。しかし、こんなバカが大学教授をやっていたとは・・・・・

 初めての女性のお客さまお一人で来店。3名様初めての来店。当店の酒のリストを御覧になり「これだけしか無いの」いったいどういった酒のリストを期待していたのでしょう。数十銘柄ずらりと並べて、開けちらかしているお店の酒リストでも期待していたのでしょうか。ビール一本と酒を一杯ずつ飲んで帰る。Sさん、Aさん来店。Kさん来店。Oさん3名様で来店。Sさん来店。初めてのお客さまSさん2名様で来店。
営業終了後、Oさんと「エムズバー」におじゃまする。



本田雅和氏と野中広務氏
2月23日水曜日晴○

 本田雅和氏と野中広務氏との共通点とは何であろうか。
私は、我が国を解体してしまいたいというか、日本という国家に対して憎しみさへ感じられるお二人の行動が一番の共通点だとおもいます。
本田氏は、私が2月5日の日記にも書きましたように、国会議員への在日南朝鮮人の圧力団体のひとつである民団と一緒に国会議員への抗議にも同行し、「民団との関係は」という議員秘書の方の質問に対して何ら答える事ができなかったようです。 

本田氏は
「70年代後半の大学時代、学生新聞をつくっていた私は、自分の属する新聞会と女性解放研究会の共催で開かれた『日韓人民連帯の夕べ』で、ソウルから帰国したばかりの猪狩彰特派員といっしょに講演にやってきた松井やよりを初めて見た。かっこよかった」
(『女性・戦争・人権]第6号に掲載された「私に『夢』を語り続ける『松井やより』」という本田氏の松井氏への追悼文より)
と学生時代から朝鮮と関わりを持ってきたようです。
それは、本田氏は京都市南区東九条と野中氏は京都府園部と出身地は厳密には違うが、その生い立ちに共通するものが何かあるのでしょうか。
(野中氏の事務所は東九条にあるそうです)

今日は月2回ある河岸の休み。午後よりスポーツセンターにいく。
ケイザブロウさん来店。初めてのお客さまYさん2名様で来店。


金子哲夫というバカ
2月22日火曜日晴れ ×

 下記の文章を書いた時にこの人は国会議員でした。
以下引用
私は、日本を侵略する国は無いと思っていますが、それでも仮にあったらどうするのかと重ねて問われれば、
武力で抵抗するよりも、非武装で殺されることになれば、その道を選びますと言いたいと思います。

非暴力による抵抗によって失われる命と、自衛隊が本気になって抵抗したとき失われる命と、どちらが多いか。日本人の生命と財産を守るといっていますが、ひとたび戦争になり、戦力によって防衛しようとすれば、どれだけの被害が生じるかと言いたい。
引用終わり
http://kaneko.lilac.cc/database/db_public03.html
金子哲夫のホームページより

 もう一度書きます。この人は国会議員の時にこのような文章を自分のホームページに書いていたのです。
国民を守る事が第一のはずの国会議員が、日本を侵略する国があったら、武力で抵抗するより、非武装で殺された方がいいと言っているのです。
このような人が国会議員をやっていたのです。
当然属していたのは売国奴の集まりである社会党、今の社民党の異常さがよくわかります。(あの売国奴の岡崎トミ子も元は社会党でした。沈む船からネズミのように逃げ出して、何でもありの民主党に逃げ込んで、売国奴としての活動を一生懸命やっているのです)
そしてこの金子氏は、下記のように我が国国民のためではなく、あの犯罪組織の朝鮮総連のために一生懸命になって働いています。

以下引用
 総聯組織に対する不当な政治弾圧を断罪、糾弾する在日本朝鮮人中央大会(5日・東京朝鮮文化会館)の決定に沿って、総聯中央v猯皰詆議長を責任者に総聯東京都本部、同西東京本部、在日本朝鮮人人権協会代表らで構成される抗議団が7日、日本・警察庁を訪れ厳重に抗議した。
 
社会民主党副党首の渕上貞夫参議院議員、金子哲夫衆議院議員が同行した。
 略)
 抗議団は、警察当局に次のように要求した。
 1、警察当局は総聯に対する強制的な家宅捜索の過ちを認め、公式に謝罪せよ。

 1、警察当局は不当に連行、逮捕した総聯中央元財政局長ら逮捕者を即時釈放せよ。
 1、警察当局は、総聯と在日同胞を治安対象にしていることを是正し、2度とこのような過ちを犯してはならない。
http://210.145.168.243/sinboj/sinboj2001/12/1212/82.htm

在日本朝鮮人中央大会  総聯に対する政治弾圧を糾弾
不当な逮捕と強制捜索即時中止求める
 総聯組織に対する不当な政治弾圧を断罪、糾弾する在日朝鮮人中央大会が5日、東京・北区の東京朝鮮文化会館で開かれ、総聯中央の徐籟述 議長、許宗籟責任副議長をはじめとした関東地方の総聯活動家と同胞、学生らが参加した。
 略)
続いr□在日朝鮮人の民族権利を守る弁護団」団長の床井茂弁護士、金子哲夫衆院議員(社民)があいさつした。床井弁護士は、今回の逮 捕と強制捜索はやはり不当であり、人権侵害、政治弾圧と言わざるをえないと指摘した。また
金子議員は、捜査の名を借りた人権侵害、民 族差別は許せないと深い憂慮を表明した
http://210.145.168.243/sinboj/sinboj2001/12/1207/81.htm

犯罪組織の朝鮮総連らしいウソをならべていますが、それに一生懸命協力していたのが金子哲夫であり社会党だったのです。

 日本人だったらこのくらい一生懸命、北朝鮮に拉致された日本人の方々のために働いてほしいものです。

 この人は落選しましたが、まだまだ、我が国が崩壊したほうがいいと思っているとしか考えられない売国議員は多くいます。

 カレラさん大勢様で来店。ゴジラ大好きというSさん3名様で来店。Sさん来店。アンコウ鍋でドンチャン。仙台のIさん来店。一名様来店。Tさん来店。ホロン部員Yさん来店。Hさん来店。
今日はどういうわけか大忙し。途中から洗い物が嫌になり飲む。

禁煙
2月21日月曜日晴れ ×

 「タバコ規制枠組み条約」とかいうのが2月28日発効」するそうです。
いまや、あの葉巻きの生産地で成人の喫煙率が半数以上であるキューバでもレストラン、バーを含む公共施設や交通機関での喫煙が禁じられました。
アメリカのカリフォルニア州は公の場所での喫煙を州法で禁じています。しかし、アメリカは昨年の5月10日、タバコ規制枠組条約(FCTC)に署名したにとどまり、批准を拒否しています。
http://www.who.int/tobacco/framework/countrylist/en/
これは、アメリカが世界一のタバコ企業であるPhilip Morrisをかばっていると言われても仕方ありません。同じ事が世界2位のタバコ企業BAT(British American Tobacco)を抱えるイギリスにもいえます。

 当店のURAホームページの掲示板への投稿で知りましたが、古館プロジェクトとかいう中の後藤和夫という人の文章で「新しいファシズム」とかいう文章も笑わせてくれます。
http://www.furutachi-project.co.jp/sakka/got/
以下引用
今世界中に新しいファシズムが吹き荒れている,修譴蓮◆愀煙・禁煙ファシズム』だ。ファシズムとは、理不尽な全体主義、人間の基本的な人権を蹂躙するものだ
略)
そも、煙草は何か? 嗜好品である々畤紊好きとか、コーヒーよりも紅茶が好きとか、ピアスが好きとか、の嗜好品である ,匹林蝋ド覆魄Δ垢襪は、基本的人権である
いわれなき『禁煙』の強要は、すなわち嗜好品を禁じること、これすなわち、基本的人権の侵害、更にすなわち、憲法違反である^磴い泙垢? 基本的人権を無視すること、これをファシズムと人は言う
略)
私はファシズムとは戦う人間です

引用終わり

 この人は、では、吸いたくない人の基本的人権は犯してもいいと思っているのでしょうか。
アホ過ぎます。
この人は他にも、面白い事、アホな事を山ほど書いていますので、お読みになる事をお薦めいたします。ただし、笑い過ぎてお腹が痛くなったとしても、謝罪はいたしますが、賠償はいたしません。
特に「北朝鮮を擁護する」と「平城ドボン」はお薦めです。
 
 川津さん御夫妻、大台さん4名様で来店。アンコウ鍋でドンチャン。高校時代の恩師である美輪先生来店。今年も青梅マラソンに出場されたそうです。
お客さま2名様来店。「カウンター禁煙になったんだ。たばこ吸わなくなったらまた来るね」とお帰りになる。
今日は美輪先生と飲む。

朴 鉄柱
2月20日日曜日雨 ○ S

朴 鉄柱 氏について追記しましたので、改めて氏の事を掲載させていただきます。

朴 鉄柱

( 大正11年 韓国 釜山生まれ 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)
大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。住吉神社に奉職。
終戦後、韓国に帰国。李承晩大統領の反日政権下にあり、辛酸を嘗めさせられる。
(日本の学校を出た者は「民族反逆者裁判条例」に引っ掛かり追放)
朝鮮動乱をへて、昭和29年5月に「日本文科研究所」を設立。
研究主題は
1、日本上代文化の研究
2、帰化文化の研究
3、日本の信仰、道徳等精神文化の研究
同じころの我が国が、敗戦により自国文化の否定、罵倒する言論がまかり通っていたのとは対照的です。
その後、「日本と韓国」(韓国と日本ではない)という著書を南朝鮮で出版しましたが、「反共法」にひっかかり、朴氏は裁判にかけられ、三年半の刑が言い渡されました。著書もすべて没収、焼却されてしまいました。
この著書は三分の二が日本への言及であり、日韓の恒久的安定が説かれていました。

 出獄後もKCIAからの査察を受け、投獄の憂き目をみましたが、「日本文化研究所」を「韓日文化研究協会」と変えて続けました。
資金はなく、赤貧洗うがごときだったそうです。
名越二荒之助氏が昭和42年に学生たち7人と訪韓した時に、「韓日文化研究協会」を訪ねた時に、荒廃して目も当てられぬぐらいの研究協会の建物を指差しながら、「これで松下村塾なみになりました」とカラカラと笑ったそうです。
(しっかし、松下村塾ぐらい一発で変換できてほしい)
その時に名越氏に朴氏が語った言葉が名越氏の著書に記されています。
長くなりますがそのまま引用させていただきます。

以下引用
「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、 九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室(御をつけられる)戴き、歴史に断絶 がない。日本固有の神道が、現在にいたるまで相続されており、国家全体が調和された形で形成されている。”八校為宇”という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的に世界に知らせる必要がある。
 それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくしてみることはできない。暗い場所から見れば、明るい所は余計にはっきりと判る。韓国は日本文化の豊かさの中から学ぶことによって、内面的支柱を確立するよう努力したい」

「韓国の檀君神話といっても、あれは高麗時代、モンゴルの支配下に置かれた時、まとめたもので、高麗神話の性格が強い。
ほかに新羅や百済や駕洛にも神話がある。韓国は、日本のように統一した一つの神話になっていない。日本神話は、ギリシャやユダヤの神話に較べて明るく、ロマンの香りが高く親しみやすい。それに日本神話は檀君神話より400年も前にまとめられた。私が日本神話に内面的親しみを感ずるのは、日韓は同祖だと信ずるからである。それは民俗学的な立場からも立証できる。韓国は古来から祖先信仰と自然崇拝の念が強く、山神霊廟があり、それらをまつるために、『鳥居』や『しめなわ』『ヒモロギ』を使ってきた。それに日韓両国には、『白衣』の思想があった(これらは中国にはない)
 日本の神職は 、神に近づく時には白衣を着る。韓国民も霊廟に参拝する時には白衣を着るのが礼儀となっている。まず自らの身を浄める訳である」
「第二次大戦後の日韓関係は、李承晩政権の影響もあって、共産主義以上に日本を憎む傾向があった。そのため日韓にの氷山の一角を誇大に強調して、隠された部分を見落としていた。お互いの精神的歴史的豊かさを掘り起こす努力をしようではないか。そのために日本は自信を取り戻して、おおらかに民族形成の原点に立ち返ってほしい」

「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から 仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組ん だ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートを つきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、 戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。
 日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけで なく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーーこの二つの捨身の戦争が歴史を 転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることは ない」
 「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を 持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に 勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツ の戦争論である。日本は戦争に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、 日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたと いうが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰って こないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象と なるのである。」

時に昭和42年、朴氏四十五歳の時の言葉だそうです。

 その後、朴氏は肺がんに犯された体に鞭打って、亡くなる一年前の平成元年一月に先帝陛下の御大喪のさいに来日したそうで、朴氏から兄と慕われた中村武彦氏の文章より朴氏のお人柄を偲べます。

<平成元年一月、先帝陛下の崩御の直後に重い足をひきずって彼は東京にやってきた。
 先ず二重橋の砂利の上にひざまづいて、長い間頭を上げなかった。御大喪の日には、雨の中を早朝から皇居前の堵列に加わり、御見送り申し上げた。名も無き一韓国人が、瀕死の身を似て氷雨に濡れながら、泣いて先帝陛下にお別れしたその悲しい真心を、御神霊は必ずや御嘉納になったであろう。>


以上黄色の文字はそのまま引用させていただきました。
日韓共鳴二千年史P602〜609名越二荒之助編著 明成社より

 昨日のドンチャンの片付けを終えて、スポーツセンターにいく。その後は、飲まずに部屋に帰る。

ドンチャン
2月19日土曜日雨 寒〜い ×××× 弾ける!

 Oさん来店。Hさん2名様で来店。Kさん4名様で来店。マルガリータさんSさん来店。静岡からTさんSさん来店。名古屋の「
まほらま」のマスターの尾崎氏2名様で来店。ホセさん2名様で来店。初めてのお客さま2名様来店。
でっ、久しぶりに飲みました。
最初に、「大英勇」の小林社長が贈ってくださった大英勇30年古酒をいただく。少k聳濘Г靴拭⊇論香のする古酒です。30年ものなどここしばらく飲んだ事が無かったので、楽しめました。一緒に開けた「綾菊1981」も大吟醸古酒として楽しめました。
その後は、磯自慢、初亀、東一、美丈夫、松の司、喜正、いそのさわ、赤ワインといつもどおりに飲みまくり、皆さんと朝までドンチャン。
サル・・・・・・


インドネシア独立と日本人
2月18日金曜日曇りのちみぞれ 寒〜い ○ 19日め!!!!

 今日、河岸の帰りに、地下鉄で神谷町駅にいく。神谷町駅より歩いてすぐのところにある青松寺は、文明8年(1476)に太田道灌が現在の平河町あたりの貝塚に雲岡という僧を迎えるため,増上寺の隣に建てたという曹洞宗の寺だそうで、江戸曹洞3ヶ寺の一つということです。
 愛宕グリーンヒルズフォレストタワーとかいうバカでかいビルが2つ建っています。その間に青松寺があり、森ビルによってのこの大きなビル開発で随分とお金が入ったのか、立派なそれでいて全然有り難みの感じられない山門が建っています、その山門をはいって、右の方に歩いていくと、気をつけていないと通り過ぎてしまうようなところにその碑は建てられています。

 その碑とは、昭和33年に建てられたという市来龍夫、吉住留五郎の両氏の名前の刻まれたスカルノインドネシア大統領の直筆の顕彰碑です。


スカルノ大統領の碑文の日本語訳として

市来龍夫君と
吉住留五郎君へ
独立は一民族 の
ものならず
全人類のものなり
1958年8月15日
東京にて スカルノ


この碑は西嶋茂忠氏の奔走により実現したものです。
碑の裏面には作家の富沢有為男氏がお二人の事を記されています。市来氏は1906年(明治39年)熊本県生まれ、1936年からジャカルタの日蘭商業新聞に勤務。吉住氏は1911年(明治44年)山形県井岡出身、昭和5年に旧鶴岡中学校を卒業後インドネシアに渡り、日蘭商業新聞で市来と知り合う。戦前より現地で新聞記者として活躍していたお二人を、蘭領東インド政府(オランダの植民地政府)は目障りなために、逮捕、投獄後に日本に追放されました。大東亜戦争が始まり市来氏は陸軍の宣伝班員としてジャワ派遣軍に加わった。吉住氏は、1944年から海軍武官府で民族主義運動工作に従事。我が国の敗戦のちもインドネシアに留まり、独立軍の軍事参謀指揮官として活躍しました。吉住氏は一個師団の軍隊を率いてオランダ軍に対して結核で血を吐きながら山中を転戦して戦いましたが、昭和23年7月ゲデリ州セゴンの山中にて力つきて病没。
市来氏は昭和24年1月マランのサトウキビ畑でオランダ軍と攻防をくり返した時に、頭部を打ち抜かれて戦死。
インドネシアの独立を夢見て、独立軍にとして戦った我が国の将兵は約2000名といわれています。そのうちの数多くの方々は、インドネシアの独立を見る事なくオランダ軍との戦闘で戦死されました。市来、吉住のお二人の御霊も、多くの元日本軍将兵とともに、独立の英雄として、インドネシアの英雄墓地に眠っています。
 

インドネシア独立宣言
われわれインドネシア民族は、
ここにインドネシアの独立を宣言する。
権力の移行、
その他に関する事項は適当、
かつ迅速に処理される
 17・8・05


(有名な話ですが、05とは皇紀2605年のことです)

独立宣言に関わった四人の日本人
前田精海軍少将
吉住留五郎氏新聞記者
三好俊吉郎氏陸軍司令官通訳
西嶋茂忠氏 海軍嘱託

インドネシア側
スカルノ
ハッタス
スバルジョ
その他50人ほどの青年グループが周囲を取り囲む。


 西嶋氏は「独立宣言の中で一番問題になったのは、インドネシアが使った”権力の奪取”という言葉です。敗れたとはいえ日本にとっては聞き捨てならぬ表現ということになります」
といい、最後に”権力の移行”という表現で折り合いがついたときは、日本側もインドネシア側も疲れきっていたという。
日本人の参加が自他ともに明らかになったのは、戦後40年を記念して、BBCが記念番組を製作した時からである。西嶋氏が当時の事をつぶさに述べ、インドネシア側も活字にして報道した。
 多くのインドネシアの人々だけではなく、一部の日本人がどういうわけか隠そうとして、「その時は別室でいた」などといっていますが、日本人の参加という事実は、インドネシアより1948年に帰国していた西嶋氏にあてた初代インドネシア外相のスバルジョよりのつぎの手紙の内容によっても明らかです。
「インドネシア独立宣言の達成に際し、真摯かつ誠実にわれわれを援助してくれた日本の友人がいたことを、私は死ぬまで忘れるものではありません。
しかし、重要な事件の裏に、一般にはしられていない幾つかの事実がかくされているのは、世界史においてよくある話です。
アメリカ合衆国の独立宣言も、トーマス・ジェファーソンが書いたわけではなく『人間の権利』な哲学書をあらわしたトーマス・ペインが書いた事が最近明らかになっています。百五十年たって、事実が明らかになったわけです」

 インドネシアの独立宣言文に日本人が立ち会い、宣言の年号に神武天皇即位を起点とする皇紀が使われたことは間違い無く、インドネシア人民にとっても恥じでも汚点でもない、歴史の流れの中できわめて自然ななりゆきであったと思われる。
「南の祖国に生きて」上坂冬子著 

Wさん来店。Kさん来店。ナベちゃん来店。ホロン部員Yさん来店。TさんIさん来店。

モルジブ(モルディブ)
2月17日木曜日晴れ ○ 18日め!!!!

 地球温暖化防止のための京都議定書は16日発効しましたが、その京都議定書には最大の二酸化炭素排出国である米国が参加していません。それに比べて我が国は厳しすぎるノルマを課されています。温暖化による海面上昇で水没の危機があるとされる島国モルディブでは、国を挙げて京都議定書発効を待ち望んでいます。
 インド洋の宝石と称されるモルディブはほとんどの地域が海抜1メートル程度のこの国は、昨年12月のインド洋大津波の際は、国土の約4割が冠水したとされています。一番おおきな島である首都のマレは70%が海水に浸かるという大きな被害を受けながら、奇跡的に死者はありませんでした。
これには我が国よりの20年前からのODAによるテトラポットなどの消波ブロックなどの沿岸工事が波のエネルギーを分散させた結果です。
建設には大成建設が施工したそうです。
このことにより、元々親日的な国民性だそうですが、日本のODAをモルジブの国民のみなさんは感謝してくれているそうです。
6兆円以上の援助をもらいながら、感謝もしない支那とは大きな違いです。

下記はすっかりインターネットでは有名になりましたが、そのモルジブの様子を伝える毎日新聞の記事です。
以下引用
【マレ(モルディブ)福本容子】
「日本の支援がなかったら、マレはなくなっていただろう」−−。
モルディブの人口の約3分の1が住む首都マレでは、日本からの公的支援で建設された防波壁が、島を津波の大惨事から守ってくれたとの見方が広がっている。
海抜1メートル程度しかない約1200の島々から成る同国は地球温暖化の進行で国全体が沈みかねないとの不安を抱え、常に海面上昇への恐怖と隣り合わせで生きてきたが、88年以降、進めてきた首都の護岸工事が壊滅的な被害を回避するのに貢献したと、島民は口々に語った。
災害対策本部の置かれたマレ市のイスカンダール小学校校庭でボランティア活動を指揮する元オリンピックマラソン選手のフセイン・ハリームさん(35)。
彼になぜマレは3分の2が冠水しながらも死者が出なかったのだろうと尋ねた。
するとすぐに答えが返ってきた。
「10年以上かけて作った防波壁が大いに助けになった。日本の援助のおかげだと聞いている」
その防波壁を見たくて市南部の海岸まで案内してもらった
タクシー運転手のアハメド・シャフィールさん(30)も「日本が作ってくれたあの壁がなかったら今ごろマレはもうない」と語り、「助けてくれた日本人からこんな時に金を受け取るわけにはいかない」と決して料金を言ってくれなかった。
大統領府によると、日本はモルディブ最大の援助供与国で13年をかけた
防波壁工事の費用6600万ドルの主要部分を日本の援助が支えたという。
南部の海岸通りには、「日本とモルディブの友好のため日本政府が提供した支援で作られた」と消波ブロックに記した記念碑が海に向かって建っていた。毎日新聞 2004年12月28日


※モルジブODA「第四次マレ島護岸建設計画」資料

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/anken/gaiyou/odaproject/asia/maldives/contents_01.html#m011201
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/anken/zyoukyou/h_13/010619_1.html


 ODAはこのように有効に使ってほしいものです。
 Hさん、Fさん、Aさん、Fさん、Iさん来店。

金ちゃんのお誕生日
2月16日水曜日雨 ○S 17日め!!!

今日は河岸が休みだったので、午後よりスポーツセンターにいく。上がるウエイトはまだまだ元に戻らず、年末に不精してさぼっていたツケをまだ払っています。
 今日は、北朝鮮の金ちゃんのお誕生日だそうで、あの売国奴としか言い様のない岡崎トメ子いやトミ子の誕生日でもあります。
本日初めて来店いただいたカップルの方来店。女性の方のお誕生日だそうで、「将軍様と同じ日ですね」という話になり、「でも、高倉健さんも同じ日なんですよ」と教えていただきました。
(しみずさん、よかったですね??????何がという突っ込みはひらに御容赦)
Y岡さん来店。
 高倉健さんというと、私がメキシコから帰ってきて間も無い頃に、渋谷の店で働いていた時に、お客さまからその人なりを伺った事があります。
その方は、映画などの大道具の仕事をされている方で、その時はNHKの仕事をされていましたが、映画の仕事で高倉健さんと一緒に仕事する機会があったそうです。
私が「今まで仕事をしていて、一番良かった方はだれですか」とお尋ねしたところ「男優さんだったら高倉健さん、女優さんだとジュディ・オングさん」ということでした。「じゃあ、二度と一緒に仕事したく無い人は」「池上季実子」と即答でした。
 高倉健さんは数々のエピソードがあるそうですが、私がその大道具の方から伺った話は、本人はお酒を全く飲まないので、ロケに行くと必ずお酒もコーヒーも飲ませてくれるお店を探すのだそうです。そこに、スタッフを連れていき、スタッフはお酒を、御本人はコーヒーを飲んでいるのだそうです。そして、代金はすべて高倉健さんが払われるのだそうです。
 あるとき、ロケに子役の子どもも来ていて、その子もその日のロケが終わった時に、皆さんと一緒に店にいたそうです。その店はカラオケもあるのですが、高倉健が来ているというので、他のお客さんは誰も歌っていなかったそうです。その子役の子が「健さん唐獅子牡丹歌ってよ」と言ったら、高倉健さんはそこの店主に「すみません、マイクを貸してください」といったそうです。
え〜話やないですか。

朝鮮総連御用学者
2月15日火曜日 晴れ 16日め!!!

 まず下記の文章を見ていただきたい。
あの日本人拉致に協力したりして公安からもマークされている犯罪者集団の朝鮮総連の機関誌朝鮮新報の記事である。
朝鮮新報 朝鮮総連機関紙
http://210.145.168.243/sinboj/sinboj2001/3/0316/61.htm
「つくる会」の歴史ねつ造教科書
この
<なぜ「物語」を作るのか>などと、
金日成が孫悟空になっている教科書を堂々と教えているようなお茶目な嘘つき朝鮮人に言われたくは無いです。
宮台真司・東京都立大助教授(社会システム理論)と、日本の近代化・ナショナリズム研究で知られる小熊英二・慶應大助教授(歴史社会学)のお二人のようですが、このお二人ともさすがは朝鮮総連の片棒を担ぐだけあって受け狙いでしょうか、お笑いどころ満載です。
まずお二人の言い分を見ていますと、
宮台真司(東京都立大助教授)は<滑稽で恥ずかしい>と題した文章ですが、
 
何よりも駄目な日本という自覚り¬声0歐薫瞥茲われわれが1度もしたことがないということが何よりの問題o沚_鵤新しい歴史教科書をつくる芽Bの教科書検定申請問題wCそのことを何よりも照らし出してくれていょ@

 1991年にバブルが崩壊kCとくに97年以降ど垓靴急速に深刻化していくなかsC政・官ばかりか民までどこもかしこも腐っていr何よりも駄目な日本であることe∪菴奮胴颪篌辺のアジア諸国の目にも明らかになりつつあょ@

 △弔る芽BのこっけいさwCその駄目さを直視せl∧いけすためuC日本がいまだuA精神的に一体化するに足る共同走,任△襪のような幻想を振りまこうとkCその幻想を支えるたもCアジア諸国をダシにした架空v物悟,鮑遒辰討い襪箸海蹐砲△@悪いのは左翼と戦後民主主義o。自虐史釜Bに責任転嫁kC日本はすごa,噺愨臾兪曚鯔弔蕕泙擦襪裡C本当にこっけいで恥ずかしa

略)
 
徹底的に駄目o,伴覚するには勇気がいょ@そうした勇気を発揮して初めr⊆分たちe何がでfC何ができない存在なのeCはっきり分かょ@その時こnC△弔る芽B的な気休めの幻想にすがらずuC必要不可欠なプログラムを樹立するチャンスが訪れょ@
 
 以上の「とにかく日本はだめだ」と言っているだけの文章で、この宮台という人がなにを言いたいのか、「つくる会」の教科書が何処がいけないのか。間違っていのか判る方はいらっしゃるでしょうか。
この人はこうも書いています。

 
日本は明治維新娯C急速な近代化を成し遂げるために集合的なナショナリティを醸成kCかつてなかっoA国家のたもBといった動機づけで人々を近代化に向けて動員しようとしo@そのためuC近代天皇制が徹底的に利用されo@これは日本だけでなく旧枢軸国圏い弔泙蠍緘近代化国の統治権力が急速な近代化を果たすために利用しoAファシズムと呼ばれる国民化戦略o沒{はこれによってイタリアやドイツなどと同様ぢ紳腓弊功を収めo@

 一応助教授といわれるこの人は、「独裁者」といわれる人間が我が国にいたといっているのです。
阿呆過ぎます。こんな阿呆に教えてもらう学生が可哀想です。
そういえば、大東亜戦争終戦時には無かった国のあの支那政府も「ファシズム勝利60周年」とかアホな事を言っていました。こういうところは小中華である南朝鮮の内部抗争にあけくれただけで終わってしまったくせに、激しい独立運動により我が国から独立を勝ち取ったといっている「自称独立派」といわれている人間達とおなじです。
まあ、アホさ加減では小熊英二慶應大助教授も負けてはいません。
以下引用
 
「つくる会」の歴史教科書を読んで感じたのは、まず、その卑屈さだ。基準が、彼らが「左翼」だと思っているもの(実際には幻想だが)にあって、それに対する反論、弁明が多い。もう1つの基準は欧米で、やはりそれに対する反発が続く。その意味で、彼らの方がむしろ「自虐的」だ。

 当然のことながらアジア諸国の反発を招いている侵略正当化の一連の記述は、先に述べた構造の中におけるアジア諸国の位置づけからくるもので、近代以降の日本のアジア観の傾向がよく表れている。それは、そもそも欧米との関係が先でアジア諸国は後。都合よく利用はするものの、ろくに知識もない、本当は関心すらないというものだ。

この人の言うアジア諸国とは、支那、南北朝鮮のバカ極東三国だけのようで、それはこの文に続く文章を見ても明らかです。

 
記述は、日本という国を欧米の基準で近代国家として認めてもらいたいがために、中国と朝鮮、そして日本の歴史はこうあって欲しいという願望、こうあったはずだという憶断が多い。植民地支配を正当化しているからよくないというレベルの問題以上に、自分が作りたい物語のために他のアジア諸国を材料に使う姿勢が気になった。

 アジア諸国といいながら、支那、南北朝鮮だけに気を使えと言っているのです。

このバカ学者二人に言いたい。
我が国の教科書に文句いうのであれば、支那、南北朝鮮がどんなひどい大ウソの偏向教科書を使って教えているのかいって欲しいものです。

 Hさん三名様で来店。大台さん来店。「秋月りすのマンガが好き」と言ったら、大台さんから「人に言わない方がいいですよ」と言われたけど、どうしてでしょう・・・・初めてのお客さま二名様で来店。外国のお客さまは今度の青梅マラソンに出場されるそうです。

そういや〜ホロン部員Yさんからは、先週いらしてくださった時に「そろそろ賭けの対象ですね」と言われたし、大台さんからは今日、「関東大震災ですか」と言われる・・・・・


朝鮮人と特攻
2月14日月曜日晴れ

 大東亜戦争において、当時は日本であった朝鮮、台湾などの多くの方が日本人として戦い、散華されました。
その中には特別攻撃隊要員つまり特攻隊員として出撃、散華された方々もいらっしゃいます。
現在、判明している方々とエピソードです。

 ただ、特攻隊員として散華された方の御家族は、お気のどくなことに、戦後、南北朝鮮にて冷たい目でみられています。特攻という作戦についての是非はいろいろと問われてしかるべきものと思いますが、その時代に国を守るために(当然、その時代は朝鮮も日本でした)、愛する家族、恋人を守るために、敵の艦船、飛行機などに我が身を顧みる事なく戦うという崇高な行為は、一般人をも巻き込み犠牲とする無差別テロ等と違い、民族、国境を超えて感銘を与えるものです。
 この方がたは日本の英雄であるとともに、朝鮮民族の偉大な英雄です。
現在、残念ながら、詳しい事が不明の方も多いです。

 金尚弼きんしょうひつ(結城尚弼)
大正9年平安南道生まれ(現在は北朝鮮)
昭和18年7月私立延禧専門学校卒業(京城)
9月大刀洗陸軍飛行学校隈之庄分校 特別操縦見習士官一期生として私立延禧専門学校初の合格者となる。
操縦は同期でトップ、柔道三段、剣道は突きが得意
のちに満州・綏中第23教育飛行隊配属
その後、満州敦化飛行隊配属、
昭和20年2月11日満州新京で編成された特攻隊に志願。
昭和20年4月3日 宮崎県新田原基地より第5編隊長として沖縄西方洋上に出撃 戦死 24歳 2階級特進で大尉

 卓庚芍たくこうげん(光山文博)
大正9年慶尚南道生まれ
立命館中学、京都薬学専門学校(現京都薬科大学)
大刀洗陸軍飛行学校分教所(知覧) 特別操縦見習士官一期生
昭和20年5月11日大51振武隊 第7次航空総攻撃として沖縄西海方面に陸軍戦闘機 隼にて出撃 戦死 24歳 2階級特進 大尉

 辞世 たらちねの母のみとぞ偲ばるる弥生の空の朝霞かな

卓庚芍少尉は知覧の特攻隊員の多くを見送った鳥浜トメさんの経営する富屋食堂に、出撃前夜最後の別れに訪れて、そこで「アリラン」を歌っています。
2番は歌にならずに、トメさんとその娘さん二人も手を取り合って泣いたそうです。
光山大尉の墓は故郷の慶州にあり、「日本陸軍隼大尉」と墓碑名に刻まれ、御両親といっしょに眠っているそうです。


 林長守りんちょうしゅ軍曹
少年航空兵出身
昭和19年12月7日 勤王隊 二式双襲(屠龍)にてフィリピン オルモック湾(レイテ島東海岸)出撃 
朝鮮人として最初の出撃
抜群の操縦技術を持つ林軍曹を日本に帰して少年飛行窗の育成にあたらせようとした、隊長の山本卓美中尉の説得にかかわらず、「私のたった一度の反抗です。そういう命令はきくことができません」と承知しなかったそうです。

朴東薫ぼくとうくん(大河正明)伍長
大正15年生まれ
少年飛行兵第15期生
昭和20年3月29日 誠41・扶揺隊 知覧より97式戦闘機にて沖縄方面出撃
18歳
遺書には「靖國に召されし一身如何にせん、ただ君がため」とあったそうですが、同期の同胞「金山」伍長には「内鮮一体というけど、ウソだ。日本はウソつきだ。俺は、朝鮮人の肝っ玉を見せてやる」と言い残したという。
「The Geacs Project Vol.5」大館史編による)

近藤行雄伍長
昭和19年11月25日
万朶隊 フィリピン

崔貞根 (高山昇)中尉
大正10年生まれ
昭和14年12月1日陸士第56期生として陸軍予科士官学校入学(予科士第五期生)
「俺は天皇陛下のため死ぬということはできぬ」と日本帝国軍人として戦場に赴く事に懐疑の念を持ちつつも、
 航空士官学校卒業後、飛行醍66戦隊(九十九式襲撃機部隊)配属
フィリピンのレイテ作戦に参加。
昭和20年4月2日 3機の長として徳之島を離陸、沖縄周辺 敵駆逐艦に体当たり散華
二階級特進 陸軍少佐 26歳


河東繁伍長
昭和20年4月16日 第106振武隊
九十七式戦闘機にて出撃 沖縄周辺洋上

李充範 (平木義範)曹長
昭和20年4月22日 第88振武隊

木村衰‰伍長
昭和20年4月28日 第77振武隊
九十七式戦闘機にて出撃 沖縄周辺洋上

広岡賢哉伍長
昭和20年5月11日 第431振武隊
九十七式戦闘機にて出撃 沖縄周辺洋上

金田光永伍長
昭和20年5月27日 第431振武隊
九十七式戦闘機にて出撃 沖縄周辺洋上

石橋志郎少尉
昭和20年5月29日 飛行第30戦隊

韓鼎実 (清原鼎実)伍長
昭和20年6月6日 第113振武隊
九十七式戦闘機にて出撃 沖縄周辺洋上

そして、廬龍患 (河田清治)少尉
京城法学専門学校
昭和20年5月29日 
二式戦闘機(屠龍キ・45)にて御前崎上空でBー29編隊長機に体当たりを敢行 撃墜
当時、全国の新聞を飾ったこの武勲の主である河田少尉が朝鮮人であることをほとんどの日本人は知らなかった。
平成14年現在河田少尉の実弟は水原市に住まわれている。

我が国は、特攻隊員の場合は二階級特進の栄誉をもって応えた。


           日韓共鳴二千年史 名越二荒之助編著 明成社
           特別攻撃隊 国書刊行会


 Sさん来店。
風邪気味で調子がいまいち・・・・


お休み三日目 
2月13日日曜日晴れ ○ 14日め

 今日一日ぐらい体を動かそうと思いスポーツセンターにいく予定が、結局は予定だけで終わってしまいました。
今回は
「南の祖国に生きて」上坂冬子
「帰らなかった日本兵」長洋弘
「アジアに生きる大東亜戦争」ASEANセンター編
「日本占領下 バリ島からの報告」東南アジアでの教育政策 鈴木政平
などを読む。
今回読んだ本と関係がある箇所を一部読み直した本として、
「日韓共鳴 二千年史」名越二荒之助
「台湾と日本 交流秘話」許國雄
「侵略の世界史」清水馨八郎
「黎明の世紀」深田裕介(めちゃ、字がでかい。古本市で買ってきてよかった)

 今回、読んだものの中で、興味深かったのは、昨年、古本市で見つけてきて、読む事なく部屋でついついそのままになっていた元海軍司教官の鈴木政平氏の著書であろうか。
1999年に出版されたこの本は、日本が大東亜戦争時に統治していたインドネシアに昭和17年7月より昭和19年12月に至る二年半、民政部文教課長の職にあった時の状況を、鈴木氏が内地の学兄宛の報告として書き綴ったものを、そのままの形で本にしたものでした。(旧仮名づかいなどは現代仮名づかいに改められています)
 この手の本のほとんどが、戦後、日本に帰ってきて生活が落ち着いてから書いたものがほとんどと思います。この本は著者がリアルタイム?で書き綴ったものですので、その当時のバリ島などの状況、日本の占領下における教育内容その他がわかりやすく書かれていています。

 この本が出版されるまでにはドラマがあったようです。
 1995年に元産経新聞記者の村松和男氏が入手した日本によるインドネシア統治時代の貴重な手記を、慶応大学経済学部教授の倉沢愛子氏に1994年に託した後、翌年の三月に村松氏はお亡くなりになったそうです。村松氏の行動は御自分の死期を悟られての事だったのです。
この手記を書かれた御本人の鈴木政平氏も、この本の出版を待たずに九十九歳という長寿を全うされてお亡くなりになっています。

 この本には鈴木氏がいかに小さなことまで気を配り、教育者としてインドネシアの人々と接したかが書かれていると同時に、卒業証書、教員の昇給辞令にまで税金をかけてたり、歴史という授業がなく、運動場もなく、消しゴムから白墨にいたるまで学用品使用量を異常に低く押さえていたり、女子の就学率が異常に低く、学校の新設も少ないという文盲政策をとったオランダによる愚民政策統治のひどさを学校数など具体的な数字で表しています。それに比べて、我が国はどこの統治下でもやった事ですが、官民あげて就学を奨励し、初等教育の授業料は無料とし、多言語.多民族のインドネシアにおいて当時の共通語になりつつあったムラユ語(マレー語)今はインドネシア語とよばれる言葉を教育用語として教えて、そのうえで日本語教育をしたという事が、オランダの統治時代とよく比較できます。

 日本が統治してから学校の数が増えてハングルが普及したくせに、うそつき朝鮮人がよくいう、日帝が言葉と文字を奪ったなどと言っていることが如何に戯けたことかよくわかります。

 同じインドネシア残留日本兵を題材にした上坂氏と長氏の本でしたが、残留日本兵の方々が作った「福祉友の会」の運営と二世三世への引き継ぎによる日系人がインドネシア社会にどう馴染み、発展、貢献していくかという事を主において扱った上坂氏と、インドネシア各地を訪ねてアルバム的に多くの残留日本兵を取材し紹介したジャカルタ日本人学校教員だった長氏とは著者の視点が大きく違っていましたが、どちらも貴重な資料のひとつと思います。
長氏の取材に応じられた残留日本兵の方々も取材後お亡くなりになっている方が多く、この発売時で五十年近くもたった時間の流れを感じます。

 ただ、長氏の著書で気になった事が少しあります。たとえば、戦後、インドネシア独立軍に参加して他の日本兵の方々といっしょにオランダ軍と戦い、一緒に独立軍に加わった青木政四郎曹長、長谷川勝雄軍曹とともに捕らえられて銃殺され、独立戦争の英雄として今は英雄墓地に眠っている、有名な元軍属の梁川七星氏(朝鮮名 梁七星)の遺児エディ・ヤナガワ氏が紹介されていました。私は梁川七星氏に遺児がいるのをこの長氏の本で初めて知りました。その発言内容の中で、自由意志にて応募してきた軍属を「軍属として強制的に日本軍にインドネシアまで連れてこられた」という息子さんの言葉を訂正させずに掲載しています。
(普通だと、「朝鮮半島に徴用令が施行されたのは1944年です。それ以前に、ましてや軍属で強制的に連れてこられる事等ありえないから、あなたのお父さんは自由意志で応募してきたはずですよ」「日本軍からお給料も出ていたはずです」「強制的に連れてこられたのであれば、終戦後すぐに帰国するはずですよね」と具体的に諭してあげるのが普通だとおもうのですが・・・)

 名越氏の著書によると、平成七年3月11日付の産経新聞に梁川七星氏の墓碑名の変更要求運動が紹介されたそうです。[JAPAN YANAGAWA SICHISEI]と刻まれている英雄墓地の墓碑名が、韓国から改めろという運動がおこり、1995年には「奪われた国籍と名前の回復を!」「誇るべき大韓民国の栄光・梁七星!」という声に満ちた市民集会まで開かれたそうです。
 当時は日本人だった梁川氏は、日本人としてインドネシアのために戦い、死んでいったのですから、今の墓碑名は間違ってはいないと思います。
何でも文句をつけてくる民族・・・・・
あと、長氏はこれまた有名なインドネシアの独立宣言文の日付け「17・8・05」という皇紀ではなく「1945・8・17」と西暦っぽく、書いているのはうっかり、それともわざと皇紀になっているその謂れを説明したくなかった・・・・・


朝鮮人戦時売春婦の強い味方
2月12日土曜日 晴れ ○ 13日め

 我が国にはウソを言ってまで、国を売る事に生き甲斐を感じているひとが多くいます。
典型的な一人は高木健一弁護士でしょう。
高木弁護士は「日本の戦後責任をはっきりさせる会」
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/hakkiri-kai.main.htmlなどで活躍?されている反日利権屋と言われている有名人です。つまり、売国奴として飯を食っている人です。
しかし、朝鮮人がよくやるリレーハンストって、とても日本人には思い付かない事です。こんなこと日本にわざわざ来てやっていたのですね。
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/01.8.yasukuni.html
アホらし!
まあ、反日だったらなんにでも首を突っ込み飯の種にしている人です。
慰霊碑
http://www.onekoreanews.net/20040204/syakai20040204003.htm

高木健一弁護士については、御来店頂き、お会いした事のある松尾光太郎氏がホームページにて
http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/newpage2.htmその著書の批判をされています。ぜひごらんください。http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/E/E28.htm  インターネットで下記のような記事がありました。

■インドネシアに現れた日本人弁護士たち■

 平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人が インドネシアにやってきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦は名乗り出て欲しい」という 内容の広告を出した。(「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎)
?
 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の高木健一弁護士の指示を受け」、 慰安婦登録を始めた。会長は取材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百万円払え」と 怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もらえると宣伝している模様であった、と言う。
インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが 元慰安婦として名乗りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IANFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、 英字紙「インドネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。

「ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦がいたというのか。
 どうしてインドネシアのよいところを映さない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。
 我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。「お金をくれ」などとは、 360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない」

 この番組の予告が、日本共産党の機関紙「赤旗」に出ていたことから、インドネシア政府は、 慰安婦問題の動きが、共産党により、両国の友好関係を破壊する目的で行われていると判断したようだ。

 
スエノ社会大臣が、すぐにマスコミ関係者を集め、次の見解を明らかにした。

1) インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはない。

2) しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをしてお金を払いたいというので、いただくが、 元慰安婦個人には渡さず、女性の福祉や保健事業のために使う。

3) 日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。

インドネシア政府の毅然たる姿勢で、高木弁護士らのたくらみは頓挫した。
この声明の後で、取材した中嶋氏は、数名のインドネシア閣僚から、次のように言われたという。

「今回の事件の発端は日本側だ。悪質きわまりない。だが、我々は日本人を取り締まることはできない。
 インドネシアの恥部ばかり報じてインドネシア民族の名誉を傷つけ、両国の友好関係を損なうような 日本人グループがいることが明白になった。あなた方日本人の手で何とかしてください」

インドネシア政府は、国民に、個人や組織の利益に躍らせられないように求めるという公表をしました.高木氏は、拉致さょ輾された元慰安婦数に、元日本兵の愛人や戦地強姦の犠牲者が含まれていることを告白しました。高木氏は、インドネシアにおいて、約100人ほどの元慰安婦が拉致さょ輾されたと訂正しています。  しかし国際社会では、事実の伝わりにくさを利用して、慰安婦問題をスキャンダルに仕立てようとする アプローチが今も展開されている。その最初は宮沢首相の訪韓直後の平成4年2月17日、 日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会で、慰安婦を人道上の罪と位置づけ、 国連の介入を求める発言をした事である。


平成8年3月にジュネーブで開かれた国連の人権委員会に提出されたクマラスワミ女史の報告書は、 家庭内暴力を主テーマにしているのに、その付属文書に「戦時の軍用性奴隷制問題に関する報告書」と題して、 半世紀以上前の日本の慰安婦問題を取り上げている。戸塚弁護士は、この時にもジュネーブで 本岡昭次参議院議員(社会党→民主党)とともに、デモやロビー活動を行っている。

報告書は、やはり吉田清治の本や、慰安婦たちの証言を取り上げている。その中で、北朝鮮在住の 元慰安婦の証言として、『仲間の一人が一日40人もサービスするのはきついと苦情を言うと、 ヤマモト中隊長は拷問したのち首を切り落とし、「肉り筵でて、食べさせろ」と命じた。』などという話が 紹介されている。この元慰安婦は、1920年に生まれ、13歳の時に一人の日本兵に拉致されたというのだが、 1933年の朝鮮は平時であり、遊郭はあったが、軍専用の慰安所はなかった。
その程度の事実確認もされていない証言が、4例紹介され、その上で日本政府に対し、被害者への補償、 犯罪者の追及と処罰を勧告している。

日本のジュネーブ外務省はこの文書に関する40頁の反論を作成し、根回し工作をしたもようだ。
西側諸国代表の間では、クマラスワミ報告書の欠陥が理解されたが、韓国、北朝鮮、中国、 フィリピンなどの関係国は立場上、強く反発した。
このような攻防の結果、人権委員会では家庭内暴力に関する本文は「賞賛する」という最高の評価を得た一方、 慰安婦に関する部分は、take note(留意する)という最低の評価であった。
(「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書,p259)


  インドネシアでは2万2千人人の女性が拉致され、騙された慰安婦だったと名乗り出ていますが、当時、インドネシア日本軍は2万人です。そりゃあ、新聞広告で名乗り出れば200万円やるといえば、現地では数十年分の年収になるわけですから名乗り出るでしょう。それ以前には、騙された拉致されたと言い出す元慰安婦は全く存在しなかったそうです。しかし、我が軍一人当り1・2人もの慰安婦ですか。至れり尽せりの心使いですな。ねつ造によるすさまじいばかりの反日活動です。
高木氏はあの同じく嘘つき日本人の『朝鮮人慰安婦と日本人』を出した吉田清二氏を巻き込んで、1982年 6月 9月、11月 「第一次樺太朝鮮人裁判」で原告側証人として、朝鮮人奴隷狩りを証言させています。
(原告代表は高木氏)

当然、その反日活動により南朝鮮政府の覚えもめでたく、勲章をもらっています。
反日活動家、売国奴高木健一の面目躍如です。
早く同じ松井やより氏のところへ行って欲しいものです。

いいお天気でしたが、食事以外はどこにも出かけずに部屋でごろごろと本を読んで終わる。
風呂は2回も入る。本を風呂場に持ち込み、指先がくしゃくしゃにふやけるまで、ぬる〜いお湯に浸る。極楽。

お休み一日目
2月11日金曜日 建国記念日 ○ 12日め

 店の片付けを終えて、部屋に帰る。
部屋に帰って、風呂に入ってから、眠たくなるまでず〜とごろごろして本を読み終わる。
やっと、ノートパソコンを買ったので、部屋でもいろいろ作業ができます。
でもインターネットはまだ・・・・・・

 ところで、年末の紅白歌合戦の視聴率過去最低とか騒いでいたNHKですが、今日の再放送でも視聴率はたいした事なく終わるだろうと・・・(またもや
法則発動で、ザマ−ミロというか、やっぱりという声もちらほら・・・)

だいたい、延々とメリハリも無いというか、長過ぎて作りようも無いあんな歌番組見る方が信じられません。

 でっ、必死こいて今度の御当地ドラマについては、地元に対しての経済効果がが、壇の浦などの史跡を抱える山口県だけで179億円と日銀下関支店が試算をまとめたそうです。(産経新聞2005年1月16日)

 その「義経」の出演者である滝沢秀明、上戸綾、石原さとみなどが学会信者というすばらしい番組だそうです。
 なにしろ、あのブタ、いやあの池田大作氏が2004年12月9日の本部幹部会で「『義経』に出ることになっている滝沢秀明、上戸綾、石原さとみは創価学会のファミリーです。みなで『義経』を見て、応援しよう」といったそうです。
そして、12月14日の聖教新聞では池田大作氏のことばとして「花の義経のごとく攻め抜け」という見出しで「義経の心意気は学会精神にも通じる」「青年部は『花の義経のごとく、勢いをもって・・」
などとわけの分からない言葉を掲載しているそうです。
義経の・・・・・難解過ぎます。

つまり今回の大河ドラマはいわゆる御当地ものという山口県とかの地方だけではなく、創価学会というカルト宗教集団に標準を合わせることにより、視聴率アップのかわりに、創価学会は宣伝にもなり信者も獲得しやすくなるというNHKと創価学会との利害の一致が今回の大河ドラマの配役にあらわれているそうです。

 創価学会とプロ野球の楽天イーグルスとの関係も週刊誌に掲載されていましたが、鬱陶しい事です。

 1月27日の聖教新聞では、ハワイ州下院議会が池田大作夫妻に顕彰状を贈ったとあり、2月9日の聖教新聞によると、あの池田大作氏夫妻がグアム全19村の「名誉村民」にとかなったとかで、最近は池田氏だけでなくその夫人もいろいろと神格化されているようです。
なんか、首領様だけでなく、その夫人の神格化をはかっている北朝鮮と同じみたいに思うのは私だけでしょうか。
ガンジー・キング・池田展ってはずかしくないのかね。
まあ、謙虚さなどとは縁遠い人ですから平気なのでしょう。

しかし、名誉欲、そして劣等感の固まりの俗物としか思えないこの人は宗教家ではないですね。

こんな人物をありがたがる連中って、アホとしか思えません。
しかし、あのやっと辞めた「エビジョンイル」がNHK
トップトーク とかいうので
「日韓国交正常化40年となる」という事と「中国の新華社通信の報道は、政府の補助を受けず、 CMもないNHKの経営を高く評価していた」というを強調し、 なおかつ「
言われなき皮芬中傷に屈することなく」とほざいていました。
その路線が、支那、朝鮮マンセーのつぎが、なりふり構わぬ創価学会べったりみたいです。


魚釣島灯台
2月10日木曜日曇り ○ S 11日め

 昨日、魚釣島に設置された灯台の保守・管理権が今日より、政府に移管されるというニュースがありました。
(まあ、共同通信だけは
魚釣島の灯台は国有財産 中国の反発は必至 という記事でしたが) 
今後、海上保安庁が他の灯台と同じく定期点検などの保守をしていくそうです。
これまで、不思議というか一部のバカ役人、政治家のために、我が国固有の領土でありながら、魚釣島に設置された灯台は正式に航路標識として政府から許可されていないため、海図には記載されていなという状態がつづいていました。
それは、逆にいえばあるはずのない場所に灯台があるという事は、海図に頼って航海するうえでは非常に危険ですらあったわけです。
今後は、灯台を航路標識法に基づく正式な「魚釣島灯台」として管理・運用を開始するそうです。 

このような当たり前の事が今まで遅れたのは、害務省の支那命の連中とか売国奴議員のためです。
 石原慎太郎都知事が著書「亡国の徒に問う」の中で「尖閣諸島 あの島を失うまい!」の章に、当時の青嵐会の国会議員が、地主である那覇在住の古賀ハナ子さんより島を売却された大宮在住の栗原一族に、島の分譲をお願いしたが、その時に栗原一族より石原氏の意思は多としながらも日本の国家権力を一切信用していないという言葉が書かれていました。
そして、続いて下記の記述が続きます。
「政府は政府で民間人による島への渡航滞在をなんのためか極端に嫌がり、二次三次と人を替えて続く渡航をあらゆる手段で妨害した。尖閣に赴くための石垣島での漁船のチャーターを石垣の海上保安庁大十一管区本部は上からの指令で漁民に警告して禁止し、それがかなわぬままある時などは食糧の枯渇した隊員たちへの援助にわれわれは、知人の会社の小型飛行機をチャーターして無許可で飛び立ち島の上空から物資の投下をしたりもした」
「亡国の徒に問う」P79より
また、この灯台を築いた「日本青年社」のホームページによってもあきらかにされています。
http://www.seinensya.org/undo/ryodo/senkakushoto/030616ayumi.htm
 新灯台を航路標識法に基づく正式な灯台として認可するよう第十一管区海上保安本部に申請書を提出。同本部も妥当なものとして受理したが、外務省がクレームをつけた。これについて事情通は「今の日中関係は非常に微妙な時期にきている。それは天安門事件の際に他の諸国は中国に対し強硬姿勢をとったのに対し、日本は「中国の内政問題」と軟弱だった。とくに外務省の中国課は“親中派”で固められていて、中国の機嫌をとり損ねてはマズイという思い入れがある」と語っている。日本青年社は外務省に厳重抗議。

 そして、報道はそのことにあまり触れてはいませんでしたが、この灯台は地方自治体が作ったのでは無く、もちろん国が作ったのではありません。この灯台は国を想う民間人有志により築かれた物だという事をわすれてはなりません。

「もっとも後になると、第三次隊が初めて作ったという最初は金属のパイプの先に電灯を取り付け持参していったバッテリーで灯を点すだけのささやかな灯台のおかげで、風をさけて島陰に避難出来た漁船たちから感謝の声がかかったりすることが続いていき、同じ日本人として当然の共感からだろう当時の管区本部長から夜個人的な電話がかかって、今回の隊員は激しい下痢のために撤退を余儀無くされたようで、今現在島には誰もおりませんかが次の手配はどうなっているのでしょうかなどといってくるようにもなった。
 尖閣に関してはいろいろの逸話があったが、最初の灯台を作った直後それを目当てに漁船が非難してきて、船上の漁師たちからこの灯りのお陰で助かったと感謝された時の感動はなかったという若い隊員の声は立場を超えて強く胸を打つ」
「亡国の徒に問う」P80より

 今さらながら、我が国の害務省の売国奴ぶりには呆れます。

 仕込みを終えてから、スポーツセンターにいく。
 Y岡さん二名様で来店。Nさん来店。へべれけさん来店。今度、購入したiBOOKの起動から例により、いろいろというかすべてやっていただく。感謝!
ハナちゃん来店。今回の魚釣島の灯台のことで、職場で祝杯をあげていたいたとかで、大ヨッパライで来店。
(ハナちゃんには今度、支那の不法船が尖閣諸島に来たら○○でもぶっぱなしてほしいものです)

9日水曜日晴れ ○ 10日め
めちゃヒマ。
遅い時間にSさん来店。Yさん来店。
 今日の北朝鮮戦を勝ってよかったです。

8日火曜日晴れ ○ 9日め
 Yさんスリランカの方など4名様で来店。このスリランカの方は以前にいらしてくださった時に、お通しのイカの塩辛を召し上がって、「酒に合いますね」とおっしゃったのはすごい。Oさん二名様で来店。ホロン部員Yさん来店。Aさん来店。Tさん来店。

当たり前
2月7日月曜日曇り ○ 8日め

 先日、小池環境相の決断で、あのオオクチバスが釣り具業界のあくどい政界への働きかけに屈せず、特定外来生物被害防止法に基づき輸入や移動などを禁じる「特定外来生物」の第1陣の指定リスト37種類に指定されました。これにより、指定種は輸入や移動などの行為が原則禁止され、違反した場合、法人は1億円以下の罰金、個人は3年以下の懲役か300万円以下の罰金という法的な処置をとることができます。
 そして、今日、 琵琶湖固有の生態系を守るため、滋賀県が、ブラックバスなどの外来魚を釣った後のリリースを禁止した「琵琶湖レジャー利用適正化条例」を巡り、バス釣りのタレント、清水国明氏ら2人が、滋賀県を相手取り、「魚釣りを自由に楽しむ権利を侵害し、違憲」として、リリース禁止の取り消しを求めた訴訟の判決が大津地裁でありました。
 結果は稲葉裁判長は、「外来種の捕食が在来種の生息数の減少という琵琶湖の生態系の変化に大きな影響を与えていることは明らか。県の判断は、十分な合理性があり、適法」と述べ原告の訴えを退けるというしごくまともなものです。

 しかし、清水らの訴えの元になっている「幸福追求権を定めた憲法に反する」っていうのは釣り人の単なるわがままだけだろう。
この清水とかいうタレントはアホ過ぎます。

 初めてのお客さま2名様来店。ケイザブロウさん叔父さんと来店。遅い時間にバンブーさん来店。バンブーさん時間?としては早い????

醜い犯行
2月6日日曜日晴れ ○ S 7日め

 あの、お母さんの前で幼児を何の理由もなしに殺害したキチガイ男。
今までも、こんなキチガイやバカガキに悲惨な殺され方をした方の身内の方の事も考えずに、どんなキチガイにも「人権」「人権」と騒ぐバカ人権屋がいます。
そんな人権屋の身内が悲惨な殺され方をしても、人権屋どもはキチガイの人権が大切だというのでしょうか。
そうだとしたらごりっぱ!というか、
アホ
我が国にも敵討ちを復活させた方がいいのじゃあないでしょうか。
その方が犯罪が減ると思いますけど・・・・・

 私も前の店があった早稲田にも、キチガイが近所にいて随分と迷惑をかけられました。(こっちに引越してきてから、そのキチガイは酒の飲み過ぎか何かで死んじまいましたが、死ぬんだったらもっと早く死んでほしかったです。周りに迷惑をかけるためだけに生まれて来たキチガイでした)
夜中に窓を開けて、道にむかって怒鳴りながら下手なギターを引いていたりするので、注意するといきなり殴ってきたりする、このキチガイは自分の事がキチガイと分かっているキチガイで、起訴猶予にはなっても起訴はされないとわかっているキチガイでした。
そのうえ近所に迷惑をかけまくっている凶暴なバカ息子を「この子は幾つになってもかわいくって」などといっているこれまたバカ親で、そんなバカというかキチガイ息子のためにすぐに弁護士をよんでいました。
そんなキチガイから殴ってこられても、殴り返してキチガイに怪我をさせると、こちらが悪くなるというおかしな事になります。キチガイに怪我をさせられても、させられ損です。

あと、
麻原などというキチガイにウン億円もの無駄金使わずに、そのお金を被害者の方々のために使ってほしいものです。

 高田馬場で開かれている古本市にて数冊購入後、新宿スポーツセンターにいく。一応一通りの種目を消化後、今日は時間がたっぷりあるので、トレーナーの金子さんにマシンの効果的な使用方法というか基本的な使用方法についてレクチャーを受ける。いかに、自分流で効果の無い無駄なやり方をしていたのか実感。


本田雅和記者と民団との関係?
2月5日土曜日晴れ ○ 6日め

 先日、当店に御来店いただいたお客さまの先輩とあの本田雅和という朝日の記者は、その先輩の京都の高校の後輩だそうで、その先輩の事務所(この方は当時は、ある国会議員の秘書を努めていた)に抗議に来た民団の連中が「あとでひとりきますから」といっていたそうで、そして、あとで入って来たのが本田記者だったそうです。

 (本田記者は高校の先輩が秘書で、議員事務所にいるとは知らなかったようで)
その時にその先輩が、本田記者に対して「民団との関係は」と聞いたところ、本田記者は答えなかったそうです。
新聞記者が個人的にどのような思想を持っていようが、どのような宗教を信じようがもちろん自由です。

 しかし、この時はいったいどのような意図で、議員事務所に抗議にいった民団の人間と行動を共にしたのでしょう。
あの売国奴の金子哲夫や渕上貞夫のように
在日朝鮮人の手先として働いて抗議にいったのでしょうか。
それとも、その時に抗議に来た民団という南朝鮮の在日団体の構成員として抗議にいったのでしょうか。この時も記者として取材に来たのであればいいのでしょうが、少なくともそうでは無いようです。
どちらにしても、少なくとも新聞記者は取材して、公平な立場から記事を書かなければいけないわけです。あくまで仮定としての話しですが、もしも、朝日新聞の記者ともあろうものが、このよう団体に属していると仮定した場合に、公平な記事を書かなければいけない新聞記者が最初から結論ありきの偏った記事になりはしないでしょうか。

 仮にですが、仮に民団という団体に属していようと、そんな些細な事は朝日新聞社としては問題ない事だというのであれば、そうなのでしょうね。私の感覚とは違いますが・・・・・

まさか、朝日(チョンイル)新聞社だから問題ないなんてことはないですよね。

でも、でも、本田氏は何しに議員事務所に民団の人たちといったのでしょう???????ふ〜む?????

 今日はめちゃヒマ。お客様はなしかなと思っていたらSさん来店。「粋」のマスター2名様で来店。


北朝鮮人権法
2月4日金曜日晴れ○5日め

 今日の産経新聞朝刊で、自民党が北朝鮮人権法案の骨子をまとめたという事が掲載されていました。
以下引用
 日本の在外公館に保護を求めてきた脱北者の保護・支援策の一環として、一定の要件を満たす脱北者に在留資格を与え、定住を支援することを打ち出しているのが柱。拉致問題の進展状況を国会へ報告することを義務づけてもいる。脱北者を支援することで、拉致解決に誠意をみせない北朝鮮の金正日総書記に「圧力」をかける狙いがある。
 略)
 《法案の骨子》
 【脱北者の保護・支援】
一、在外公館に保護を求めてきた脱北者は日本または第三国に出国させる
一、脱北者が一定の要件を満たす場合、入管法上の在留資格により受け入れ、定住を支援
 【北朝鮮の人権状況改善】
一、国際社会の取り組みに、日本も積極的な役割を果たす
一、北朝鮮の人権状況改善に向けた活動を行うNGOに財政上やその他の支援を行う
 【拉致問題の解決】
一、安否不明の拉致被害者および拉致被害者であることが疑われる者について、積極的に調査
一、問題解決の進展状況を国会に報告、国民に公表
(産経新聞) - 2月4日5時1分更新
 引用終わり

 この法案は在日朝鮮人の関西大学助教授.である李英和氏(RENK事務局長)などが盛んに政治家などに早く成立させるように言っています。そして、この原案内容の中に定住支援という事がありますが、とんでもない事です。
 この法案には法務省も反対していますが、それは北朝鮮の犯罪者や工作員の身分を確認しようが無いし、現在以上に在日朝鮮人の我が国における多くの問題が増える事を示しているからです。
脱北者の保護・支援はどこかにキャンプを作り保護すべきで、我が国への定住支援などすべきではありません。朝鮮人が我が国に入ってくる事は、我が国にとってはいい事などひとつもありません。

韓国入り脱北者の10.7%が犯罪経歴者

7割以上が生活保護対象。脱北者の犯罪増加も問題化

 それは朝鮮総連、民団の我が国に対して、地方参政権を求めたり、日本人同様の公務員権を求めるなど自分を外国人だと思わない厚顔無恥なバカとしかいいようのない態度、在日朝鮮人の反日ぶり、生活保護者の多さ、犯罪の多さなどなど現在の我が国が抱える問題をみれば明らかです。
自分達を外国人と思わない在日

朝鮮人とビザ

在日の半分以上が税金を払わず

北朝鮮のバカ犯罪者

 この際、彼らが勘違いの元となっている「特別永住者」という馬鹿らしい制度をただちに廃止すべきです。
この制度は南北朝鮮との相互主義に反しているばかりで無く、在日朝鮮人の人たちの為になってはいません。この制度のおかげで、彼らは日本人にも成り切れず、そうかといって、南北朝鮮からは差別されている。
そのために、南北朝鮮に忠誠を誓いながら、ウソの歴史を信じ反日行動をとる事だけが自分自身を表すすべとなっている。
南朝鮮は外国に対して認めている在留は3年であり、その後の延長も3年ごとの審査によるものとしています。我が国も相互主義から、3年ごとの審査によるものとすべきです。その事により、自分達が外国人だという事を知らせてあげるべきです。

 今日は先週の金曜日と違って大忙し。明日が不安・・・・
ケイザブロウさん来店。初めての女性のお客さま4名様で来店。この女性の人たちはわざわざこんなところまで、何をしに来たのでしょう。Yさん御夫妻来店。大台さん2名様で来店。Oさん、Kさん来店。「JAなんと」の片山さん2名様で来店。2回目の女性のお客さま2名様で来店。


ODAとミャンマー
2月3日木曜日晴れ○S 4日め
 
あの犯罪国家の北朝鮮のように政治レベル低い国に支援するなという国連の報告書が先日発表されたそうです。
http://japanese.joins.com/html/2005/0117/20050117170900500.html
以下引用
北朝鮮のように政治がメチャクチャな貧困国家には、国際社会が援助を行なってはならない、という内容を盛り込んだ国連の報告書が17日に発表された。
この報告書は、北朝鮮・ミャンマー・ジンバブエなど政治レベルの低い人権後進国には、大規模な支援が行なわれてはならない、と指摘している。アナン国連事務総長が、ジェフリー・サックス教授(コロンビア大学)に要請し作成されたもの。

引用終わり

 犯罪国家の北朝鮮はわかりますが、ミャンマーと腐れ北朝鮮と一緒にするのはちょっとおかしいと思います。
ミャンマーは現在は軍事政権ですが、北朝鮮のような犯罪国家ではありません。情報も公開されていますので、国民は自由に外の情報を得る事ができます。少し前の南朝鮮も軍事政権でした。その軍事政権の南朝鮮には我が国も援助していました。

 かってはビルマという国名で、1989年に国名をミャンマーに変えました。ASEANにも1997年に加盟しています。
 ビルマは、それまでの18世紀より続くビルマ族による王朝を19世紀末に英国との三回による戦争によって植民地にされましたが、この時に、自称「紳士の国」といっている英国は、ビルマの人々の尊敬の中心であったアランパヤー朝の最後の国王であるティボー国王を王妃とともに1885年11月に捕らえて連れ去り、インドのマドラスからタラナーギリーに流刑にしてしまいました。ティボー国王は1916年に58歳で没しましたが、英国はそれだけでは飽き足らず、なんと、その王子と王家につながる人々もすべて処刑にしてしまいました。
この事により、ビルマ国民は国家としての大切な心のよりどころである王族をすべて失う事になりました。
また、アランパヤー朝の都がおかれていたマンダレ−にあったシュナンドーという国王の金箔に覆われていた寺院の金箔を第三次イギリス・ビルマ戦争時にイギリス兵がすべて剥ぎ取ってしまいました。

 そして、1866年にビルマを当時のイギリス支配下のインド領の一部と宣言し、インド人と華僑をビルマに入植させ経済を支配させ、モン族、カチン族という少数山岳民族にビルマ人を支配させるという、それは、植民地の民族がまとまらない方が都合がよいという白人にとって都合のよい分断統治政策に他なりません。仏教徒であるビルマ人の町であった美しいマンダレ−は仏教寺院であるバコダがつぎつぎと壊されて、その変わりにモスクやキリスト教会が建つという風景のまちになってしまいました。

 よく、朝鮮人は「日本は国王を奪った」などというウソを平気で言っていますが、我が国は大韓帝国皇帝の高宗に対して「徳寿宮李太王」と称され、日本の皇族の待遇を持ってむかえました。その他の重臣、功労者は華族として叙爵されました。朝鮮も我が国に併合される事無く、イギリスの属国となっていたら朝鮮の皇帝とその一族はビルマ王室と同じ皆殺しになっていたでしょう。

 そんなビルマに対して、日本帝国海軍は大東亜戦争開戦直前の昭和16年2月1日に大本営直属の「南機関」を発足させました。「南機関」とはビルマの独立援助とビルマ・ルート遮断を目的とした組織です。
雷帝ボ・モージョこと鈴木啓司大佐を機関長とする「南機関」が最初にやった事は、ビルマ独立に燃えるタキン党の若い優秀な青年30人を選んで、日本に脱出させることでした。

 この30人を川島威伸大尉を教育隊長にして、南機関全員が海南島で昭和16年4月から猛訓練を施しました。この30人の中にアウンサンスーチ女史の父親である後のアウンサン将軍、後のビルマ首相オン・サン、独立宣言を発したバー・モウの副官ボー・ヤン・ナイン、後の議長ネ・ウィンなどがいました。この30人を中心に大川周明博士の大川塾の学生十数名も参加したビルマ独立義勇軍BIAがバンコクで編成され16年12月31日に出陣式を行い、独立義勇軍が進撃するにつれて、ビルマ全土に独立の気運が燃え上がり、ラングーンはその後17年3月8日、マンダレ−は5月1日に陥落します。

 そのころのビルマの人々が、我が日本軍にどのような思いを持っていたかは、その実例をバー・モウがその著書「ビルマの夜明け」で書いています。
「その間、英雄的行為も生まれた。その一つは戦時中のアジア人の間で、伝説のように語り伝えられたものである。サルウィン川での戦いの真最中、数人の日本人将校が、ビルマ人にボートで対岸に渡してくれるように頼んだ。船の通路は数カ所の英国側陣地からまる見えで、その射程距離にあったから、船を出すことは死にに行くようなものだった。しかし4人のビルマ人船頭が進み出た。2人の船頭と日本人将校が船底に伏せ、残りの2人の煽動はまっすぐ平然と立って櫓を漕いだ。船が川の中ほどに来て、岸からまる見えになった時、2人のこぎ手は銃弾の中に倒れた。残りの2人の船頭は一言もしゃべらず、騒がず、すぐに持ち場に着いて漕ぎ出した。ちょうど船が対岸に着いた時、この2人も弾にあたって死んだ。これは例のない英雄的行為であった。日本の新聞ラジオは、ひろくこの実話を伝え、日本本国と東南アジア諸国で感動を呼び起こしたのであった」

 ところが、大本営は雷帝と慕われていた鈴木啓司大佐と川島威伸大尉を任務からはずし、南機関を解散させてしまいます。
ビルマ独立義勇軍は鈴木啓司大佐に別れを惜しみ、軍刀一ふりと感謝状を贈りました。
その感謝状の最後には次のように書かれています。
「ビルマ独立軍の父、ビルマ独立軍の庇護者、ビルマ独立軍の恩人をわれわれは末永くなつかしむ。将軍のビルマえの貢献も、いつまでも感謝される。たとえ世界が亡んでも、われわれの感謝の気持ちは亡びることはない。将軍が日本に帰られたら、ぜひとも日本の天皇陛下や東条首相、そして老弱男女に報告してほしい。われわれビルマ人の誠意、忠誠心、勇気、日本軍への協力、日本ビルマ間の友好への努力を−−−−−」
(この時の感謝状の実物は、後に鈴木大佐未亡人がビルマ政府よりぜひにと懇願され現在はビルマにあるそうで、未亡人の手許にはビルマ政府より贈られた複製品があるそうです)

 そして、遅ればせながら日本政府は、その1年2ヶ月後昭和18年8月1日年にモゴークの牢獄に捕らえられていたイギリス帰りのバー・モウ博士を救い出し、バー・モーにより独立宣言が発せらました。
その時の民衆の興奮ぶりをバー・モウの著書「ビルマの夜明け」には次のように伝えています。
「それは言葉では言い現せないほど幸せな日々だった。人々は喜びに胸をふくらませて、いたる所で歌った。国民こぞってこれを祝うために、各地域社会を代表する委員会が設けられた。くる日もくる日も群集がパゴダを訪れて灯明をあげ、花を捧げた。僧たちは町中で振舞を受け、催物は果てしなく続いた。人々は集い、日本語で万歳を叫んで、日本に対する深い感謝を現す決議をした。同時に、喜びと感謝の気持ちを綴ったメッセージが東条首相と日本政府に送られた」

 残念ながら、このビルマの人々の喜びは日本軍のインパールの敗北が決定的になり、日本軍とともに戦ってきた30人のビルマ独立の志士もビルマを生き残らせるために分裂することになります。
バー・モウやボー・ヤン・ナインは日本を裏切らず、バー・モウは日本に亡命し、ミン・オンは日本を裏切るのは忍びないと自決しています。
その時に今もバー・モウ家にのこるバー・モウあてのオン・サンが書いた手紙の全文が「ビルマの夜明け」に掲載されていますが、その内容は「反日に立つのは、ビルマを生き残らせるための唯一の方法」「日本軍のビルマ撤退が賢明な方法」「日本を責めない」と書かれています。
つまり苦渋の選択だったわけです。
このくだりついては戦史家のルイス・アレン(イギリス)もその著書「日本軍が銃をおいた日」にも感激して詳述しているそうです。

 ビルマの人々にとっての独立とはどうだったかという答えのひとつは「ロンドンタイムス」が1968年5月23日号に「ビルマの夜明け」がイギリスで発刊された時の書評にあるように思います。
書評は「ビルマを長いイギリスの植民地支配から解放したものは誰か。それはイギリスでは1948年、アトリ−首相の労働党内閣だというのが常識になっている。しかし、バー・モウ博士は、この本の中で全く別の歴史と事実を紹介し、日本が大二次大戦で果たした役割を、公平に評価している」と書かれ、著書の中より下記の文章が引用されています。
「真実のビルマ独立宣言は、1948年1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者は亜酉−の率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」序文
「歴史的にこれ見るならば、日本ほどアジアを白人社会から離脱させることに貢献した国はない。
しかしまた、その解放を助けたり、あるいは多くの時柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない。これはまた日本が、その武力万能主義者と民族の夢想とのために謬られたためである」
「もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、南機関や鈴木大佐らの真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本のために惜しむのである」

 こうして、ビルマ人自身の勇気と努力によってビルマは独立しましたが、ビルマの人々はこの時の恩義を忘れずに、戦後、鈴木啓司大佐が英軍によりビルマに連行され軍事裁判にかけられそうになった時にオン・サン等は「ビルマ独立の恩人を裁判にかけるとは何ごとか」と猛反対し、その後、ネ・ウィン議長は昭和41年12月20日から翌年1月20日まで、元南機関鈴木大佐をビルマに招待し、その年に鈴木大佐がお亡くなりになったあとは47年に節子未亡人を招待。そして56年には、南機関関係者である鈴木大佐夫人、杉井満、川島威伸、泉谷達郎、高橋八郎、赤井(旧姓鈴木)八郎、水谷伊那雄の7名の方々にビルマ最高の栄誉である「オン・サンの旗」アウンサン勲章を授与し、ビルマ独立義勇軍の生みの親として、最高の敬意を表しています。
そして、今でも3月27日の国軍記念日になると、全国のミャンマー国軍が首都ヤンゴンに集まって日本の“軍艦マーチ”から演奏し始め“歩兵の本領”“愛馬進軍歌”など昔の日本の歌を次々と演奏していきます。

恩を仇で返す支那、南北朝鮮の極東バカ三国とはえらい違いです。

 そんなミャンマーに軍事政権だからといって我が国はわずかなODAを出し惜しみしています。
そもそも、民主化の象徴であるアウンサン・スーチ−女史とはそんなりっぱな方なのでしょうか。
 スーチ−女史の父親であるアウンサン将軍はビルマ独立後に暗殺され、娘のスーチ−女史は英国に引き取られます。
その後、ビルマはビルマ人の国という国名のビルマから5族協和を意味するミャンマーに変えて、英国人の手先だった山岳民族とも和解して再建を目指しますが、その時に、アウンサン・スーチ女史がビルマに戻って来ます。彼女は英国に引き取られ30年も暮らし、考え方も英国風となり英国人の男と結婚していました。
その彼女は、かっての英国の手先としておいしい思いをしていた華僑、山岳民族であるモン族やカチン族の支持を集めています。
英国の利益の代表であるスーチ−女史とは、我が国で報道されているような美しい面ばかりでは無いように思います。

 そんなミャンマーに支那が食い込んでいます。 支那が1998年から−2003年の6年間に、アフリカ諸国や中米などに支出した対外援助額が計271億元(4250億円相当)に上るそうです。我が国は支那に24年間で計3兆3億円のODAだしており、世界開発銀行等の分を含めれば6兆円をはるかに超えます。
その支那が昨年は815億円相当も他国にODAを出しています。
 これは大半は小口の無償援助分で、支那企業が受注する“ひも付き”の大型プロジェクトは含まれていないので、援助実態はさらに巨額になるそうです。
 そしてミャンマーにも大規模な発電所建設支援に乗り出しています。ミャンマーの総発電量の約四割は日本の支援で建設された発電所によるものですが、支那の有償援助で進められている十一カ所の発電所が完成すれば、支那の援助を受けた総発電量は六割に跳ね上がる。

 発電所建設の支那の融資は、ミャンマー側は同国中部での建設費二千万ドルを7年間で支那企業に返済するといういかにもあの国らしいミャンマーにとって厳しい条件ですが、支那との関係が深くなるのは間違いありません。
ちなみに、支那に対しての我が国のODAを見てみると、支那の北京空港は建設費の40%が我が国のODA300億円もの巨費で建設されたものであるがその時の金利はわずか2・3〜2・6%で償還期間も30年もの長きにわたるもので、こんな好条件だと日本国民がみんな借りたいでしょう。
 我が国は人道支援や民主化と経済構造改革のための人材育成などを除いて同国への支援を停止した状態です。昨年の援助額は34億8000万円と、ラオスの約三分の一程度となりましたが、これについてさへ、あの朝日新聞がうるさくいっています。

 だいたい、朝日新聞のにいわせると、ミャンマーは酷い人権胯躙国家らしいが、あの口うるさいアウンサン・スーチ女史が帰国以来17年も生きていける国なのです。
朝日新聞の大好きな支那でしたら、国家反逆罪とかですぐに死刑か国外追放でしょう。

もっと、ODAは効率良く、我が国にとって国益になる使い方をしてほしいものです。
 
ところで、同じさ諮問委員会が作成した報告書では、「安全保障理事会の常任理事国を目指す先進国は指導国の責任として20015年までにODAの対国民総生産(GNP)比0・7%を達成する準備をすべきだ」と我が国とドイツに対し、大幅なODA増額を求めています。
それよりも前に国連の金満体質の改善の方が先だろう。

 仕込みを終えて、スポーツセンターにいく。
開店早々、ナベちゃんが王さんとニコニコ来店。1名様来店。Sさん2名様で来店。

2月2日水曜日晴れ ○ 3日め
 Uさん3名様で来店。Y岡さん2名様で来店。Yさん来店。初めてのお客さまKさん三名様で来店。

2月1日火曜日晴れ ○ 2日め
 竹中さんホセさんをはじめスペインの方3名様と来店。Tさん女性ばかり3名様で来店。初めてのお客さま2名様来店。バンブーさん2名様で来店。Kさん来店。ホロン部員Yさん来店。


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