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山内恵子

9月27日土曜日晴れ(暑いぐらい)×
 当店のURAホームページをごらんになってくださっている方(アキゾ−さん)にお教えいただいた事ですが、
高市早苗議員の「永田町日記」より。
http://rep.sanae.gr.jp/diary/6000_1212.html
(引用開始)
衆議院文部科学委員会で「文化芸術振興基本法案」というのを審議した時の、社民党女性議員の質問は強烈でありました。

 この法案には、日本でも文化芸術活動がもっと活発になるように、税制や財政措置を行なうこと等が記されています。法案の前文に「国際化が進展する中にあって、自己認識の基点となり、文化的な伝統を尊重する心を育てるものである」との文言がありました。
  社民党女性議員は、この「文化的な伝統」という下りを削除するように求めました。
  彼女の主張は「文化とか伝統こそが差別だと言っている人もいます」ということから始まりました。
 
「狂言なんかの中には女を売る、買うという世界が相当書かれていると思います。それを白おかしく演じたりしているということで言えば、差別的なものを含んでいる」「めおと茶わんというのを見ると、女は小さな茶わんで食欲を抑えて食べる文化が今なお残っているわけです」「めおと箸、女は小さな箸でというような文化が残っています」と差別的文化なるものの例示をされたのです。
  今まで想像もしなかった指摘に、私は委員長席で笑うに笑えず涙目になり、自民党席では「そんなに長い箸で食いたけりゃ菜箸で食えよお」と呟く議員もいました。
(引用終)

その議事録
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009615320011121004.htm

 この中に指摘されている社民党女性議員は、北海道比例選出の山内恵子という人だそうで、
http://www.dtj.jp/yk/index1.html

その議事録によりますと(この山内女史の発言のみを一部引用させていただきます。)
 
>女性差別撤廃条約を批准したときに、私は学校現場で教科書のチェックをしました。いろいろなところにこの問題点があることがわかりました。特に音楽の中に、主語が、僕、僕らというのがあります、「ぼくらはみんな生きている」というように。学級の中の半数は女の子ですから、歌うたびに自分はという声が聞こえてくるというふうに子供たちが言っていました。「ら」の中にあなたも入ると何度言っても、それは納得するものではありません。男中心の社会から残ってきた文言だと思います。
 大人社会で考えれば、私たちの中に男性が入るというのに、なぜ子供たちのところはそうなのかということで言えば、少年少女世界文学全集のように、少女は入れるべきだというふうに思います。

略)
 
>日本の文化というのは、大陸や半島やアジアの諸国から伝来されてきていますね。それは、ただ宅急便のように来たのじゃなくて、人々がそれを持って住みついて育つ、その中から伝統として残ってきたものがあるでしょうし、ある意味では、地方の文化の中から、権力者に立ち向かっていくに当たって、笑いに託しながら権力者批判をしたり、踊りに託しながらしていったという、芸術の進んできた道筋があるというふうに思います。
 しかし、文化とか伝統こそが差別だと言っている人もいます。 略)例えば歌舞伎だとか狂言の中の表現方法はすばらしいと私も思います。しかし、マイナス面でいえば、かなり差別的なものが含まれています。狂言なんかの中には、女を売る、買うという世界、相当書かれていると思います。それをおもしろおかしく演じたりしているということでいえば、差別的なものを含んでいる。
 日常的に言えば、私のように背の大きい者も、めおと茶わんというのを見ると、女は小さな茶わんで食欲を抑えて食べる文化が今なお残っているわけです。そして、手が大きくても、めおとばし、女は小さなはしでというような文化が残っています。

 どうして夫婦茶わんが差別になるのでしょう。また、夫婦茶わんを見て、女性が食欲を抑えて食べるという事を連想する方が、異常でしょう。男らしい、女らしいは差別だとか騒いでいるジェンダーフリーとかいっているバカ連中の仲間のようです。こんなアホな質問を受けた議員さんも大変でしょう。 高市早苗さんももう少しで笑い殺されるところだったようです。

また、伝統文化についても
>伝統にはプラス面とマイナス面があるということを御理解していただいているということを考えるときに、日本の伝統文化、それはすばらしいとたたえるその当人が、自分の文章を毛筆ではなくてペンで書くと思います。和とじではなくて西洋風の本をこしらえているのではないでしょうか。だからといって、文章を筆で書けというのは無理でしょう。書く方もいますけれども、ごく一部でしょう。
 
本は和とじでつくるという心を育てるなんということも、それは一例であって、日本の伝統を尊重する心を育てるというところは無理があるのではないでしょうか。

伝統を尊重する心とは、和とじの本をつくるという心を育てるなどとだれも思ってはいません。


また、ケニアで日本人学校の校長先生が銃で撃たれてお亡くなりになったために、学校の入り口にガードマンが立っていることに触れて、
 
>なぜ銃で守らなければならないあの世界、どなたかが亡くなった例があったそうですから、でも、それはある意味で、銃を向けられる日本人社会を批判してのことだったとしたら、もっと私たちは現地に飛び込んでいく、多文化共生が重要だというふうに思います。
どうして銃を向けられる事が、日本人社会に対しての批判になるのでしょう。まるで、銃で撃たれたのは、日本人が悪かったからだとでも言いたげです。単なるその国の治安の問題でしょう。


お約束の在日朝鮮人についても
「日本の文化は大陸から来たものであるということを考えれば、いろいろな文化がある。」といって
>私は北海道ですからアイヌの文化、沖縄の方だったら沖縄の文化、それから日本に住んでいる在日朝鮮の方々の文化。
 これは、日本に住んで、もう日本語でしか話せない子供たちが大人になっているというぐらいですし、略)私は、岩波ホールで見せていただいた映画の中にも、在日韓国人、在日朝鮮人の方たちがつくられた感動するような作品を見たことがございますが、そういう人たちが賞をとったとかいうことは余り聞いたことがありません。

在日朝鮮人が、映画の賞を取る取らないというのと「文化芸術振興基本法案」というのとの関係って何?  
当然こんな発言に対しては、同じく当店の裏ホームページを御覧いただいているMine-Kansaiさんより 「本当に社民党議員には議員になる以前に常識から勉強せよと」などといわれております。


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