アメリカによる言論統制

(8月21日追記)

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


戦後の米軍による日本占領政策

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムによる言論統制

7月24日金曜日くもり ×

 いまさらですが、占領下における憲法制定がどうして可能であったか。それは、占領軍による徹底した言論統制によるものです。

 民主党の戦時売春婦擁護法案、外国人地方参政権などという我が国解体のためのアホな政策を持ち上げる腐れマスゴミ、反日新聞の朝日新聞の醜い社説などを読んで思うのは、故江藤淳氏がその著書「閉ざされた言語空間」に書いた「CI&E文書が自認する通り、占領初期の昭和二〇年から昭和二三年にいたる段階では、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムはかならずしもCI&Eの期待通りの成果を上げるにはいたっていなかった。しかし、その効果は、占領が終了して一世代以上を経過した近年になってから、次第に顕著なものとなりつつあるように思われる」(P二七二)という文章の確かさです。

 江藤氏は自身の著書である「閉ざされた言語空間」(単行本としては平成元年八月文藝春秋刊 引用ページは私の手元にある平成六年第一刷として出された文春文庫版による)において、米軍が我国において占領政策として日本人の思想および文化を破壊するためにどのようなやりかたをしてきたかを、アメリカのウィルソン研究所に招かれて研究していた時に、アメリカ国立公文書館分室やメリーランド大学付属マッケルディン図書館のゴードン・W・プランゲ文庫などに保存されている一次史料により明らかにしています。

 後に、同じメリーランド大学付属マッケルディン図書館のゴードン・W・プランゲ文庫の調査・研究によるものをまとめた著書であり、当然、江藤氏のこの著書「閉ざされた言語空間」による多大な影響を受たであろう「抹殺された大東亜戦争」(明成社刊 平成一七年)に、<実はこの『大平洋戦争史』なるものは、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information  Program)といふ、占領軍の情報宣伝機関たるCIE(民間情報教育局)による仕組まれた宣伝活動の一貫だったのであり、その目的とするところは、東京裁判を『倫理的に正当』化するために、『侵略戦争』を遂行した『戦争犯罪人』だけでなく、『日本国民の責任を明確にする』ことにあった(昭和二〇年一二月二一日付、CIE局長ダルクによる覚書)>とまで書いている著者の藤岡寛次氏が、江藤氏の著書に一切触れていないのは残念に思う。坂口安吾の削除された「特攻隊に捧ぐ」が掲載されている事など藤岡氏のこの著書は貴重な著書であるのは間違いなく、そして、藤岡氏のこの著書にある小堀桂一郎氏の推薦文には江藤氏のことを冒頭から書いているだけに余計にその思いは強くなる。

 こういった藤岡氏の姿勢は、正論二〇〇五年九月号の「知られざるGHQの焚書指令と現代の焚書」と題した同様の論文で「戦後ある批評家が語った『閉ざされた言語空間』という言葉があります。

 GHQによって大東亜戦争が大平洋戦争と言い換えさせられるなど日本人の「物語」が消され、アメリカが発明した、アメリカに都合のいい歴史や文化に取って替えられた今日の言語空間を『閉ざされた』と呼んだのである」(同書P五八)とあえて「ある批評家」というような書き方をした西尾幹二氏と通じるものがあると思います。

 同じ占領軍の占領政策について書いている櫻井よし子氏などはその著書「真相箱」の呪縛を解く」(小学館文庫 平成一四年刊)において江藤氏の著書も含めて引用先など細かく触れているのと対照的です。

 些細な事かも知れませんが・・・・・・・・

 バンブーさん来店。二名様来店。小胡子さん来店。

 カトリーヌさん、ロンドンから今日来日の御友人と来店。

 Tさん二名様で来店。

 ドンチャン。記憶あり。


藤田嗣治とGHQの戦後占領政策

8月21日金曜日晴れ △

 藤田嗣治、今でもその名前をよく耳にする洋画の大家です。

 先日もこの藤田画伯の絵が盗難にあったというニュースがあったばかりであり、春には夫人の遺骨がフランスの藤田氏が眠る礼拝堂へという記事が掲載されていました。

 以下引用

 君代夫人の遺骨、藤田嗣治画伯の眠る礼拝堂へ 仏北部ランス

産經新聞2009.4.25 20:16

 【ランス(フランス北部)=山口昌子】世界的な日本人画家、故藤田嗣治氏の未亡人で、2日に東京で98歳で死去した君代夫人の遺骨が25日、ランスの画伯が眠るフジタ礼拝堂に埋葬された。

 藤田画伯と夫人は第二次世界大戦後後、フランス国籍を取得しカトリックの洗礼を受けた。納骨式には在仏日本大使館の渡邉啓貴公使らが出席。安置された君代さんの遺骨の前で遺族に代わり弁護士が、礼拝堂に遺骨を埋葬することは君代さんの遺言だったと説明した。

 君代さんは5番目の夫人。1935年に一時帰国していた画伯と出会い、翌年に結婚。細面の美人で画伯のひと目惚れといわれる。画伯は「乳白色の肌」の優美な美しさでパリ画壇の寵児(ちようじ)になった。第二次世界大戦中は帰国し「アッツ島玉砕」などの傑作を描いたが、戦後、日本画壇から戦争協力者のように誹(ひ)謗(ぼう)された。

 このため君代さんは、日本での画伯の画集の出版などを拒否したが、画伯の生誕120周年を記念した京都国立近代美術館での展覧会(2006年)などには協力的だったという。

略)

引用終わり

 

 この記事にある

第二次世界大戦中は帰国し「アッツ島玉砕」などの傑作を描いたが、戦後、日本画壇から戦争協力者のように誹(ひ)謗(ぼう)された。このため君代さんは、日本での画伯の画集の出版などを拒否した」

とはどういうことか。

 掲載した絵はネット上にあったその藤田氏の「アッツ島玉砕」ですが、

 手元にある水間政憲氏の著書「筑紫哲也を切る」には「GHQの旗ふりをした文化人は誰か」として下記のような事が書かれています。

以下引用

 GHQ占領下に大量発生した進歩的文化人の先駆けとして、旗を振った人物を明らかにします。

 我が国の文化勲章の受賞者は、昭和十二年の第一回目には九名中、藤島武二、横山大観など四人の画家が受章した時から平成十二年までで、二百九十五名中六十八名は美術家が占めています。

 このことから見ても、我が国の文化全般に直接与える影響というよりも、社会的に文化界へ与える美術家の存在は、一般社会の耳目を集めるところです。

 そのことを計算したとしか思われない記事が、昭和二十一年十月十四日、朝日新聞「鉄筆」欄に掲載されました。

 それは画家・宮田重雄の「画家の節操」という投稿記事です。

 「新聞の報ずるところによると戦後都民の文化的慰安を兼ね、進駐軍に日本美術を紹介するために油絵と彫刻の会を開催するという。その企画自身はまことによろしい。がその油絵を幹施する画家たちの名前を見て、唖然たらざるを得なかった者は私だけであろうか。曰く藤田嗣治、曰く猪熊弦一郎、曰く鶴田五郎。これ等の人たちは人も知る、率先美術協会を牛耳を抜(ママ)って、戦争中ファシズムに便乗し通した人たちではないか。まさか戦争犯罪者も美術家まで及ぶまいが、作家的良心あらば、ここ暫くは筆を折って謹慎すべき時である。今さらどの面下げて、進駐軍への日本美術紹介の労などがとれるか。芸術至上の孤塁を守って、戦争画を描かなかった画家たちを、非国民呼ばわりした者は誰たちであったか。自分の芸術素質を曲げて、通俗アカデミズムに堕し、軍部に阿諛し、材料その他の旨い汁を吸った茶坊主画家は誰だったのだ。

  その連中が舞台が一変すると、厚顔にも掌を更えて、幕開きに飛び出してくる。その娼婦的行動は、彼等自身の恥ばかりでない、美術家全体の面汚しだ」

 宮田重雄はこう息巻いています。

 この一文が、共産主義者が口にする「造反有理」に基づく我が国の文化人の第一声なのです。

 略)

 朝日新聞の投稿記事を全文引用したのは、戦後の進歩的文化人のジャンルを問わず、この投稿記事に「進歩的文化人」のすべての原点が現れているからです。

 このような宮田重雄の投降が朝日新聞に掲載された背景には、GHQの公職追放政策への謀略が潜んでいたのではないか、と私は推測しています。

 また、当時、名指しされた画家は後日、その美術展の企画には無関係だったことが証明されています。

 略)

 宮田重雄に名指しで批判され、戦前の画壇の戦争責任をすべて押しつけられた形でフランスに飛び立って行った藤田嗣治は、すでに戦前のフランス画壇で、エコール・ド・パリの作家の一人として世界的に著名な存在でした。その藤田が、同年十月二十五日付け朝日新聞の同じ欄に反論を寄せています。

 少し長くなりますが、戦時中の文化界の状況を良く説明できていますのでまた全文を引用しますが、読んでみて下さい。

「画家の良心                  藤田嗣治

 過日本欄に投降された宮田重雄君の『画家の節操』と題する一文は、全然事実に相違した同君の軽率さと無責任なる態度とに、起因するものであった。

 これは宮田君も認め私と猪熊君とに宛てて謝罪の手紙が来た位で、私自身の気持ちはすでに晴れている。然し事実が正しく認められなければならぬ点と宮田君の文章が全画家の問題にふれて居る点とに私は敢てこの一文を書くわけである。

 此展覧会に関しては私も猪熊君も少しも関知していない。主催者より何の相談も無く両名の姓名を無断で使用した無責任なジャーナリスト(筆者注 「毎日新聞」昭和二十年十月二日掲載記事)の誤報の被害者に過ぎない。これは開催された海上に私達の作品を発見できなかった事で解る筈だ。又戦中便乗したりうまい汁を吸ったり等の同君の邪推は全然的外れである。元来画家と云うものは真の自由愛好者であって軍国主義者であろうはずは断じて無い。

 偶々開戦の大詔喚発せられるや一億国民は悉く戦争完遂に協力し画家の多数の者も共に国民的義務を遂行したに過ぎない。

 尚多くの犠牲を払わされたものも、こうした画家たちであった。現に猪熊君を始め多くの友人等は今日も尚健康を害して居り、材料の点に於いても手持ちの得難き資材をこのために惜しまなかった実情であった。こうした問題に対する同君の誤れる批判が同日同欄に掲載された石川達三氏の『似而非文化』と題する文章に比して余りに用語の劣悪さと、卑俗さとに私はむしろ画家の一人として恥ずかしさを禁じ得なかった。

 戦争傍観者が時勢の変遷を機として手柄顔で大言壮語する類に対する石川氏の言論こそ正しいと思う。

 戦争中国家への純粋なる愛情を以て仕事を成した画家は勿論、凡ての画家も今敗戦の事実に直面し、心からの謙譲と良心とを以てその敗因を正視し反省し、軍官によって成された世界観とその指導との誤れる今日迄の国家の方針を一蹴して世界平和と真の美への探求を研め、精一杯の勉強を成さねばならぬと思う。

 こうした意味で各国との芸術交流によって日本文化の純化向上に努力する事を私は切望する所以である。今こそ正しき良心を以て我等画家は須く日本への愛情を世界への愛情と一つに結ばなければならない」

 この藤田の発言で、画壇及び文化界の戦時中の問題は説明されており、その後問題にする必要が無いにもかかわらず、現在、我が国は、占領下より陰湿に戦時中の芸術家に対する攻撃が実行されています。

 そのことからして、宮田発言は単なる個人としての発言ではなく、政治的目的を背景とした、大きな組織的思想運動の始まりと見る事ができます。

引用終わり

「筑紫哲也を斬る」(水間政憲 日新報道 平成十五年刊)p四十四〜四十九

 実際には此の後、昭和二十一年一月四日「公職追放令」が発令され、三月十日には「軍国主義指導者の追放」が指令されます。

 その中の付属書A号にはA〜G項まで七項目に分類し、Gには文化人も含むと規定された。Gはドイツでは適用されなかった。

なおかつ、ドイツにおける検閲と我が国における検閲の最大の違いはドイツにおいては一切が公然と行なわれた事である。

(参考 「閉された言語空間」 江藤淳 文春文庫 平成六年刊)

 まだ、我が国はその戦後のGHQによる占領政策から逃れられていません。それどころか、その毒により我が国の国体が蝕まれています。

 今度の選挙に民主党が大きく勝利する事があれば、その進行はますます加速される事になるでしょう。


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