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「海ゆかば」が聞こえない

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成20年7月15日火曜日晴れ △
 先週の火曜日の日記に、産経新聞の七月四日金曜日に興味深い二つのコラムが掲載されていたことを書きました。そのもうひとつの東京特派員の湯浅博氏が書かれているコラム「『海ゆかば』が聞こえない」は「ラストゲーム 最後の早慶戦」という映画を取り上げたものでした。

 学徒出陣を三日後に控えた昭和一八年一〇月一六日、早稲田の戸塚球場で、最後の早慶戦が行われた。
 それは、自らの長男である小泉信吉主計大尉を戦地で亡くしていながらも、その戦地に赴く学生たちに「せめてもの餞を」との慶応大学三代目塾長である小泉信三の思いが人々を動かした結果、実現したものでした。
 試合結果は主力を欠く慶応が一対一〇で早稲田に負けますが、慶大生が「都の西北」を、早大生が「若き血」を歌いエールを交換し終えると、期せずして「海ゆかば」の大合唱が早稲田の杜に響いた。小泉信三は貴賓席ではなく、三塁側スタンドの学生たちの中にいたそうで、皆、あふれる涙をぬぐおうともしなかったそうです。
  このコラムで湯浅氏は、
「ところが、今年八月に封切られる映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』の試写を見ると、なぜか、最後の決定的な部分がすっぽりと抜け落ちていた。両校のエールが終えても『海ゆかば』が聞こえてこない。軽いセピア色に仕上げた画面も演技も上々だが、制作側はこの一点をもって物語を壊してしまった。『海ゆかば』を戦争歌として忌避する意思が働いたとすれば、制作側の不作為による政治化がみえる。あれは、球場にいる学生たちが一体化する決定的な『事実』であった。」
 と、このように書かれています。

 「海ゆかば」は昭和一二年に作曲された信時潔の作品が有名ですが、出征兵士を送る歌として愛好されたこの曲は、「第二国歌」「準国歌」とまで呼ばれました。
 神山征二郎監督は、この映画のホームページで、
「映画は学問ではないし、歴史の勉強のために見るものではありません。ぜひ楽しみながら若者たちの永遠の一瞬を見てほしいですね」(公式ホームページより)
 と書いています。確かに、映画は学問でもないし、歴史の勉強のためにも見るものではないかもしれないが、この映画のパンフレットにまで「海ゆかば」の合唱の現場を目撃した毎日新聞OBの談話が掲載されているそうですが、その事実を描かない必要はどこにあるのであろうか。ましてや、湯浅氏が「最後の決定的な部分が抜けていた」と書かれているように、「海ゆかば」を球場にいる学生が一体となって歌った事実を描かないことにより、この神山という監督がホームページに書いていた「若者たちの永遠の一瞬」が抜け落ちた映画となってしまったのではないでしょうか。

「海ゆかば」については、私は同じように「
男たちの大和」を観た時の違和感として、日記に書いた事があります。
 その戦艦大和の乗組員として、沖縄特攻に参加した八杉康夫氏はその著書「戦艦大和 最後の乗組員の遺言」にて、昭和二〇年四月六日のその場面を次のように書かれています。
<国東半島のあたりでは桜が咲いていたのが見えました。別府湾沖で、「当直を残して手空き総員前甲板」と号令がありました。司令部からの「沖縄特攻」の命令書が読まれたのです。
略)
 これが終わって、「東方遥拝」です。皇居の方向に向かって最敬礼。続いて君が代が斉唱。「天皇陛下万歳」を三唱します。さらに、「海ゆかば」を歌いました。「海ゆかば海行かば 水漬く かばね 
山ゆかば 草むす かばね・・・・・」
 略)
 最後には「各自、故郷の方向へお別れしろ」と言われました。その時は、もう隊列を乱してもいいんです。ハンドレールのほうへ各自が走り、それぞれが故郷に向っていました。
 「さようならあー」「さようならー」とあちこちで声がしました。肉親や恋人への別れです。私も故郷福山の方を見ましたが、その時に目に入った山水画のような四国山脈の美しい山並みは今も忘れません。
 その時も能村副長は、「遠慮はいらんぞ、大いに泣け、泣け」と言いました。泣いている人は多かったが、不思議と私は涙が出ませんでした。やはり少し前に母に会っていたからでしょう。>
「戦艦大和 最後の乗組員の遺言」(八杉康夫著 ワック株式会社 二〇〇五年)P五七〜五九

 「男たちの大和の」の監督である佐藤純彌氏も、「ラストゲーム 最後の早慶戦」の神山征二郎監督と同じくパンフレットにまで書かれている「宮城遥拝」、「君が代」斉唱、「海ゆかば」を歌った事実をどうして描かないのであろうか。
 わたしは、湯浅氏がコラムの最後に書かれている次の文章が、このすべてを表しているように思います。
「右であれ左であれ、『事実そのものの発言を封ずる空気』(西義之東大名誉教授)は健康ではない。それは小泉信三塾長がもっとも嫌った作為ではなかったか」

 この「海ゆかば」は戦後、GHQにより規制された。そして、我が国はその後、独立したが、もっとも大きな問題は、我々日本人の心の中にまだ、その占領期が悪しき影響を及ぼしている事でしょう。

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