梅原猛

平成20年8月19日火曜日晴れ○
 靖國神社についていろいろ言う人がいるが、どこの国でも、その国のために戦いお亡くなりになった先人を御奉りするのは当たり前のことです。
 
<私自身も特攻隊に志願しました。口頭試問で「知っている戦闘機の名前は」と聞かれ「隼」としか答えられず、「尊敬する人物は」という質問に「西田幾多郎」と答えて「国賊じゃあないか、馬鹿者」と採用されませんでしたが(笑)。
 でも私も戦争中も、どうせ死んで靖国に行くんだろうけど、後にA級戦犯となる戦争遂行者たち、彼らと一緒にまつられたくはないと思っていました。
 略)
 ましてや、戦争中、一方的に踏みにじられた中国や韓国の人々が、A級戦犯を合祀した靖国神社への公式参拝に怒るのはまったく当然のことです。戦争中、日本人は中国や韓国の人たちにひどい事をした。「いつまで謝り続けるのか」などと言う人がいますが、何百遍謝ったって謝り足りないほどのことをしているのです。
(「検証・靖国問題とは何か」PHP)P三二〜三三
 と、まあ私程度の頭では想像もつかない斜め上の事をおっしゃっている梅原猛ダイセンセイ。
流石です。
 梅原ダイセンセイが志願された特攻隊はどのようなものか書いていませんので、不明ですが、特攻隊の口頭試問で戦闘機の名前を聞かれるとは知りませんでした。そして、西田幾多郎と答えて採用されない・・・・・
 特攻隊は航空機、船舶(回天、震洋、マルレなど)、特攻兵器(伏龍など)などいろいろありますが、航空器による特攻隊は大東亜戦争において昭和一九年一〇月のレイテ沖海戦始まったといわれていますし、回天、震洋も昭和一九年三月以降に計画されたものですので、梅原ダイセンセイが特攻隊に志願したのなら、その後ということになりますが、その前に、海軍、陸軍とも兵に採用される事の方が先となります。梅原ダイセンセイは一九四三年、昭和一八年に名古屋の第八高等学校入学し昭和二〇年、京都帝国大学文学部哲学科に入学となっています。第八高等学校の時代に陸軍か海軍に入隊していなければ特攻隊の志願はできないことになります。
しかし、特攻隊に志願したが、戦闘機が隼しか知らない、尊敬する人物が西田幾多郎と答えただけで採用されない・・・・
 どうなのでしょう。特攻隊志願の件は・・・・・・

 でも、流石ですね。すでにその年で、<戦争中も、どうせ死んで靖国に行くんだろうけど、後にA級戦犯となる戦争遂行者たち、彼らと一緒にまつられたくはないと思っていました。>というのは。
すばらしいです。まるで「間違いだらけの少年H」という本まで出されてしまった妹尾河童氏なみの大嘘つきとしか私には思えないのですが。

 もっと醜いのは、<戦争中、一方的に踏みにじられた中国や韓国の人々が、A級戦犯を合祀した靖国神社への公式参拝に怒るのはまったく当然のことです。戦争中、日本人は中国や韓国の人たちにひどい事をした。「いつまで謝り続けるのか」などと言う人がいますが、何百遍謝ったって謝り足りないほどのことをしているのです。>という文章でしょうか。
 まるで、社民党などの内部機関紙なみの文章です。朝鮮は当時我が国に併合されて先の大戦においては、日本国民として朝鮮人は支那と戦っているのです。そして、当時の朝鮮の人々は陸軍特別志願兵の例などにみられるように最大募集人員の六〇倍を超えるほどの多くの人が応募しました。参照→
朝鮮と徴兵・徴用
 そして、台湾の人々と同じく日本のために戦ってくださったのです。そういった先人を屈辱する事になると思います。

 こんな男が文化勲章をもらっているのです。

裏表紙