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江田島と円谷幸吉

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成19年11月26日月曜日 晴れかな? ○
 今日はプリンターのインクを買いに外に出た以外は一日中部屋にいた。随分前に早稲田の古本市が開かれている時に買ってきてあった本で、戦前に海軍兵学校の英語教師であったセシル・ブロックの「江田島 イギリス人教師が見た海軍兵学校」(銀河出版 一九九六年刊)を読む。
 
 序文には、この本が書かれたのは昭和一四年(一九三九年)夏からで、その後、ヨーロッパにおいて戦争が始まった時には著者は出版する考えを捨てたが、我が国が宣戦し大東亜戦争が始まった時に出版を決意したことが書かれている。
 そして「私は、香港における日本軍人の野蛮な行為に関する報道を読んだ今日でも、これを書き替えたり、あるいは、書き足したりすることを欲しない。一九三九年に書いたままの、日本の海軍兵学校生徒及び海軍仕官の印象を公にする訳である」と書いています。
 エール大学卒業後すぐに昭和七年から三年間、江田島の海軍兵学校に英語教師として赴任したセシル・ブロック氏は海軍兵学校の時間制の厳しさを「驚くべき日課」と表現し、自身オックスフォード大学(体育カレッジ)のクロスカントリーの代表選手で、エール大学ではアメリカの学生たちにラグビーを紹介し、自らキャプテンとコーチの二役をこなし、同時にクロスカントリーチームのキャプテンを勤めていたスポーツマンであるが、日本の教育制度を認めている。
 
 それには、<兵学校の新入生は、日本国民のあらゆる階級層を代表する青年の集まりといってよい。たとえば私が最後に見た新入生の中には二人の皇族がおり、同時に漁師の息子もいた。このように兵学校の生徒が国民全体の各階層を代表するものであることは、私に深い印象を与えた。
 我々イギリス国民は、民主主義を誇りとしている。しかし、イギリス海軍の士官が特権階級と中流階級の上層から出ていることは、否定することのできない事実である。
 日本では、海軍軍人は一般国民から非常に尊敬されている。それゆえ、海軍兵学校へ入学するには大変な競争が行なわれる。>p二二
と書かれている。
 
 セシル・ブロック氏はこの著書に弥山登山競争の事も書いている。弥山は宮島にある海抜五三〇メートルの山ですが、海軍兵学校では毎年秋の一日に、頂上までの各分隊ごとの合計時間を競ったそうです。
 それは、大東亜戦争時に派遣されたニューギニアのブナで、約一二時間泳ぎ続けて九死に一生を得、任務を完遂されたという経験を持つ、幹部候補生隊第三大隊長鈴木靖隆旧海軍少佐は、弥山登山走と同じように陸上自衛隊久留米にある幹部候補生学校近くの高良山登山走をさせて、限界を体験させることは幹部候補生にとって必ずや人生の中で役に立つであろうと昭和二七年ごろから考えられたそうですが、実際には昭和三〇年(一九五五年)から訓練に取り入れられて続いているそうです。

 これまで延べ四万人が参加してきたという高低差一五〇メートルの登山道五・六キロを走るこの行事において、昭和四一年(一九六六年)の一八分九秒という最高記録は四一年間やぶられてない。急勾配なこの山道を一〇〇メートル一九秒代で走るという驚異的記録保持者は、昭和三九年におこなわれた東京オリンピックのマラソン銅メダリストである円谷幸吉氏だそうです。