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創氏改名

「日韓関係の近現代史」  自由主義史観研究会会員  
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/index-jkorea.html

日本名強制に就いて:現代国学者日付:2001/01/12(Fri)

驚きである。未だに、この手の嘘を信じる者がいるとは……。
これは既に、20年も前から糾弾されてきた嘘である。朝鮮で日本名 を名乗る事が許されたのは79%、台湾で日本名を名乗る事が許され たのは2%である。では、なぜ、創始改名運動が生じた時、朝鮮では 80%、台湾では2%だったのか?
それは第一に、李朝では、人口の40%を占める賎民階級が、もともと ちゃんとした姓名を持っていなかった為である。第二に、アメリカ在住 の日本人の中に、アメリカ名を持っている者がいるのと同じ意味だった からだ。即ち、改名と言っても、朝鮮名を廃止すると言う意味ではなく、 戸籍や朝鮮人同士の間では朝鮮名を通す事ができたのである。
第三の理由は、面長や群守が点数稼ぎの為に、活発に奨励した為だ。
朴泰赫氏は、強制ではなかったが、強制的な雰囲気があったと言って おられる。


「姓氏」差別をした李氏朝鮮時代

「立ち直れない韓国」 黄文雄 1998年 光文社
朝鮮総督府は、「創氏改名」政策を行ない、いかにも朝鮮人が生命以上に大切にしている先祖代々の「姓氏」を奪ったと、朝鮮近現代史家は厳しく批判する。「創氏改名」には、絶対反対した人びとが存在したことも事実であろう。しかし、反対した人びとは、なぜ「姓氏」差別をした李朝史を直視しないのであろう。
朝鮮半島では有史以来、李朝末期に至るまで、最下級の「賎民」に姓氏をつけることさえ許さなかった。そのため白丁(被差別民)の子孫たちは、李朝末期、あるいは内憂外患の社会混乱期に乗じて適当な姓氏をつけ、あるいは祖先の墓に従一品等の碑を建てたり、詞堂、祭室までつくる者も出たりしたのだ。しかし、新しい姓氏をつける場合でも、馬脚が露われるのを恐れて、なるべく分家、分流の多い金海金氏とか、全州李氏などを利用したといわれる。姓氏を持たなかった者は、白丁奴(パクジョンノム)や火賊奴(ファジョクノム)と呼ぱれ、虐待、蔑視された。


「第12題 創氏改名とは何か」
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai
 創氏改名とは「日本が朝鮮植民地支配の際に、皇民化政策の一環として、朝鮮人 から固有の姓を奪い日本式の名前に強制的に変えさせた。これを拒否しようとしたもの は非国民とされ、様々な嫌がらせを受け、結局は日本名に変えた」というような説がまる で定説であるかのように流布されてきた。
 創氏改名が「朝鮮人の固有の姓を奪い、日本名を強制した」というのは、根拠のない 俗説であることは明らかである。

「歴史と国家」雑考
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/index.html

「創氏改名の研究」 (朝鮮近代史研究双書15) 金英達/著(未來社 )
http://homepage1.nifty.com/futoshi-ando/ando1/ando1-16.htm


創氏改名の初日の届出は、朝鮮全体でわずか48件に過ぎなかったが、その中の一人に、 今も「朝鮮近代文学の父」と言われる李光洙(イ・グヮンス)がいた。「香山」と創氏し、「光郎」と改名したことについての「創氏と私」と題するエッセイの中に、つぎのようなことが 書かれている。


「創氏とわたし」

 私はよくよく我が子孫と朝鮮民族の将来を考えたあげくに、こうするのが当然 だという堅い信念に到達したのである。日本人との差別がなくなること以外に 朝鮮人は何を望むだろうか。したがって差別の除去のために、あらゆる努力を 注ぐことが、最も重大にして緊急なこととなる。我々の在来の姓名は、支那を 崇拝していた祖先の遺物である。永郎、述郎、官昌郎、 初郎、所回(巌)、伊宗、居○夫、黒歯このようなものが、古代のわれわれ先祖の名前で あった。徐羅伐、達久火、斉次巴衣、ホルゴ、オンネこういったものが、昔の地名であった。そのような地名と人名を支那式に統一したのは、わずか六、七百年前のことだ。すでに われわれは日本帝国の臣民である。支那人と 混同される姓名をもつよりも、日本人と混同される氏名をもつことが、最も 自然だと信ずる。


「内鮮一体を国家が朝鮮人に許した。故に、内鮮一体運動を行わなければならないのは、 朝鮮人自身である。朝鮮人が内地人と差別がなくなる以外に、何を望むことがあろうか。
したがって差別を除去するためにあらゆる努力をすることの他に、何の重大でかつ緊急な ことがあるだろうか。姓名三字をなおすのも、その努力の中の一つならば、なんの未練も ない。喜ぶべきことではないか。私はこのような信念で、香山という氏を創設したのである。
これから徐々にわが朝鮮人の氏名が国語で呼ばれる機会が多くなって行くだろう。
そのような時に李光洙よりも香山光郎の方がはるかに便利だ。又満州や東京大阪等に 住んでいる同胞が、日本式の名をもつことは、実生活の上で、多くの便宜をもつだろう。」


「明治天皇様の日韓併合は、二つの国、二つの民族が合わさったものではなく、 もともとは一つで、途中で不幸にも二つになったものを、もとの一つにお戻しに過ぎないものであります。
        韓土の二千万の民草と君わが君と仰ぎまつらむ
 これは私の過ぐる年に詠んだ和歌の一つであります。
日本人と朝鮮人は、同一民族として同一国家を持たねばならぬのに、我々朝鮮人 はこの根本原理から離脱したために、絶えず西方の漢族、北方の満州、蒙古俗か ら脅かされ、半独立とも半隷属ともつかない歴史を経てきたのであります。誠に 情けない汚辱と苦難にまみれた歴史でありました。
 愛する後輩諸君よ、汚れた朝鮮民族という名にしがみついて、汚辱の生存を送る りも、栄光ある大日本皇民の名の下に死すべきであります。栄光の死の中にこそ 悠久の大義に生きる不滅の生があるのであります。」

http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/sousikaimei.htm


朝鮮半島出身者で陸軍中将まで累進した洪思翊将軍に創氏改名の形跡はない。
敗戦前数年の旧陸軍士官学校の半島出身卒業生の名簿には、なるほど日本名を 併記したものもあるが、半数近くは朝鮮名のままなのである。

産経新聞 主張(社説) 1996年6月25日




しかし、中国人からみれば依然として朝鮮半島は“まごうことなき藩属国”なのです。
朝鮮という呼称も侮蔑的なものです。中国皇帝に対して朝貢し、朝鮮国王を授かったとき、 「貢ぎ物少なし」とつけられた、「朝(みつぎもの)鮮(すくなし)」なのです。
これをいまも信じて変えないのも面白いことです。

「阿片としての中華意識」高木桂蔵 静岡県立大学教授(「諸君!」2002年4月号)

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