創価学会にとっての完全勝利、連戦連勝

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成16年5月5日水曜日 曇り ○
 築地で気狂い新聞といわれている創価学会の機関紙である聖教新聞には「裁判にも連戟連勝」「裁判で連続勝利」「学会が当事者になっている裁判は、ただの一つの例外もなく、全て学会の勝利だ」などと見るから創価学会らしい文章が並びますがはたしてそうなのでしょうか。
新潮社の「創価学会とは何か」によると、1991年以降、創価学会が、学会本体や幹部・そして末端の学会員を原告として宗門を訴えた、119件の訴訟と、逆に宗門側に訴えられた25件の訴訟を200311月10日現在で集計し、結果の出ている123件の勝敗は創価学会の20勝68敗(請求放棄を含む)和解35件を除く結果からは創価学会がいう「連戦連勝」などという言葉とは程遠いです。

 これは「国破れて三部あり」の藤山裁判官や、被告である国の全面勝訴を謳いながら傍論での違憲発言をした亀川清長裁判官などが、そのような反日市民団体連中御用達であり、亀山、あるいは藤山に当たるまで提訴と取り下げの繰り返していたように、創価学会が気狂いのようにつぎつぎと訴訟を起こすのは、どれかが、創価学会信者の裁判官にあたる可能性があるためじゃあないでしょうか。
以前も書いたように、創価学会の訴えを創価学会の裁判官が公正に判断して、審判をくだせるのでしょうか。
わたしはどうしてもそうとは思えません。今や創価学会信者はありとあらゆるところに蔓延っています。当然法曹界にもです。
創価学会の裁判を創価学会信者の裁判官が審議して、判定をくだす。
ブラックジョークの世界です。


池田大作氏が語る創価学会の勝利とは

平成19年8月25日土曜日晴
 わたしは常々創価学会の気狂い新聞に「勝利」「常勝」「戦い」とかの文字が踊っているが、その意味がわからないままでした。
 今日、その疑問が氷解いたしました。
以下、本日(平成一九年八月二五日)の聖教新聞よりの引用です。
「大阪の戦い」にすべてが要約
略)
 一、翌年の四月、
再び大阪で補欠選挙があった。
 東京の幹部が、戸田先生に進言して、急に支援が決まった。
 私も、関西の同志も、疲れ切っていた。
 しかも、東京から応援に来た幹部の何人かは、遊び半分だった。そのために歩調があわなくなった。戸田先生は、無責任な幹部を厳しく叱られた。
 私が負けた戦いは、この、ただ一度である。

引用終わり
 つまり創価学会の池田大作ダイセンセイにとっての勝利とは選挙のことだったのですね。
 カルト創価学会とは選挙を目的とした政治団体、経済団体だったわけで、決して宗教団体ではなかったわけです。

 な〜んだ。あほらし。


 

平成20年4月30日水曜日晴れ あったか ×
 久しぶりに電波イッパイの気狂い新聞らしいアホな内容。
 「学会は『デマとの闘争』に完全勝利」という見出しの四月一七日の聖教新聞第四面です。副題として「識者 邪悪な捏造雑誌は出版界への冒涜」となっています。
 その内容によれば、いつもと同じように、
 正木理事長<日本を代表する大新聞の首脳が言われていたようだ。
「聖教新聞には、多くの『顔』が掲載されています。毎日、多くの人の写真が出ている。しかも、その表情が皆、明るい。印象的な笑顔ばかりです」
「聖教新聞は、活字文化を支え合う仲間です」
「先日の『寸鉄』に『デマ雑誌はクズ紙』とあったが、まったくその通りだ」。このようにいわれていたそうだ。>
略)
棚野男子部長<私がよく知る新聞記者も言っていた。
「デマを平然と書き散らすような捏造雑誌!あれこそ出版界への冒涜だ」と激怒していた。>
略)
正木理事長<実際に学会は、デマとの闘争に完全勝利してきた。デマ雑誌を訴えた裁判でも、圧倒的な勝利を収めてきた。>

だそうです。
 ある「日本を代表する大新聞の首脳」であったり、「私がよく知る新聞記者」であったりするのは、以前に池田大作ダイセンセイを賞賛していたどこかの「高名な評論家」であったり、どこかの「日本の目覚めた学者」であったり、これまた名前のわからん「ブラジルの言論人」であったり、「私が知っている学者」、「誰かが話し合っていた」というのと同じようなものでしょうか。
池田大作と恥性の栄誉

 ちなみに創価学会にとっての「完全勝利、連戦連勝」とはいったいどのようなものでしょう。
 「創価学会とは何か」(山田直樹著 新潮社刊)によると、「不倶戴天の敵である宗門(日蓮正宗)との訴訟結果を見ると、連戦連勝どころか、勝率は二割程で、八割ちかくが敗北している。
詳細は後述するが、その結果を学会員は知らされていない。情報が溢れるこの日本で信じられないことに、彼らは学会に都合のいい、誇張され、デフォルメされた情報だけを擦り込まされ、誤った事実を信じ込まされているのである。」
(同書P九二)
 そして、この山田氏の著書によると、一九九一年以降、創価学会が、学会本体や幹部、そして末端の学会員を原告として宗門を訴えた一二九件の訴訟と、逆に宗門側に訴えられた三五件の訴訟を二〇〇三年一一月一〇日現在で集計し、結果の出ている一二三件のパーセンテージでは、創価学会の二〇勝六八敗(和解の三五件を除き請求放棄を含む)だそうです。

 つまり、創価学会のいう連戦連勝とは
 二〇勝六八敗の勝率二二・七%の事だったのです。

 せめて、一流バッターの証である三割ぐらいは目指してほしい・・・

 そして、山田氏はこうも書いています。
「そもそも俗世の権力=司法の場に『正義』の決着を求めることは、果たして、宗教者(団体)にとって正しい姿なのだろうか。」
そして、
「宗教団体というものは、本来、信仰が自由独立である以上は自治組織であるべきはずだ。従って、そういった宗教団体がらみのトラブルが起きた時に、それを裁判所という国家権力に持ち出して、そこの判断を仰ぐ事によって解決しようということは、もともと教団の持っている自治権ないし自立権を自ら権力に売り渡すものとして、本来あってはならないという基本的見解を持っています」
 という自ら宗教者であった故遠藤誠弁護士の言葉を引用掲載し、その後に山田氏は
「ひたすら俗世の権力に擦り寄り、支配し、行使する創価学会の特異性は、この訴訟戦略一つ見ても明らかではないか」
と書いています。


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