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シベリア抑留2 北朝鮮への移送による悲劇

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成19年10月23日火曜日晴れ △
 ソビエトによる違法強制収容がおこなわれた日本人軍民のうちシベリアにおいて、重労働に耐えられないとみられた病弱者は、劣悪な環境の満州などの収容所に送り返され、多くの方が命を落としました。
 このうち北朝鮮に送り返された日本軍人などについては平成一七年になって、ロシア軍事古文書館(モスクワ)からモスクワの日本大使館 に資料が提供されたというニュースが随分前にありました。
以下引用
シベリア抑留、北朝鮮に2万7千人移送…露が資料提供
 【モスクワ=五十嵐弘一】モスクワの日本大使館は31日、ロシア軍事古文書館(モスクワ)から同大使館 にこのほど、第二次大戦後にシベリアで抑留された日本軍将兵らのうち、当時のソ連から北朝鮮に移送された人に関する資料が提供された、と発表した。
 シベリア抑留者が北朝鮮に移送されたことが公式に確認されたのは初めて。
 資料の正確な内容は現時点では不明だが、同軍事古文書館の説明によると、ロシア語で書かれた約2万7000人の名簿が含まれていた。
 北朝鮮に移送されたのは「労働力とみなされなくなった人々」とみられ、病人、けが人、栄養失調者などが対象となったとみられる。移送は、船や鉄道などで、終戦翌年の1946年(昭和21年)春ごろから始まった可能性があるという。
 厚生労働省によると、シベリア抑留者は約57万5000人で、うち47万3000人が日本に帰還、抑留中に死亡した人が5万5000人、旧満州・北朝鮮に移送された人が4万7000人とみられている。旧満州・北朝鮮への移送者のうち相当数が行方不明となっている。
産経新聞平成一七年四月一日
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050401i211.htm
引用終わり

同じく
以下引用
北朝鮮に送られたシベリア抑留者たち
今年、ロシア国立軍事アーカイブから、日本政府に、シベリアから北朝鮮に移送された抑留者27,755人の名簿が渡された。ロシアが抑留者の名簿を公開するのは、1991年ゴルバチョフ訪日の際に渡された38,00 0人の名簿以来14年ぶりのことだ。この名簿によって、シベリア抑留者の一部が北朝鮮に移送させられていた事実が初めて明らかになった。さらに軍事アーカイブからはスターリンの北朝鮮への移送命令書が発見された。それによれば、スターリンは1946年4月「病弱になった抑留者を選別し、5月25日から8月20日
の間に北朝鮮へ移送するように」と命じていた。当時、ソ連は、極東開発、特に第2シベリア鉄道の建設に労働力が必要となり、屈強な抑留者をバイカル湖付近に集めていた。その際、収容所ごとに病弱者のみを選別し、北朝鮮へ移送しようとしたのだ。

北朝鮮に送られた抑留者には過酷な運命が待ち受けていた。今まで一度もその体験を話すことはなかった
北朝鮮からの帰還者たちも名簿公開を機に、初めて厳しい体験を語り始めた。中川清さんによれば、ピョンヤン郊外のサムハプニ収容所では、強制労働に従事する中で、6,000人のうち1,000人が死亡、コレラで一度に300人が亡くなったこともあったという。また、橋詰正雄さんがいたチョンジン収容所では、日本人は屋外に寝かされ毎日10人以上が死んでいったという。「私たちは満州で捨てられ、ソビエトに捨てられ、二度にわたって捨てられた。あまりに過酷な生活で家族にも語ったことはなかった。北朝鮮には、今も亡くなった仲間たちの遺骨が多く眠っているが、墓参のすべもないことが心痛い」と橋本さんは語る。
厚労省によれば、シベリア抑留者57万5千人にうち帰国した人は47万3千人、現地での死亡5万5千人で、残る4万7千人が消息不明だった。今回明らかになった北朝鮮へ移送された2万7千人はその消息不明者たちと推測されている。さらに、北朝鮮からの日本への帰還者は47年末までに大体終了したとされているが、その時1263人の抑留者が現地に残ったとされている。その消息はいまだ不明である。
番組では、今回初めてロシアのアーカイブから公開される北朝鮮移送関連文書や、抑留者たちが語る北朝鮮での抑留の詳細から戦後60年間、謎とされていた抑留者の北朝鮮移送の真相に迫る。
引用終わり
NHK教育 ETV特集 平成一七年一〇月二二日
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2005/1022.html

 この違法行為である醜い強制連行についての謝罪、補償などは厚顔無恥な当時のソ連はもちろん北朝鮮は何も言っていません。日本に対して五月蝿く言っている嘘つき朝鮮人とその先兵となっている反日日本人はこのような事はどう思っているのでしょう。
 現在日本にいる朝鮮人は、ほとんどが戦前、戦後に日本に職を求めてきた者およびその子孫です。不法入国してまで我が国に殺到したのです。それは平和な現在も続いています。朝鮮人の密入国数、不法滞在数の多さがそれの何よりの証明です。強制連行という言葉は朝鮮人には当てはまりません。
 「強制連行された」という言葉は先人が悲惨な目にあった我々日本人こそソ連、朝鮮に対して言うべき言葉なのです。