坂井三郎氏の最後のロングインタビュー

寄生虫論 慰安婦・南京のウソ


平成21年4月1日水曜日くもりのち大雨 ×××

 WiLL別冊四月号「歴史通」に坂井三郎氏の「大空のサムライ 最後のロングインタビュー」という興味深い記事が掲載されていました。

 この中に「日本はアメリカの寄生虫」というのがあります。

以下引用

 <日本人は一億総寄生虫ですよ。アメリカにずっと寄生してきたから、ごらんなさい、このざまです。アメリカに見捨てられたらもう日本は滅亡ですよ。五十年も寄生していたら確実に人間は変わります。コロコロ変わるから「心」というんです。

 戦争直後、夫を戦地でなくして家を焼かれ、子供たちを抱えてどうしようもなくなって乞食をして暮らしていたおふくろさんがいた。それをあわれんだパン屋さんが売れ残りのパンをあげたんです。

 おふくろさんは「ありがとうございます。ありがとうございます。」と随喜の涙を流して喜んだ。それで次の日も、その次の日もパンを与えたんですが、たまたま遠くに出かける用事ができて、しばらく行かなかった。

 そうして、何日かして顔を見せたら、おふくろさんは「昨日もおとといも、何で来なかったんだ」と言ってパン屋さんをなじったそうです。

 最初は涙を流して喜んだそのおふくろさんがですよ。

 いったん寄生してしまうと人間はそれほど変わる。

略)

 日本は何もせず経済発展に邁進した結果、アメリカの寄生虫になってしまった。その寄生虫がてんでに勝手なことを言っている。

高校や大学でそういうことを教えないと日本は危ういと思います。>

(P八十一)

略)

<学校で本当のことを教えればいいんです。

 たとえば、「従軍慰安婦」なんて言葉は、当時はなかった。第一、戦地に女なんかいませんよ。一人も見たことがない。それに、これは重要なことなんですが、一日行軍したらもう女どころじゃあありません。

 三八式歩兵銃を担いで、背嚢しょって、前に四十発、後ろに八十発の弾丸下げて手榴弾持って。行軍終えて荷物を下ろした時には腰にこすれてそれこそ血だらけです。

 もう性欲どころか食欲もない。バタングーですよ。そんな状態で女を引き連れていけますか。まして道々片っ端から強姦しながらなんて、冗談じゃない。

 たしかに、戦闘の行なわれていない後方基地には慰安婦はいました。けれど、これはどこでもそうでしたが、慰安婦は司令官の給料の何倍ももらっていた。バラバラにならないように軍票を積み上げてヒモでしばって、その一束がちょうどレンガぐらいの大きさになるので「レンガ」と言っていましたが、それを四つも五つも下げていたんです。

 それに自由もあった。今日は接客したくないと言えば、飯だけ食ってブラブラしていてもよかった。

 「南京大虐殺」だってそうです。南京が陥落したら陸軍のほとんどはすぐに出て行ってしまった。残ったのは千五百人ぐらいですよ。千五百人でどうやって二〇万人、三〇万人を殺すんですか。穴を掘るだけだって大変ですよ。そうかといって川へ流そうもんなら、たくさんの遺体が上海までプカリプカリ浮いていく。世界中の報道班が来ているんですよ。大虐殺があったら気づかないはずがない。東京裁判まで、そんな話はまったく出ていませんでした。>

 

< 日本軍の虐殺行為を撮影したというアメリカのドキュメンタリーがありましたが、あれは日本軍ではない。共産軍です。見落としている人が多いようですが、我々が見ればすぐわかる。日本軍、蒋介石軍、共産軍でそれぞれ脚絆の巻き方、靴が違うんです。私が見た映画で日本軍とされていたのは、すべて脚絆の巻き方が共産軍のものだった。たしかに軍服と軍帽は日本軍のものでしたが、どんなに欺いてみせようとしても、ちょっとしたところで馬脚を現してしまう。

 要するに、慰安婦問題も南京虐殺も、日本が経済大国になってカネができてから韓国、中国が言い出したことです。日本が食うに困るような国だったらそんなことは言わない。カネ狙いの捏造ですよ。だから理路整然と対抗しなければいけない。弁明するんじゃなくて、事実を言うんです。

 そんなことよりも、ラバウルには韓国人が三千名、台湾人と高砂族が会わせて二千名、計五千名の私設(施設の間違い?)部隊がありました。

 その部隊の長が、このあいだもここを訪ねて来られましたが、あの人たちは天皇の軍隊、皇軍としてラバウルまで行き、大変な働きをしたんです。だから当然、退職金がわりに恩給を支払うべきです。負けて国籍が変わったからって払わないというのは道義に反していますよ。

 謝罪だ、補償だって、払ってはならないところに言いなりに払って、皇軍として命がけで働いた人たちに何もしない。これはどう考えてもおかしいんじゃありませんか。>

引用終わり

(P八二〜八三)

 

 考えさせられる事ばかりです。

 特に、パン屋さんから残り物のパンを貰って感謝していた乞食が、それが当たり前になり、

やらないとパン屋さんをなじるという話は、なんか、だれの身の回りにもありそうな話です。

 

 午後からスポーツセンターに行く。

 今日は時間があったので、二時間ほどいてメニューを消化することができた。

 

 夜になり凄い雨。ヒマ。ひょっとして、今年最初のオチャピーかと思ったら、遅い時間にマロさん来店。

ドンチャン。

 営業終了後、酒を持って中野の「石松」さんに伺う。

乗っけてもらったタクシーの運転手さんにそのうちの一本を。

同じように、勢いで十四代の大吟醸を運転手さんにあげたという小胡子さんのことを「また・・・・・・・・・」と言えない・・・・

ヨッパライはそんなもんです。

 でっ、「石松」さんでやっぱ、ドンチャン。

 帰りは石松のマスターと駅前のいつもの立ち食いうどん屋さんに寄る。

 記憶はあったと思うが、自信はない・・・・


 

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