坂口安吾「特攻隊に捧ぐ」にみる占領軍の検問

 

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成20年12月3日水曜日晴れ △
 坂口安吾という文豪の名前で何を思い浮かべるであろうか。有名なのは「堕落論」であろう。「特攻隊に捧ぐ」などという文章を思い浮かべる人は少ないでしょう。これは「ホープ」という雑誌の昭和二十二年二月号に発表されたものですが、GHQの検問により全文掲載禁止とされました。
 
<数百萬の血をささげたこの戦争に、我々の心に○○高めてくれるような本當の美談が少ないということは、なんとしても切ないことだ。それは一に軍部の指導方針が、その根本に於て、たとへば「お母さん」と叫んで死ぬ兵隊に、是が非でも「天皇陛下万歳」と叫ばせてやろうといふやうな非人間的なものであるから、眞に人間の魂に訴へる美しい話が乏しいのは仕方がないことであらう。

 けれども敗戦のあげくが、軍の積悪があばかれるのは當然として、戦争にからまる何事をも悪い方へ悪い方へと解釋するのは決して健全なことではない。
 たとへば戦争中は勇躍護國の花と散つた特攻隊員が、敗戦後は専ら「死にたくない」特攻隊員で、近頃は殉國の特攻隊員など一向にはやらなくなってしまつたが、かう一方的にかたよるのは、いつの世にも排すべきで、自己自らを愚弄することにほかならない。もとより死にたくないのは人の本能で、・・・死にたい兵隊のあろう筈はないけれども、若者の胸に殉國の情熱といふものが存在し、死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散つた尊厳を敬ひ愛す心を忘れてはならないだらう。我々はこの戦争の中から積悪の泥沼をあばき天日にさらし干し乾して正體を見破り自省と○明日の○○の足場とすることが必要であるが、同時に戦争の中から眞○の花○をさがして、ひそかにわが部屋にかざり、明日の日により美しい花○をもとめ花咲かせる努力と希望を失つてはならないだらう。
 私はだいたい、戦法としても特攻隊といふものが好きであつた。人は特攻隊を残酷だといふが、残酷なのは戦争自體で、戦争となつた以上はあらゆる知能万策を傾けて戦ふ以外に仕方がない。特攻隊より○にみぢめに、あの平野、あの海○、あのヂャングルに、まるで泥人形のやうにバタバタ死んだ何百萬の兵隊があるのだ。戦争は呪うべし、憎むべし。再び犯すべからず。その戦争の中で、然し、特攻隊はともかく可憐な花であったと私は思ふ。
 戦法としても、日本としては上乗のものだつた。ケタの違ふ工業力でまともに戦へる筈はないので、追ひつめられ
中略)
人の子を死へ駆りたてることは怖るべき罪悪であるが、これも戦争である以上は、死ぬるは同じ、やむを得ぬ。日本軍の作戦の幼稚さは言語道断で工業力と作戦との結び方すら組織的に○○されてはおらず、有力な新兵器もなく、ともかく最も獨創的な新兵器といへば、それが特攻隊であった。特攻隊は兵隊ではなく、兵器である。工業力をおぎなふための最も簡便な工程の操縦器であり計器である。
 (中略)
 彼らは自ら爆弾となつて敵艦にぶつかつた。否、その大部分が途中に落とされてしまつたであらうけれども、敵艦に突入したその何機かを彼等全部の榮譽ある姿と見てやりたい。母も思つたであらう。戀人のまぼろしも見たであらう。自ら飛び散る火の粉となり、火の粉の中に彼等の二十何歳かの悲しい歴史が花咲き消えた。彼等は基地では酒飲みで、ゴロツキで、バクチ打ちで、女たらしであつたかも知れぬ。やむを得ぬ。死へ向つて歩むのだもの、聖人ならぬ二十前後の若者が、酒をのまずにゐられようか。せめても女と時のまの火を遊ばずにゐられようか。ゴロツキで、バクチ打ちで、死を怖れ、生に戀々とし、世の誰よりも戀々とし、けれども彼等は愛國の詩人であった。いのちを人にささげる者を詩人といふ。唄う必要はないのである。詩人純粋なりといへ、迷はずにいのちをささげ得る筈はない。そんな化物はあり得ない。その迷ふ姿をあばいて何になるのさ何かの役に立つのかね?
 我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもらうではないか。軍部の偽瞞とカラクリにあやつられた人形の姿であつたとしても、死と必死に戦ひ、國にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。
 私は無償の行爲といふものを最高の人の姿と見るのであるが、日本流にはまぎれもなく例の減私奉公で、戦争中は○○○に至極簡単に言ひすててゐたが、こんなことが百萬人の一人もできるものではないのである。他のためにいのちをすてる、戦争は凡人を駆つて至極簡単に奇蹟を行はせた。
略)
 青年諸君よ、この戦争は馬鹿げた茶番に過ぎず、そして戦争は永遠に呪ふべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿つた「愛國殉國の情熱」が決して間違つたものではないことに最大の自信を持つてほしい。
 要求せられた「殉國の情熱」を自○的な、人間自らの生き方の中に見出すことが不可能であらうか。それを思ふ私が間違つてゐるのであらうか。>

(坂口安吾「特攻隊に捧ぐ」ホープ第二巻第二号 昭和二二年二月)
 
 「抹殺された大東亜戦争」(藤岡寛次 明成社平成一七年)P三九四〜三九六
(一部は同書に掲載された写真より私が起こした文章ですので、間違いなどあるかもしれません。写真より判読できなかった箇所は○○にしてあります。)

 私は、この坂口安吾の文を読んだ時、「特攻隊の勇士はただ幻影であるに過ぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないか」と著書「堕落論」に書いた同一人物の文章とは思えないものであり、感動的な名文であると思いました。
 あの名書「閉ざされた言語空間」を書かれた江藤淳氏はその著書に「今日の日本に、あるいは平和もあり、民主主義も国民主権もあるといっていいかもしれない。しかし、今日の日本に、自由は依然としてない。」と書かれています。
 我が国政府が、社会主義者が亡国のためにつくった「村山談話」などという戯言を否定できないということは、この坂口安吾の名文が全文掲載禁止とされた昭和二〇年代から六〇年以上たった現在も、江藤氏の言葉のとおり、GHQの呪縛から逃れられていないようです。

 昨日暇だったので、河岸には行かず。午後に部屋からスポーツセンターに直行。水曜日としては時間たっぷりなので、いろいろなメニューを消化。みなさんから平日にゆっくりとは珍しいですねとお声がかかる。
 ここしばらくはスロートレーニングなので、ベンチプレスの場合は、アップのあとは八〇キロを五秒かけて上げて、五秒かけて下ろす。それをできるだけ(現在は七〜八回ほど。できる回数が増えるとウエイトを上げる。)。七五キロを同じくスローでできるだけ。七〇キロをスローできるだけ。最後に六〇キロを普通にやりできるだけ。インターバルは一分。毎セットできるだけの回数をやり、最後は絶対に潰れるというより潰れるまでやらなければいけないので、補助の人が必ずついてもらう必要があるのが難点。スロートレーニングは使うウエイトが軽くて済むために、肩などを傷める確率が非常にひくくなるのと、オールアウトするためにセット数が少なくてすみます。(普通にベンチプレスをやるとインターバル二〜三分、長い人はもっととりますので、アップを入れて一〇セットほど消化する人が多いので三〜四〇分以上はかかります。)
 義侠の山田社長、美丈夫の濱川社長にお礼の電話をする。
義侠の飲んべえの会(慶の垂直)は来年の二月八日に決定。
 今日は珍しく忙しい。小胡子さん来店。四名様来店。一名様来店。Oさん二名様で来店。酔狂師さん来店。
ドンチャン。どういうわけか記憶あり。珍し〜

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