斉藤貴男 (齋藤貴男)

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成19年3月20日火曜日


 ジャーナリストの肩書きのある斉藤貴男氏の著書「非国民のすすめ」(筑摩書房 二〇〇四年刊)によると <
自分が日本人である現実が辛くなってくる>として石原慎太郎東京都知事が二〇〇三年一〇月の「彼らの総意で日本を選んだ。どちらかと言えば、彼らの先祖の責任だ」
その三日後の「日本がやった植民地主義というのはまだ人道的で人間的だったとおもう」
「清国のほとんど自主的な属領から解放してもらった日本にね、下駄を預けたということじゃあないですか。それが正確な歴史です」という発言を例に挙げて
<彼の場合は人間としての良識、たしなみの問題になってくる>(p三二)

とまで書いている。本当の事を言うのがどこが良識、たしなみの問題になるのであろう。


 このような姿勢は、氏のこの著書の他の個所にも書かれている下記のような文章からも伺える。


<北朝鮮による日本人拉致事件について、過去の強制連行に言及する事も事実上ゆるされない現状に照らせば・・・>(p一〇〇)
<日本人はつくづく、差別が大好きな民族であるようだ。世界中どこにも似たようなものかもしれないが、日頃アメリカの白人サマに媚びへつらいまくっている分だけ、かつて植民地支配していた相手には余計に居丈高になり、実は屈辱にまみれている内面のバランスを取りたがるから始末が悪い。

 
拉致事件の被害者たちが帰国して以来の北朝鮮報道はほとんど狂気の沙汰である。朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)と名がつく一切合切は絶対悪で、わが大日本帝国すべてが絶対善なりという以外には何も語っていない傲慢ばかりをマスメディアは連日連夜、それこそ洗脳よろしくこれでもかとたれ流し続けている>(p一一九)
<拉致事件は確かに醜い。しかし、同じ事を、いや拉致してきた人数も強要した行為もそのはるか上をいくスケールで戦時戦中の日本が朝鮮の人々にしていた歴史が無視されていく限り、今回の拉致をした側はいくらでも自らを正当化することができてしまう>(p一二一)
<朝鮮半島における日本の植民地支配や皇民化教育、強制連行などの史実は改めて強調するひつようもない。>(p一二二)
<そもそも在日朝鮮人社会がどうして、誰のせいで形成されなければならなかったかという視点が決定的に欠落していた>
(p一二五)


 そして北朝鮮の朝鮮学校の高級学校(高校に相当)一年生女子学生の文章を正視できないとして
「私はこの問題によって日本の人を恐がるようになり、外で遊ぶ時などは絶対、朝鮮人ってバレないように、日本人になりすまそうと思う。もうこれ以上、北朝鮮のニュースで傷つきたくない。在日朝鮮人が、近いうちに日本から追い出されそうな気がして、怖くて心配でたまらない。私は今、日本がとても恐く思う」
と例に挙げているが、この文章が本当に女子学生の発言だとしてもどこが問題なのであろう。悪い事をすれば責任を取るのが当たり前なのです。
 異常な祖国を正常な国にしようとなんの努力もせず、我国のためにも生きようともせず、つねに被害者面をし悪いのは日本であると嘘を並べて生きて来た在日朝鮮人の生き方が問われているのである。


 このような事を書く斉藤氏のジャーナリストとしての姿勢とは
<「調査報道」こそがジャーナリズムの最大にして本来あるべき役割なのだと言い換えてもよいかもしれません。それどころか私自身は、ジャーナリズムとは調査報道を行うことができるから社会的に存在を許されているとさへ考えています>(p一六三)
<つまり私は、他人の批判を書く時には、そのための取材に最大限の努力を払い、誰からも後ろ指を指されることのない一人前のジャーナリストたらんと心がけてきたつもりです、と言いたいのだ>(P三〇九)


だそうですが、ジョークで書いてなければアホとしか思えません。朝鮮人のいうことをそのまま垂れ流している人間の言葉とは思えないです。
 特に<拉致事件は確かに醜い。しかし、同じ事を、いや拉致してきた人数も強要した行為もそのはるか上をいくスケールで戦時戦中の日本が朝鮮の人々にしていた歴史が無視されていく限り、今回の拉致をした側はいくらでも自らを正当化することができてしまう>という発言は、あの辻元清美議員の<日本は、かつて朝鮮半島を植民地にして言葉まで奪ったことに対して、北朝鮮には補償を何もしていないのだから、あたりまえの話です。そのこととセットにせずに、「9人、10人返せ!」ばかり言ってもフェアじゃないと思います。>というのと同じレベルのアホな発言としか思えません。この斉藤貴男という御仁の程度がよく判る発言です。

 



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