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王育徳

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


「昭和を生きた台湾青年」

平成23年4月5日火曜日晴れ ○ 17

 昨日は部屋で我が国に亡命し、台湾独立運動に尽くした故王育徳博士の著書「昭和を生きた台湾青年」(編集協力近藤明理 草思社 平成二十三年刊)を読む。

 王博士は戦後我が国に亡命し東京大学に復学後、大学院卒業間際に台湾独立を目標とした「台湾青年社」を立ち上げ、自身が昭和三十五年(一九六〇年)四月十日に創刊した「台湾青年」が、蒋介石政権による本省人虐殺を世界で最初に刊行物としての第六号(昭和六十年一月)に掲載した。

 多くの台湾からの留学生も活動には参加していたが、この時、本名で活動していたのは東京大学を卒業後に明治大学講師として職を得ていた王氏だけであった。

 その王博士の日記には台北高等学校の一期後輩が東京の自宅に訪ねて来た事が記されている。

昭和三十六年(一九六一年)六月十六日の日記

<家に帰るとR氏が来ていた。実に気持ちのいい人で、こんな素晴らしい台湾人にあったのは日本に来て以来初めてだ。将来の独立に希望が持てる。>

そして、同じく六月三十日

<Rさんを訪ねる。十一時過ぎまでしゃべる。台湾の経済は彼に任せて大丈夫。T氏のこと、農学部学生に対する講演の事、台湾経済の事、政治家の事、一旦緩急あればの事、肝胆相照らして話し合った。彼のような快男児が台湾に百人おれば理想郷の建設は夢物語じゃあないのだが、元気で再会出来るように祈る。>

同書P三〇六〜三〇七

 この王博士が日記にR氏、Rさんとし、「彼のような快男児が台湾に百人おれば理想郷の建設は夢物語じゃあない」と書いているのは、のちに台湾人として初めて台湾総統となった若き日の李登輝氏です。

 編集協力の近藤明理氏は王博士の次女として我が国で生まれました。

 民主主義国家である台湾は故王育徳博士が夢みたようにまだ独立国家として国際的に認められていない。

 今回の地震でも、何処の国よりも早く救助隊の派遣を表明し、義援金は大国米国より多い一〇〇億円以上が寄せられたという。人口が米国のたった十四分の一でありながらこのような親日国である台湾に対し我が国は、そして、我が国民はどれだけ報いて来たのであろうか。

 今日はメチャヒマ。

 Sさん、Iさん来店。

 Oさん来店。

 酒は飲まず。

  


 



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