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一杯飲み屋の親父の酒と酒の日々
<のんべえ日記>

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


1月31日日曜日晴れのちくもり○

 店を片付けてから午後よりスポーツセンターへ行く。

 今日は時間もあり、久しぶりにほぼ三時間いっぱいのメニューを消化。

 左肘内側、右肩に少し痛みあり、ベンチプレスは軽めにして上げ下げはゆっくりとできるだけの回数。

 スポーツセンターの帰りは先週も行ったトンカツ屋さんに寄る。

 芳林堂さんにて立ち読みし、雑誌二冊と「朝鮮で聖者と呼ばれた日本人」(田仲秀雄 草思社 平成二十二年刊)、「靖國神社の祭神たち」(秦郁彦 新潮社 平成二十二年刊)を購入。

 帰宅後は、長風呂に入った後は朝までかかって「回天」関連の読みかけだった本と新しく届いた本を読む。

 

 酒は飲まず。というか今は部屋には酒は置いていない。


1月30日土曜日晴れ ○

 Oさん来店。Iさん二名様で来店。お連れいただいた御婦人は御両親よりよほどしっかりとした躾と教育を受けてきたのだろう。言葉使い、動作を見ていてそう思った。

 わ。さん来店。来月、奥さん孝行の遅めの新婚旅行に行かれるそうな。

 Y@横浜さん来店。今日は何時もより早い時間にご来店なので、ゆっくりと飲んでいただいたようで。

 初めてのお客様Kさん四名様で来店。

 今日は土曜日の割には忙しい。

 ビールを飲んだら、あまり旨く感じなかったので、今日は酒を飲まずにさっさと寝る。


1月29日金曜日晴れ ×××××

 バンブーさん来店。一名様来店。Eさん二名様で来店。

 島根からTさん来店。大事な会議に出席予定が東海道新幹線の事故で、中に閉じ込められ出席出来なかったそうな。

 小胡子さん、BOOちゃん来店。なべちゃん来店。最近写したワンちゃんの写真を見せニコニコ。

 へべれけさん来店。Tさん二名様で来店。二名様来店。

 森と名乗る言葉使いも知らないアホ(0×0−4034−3435)が二名で来店。すぐに帰る。

 あそこまでアホも中々おらんだろう。

 営業終了後、Tさんと神楽坂にある「Ambra」というイタリアワインのお店に伺う。

 ドンチャン。サル・・・・・・・・・・


1月28日木曜日曇り一時雨 △

 「人間魚雷 特攻兵期『回天』と若人たち」(鳥巣建之助 新潮社 昭和五十八年刊)、「回天特攻 学徒隊員の記録」(武田五郎 光文社 平成九年刊)、回天』その青春群像」(上原光晴 翔雲社 平成十二年刊)が届く。

 いずれも先日購入した「特攻 最後の証言」(「特攻 最後の証言」制作委員会 アスペクト 平成十八年刊)に掲載されていた回天会会長だった小灘利春氏の証言にあった著書とその著書。

 

 Mさん三名様で来店。Sくん来店。

Kさん来店。

 ドンチャン。記憶はあったように思う。


 

1月27日水曜日晴れ ×

 今日は河岸が休みなので、午後からスポーツセンターに行く。今日はチューブをメインにメニューを消化。

 夕方、長谷川酒店さんに明日の酒の注文。

 もうすぐ留学というTさん三名様で来店。当店の一番ご近所に御住まいのお客様レミさん友人の方二名様と来店。友人の方はめちゃ日本語が上手。

 マロさん来店。二名様来店。

 ドンチャン。記憶なし。灯つけっぱなしでカウンターで寝てました。


1月26日火曜日晴れ △

 今日、宅急便でへべれけさんからガスファンヒーターが届く。

 ありがたい。早速使わせていただく。

 長谷川酒店さんに明日の酒の注文。

 

 ホロン部員Yさん来店。二名様来店。二名様来店。

 早い時間から飲む。

 ドンチャン。記憶はあったと思う。


1月25日月曜日晴れ ○

 今朝五時頃まで起きていて、寝て一時間?ほどで左足の太ももの内側がの筋肉がつる。痛いので起きてマッサージ。やっと治まり寝てしばらくするとまた今度は左足の膝下の外の筋肉がつる。

 結局、ゆっくりと寝るつもりが八時前に起きる。

 腕、肩などが筋肉痛。

 コーヒーを入れてゆっくりした後に、朝風呂。

 午後から立川に行き、マルガリータさんに歯の治療をお願いする。工事かな?

 帰りに同じビルにある本屋さんに寄る。この本屋さんは結構面白い本が置いてあり楽しい。

 「特攻 最後の証言」(特攻・最後の証言制作委員会 アスペクト 平成十八年刊)を購入。

 同じ本屋さんに林えいだい氏の著書「陸軍特攻・振武寮」「黒潮の夏 最後の震洋特攻」などがあったが、嘘つき朝鮮人の言う事をそのまま本にするような御仁であるからこういうものは古本屋さんで購入するに限る。

 ネットニュースによると、「外国人参政権断固反対!」のデモ行進に高校生らによる催涙スプレーのテロおよびスタンガンによるテロがあったようだが、動画を見ていて思うのは警察官による犯人に対しての過剰なまでの「保護」ぶりである。

 長野においても支那人を守り、その横暴を許していた。

 他国においても同じ事をやればどうなるか。

下記は瀬戸弘幸氏のブログ「日本よ何処へ」http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/

にあった犯人どもの映像です。連中がいくら言い繕っても、動画などで、このカスどもがやった犯罪行為は明らかです。

 早く寝るつもりがいつも通り。

 酒は飲まず。


1月24日日曜日晴れ ○

 店を片付けてから、新宿の東急ハンズに行き金箔を購入。金箔というと高そうだが、職人さんが叩いてうす〜く引き延ばした金箔は十センチ四方ぐらいで三百八十円。三百五十円というのもあったが、加賀の金箔ということで高い方(それでも三百八十円)を購入。

 その後、高田馬場の芳林堂さんと同じビルの地下にあるトンカツ屋さんにて食事をした後に、芳林堂さんに寄り雑誌などを購入。

 スポーツセンターに行く。金曜日にやったメニューのため、背中と胸がまだバンバンに張っており痛いので、今日はベンチプレスはせず他のメニューを消化。

 部屋に帰り、久しぶりに松原隆一郎氏のホームページ「松原隆一郎思考の格闘技」を開いたら、面白く遅くまで見てしまう。


 

小沢氏の理解出来ない金銭感覚

1月23日土曜日晴れ ○

 小沢氏の事情聴取が終わったそうだが、すでにその証言の矛盾をつく指摘がネット上にあふれている。

 普通考えても、足がついたら困る犯罪組織の朝鮮総連ではあるまいし、四億円以上の巨費を金庫に「現金」で眠らせておく事が理解出来ないだろう。

 小沢氏の発言だけでも嘘とわかっている事がいくつもある。

 「政治資金についてはすべてオープンにしている。収支を全部公開しているのは私だけではないか」

平成十六年土地代金の原資四億円の収入、土地代金三億五〇〇〇万円の支出。平成十九年小沢氏本人への返済金四億円など、政治資金収支報告書に記載していない収支がいくつもでてきた。

平成十六年の土地購入代金は「銀行からの融資」

融資を受ける前に土地代金を払っていた。

その後「私どもが積み立ててきた個人の資金」(二十二年1月十六日の民主党大会にて)

土地購入にかんしての「確認書」

作成年月「平成十七年一月七日」

実際は、会見直前の「平成十九年二月」

 

そして、四億円の原資についての説明も

平成六十年に湯島の自宅を売却した残りの二億円を積み立て、平成元年十一月に引き出した二億円。十四年も金庫に眠らせていた。

平成九年十二月に家族名義の口座から引き出した三億円。約七年間も金庫に眠らせていた。

平成十四年四月に同じく家族名義の口座から引き出した六千万円。二年以上も金庫に眠らせていた。

それを元赤坂の事務所の金庫に保管し、貸し出した。

定期貯金の金利の推移という杉並区が作成したグラフがある。

http://www2.city.suginami.tokyo.jp/library/file/gz_kenkyukai2_sr8.pdf

 バブル期と言われる昭和六十年(一九八五年)から平成四年(一九九二年)頃の定期預金の金利は今と違って、高金利であることがわかる。

 特に、小沢氏が二億円引き出したころは普通でも二%、定期で七%以上と高金利である。普通で年間四百万円、定期で年間千四百万円もの金利。単純計算でも、五年で定期七千万円、十年で一億四千万円。銀行に置いておくだけで、これだけの金になる。

 実際には複利計算では途方も無い金額が転げ込む事になる。

 

 それをわざわざ一円の利子もつかない金庫に入れ、十四年も寝かせるとは我々一般庶民には理解の出来ない事である。

 築地に仕入れに行くが、身体が何となくかったるい。

 

 初めてのお客様Iさん三名様で来店。

 Tさん来店。

 昨日のドンチャンのせいかかったるく飲む元気もなく、さっさと寝る。


1月22日金曜日晴れ ×××

 仕込みを終え、久しぶりにスポーツセンターへ行く。

 時間があまり無いので、軽めのメニューを消化。

 今日は珍しく大忙し。

 Tさん来店。バンブーさん来店。酔狂師さん来店。Oさん、Iさん来店。

 Kさん来店。Oさん来店。

 Nさん二名様で来店。来店。二名様来店。

 めぐ蔵さんがお手伝いに来てくれたので、ラクチンということで、

早くからドンチャン。

 記憶なし。気が付いたら灯をつけっぱなしで、鍵も閉めずにカウンターで寝てました。

 猿・・・・・・・・・・・・・・


日本統治下における朝鮮半島での日本人の人口と職業分布

1月21日木曜日くもり △

 今年が朝鮮併合百年とかでいろいろと騒がしい。

 我が国併合時代に日本人は朝鮮半島にどれ程の人口がいたのか。

 呉善花氏の「生活者の日本統治時代」(三交社 平成十二年刊)には下記のような数値が書かれている。

 明治四十三年(一九一〇年)に朝鮮を併合し約十年が過ぎた大正九年に一七万一五四三人

 昭和六年(一九三一年)五二万四六六〇人

 昭和十七年(一九四二年)七五万二八二三人

 これは朝鮮半島における朝鮮人人口との割合でみてみると、大正では一%未満であり、昭和六年では朝鮮人二〇九八万六四〇〇人に対して二・五%しか占めないことになる。

 

 しかも、日本人は主として都市部に居住し、昭和十七年では八十二%が都市部に居住、そのうち三十%が京城や釜山に住んでいた。

 (朝鮮人は八十%が農村に居住していた。)

 職業としては

 大正十二年に朝鮮居住日本人の三十五%が公務員及び自由業者である。

 昭和十三年には三十八%となっている。

 産業人口は、「商業および輸送」一位、「工業」が二位である。

 朝鮮人は

 昭和十三年における農業従事者が七十五・七%、商業および輸送七・五%、公務員および自由業二・九%である。

 朝鮮における日本人は本土に比べても高い教育が受けたものが多く、職業上の社会的地位は高く、高収入だった。

 これは、恵隆乃助氏の著書「誰も書かなかった沖縄」等にも書かれているが、我が国政府は戦前、朝鮮、台湾などの海外領土に赴任すると内地勤務の際の本給に手当が七割加算され、十五年でつく恩給も十年に短縮されたため、帝国大学出身者などの優秀な人材の多くが台湾、朝鮮などの海外領土に赴任している。

 沖縄は国内のため、沖縄出身者でさえ本土の高等師範、帝国大学を出ると地元に帰らず、植民地へと向っている。(p七十二〜三)

 杉本幹夫氏の著書「植民地朝鮮の研究」には初代朝鮮総監寺内正毅が資本家の来鮮は歓迎したが、無資本の一旗組の来鮮は、朝鮮にとって百害あって一利無しとし、彼等を如何に放逐するか苦心したと書かれている。

(P二百四十七 杉本氏は青柳綱太郎「総督政治史論(上)」龍渓書舎復刻一九九六より引用)

 それに対して、朝鮮人の教育水準は低かった。

 中学校または同等以上の学校の就学者は、昭和十四年で日本人が人口千人あたり三十二・七名だったのに対して、朝鮮人では一・一三名だった。ただごく少数の朝鮮人(多くが地主で旧ヤンバン階級の子弟)は、近代的教育制度のもとで小学校水準以上に教育され、なかには日本内地で学んだ者もいた。

 このような状況から理解出来る事は、日本人と接した事の無い朝鮮人も多くいたことを呉善花氏は指摘している。

 

 引用および参考文献

「生活者の日本統治時代」(呉善花 三交社 平成十二年刊)

「誰も書かなかった沖縄」(恵隆之助 PHP 平成十二年刊)

「植民地朝鮮の研究」  (杉本幹夫 展転社 平成十四年刊)

 Iさん御夫妻来店。ホロン部員Yさん来店。

 ヒマ。ということで早い時間からドンチャン。

 記憶はあり。サルにはなりませんでした。


祖国と領土

1月20日水曜日晴れ ×

 「国境の島が危ない」(山本皓一 飛鳥新社 平成二十二年刊)を読む。

 著者の山本氏は尖閣諸島、与那国、対馬、竹島、南鳥島、沖ノ鳥島、択捉、国後をその足で取材して回り、この本にまとめている。

 その中に南鳥島にて、自衛隊員の「我々がここにいる理由の一つはショー・ザ・フラッグです」と胸を張って答えた事に関して下記の様に書いている。

「事実、南鳥島が日本領土であるからこそ日本の経済水域は広大なものになっています。もし、竹島や尖閣諸島にショー・ザ・フラッグを早い時期に実行していたら、中国や韓国、ロシアなどの対応も、今ほど捻れたものにならなかったと思えるのです」

 今、我が国の国境に位置する島で自衛隊が駐屯するのは、南鳥島以外に対馬だけである。

 与那国町長が陸自部隊配備を要望した時に、北沢防衛相の対応が今の我が国政治家の姿をよく現している。

<北沢俊美防衛相は25日の記者会見で、検討を進めていた日本最西端の沖縄県・与那国島など離島への陸上自衛隊の部隊配備について「早急に配備する必要があるのか。いたずらに近隣諸国に懸念を抱かせることはしないで、丁寧にやっていきたい」と慎重な姿勢を示した。

 麻生内閣当時、浜田靖一前防衛相が島しょ防衛や防災の観点から部隊配備検討の考えを表明していた。今年8月の与那国町長選では、陸自部隊誘致推進派の現職町長が再選を果たしている。

2009/09/25 12:11産經新聞>

<日本最西端にある沖縄県与那国町の外間守吉(ほかましゅきち)町長は12日、防衛省で北沢俊美防衛相と会談し、陸上自衛隊の部隊を配備するよう要望した。北沢防衛相は同日の閣議後会見で「省内に(配備の)必要性があれば上申するように言っている。検討すべき課題であることは承知している」と述べるにとどめた。【仙石恭】2010年1月12日毎日新聞>

 過去の政治家の領土についての国家意識の欠落している一番の例は、西村眞悟氏が指摘していた橋本龍太郎氏が総理大臣の時に 南朝鮮の当時の大統領金泳三が、竹島の要塞化工事を始めた時にそれをだまって見ていたことに現れていると思う。

 初めてのお客様Kさん三名様で来店。Mさん来店。

 イデアルさんのスタッフ二名様来店。

 Fという名前で二名の予約をしていた人が来店せず。

 連絡もなし。

 予約ノートを見ると予約をして連絡もなく来店しなかったのは、去年は十四件あったようだ。

 Fという人の電話番号をあらためてノートでみると、今月六日にも電話して来て、来なかった人と同じである。

 病気やな。

 

 ドンチャン。記憶はないみたい。


アンガウル、ペリリュー島の戦い

1月19日火曜日晴れ △

昨日読んでいた本の中に「戦いいまだ終わらず」(久山忍 産經新聞出版 平成二十一年刊)があります。

 久山忍氏はペリリュー島守備隊として昭和十九年九月十五日より昭和二十二年四月二十二日まで戦い続けた三十四人の日本兵の事を書いている。

 主に、終戦を確かめる為に米軍に投降した土田喜代一元帝国海軍上等兵の体験談です。

 同じ土田氏の体験談が掲載されているものとして、手元に「アンガウル、ペリリュー戦記」(星亮一 河出書房新社 平成二十年刊)が手元にある。

 そして、ペリリュー島からの生還者でつくる「三十四会」の代表を務めた第六中隊小隊長山口永少尉は下記の様に報告している。

 

<兵器は小銃が錆て使い物にならなくなったので、米軍のカービン銃の銃身を半分に切り、銃床をとりかえて木製の握把をとりつけ、拳銃式に使用した。食糧は欠乏後、陸カニなどを主食とし、向島付近の米軍糧食集積所に出撃し、約三年分を獲得貯蔵した。

 私製日めくりを作り、クリスマスイブを十二月二十五日に合わせたが、米軍に帰順したとき、二日の誤差があった。各隊の連絡日時は主として旧暦を使い、満月などで確認した。

 約一年は夜間行動に限定したため、まったく日光に浴さなかったが、健康にはなんら支障はなく、各人は自動車のスプリングで作った蕃刀、拳銃、手榴弾二個を必携し、戦闘行動を継続した。

 手榴弾一発は自決用とした。

 洞窟内の灯火は米軍から獲得したガソリンランプを、炊事にはトーチカランプを使用した。潜伏地域に富山西方湿地帯を選定したのは、地形を熟知していたからである。

 余暇には将棋、碁、トランプ、花札などを娯楽とした。

 被服はボロボロになったので、はじめは天幕を切り、釘で穴をあけ、糸を通して縫い合わせ、靴はゴム底とシートを針金で止め、ズック靴にして使用、後半期は米軍洗濯工場の被服を獲得して利用した。

 米軍の『ライフ』誌などに終戦に関する記事が載っていたようだが、英語を解する者がいなかったので、確認出来なかった。

 また戦闘前、重傷者は死の直前、家族の名前を呼ぶと聞いていたが、一度もそのようなことはなく、ある上等兵が片手をもぎ取られ、苦しさのあまり殺してくれるよう戦友に頼み、銃殺してやることに決まったとき、彼は大きな声で「海ゆかば」を歌い、歌い終わる寸前に昇天した。

(「戦史叢書中部太平洋陸軍作戦」防衛庁戦史室編、朝雲新聞社 私は「アンガウル、ペリリュー戦記」P百七十九〜百八十より引用)

(木下注 向島、富山などの地名はペリリュー島内に日本軍がつけた地名)

 写真は昭和二十二年四月に投降し整列している写真。

 長さ九キロ、幅三キロの島で六倍の兵力、数百倍の火力という圧倒的戦力差の米軍に対して七十五日間に渡り組織的抵抗を続け米軍第一海兵隊が全滅判定(損失六十%)を受けるほどの損害を与え、陸軍第八十一師団に交替させた。

 この奮闘に対し、昭和天皇より嘉賞十一度、感状三度が与えられています。 また守備隊長であった中川州男大佐(歩兵第二連隊長)は死後に二階級特進し陸軍中将となった。

(守備の中心であった歩兵第二聯隊は明治四年創設、明治七年に軍旗拝受した水戸を編成地とする歴史ある精鋭部隊)

 

 

 戦闘前、ペリリュー島には、八百九十九名のパラオの村人がいたが、すべてパラオ本島に移住させたため一人の犠牲者も出ていない。

 

 此の本には同じくパラオのアンガウル島にて戦った元小笠原海洋センター所長で、其の後パラオに移住し入江鰐、海亀の研究をされている海洋学者・倉田洋二氏の体験談も掲載されている。

 

 当時、島民は七百五十人いたが、守備隊隊長の後藤丑男少佐(歩兵第五十九聯隊・第一大隊長)は島民の男子百三十人余は軍夫として残したが、「民間人は巻き込んではならぬ」と残りはパラオ本島に引き揚げさせた。

 そして、後藤隊長は戦闘で残った島民に投降を命じたことが書かれている。(P八十七)

 現在、パラオは尤も親日的な国家の一つである。

 今日、酔っぱらって入院?していたパソコンが退院。

 早速、パソコンで困った時の「へべれけ」頼みというわけで、当店のパソコンドクターであるへべれけさんに電話。

 今日、丁度夜は空いているということで、九時頃にへべれけさん来店。

 セッティングやいろいろとわからないことをあれやこれやとお尋ねして遅い時間までご迷惑をおかけする。

 Kさん来店。二名様来店。

 今日はパソコンの事もあり、ドンチャンというほどではなかったが、やっぱ、それなりにドンチャン。

 珍しく記憶は最後まであったように思う・・・・・

 


嘘でも何でもやる連中

1月18日月曜日晴れ ○

 またかと思う事がネットの昨日のニュースにあった。

 

センター試験に「外国人参政権容認」?の設問

2010.1.17 23:01産經新聞

 16日に実施された大学センター試験の現代社会の問題の中で、最高裁が外国人参政権をあたかも憲法上問題ないと容認する立場であるかのように判断させる記述があり、インターネットの掲示板などで批判の書き込みが相次いでいる。識者からも「不適切」との声があがっている。(安藤慶太)

 問題は、日本の参政権に関する記述として「適当でないもの」を4つの選択肢の中から選ばせるもので、憲法改正の国民投票の投票資格や被選挙権の年齢などをめぐる選択肢とともに、「最高裁判所は外国人のうちの永住者等に対して地方選挙の選挙権を法律で付与することは憲法上禁止されていないとしている」と書かれていた。

 問題の正答は、「衆議院議員選挙において、小選挙区で立候補した者が比例代表区で重複して立候補することは禁止されている」という明白な誤りの記述で、外国人参政権に関する選択肢は「誤りではない」ことになっている。 選択肢で扱われた記述は平成2年に大阪で永住資格を持つ在日韓国人らが選挙権を求めて起こした訴訟の7年2月の最高裁判決を踏まえたものとみられる。

 判決では「参政権は国民主権に由来し、憲法上日本国籍を有する国民に限られる」とする従来の判例を維持。上告を棄却し、原告側の敗訴が確定していた。

 ただ、判決の傍論で「法律で、地方自治体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではない」と記述。これまでも、この傍論が「最高裁は外国人の地方参政権の付与に対して違憲ではないと判断した」などと強調され、推進する立場の人たちによって外国人参政権付与の根拠として持ち出されてきた経緯がある。

 この選択肢の記述には出題終了後からネット上で出題内容が不適切だとする批判が起こっている。

 百地(ももち)章日大教授(憲法学)は「不適切な出題。外国人参政権付与に法的にも政治的にも多くの批判があり、まさに今重大な政治的争点になっている。判決自体はあくまで憲法に照らし認められないという立場なのに、傍論の一節のみを取り上げて、最高裁の立場とするのはアンフェアで一方に加担している」と話している。

 大学入試センターは「試験問題は教科書を基礎として出題している」とし、この設問については「多くの『現代社会』の教科書で言及されているこの最高裁判決を、選択肢の一つとして取り上げた」とコメントしている。

 センター試験では過去に同じ事が繰り返されている。

 昨年は南京での虐殺事件や、関東軍による張作霖爆殺事件。五年前には強制連行が問題として出題された。

 

センター試験 日本史で不適切問題 つくる会が申し入れ書

2009/02/18 11:12産經新聞

 1月に行われた大学入試センターの日本史の問題について、新しい歴史教科書を作る会(藤岡信勝会長)は12日、大学入試センターに「南京での虐殺事件や、関東軍による張作霖爆殺事件など、学会でも異説がある事柄を歴史事実として扱っており、入試問題として不適切」とする申し入れ書を送付した。2月末までに見解を示すよう求めている。

 設問は、「日本軍が南京を占領するに際し、捕虜や非戦闘員を殺害」「関東軍参謀河本大作らが、張作霖を奉天郊外において爆殺」など3つの文章を年代順に並び替えるもの。新しい歴史教科書を作る会は「南京で虐殺事件が起き、河本大作が爆殺の実行犯と断定しなければ解答できず、特定の歴史認識を強要、誘導する設問」と指摘している。

 

 

「強制連行」出題 採点除外仮処分 受験生申し立て

2004.02.04 産経新聞

 大学入試センター試験の世界史で、第二次大戦当時の言葉としてはなかった朝鮮人の「強制連行」が、確定的史実として出題され、思想の自由を奪われたとして、受験生一人が三日、大学入試センターに対し、この問題を採点から除くことを求める仮処分命令申しててを、東京地裁に行った。

 申立書によると、この受験生は一月十七日に行われた同試験で、朝鮮人の徴用に関し、「強制連行」を正解とする設問について、歴史的事実に反する不適切な問題とし、また思想良心の自由を踏みにじられたとして、同問題を採点から除外することを求めている。

 

 このようにいずれも、確定的事実として出題されたものです。

 出題者は確信犯としか考えられない。

 作問は何処の国の人間がやっているのか。醜いものである。

 ネットで調べるとセンター試験の作問者は携わるのは二年間であり、半分が入れ替わるそうで、そうすると少なくともこの六年間に最低三回〜四回作問者グループが変わっている事になる。

 この六年間でこのような問題が世界史、日本史、現代社会と違った分野に出題されるということは、如何に歪んだ思想が我が国の教育者に蔓延しているかをよく現しています。

 

 八時過ぎに起きて、インドネシアに赴任しているハナちゃんからお土産としていただいたコーヒーを入れる。やっぱ、背中などあちこちが筋肉痛。シャワーを浴びてから近所の郵便局へ行く。

 後は一日中昨日購入した本を読んで過ごす。

 酒は飲まず。


1月17日日曜日晴れ○

 今日は阪神淡路大震災が起った日でもあるが、先日、ハイチで起った地震で二〇万人ともいわれる多くの方が御亡くなりになっている。ご冥福を祈ります。

 インドネシア沖地震のときもそうであったが、機動力がある今の時代でも死体の処理は大変である。

 それを昭和十二年(一九三七年)の南京で三十万人の死体処理を我が軍はどのように行ったのか。

 我が国を「南京大虐殺」ということで口汚く罵っている支那政府を始め反日腐れ日本人連中はそれを知っているはずであろうから、ぜひ、そのノウハウを明らかにし、困っている被災地の皆様のためにも生かしてほしいものである。

あほらし。

 今日はゆっくりと店を片付けてから、久しぶりに高田馬場の芳林堂さんに寄る。「中国の戦争宣伝の内幕」「明石元二郎の生涯」「戦いいまだ終わらず」など数冊購入。

 店内にて何冊か立ち読みをしていたら、「兵庫の大震災と在日韓国・朝鮮人」という本があった。

 自分たちが外国人という事を忘れて、なんでも差別にしたがる腐れ連中ということがよく判る。

 こんな本は古本屋さんで購入するにかぎる。

 その後、スポーツセンターに行く。布施さんに久しぶりに会い、約束していた芋焼酎を渡す。

 今年初めてなので、軽めのメニューを消化したが、それでもきっと明日は身体のあちこちが痛いのだろう。

 帰宅後、風呂に入った後、今日購入した「戦いいまだ終わらず」(久山忍 産經新聞出版 平成二十一年刊)を布団に持ち込み読んでいたら、そのまま灯も点けっぱなしで寝てしまう。


1月16日土曜日晴れ × 

しかし、凄いよな。

小沢一郎氏。

昔は井戸塀政治家なんて言葉もあったが、小沢氏の場合は違うようだ。

 

以下引用

4億円の原資「小沢氏の相続資金」 石川議員、弁護人に説明

 小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入問題で、逮捕された衆院議員、石川知裕容疑者(36)が弁護人に対し、土地購入の原資となった4億円について「小沢氏が父親から受け継いだ金」と説明していることが16日、分かった。東京地検特捜部の取り調べにも同様の説明をする方針という。弁護人が取材に応じて明らかにした。

 弁護人によると、石川議員は4億円について「小沢氏が父親から受け継ぎ、家で保管しておいてあった金を陸山会で借りた」と説明。小沢氏が父親から相続し、妻との共同名義で積み立てていた信託資金を、バブル後に引き出して自宅で保管していた現金のうちの一部だったとしている。

 (日本経済新聞平成二十二年一月十五日)

 民主党の小沢一郎幹事長は16日の党定期大会で、土地購入に充てた手持ち資金4億円について「隠し立てするお金でなく積み立ててきた個人の資金」と説明した。小沢氏によると、「金融機関や支店名を(弁護士を通じて)検察当局に伝え、1、2日後に『口座の書類は入手した』との返答が弁護士を通じてあった。このため『資金についての疑いは晴れたと安心し、良かったなと思っていた』ところ、突然3人の逮捕になった」という。

 同党衆院議員、石川知裕容疑者(36)=政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で逮捕=の弁護士によると、4億円は亡父の小沢佐重喜(さえき)元建設相(68年死去)の相続遺産。小沢氏や妻名義で信託銀行に預け、約10年前、銀行から引き出して小沢氏宅に保管していたという。

(毎日新聞 - 0116 21:33

引用終わり

 四億円もの資金を積み立ててきた。あるいは相続資産。

 どちらにしても、税金の問題が生じるのではないでしょうか。

 

 Nさん来店。G23御夫妻、エリーさん、サブちゃん、めぐ蔵さんら七名様で鮟鱇鍋でドンチャン。Oさん来店。

 遅い時間にKさん来店。今は大阪に赴任しているそうで、今回は出張で東京に来たので、寄って下さったそう。

 ドンチャン。記憶はない。サル・・・・・


1月15日金曜日晴れ △

 バンブーさん来店。Sさん大勢様で来店。(最終的には五名様)

 二名様来店。

 ドンチャン。記憶はあったと思うけど・・・・


1月14日木曜日晴れ△

 Sくん来店。Mさん二名様で来店。二名様来店。Sさん二名様で来店。Tさん来店。

Oさん三名様で来店。二名様来店。

 ドンチャン。珍しく記憶あり。

 


事実をねじ曲げるグリーンピースとそれを擁護するアホ

1月13日水曜日晴れ ○

 あの海の野良犬「シー・シェパード」が五月蝿いが、その出身母体である環境マフィア・グリーンピースも似たり寄ったりである。

 そりゃ、グリーンピースの別働隊がシー・シェパードと言われているから当たり前ではある。

 そんな環境マフィア・グリーンピースを擁護するアホは多い。

 「捕鯨船日新丸火災/恩人をテロリストと呼ぶ日本の水産関係者」という記事を書いた荒木祥氏などもそんな一人である。

http://www.news.janjan.jp/world/0703/0703290625/1.php

以下引用

捕鯨船日新丸火災/恩人をテロリストと呼ぶ日本の水産関係者

荒木祥2007/03/30

<ガンジーらに源をもつ非暴力・不服従の伝統に連なる、平和的な環境保護団体・グリーンピースインターナショナルのエスペランサ号は、この2月に日本の捕鯨船・日新丸の火災の救援などにあたった。

 ところが日本の水産関係者はグリーンピースを「テロリスト」よばわりし、全日本海員組合が船舶代理店に圧力をかけ、エスペランサ号の入港を妨害している。この問題などについてグリーンピースは29日午後、東京・大手町のサンケイプラザで記者会見をおこなった。

略)

環境保護団体への誹謗中傷

 日本の“調査捕鯨”などに危機感をもったグリーンピースは、例年、非暴力不服従の反対キャンペーンを行ってきた。たとえば、捕鯨船の航行を妨害しない範囲で、海上に霧をはって鯨を隠すなどの手段をとり、けっして船員や船舶を直接攻撃することはない。

 ところが日本の関係者は、2005年の捕鯨船の操船ミスによる接触事故を「体あたり」などと称したり、過激な捕鯨妨害活動を行っているシーシェパードの行為をグリーンピースのそれと混同させたりし、捕鯨に反対する取り組みに誹謗中傷を続けてきた。多くのマスコミも、いわば“捕鯨利権”側の情報のみを“垂れ流し”つづけた。

 その結果、残念ながら少なからぬ日本人が、グリーンピースを「過激な環境保護団体」などと誤解している(これは“グローバルスタンダード”ではない)。また、長年にわたる利益団体や水産庁などのキャンペーンの成果で、多くの日本人は“調査捕鯨”の実態を知ることなく、その機会もなく“なんとなく”反捕鯨の主張に反発するという奇妙な状態におちいってしまっている。日本人の多くが“捕鯨利権”にマインドコントロールされているといっても過ぎない。

助けてもらった恩人を「テロリスト」よばわり

 さて、2007年の2月15日、日本の調査捕鯨母船・日新丸は火災事故をおこし、本年の“調査捕鯨”断念した。グリーンピースインターナショナルのエスペランサ号は捕鯨反対・調査/監視活動を中断、食料などを援助したり、地点や氷の情報・状況を提供するなどし、日新丸の救援につとめた。(なお、日新丸が火災事故をおこすのは2度目で、グリーンピースらは南氷洋における大事故や、それによる環境汚染などを懸念している)

 水産関係者は、日新丸が南氷洋でエスペランサ号に救援してしてもらったことには沈黙し、曳航の申し出は断わっていることだけを喧伝している。エスペランサ号が日新丸の救援をした模様、日新丸船長との交信などは、グリーンピースがドキュメンタリーとして映像収録し、その証は明らかである。

 エスペランサ号の来日直前となって、全日本海員組合はグリーンピースをテロリストよばわりし、外務省には入国禁止を要望、船舶代理店に圧力をかけて入国手続きを妨害している。よりによって労働組合がNGOを「テロリスト」と呼び、その活動を妨害するという、国際的には異様な事態が、民主主義を標榜する日本社会で今おきているのである。

引用終わり

 少なくとも、グリーンピースは荒木祥氏が書いているような平和的な団体ではない。

 私の手元にある「日新丸よみがえる」(小島敏男著 成山堂書店 平成十五年刊)には、平成十年十一月二十日に火災を起こし、必死の消火作業ののち、ニューカレドニアのヌーメアにタグボートに曳航された日新丸とともに入港した調査捕鯨船団に対するグリーンピースによる妨害活動としてグリーンピースインターナショナルが発信した十二月七日付けプレスリリースとして下記の文書が掲載されている。

<午前五時直前、グリーンピースのクライマーが第一京丸のアンカーチェーンと捕鯨砲を占拠した。他のクライマーは日新丸と岸壁間の舫い綱を占拠、「鯨殺しを止めろ」と書かれた横断幕を張った>

p百六十

 グリンピースが行ったテロ行為はそれだけではない。

 同日、第一京丸のスクリューに鎖を巻き付け、第一京丸船長宛にA四版の紙に「船長へ この船のプロペラは鎖で固定しました。今私たちのダイバーが水中にいます。エンジンはかけられません。

 グリンピースより」

と手書きで書かれた「日本語」のメッセージを手渡した。

 その紙の裏面にはアルファベットで十六名の男女のファーストネームとそれぞれの電話番号が記され、最後にMVASの文字(グリーンピースの動力船アークスティック・サンライズ Motr Vessel Arctic Sumriseの略)の電話番号が書かれていた。

 書かれていたメンバーの中に「SANAE」という日本名があったので、おそらくその人物がこの文を書いたのだろうと記されている。

P百五十九

 グリーンピースは船舶のスクリューに鎖を巻き付け、脅したのである。

 このグリーンピースの行動に対してグリーンピース・ジャパン事務局長名で翌十二月八日に謝罪文を第一京丸船長宛に渡した。

 十二月七日に東京の事務所からファックス送信されたその文書には下記のように書かれていた。

<本日グリーンピースが船長宛に、手書きで書かれた不適切な内容の手紙が渡された事に対し、深くお詫びいたします。

 その書き方が非礼であったことを、先ほど知るにいたり、まずは船長に心からお詫び申し上げます。

 グリーンピースは、創立以来の理念に基づいて、非暴力直接行動をとっています。

略)>

P百六十二

 そのグリーンピース・ジャパンの事務局長は志田早苗氏というそうである。

 脅迫文の裏にあった「SANAE」とは別人?????

 偶然か??????

 いずれにしても、荒木祥氏の記事や志田早苗氏手紙にある「非暴力」というグリーンピースの行動に関しては、以前も引用させていただいたが、詳しくは日本鯨類研究所の石川創氏の「グリーンピースと動物福祉−「環境保護団体」は南極海で人と鯨に何をしたか−」を読んでいただきたい。

 

 http://www.icrwhale.org/gpandsea-geiken431.htm

 そこには、獣医師であり、我が国の調査捕鯨船に自ら乗船してきた石川氏により環境マフィア・グリーンピース(Green peace )の数々の悪行が判り易く書かれている。

 そして、グリーンピースの行動について、石川氏は下記のように書いている。

危険を顧みず捕鯨船団に立ち向かう戦士たちの姿を世界に宣伝し、援助の寄付金を集める事に特化した。 もはや調査の妨害は天気の良い撮影日和の時しか行われず、カメラの無いところでは決して行動しない。 派手なアクションとパフォーマンスを続けなければ視聴者に飽きられるので、無謀な行動はどんどんエスカレートする一方だ。 このままではいつか死傷者が出る大事故が起こるのは必至だが、万一GPの活動家に死者が出た時に、今度はおそらく活動家が「殉死者」として祭り上げられるのではないかと思うと、カネ集めに腐心するGP本部の幹部達におだてられ、南極海で鯨を守っていると信じている活動家達が哀れにも見える。

  長年のつきあいからGPには言わせてもらおう。 グリーンピースは、カネ集めや映画作りのために日本の捕獲調査を妨害し、船団乗組員の生命を脅かしたり、 船を破壊したり物品を盗んだりする事は止めなければならない。

 自らの無謀な行動が招いた深刻な事故を、責任を他者に転嫁する虚偽の報道で人々を欺く事 は止めなければならない。>

 この石川氏の言葉程、環境マフィア・グリーンピースの実態を現しているものはないであろう。

 過去にグリーンピースはエスキモーもアザラシ猟の仕方について捏造し、それを映像としてとり金集めに使った事がある。エスキモーがアザラシの赤ちゃんの皮を生きたままはぎ、その死体に手鍵を引っ掛けて親アザラシの前に置き親アザラシがそれを追いかけるという残酷な映像であった。

 それに対して、エスキモーの人達がそんな事はしないと反論していた。

 平成十九年には死んだ鯨をベルリンの日本大使館の前に置くというパフォーマンスをやっている。あますところなく利用したあと鯨塚などを作り供養し感謝する日本人には考えられないことである。

 日本人は鯨だけでない、たとえば、築地の河岸の側に建つ波除神社には海老塚、鮟鱇塚、活魚塚、玉子塚などもある。

 鯨の死体を己らのパフォーマンスのために利用する環境テロリストには理解出来ないであろう。

 アザラシより鯨が金になるとみれば鯨をネタに金集めをする。

 鯨の次は鮪。

 連中は寄付金が集まるのであればなんでもいいのである。

 腐れ環境マフィア・グリーンピース

 Iさん三名様で来店。Gさん二名様で来店。

 なんとなくかったるいので、今日は飲まず。


 

回天・黒木博司海軍少佐

1月12日火曜日雨のちくもり ×

 

  今年の正月に淡路島に帰る時に、車中で読むのに何を持って帰ろうかまよったが、一冊は昨年、靖國神社遊就館にて購入した「人間魚雷 回天」(ザメディアジョン 平成十八年刊)にした。

 回天について詳しく書かれている此の本の中に仁科関夫中尉とともに回天の考案者の一人であり、訓練中の事故により殉職した黒木博司海軍大尉(殉職後少佐)の遺書が掲載されていた。

 此の遺書は、同じく訓練中に殉職された第六号潜水艇艇長佐久間勉大尉の遺書と同じく軍人としての職務を全うする姿勢を現したものです。

 昭和十九年九月六日、大津島(山口県周南市 旧徳山市)においての回天搭乗訓練二日目のことであった。

 当日は晴れ渡っていたが、次第に風が強くなってきていた。

 午前十時、上別府宣紀大尉が同乗した仁科関夫中尉が操縦する三号的が発進。湾口では波が高く、潜入時には飛沫が高く上げていた。

 午後になると益々風が強くなり、うねりも大きくなった。危険だと判断した大津島指揮官の板倉光馬少佐は午後の訓練中止を決断したが、黒木博司大佐は「天候が悪いからといって、敵は待ってくれない」と同乗の樋口孝大尉とともに懇願し、湾内の第一コースで訓練を決行した。

 午後五時四十分、樋口大尉が操縦する一号的は指揮官の黒木大佐を乗せ発進し、その後方を二隻の艇が追尾した。

 板倉少佐の乗った追躡艇はうねりに突っ込み、浸水によりエンジンが停止。仁科中尉が乗った高速艇も一号的を見失ってしまう。

 夕闇迫る基地ですぐに探索隊が編成され、一号的の探索が徹夜で行われたが、艇内の酸素がなくなる時刻を迎え、乗員二名の生存の望みは絶たれた。

 翌朝、前日の荒れた天候が嘘のような静まった海面で、必死の探索が続けられ、午前九時、一号的発見の報が届けられる。

 見つかったのは射点より四千m先、コースよりやや北の地点であった。水深十五mの海底で、三分の一ほど泥をかぶった状態で突き刺さっていた。

 発見出来たのは一号的から出ていた微量の気泡によるものであった。

 引き揚げられた一号的を潜水作業艇に固縛したままハッチを開いて、操縦席にうつぶせになって倒れていた樋口大尉と、その奥にうずくまるように倒れていた黒木大尉を確認したが、すでに二人とも完全に事切れていた。

 取り乱した様子は無く、端然たる見事な最後であった。

 

 

 黒木大尉は、事故直後よりその状況を詳細に書き留めている。

 二人の通夜の席上で披露されたその遺書には、事故直後の処置、経過、後の訓練や実戦に生かすための対策などが、回天発案者として冷静に分析し記録されていた。

 事故発生から五時間を経過した時点で、自らの死を覚悟したものとなり、仁科中尉をはじめ回天基地隊員への懇情の遺言へと変わる。

 回天の内壁にも

「天皇陛下萬歳 大日本萬歳 帝国海軍回天萬歳

一九、九、六 二二〇〇

海軍大尉 黒木博司 」

と筆跡は残された。

十二時間後の午前六時に二人は息絶えた。

以下はその黒木大尉の遺書です。

黒木博司海軍少佐 遺書

一九年九月六日、回天第一号海底突入事故報告

当日一八時一二分、樋口大尉操縦、黒木大尉同乗ノ第一号海底ニ突入セリ、

前後ノ状況及所見次ノ如シ

一、事前ノ状況

当日徳山湾内ニテ樋口大尉ノ回天操縦訓練ニ同乗、一七四〇発射、針路蛇島向首、一八〇〇頃一八〇度取舵、大津島「クレーン」ニ向ケ帰途ノ途中、一八一〇ヨリ二〇潜航、調深五米ニ対シ実深二米、前後傾斜D二〜三度、時ニD四〜五度トナリシコトアリ、当日第三次操縦訓練同乗者仁科中尉ノ所見ニ波浪大ナルトキ、同様二〇節浅深度潜航中、俯角大トナリ一三米迄突込ミタル由ノ報告アリ、之ヲ想起シ、充分ニ注意ナシアリシ所、約二分ヲ経過シ、浮上ヲ決意シ、操縦者ニ浮上ヲ命ゼントトシテ傾斜計ヨリ眼ヲ離シ、電動縦舵機等所要個所ニ注目シツツアリシ時、急激ニ傾斜大ナルヲ感ゼルヲ以テ、傾斜計ヲ注目セルニ、D一杯トナリアリ、察スルニD一五度程度ナラン、直チニ速力ヲ急速低下セシモ、若干時ノ後、猶傾斜ノ戻ル気配ナシ、此ノ間操縦者ニ深度改調ヲ〇トナスコトヲ命ゼシモ間ニ合ワズ、傾斜計ヲ見ルニD七度、深度一八米ナリ、海底に突入セルコトヲ知リ、直チニ停止ス、突入時衝撃ナシ。

二、応急処置

1、五分間隔ニ主空気一分間排気、調圧ヲ一〇キロトナシ、気泡ヲ大ナラシム、残圧六〇キロ 

2、縦舵機操舵空気ヲ常時絶ヘザル如ク放気ス 

3、電動縦舵機ヲ停止ス  

4、海水タンク諸弁ノ閉鎖ヲ確認ス(前方下ノミ注水シアリ)

5、浸水部ヲ確ム、水防眼鏡ノ「パッキン」部ヨリ水滴落下スル外異常ナシ.

6、電灯異常ナシ                                              

7、操空圧力不明(最初)読ミ取リアラズ  

  

三、事後ノ経過

1、主空気ノ放気ハ一八四五ヨリ五分間放気セントセシ際、一九〇〇ヨリ若干放気後停止、残圧三〇キロ、前回放気ノ前ニハ残圧五〇キロアリテ、五分間一〇キロニテ放気セルモリナリ。

2、操空ノ放気ハ一九一九分、数十回ノ操作ト同様ニシテ、操空連絡弁ヲ稍急激ニ開キシ所、異音ヲ発ス、即チ、縦舵機凾上蓋「パッキン」噴出シ、筒内気圧急昇ス、耳ニ痛ク感ゼリ、依ッテ直チニ閉鎖、爾後放気不可能  

3、一九二五主空気放気セルニ、筒内ニ操舵機凾ヨリ噴気スルヲ以テ短時間ニ停止  

4、一九四〇頃「スクリュー」音二を聞く、前者ハ直上ニテ停止セルモノノ如シ、但シ爾後遂ニ何等ノ影響ナシ、爾後種々ノ音響ヲ聞クモ近キ音ナシ。  

四、所見

1、波浪大ナルトキ浅深度高速潜航ノ可否ハ実験ヲ要ス、確タル成果ヲ得ルマデ厳禁ヲ可ト思考ス

(若干処置ヲ誤リシハ当所ノ水深ヲ一二米ト判断シ、実深ヲ知ル能ワザリシニヨル)

2、早急ニ過酸化曹達ヲ準備スベシ 

3、事故ニ備ヘ、用便器ヲ要ス(特ニ筒内冷却ノ為)

4、実験ヨリニシテ二人乗ハ七時間ヲ限度トス

5、「ハッチ」啓開ヲ試ミシモ開カズ、空気不足ト思考セラルルニヨリ只今《一九五五》ヨリ睡眠ス

6、陛下ノ艇ヲ沈メ奉リ、就中〇六ニ対シテハ、畏クモ陛下ノ期待大ナリト拝聞致シ奉リ居リ候際、生産思ワシカラズ而モ最初ノ実験者トシテ多少ノ成果ヲ得ツツモ、充分ニ後継者ニ伝フルコトヲ得ズシテ殉職スルハ洵ニ不忠申訳ナク慙愧ニ耐ヘザル次第ニ候                                            .

7、恩師先生ヲ始メ、先輩諸友ニ生前ノ御指導ヲ深ク謝シ奉リ候 

8、小官申シ残ス処更ニナク、唯長官、総長、二部長等ニ意見書有之、聊カ微衷御汲取リ下サレ度 

9、必死必殺ニ徹スルニアラズンバ、而モ飛機ニ於テ早急ニ徹スルニアラズンバ、神州不滅モ保シ難シト存ジ奉リ候   

10、必ズ神州挙ッテ明日ヨリ即刻体当リ戦法ニ徹スルコトヲ確信シ、神州不滅ヲ疑ハズ、欣ンデ茲ニ予テ覚悟ノ殉職ヲ致スモノ候 

   天皇陛下萬歳、大日本帝国萬歳、帝国海軍萬歳

追伸

1、舷外灯ヲ設クベキ事     

2、応急「ブロー」ヲ設クベキ事         

3、駆水頭部ヲ完備スベキ事

   今回ノ事故ハ小官ノ指導不良ニアリ、何人ヲ責メラルルコトナク又之ヲ以テ、〇六ノ訓練ニ聊カノ支障ナカランコトヲ熱望ス                                                                                                 

4、一型ニ於テ海水「タンク」注水及「ブロー」ニ大錯誤アリ、至急研究対策ヲ要ス。片方「ブロー」出来ズ中水量不明ナリ                                                                                                            

仁科中尉ニ

万事小官ノ後事ニ関シ武人トシテ恥ナキ様頼ミ候、                           

潜水艦基地在隊中ノ(キ四八期)ニ連絡ヲ頼ミ候、                           

御健闘ヲ祈ル、〇六諸士並ニ甲標的諸士ノ御勇健ヲ祈ル、機五十一期級友切ニ後事ヲ嘱ス。(終)   

 

辞世

男子やも我が夢ならず朽ちぬとも 留め置かまし大和魂

国を思い死ぬに死なれぬ益良雄が 友々よびつ死してゆくらん

 

1、自室紫袋内ノ士規七則ヲ黒木家ニ伝フ、家郷ニハ戦時中云フコトナシ、意中諒トセラレヨ、     .

父上、母上、妹、御達者ニ                                           .

2、血書ハ分配ヲ堅ク御断リス、但シ一通司令官ニ納メテ戴キタシ、人生意気ニ感ズルモノナリ      .

二二〇〇壁書ス、

天皇陛下萬歳 大日本萬歳 帝国海軍回天萬歳

一九、九、六 二二〇〇

海軍大尉 黒木博司

呼吸苦シク思考ヤヤ不明瞭手足ヤヤシビレタリ

〇四〇〇死ヲ決ス、心身爽快ナリ、心ヨリ樋口大尉ト萬歳ヲ三唱ス

 

死せんとす益良男子のかなしみは 留め護らん魂の空しき

 

所見万事ハ急務所見乃至至急務靖献ニ在リ同志ノ士希クバ一読、緊急ノ対策アランコトヲ

一九−九−七、〇四〇五絶筆、樋口大尉ノ最後従容トシテ見事ナリ、我又彼ト同ジクセン

〇四四五、君ガ代斉唱 神州ノ尊、神州ノ美、我今疑ワズ、莞爾トシテユク、萬歳

〇六〇〇猶二人生存ス。相約シ行ヲ共ニス。萬歳

天皇を思ふ赤子の真心に など父母を思はざるべき

父を思ひ母を思ひて猶更に 国を思ふは日の本の道

人など誰かかりそめに 命捨てんと望まんや

小塚が原に散る露の 止むに止まれぬ大和魂

 黒木大尉、樋口大尉は殉職後、少佐に進級した。

 黒木少佐は生前、仁科中尉に「本実験中、貴様と俺との二人のうち一人は必ず死ぬだろう。さらに二人とも死んだらどうなるだろう」と常に話していたという。

 仁科関夫中尉は黒木少佐の遺骨を抱いて回天に乗艇し、昭和十九年十一月二十日、ウルシーにて散華する。

 特攻というそのものは批判されて当然であるが、

 我が国を護るために尊い命をかけて戦った先人の事を忘れる事は許されるものではない。

 

 参考文献

「人間魚雷 回天」(ザメディアジョン 平成十八年刊)

 

 清水さん来店。Iさん四名様で来店。鮟鱇鍋でドンチャン。

 Kさん来店。ホロン部員Yさん来店。

 ドンチャン。大酔っ払い。記憶なし。サル。


 

成人式

1月11日月曜日曇り ○

 今日は成人の日らしい。

 私は一月十五日の成人の日は、故郷の淡路島には帰らずに、確か能登穴水の合宿所で、艇のハルに水ペーパーをかけペイントをおとしていた。

今日も各地で成人式があったそうだが、相変わらずアホが多い。

 

以下引用

新成人2人、会場で暴れる=福井市職員に体当たり−県警

1月10日20時17分配信時事通信 

 福井市主催の成人式会場で市職員に体当たりしたなどとして、県警福井署は10日、公務執行妨害容疑で、式典に参加予定だった同市内の解体業の男(20)と無職の男(20)を現行犯逮捕した。

 2人の逮捕容疑は、成人式が始まる直前の10日午後0時半ごろ、福井市田原の複合施設の会場入り口で、男性職員2人に体当たりしたりパイロンを投げ付けたりした疑い。警備に当たっていた同署員らが取り押さえた。

 

成人式4人逮捕 信号無視、ガラス破損容疑など

1月11日7時56分配信産經新聞 

 「成人の日」を翌日に控えた10日、ひと足早く行われた各地の式典で、新成人が暴れ、逮捕されるなどの騒ぎが相次いだ。

 埼玉県秩父市の成人式では、会場の秩父宮記念市民会館のガラスを割ったとして、県警秩父署が、建造物損壊の現行犯で、同市中宮地町、自称土木作業員、田端謙一容疑者(20)を逮捕。同署の調べでは、田端容疑者は10日午後1時ごろ、同会館の壁面ガラス1枚(縦145センチ、横80センチ)を殴って割った。市職員の通報で駆けつけた署員が取り押さえた。田端容疑者は酒に酔っていたという。

 福井市では、市職員に体当たりしたり、パイロン(三角コーン)を投げ付けたりしたとして、福井署が公務執行妨害の疑いで、解体業と無職の男2人=いずれも(20)=を現行犯逮捕した。

 沖縄県でも豊見城市の成人式に参加したとみられる同市の無職の男(20)が、那覇市の県道で5人の定員を超える7人が乗った乗用車を運転したとして、那覇署に道交法違反(信号無視、定員外乗車)の現行犯で逮捕された。全員が羽織、はかま姿だった。

略)

福井市での成人式で暴れた新成人2人を現行犯逮捕

1月11日0時2分配信フジテレビ

11日の成人の日を前に福井市で行われた成人式で、会場で暴れた新成人2人が現行犯逮捕された。

公務執行妨害で現行犯逮捕されたのは、福井市の自称・解体業の山根木 正人容疑者(20)と、無職・伊藤友二容疑者(20)。

調べによると、山根木容疑者は正午すぎ、成人式会場の入口付近で警備していた市の職員に対してコーン標識を投げつけたとして逮捕され、また、伊藤容疑者は午後1時40分ごろ、市の職員に体当たりをしたとして、会場の警備をしていた警察官に取り押さえられた。

最終更新:1月11日0時12分

新成人の男が酔ってガラス割り逮捕 埼玉

1月10日19時53分配信日本テレビ

 埼玉・秩父市で10日に行われた成人式で、酒に酔って会場のガラスを割ったとして、新成人の男が建造物損壊の疑いで逮捕された。

 逮捕されたのは、秩父市の自称・土木作業員の男(20)。警察の調べによると、男は10日午後1時半前、成人式会場の秩父宮記念市民会館の1階壁面のガラスを殴って割った疑いが持たれている。

 男は成人式を終えた直後で、泥酔状態で仲間と騒いでいた。呼気からは酒気帯び運転の基準の3倍を超える一リットルあたり0.5ミリリットルのアルコールが検出されたという。

成人の日 各地で逮捕騒ぎ、今年も…暴力、飲酒、信号無視

1月10日21時22分配信毎日新聞 

略)

 ●福井

 福井県警福井署は10日、いずれも福井市内の自称解体業の男(20)と無職の男(20)を公務執行妨害容疑で現行犯逮捕した。

 逮捕容疑は2人は10日午後、成人式会場の同市田原1、フェニックス・プラザであった同市成人式で市職員に三角コーンを投げつけたり体当たりするなどしたとされる。けが人はなかった。同市によると、飲酒するなどしていて暴れる可能性がある新成人を会場に入れないよう制止していた。会場外に足止めされた十数人の新成人が、市職員に挑発行為を繰り返していた。【幸長由子】

略)

 ●那覇

 10日午後4時過ぎ、那覇市安里(あさと)の県道三差路で、沖縄県豊見城(とみぐすく)市与根、無職、真喜志(まきし)康文容疑者(20)の乗用車が赤信号を無視し、定員5人を超える7人が乗車しているのを警戒中の県警那覇署員が見つけた。車は逃走したが、パトカーや白バイが約2キロ追跡し、真喜志容疑者を道交法違反容疑で現行犯逮捕した。

 真喜志容疑者は容疑を認めている。7人ともはかま姿で、成人式に参加した後だったとみられる。

新成人2人、成人式受け付けに体当たり

1月10日17時53分配信読売新聞 

 福井県警福井署は10日、福井市の成人式会場で市職員に暴行したとして、同市光陽、自称解体業山根木正人(20)と、同市足羽、無職伊藤友二(20)の両容疑者を公務執行妨害容疑で現行犯逮捕した。

 発表によると、両容疑者は同日午後、同市田原の式会場入り口前で、受付の男性市職員に三角コーンを投げつけたほか、体当たりした疑い。会場を警備していた同署員が取り押さえた。

 会場前では、飲酒したり、大声で騒いだりしていた新成人の入場を制限したため、入場を断られた十数人と市職員らの間で騒ぎが起きていた。会場には新成人約2100人がいたが、式は予定通り行われた。

最終更新:1月10日20時38分

引用終わり

 このように逮捕されたアホもいるようだが、逮捕されたアホをどうしてすべて実名で報道しないのか。

 

福井のアホ

山根木正人

伊藤友二

秩父のアホ

田端謙一

沖縄のアホ

真喜志康文

時事通信 実名報道せず
産經新聞 実名報道せず 実名報道 実名報道せず
毎日新聞 実名報道せず
実名報道
読売新聞 実名報道
フジテレビ 実名報道
日本テレビ
実名報道せず

 ネットでニュースを比べて、やっと逮捕されたアホの名前がわかる。

 せっかく、酒もタバコもそして、匿名でなく実名という「大人」として扱ってもらえるチャンスなのに。

 だいたい、大人になった祝いを地方自治体でやってやる意味があるのか。

 七五三など子供の祝いは親がやる。当たり前である。

 では、大人になったから親が祝いをやらずに、なぜ地方自治体がやらなければいけないのか。大人になったから親がやらんというのなら、

 なぜ、税金をつかってまで、「大人」をディズニーランドに連れて行って遊ばせなければならないのか。

 大人になった祝いを他人からしてもらう必要などないだろう。「大人」なんだから。地方自治体による成人式などさっさとやめるべきだろう。銭と時間がもったいない。

 ましてや、アホをやりたい連中を会場まで準備して税金で祝ってやる必要も無いだろう。

 アホが騒ぎたければかってにアホどもが準備して騒ぐだろう。

 騒ぎたければ自分の金で勝手に騒げばよい。アホが法を犯せば逮捕すればいいだけのことだろう。

 今日は部屋の掃除で一日が終わる。しかし、本が片付かない。また、本棚が必要・・・・

 酒は飲まず。


 

酒たまねぎや飲んべえの会 十四代

1月10日日曜日晴れ △

 今日は午後三時より飲んべえの会。今回は十四代。

出品酒は下記のとおり。各出品酒の容量は一升(千八百ml)

NO.1    平成21年 十四代 純米大吟醸 播州山田錦    40%

NO.2    平成21年 十四代 純米吟醸 酒未来       50%

NO.3    平成21年 十四代 純米吟醸 龍の落とし子    50%

NO.4    平成21年 十四代 中取り純米吟醸 播州愛山   50%

NO.5    平成21年 十四代 中取り純米吟醸 播州山田錦  50%

NO.6    平成21年 十四代 中取り純米吟醸 備前雄町   50%

NO.7    平成21年 十四代 吟撰 吟醸 播州山田錦    50%

NO.8    平成21年 十四代 中取り 純米 無濾過 美山錦 55%

NO.9    平成21年 十四代 本丸 本醸造 五百万石    55%

 関西、東北などからも御出席くださった方々もおられ、楽しいひと時でした。

 御出席ありがとうございました。

 

 

1月9日土曜日晴れ ○

 Iさん娘さんと来店。Mさんお二人で来店。

 ヒマ。飲まず。


1月8日金曜日晴れ ×

 Dさん来店。oresama777さん来店。Kさん来店。Mさん四名様で来店。

 今日はめぐ蔵さんがお手伝いに来てくれたので、ラクチン。

 営業終了後、メグ蔵さんと「KUMEU RIVER」というニュージーランドの初めての白ワインを飲む。

 2007年と若いが中々いいワインだと思う。

 その他にもあれやこれやでドンチャン。

 当然?記憶はほとんどなし。サル・・・・・・・

 

 


1月7日木曜日晴れ ×

 Sさん来店。初めてのお客様二名様来店。二名様来店。

 ドンチャン。営業終了後、「エムズバー」さんに伺っているようだが、いろいろと記憶が無い・・・・・・


 

日本人ということ

1月6日水曜日晴れ △

 パスポートとの盗難事件が報道されていた。

 

以下引用

<パスポート盗難>二十数冊 ビザ代行業者ずさん管理

1月5日2時31分配信毎日新聞

 インド大使館(東京都千代田区)のビザ申請受け付け業務を請け負う業者の事務所から、申請者が預けたパスポート二十数冊がなくなっていたことが分かった。警視庁大塚署は窃盗事件として捜査しているが、バッグに入れてカウンター内に放置していたところを盗まれており、ずさんな管理のあり方が問われそうだ。

 大塚署によると、パスポートが盗まれたのは代行業者「ジャパン・オーバーシーズ・コーポレーション」が運営する「インドビザ申請センター」(文京区大塚3)。従業員が昨年12月1日朝に出勤した際、ビル1階の事務所玄関が壊され、カウンター内に置いていたバッグごとなくなっているのに気付いた。

 大塚署が調べたところ、正面玄関は鍵が掛かっていたが、バールのようなものでこじ開けられた跡があった。同日未明に非常ベルが鳴って警備員が駆け付けたが、被害に気付かなかったという。室内に物色された形跡はなく、大塚署は犯人は金銭目的で盗みに入ったが、ベルが鳴ったためバッグだけを持って逃げたとみている。

 ジ社のホームページによると、同社はインド大使館の認定を受け、ビザ申請を受け付けている。インド大使館領事部は「盗難があったのは事実で、パスポートを盗まれた申請者には適切な対応を取っている」と説明している。【古関俊樹、神澤龍二、山本太一】

引用終わり

 

 記事には金銭目的と書いてあるが、パスポート目的の可能性もある。

 少し前の写真ですが、駅にも写真のようなポスターが貼ってあった。

 日本国国籍のパスポートがなぜ狙われるか。それは、日本人という事に値打ちがあるからである。

 支那人、朝鮮人のパスポートではダメなのである。

 先人のおかげで、日本人は真面目、信用出来るというイメージがあり、何処の国でも出入国が簡単に出来る。

 犯罪者にとってはこれ程都合のいい事は無い。

 その日本人に外国人が我が国に忠誠も誓わずに現在はなれる。

 彼等のどれほどがこの日本という国を愛しているのであろうか。

 小胡子さん来店。女性の方二名様来店。ホロン部員Yさん来店。

 ドンチャン。 記憶はあったと思う・・・・・・・


仕事始め

1月5日火曜日晴れ ×××

 河岸に行くが、いつもどおり初市は入荷が薄く、品物が少ない。

 活けのアオリイカはあったが、鯖は諦める。

 Iさん来店。酔狂師さん来店。

 香港から千鶴子さん、姫ら四名様来店。

 マルガリータさん、Sさん合流し、千鶴子さんの誕生祝いでグラシアン、アンドレクルエなどゴロゴロ。

 ドンチャン。記憶なし。

 今年も正月早々からトラならぬサル・・・・・・・

 

 

 

 


1月4日月曜日晴れ

 洲本午前九時四十五分発のJR高速バスにて新神戸駅まで。

 

今日は指定席はどうせ満席ということで、自由席チケットを購入し、丁度ホームに入ってきた十一時二十五分発「ひかり四百七十号」に乗り、午後二時四十分に東京着。

 せっかくなので九段下で降り、靖國神社に参拝した後、店に寄り資源ゴミを出してから帰る。

 

 

 

 


1月3日日曜日晴れ △

 三原中学同窓会に出席。三百人ちょっといたうちの約八十人が出席していたが、なんせ四十年ぶりに会うので、すぐには顔と名前が一致しないのがほとんど。

 特に女性では最後まで当時の顔が思い浮かばなかった人が多かった。

 二次会、三次会、四次会、五次会の午前一時過ぎまでやり帰る。

 珍しく今日も最後まで記憶があった。

 淡路島の宴会は歌と踊りがつきもの。

今日もすぐに踊る・・・・・


1月2日土曜日晴れ△

 昼頃に竹口ことケケロから電話あり、車で迎えに来てくれる。ケケロの車で墓参りした後、山崎先生の御自宅に寄り、先生をピックアップしてケケロの奥さんに洲本実業電気科の同窓会が行われる会場側の店で時間まで酒を飲む。

 右の写真は墓のある場所からの風景。

 

 

午後五時より同窓会が始まり、二次会、三次会ということで十二時過ぎに解散。

 今日は珍しく記憶があった。


淡路島へ

1月1日金曜日晴れ途中大雪結局晴れ ○

 同窓会出席のため、淡路島へ。

 今回は二日が洲本実業高校電気科。三日が三原中学校。クラスではなく、中学同期の同窓会は初めて。

 新幹線車中でも、忘れ物が届けられたというアナウンスが流れ、すぐに持ち主が見つかったというアナウンス。

 数時間前に同じ立場にあった私としては・・・・・・

 新幹線は雪の影響で大幅な遅れ。結局予定より三十分以上遅れて新神戸に着く。

 写真は新神戸へ向う新幹線の中から撮ったものだが、今更ながら新幹線のルート選定には当時の腐れ政治家どもの弊害がよく現れている。

 わざわざ遠回りまでして、なぜ、積雪量が多い関ヶ原を通らなければいけないのか。

 まあ、四国にある三本もの本四架橋も同じだわな。

 今度発表されたリニアのコースでもとんでもないコースを主張しているアホ政治家がいる。

 国家というものを考えられない政治家はさっさと死んでほしい。

 新神戸に着いてすぐに中学同期の前田のタッチャンから電話あり。今回の同窓会出席は八十人だそうな。

 

 吉野家の牛丼が淡路島にも出来ていてビックリ。

 豊田に電話して明日迎えに来てくれるように頼む。

 酒も飲まずに寝る。

 



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