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一杯飲み屋の親父の酒と酒の日々
<のんべえ日記>

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


朝鮮總連関係者のパチンコ屋 新潟編

5月31日月曜日晴れ ○

 手元にある本には、總連系パチンコの摘発増加として下記のような記述があります。

以下引用

朝鮮総連系のパチンコ営業者の摘発は、数年前から目立っていた。

二〇〇四年には、二十店舗規模のチェーン店全店が「遊技機の無承認変更」によって営業許可取り消し処分となった。

引用終わり

「パチンコ業界のアブナい実態」(紙の爆弾特別取材班 鹿砦社 平成十九年刊)P六十八

 これは下記のパチンコチェーン店の事です。

以下引用

経営会社社長ら6人逮捕

メダルが出る率を不正に操作するロムをパチスロ機に取り付けたとして、県警生活保安課と新潟東署などは2002年12月12日、豊栄市木崎、パチンコ店経営会社「アイビー企画」社長、朴泰鉉(ボクタイゲン)容疑者(52)=韓国籍=ら6人を風営法違反(遊技機の無承認構造設備変更)の疑いで逮捕した。アイビー企画は22店舗のパチンコ店グループ「NO.1」を展開し、県内の業界最大手。県警は同日、新潟県新潟市万代1の本社や朴容疑者の自宅など40カ所以上を家宅捜索する一方、同署に100人態勢の捜査本部を設置した。

調べでは、朴容疑者ら6人は2002年12月下旬から2003年12月中旬にかけ、「NO.1赤道店」(新潟市(現北区)上王瀬町)のパチスロ2機種計100台の主基板にメダル量を調節する不正ロムを取り付けた疑い。改造は朴容疑者の指示で行われ、ロムの入手には今回逮捕された名古屋市千種区香流橋2、パチンコ機械仲介会社員、尾崎真容疑者(38)がかかわったとみて追及している。

関係者によると、不正ロムを使った機械は、メダルの出方を極端に多くしたり少なくすることが可能。大当たりする台が増えれば、一方でまったく当たらない台が多数あっても客の不満は少ないといい、集客と売り上げ増加に直結する。赤道店では、不正改造による利益が1日あたり数十万円に上ったとみられる。捜査本部は、朴容疑者らが長岡市などの数店舗でも数百台に同様の改造を行ったとみており、全容解明を急いでいる。

朴、尾崎の両容疑者以外に逮捕されたのは、聖籠町道賀新田、同社営業機械課長、水戸部光春(54)▽同町二本松、同管理部課長、飯田俊一(30)▽豊栄市木崎、同営業管理課主任、福田徹(45)▽新潟市天明町、「NO.1赤道店」店長、安村能教(31)の4容疑者。

アイビー企画は1981年、朴容疑者が設立。ホームページでは、2003年の売上高(見込み)を1097億円と公表している。赤道店は200112にオープンした。

引用終わり

毎日新聞(2004年2月13日)

 そしてこのチェーン店は営業許可取り消し後、名義人を変えて営業再開をしています。

以下引用

県内2店の営業許可、取り消しへ

新潟市のパチンコ店経営会社「アイビー企画」の不正ロム使用事件で、県公安委員会は2004年7月1日までに、朴泰鉉社長(52)が個人で経営する県内2店の営業許可を7月20日付で取り消す行政処分を決めた。営業許可を取り消されたのは「NO.1村松店」(村松町)と「パチンコダイエー中木戸店」(新潟市)の2店。

「NO.1」系列のパチンコ店は県内に22店あり、アイビー企画が直接経営する20店は既に営業許可の取り消しが決まっている。

毎日新聞(2004年7月2日)

引用終わり

以下引用

親族企業で営業再開、申請

県内最大手のパチンコ店「パチンコNO.1」のパチスロ機に不正ロムが使用され、運営会社「アイビー企画」(本社・新潟市万代)が県公安委員会から営業許可を取り消された事件で、同社社長の親族が経営する会社が県公安委にパチンコの営業免許を申請していたことが2004年9月8日、県警の調べで分かった。営業取り消し処分は原則5年間だが、風営法では、経営者や役員が異なれば別法人による免許申請に違法性はなく、免許は年内にも認められる見通しだ。

同社を巡っては、県警が2004年2月、パチスロ機に不正ロムを取り付けたとして風営法違反(無承認構造設備変更)の疑いで社長ら計7人を逮捕(その後、略式起訴や起訴猶予処分)。県公安委は同社の直営店と系列店計21店舗の営業許可を取り消した。

阿賀野市に新設された会社は、すでに県公安委にパチンコ店10数店舗の営業許可を申請。現在、閉店中の旧パチンコNO.1の各店舗では、「N-1」と改称した新しい看板が設置されるなど営業再開に向けた準備が着々と進められている。

県警生活安全企画課では「経営者や役員が同じであるなど風営法上の欠陥理由がない限り、営業は許可される。法の盲点をついたやり方で道義的な問題は残るが、法律に沿って対処するしかない」としている。

読売新聞(2004年9月9日)

引用終わり

 この「N-1」と改称され営業している朝鮮総連系の店は下記の通りです。

 株式会社シリウス

 代表取締役 金 重光

 〒950-0911新潟県新潟市中央区笹口2丁目12番地10 アパ新潟駅南ビル3

 025-249-7788

 2004年設立

エヌワン万代店(N-1

新潟県新潟市中央区沼垂東5丁目1615

エヌワン古町店(N-1

新潟県新潟市中央区古町通7番町952番地1

エヌワン大学前店(N-1

新潟県新潟市西区坂井砂山4丁目181

エヌワン黒埼店(N-1

新潟県新潟市西区山田字堤付2307番地49

エヌワン赤道店(N-1

新潟県新潟市東区上王瀬町235

エヌワン豊栄店(N-1

新潟県新潟市北区北陽1丁目727番地1

エヌワン葛塚店(N-1

新潟県新潟市北区前新田字前新田乙4番地1

エヌワン巻店(N-1

新潟県新潟市西蒲区巻甲4785番地1

エヌワン新津店(N-1

新潟県新潟市秋葉区南町1321

エヌワン三条店(N-1

新潟県三条市荒町2丁目2515

エヌワン新富町店(N-1

新潟県新発田市新富町3丁目911

エヌワン西新発田店(N-1

新潟県新発田市富塚町1丁目2016

エヌワン村上店(N-1

新潟県村上市本町田口990番地2

エヌワン上越南店(N-1

新潟県上越市大字寺町字江加町788番地1

エヌワン上越けんしんこう大橋店(N-1

新潟県上越市大字大道福田字中小割170番地2

025-521-7717

エヌワン長岡柏町店(N-1

新潟県長岡市柏町2丁目115

エヌワン長岡寺島店(N-1

新潟県長岡市寺島町307番地1

エヌワン十日町店(N-1

新潟県十日町市字下川原寅乙188

エヌワンいわき店(N-1

福島県いわき市平下神谷字天神115           

0246-34-1898

 何度も書きますが、犯罪組織である朝鮮総聯系の店だけでなく、

 パチンコなどという腐ったものはだれが経営していようと関係ありません。

 パチンコなどというくだらない博打はやめましょう。

 パチンコに関係しているのは人間のクズばかりです。自らクズの仲間入りすることはありません。

 

九時頃起きて、朝風呂に入り、ボケーと過ごす。

 今日は何処にも出かけずに、一日中部屋に居ました。

 昨日、スポーツセンターに行ったので、今日は身体のあちこちが痛い。

 酒は飲まず。


ワインにてドンチャン

5月30日日曜日くもり △

 昼頃に出かけ、高田馬場の芳林堂さんで雑誌を購入後、中にある古本屋さんで「久生十蘭従軍日記」「酒づくりの民族誌」などを購入。

 スポーツセンターへ行き軽めのメニューを消化。ベンチプレスのバーバルがめちゃ重く感じる。

 午後三時より当店にてワインの会。

 今回出品の主なワイン

テルマンシア2006 (スペイン)

テルマンシア2004年がスペインワイン初のWA100点満点獲得。

現在、最も入手困難なスペイン・ワインのひとつ

ヌマンシア・テルメスのワインはボルドーで言う‘プリムール’予約で完売。

品種:ティンタ・デ・トロ100%(樹齢100〜120年以上)

シネ・クワ・ノン2007(米国・カリフォルニア)

過去にパーカー氏より八度の100点満点を獲得したカルトワイン。

1992年のリリース以来、ラベルは毎年アート性のあるデザインに毎年変更し同じラベルは二度と使いません。またラベルだけではなくブレンドやワイン名も毎年替えております。

品種:グルナッシュ88% シラー10.5% ヴィオニエ1.5%

ニコラス・カテナ・サパータ 2005(アルゼンチン)

カテナ社のフラグシップワイン。

2004年、2005年と連続して、パーカー監修ワインアドヴォケイト誌にて98点

品種:78%カベルネ、22%マルベック

クルニ 2006 (イタリア)

2009年〜2010版の主要イタリアワイン・ガイドで最も高い得点を獲得したワイン

生産数:6,000本/2006年

品種:モンテプルチアーノ100%

収量:1.100 kg/ha

樹齢:50〜90年

 

四名様参加してくださる。めぐ蔵さんは急用のためお休み。

みんなタイプが違い、それぞれが楽しめました。

十一時過ぎにめぐ蔵さんよりお父上の事でメールあり。

店を片付け最終電車で帰宅。 

ソク寝る。

今日はめずらしく記憶あり。


幾星霜

5月29日土曜日くもり ×

 幾星霜という言葉がある。「いくせいそう」、改めてネットで調べると、

 

<「星霜」とは、「年月」「歳月」という意味。星は毎年一周し、霜も毎年降りることから、「一年」という意味になり、そこから転じて「としつき」といった意味になり、「幾」は「いくつかの」とか、「数量が多い」といった意味です。この二つを組み合わせ、「何年(何十年、何百年)もの年月」となりました。>

 

とあります。

 

 大学を卒業し、バイトしていた寿司屋さんで卒業後もそのまま働かせていただき、少し金をためて金沢から東京に出てきたのが、昭和五十二年九月。

 渋谷で置き引きにあい、荷物も金も盗られて、所持金三千円弱になり、どうしようかと思いとりあえず山手線に乗りグルグル回っていた。

 途中、少しでも持ち金を増やさなければと高田馬場で降り、電車から看板が見えていた「スズヤ」さんという質屋で、時計を質入れして五千円を借りた。

 以前にも書いたことがあるが、所詮春まで学生をやっていた者がしていた時計だから、たかが知れている。スズヤさんから最初言われた金額が千五百円とか二千円程度だったと思うが、「何かご事情がございますか」と言われて「置き引きにあいまして」と言うと「わかりました」と言って五千円にしてくれたのは本当にありがたかった。

 もちろん、働きだしてすぐに引き取らせていただいた。

 置引きにあった時も、東京に就職している大学の部の先輩に電話をかけて助けてもらうのも何となく嫌で、とりあえず、その日からの屋根と飯を確保しなければいけないので、何をしようかまた山手線に乗り、グルグル回りながら考え、屋根と飯が付いてるからと水商売に入った。

 

 其の後、しばらくしてから、部の先輩から「お前、置引きにあっただろう。アホが。どうしてすぐに連絡してこない」と電話があった。

 場所は忘れたが菓子折りを持って引き取りにいった。

 荷物だけが捨てられており、見つけてくれたおばちゃんが荷物の中にあったアドレス帳から東京近辺の住所を探してくれて、その先輩に連絡がいったようであった。

 

 

 少し金をためてその後、やっぱり外国に行ってみたいとなんの目的も無く昭和五十四年に片道切符で、ロスに渡った。

 一ドル二百五十円の時にコリアンエアラインで片道十万五千円だった。ドルは其の後一ヶ月で二百二十円になってしまったが、為替の変動など考えてもいなかった。

 パサディナではYMCAで偶然知り合ったリチャードソンファミリー(ドイツ系アメリカ人)に大変お世話になり、何日も居候させていただいた。

 其の後もカナダ、メキシコから米国に入国する度に訪ねて泊めていただいた。 

 メキシコのグアダラハラに一番長く滞在していたが、その時にお世話になった長島さん、江上さんとは今でもお世話になり、年に数回はお会いする。

 結局、結局二年弱メキシコ、アメリカ、カナダを放浪。

 途中、持ち金がなくなり、バンクーバーの日本料理店に片っ端から飛び込みで「働かせてください」とお願いし、半年ほどであるお店で働かせていただいた。

 観光ビザだから当然、不法就労である。店のオーナーが気に入ってくれて、観光ビザから就労ビザに切り替えようといろいろとやってくれたが、当時はすでにカナダ国内での就労ビザへの切り替えは出来なくなっていた。

 一度カナダの外に出て、呼び寄せという形でしようと言ってくださったが、当時は少しだけこちらでの滞在費を稼ぐつもりだったので半年だけ働くつもりであったし、そこまでしてバンクーバーで働きたいと思わなかったので、そのままになってしまった。

  其の後、その店でお世話になった板前さんの星さんが独立する時に、わざわざ呼びに来てくれたが、もう「酒いわしや」をやっていたので、お断りすることになった。

 写真はバンクーバーを出発する日に星さんの御自宅で写したもの。抱っこしている赤ん坊はお嬢さんのまどかちゃん。

 星さんと久しぶりに電話で話した時に聞いたら、今はカナダエアラインのCAだそう。

 今はバンクーバー市内では日本料理店の数二百軒以上といわれているが、半分以上がシナ人・朝鮮人の経営する店だそう。

 当時はたしかは十二件ほどしかなかった。すべて日本人の経営だった。

 帰国後、また、水商売に務めた後、紹介された金町にある魚屋さんで一年お世話になった。

 その後、しばらく何もせずにまたメキシコでも行こうかなと思いながらブラブラしていたある日、メキシコ時代にお世話になった長島さんのお宅に遊びに伺った。

 夕食の食材を長島さんと買いに行き柳町の交差点で信号待ちをしている時に、その交差点にある「東栄不動産」という不動産屋さんに貸し物件として出ているのを長島さんが見つけたのが早稲田弁天町の前の店。

 結局、相場からみて安い店舗ではなかったのだが、知らないからすぐに契約。当時、また、メキシコに行くつもりで残してあった金は二〇万ほどだったので、残りは富士銀行のカードローン。金利は十三・五%だったと思う。

 スナックだった五坪の店舗を自分で一ヶ月かけて改造し、なんとか早稲田で「酒いわしや」を開いたのが、昭和六十一年六月十九日。平成八年五月二十五日まで店をやり、お客様の猪野さんの紹介で神楽坂の今の場所に移ってきて「酒たまねぎや」を開いたのが平成八年五月三十日。

 

 早いものです。

 

 

 土曜日やし、ヒマだろうと思ったら、初めてのお客様二名様来店。

 Oさんで二名様来店。飯田橋で今日結婚式を挙げたというお二人来店。みなさんカップル。

 そして、Hさんという女性の方お二人様来店。

 Wさん御夫妻来店。

 ドンチャン。記憶なし。

 サル・・・・・


鳩山というドアホウが首相をしている我が国の不幸

5月28日木曜日晴れ×

 どうしようもないドアホウの鳩山由紀夫がまたそのアホウをさらしたというニュースがありました。

以下引用

鳩山首相「尖閣諸島の帰属問題は日中当事者同士で議論して結論出す」 石原知事「こんなバカをいう総理大臣いるのか?」 

 「こんな総理、かなわんわ…」。27日に東京都千代田区の都道府県会館で開催された全国知事会議に出席した石原慎太郎知事は、鳩山由紀夫首相の安全保障に関する認識にいらだちを隠さなかった。会議は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設問題で、政府が沖縄の負担軽減策の柱とした訓練の全国分散移転をめぐって開かれたが、鳩山首相は予想に違わずほぼ四面楚歌(そか)だった。

 石原知事をいらだたせたのは、意見交換の席上での鳩山首相の発言だった。

 石原知事は尖閣諸島防衛での米国の消極性を例示。その上で「日本の領土を守らないなら、何のため沖縄に膨大な基地を構えるのか。抑止力を現政府がアメリカに問いたださない限り、訓練分散を論じる足場がない」と糾弾した。

 また、「総理は外国人参政権の問題で、『日本列島は日本人のためだけのものではない』と述べたが衝撃だ」とも。

 これに対し、鳩山首相は「日中の間で衝突があったとき、アメリカは安保条約の立場で行動する。しかし(尖閣諸島の)帰属問題は日中当事者同士で議論して結論を出す、と私は理解をしている」と回答した。

 この言葉に、会議途中で退席した石原知事は怒り心頭の様子を隠さなかった。報道陣に、「日中間で尖閣諸島の帰属を協議しようって、こんなバカをいう総理大臣いるのか? 正式に(米国から)返還されたんだ。ばかな会合だよ。ナンセンス!」。

引用終わり

産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/100527/tky1005272144009-n1.htm

 先日、文京区民センターで開かれた台湾研究フォーラム第百三十四回定例会において、元海将補である川村純彦閣下による「中国の軍事力拡大と我が国の対応」と題された講演で、川村閣下は現在、最も現実的な支那に対する対応として、尖閣諸島においての我が国自衛隊の常駐をおっしゃっていました。

 尖閣諸島で一番大きな魚釣島には水もあるから、常駐は容易いとのこと。

 しかし、最高指揮監督権を有する内閣総理大臣がこんなどうしようもないアホでは、その可能性も無いでしょう。

 今まで最低の総理大臣は村山富市だと思っていましたが、それよりもアホです。

 

 辞めると言っていたのだから早く国会議員を辞めろ。

 

 

 台湾からのお客様ユーさんが奥様と御友人の方三名様で来店。

 Sさん三名様で来店。

 Bさん来店。

 金ちゃん、マロさん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 今日はめぐ蔵さんがお手伝いに来てくださったので、早い時間からドンチャン。

 記憶はなし。サル


 

5月27日水曜日くもり △

 午後からスポーツセンターに行く。

 今日はかったるいので、軽めのメニューをごくごく短時間。

 Sさん、Nさん来店。

 二名様来店。

 二名様来店。

 ドンチャン。珍しく記憶あり。

 サッサと寝る。


 

海軍記念日

5月26日水曜日雨 ×

 明治三十八年(一九〇五年)五月二十七日は、まさに国運を賭けて行われた日本海海戦の日であり、大東亜戦争に敗戦するまで海軍記念日として祝っていた。

 海軍の伝統を受け継ぐ海上自衛隊では、今でもこの日の前後に基地祭などの祝祭イベントを設けている。

 主なものに、例年金刀比羅宮で行われる掃海殉職者慰霊祭があるが、海上自衛隊のホームページを見ると、今年は二十八日に行われるようです。

http://www.mod.go.jp/msdf/formal/info/event/05.html

掃海殉職者追悼式 日程:28日(金)

開催場所:金比羅宮敷地内掃海殉職者顕彰碑前(香川県中多度郡琴平町) 開催内容:追悼式、音楽演奏 日程:28日(金)〜30日(日) 開催場所:高松港(香川県) 開催内容:一般公開等 連絡先:呉地方総監部管理部総務課 0823-22-5511

 

 以前に引用させていただいた事がございますが、恵隆之介氏の著書「敵兵を救助せよ」には、自らの体験として、海上自衛隊の練習艦隊が入港した英国ポーツマスの英国海軍訓練支援艦L一一(一三〇〇〇トン)士官室にて、リチャード・ルキモ海軍大尉より「恵少尉、われわれは日本海軍を尊敬している。ドイツが戦後海軍旗を変更したが、海上自衛隊は、帝国海軍旗を世襲した。われわれはこの事に最も敬意を表している」という激励を受けた事が書かれています。

(「敵兵を救助せよ」草思社刊 P三二四)

 

 そして、これも書きましたが、その軍艦旗についてのエピソードが産経新聞に「軍艦旗救った画家の良心」と題された野口裕之氏の記事が平成二十年四月二日に掲載されていました。

 その記事には、

<日章から16条の旭光が出ている、きらびやかで、しかも雄雄しいこの旗はかつて大日本帝國海軍の「軍艦旗」であった。軍艦は国家の延長とされ、国外では不可侵権など大使館同様の特権を持つ。>

として、

 昭和二十九年七月の防衛庁・自衛隊創設を前に、防衛庁設置法や自衛隊法の研究を始め、旗章も全面見直しとなった時のエピソードとして、海自の前身・保安庁警備隊内外の意見を聞いた結果、軍艦旗復活が多数意見だと判明した事。

 一方で戦後の情緒的な反軍平和の世論が軍艦旗復活に反対するのでは−との危惧もあった。

 そして米内穂豊画伯に図案作成を依頼し、画伯は悩み抜いた末、

 「軍艦旗は黄金分割による形状、日章の大きさ、位置光線の配合など実に素晴らしいもので、これ以上の図案は考えようがない。それで、軍艦旗そのままの寸法で1枚書き上げた。お気に召さなければご辞退致します。画家としての良心が許しませんので」

と答えたと記事に書かれている。

 旧海軍の軍艦旗を自衛艦旗として最終的に承認した吉田茂首相も

 「世界中でこの旗を知らぬ国はない。どこの海に在っても日本の艦だと一目瞭然で誠に結構だ。海軍の良い伝統を受け継ぎ、海国日本の守りをしっかりやってもらいたい」

と答えたそうです。

 

 先月も引用させていただいた西村眞悟氏のメルマガ「西村眞悟の時事通信」No285 平成十九年四月三十日号に<「祝日に関する法律」について思う>と題したメルマガで、西村氏は平成八年頃のこと、として、「海の日」制定の法案が出されてきた時に、八月十五日を終戦記念日とし、海の日と終戦の日をセットにするなら賛成するが、海の日だけなら反対だと突っぱねていたバカ左翼どもがいた事を下記のように書かれている。

以下引用

<そして驚いたことに、どの政党もこの終戦記念日の制定要求に表だって反対しないのだ。自民党は自社連立で社会党とひっついているので反対できない。第一野党にも左翼からの難民が大量にいるので反対しない。

 そこで私は、理事達の顔を見渡してから、言えるのは小生だけかと得心して、 「アホか、戦に負けた日を、国民の祝日にする国が世界の何処にある。世界の非常識も、休み休みいってくれ。」 と言って反論があるかと再び眺め回した。すると皆沈黙して憑きものが落ちたようになり、すんなりと八月十五日の「祝日」案が消えて、当初の予定通り七月二十日の「海の日」だけが祝日となった。>

引用終わり

 

 なんともアホな連中が国会議員をやっている事がよくわかります。

 世界中の国で戦勝記念日を祝う国はあるでしょうが、敗戦記念日などというものがある国はないでしょう。

 

 占領軍が我が国から日本国民という意識、誇りを奪い去るためにやった事。まさに江藤淳氏の名書「閉ざされた言語空間」に書かれていた「CI&E文書が自認する通り、占領初期の昭和二〇年から昭和二三年にいたる段階では、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムはかならずしもCI&Eの期待通りの成果を上げるにはいたっていなかった。しかし、その効果は、占領が終了して一世代以上を経過した近年になってから、次第に顕著なものとなりつつあるように思われる」(P二七二)

というそのままの世界がここにあります。

 

 西村眞悟氏は同じメルマガで

 <よって、「国民の祝日」に歴史を取り戻す為に、祝日法全体の再度の制定を実現することは、我が国の形(国体)の確認と伝統的文化の自覚や教育の再建のためにも、重要な課題である。>

と書かれています。

 五月二十七日、三月十日の二日間が海軍記念日奉天会戦の勝利を祝った陸軍記念日となって、我が国も先人が命を懸けて護ったものを思い出し、そして、国防を担っている「軍人」に対し敬意を払える普通の国に近づく事ができるのでしょう。                                

  <日章から16条の旭光が出ている、きらびやかで、しかも雄雄しいこの旗はかつて大日本帝國海軍の「軍艦旗」であった。軍艦は国家の延長とされ、国外では不可侵権など大使館同様の特権を持つ。>

 一日も早く、自衛隊が「普通の軍隊」になり、自衛艦が掲げている海上自衛隊旗を軍艦旗として、我が国の国内で扱われるようになって、アホ船長が操船する漁船がぶつかってきて平気で偉そうな事を言っているような事の無いようにしてほしいものです。

 

 Mさん来店。

 Tさん来店。「いそのさわ 駿」の鑑評会出品酒が本日はお気に入りのよう。

 Mさん来店。

 営業終了後、Mさんと「アンブラ」さんに伺う。其の後「エムズバー」さんにハシゴ。

 ドンチャン。記憶無し。サル


 

デザイン

5月25日火曜日晴れ ×

 今開かれている「上海万朴」(一部では上海万博ともいう)の日本館でやっと我が国の国旗が掲揚されたと先日のニュースにありましたが、この日本館の館長(陳列区域日本政府代表)塚本弘氏という方だそうです。

塚本氏は支那人記者に対して、

<出展者が仲良くして、上海万博の大成功のために努力します。>

とお役人らしく答えている。

 波風が立たなければどうでもいいようである。

 

ところで、日本館のわけのわからんナマコみたいな外観もそうだが、コンパニオン(アテンダントというらしい)のユニホーム。

(写真は週刊ポストの万博特集より)

誰のデザインか日本館のホームページには表示されてなく、ネットで調べても、

日本の国鳥である「朱鷺」をイメージしたデザインで、「朱鷺色」を基調にして、帽子のリボンや、スパッツにアクセントとしてショッキングピンクが使われている>

となっているぐらい。

それらしいのが、

<武蔵野ファッションカレッジ

平成21年度実績 ○2010年上海万博日本館アテンダントユニフォームコンテスト グランプリ受賞 アパレルプロフェッショナル科 小林 由知>

とありました。

 グランプリつうことはこの方のデザインだったのでしょうか。

 小学校の学芸会か幼稚園のお遊戯のような間抜けな感じしかしない、この帽子必要だったのでしょうか?

 写真は一昨年の冬にアンコウ鍋に使い終わった根三つ葉の根の部分を植えておいたもの。

 二年めですがカワイイ花をつけています。

 こういったものの植生はどうなっているのでしょう。

 初めてのお客様Tさん二名様で来店。

 小胡子さん、BOOちゃんと来店。

 ホロン部員Yさん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 明日は河岸が休みということでドンチャン。

 休みでなくともドンチャンですけど。

 気が付いたら店のパソコンの前で寝てました。

 サル・・・・・


5月24日月曜日雨 ○

 今日は飯を食いに外に出ただけで、あとは部屋に居てマンガの本を読んだりして一日が終わる。

 酒は飲まず。

 写真は今度の日曜日の飲んべえの会に出す予定のワイン。

 

 

テルマンシア2006 (スペイン)

テルマンシア2004年がスペインワイン初のWA100点満点獲得。

現在、最も入手困難なスペイン・ワインのひとつ

ヌマンシア・テルメスのワインはボルドーで言う‘プリムール’予約で完売。
品種:ティンタ・デ・トロ100%(樹齢100〜120年以上)

シネ・クワ・ノン2007(米国・カリフォルニア)

過去にパーカー氏より八度の100点満点を獲得したカルトワイン。

1992年のリリース以来、ラベルは毎年アート性のあるデザインに毎年変更し同じラベルは二度と使いません。またラベルだけではなくブレンドやワイン名も毎年替えております。
品種:グルナッシュ88% シラー10.5% ヴィオニエ1.5%

ニコラス・カテナ・サパータ 2005(アルゼンチン)

カテナ社のフラグシップワイン。

2004年、2005年と連続して、パーカー監修ワインアドヴォケイト誌にて98点

品種:78%カベルネ、22%マルベック

 

クルニ 2006 (イタリア)

2009年〜2010版の主要イタリアワイン・ガイドで最も高い得点を獲得したワイン

生産数:6,000本/2006年
品種:モンテプルチアーノ100%
収量:1.100 kg/ha
樹齢:50〜90年

この中で、私が飲んだ事あるのは「クルニ 2006」だけです。

「テルマンシア」2003年は随分前に飲みましたが、2006年は飲んだ事ありません。

「シネ・クワ・ノン」はリリースされたばかりですから、もちろん飲んでいません。

「シネ・クワ・ノン」銘柄は、タランチュラという白を飲んだ事があるだけです。

「ニコラス・カテナ・サパータ」は下のクラスを飲んだ事があるだけです。

参加人数分+二本(私とめぐ蔵さんの分)は出す予定なので、あとは未定でございます。


 

東京競馬場へ

5月23日日曜日雨 ○

 今日はスーツに着替えて、オークスの行われている東京競馬場へ。

 それも、メモリアルスタンド来賓室よりの観戦という貴重な経験。

 途中待ち合わせためぐ蔵さんと予定より少し早く着いたので、東京競馬場近くにある食堂で、漬け物などを肴に朝からビール。

 キンちゃん、マロさんは第一レースから観戦していたそうですが、その他のみなさんは十一時過ぎからゆっくりと。

 今回で三回目となるSくんのご好意によるVIP席から競馬観戦ですが、博打に命を懸けている?キンちゃん、マロさん以外の皆さんは毎回違う方。

 

 

 

 

 

 

 メインレースの「第七十一回オークス」ではJRA・GI史上初の同着優勝となり、桜花賞馬アパパネは2冠達成、サンテミリオンはGI初制覇となったそうです。

(写真は来賓席のその時のテレビ画面より)

 ちなみに、私は名前から三百八十円ついたサンテミリオンを五百円だけ買っており、千九百円。

 その前の第十レースでは、大穴で一万四百九十円ついたという初めての万馬券。

 最終十二レースでは、馬連で千二百八十円ということで、三回の競馬経験でトータルして初めてプラスになりました。

 

 

 

 

 帰りに、Sくんに場内を案内していただいてからそれぞれ帰宅。

 

 私の方は、連日のドンチャンで「この後、どこかに飲みに行きませんか」と皆さんに誘う元気もなしに解散。

 店に寄り、鮪のカマ焼きに使うタレを仕込み、生ゴミを出してから最終電車で帰宅。

 風呂に入って、ソク寝る。


 

冷蔵庫搬入と初亀出品酒33本

5月22日土曜日晴れ ×

 今日は午後に先日注文してあった冷蔵庫が搬入されるので、そのために、他の冷蔵庫の移動等テンヤワンヤ。

 初亀の出品酒も本日入荷。蔵元よりの出荷総本数は、一昨年三十本、昨年三十四本、今年は三十三本。

 

 

  夕方にやっと終わり、なんとか営業に間に合う。

 Oさん来店。今日は先輩の方と昼酒をやってらしたそう。

 初めてのお客様Mさん二名様で来店。

 Sくん来店。

 Tさん三名様で来店。

 マルガリータさん来店。

 台湾からのお客様ユーさん御夫妻、シンガポールの友人御夫妻と来店。

 お土産に私の名前の入った箸をいただく。

 今日は軽井沢で購入したという「禁酒」シャツにてのご来店。

(ちなみに、本日私が着ていたのは、高田馬場にあるマディラワインが充実しているバー「カヴェルナ」の森さんからいただいた同じメーカーの「無責任」Tシャツでした)

 前回いらしてくださった時に、「ブルーリボンバッジを」とおっしゃってくださり、お渡ししたが、御夫妻とも胸にそのバッジをつけてくださっていた。

 ありがたい。

 以前にも書いた事があるが、私は拉致反対集会等に行く途中の電車内等を除き日常生活でブルーリボンバッジをつけている方にお会いする事は殆どない。

「昔ならば、戦争になっているところ。人権問題としてマスコミは報じているが、〃国権〃の問題。最近の日本人は、『国』という意識が低く、情けない」

 と、平成二十年にブラジル日本会議の発足の記念講演にて、小野田寛郎元陸軍少尉がおっしゃっているように、戦後、我が国の政治の歪み、そして、国民の考え方の歪みの象徴であろう。

 だから、あのどうしようもないアホで、人間のくずとしか言いようのない腐れ売国奴の辻元清美女史のような輩が国会議員を無事にやっていられるのだろう。

 ドンチャン。記憶無し。


5月21日金曜日晴れ

 下呂温泉よりワイドビューひだ4号に松の司の松瀬社長とご一緒させていただき帰る。

 名古屋駅にてのぞみ十号に乗り換え、十二時三十三分に東京に着く。

 当然、河岸には間に合わないので、一吉さんの高橋社長にお願いし、届けていただく。それも、鮪仲卸の松長さんにも寄っていただき、一緒に届けていただだく。

目黒の清水さん来店。

バンブーさん来店。

龍星さん御夫妻来店。

二名さん来店。

Iさんご夫妻来店。

Tさん来店。

副店長さん来店。

Mさん二名様で来店。

Wさん御夫妻お客様の方と三名様で来店。

Tさん来店。

ドンチャン。

記憶あり。


5月21日木曜日雨のち晴れ

 午前十時五十分発の「のぞみ」にて名古屋まで、名古屋から「ワイドビューひだ十一号」に乗り換え下呂へ。

 一号車一番Aという座席番号は初めてかも知れない。「ワイドビューひだ十一号」は外国人の方が多かった。インドに赴任されたフランス政府観光局局長だったカトリーヌさんも高山が大好きで二十数回も行ったことがあるとおっしゃっていたことを思い出した。

 隣に座った外人のばあちゃんが、駅弁を二つも食っていたのには驚いた。

午後三時ごろより下呂温泉水明館にて、醴泉の蔵元さんである玉泉堂酒造主催による酒についてのセミナー

七時から懇親会。

その後、隔離部屋?にてドンチャン。

いつ寝たのか・・・・・・

サル・・・・・・


小沢一郎と朝鮮の影についてのまとめ

5月20日水曜日雨 △

 以下は今まで私が小沢一郎氏に付いてこの日記に書いてきた事を、自分なりにまとめたものですので、重複している箇所がありますことをご了承下さい。

(左のすばらしいポスターはネット上にあったもので、制作者の許可を得ておりません。制作者の方がご不快に思われましたらお知らせください。直ちに削除させていただきます。

でも、小沢一郎関係者はお断り)

 小沢一郎氏には影というか謎の部分が多くあるだけでなく、その周りにも影が多くある。

 まず、先に書いたが小沢一郎氏自身の出生にまつわる謎である。

 小沢一郎氏の父である佐重喜(さえき)について書かれた『人間小沢佐重喜』(小沢一郎後援会・陸山会発行)には、荒木みちについての紹介として小沢一郎氏の母親のみち(旧姓・荒木)の父親・儀助の伝記について「父儀助は、千葉県議会議長もやった地方の名望家だった」という箇所についての虚偽記載が君島文隆氏により指摘されている。

 

 君島氏は小沢一郎氏の二人の姉の出生の謎にも触れている。

(二人とも違う女性との間に出来た子供であるといわれている)

 それぞれ小沢一郎氏が誕生した直後の、昭和十七年と十八年に養女として小沢家に入った。

 続いて君島氏は小沢一郎のその二人の姉たちのルーツについても書いている。

  戸籍上は吉田泰造(仮名)の最初の妻との間にできた娘の一人が長姉。

そして、吉田泰造と愛人との間に出来た息子の一男一女のうち娘の方が次姉となっている。

 かたちの上では、吉田泰造氏の「娘」と「孫娘」が小沢一郎の長姉、次姉に当たる。

 吉田泰造氏の息子の子、つまり戸籍上の一郎の次姉の兄に当たる人物から君島氏は話を聞いている。

 「私は一人っ子で妹がいたことなんてない。小沢家とは何の関係もない。ただ祖父の泰造が、佐重喜と日大時代のポン友だったことは知っている」

(「新潮45別冊小沢一郎研究」(新潮社 平成二十二年刊)

「小沢一族の深き闇」君島文隆 p七十七〜七十八

 どうして、このようなややこしい形を取る必要があるのであろうか。

 小沢一郎氏の出生に関して年表を見てみるとその謎は余計深まる。

 小沢一郎氏は明治三十一年(一八九八年)生まれの父・佐重喜、明治三十四年(一九〇一年)生まれの母・みちとの間に結婚一八年めの昭和十七年にやっと誕生している。

 此の時、佐重喜四十四歳、みち四十一歳である。

 

 その間

 昭和七年、十五年に長姉・スミ子、次姉・則子がそれぞれ愛人との間に誕生している。

 つまり小沢一郎は結婚してから十八年間子供のできなかったが、父・佐重喜四十四歳、母・みちが四十一歳になって「初めて」授かった子であるということがわかる。

 医学が発達し、お子さんが欲しくて不妊治療により授かることができる今の時代でも結婚して十八年たって初めて授かるということは大変なことと思う。

 長姉、次姉と小沢一郎のそれぞれの母親が日本人でなくとも何の不思議も無い。

 先に書いた二人の姉の戸籍上の複雑な状況も少しは理解出来るように思う。

 そして、小沢氏も、みちの子でなくとも不思議ではない。

 

 そうすると、小沢一郎の近い親類筋により母親の実家を担保に朝銀より融資を受けたことも不思議ではなくなる。

 まあ、以上はすべて私の推測の域を超えるものではありませんが。

 あと、小沢氏には金についての朝鮮の影があるのは確かです。

 小沢氏の母親の実家を担保に朝銀千葉信用組合(登記簿には千葉朝鮮信用組合と記載)から三億五千万円を極度額とする巨額の融資を受けていた事である。

 朝銀は朝鮮人のために設立された金融機関であり、普通に考えれば、日本人が関わる事などあり得ない。

 それが、小沢氏一族はその金融機関からの融資を受けていたのである。

 それも三億五〇〇〇万円もの巨額の融資である。

 どうして、「普通の日本人」であるはずの小沢一郎氏の一族が朝銀から融資を受けているのであろうか。

 

 そして、秘書についても朝鮮の影がある。

 小沢氏の国際担当秘書は金淑賢女史という南朝鮮人でした。

 金女史は留学生として平成十年に日本に来て、わずか二年しかたたない平成十二年の留学生時代に小沢一郎氏の秘書に抜擢されています。

 南朝鮮の聰合ニュース平成十九年八月九日には、<金さんは「ボス」である小沢代表が、政権奪取の夢を実現するその日まで、秘書として補佐していく考えだ。>と紹介されているが、此の事が我が国で話題になると、どういうわけか「政権奪取」を待たずに秘書を退任し、平成二十年東北大学大学院法学研究科准教授に就任する。

 それも、博士論文を取った東京大学ではなく、東北大学なのである。

 

 あと、小沢一郎氏の会計責任者で元公設第一秘書で政治資金規正法違反容疑にて逮捕された大久保容疑者の実家が岩手県の実家が朝鮮総聯系と思われるパチンコ屋の可能性があるという。

 ネット上で大久保氏の実家と「される」有限会社大久保興行は業種としてパチンコ・パチスロとなっている。

住所:岩手県釜石市大町二丁目五−十六

 同じ住所に「国際会館」というパチンコ屋がある。

住所 岩手県釜石市大町二―五―十六

 国際という名前は朝鮮総聯系の可能性がある名前です。

 つまり、大久保容疑者の実家とされる会社は朝鮮総聯系の可能性があるというわけです。

 いずれにしても、小沢一郎氏については、出生、そして、母親とされる人間および一族、秘書について多くの謎があり、朝鮮の影がある。

 そして、確かな事は、小沢一郎氏の国籍は日本でも、精神は日本人でなく、朝鮮人であるという事です。

 そう考えると、朝鮮人にとって宗主国である支那に対する三跪九叩頭の礼としか思えない小沢氏の支那詣でに対しても納得がいく。

 

 Tさんスペインワインの蔵元さんと来店。

 ホロン部員Yさん来店。

 ドンチャン。

 でも、記憶はあったと思う。

 


当店の臨時休業および飲んべえの会のお知らせ

5月18日火曜日晴れ △

当店の臨時休業に付きまして

5月20日木曜日

醴泉の蔵元さんのきき酒の会にてお休みさせていただきます。

 

7月21日水曜日

富山・酒米サミットのためお休みさせていただきます。

 

飲んべえの会につきましては下記の三回分のお知らせをさせていただきます。

 

ワインにてドンチャン

5月30日日曜日午後3時より

会費20,000円

定員6名様

出品ワイン

テルマンシア2006 (スペイン)

シネ・クワ・ノン2007(米国・カリフォルニア)

その他

 現在、三名様参加予定

 

松の司

6月27日日曜日午後3時より

会費12,000円

定員15名様

出品予定酒

松の司出品酒

松の司純米大吟醸斗瓶取り

その他

 現在、五名様参加予定。

 

初亀

7月18日日曜日午後3時より

会費12,000円

定員15名様

出品予定酒

初亀出品酒 (500mlにて限定33本)

初亀亀

その他

 現在、八名様参加予定。

以上の飲んべえの会に御出席いただけるお客様は、メール、またはお電話にてお知らせください。

どうぞよろしくお願いいたします。

 入院していたMacが退院してきました。

 送られてきた箱に一緒に入れられていた「サポートカルテ 修理完了報告書」というのには、

 「トラックパッドのクリックの反応が悪い症状を確認。トラッドパット不良のため交換しました」

 とありました。

 じゃあ、今回は飲み過ぎじゃあ無かったのね。

 以前に入院したMacは「広範囲にわたり液体が浸透しており、修理不可能」と送られてきた報告書に書いてあった・・・・・

 

 初めてのお客様来店。

 Mさん二名様で来店。

 小胡子さん来店。

 Sくん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 Oさん来店。

 Oさんは私と同じ大学だそう。もちろん、全然年も違いますが。

 

 営業終了後、「エムズバー」にOさんと伺う。「アンブラ」のマスターとシェフも合流。

 今日は珍しく記憶あり。


語呂合わせ???

5月17日月曜日晴れ○

 土曜日の記事ですが、下記のようなニュースがインターネットにありました。

以下引用

「基地ない沖縄を」=平和集会に3800人−本土復帰38周年・沖縄

2010年5月15日(土)19時43分配信時事通信 

 1972年5月15日の本土復帰から38周年を迎えた沖縄県で15日、基地のない沖縄を目指す「平和とくらしを守る県民大会」(主催・沖縄平和運動センターなど)が同県宜野湾市の海浜公園で開かれた。大雨が降りしきる中、県内外から集まった約3800人(主催者発表)は「米軍は沖縄から出て行け、全国から出て行け」と気勢を上げた。

 あいさつに立った宜野湾市の伊波洋一市長は、4月の県民大会で米軍普天間飛行場(同市内)の県内移設を許さないという意志を示せたと指摘。「わたしたちは普天間飛行場を閉鎖させ、県内に新たな基地は造らせないことを確認しよう」と訴えると、会場全体から拍手が沸き起こった。

 今回の大会では「『普天間基地の県内移設反対』『辺野古新基地建設反対』は不動の県民世論。普天間は即時に撤去されるべきだ」との決議を採択した。

 大会に先立ち、14、15の両日、同飛行場の移設先として政府が検討する名護市辺野古など県内5カ所をスタート地点として平和行進が行われた。 

引用終わり

返還三十八周年に参加人数三千八百人。

これって、洒落ですかね。

宜野湾市の海浜公園というのは、先日の日記にも書きましたが、アホウどもが「十一万人の集会」とやった平成十九年九月二十七日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の二万五千平方メートルもある会場です。

 そこにたった三千八百人ですか。

 いや、三千八百人も集まったのですか。

 平成十九年の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」では主催者発表十一万人が実際は一万九千人から二万人と約十八%。

 前回の四月二十五日に行なわれた「普天間飛行場の県内移設に反対する沖縄県民大会」では主催者発表九万人が一万二千人弱と約十三%。

 じゃあ、今回の主催者発表三千八百人つうことは十八〜十三%で計算すると、六百八十人から五百人程度ですか。

 今回は航空写真もないのは、今までの集会で航空写真から暴かれたことで少しは学習したということでしょうか。

 いや、語呂合わせだったら、三百八十人か、それとも三十八人か?????

 あほらし

 飯を食いに外に出ただけで、今日は一日中部屋にいました。

 朝から昨日一昨日と二日続けてのスポーツセンター通いで体中の筋肉が痛かったです。

 酒は飲まず



 

台湾研究フォーラム第134回定例会

5月16日日曜日晴れ△

 店を片付けた後、午後からスポーツセンターへ行く。

 昨日出来なかったメニューを消化。

 その後、文京区民センターにて午後六時より開かれた台湾研究フォーラムに初めて参加させていただく。

 今回は元海将補である川村純彦閣下による「中国の軍事力拡大と我が国の対応」と題された講演。

 非常に興味深いお話を伺う事ができました。

 

 其の後は、魚八という居酒屋さんにて懇親会というかドンチャン。

 此の店の女性スタッフは「金」さんだの「朴」さんという名札の女性ばかり。

 川村閣下、永山会長をはじめ多くのみなさんとの楽しい時間があっという間に過ぎ、解散後に店に寄って、生ゴミを出したり、その他なんだかんだ時間が過ぎ、夜中というかめちゃ遅い時間に帰宅。

 今日は最後まで記憶あり。


「個人が特定されると困るんです」

5月15日土曜日晴れ △

 午後から本屋さん(芳林堂)に寄って、数冊本を購入。

 其の後、スポーツセンターに行く。

 今日は時間が無かったので、胸部のみのメニューを消化。

 今日も前回と同じく六十キロからアップでやり、百キロから六十キロまで五キロ刻みで、一分のインターバル。

 帰りに高田馬場の駅前で革マル派のアホウどもが騒いでいるので、近づいて写真を撮ったら、

「今、写真とりましたね」

と革マルのアホが言ってくる。

「駅前で写真写したらいかんのか」

と言ったら、その革マルのアホが、

「個人が特定されると困るんです」

と革マルのアホがいう。

「はあっ、何処の誰それと特定されると困る活動をあんたらはやっているのか。恥ずかしゅうないのか」

と言ったら、その革マルのアホが、

「いや、肖像権の問題とか」

と革マルのアホらしい事をいう。

「お前、さっきは個人が特定されると困ると言っとっただろうが」

とそのどうしようもない革マルのアホに言ったら、

「いや、肖像権が」

とどうしようもない革マルのアホがまた同じ事を。

「アホか。写されて困るような事やるな。このドアホが」

というようなやりとりがありました。

 その時、いろいろとアホが寄ってきましたが、個人が特定されて困る指名手配犯がおる腐れ犯罪団体が、交番の側いろいろでやるな。

 アホどもが。

 

 初めてのお客様Aさん女性の方二名様で来店。

 初めてのお客様Mさん二名様で来店。

 Mさん、今日結婚パーティをされた帰りという事で、奥様とAさんの3名様で来店。

 当店よりは、本当にささやかな御祝いということでお酒を。

 Wさんご夫妻来店。

 今日は珍しく最後まで記憶あり。


5月14日金曜日晴れ×

 Aさん二名様で来店。

 マロさん来店。

 Yさん来店。

 Oさん二名様で来店。

 Iさん三名様で来店。

 Wさんご夫妻来店。

 ドンチャン。

 記憶はあったと思ったが、やっぱ、最後の方は記憶無し・・・・・・サル


 

またやった「沖縄県民大会」

5月13日木曜日晴れのち小雨 △

 「普天間飛行場の県内移設に反対する沖縄県民大会」について朝日新聞(四月二五日) は下記のように報道している。

以下引用

普天間飛行場の県内移設に反対する沖縄県民大会

 米軍普天間飛行場の沖縄県内への移設に反対する県民大会が25日、同県読谷村運動広場で開かれた。主催者発表によると約9万人が参加した。普天間問題をめぐる県民大会としては過去最大規模で、仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事のほか、県内41市町村長も代理の2人を含め全員が出席した。「県内移設を断念し、国外・県外へ移設するよう強く求める」との決議を採択した。

 大会は民主、自民、公明、共産、社民、沖縄社会大衆の県内各党と市民団体、経済団体など281団体による実行委員会が主催。県内移設反対が県民の「総意」として示されたことで、鹿児島県徳之島へのヘリコプター部隊の移設と併せて沖縄県のキャンプ・シュワブ陸上部へのヘリポート建設を検討している鳩山政権は、いっそう厳しい立場に追い込まれた。

引用終わり

 そして、今週発売の週刊新潮(五月二十日号)には下記のような記事と写真が掲載されている。

 以下引用

<会場の読谷村運動場はギュウギュウ詰めで二万五千人の収容人数。しかし、よ〜く写真に目を凝らしてほしい。後ろばかりか前方にも、冒頭の指摘のように、隙間がチラホラ見られるのである。

「参加人数が九万人などという数字は、まったく信じられるものではありません」

 とは、都内の警備会社『テイケイ』の高花豊会長。氏は以前から沖縄の県民大会の参加人数が、主催者によって水増しされているのではないかとの疑念を抱いていた。そこで入手した航空写真を社員四名に命じ、四角形に区分。それぞれの区画を拡大し、三〜四日かけて参加者の頭数を丹念に数えさせた。

「各区区分の人数を合計した参加者は一万一五六九人でした。建物や木陰で写らなかった数を考慮しても、九万人には到底、達しないでしょう。

 主催者は、事ある毎に県内移設反対は県民の総意と主張する。だから水増しし、数字を多く見せざるを得ないのでは。しかし、偽造は民主主義の原理に反します」

 これに対し、主催者サイドは、

「会場に向うバスの中にいたなど、参加の意志があった人を含めて九万人なのです。それに時が経つ毎に参加者はどんどん増えていった。ピーク時には三メートル四方に二十〜三十人はいた箇所もありました」

 等々、苦しい言い訳に終始する一方。

 沖縄の本当の民意は何か。

 『九万人』という数字が、それを指し示す材料となり得ないことだけは確かなようである。>

引用終わり

アホウどもがまたやったかという感じです。

この会場となった読谷村運動場は下記の広さです。

http://www.yomitan.jp/1/707.html

敷地面積35,063u 施設面積21,600u

 

施設面積を主催者発表の参加者九万人で計算すると、

二万千六百(平方メートル)÷九万(人)=〇・二十四(平方メートル)

この〇・二十四平方メートルということは一人当たり六十センチ×四十センチです。

それも、びっちり、詰めてです。

記事に主催者サイドの証言として三メートル四方に二十〜三十人というのがあったが、三×三÷二十=〇・四五平方メートルから三×三÷三十=〇・三平方メートル

つまり、それでも九万人にはほど遠いのです。

このコメントを出したヤツは算数もでけへんアホということです。

これで思い出すのは、三年前の平成十九年に開かれた「沖縄教科書抗議集会11万人」という大嘘です。

あの時も、同じく『テイケイ』が十一万人は大嘘で実際は一万九千人から二万人にしか過ぎない事を暴いています。

ちなみに、此の時の会場となった海浜公園の多目的広場は約二万五千平方メートルで、今回の会場より千平方メートルも小さかったのです。

だから、もっと広いところつうので、読谷村運動場にしたのでしょうが、やっぱ、大ウソでした。

カスやな

 今後は、ウソを暴かれるから、沖縄の集会の航空写真は禁止にでもするのでしょうか?????????

 

 あほらし

 

 今年も靖國神社へ参拝された帰りにと那須よりEさん御夫妻来店。

 初めてのお客様、奈良よりOさん来店。

 ナベちゃん来店。お母様が御亡くなりになったそう。

 めぐ蔵さん姉妹、御友人の方の三名様来店。

 ホロン部員Yさん来店。

 営業終了後、「アンブラ」さんにホロン部員Yさんと伺うとTさんもいらして、ドンチャン。

 記憶はあったと思ったが、最後は覚えていない。

 やっぱサル・・・・・・


5月12日水曜日晴れ×

Hさん三名様で来店。

Mさん来店。

ご近所に御住まいの方来店。

Wさん御夫妻来店。

ドンチャン。

記憶無し。

サル


 

在日朝鮮人(朝鮮総聯系)のパチンコ屋の脱税の実態例

「KOKUSAI・GROUP」本名卞聖耒 通名・中山聖来

5月11日火曜日雨 △

 下記は随分前に脱税であげられた朝鮮総聯系在日朝鮮人の記事です。

山梨県甲府市のパチンコ店経営会社KOKUSAI・GROUPと関連会社の計4社が、2002年度までの2年間で計11億数千万円の所得を隠し、法人税約3億数千万円を免れたとして、東京国税局が法人税法違反(脱税)容疑で、4社と中山聖来社長(57)を甲府地検に告発したことが2004年11月8日、分かった。

告発されたのはほかにバリューコクサイ(甲府市)山興産業(山梨県南アルプス市)中興産業(同県田富町)の3社。いずれも中山社長が代表者で、2003年3月にKOKUSAI社に吸収合併されている。

関係者によると、4社は客がパチンコやスロットに投入した現金の一部について、コンピューターを操作するなどして売り上げから除外していた。隠した所得は、中山社長が債券などにして金融機関に保管していたという。

共同通信(2004118日)

 

脱税でパチンコ店社長逮捕/法人税3億5000万円免れる

2004/11/22 18:21四国新聞社     

 甲府市のパチンコ店経営会社「KOKUSAI・GROUP」と関連会社の計4社が約11億円の所得を隠し、法人税3億5000万円余を脱税したとして、甲府地検は22日、法人税法違反の疑いで同社社長中山聖来容疑者(57)=山梨県田富町布施=を逮捕した。

 関連会社はバリュー・コクサイ(甲府市)、山興産業(山梨県南アルプス市)、中興産業(同県田富町)。いずれも中山容疑者が代表者で、昨年3月にKOKUSAI社に吸収合併された。

 調べでは、中山容疑者は、2000年12月から昨年3月にかけて、パチンコ店のコンピューターを操作して売り上げを除外するなどし、4社の所得計約11億数1000万円を東京国税局に申告せず、計約3億5700万円を脱税した疑い。

 中山容疑者は「所得は債券にして、自宅などに隠していた」と供述しているという。

これだけだったら、日本人としか思えませんが、

パチンコ店3億6000万円脱税 被告に2年6月求刑

約3億6000万円の法人税を免れたとして、法人税法違反(脱税)の罪に問われたパチンコ店「KOKUSAI・GROUP」(中山洋盛社長)と前社長、中山聖来被告(58)=甲斐市竜地=の論告求刑公判が27日、甲府地裁(川島利夫裁判長)で開かれた。

検察側は「会社の保身を図るという動機に酌量の余地はない」などとして、中山被告に懲役2年6月、「KOKUSAI・GROUP」に罰金1億円を求刑した。

被告人質問で中山被告は、「兄もパチンコ店を経営していたが、倒産して夜逃げした。

 店をつぶさないために、多額の現金が必要だと考えた」と動機を話した。

また、隠した所得は貸金庫に保管したほか、北朝鮮に住んでいる姉らに生活費として送金していた。

中山被告は平成2年に韓国籍に変更している。

産経新聞(2005428日)

これで、在日朝鮮人とわかります。

そして、本名も

『甲府市のパチンコ店経営「KOKUSAI・GROUP」と関連会社の計4社の法人税3億5768万円を脱税したとして、山梨県田富町布施、同社社長、卞聖耒(べんせいらい)容疑者(57)を法人税法違反(脱税)容疑で逮捕した』

毎日新聞2004年11月23日

 朝日新聞、共同通信などでは在日朝鮮人の犯罪は隠匿され、日本人の目に触れないようになっています。

 このように、中山聖来という偽名で生活していたこの脱税朝鮮人の本名は卞聖耒(べんせいらい)といい、「パチンコ『三十兆円の闇』に「脱税犯が築いた白亜の豪邸」として、卞聖耒の実名はないが下記のように書かれている。

 

 <脱税の手口として、従業員の給料の水増し計上したほか、店のパチスロに裏ロムを仕掛け、売り上げ金をカットしていたなどとしている。

 「脱税した金は割引債にして松本市の銀行の貸金庫に隠していたそうです。北朝鮮への送金の詳しい手口については冒頭陳述では触れてはいません。」(県内の司法クラブ担当者)

 略)

 民間調査機関のリポートによると、同社の取引銀行で松本市内に存在するのは、破綻した関東地区五朝銀(長野、新潟を含む)の事業を引き継いだハナ信用組合だけである。

 日本政府が破綻の朝銀(北朝鮮系の信用組合)系列に注ぎ込んだ血税は約一兆四〇〇〇億円にも上る。にもかかわらず依然、北系金融機関は脱税資金の逃避場所になっていると言われても仕方あるまい。

 元社長の私邸はJR甲府駅から車で十五分ほどの住宅地にあり、四方を高い塀で囲った白亜、二階建ての大邸宅である。

 敷地面積は千坪以上、ことによると二千坪に届くかというほど広大で、塀の上から外部を監視するモニターカメラは十数台を数える。正面には車が出入りする大きなシャッターと人が出入りする扉。さながら要塞である。

 カメラ付インターホンを押しても応答はなく、数匹の犬が吠えるだけだ、(会社の総務担当は取材拒否)

 パチンコで一万、二万円、あるいは一〇万、二〇万円のカネに目を血ばらせるファンがまるでアホに見えるほどの対象ではないか。

 元社長は大豪邸に住みながら、一二億円ものカネを脱税して隠す必要がどこにあったのか。あるいは逆にこうした脱税体質が巨万の富を積み上げ、豪邸に結実したのか。

 豪邸と脱税の組み合わせは誰が見ても不公平、不公正である。

 実はパチンコ業者に限らず、在日朝鮮、韓国人の目をく程の蓄財は日本国税当局の弱腰と無策が一因だった。税金面で優遇というもおろか、長い間、無税に等しい扱いをしてきた。>

「パチンコ『三十兆円の闇』」(溝口敦 小学館 平成十七年刊)P百八十九〜百九十一

 これが、「金に困って」脱税した朝鮮人の日常です。

 この犯罪組織である朝鮮総聯に属する在日朝鮮人関係のグループが現在も営業している店舗は下記のとおりです。

530コクサイ

住所山梨県中央市西花輪3054-1

電話番号055-273-0888

ピア1000コクサイ(PIA 1000 KOKUSAI)

住所山梨県甲府市徳行3丁目1282-1

電話番号055-222-0777

バリューコクサイ(VALUE KOKUSAI)

住所山梨県甲府市湯村1丁目9-27

電話番号055-254-5931

コクサイモアアンドモア(KOKUSAIMOREANDMORE)

住所山梨県甲府市国母5-20-17

電話番号055-222-5931

ザ720コクサイ(THE 720 KOKUSAI)

住所山梨県南アルプス市和泉963-2

電話番号055-284-5333

トランプトランプ(TRUMP TRUMP)

住所山梨県中巨摩郡昭和町清水新居1-4

電話番号055-237-5931

 パチンコなどというものはサッサと潰すべきものということがよくわかります。

 パチンコ屋の脱税の仕方、それに集る支那人などの犯罪者については別に書きます。

 酔狂師さん来店。Tさん二名様で来店。二名様来店。

 早い時間からドンチャン。

 記憶は珍しくあり。


エロ犯罪朝鮮人教祖にとっての「強制改宗」とは

5月10日月曜日晴れのち曇り ○

 昨日、一昨日と久しぶりにスポーツセンターでいろいろな部位のメニューを消化したので、あちこちの筋肉が張っている。特に肩が張っているので、寝る時に布団の中で両肩が熱を持って寝苦しかった。

 

 食事に出て帰りに統一教会の気違いどもの集まりのビルの前を通ったら、「日韓海底トンネルプロジェクト」「現代のホロコースト 拉致監禁 強制改宗」とかいうのがあった。

 気違い宗教に洗脳された人を身内に持つ御家族の人にしてみれば、エロ犯罪朝鮮人教祖を父母様とか言っている気違いどもからこんな事はいわれたくはないだろう。

 

朝鮮半島と海底トンネルで結んで、何かいい事あるのか?

犯罪者の群れが押し寄せるだけだろうに。

どうせ、建設に必要な銭も出さないだろうし。

 

 民主党が谷亮子を比例代表で擁立するそうで、

会見で谷氏は
<「現役はもちろん続けます。ロンドン(五輪)では金を目指し、政治の方でも一生懸命がんばりたい」と述べ、小沢幹事長も「百万、千万の味方を得たような気持ちだ。大変うれしく、心強く思っている」と話した。 >

(毎日新聞 - 05月10日 17:32)

とある。

 我が国の国会議員とは、トップクラスのスポーツ選手が現役を続けながらの「片手間」で務まる程のものなのであろうか。

 私は、この谷亮子という人物がどのように政治というものに対して真剣に考えて立候補したか、また同時に、その谷亮子を擁立した小沢一郎という人間が、選挙というもの、そして、政治というものをどのように考えているかよく理解出来るわかりやすい例だと思うのですが。

 

私には、この谷亮子も小沢一郎も国民をアホにしとるとしか思えんのですが! 

 

 今日は酒を飲まず。


 

5月9日日曜日晴れ○

 店を片付けてから、別に、酒を飲ましたわけでもないのだが、イマイチ部屋で使っているパソコンの調子が悪いので、新宿にある病院へパソコンを持って行って入院させる。

 この前に退院してきた店のパソコンと違って、酒の飲み過ぎで具合が悪くなったのとは違う・・・・と思う。

 其の後、高田馬場の駅に降りると、駅のホームで、インドかパキスタンかわからんが、でっかい鞄、スーツを着た二人の外人のおっちゃん(親子かな?)に、「英語しゃべれますか〜」みたいなことを英語でいわれ、「ほんの、ほんの少しだけ」つうと、いきなり「ぺらぺらぺらぺらぺら〜」「・・・・・・・・・わからん」、

「ぺらぺらぺらぺらぺら〜」「・・・・・・・・・わからんつうのに・・・・」、

「だから、ぺらぺらぺらだちゅうに」「なんとなくわかった・・・つもり」

 てなことがあって、この駅の出口がわからんつうのと、サンルートという駅前のホテルを探しているみたいなので、スポーツセンターに行く途中にあるホテルのロビーまで一緒に行く。

 昨日、久しぶりにベンチプレスをやったので、久しぶりに胸部が筋肉痛。

 今日は、それ以外のメニューを消化。

 帰りに、今度、店に入れる予定の冷蔵庫の事で、業者さんに相談に。

 帰宅後、風呂に入ってゴロゴロしていたら、灯をつけっぱなしで寝ていました。

 酒は飲まず。


5月8日土曜日晴れ △

 仕込みを終えてから高田馬場にあるスポーツセンターへ行く。

 今日は久しぶりにおそるおそるベンチプレスをやる。ウエイトは百キロまで。

 まあ、左手首はちょっと違和感があるが、サポーターをしていれば、それなりにメニューはこなす事ができるように思う。

 帰りにビックボックスの古本市に寄る。

 「引き裂かれた忠誠心」「日本海開戦 アルゼンチン観戦武官の記録」を購入。

 初めてのお客様大阪からKさん御夫妻来店。

 初めてのお客様Kさん三名様で来店。

 閉店後、ワインバー「アンブラ」さんに伺う。

 珍しく、最後まで記憶あり。


5月7日金曜日曇りのち雨 △

 Tさん来店。

 Sくん来店。

 Kさん来店。

 副店長さん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 ドンチャン。

 記憶はあったと思うが・・・・


服装

5月6日木曜日晴れ×

 鳩山由紀夫首相が沖縄に行った事を報道しているが、その時の服装について、何人もの方が批判されている。

 報道された写真を見ても、一人だけ黄色いシャツ着て浮きまくりである、というかそんなアホなパフォーマンスに頭使うよりもっとやること、考えなければいけないことがあるだろうに。

 

  「此の期に及んで、まだ服装で媚びようとしているのか。」と西村眞悟氏などもメルマガで批判されていたが、確かに、必死さというものが感じられない。

 発言も空虚なものばかりです。

 

 服装は幸夫人が決めるそうで、あの服装は「かりゆしウエア」というらしく、元になったハワイでのアロハシャツと同じく沖縄では公式の場でも着用されているそうだが、鳩山御夫妻の頭の中身と同じで、どこかちがうんじゃあないでしょうか。

 (写真は産經新聞ネット版よりhttp://sankei.jp.msn.com/photos/politics/policy/100504/plc1005041845021-p1.htm

「命を懸けてやる」と常にいっているのだから、白装束で行き、ダメだったら切腹するぐらいやってほしい。

短刀がないのであれば、私の持ているのをやるから。

そのくらいやってくれたら、少しだけは見直す国民もいると思う。少しだけ。

 

 

 今日は暑く、Tシャツ一枚で河岸に行きました。

 河岸に行ったら、鯖がイマイチということで、仲卸さんがすすめてくださったのが関鯵。

 約七百グラムのりっぱなもの。三枚におろした後、軽く塩をして少し置き、塩を洗い流してからブレープフルーツジュースとお酢に短時間浸けてしめる。

 仕込みをしていたら、後輩より送られてきたという石鰈を「一笑」の板長Wさんが持って来てくださる。

 予約もないし、電話も鳴らんし、ヒマやなと思っていたら、KさんがYさんと来店。

 Fさんのお兄さんが三名様で来店。

 ホロン部員Yさん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 ドンチャン。今日は記憶あったと思ったが、皆さんがお帰りになった後、店で飯を食った後、酒を飲んでいたら、そのままパソコンの前で椅子に座ったまま寝てました。

 やっぱ、サル・・・・


 

「中国は覇権国家でない」堺屋太一

5月5日水曜日晴れ ○

 堺屋氏は「中国は覇権国家でない」としているが、毛沢東、トウ小平、江沢民、そして胡錦濤と支那の歴代指導者がやってきたこと、そして今やっている事は覇権主義ではないのであろうか。

 

 支那の侵略は主なものだけでも下記の様に多くの国々に対して行なってきている。

昭和二十一年(一九四六年)東トルキスタン共和国侵略

昭和二十五年(一九五〇年)チベット侵略

昭和三十七年(一九六二年)インドカシミール地方侵略

昭和四十四年(一九六九年)ダマンスキー島事件にてソビエトと衝突

昭和四十六年(一九七一年)尖閣諸島の領有権を突如主張

昭和四十九年(一九七四年)ベトナム領パラセル諸島(西沙)侵略

昭和五十四年(一九七九年)ベトナム侵略 敗退

平成三年(一九九一年)にフィリピンのスピーク海軍基地、クラーク空軍基地より米軍が撤退した翌年の平成四年にスプラトリー諸島の領有を突如宣言し、侵略

同年、尖閣諸島の領有を全人代で明記

平成十七年東シナ海でガス田盗掘開始

 

 ましてや、

「アメリカやヨーロッパにまで関与しようとは毛頭考えておらず、アメリカからG2体制の構築を持ちかけられた時にもこれを断っています。」

 と書いていたが、これは逆じゃあないのか。

 たしか、「中国、太平洋の東西分割提案か 米軍は拒否」という下記のようなニュースもあったほどだし

 

 <17日付の米紙ワシントン・タイムズは、キーティング米太平洋軍司令官が最近訪中して中国軍事当局者と会談した際、中国側が、太平洋を東西に分割し東側を米国、西側を中国が管理することを提案したと報じた。米側は拒否したという。提案の詳細には触れていない。

 米太平洋空軍のへスター司令官は「空間を誰にも譲らないのが、われわれの方針だ」と記者団に述べ、西太平洋地域を米軍の影響下に置く必要性を強調した。

 米政府内の親中派の間では提案に前向きな受け止めもあったが、国防当局は西太平洋の覇権を中国に譲り渡す「大きな過ち」だと主張。日本などアジアの同盟国との関係を台無しにしかねないとして断ったという。>

平成十九年八月二十日産經新聞

 公表しているだけでも支那は平成元年(一九八九年)以降二十一年間連続で軍事支出を二十%以上拡大させ続けている。

 ただし、これはあくまで公表しているだけの額であり、米国に次いで世界二位と言われている。

 日経新聞には、その支那の海軍についての記事も掲載されている。

以下引用

中国海軍、東方へ活動拡大、東シナ海・太平洋で大規模訓練、沖縄―台湾影響力確保か。

2010/04/23 日本経済新聞 朝刊

 中国海軍が活動範囲の東方拡大を進めつつある。今月上旬から駆逐艦や潜水艦など計10隻による大規模な遠洋訓練を東シナ海と太平洋で開始。日本列島から沖縄、台湾をつなぐ「第1列島線」と呼ぶ防衛ライン内での影響力確保にメドを付けた可能性がある。艦載ヘリが日本の護衛艦に接近する事態が相次ぐなど、日本との摩擦を広げている。

 人民解放軍の機関紙「解放軍報」は8日、中国海軍で東シナ海を管轄する東海艦隊(司令部・浙江省寧波)の連合艦隊が遠洋訓練を開始したと伝えた。「近年まれに見る規模と期間、複雑な環境での訓練」で、対艦ミサイルによる攻撃を妨害電波などを使って防ぐ訓練を実施する予定。「世論戦、心理戦、法律戦の訓練」やテロ・海賊対策も実施するという。

 防衛省によると、中国海軍の艦隊はソブレメンヌイ級駆逐艦2隻、フリゲート艦3隻、キロ級潜水艦2隻、補給艦1隻など計10隻で編成。7〜9日に東シナ海で艦載ヘリの飛行訓練を実施した。

 10日夜には沖縄本島と宮古島の間を東シナ海から太平洋に抜け、ヘリ訓練や洋上補給を繰り返した。8日と21日には艦載ヘリが海上自衛隊の護衛艦に水平距離約90メートルまで接近。22日午後には10日と同じ海域を太平洋から東シナ海に向け航行したことが確認された。

 中国海軍は長距離の洋上進出能力を高め、沿岸・近海から太平洋など外洋に活動範囲を広げている。台湾の淡江大学の王高成教授は今回の訓練にを「第1列島線を越える防御能力を持つことを証明した」と分析する。

 中国はこれまで第1列島線の内側の海域の防衛を主任務としてきた。今後は日本列島からサイパン、グアムをつないでインドネシアに続く「第2列島線」をにらんだ遠洋展開を活発にする可能性がある。

 日本政府はヘリ接近について中国政府に抗議したが、中国は問題はないとの立場だ。22日付の中国紙「国際先駆導報」は「海自の軍艦が尾行し、写真を撮り、中国軍艦の正常な航行を妨害した」と批判した。

 遠洋での活動には、領土・領海防衛や台湾独立阻止に加え、海洋権益や海上輸送路を確保する目的がある。中国政府は国家利益確保を重視する姿勢を強め、潜水艦の増強にも力を入れる。21日付中国紙「環球時報」によると、東海艦隊は潜水艦の磁気を消す施設を新設。敵に見付かりにくくするためで、中国の潜水艦に対する米軍の監視強化に対抗する狙いとみられる。(北京=佐藤賢)

 ▼第1列島線 中国の軍事戦略上の「国防圏」の概念。〓小平氏の意向を踏まえ、中国海軍は1982年に近海防御戦略を策定。「近海」とは、カムチャツカ半島から千島列島、日本列島、沖縄、台湾、フィリピンをつなぐ線の内側を想定していたとされ、この線を「第1列島線」と呼ぶ。

引用終わり

あと、堺屋氏は

<中国は覇権主義の国ではありません。>

 として、

< ただし「中国圏」の内側に対しては非常に強い支配権を求めています。だからこそ中国は、長年の懸案である台湾を取り込み、香港と台湾、そして中国本土という一国三国制度を目指す可能性が高いでしょう。>

 と書いている。

 台湾に対して、支那政府は「我が国の絶対不可分な神聖なる固有領土」という言葉を使いますが、いったい、堺屋氏は台湾をどのように思っているのであろう。

 我が国は、日清戦争の勝利により、明治四十八年四月十七日に下関条約にて、「清国」より台湾を「永久割譲」されたものです。

 その台湾は大東亜戦争の敗戦により、我が国がその領有権を放棄したものであり、「中華人民共和国」つまり「支那」にも「中華民国」つまり「台湾政府」にも移譲されたものでは決してない。

 それは、昭和二十七年に「中華民国」との間に締結した「日華平和条約」にも明記されていることである。

 満州族の国であった「清」が滅亡し、その後、漢族の国「中華民国」が清よりの独立をはたしたのと同様に清に支配されていたモンゴル、チベット、ウイグルなども同様に独立を果たした事になる。

 しかし、それを認めず、清の後継国家として、その領土であった他の国々の領有権も主張し、侵略し領土と主張しているのが現在の「中華人民共和国」支那です。

 では、清が台湾については、我が国に対して永久割譲するという下関条約を継承し、履行しなければいけなくなる。

 確かに、我が国がその領有権を放棄したので、今更台湾の領有権は主張出来ないが、同様に、大東亜戦争後、昭和二十四年(一九四九年)十月一日の建国以来一度も台湾を支配した事がない中華人民共和国政府より、独立主権国家と多くの国が認めている現在の台湾政府がその領有権を有していると考えるのが普通でしょう。

 その独立国家である台湾を取り込む可能性があるという事は、支那による覇権主義の典型である。

  このような支那の覇権主義の根底には、支那が本来の自国領と考えている地域の問題がある。

 支那が本来の自国領としているのは

 (満州・内モンゴル・ウイグル・チベット・東カシミールの侵略占領区域を含む)

(昭和二十八年度北京政府発行国定教科書『現代中国簡史』より)

 私は「汝の敵、中国を知れ」(竹下義朗 雷韻出版 平成十七年刊)p一〇九〜一一〇より 図も同じく

 それ以外に、支那が潜在的領土として考えているのが沖縄です。

 正確には、尖閣諸島を含む琉球諸島全域・奄美大島・対馬までです。

 それは、沖縄が「琉球王国」として明および清に冊封されており、支那の属国あるいは属領であったからという考えに基づいています。

 琉球が沖縄県と名を変え、我が国を構成する県であるにもかかわらず、支那は沖縄に対してかっての宗主国としての立場を捨てていないのです。

 堺屋氏は、台湾が支那に併合あるいは侵略占領された場合の事を考えた事はあるのであろうか。

 その次は、間違いなく沖縄の占領支配か併合であろう。

 それは、支那が西沙諸島をどのように侵略占領したかを見ればあきらかであろう。

 

参考→支那という強盗国家との付合い方

http://www.tamanegiya.com/sinatogoutou21.9.25.html

台湾を併合すれば、いや、併合前に支那が領土だと主張している尖閣諸島において、南砂諸島・西砂諸島でやったように、尖閣諸島の魚釣島などに支那が基地を構築してしまう可能性はないわけではない。

支那は絶対にそんなことはしないと言い切れるだろうか。

そうなると、領土問題がどれほど深刻化するかは竹島などの例を観ればよくわかる。

 

堺屋氏が支那という国が覇権国家でない、支那による我が国への侵略がないと、本当に思っているのであれば、お目出度いとしか言いようがない。

まるで、大橋巨泉氏なみのおめでたさです。

 

今朝まで起きていたが、寝て四時間ぐらいで目が覚める。

その後は、食事に出かけただけ。

部屋でゴロゴロして一日が終わる。

酒は飲まず。


 

「中国は自信に溢れている」堺屋太一

5月4日水曜日晴れ ○

 「週刊現代」、この雑誌には、政府による有事の際の国民保護モデルに対して「日本の右翼化は仮想敵国を作っている」と大橋巨泉氏がコラムでアホをさらし、これまた、どうしようもない底抜けのアホ在日朝鮮人の柳在順女史の反日記事を掲載したりしています。

 今回は堺屋太一氏の記事を掲載していました。私はこの人の本業を知らないが、上海万朴(一部ではシャンハイ万博ともいう)の「日本産業館」代表だそうだ。

 日本館には日の丸が掲揚されていないという報道がありましたが、我が国の事を憂いている堺屋太一氏が館長を務める日本産業館には当然、日の丸は掲揚されているのでしょうね。

 その堺屋氏は週刊現代平成二十二年五月八日十五日号で「中国を見よ 世界の常識は変わった」として下記の様に書いている。

 以下引用

 <近代工業社会のステップを凄い勢いで駆け上がっている中国は、自信に溢れています。それを裏打ちしているのが、彼等の揺るぎない自尊心です。私は上海万博で中国と深く付合い、これを痛感しました。

 略)

 「中国文化を第一のものとして考える」、そこを理解して彼等と付合う必要があります。

 略)

 中国は覇権主義の国ではありません。

 アメリカやヨーロッパにまで関与しようとは毛頭考えておらず、アメリカからG2体制の構築を持ちかけられた時にもこれを断っています。

 ただし「中国圏」の内側に対しては非常に強い支配権を求めています。だからこそ中国は、長年の懸案である台湾を取り込み、香港と台湾、そして中国本土という一国三国制度を目指す可能性が高いでしょう。

 一方、日本の鳩山首相は「東アジア共同体」を提唱していますが、鳩山さんが考えている「東アジア」は、東シナ海あたりを中心にした、日本、韓国、中国の沿海部の「東アジア」です。

 中国の考えている「東アジア」は違います。中国の主宰する「上海協力機構」のメンバーには、ロシアをはじめ、カザフスタンやウズベキスタンなど西域の国々が入っています。

 中国の想定する東アジアとは、西安辺りを中心に東西南北に広がっている。日本はカザフスタンなどと同じ隣国なのです。

 カザフスタン、ウズベキスタンは天然資源が豊富ということもあり、中国は非常に興味を持っています。

 中国から見た「東アジア」は、中央アジアを含む範囲で、鳩山首相がイメージしているものとはまるで違うものです。

 中国にとって日本に対する関心は、それらの国々に対するもの以上ではありえません。

 国際的な地位が年々低下していく日本。その一因に、日本人の欲望の低下が挙げられます。特に若い人の欲望水準が低下していて「高級品にも興味が無い、大きな家にも住みたくない、社会で偉くもなりたくない」と考える人が増えています。

 なぜそうなってきたかといえば、社会的成功者を悪徳視する雰囲気が国中に充満しているからでしょう。

 起業して経済的に成功した者、業界でのし上がって権力を手にした者が出てくると、「ウラで悪い事をしているんじゃないのか」と酷評する。つまり「嫉妬の精神風土」です。

 歴史を振り返ってみると、「明るい時代」と思えるのは、成功者を礼讃する時代です。戦国時代、元禄時代、明治時代がそれです。

 戦後の高度成長期には松下幸之助や本田宗一郎が国民のヒーローでした。

 略)

 日本に閉塞的な雰囲気を作っているのは、官僚です。現在の官僚は、大きな業績を上げなくてもいい、天下りさえできればいいという「身分」に成り果てています。

 略)

 そんな閉塞した社会した社会を変革するために必要なのは、支配者階級の文化の否定では無いでしょうか。

 明治維新が達成できたのは、それまで尊ばれてきた「武士」の文化が黒船来航でメッキががれ、一気に否定されたからです。ソビエト連邦の社会主義体制が崩壊したのも、「社会主義は優れていなかった」と、国民が支配者層の文化を否定したからです。

 官僚文化の否定も同じです。「官僚は偉くない」と国民が思う様になったら悪しき官僚文化、官僚支配は滅びます。

 最近は官僚文化の劣悪さがだいぶ世の中に浸透してきました。通産省を退官してから二十年間、官僚制の弊害を指摘してきましたが、ようやくあと一歩のところまで来たと実感しています。>

引用終わり

 「週刊現代」講談社 平成二十二年五月八日十五日号P四十八〜五十二

 私は、この堺屋氏の「揺るぎない自尊心」「支那が覇権主義でない」、そして、「高級品にも興味が無い、大きな家にも住みたくない、社会で偉くもなりたくない」などという欲望水準の低下が我が国の国際的地位を低下させている、それまで尊ばれてきた「武士」の文化が黒船来航でメッキががれ、一気に否定されたから明治維新が成功したという考え方に違和感を感じざるをえない。

 上海万朴(シャンハイマンパク)は、当店のお客様でも仕事がらみでその汚い上海に行かなければいけない人もいて大変そうである。

 私は、あんな何を食わされるかわからんし、何を飲まされるかわからん汚い国は絶対に行きたくありません。

北京で「水道水」が原因で五百人の集団下痢。

 広東省では偽物の塩(製塩工場の廃液からつくった不純な塩や、通常「工業塩」と呼ばれる化学工業原料の「亜硝酸塩」)が九十%も出回りで本当の塩?が入手困難。

 毒インスタント麺を食って三十分後に小学生が四人死亡(雲南省)。

 北京では出回っているペットボトルの半数が水道水。

 その上海に出回る揚子江デルタ地帯で作られる米は、国際標準の十五倍のカドミウムが検出された汚染米。

 日系食品検査会社が上海周辺で取れる野菜の残留農薬検査を無作為抽出で行ったところ、最低でも日本の基準の六倍。

都市部の水源の九割が汚染されている。

都市部を経由する七十五%の河には、魚が生存していない。

支那政府当局の資料から、「国内の川水の三割は、農業用水と食品加工業には使用できない」

パナマで百人以上死亡した風邪薬は支那製。

支那人は年間二千二百五十万トンの動物性および植物性油脂を摂取する。そのうち、下水道の汚水から作られた『リサイクル食用油』三百万トンが支那全土で広く一般的に使用されている。

つまり、流通量の十%以上が下水道の汚水から作られた「食用油」である。

偽物の玉子もある。その人造玉子は殻の中から「緑色(政府品質保証)食品認証マーク」が出てくるというオチャメな場面に遭遇する人もいる。(山東省青島市)

醤油は人間の頭髪を分解したアミノ酸で調製した特別製。

北京オリンピックのお毒味約は「ハツカネズミ」。

 

 以上は全て支那の報道によるものです。

 

極めつけは、

支那政府のある高官は「外食はせず」お手伝いさんに「日系デパートで食材を買わせ」家族は「東京に住まわせている」

 これは産經新聞の報道。

 これが、堺屋太一氏の言う「自信に溢れた中国」である。

続く

 今日は電気屋さん行き、いろいろと細かいものを購入。

 次の日の事を考えなくていいので、その後は部屋でマンガやその他の本を読んで朝までゴロゴロ。

 朝方、風呂に入ってから寝る。

 今日は酒は飲まず。


 


5月3日月曜日晴れ ○

 酒を保管する冷蔵庫をもう一つ店に入れるスペースを作るために、今日は店の片付け。

 今までお客様の荷物を入れる為に使っていたカラーボックスを解体し、なんとか冷蔵庫のスペースは確保できた・・・・と思う。

 午後より芳林堂さんに寄り、「この命、義に捧ぐ」、「たった独りの引き揚げ隊」などを購入。

 古本屋さんにて「マサダ」(山本書店 昭和五十年)を購入。

 めちゃ久しぶりにスポーツセンターに行く。

 今日も軽めのメニューを消化。

 たまに会う私ぐらいの年の方が、フロントプレスで百三十キロを上げていた。

 昔、ウエイトリフティングをやっていたらしいが、それにしてもすんげ〜

 帰宅後、「たった独りの引き揚げ隊」(石村博子 角川書店 平成二十一年刊)を読む。この本は、一時、書店の店頭から無くなり、ネットで購入しようとしたら、思いっきり高い値段になっていたことがあった。

 今日調べたら、また、普通の値段で買える様になっていたが、なんかあったのだろうか?

 沖縄の内情を書いている恵隆之助氏の「誰も書かなかった沖縄」(PHP 平成十二年刊)などもネットで調べると今でも三千円から九千八百円で売られている。

 増刷というのは難しいのだろうか????

 この本を読むと、沖縄とは琉球王朝時代は決して天国ではない事がよくわかる。

 

 今日は酒を飲まず。


横浜へ

5月2日日曜日晴れ △

 昨年のゴールデンウイークもそうだったが、

今日は店を片付けた後に、残った刺身と酒を持って、横浜の長島家へ。

 長島さんには、メキシコのグアダラハラ滞在中には御自宅(当時はメキシコにてビジネスをされていた)に居候をさせていただき、帰国後も保証人になってくださるなどお世話になっている。

 夕方からは、近所に住む長女のミキちゃん夫妻一家が参加してにぎやかな夕食。

 昨日の朝まで飲んだ酒のせいか体調はイマイチ。


5月1日土曜日晴れ△

 めちゃヒマ。

 でも、去年も同じだったみたいです。

 NK大学空手部監督のTさん二名様で来店。

 Wさん御夫妻来店。

 閉店後、エムズバーさんへ伺う。

 ドンチャン。記憶あり。(少なくとも閉店までは)



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