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一杯飲み屋の親父の酒と酒の日々
<のんべえ日記>

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


「この先生なかりしば」

4月30日金曜日晴れ ×

「留日台湾高座同学会聰誼会」とは台湾高座会の正式名称で、これは大東亜戦争時、台湾少年工として選抜試験に合格し、神奈川県高座海軍工廠で学生として学びながら、海軍局地戦闘機「雷電」の製造、整備に従事し、今もその海軍工廠のあった大和市を、「我が第二の故郷」と誇りを持って語る台湾の人達の集まりである。

 この台湾高座会の集まりで成田に着き、大和に向うバスの一行と別れ、タクシーでお孫さんと千葉県鎌ケ谷に向うのは宋定國氏。

 宋定國氏は毎年、千葉県鎌ケ谷市に来ている。

 恩師、小松原雄二郎先生の墓参りのためである。

 

 宋定國氏は大正十四年(一九二五年)台湾に生まれ、母親と別れ父親も公学校四年生の時に亡くし、その後、兄夫婦と同居していた。

 学校を辞めて働く様に兄嫁から言われたが、担任だった小松原雄二郎先生は「がんばって公学校だけは卒業しなさい」と、当時必要だった授業代を肩代わりしてくれたほか、修学旅行にも「宋君、心配するな」とだけ言い、連れて行ってくれた。

 公学校卒業後、テント屋の丁稚小僧として雑役をやっていたが向学心を押さえきれず、成淵学校予科二年の試験を受ける。

 この学校は台湾最初の夜間中学として明治三十年(一八九七年)に台北に「民生部研修会」として開校し、後藤新平により明治三十八年に成淵学校と名付けられた。

 

 

 

 仕事と勉学の両立は大変で、身体を壊してしまい、学校を辞め用と思っていた。そんな宋さんの事を小松原先生に話したのだろう。

 ある日、友人から「小松原先生のところへ行け」と言われて小松原先生の御自宅に伺うと、先生は「宋くん、今が大切だ」と何も言わずに五円札をポケットに入れて「がんばんなさい」と言ってくれたそうです。

 当時の五円は大金です。

 宋氏は涙を流しながら「先生、私は必ず成功します。どんなことがあっても成功します」と誓ったそうです。

 その後、小松原先生の紹介で住み込みで働ける台湾食品工業の事務の仕事につき、昭和十九年、成淵学校を卒業すると志願し、選ばれて神奈川県の高座海軍工廠へ台湾少年工として来日する。

 

 

 終戦後、宋氏は台湾に帰ったが小松原先生と連絡が取れずに三十年が過ぎる。

 三十年間教師をやったのち、ホテルのマネージャー(総経理)となり、日本からのお客様に小松原先生の事を尋ねる毎日を送る。

 ある時、千葉県鎌ヶ谷から来ていた教育委員会の方が小松原先生を知っていて、その方が帰国後すぐに小松原先生の連絡先を教えてくれたおかげで三十数年ぶりの再会がかなう。

 昭和五十三年(一九七八年)、小松原先生を同級生で台湾に招待する。

 三十数年ぶりに宋氏が小松原先生を空港で迎えた時は、なにも言えず、ただ、ただ笑顔と涙でいっぱいだった。

 「あー、そうていこく」「せんせい」と。

 そのわずか二年あまりで、小松原雄二郎先生は病に倒れる。

 その時、宋定國氏は日本に飛び、小松原先生が目を閉じるまで一週間以上入院先の病院で看病する。

 そして、

 「宋君、もういいよ」

 が小松原先生の最後の言葉となった。

 

 その後、宋定國氏は毎年来日し、千葉県鎌ケ谷にある小松原雄二郎先生の墓参りを欠かさなかった。

 宋定國氏は下記のように語っている。

 「こんにち、こうして生活していかれる。

 人並みに。

 まあ、社会的においても人並みに。

 誰の影響ですか。

 先生の影響です。

 忘れません。

 絶対に、忘れません。

 殺されたって忘れません。

 でも、この年になって、行けるかな〜

 墓参りに。

 それだけです。」

  

「この先生なかりしば」

 これは、恩師、小松原雄二郎先生を語る時の宋定國氏の言葉である。

 参考、引用

「台湾人生」(酒井充子監督作品)DVD

「台湾人生」(酒井充子 文藝春秋 平成二十二年刊)

 我が国が統治したのは台湾が約五十年間、朝鮮半島は三十五年弱。

 同じような事が朝鮮半島においてもあったはずであろうに語られる事があまりにも少ない。

 この差はなんなのだろう。

 今日は暖かく、河岸に行くのにTシャツ一枚でした。

 Sくん来店。一名様来店。当店から一番近いところに御住まいのフランス人の方。Kさん二名様で来店。ホロン部員Yさん来店。Aさん来店。Wさん御夫妻来店。

 ドンチャン。でも、めずらしく記憶はそれなりにあり。

 サルよりはまし。


 

昭和の日

4月29日木曜日晴れ ×

 今日は先帝陛下のお誕生日で「昭和の日」

 この昭和の日となるまでの経過について、西村眞悟氏のメルマガ「西村眞悟の時事通信」No285 平成十九年四月三十日号に<「祝日に関する法律」について思う>と題して下記のように書かれています。

以下、全文を掲載させていただきます。

西 村 真 悟

 昨日、四月二十九日は、昭和天皇のご誕生日であり「国民の祝日」である。昨日は、昭和に入ってから現在まで八十二年間、一貫して祝日である。何故かといえば、四月二十九日は昭和天皇のご誕生日だからである。

 しかし、昨年まで、この日は「みどりの日」とされ、昭和を記念するという視点が消されていた。つまり、平成の御世になってから、何故この四月二十九日が祝日なのか分らないようになって十八年が過ぎたのだ。この先さらに年月が過ぎ去れば、昭和は民族の記憶から消えていくであろう。  従って、昭和天皇のご誕生日という四月二十九日本来の意義を明確にしようではないかという国民運動が起こり、二年前に祝日に関する法律が改正されて「昭和の日」となった。

 二年前の法改正ならば、昨年から「昭和の日」となるはずなのに、何故二年後の本年からかという疑問が起こる。もっともだが、直ちに昨年から変更すれば、一昨年当時既に印刷業界が大量に制作していた昨年のカレンダーを全て廃棄して作り直さねばならなくなる。従って、二年の間隔をあけた次第である。

 昨日早朝、日の丸を我が家の玄関に掲げた。そして、やっと民族のかけがえのない激動の歴史を刻んだ「昭和」という時代を記念する日が戻ったと思った。

 また、午前中に近くの体育館で魚本流の青少年空手道選手権大会があったので、その開幕にあたり、参加選手と観客を前にして、「昭和の日」の意義を述べ、世界列強を相手に戦争を遂行した空前絶後の昭和という時代の先人を偲び、武士道の精神をもって正々堂々と闘って頂きたいと挨拶することができた。  そして昭和の日の夕刻には、かつて昭和天皇を道ばたに立ってお迎えした仁徳天皇陵の横を、お姿をお偲びしながら歩んだ。

 次に、我が国の祝日に関して、思いつくままに述べたい。

  1,昭和の日制定にあたって、その推進にインパクトを与えた国会質問は二回ある。共に、私の出身政党である民社党所属議員によってなされた。

 最初は、民社党の柳沢錬造参議院議員の平成元年の質問。

 これは、天皇誕生日の四月二十九日を昭和天皇崩御後にも国民の祝日として残し、その祝日を「みどりの日」とするという法案を内閣が提出したときに、昭和天皇の誕生日を祝日として残すのならば、何故昭和という言葉を入れないのかという当然の疑問を表明した質問である。

 その次の質問者は、平成六年の民社党衆議院議員の不肖西村。

問、四月二十九日は、何故祝日なのか。

答、永く六十年以上にわたって昭和天皇の誕生日として国民に祝日として定着しているから

問、では、昭和天皇のご誕生日であるということ以外に、祝日とする理由がないのであるから、昭和の記念日という意義を「昭和の日」として明記すべきではないか。「みどりの日」とは何の記念日か分からないではないか。

答、あー、うー、ごちゃごちゃ(何を言ったのか記憶にない)

 

 昭和天皇のご誕生日が、みどりの日として歴史を消された形に変容させられたのは、いわゆる戦後五十年謝罪決議が国会で為されるような風潮、昭和の戦争が悪い国であった日本によって行われたという東京裁判史観に国民も政府も強く呪縛されていたからだと思われる。これは、私の尖閣諸島視察などの政治行動に対する当時の風当たりからも実感してきたことだった。

 なお、「みどりの日」を「昭和の日」とする正論は、展転社という出版社の社長であった相沢宏明さんら事務局と多くの人々のひたむきで粘り強い努力の結果盛り上がった特筆すべき「国民運動」により推進されたのである。この熱意を思うとき、かつて、大正時代に明治神宮の森を育てた国民運動を思い浮かべるのである。

2,平成八年頃のこと、私は内閣委員会の理事だった。そこに、「海の日」制定の法案が出されてきた。明治天皇が東北行幸からのご帰京の途次、汽船に乗船されて東京湾に入られた日である明治九年の七月二十日を記念して「海の日」という祝日にしようとする法案である。

 ところが、野党は左翼に引っ張られて(私も野党であったが)、八月十五日を終戦記念日とし、海の日と終戦の日をセットにするなら賛成するが、海の日だけなら反対だと突っぱねていた。

そして驚いたことに、どの政党もこの終戦記念日の制定要求に表だって反対しないのだ。自民党は自社連立で社会党とひっついているので反対できない。第一野党にも左翼からの難民が大量にいるので反対しない。

 そこで私は、理事達の顔を見渡してから、言えるのは小生だけかと得心して、 「アホか、戦に負けた日を、国民の祝日にする国が世界の何処にある。世界の非常識も、休み休みいってくれ。」 と言って反論があるかと再び眺め回した。すると皆沈黙して憑きものが落ちたようになり、すんなりと八月十五日の「祝日」案が消えて、当初の予定通り七月二十日の「海の日」だけが祝日となった。

   それから暫くして、エレベーターで、内閣委員会の与党の長老さんと乗り合わせた。彼は、僕の前で、海運業界の人から、先生のおかげで海の日が制定されました、素晴らしいお力ですねー、と歯が浮くようにおだてられて、盛んに頷いていた。僕は理事会で野党に一言も反論できなかった長老の顔をまじまじと見つめた次第。

 確かにこの方は、「海の日」制定の前には、わざわざ僕の部屋までこられて尽力してほしい貴方がたよりだと頼んできた。しかし、「海の日」が制定されてからは、廊下で会ってもエレベーターに乗り合わせても挨拶どころか横を向いて目も合わさなかった。

3,ところで、今の「国民の祝日」であるが、奇妙なことになっている。成人の日、海の日、敬老の日、体育の日などが、例えば「一月の第二月曜日」とか「七月の第三月曜日」というように決められている。せっかく、七月二十日に定まった「海の日」も「七月の第三月曜日」と変更されているのだ。

 これは何故かといえば、日曜日と重なる祝日をずらして連休が続くように変えたのである。その理由は、連休があれば儲かる旅行業界と旅館業界の要望を、ある小知恵のきく政党幹部が聞き入れたからだという。彼の根回しと寝技は大したものらしい。そういえば、彼の選挙区には黒潮の流れに面して古来有名な温泉が数カ所ある

。  この時私は内閣委員会から離れて安全保障委員会にいた。従って、知らないうちに本会議で、「異議ございませんか」・「異議なし」で通ってしまった。

 しかし、考えてみれば、記念日とは「その日」に意義があるのではないか。アメリカの独立記念日やフランスの革命記念日を「○月の第三月曜日」とすればおかしい。

 そうであれば、我が国の国民の祝日の在り方もおかしいのではないか。歴史と伝統のない猿・エコノミックアニマルではあるまいし。

 このような改正が内閣委員会ですんなり通ったのは、委員の歴史意識が希薄だったからと思う。要するに、国民の祝日や国の記念日から国民や国が外れて、単なる休日となってしまったのである。

   この観点から「国民の祝日に関する法律」を眺めれば、歴史を消し去り、あたかも人工国家のような無色透明な祝日の日が羅列されている。建国記念日は「紀元節」で、文化の日や勤労感謝の日は、明治天皇のご誕生日である「明治節」と古来からの「新嘗祭」ではないか。

 思い返せば今の祝日の在り方は全て、日本に主権がなく占領軍に主権がある占領下の昭和二十三年に施行された祝日法によりなされている。ということは、占領政策の大きな柱である、「日本国民から歴史を奪い国家意識を無くす」為に、占領軍が「国民の祝日」から我が国の歴史を消し去るために制定されたのが現祝日法なのだ。

 よって、「国民の祝日」に歴史を取り戻す為に、祝日法全体の再度の制定を実現することは、我が国の形(国体)の確認と伝統的文化の自覚や教育の再建のためにも、重要な課題である。                                 

 (了)

 

 西村眞悟氏はこのメルマガにより、先帝陛下のお誕生日である「昭和の日」がどうして「みどりの日」などという意味のない名称になっていたのか。

 それを、正常にする為に展転社社長であった相沢宏明氏をはじめとした多くの人々の「国民運動」により推進されたことがわかります。

 また、今の祝日法の歪さなども指摘されておられます。

 我が国は祝日の多い国だそうで、その中には必要のない祝日も多い。

 五月四日の「みどりの日」などもそうですが、五月三日の「憲法記念日」が現憲法の施行された日、十一月三日の「文化の日」が現憲法が公布された日を記念日にしているが、当時は我が国は敗戦国として占領軍の管理下にあり、その占領軍により憲法を強制的に改正させられ押し付けられた「国辱記念日」です。

 現憲法を破棄し、日本国民の手による自主憲法が制定されて初めて祝日とすべきなのです。

 初めてのお客様Mさん来店。其の後、ず〜と十一時までオチャピーで、やっぱ、今日はヒマやなと思っていたら、Tさん来店。MARIKOさん来店。Tさんと神楽坂のイタリアンワインバー「Ambra(アンブラ)」のマスターの泉さんとスタッフの鈴木さん、お客様など九名様で満席・・・・・

ドンチャン。今日こそ、記憶ありと思ったが、グラスは洗い終わっていたが、カウンターで寝てました。

 サル・・・・・


 

4月28日水曜日雨 ××××

 今日は昭和二十七年にサンフランシスコ講和条約発効された日ということで各地で集会が開かれたそうです。

 たちあがれ日本・平沼邦夫代表が今日の祝日化を目指す主権回復記念日国民集会で「本当の意味の主権回復には、日本人が原点に返り、独立国にふさわしい新しい憲法を自主的に作ることが必要だ」と述べたとニュースにありました。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100428/stt1004282250010-n1.htm

 確かに、講和条約が発効されたが、本当の独立を得ているわけではない。

 酒井信彦東京大学史料編纂所元教授が、「主権回復記念日」の重大な誤りとして下記のように平河総合戦略研究所メルマガ(2010年4月28日 NO.568号)に書かれていた。

以下引用

なぜ14年前から、「主権回復記念日国民集会」は行われるようになったのか。それは戦後日本の状況が、平成の時代になって却って悪くなってきたからであろう。歴史問題では、シナ人・朝鮮人の攻撃に屈するばかりであり、経済の復興という唯一の自慢も、バブルの破裂とともに消滅した。にもかかわらず、主権国家としての意識は希薄なままである。そのような状況判断のもとに、主催者はこの集会を始めたと思われる。

 しかし私はかなり以前から、この「主権回復記念日」という言葉に対して、正直に言って強い違和感を抱いてきた。なぜならこの一見スマートな言葉には、日本が真の主権国家であるべきだという強固な国家意識、さらにはその根底の民族意識が感じられないからである。したがって、この際原点に返って、4月28日は如何なる日であるのか、本当に主権が回復された日なのであるかを、さらに突き詰めて考えてみるべきであると思う。

 昭和26年9月8日、講和条約が調印されるのと同時に、日米安全保障条約が調印された。したがって翌27年4月28日に、講和条約が発効すると同時に、安保条約も発効したのである。この安保条約の発効は、このとき日本が軍事的主権を回復できなかったことを意味している。つまり軍事的主権を喪失している点では、占領期と独立後は見事に連続している。その意味で4月28日は、記念日というなら「占領継続記念日」だと、言わざるを得ない。

 我々「主権回復を目指す会」は、現在の日本は主権国家ではないと考える。したがって軍事的主権も取り戻して、完全な主権国家に成ることを目指すべきであると思う。つまり4月28日は、主権回復を「記念」する日ではなく、主権回復を「祈念」する日、あるいは主権回復を「期成」する日であるべきだ。現在この日を、祝日にする運動が進められているようだが、祝日としては、余りにもそぐわないのではないか。むしろ屈辱の日として、「国恥記念日」のほうが遥かに相応しい。戦前の中華民国で、1915年に対支二十一カ条要求を受諾した5月9日を、国恥記念日としたように。

引用終わり

 

 自主憲法制定、自衛隊の国軍化の二つを公約に掲げている議員は何人いるのであろう。

 国が無くなっては生活もへったくれもないだろう。国があって、初めて生活があるのである。

「おめでたい日本人に教える虐殺の歴史」(小滝徹 飛鳥新社 平成十九年刊)には「文明の防衛」として下記のように書かれている。

 以下引用

 日本にとっての国家防衛とは文明の防衛と同値であり、しかもその国家機能が機能不全に至っているところに最大の問題があるのです。

 略)

 要するに近代国家としての主権、つまり国としての自己決定権が喪失しているということです。

 これがないから、決定的事態に臨んで対処出来ず、責任が取れず、主権を侵されても毅然とできず、国家の体をなさない状態に陥っています。

 それだけなら、まだ現状を自覚して再出発すれば済むのですが、その状態を直視せず、原爆を落とした戦勝国(アメリカ)に主権を犯されていても平和であればそれでよく(「押し付けられた憲法でも良いものは良い」と開き直り)、何か事があると実質的な退行現象に逃げ込む(アメリカの背後に逃げ隠れする)といったのが今の日本の現状です。

引用終わり

(p220)

 我が国は、自主憲法が制定され、自衛隊が国軍になって初めて真の独立国となり得るのだろう。

 支那・朝鮮・ロシアに対して普通の国家の対応が出来るようになる事が大切である。

 犯罪テロ国家北朝鮮による拉致も、本当の主権国家であればすでに解決していたことだろう。

 

 今日は入荷した酒を片付けるのが大変でした。

 また、冷蔵庫を買わなければ・・・・・・

 今年のゴールデンウイークは店を片付けて新しい冷蔵庫を入れる場所の確保が一番の課題となりそうです

 バンブーさん来店。

 初めてのお客様Oさん、Nさん来店。

 一名様来店。

 大野さん来店。

 二名様来店。

 Y@横浜さん来店。

 Tさん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 ヒマだろうと思っていたら、大勢のお客様。

 早い時間からドンチャン。

 まったく記憶無し。

 カウンターで寝てました。床じゃなくてよかった・・・・

 サル・・・・・・・

 サルといえば、どういうわけかデジカメの中に、早稲田の「酒いわしや」開店時から来ていて、今は築地にある新聞社に生息しているサルが一匹写っていた・・・・


 

国際ジャーナル続き

4月27日火曜日雨 △

 この会社すごいですね。ビル持ってるようです。

株式会社国際通信社

大阪市西区立売堀1-7-18 国際通信社ビル

TEL 06-6536-1134(企画部)

 

その同じ会社の

ネット版もあるみたいです。

http://www.e-gyousyu.net/index.html

「異業種ネット」への登録・掲載は有料です(価格は掲載内容によって異なります)。掲載までの流れは以下の通りです。

お申し込み→当社記者による電話での打ち合わせ→取材日時の決定→取材・契約→原稿作成→原稿の訂正・了承→登録・掲載登録・掲載をご希望の方、ご質問の方はメールで、あるいは電話で以下までお問い合わせください。

株式会社国際通信社 大阪市西区立売堀1-7-18

TEL 06-6536-1134(企画部)

 

 一応、この国際通信社という会社に対するネット上の「誹謗中傷」に対しての見解が書かれております。

以下引用

当社の見解

ネット上での風説流布及び流言蜚語に対する当社の見解

 インターネット上のホームページやブログ、匿名掲示板などに、当社の出版事業の社会的評価を下げるような書き込みが発生しています。それらは根拠無き誹謗・中傷、虚偽の風説であり、誠に遺憾です。

 当社は94年の設立以来、正規取次店を介して日本各地の書店を通じて書籍を販売して参りました。更に、国立国会図書館を始めとする各都道府県の大規模な図書館にも置いていただいております。マスメディアの一員としての社会的立場と役割を認識し、情報を伝える事のみならず、人材育成、国際交流の促進、災害被災地域への支援などにも積極的に取り組み、関係各公共機関からも表彰を頂いております。

 こうした活動が示すように社会的信用こそが当社の事業姿勢の根幹にあり、『報道ニッポン』の取材発行におきましても、誠実なる姿勢を崩すことなく続けてまいりました。業界著名人の方々のご協力を賜ることもあり、取材前の取材趣旨、掲載費用の説明にご理解をいただけた経営者の方々に限りお伺いし取材をしており、雑誌も正規の形で流通・販売をしております。一部風評にあるような、“詐欺”“押し売り”行為等は一切ありません。

 インターネットの普及により、『報道ニッポン』の取材活動への喜びの声は、取材先の方々のサイトを通じて、多くの方々に伝わるようになりました。しかし、一方で一部悪意ある書き込みも目に留まるようになっています。当社は出版社として“言論の自由”を守る立場から、そういった書き込みの全てをも容認する方向で参りましたが、流布される誤った認識によって、当社はもとより関係各位、取材先の方々にもご心配をお掛けしている事態となっては、これを見過ごすことはできません。

 当社はそれら悪意ある書き込みの一部については、刑法233条の「信用毀損及び業務妨害罪」に当たると判断しており、また、プロバイダー責任制限法にもとづく掲載事項の削除要請など、断固として対処していく構えです。

 関係各位様、また取材先の方々におかれましては、こうした風説被害には大変ご憂慮の事と存じますが、今しばらく状況をご静観いただきますようお願い申し上げます。

株式会社 報道通信社

引用終わり

 

 これは同じ会社から出している「報道ニッポン」といいう雑誌についてですが、この「報道ニッポン」と「国際ジャーナル」「現代画報」つうのは、流石に面白い話題がネット上では満載です。

 

 ヒマだったので、この国際通信社の出版物についてそのホームページでいろいろと拝見しました。

以下、この会社のホームページより

 

  国際ジャーナル 報道ニッポン 現代画報
体裁 A4判200頁(うち、カラー80頁前後) A4判200頁(うち、カラー80頁前後) A4判200頁(うち、カラー80頁前後)
発行部数 30,000部 35,000〜40,000部 30,000部
価 格 1,575円(税込) 1,575円(税込) 1,575円(税込)
発行日 毎月1日 毎月1日発行 毎月1日発行
主要読者 中小企業経営者 企業経営者、事業主 企業経営者、事業主

 

そして、いずれも売形式は「直接販売、及び全国の書店にて取扱い。全国の一部図書館、病院、ホテルに、最新号を常設。」となっています。

 まず、これだけ体裁、価格、発行部数、発行日、そして読者対象から販売形式までがオーバーラップした出版物を同じ会社がよく出したものだと感心いたします。

 その編集方針はいずれもタレント(ゲスト・インタビュアーと書いてある)、ライター(司会者と書いてある)、カメラマンの三人で「対面取材方式」と名付けた方式で記事?を作る事になっています。

それぞれ、月刊経営情報誌を名乗り、

国際ジャーナル

明日の日本を支える中小企業経営者のための月刊経営情報誌なのです。

報道ニッポン

地域に根ざした地元企業経営者の生の声を各界著名人との対談で表現、充実の特集・取材記事

現代画報

地元に根ざして事業を展開する企業を紹介。

独自の対談取材を通して地域と共存共栄する企業の在り方を探っていきます。

 

となっていて、いずれも中小企業経営者、個人経営者を相手にしています。

 その内容も

  国際ジャーナル 報道ニッポン 現代画報
中小企業 地域に生きる人と企業 企業家たちの横顔に迫る 地域を育む人と企業
専門職 EXPERT'S EYE(エキスパート・アイ) Specialistに学べ! 時代と人をつなぐスペシャリスト
職人 職人に訊く VIP・ザ・職人 職人〜地域で活躍する職人たち〜
医療 暮らしを支える医療福祉  医療と福祉 地域医療に貢献する ドクター訪問
飲食店 逸店探訪 食彩逸店 美食探訪 一度行きたいお薦めの逸店
社寺探訪   心のふるさと〜社寺めぐり〜
その他 学びの現場から 美容と健康  

 

 それぞれの企画もものの見事に被っています。

 先に書きました様に、体裁、価格、発行部数、発行日、そして読者対象から販売形式だけでなく、企画内容までが三誌がもののみごとにオーバーラップした出版物を一社で出しているのです。

 不自然さを感じない人はいるでしょうか。

 普通だったら、同じ出版社は、読者対象、企画などがオーバーラップしないように出版物を出すだろうに。

 あと、

 <国立国会図書館を始めとする各都道府県の大規模な図書館にも置いていただいております。>

 とクソ偉そうに書いているが、そもそも、わが国では、国立国会図書館法により、国内で発行されたすべての出版物を、国立国会図書館に納入することが義務づけられるという納本制度により、納本しているだけだろうに。

 

 こんなに偉そうに書くような事か!

 

 あほらし。

 マロさん来店。Nさん二名様で来店。Tさん来店。Nさんが最近結婚されたそうな。

 今日は珍しく記憶あり。


 

国際ジャーナルからの電話

4月26日月曜日晴れ ○

 先日、河岸から帰ってきて仕込みをしていたら「国際ジャーナルと申しまして大阪の出版社なのですが、お店の責任者の方いらっしゃいますでしょうか」という電話。

また○○な電話が来たと思いながらも

「大阪の出版社の方から『わざわざ』お電話ですか。どういったご用件になりますでしょうか」

「経営者のかたでしょうか。お店の取材をさせていただきたいと電話させていただいているのですが」

「ほほう、うちみたいなチンケな一杯飲み屋が『大阪の会社』の取材対象になりますか」

「はい、評判のお店を芸能人の・・・・」

「ほほう、『評判の店』を芸能人の方が、」

「はい」

「ほな、もちろん、タダやろな。いや、ええ年こいた大人が時間を割いて商業雑誌の仕事に協力したるんやから、普通タダちゅうこたあないよな。なんぼくれるね」

「はあっ。いや、取材協力費をいただきます」

「アホか。銭取るんだったら普通は取材と違うて広告つうやろ」

「ガチャ」

 録音もしてないので、完全ではありませんが、まあ、だいたいこんな感じの会話になりました。

 広告出すのだったら銭はかかりますが、「取材」受けるには普通銭かからんでしょう。

 ネットで調べると国際通信社つうとこがやっているみたいですが、ネットがこれだけ普及してくるといろいろとやり辛いでしょうね。

  流石に、いろいろと書かれているみたいですね。

 まあ、銭出してもアホな肩書きだけ欲しい、オモチャ以下の勲章を欲しいつう人もいますし、同様に銭を出してまでタレントと一緒に写った写真を掲載した雑誌でも納得出来る人はいるのでしょう。

 

 世の中いろんな商売があります。

 でも、やっぱ、先に書いた様に「取材」と言わずに「広告」と言うのが「普通」の会社のアポの仕方と違いますか。

この話題、せっかく向こうから飛び込んで来てくれたので、もう少し引っ張らせていただきます。

 今日は午前中はゆっくりと起きて、午後から食事に出かけたのみで、後は、一日中部屋にいた。

 酒は飲まず。



北朝鮮による拉致被害者全員の即時帰国を求める「国民大集会」

4月25日日曜日晴れ○

 午後から日比谷公会堂で開かれる北朝鮮による拉致被害者全員の即時帰国を求める「国民大集会」に参加させていただく。

 会場の前の方では、今回もカメラを回す映像研究会・稲川和男氏の姿があった。

 何回か参加させていただいたが、今までで一番寂しい大会であった。

 同じ日比谷公会堂が一杯になり、入りきれない人が外に溢れていた数年前はなんだったのだろう。

 諦めのようなものがあるのだろうが、それこそ犯罪国家北朝鮮を喜ばせる事にしかならない。

 今も北朝鮮による種々の工作が行われていると今日の集会でも報告されていた。

 

空席が目立った会場

 

 

議員のセンセイ方も同じく・・・・・・

 諦めない、忘れない事が大切なのだろう。

 自分なりに出来る事を。

 店に寄って、片付けてから帰宅。

 今日もスポーツセンターには行かず。

 風呂に入ってさっさと寝る。


っぱ出てきたアホ朝鮮人

4月24日土曜日晴れ ×

 ニュースにアホ在日朝鮮人が五百五十四人のタイ人の子供と養子縁組をし、八六〇〇万円もの子供手当を尼崎市に申請し拒否されたとあったが、こんなのは予想された事であり、金でなんでもできる國である支那人なども「正規」の証明書で同様の事をするだろう。

 

 アホ鳩首相の下、民主党が我が国にとって国益となる事は何一つやらないということがよくわかる。

 今日、いつもの青物屋さんに行ったら、ヤシの実があり、懐かしくて購入。百五十円なり。

 帰りに佃煮屋さんの前を通ったら「葉山葵の佃煮」という張り紙。

 葉山葵・・・・山葵の辛み成分は揮発性なので、熱を加えると飛んじまうはずだがと思いながら試しに購入。

 ホロン部員Yさんと酒のツマミにと試食。

 山葵のピリ辛感がなく、う〜ん、別に葉山葵でこれを作る必要もないんじゃないかとなった。

 Oさん来店。ホロン部員Yさん来店。Kさん五名様で来店。

 ドンチャン。記憶はあると思ったが、気が付いたらカウンターで寝てました。

 サル・・・・・


 

4月23日金曜日雨 ×××

 昨日、「日本酒復権シンポジウム2010」開催1ケ月前のご案内という下記のようなメールを頂いたが、先日頂いたメール内容と違っている。

今回のメール

略)

参加資格は問いませんので、感心ある方多数の参加をお待ちしています。

日時/5月22日(土) 13:00〜18:30

会場/北とぴあ・2階「つつじホール」

    東京都北区王子1−11−1(「JR王子駅」北口より徒歩2分)

参加費/12,600円(消費税含)

定員/300名

主催/株式会社フルネット

三月二十三日のメール

略)

業界関係者ならびに愛酒家の皆様、多数の参加をお待ちしています。

日時/5月22日(土) 13:00〜18:30

会場/北とぴあ・2階「つつじホール」

    東京都北区王子1−11−1(「JR王子駅」北口より徒歩2分)

参加費/12,600円(消費税含)

定員/400名

対象/愛酒家、酒蔵関係者、酒販店・料飲店・酒類流通関係者

主催/株式会社フルネット

 対象が「愛酒家、酒蔵関係者、酒販店・料飲店・酒類流通関係者」から「参加資格は問わない」になり、定員も四百人から三百人と百名も減り、でも参加費は同じ。

 つうことは、百名分百二十六万円も減収になっても経費的には大丈夫ということなのでしょうか。

 まあ、会場費は今回の会場である北とぴあ・二階「つつじホール」は、終日借り切って六万六千三百円ですけど。

 http://www.kitabunka.or.jp/data/sisetu/index.htm

 

 Oさん、Iさん来店。

 初めてのお客様Oさん二名様で来店。

 初めてのお客様Hさん三名様で来店。

 Yさん二名様で来店。

 二名様来店。

 Mさん御夫妻来店。

 Oさん二名様で来店。

 Iさん二名様で来店。

 二名様来店。

 Tさん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 今日はどういうわかけかメチャ忙しくて、窓際の席までいっぱい。 明日がこわい・・・・・・

 めぐ蔵さんがお手伝いに来てくださり大助かり。

 でっ、途中からドンチャン。

 記憶無し。サル・・・・・・・


言葉の軽さ

4月22日木曜日くもり一時雨○

 アホな国会議員が言葉を弄んでいる。

以下引用

 普天間移設「首相は命がけ」 国民新党・下地氏

 国民新党の下地幹郎国会対策委員長は18日夜、秋田市内で講演し、鹿児島県徳之島で同日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設に反対する集会が開かれたことについて、「基地は来るなという気持ちは分かるが、沖縄がやってきたことを、今度は徳之島にも大分にも、静岡にもお願いし、日本全体で日米安保を守っていくことだ」と述べ、移設への協力を求めた。

 さらに、「鳩山由紀夫首相は命がけだ。5月30日までに日米で合意し、それから総理自ら足を運んで説明し、(移設合意期限の)2014年までに完成すればいい」とも話した。

引用終わり

 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100418/plc1004182211013-n1.htm

 そして、過去にはでアホ鳩山も三月三十一日に行なわれた谷垣禎一自民党総裁との党首討論で、普天間問題の五月末決着に

「命がけで、体当たりで行動し、必ず成果を上げる」

 と、「命がけ」という言葉を使っている。

 「命がけ」などという言葉は普通の感覚の人間だったら使わんもんでしょう。いや、使う事などできないでしょう。

 政治家がどうやったら命をかけることできるのでしょうか。

 辞めるということなのでしょうか。

 そんなアホな程度の事で命をかけるなどという言葉をつかっていたら、警察官、消防士、軍人など本当に命を懸けている職業の方に失礼でしょう。

 このアホ鳩は辞めても食うには困らんし、命の心配などせんでもええのですから。

 死なんでもええからさっさと辞めてほしいものです。

 そういや、随分前にアホテレビ局のやらせ番組で一躍有名になった「猿岩石」の有吉という芸人もアホな事を言っているのがネットにありました。

以下引用

激白。猿岩石時代、「車に飛込み旅終わらそうと思った。」

(Techinsight Japan - 04月19日 12:33)

 4月16日放送のアナザースカイに有吉弘行が登場した。毒舌芸人として二度目のブレイクを果たした有吉が第二の故郷として挙げたのはインドだった。「進め!電波少年」時代の壮絶な体験をまじえながら、インド、デリー・バラナシの最後の旅を敢行した。

14年前「進め!電波少年」のヒッチハイクの旅で一世を風靡した猿岩石。番組の冒頭で有吉はVTRと共に当時の心境を語った。ヒッチハイクの旅は現在では考えられないような苛酷な番組だった。食うや食わずやの生活で、月に13キロも体重が減ることもあり「死んだほうがマシ」だったと振り返る。相方と「ジャンケンで負けた方が車に飛び込み、事故で旅を終わりにしよう」と話しあったこともあった。

引用終わり

 私はこのテレビ番組はあまり知りませんが、手元にある古本屋さんで購入した「おっかけ猿岩石」(石清水一 太陽出版 平成八年刊)にやらせが詳しく掲載されています。

 ましてや、ディレクターが常に付いていて、筋書きの決まっているテレビ番組で出演者が死ぬようなことになったら、やらせプロディユーサーの土屋敏雄という男は、撮影中に九十キロもの鎧を着せて両手を縛って滝壺に落として役者を殺したあのアホの井筒和幸と同じ程度の頭ということです。

 

 たかが、やらせ番組に出ただけだろうに。

 それを大層に「死んだほうがマシ」とは。

 あほらし。

 バンブーさん来店。

 Uさん三名様で来店。

 Eさん二名様で来店。

 浜松からYさん来店。

 今日は最初にビールを飲んだところ、旨く感じられず、ドンチャンはなし。

 


世界中に害毒をまき散らす支那人よ、お前が言うな

華字紙・日本新華僑報の蒋豊という腐れ支那人

4月21日水曜日晴れのち小雨 暖かい △

 今、支那人は世界中で問題を起こしています。もはや、支那人という存在自体が地球において公害だと言わざるを得ません。

 その支那人が我が国に住みながら下記のようなブログを支那本国で発表しています。

以下引用

在日中国人のブログ>日本人麻薬密輸犯の死刑執行は何を物語っているのか?

2010年04月08日12時45分 / 提供Record China

略)

 編集長は「日本の麻薬密輸犯の中国での死は何を物語っているのか?」と題した記事を中国のブログサイトに発表した。以下はその概略。

6日午前、中国は65歳の日本の麻薬密輸犯、赤野光信死刑囚の刑を執行した。これに日本の世論は大きく反応したが、なぜこれほど大騒ぎをされるのだろうか?「中華人民共和国刑法」は、「覚せい剤50グラム以上の密輸は懲役15年か無期懲役、または死刑」と定めている。では、中国がなぜこれほど麻薬の密輸撲滅に力を入れるのか、ご存じだろうか?それは社会の秩序を守るためだけではなく、歴史的な背景も含まれる。1840年のアヘン戦争が良い例だが、中国の屈辱的な近代史の元凶は麻薬だった。このことは、日本人は教科書であまり教わっていないだろう。なぜなら日本もこれに加わっていたからだ。

赤野死刑囚は06年9月、2.5キロもの覚せい剤を密輸しようとした。中国当局の積極的な努力によって、これほどの麻薬が日本に流入せずに済んだのだから、日本は幸いだったと喜ぶべきだ。毒ギョーザ事件の時のように、中国に「感謝」するのが当然だろう。だが、日本側は感謝しないどころか、中国のやり方にケチをつけている。

略)

中国側は赤野死刑囚の刑の執行に対し、十分な配慮を行っている。5日の執行予定を6日に延ばし、家族との面会を許可した。それも通常20分のところを1時間という異例の長さだ。しかも、執行方法は薬物注射が採用された。だが、こうした「配慮」に日本側は全く気付いていない。中国ではさらに3人の日本人麻薬密輸犯の死刑執行が予定されているが、今後は刑が確定したら速やかに執行すれば良い。中国人の税金が無駄になるだけだ。

日本政府は自国民に「中国に行く時は中国の法律に従うよう」呼び掛けてもらいたい。「どうしても麻薬が欲しいなら自国内だけにとどめ、中国を巻き込まないように」と。(翻訳・編集/NN)

●蒋豊(ジアン・フォン)

25年以上にわたってメディアの仕事に携わる。99年創刊で年間発行部数324万部を誇る日本の中国語紙・日本新華僑報編集長。

引用終わり

 この同じ日本新華僑報のページには「越境犯罪を厳しく取り締まることは日本人にもプラスとなる

」と題した下記のような「日本向け」の記事もある。

http://jp.jnocnews.jp/news/show.aspx?id=28179

以下引用

越境犯罪を厳しく取り締まることは日本人にもプラスとなる

2010/04/07 19:39:13  作者:チャイナネット

略)

刑事手続きは適正 であったのか?

千葉景子法相の刑事手続きに対する 質疑について、周永生教授は日本と中国の死刑執行についての事情が異なると指摘した。「日本で死刑判決の後の手続きがわりに遅く、7、8年以内には執行が難しく、普通は8年間以上かかっている。だが、それに比べれば、中国の死刑執行は速い。中国の司法システムが整備されているので、日本と比べられないところがある」としている。

略)

国民感情を損うことになるのか?

略)

高副所長はさらに、「理性的に両国 関係を考えれば、犯罪行為を厳しく取り締まり、非伝統安全の分野で手をたずさえて協力することは、両国国民の長期にわたる利益に合致するものだ。麻薬密輸者が中国で麻薬を手に入れ日本で売るのだから、日本に麻薬が氾濫すれば、最終的に危害をこうむるのは日本人だ。越境犯罪を取り締まるのは日本国民の利益を守ることにもつながる」と中日両国の麻薬密輸取締りの上での協力を呼びかけている。

引用終わり

 長々と引用したが結局は「日本は支那に感謝しろ」と書いてある事においては一緒である。

 

<1840年のアヘン戦争が良い例だが、中国の屈辱的な近代史の元凶は麻薬だった。このことは、日本人は教科書であまり教わっていないだろう。なぜなら日本もこれに加わっていたからだ。>

 阿片戦争は、1840年から二年間行われた阿片をやめさせようとした清と英国との戦争である。我が国にではなく英国に文句を言うべきであろうが、支那とされるのは、満州族の収める清であり、その清は一九七六年から阿片の輸入を何度も禁止したが、今の支那の大多数を占める漢人はそれに対して反対し、輸入阿片だけでなく国内産阿片による被害を抑える事が出来なかった。

 阿片戦争の時も漢族は滅清興漢を旗印にし清ではなく、英国に味方した。

 

 ましてや、一八四〇年というと我が国はまだ天保の改革が一八四一年、ペリー来航が一八五三年である。

 我が国の何処が阿片に関わっていたのだ。

 阿片は支那においては蔓延していたのである。

 我が国は明治十二年(一八七九年)五月一日に薬用阿片売買竝製造規則(阿片専売法)を施行する。

 これにより、阿片製造販売を独占し、購入者及び栽培農家は政府による登録制とした。

 明治二十八年(一八九五年)日清戦争の講和条約によって台湾が我が国に割譲されたとき、台湾に阿片が蔓延っていたため後藤新平は阿片に高率の税をかけ、吸引者を徐々に減らす、阿片の漸禁政策を施行し、徐々に無くしていった。

 つまり、我が国が統治した時には阿片は蔓延していたのである。

 同様に満州においても明治三十九年(一九〇六年)後藤新平が初代満鉄総裁に就任し、阿片中毒者が蔓延していたため漸禁政策をとり吸引者を徐々に減らしていった        

 つまり、阿片は支那自身の問題であり、我が国の影響ではない。

 

 支那人は加害者でありながら被害者面し大騒ぎするのは得意であるのはその歴史を見ればよく理解出来る。

 

 この腐れ支那人は「どうしても麻薬が欲しいなら自国内だけにとどめ、中国を巻き込まないように」とほざいているが、

 FRIDAY四月三十日号に「中国ドラッグパーティ潜入撮」と題して下記のような記事がある。

以下引用

<中国四川省の省都・成都にある建物の一室に集まった男女。

 大音響の音楽が響くこの部屋で、彼等は白い粉を回し始めた。

 急激な経済成長を続ける中国の裏側を本誌カメラマンが目撃した。>

<「ここは公安公認のカラオケ店なんだ」

 そういって案内されたのは、ホテルのような5階建ての建物だった。

 略)

 中国では麻薬犯罪の増加が社会問題化している。

 今年三月に発表された国家禁毒委員会の年次報告によると、〇九年に摘発された麻薬犯罪は約八万件。麻薬中毒は一二〇万人といわれる。

 「一キログラムあたり二〇万元(約二七〇万円)ほどする覚醒剤とは別に、『K粉』などの合成麻薬が安価で手に入るため、中国では麻薬中毒患者の低年齢化が進んでいます。

 『揺頭丸』(MDMA)と呼ばれるアンフェタミン系のドラッグは、クラブやバーで一錠二十〜五十元(二百七十〜六百八十円)で売られています」

(在中国日本人ジャーナリスト)

 中国では、薬物使用で摘発されても「違法禁物とは知らずに使った」と主張すれば被害者となる。

 こうした中毒患者は、行政処罰として全国に七百以上も設置されている「戒毒所」に収容されるが、三〜六ヶ月間の矯正訓練を受ければ、出所する事が出来る。このため、中毒患者の再犯率が高いと指摘されている。

 一方、麻薬の密輸、販売、製造などは犯罪行為として厳しく処罰される。

「例えば、アンフェタミンなら五十グラム、ケタミンなら二キログラムの密輸、販売、製造で死刑となります」(中国公安関係者)

 略)

「中国では、クラブやカラオケボックス等の娯楽施設を開店する際に、公安が出す営業許可証が必要です。

 しかし、この許可を得るのは難しい。そのため、殆どの店は公安に賄賂を支払って営業しているのです。

 公安と賄賂でがっちり繋がっているのです。その店でドラッグパーティをしていても捕まるハズがない」(前出・ジャーナリスト)

 賄賂が横行する中国社会では、麻薬の取り締まりは徹底していないのだ。

 略)

 引用終わり

FRIDAY四月三十日号P十二〜十四

 

 

この記事の数字を裏付けるニュースがある。

以下引用

2007年12月26日

 [北京 26日 ロイター] 中国の警察当局が1─11月に押収した「パーティー・ドラッグ」の量が、昨年の同じ時期と比べて2倍以上だったことが、新華社の26日の報道で分かった。

 新華社が同国公安部の情報として伝えたところによると、同期間中に拘束した容疑者の数は6万人。「エクスタシー」のタブレット200万個に加え、「アイス」6.2トンと「ケタミン」5.2トンが押収された。

 特にケタミンの押収量は昨年同期比で約4倍、エクスタシーも2倍に増加。同部の副部長は増加の理由について、ことし開始された反ドラッグキャンペーンの影響が一因とした上で、新たなドラッグの使用が増加していると語った。

 一方、同じ時期に押収されたヘロインは昨年と比べて約21%減の4.2トン。アヘンは1.1トンだった。

引用終わり

 我が国に対して言う前に、我が国で犯罪を犯しているお前の同胞である支那人を何とかしろ。

平成二十年中の薬物・銃器情勢確定値

警察庁組織犯罪対策部 薬物銃器対策課

http://www.npa.go.jp/sosikihanzai/yakubutujyuki/yakujyuu/yakujyuu1/h20_jyousei_yakujyuu.pdf

 日本国内で違法に流通する覚せい剤は、国外の工場で風邪薬などを材料に作られ密輸されたものが多い。二〇〇七年は主に中国からの密輸入が多く、二〇〇八年からは従来の北朝鮮や中国に代わりカナダが日本への覚せい剤供給元の首位になったのは、カナダの支那人マフィアは絡んでいないのか。その可能性はないのか。

 税金の無駄遣いなどとお前のような腐れ支那人から絶対に言われたくはない。

 この蒋豊という支那人は石原都知事が「「不法入国した三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、大きな災害では騒擾事件すら想定される」と発言した時に、あの辛淑玉などと共に下記のような抗議発言もしている。

以下引用  蒋豊  発言を聞いて驚いた。一方で「またやったか」と思った。石原都知事は就任後、去年からいろいろな差別発言をしていた。そういう発言に対して、中国人として抗議をしたい。これまでの石原発言は、外国政府に対してだったが、最近在日外国人に対する発言が増えている。東京都内で、在日中国人は7万1000人いる。彼らは東京都民と一緒に働き、学び、暮らし、日本の国際化を共に歩み続けている。しかし、こんな差別発言がどんどん出てくるのは、都知事としての立場がわかっていないのではないか。 引用終わり

 http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/archive/ishihara/kisha1.htm

より

 

 支那人が災害の時にどのような醜い行動をとっているか。それは近年の支那大陸における災害によく現れている。

 

 ましてや、いったい何人の支那人犯罪者が我が国の刑務所に入って、我が国国民の税金で無駄飯を食っていると思っているのか。

 支那と違い刑務所にいる間に虫歯まで治して出所し、また犯罪をするために我が国に来るのである。

 支那人、朝鮮人などは別の刑法で裁いて、刑務所も更正刑務所ではなく懲罰房として別にしてほしいものである。

 厚顔無恥の典型的な腐れ支那人がこの蒋豊という御仁である。

 

 今日は暖かく、河岸からの帰りはTシャツ一枚でした。

 

 Oさん来店。最近、健康診断の時の数値がイマイチ良くないそうですので、三週間禁酒すると随分違うみたいですよと薦める。

 Kさん来店。

 ワイン会の帰りということで、Kさん、Yさん三名様で来店。

 Wさん御夫妻来店。

 ドンチャン。でも今日は記憶あり。


4月20日火曜日曇りのち雨 ×

 Kさん、ラスムセンさんと来店。日本酒も日本も大好きなデンマーク人のアスムセンさんは我が国に永住する事を決め、お家を建てたそうですが、伺っていると、まあ、細部に拘って建てていらっしゃる。

 Mさん二名様で来店。

 K@相模原さん来店。

 Sくん来店。

 Tさん御夫妻来店。

 Tさん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 早い時間からドンチャン。

 記憶はお客様がお帰りになるまで珍しくありましたが、その後、店を片付けた記憶がない。

 やっぱ、サル・・・・・

 

 写真は築地の交差点にあった波除神社と魚のネタという魚河岸バージョンのガチャポン。

 

 今日の日刊ゲンダイ。

 

 やっぱ、アホの鳩山首相を擁護しています。

 あれだけアホを晒してたらテレビの闇もへったくれもないだろうに。

 初亀の蔵元である橋本社長より電話あり。

 初亀の飲んべえの会が七月十八日日曜日に決定。翌日19日は海の日でお休みです。


 

4月19日月曜日くもり ○

 昨日、スポーツセンターに行き、軽めのメニューだが、それなりにやったので、今日、朝起きると背中や肩などあちこちが痛い。

 「中国人の世界乗っ取り計画」(河添恵子 産経新聞出版 平成二十二年刊)、「台湾人生」(酒井充子 文藝春秋 平成二十二年刊)などを読む。

 「中国人の世界乗っ取り計画」の一部は以前に週刊文春に掲載されていたものだったが、それ以外にも興味深い箇所が多かった。

 「台湾人生」に掲載されていた宗定國氏のエピソードには胸を打たれるものがあった。

 今日はマンガの本を読んで一日中部屋でゴロゴロして終わる。

 酒は飲まず。


 

都営西大久保アパートに巣くう厚顔無恥な連中

4月18日日曜日晴れ ○

 店を片付けた後、午後より高田馬場に行く。

 芳林堂さんに寄り、「農民国家中国の限界」「中国人の世界乗っ取り計画」「台湾人生」を購入。

 その後、芳林堂さんの店内に開設されている古書コーナーへ。

 前回、購入したかったが他にも購入しており次回と思っていた「一億人の昭和史 植民地史 全四巻」は見事に無かった。

 そのかわりに「外務省編 終戦史録 全六巻」が全巻揃いであり購入。

 そのまま新宿スポーツセンターへ行く途中に通る都営大久保アパートに違法駐車されている車はそのままになっていた。

 

 

 有料駐車場は閉鎖され、その前に堂々と駐車している異常さ。

 

 

 水曜日に張られてあった「駐車禁止」の紙がそのままになっている車もあったが、殆どはその紙も無かったから違法駐車を指摘されている事は百も承知なのだろう。

 

 それを平気でいる厚顔無恥な腐れの群れがここにいる。

 何度も書くが、つまらないタブーを作ってはいけない。

 スポーツセンターでは今日もベンチプレスはなし。他の種目を軽めのメニューで消化。

 今日の夕食は帰りにトンカツ屋さんで済ませた後に帰宅。


台湾からのお客様

4月17日土曜日雨のち晴れ×

 河岸から帰って来て、仕込みを終えて急いで武道館へ。

 九段下の駅から武道館へ向うと同じように大勢の方

 このような集会に参加して思うのは、男女、そして幅広い年齢の参加者の方が参加されている事です。

 武道館では「永住外国人地方参政権に反対する国民フォーラム」が二時より開かれた。

 

 一万人目標となっていたが、結局一万二百五十七人の方が参加されたようです。

 平成十九年に一万九千人しか参加しなかった沖縄で開かれた「教科書抗議集会」を十一万人と平気でウソを言うカスどもによるアホな嘘発表と違い、こちらは住所氏名も書いた正式な集計。

 亀井静香氏は郵政問題などトンチンカンな発言。

 松原仁氏は民主党から参加した勇気はいいが・・・・

 渡辺喜美氏はみんなの党の政権演説

 平沼赳夫氏のみ国防から外国人参政権について述べていた。

 私の記憶に残った一番の提言者は「英語が書ける、しゃべれることにより初めてアメリカの歴史を理解し、忠誠心を得る事ができる」というメリーランド大学講師であるエドワーズ博美氏のアメリカに置ける市民権取得条件。

 そして、エドワーズ博美氏は「かっての母国と戦争になった場合でも、アメリカのために銃を持って戦う事ができる覚悟が求められる。」

 そのために

「決して国籍取得の条件のハードルを低くするべきではない」

 と述べておられました。

外国人参政権反対を声高らかに唱えながら「日本国籍を取ればいいんだ。帰化条件を低くすればいいんだ」と言っている亀井静香氏にとっては今日の「決して国籍取得のハードルを低くすべきではない」というエドワーズ博美氏の言葉は耳が痛かったことでしょう。

 

 今の我が国の永住権から帰化するにあたって残念ながら忠誠心を求めるという事がありません。

 早急に帰化条件を改めるべきです。

 我が国対して忠誠心のない外国人の帰化は決して認めるべきではありません。

  残念ながら、其の後のデモには営業準備の為もあり、参加出来なかったが、靖國神社に参拝する。

 境内はみなさんうす緑色の封筒を持った武道館からそのまま参拝にいらした方が多く、写真のようば状況。

 

 横浜からKさん来店。

 横浜のNさん来店。今日、武道館の大会に参加されたそう。

 女性ばかりのお客様Fさん三名様で来店。

 そのうちのおひとりは何と台湾からのお客様。どうやら昨年いらしてくださった葉さんが紹介してくださったページhttp://www.p9.com.tw/Forum/ForumTopic.aspx?id=12770

をご覧になったようで日本酒がお好きで当店をわざわざご指定いただき、社員旅行で来日中で単独行動時間中に日本人の御友人と三名様でご来店

 

 先日いらして下さったイクさんは友人の友人?だそう。

 磯自慢三十五%、松の司純米大吟醸斗瓶、初亀出品酒などグイグイ。

 

 台湾からわざわざご来店いただきありがとうございました。

 Yさん来店。

 バンコックから帰国中のチヒロさん御一家来店。

 奥様のミホちゃんは毎日キックボクシングジムに通っていて、昨年ついにリングデビューをしたそうですが、指の骨折やらあばらの骨折やらで大変そうです。

 キックボクサーとしてプロのリングに上がっていた事があるYさんとキック談義。

 しかし、チホちゃんに両親でパンチを入れるポーズをとってどうする。

 府中よりIさん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 ドンチャン。

 今日は記憶あり。

 めずらし〜


<愛子さま同級生「暴力」で前代未聞の退学>

4月16日金曜日雨のち霙(一部雪)△

 週刊文春四月二十二日号に<愛子さま同級生「暴力」で前代未聞の退学>という記事があった。

 これって、別に愛子内親王殿下に暴力をふるったアホ生徒を退学させただけだから、別にいいだろうと思ったら違った記事内容でした。

 「他のクラスの子が教室に入って来て、暴力をふるわれたと親御さんに訴えて、御両親が退学させた」というものでした。

 私は以前、マルガリータさんのお兄さんの友人が学習院初等科を退学させられた理由をお聞きした事があります。

 その退学させられた理由は、

 皇太子殿下のお弁当を食っちゃったから・・・・・・・

 

 愛子内親王殿下に暴力をふるったのであれば退学ぐらい当たり前だろうと思うのですが、怒る事のできない教育は学習院にも及んでいるのでしょうか。

 ところで、朝鮮人、支那人、同和問題など言葉に対して異常な程神経質な我が国の腐れマスゴミは、なぜ、愛子内親王殿下は愛子「樣」でも愛子「様」でもなく愛子「さま」なのでしょう。

 

 皇室典範には

 第23条 天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする。

 

 とあります。

 愛子「さま」ではなく、愛子内親王殿下と書くべきなのです。

 朝鮮人、支那人、同和問題などよりも、我が国のマスコミであるなら、まず先に、皇室に対して敬意を持って接し報道すべきなのです。

 我が国のためにならない事だったらなんでもやる腐れマスゴミども。

 

 バンブーさん来店。

 Tさん来店。

 副店長さん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 副店長さんのお話に皆様感動・・・・・?????

 めぐ蔵さんお手伝いに来てくださったおかげで、洗い物から解放され、早い時間からドンチャン。

 営業終わってからめぐ蔵さんとワイン二本。記憶はあり。

 サルよりはマシ。

 


台湾よりのお客様

4月15日木曜日雨のちくもり ×

 今日は寒い一日。

 

 台湾よりのお客様イク(ユーさん)さん御一家四名様で来店。

 当店が台湾のネットで紹介されているそう。

 http://www.p9.com.tw/Forum/ForumTopic.aspx?id=12770

 昨年いらしてくださった葉さんが紹介してくださったみたいです。

 旦那さんのイクさんはお酒は何でも大好きだそうで、今日もうちの店でいろいろな酒を楽しまれていました。

 日本語を学ばれているお子さんは来年、我が国に来てホームステイする予定だそうです。

 イクさんは「台湾は支那ではない」と語られる熱い気持ちの持ち主。

 ブルーリボンバッジも付けてくださるそうで、お持ち帰りになってくださいました。

 イクさん、台湾からわざわざご来店いただきありがとうございました。

 Yさん、喜正の蔵元野崎社長、嘉泉の田村社長来店。

 平成十六年の金賞酒をお土産に頂きました。

 Sさん二名様で来店。

 今日は珍しく、七時でカウンターは満席。

 Tさん来店。

 Kさん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 めぐ蔵さんがお手伝いに来てくださっていて助かりました。

 ドンチャン。

 記憶無し。サル・・・・・・・・・

 灯つけっぱなしでカウンターで寝てました。


異様な光景

4月14日水曜日晴れ ×

 河岸が休みなので、午後から高田馬場にあるスポーツセンターへ行く。

 昨年もこの日記に掲載した事があるが、スポーツセンターへ行く途中に異様な公団住宅がある。

 元朝鮮部落などがあった場所に立つ公団住宅です。

 家賃は高田馬場駅より歩いてすぐで2DK・3DKで一万七千円から四万千円。

http://toeijutaku.seesaa.net/article/134296435.html

 「新春企画 地域に根づき、貢献する同胞」として四年前には「東京・白玉仙さん

 白玉仙さん(75)は住民選挙の結果、東京・新宿区内の都営西大久保アパート5号棟自治会長に返り咲いた。同アパートには230世帯が居住する。会長職は2期3年目に入った。これは10余年前の2期4年間の任期中に推し進めてきた「改革」がいまも多くの住民から支持されているからだ。」

と紹介されている。

http://www.asyura2.com/07/asia10/msg/224.html

 写真は二月に写したものですが、このように、駐車禁止の場所に平気で四六時中駐車している車が数多くある。

 有料駐車場はガラガラというより閉鎖されている。

左の写真は閉鎖されている有料駐車場

 

 今日、通りがかるとやっとこの車に今日付けで駐車禁止と書かれた紙がフロントガラスに付けられていた。

 「同和利権の真相」(寺園敦史著 宝島社)に掲載されていたようなタブーを作ってはいけない。

 スポーツセンターでは今日もベンチプレスはやらずに、軽いメニューを消化。

 Iさん三名様で来店。

 Hさん来店。

 初めてのお客様Hさん来店。

 Sくん来店。

 小胡子さん来店。

 ドンチャン。

 記憶無し。サル。


ネットから写真入手というフラッシュ(FLASH)

4月13日か曜日雨のち晴れ △

 光文社が出しているフラッシュ(FLASH)という写真雑誌がある。

 この雑誌の4月27日号を河岸の側にあるコンビニで見たら、表紙に「入手!中国 戦慄の死刑写真」とでっかくある。

 早速記事を見てみたら、下記のようなものでした。

 

 この写真は何年も前から「支那少女の銃殺写真」とネット上に出回り、有名な写真です。それを入手とでっかく表示・・・・・・・・・

 ちなみにネット上の写真では一部は下記のようなものです。

 (残酷な写真です。ご覧になる時はご注意下さい。)

 

 

 

 支那という国がどういう国であるか。その構成している民族がどういうものであるか。よく判る写真です。

 

  それとは別に、「入手」ってでっかく書くのとはなんか違うように思うのですが。

 我が国のマスゴミってこんなもんなのでしょうか?

 朝方の雨が上がり、いいお天気。

 仕込みが終わり、松瀬酒造の松瀬社長に電話。「松の司」の飲んべえの会が六月二十七日日曜日に決定。

 出させていただく酒は未定。

 

 店はヒマ。

 一名様来店。

 「ビール一杯だけいいですか」

 すみません。店頭に表示してあるようにビールだけのお客様お断りさせていただいております。

 一名様来店。

 Tさん来店。

 御友人のお通夜だったそうな。

 Wさん御夫妻来店。

 今日は軽く飲んで終わり。

 サッサと帰る。


 

過払い金で肥え太る弁護士ども

4月12日月曜日雨

 昨日、都営新宿線に乗り西大島の輿兵衛さんに伺いましたが、写真はその時の地下鉄の車内にあった宣伝。

   

 でっかくすると、サラ金、銀行の個人ローンカード、そして弁護士の宣伝ばかりが目につきました。

 

 

 

 

   

このサラ金、カードローン、弁護士事務所などの宣伝は、昨日、私が乗った一両の車両にあった宣伝なのです。

 その宣伝文句は

「多重債務でお困りの方」

「過払請求」

「無限返済・・・」

「あなたの債務の整理いたします」

などなど、まるで弁護士はサラ金の借金整理だけが仕事のような書き方。

 (一応、書いておきますが、この写真と下記の記事とは関係ありません。と思う・・・)

 

 そして、「多重債務者「食う」弁護士、2次被害が続出」という読売新聞の記事が掲載された。

以下引用

 多重債務に苦しむ人が、債務整理や払いすぎた利息を取り戻す「過払い金返還請求」を巡り、弁護士らから高額な手数料を請求される「二次被害」が後を絶たない。

 背景には、過払い金返還や債務減額で年間1兆円を超す「ビジネス市場」がある。相談者の生活再建より利益を重視する一部弁護士らの姿勢に批判もあり、深刻なトラブルに発展するケースも出始めている。

 略)

 同協議会の本多良男事務局長は、「一部の弁護士は、多重債務者を金もうけのための『食い物』にしている実態がある。まずは弁護士会や消費者団体などに相談してほしい」と話している。

 日本弁護士連合会は3月18日、債務整理事件処理の指針を改正し、弁護士が「直接かつ個別の面談」を行うことや、広告には弁護士費用を表示することなどを盛り込んだ。

略)

(2010年4月3日14時38分  読売新聞)

引用終わり

 その記事より前には下記のような記事が

「過払い返還 報酬隠し、697人が申告漏れ 計79億円」

2009年10月25日(朝日新聞)

過払い金請求ビジネス」に国税が脱税容疑で立件の構え

 弁護士のテレビCMが地方局で激増している。来年六月に迫った貸金業法の完全施行まで一年を切り、市場が飽和状態となった首都圏から東北・九州などの地方に「過払い金請求ビジネス」の活路を見出したい弁護士が増えているためだ。

  人気急上昇の某弁護士事務所は五、六月の二カ月間で七千二百本以上、金額にして一億四千万円の広告料を支払った。「人気タレントを起用した制作費を含めればざっと二億円以上。七月からはさらにオンエア地域を拡大する予定」 という。「消費者金融大手四社の過払い件数から推測すると、この事務所では一日約百件の任意整理事務を処理している」(事情通)と見られており、所属する十四人の弁護士の処理能力を超えているのではないかとの指摘さえある。

 こうした過払い金請求ビジネス膨張のさなか、国税庁が収入源のほとんどを同ビジネスに頼っている法律事務所に的を絞って、脱税容疑で立件する構えをみせている。現在、大手・中堅の貸金業者に異例の税務調査が入っているのは、弁護士事務所に支払われた過払い金と弁護士の債務整理報酬の差額を精査しているからだ。「かなりの件数で時間を要する」(国税庁幹部)ため、一社当たり数十名規模の調査員が投入されている。

 通常、弁護士や司法書士が代理人として介入した場合には、代理人が過払い金額を把握し、借入者にはその内容が知らされないケースがほとんど。そこに脱税の生じる土壌がある。「年末にかけてかなりの金額での脱税容疑の立件が相次ぐ」(同)との指摘もある。

引用終わり。

 そして、「過払い返還の報酬・広告「再規制も検討」 日弁連新会長」という記事。

以下引用

2010年3月29日1時32分asahi.com

 日本弁護士連合会の新しい会長に決まった宇都宮健児氏は28日、テレビ朝日の番組で、消費者金融の過払い利息返還請求を巡って高額報酬や誇大広告の問題が広がっているとして、「再規制が可能かどうか検討して対応したい」と述べた。

 宇都宮氏は、報酬制限が2004年に廃止されたことについて「依頼者と弁護士が合意すれば青天井になった。非常に問題だった」と指摘。00年の広告規制の解禁にも「私は当時反対した」として、見直しに意欲を示した。

 報酬や広告については金融庁も、改正貸金業法の完全施行に向けて、消費者保護の観点から見直しを日弁連に求めている。亀井静香金融相は番組内で「過払い金が依頼者にほとんど行かず、弁護士がポケットに入れちゃうことが相当起きている」と批判した。

 ただ、報酬は競争を促す狙いで自由化された経緯があり、公正取引委員会が再規制を問題視する可能性も高い。宇都宮氏は「一般的に規制を復活させるのではなく、債務の整理事件などに限定すれば実現性はある」として、公取委と交渉する方針だ。

引用終わり

 地下鉄の車内広告がサラ金、銀行のカードローン、そして、弁護士事務所というのが多く目にするというのはいかに異様な光景か。

 ましてや、一ヶ月で何千万も払って宣伝しても大もうけ出来るという事はどういうことか。

 

 

   

  サラ金に対しての過払い請求は法的には負ける事はありません。

  少しの手間だけです。

  だから、過払請求については、弁護士の打ち出の小槌になっているのです。

 サラ金の過払いは弁護士等に頼らなくとも、パソコンを使ってちょっとした時間で書類を作り、それに少しの手間だけで全て解決出来る問題です。

 調べればすぐにわかりますが、裁判所への訴訟ぐらい全て自分で簡単にできます。

 弁護士等に頼らずに自分でやれば、集り弁護士に謝礼として払う多額の金額が浮きます。

 その浮いた分で旨い酒飲んだ方が百倍マシです。

 今日は昨日と打って変わって寒い一日。

 食事に出た以外は一日中部屋にいて、マンガの本を読んだりゴロゴロとして終わる。

 酒は飲まず。というか、今は部屋には酒を置いていない。


 

「輿兵衛寿司」へ

4月11日日曜日晴れ △

 午後から高田馬場ビックボックスで開かれている古本市へ。

 「変節の知識人たち」「恐れずおもねらず」などを購入後、芳林堂さんにて雑誌など購入。其の後、芳林堂さんの店内にある古本屋さんへ。

 ここでは「米戦時情報局の『延安報告』と日本人民解放連盟」(大月書店平成十七年刊)などを購入。

 米戦時情報(OWI)の局延安リポートについては以前に日記に書いた「中帰連・小島隆男と延安リポート」(平成十八年五月二十一日)に岩波書店から出されたものについて書いた事があったが、大月書店からも出されていたとは知らなかった。

 米軍日系二世兵士を動員して支那・ビルマ戦線の日本軍兵士向けにまいた反戦・厭戦ビラも別冊としてまとめられている。

 

 新宿スポーツセンターへ行く。

 今日も左手首が痛いので、ベンチプレスはやらずに、軽めのメニューを消化。

 

 

 店に寄ってから地下鉄で西大島へ。駅でMさんと待ち合わせて「輿兵衛寿司」へ。

 店主の鈴木氏とは最初に長谷川さんに連れて来ていただき、もう二十年近くのおつき合い。

 お土産のワインを奥様に渡してご挨拶を済ませてカウンターへ。

 今日もおつまみはいつものように最初に出してくださる盛り合わせ。

 お寿司はお任せ。

 酒はビール、後は磯自慢四十%(山田錦)、磯自慢三十五%。

 

 店に寄り、生ゴミを出してから帰宅。

 


 

正座

4月10日土曜日晴れ ○

 長崎の県立高校で校則違反をしていた生徒を正座させていた事が問題だとして保護者に謝罪したというニュースがあったが、何処が問題なのだろう。

以下引用

まゆ剃りなど21人正座3時間、高校入学指導

4月10日18時44分読売新聞

 長崎県五島市の県立五島高校(前田功校長、602人)で3日、入学式を前に、新入生のうち、まゆ毛をそるなどしていた男女生徒21人を、教諭らが約3時間正座させていたことが分かった。

 学校側は後日、生徒や保護者に謝罪した。

 同校によると、3日は同校ホールでオリエンテーションが行われ、教諭約20人が新入生200人の服装や髪形などを検査。その結果、校則違反があった生徒23人のうち、足を痛めていた生徒らを除く21人に反省文を書かせ、全員が書き終えるまで約3時間にわたって正座させた。

 女子生徒に対し、「男の気を引きに来たのか。そのために学校に来たのではないだろう」と発言した男性教諭もいたという。

 同校は8日の入学式後、正座をさせた生徒と保護者に「教育を逸脱した長時間の正座をさせてしまい、不適切な発言もあった」と謝罪した。

最終更新:4月10日21時55分

引用終わり

 校則違反をしていて、反省文を書く間の正座ぐらい当たり前ではないのか。反省文を書くのに三時間も普通だったらかかるはずもないから、アホな一部の生徒がふてくされて書かんかったのだろう。

 アホな生徒に連帯責任とか他人に迷惑をかけるとか教えるのも教育だろう。

 皆に迷惑をかけるという三時間の正座がイヤだったらサッサと書けばいいし、処罰を納得出来ないのならば、三時間といわずに半日でも一日でも正座して先生にその事を訴えればいい。

 その気もないんだったらサッサと書けばこんなアホな事にはならん。

 しかし、なんでアホな生徒とそのアホを育てたアホ親に謝る必要があるのだろう。

 わけわからん。

  確かに、どうしようもないアホなセンコウがいるのも事実だし、そのアホなセンコウがこれまた理不尽な事や納得できん事をやる。それに対しては、それなりに自分で納得できなければ、納得出来るように行動すればいいと思う。

 私も今でもどうしても許せない、絶対に恩師となどと呼びたくない中学時代のセンコウが二人いる。そのアホに対して自分なりにとった行動は今でも後悔していない。

 

 写真は店の入り口に置いてある山椒。築地から買って来て十年程も経つが、一本しかないので実がつかないが、二、三年前から小さな花を少しだけ咲かせるようになりました。

 

 

 今日はメチャヒマ。

 Tさん二名様で来店。

 それなりにドンチャンやり、記憶はあやふやですが、サルよりはマシ。


4月9日金曜日晴れ △

 初めてのお客様二名様来店。

 バンブーさん来店。

 秋田よりSさん来店。

 初めてのお客様一名様来店。

 Tさん来店。

 ホロン部員Yさん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 今日は体調がイマイチ。

 でも、やっぱ飲む。

 記憶はあり。

 

 お客様のNさんにお送りいただいた四月四日に「一笑」さんにて開かせていただいた飲んべえの会の写真。


4月8日木曜日晴れ ×××××

 Oさん来店。

 Sさん来店。

 初めてのお客様一名様来店。

 初めてのお客様Tさん御夫妻来店。

 Kくんの御友人の方娘さん御夫妻?と来店。

 Tさん来店。

 ドンチャン。

 記憶無し。サル・・・・・・・


 

パチンコに対する平沢勝栄の発言

4月7日水曜日一時小雨 △

 今発売中の「経済界」(株式会社経済界)に漂流する「パチンコの真実」という特集がありました。

 

 早速購入して読んだが、見るべき記事もなく真実どころか経営者、関係者の提灯記事ばかりという集り業界誌丸出し。

 

 特に平沢勝栄衆議院議員は醜かった。

業界に向けてのメッセージとして

以下引用

<パチンコ業界は、もちろん改善すべき点はあるけれど、

何も卑屈になる事はありません。戦後、娯楽が少なかった時代から、国民生活に潤いを与えてきたのだから、自信と誇りを持っていただきたい。

 いろいろとバッシングされているけど、これまで金融機関をはじめとする他の産業が、どれだけ国民に迷惑を掛けたか考えてみてください。

 パチンコ業界は、国民の税金を一銭だって使ってこなかった。

 警察もマスコミも業界のプラスの面をもっと評価してあげることが必要だと思います。>

引用終わり

「経済界」(株式会社経済界 平成二十二年四月二十日号)p三十七

 いかに醜い言葉か。

 パチンコ屋が駅前の一等地にどうしてあるのか。

 戦後、そのパチンコ屋の土地は経営者がどのようにして得たものか。

 平成二十年で二十一兆七千百六十億円(社団法人 日本遊戯関連事業協会ホームページより)もの売り上げがあり、それが、全国で十一万千九百三十七店(パチンコ一万千八百店、パチスロ千百三十七店 同じく社団法人 日本遊戯関連事業協会より)のうちほとんどが朝鮮人、元朝鮮人の経営(韓国日報平成二十年一月二十日記事では七割、そのうち三千五百店は北朝鮮系)であり、犯罪組織・朝鮮総連直営だけでも六十店舗以上のパチンコ店があることに、この、自民党拉致問題等に関する特別委員長にかって就任していたにも関わらず触れていないだけでなく、パチンコが南朝鮮では禁止されている事にも触れていない。

 朝鮮人が偽名により朝銀に口座を作り八〇億円もの脱税をしていたことがニュースになったが、そのような犯罪だけでなくパチンコ屋の売り上げで犯罪組織・朝鮮総連が潤っている事は事実であり、我が国国民を守るべき国会議員が少なくともこのように犯罪組織が関連している業種を擁護する事は許されるはずもない。

 そして、平沢氏の<パチンコ業界は、国民の税金を一銭だって使ってこなかった。>という言葉は間違っている。

 パチンコ業界及び関連業界による不健全な経営により我が国国民の税金は朝銀などの北朝鮮系金融機関だけでなく、南朝鮮金融機関が破綻したのは無関係ではない。パチンコ業界の資金を基に設立された金融機関がおおいからである。

 かって、西村眞悟氏が衆議院議員の時にパチンコ完全違法化の国会請願として、「パチンコ店における出玉の換金行為を取り締まり、完全に違法化することに関する請願」を出した事があったが、平沢氏は違うようで、

<業界を育成するという視点がかけたまま、あれこれ口出しし過ぎている>(同誌P三十七)だそうです。

 平沢勝栄氏は業界支援は選挙対策と見る向きもありますがという質問に、

<そんな思惑は私には一切ないですし、現実に今まで何ら応援をもらっていません>

(同誌p三十六)

とインタビュー記事に掲載されているが、この言葉をどうとればいいのだろう。

 平沢勝栄氏の姿勢は李明博南朝鮮大統領から自国で禁止しているパチンコを、「在日朝鮮人の為によろしく」と頼まれ、ホイホイと引き受けた小沢一郎民主党幹事長と同じものです。

 まあ、小沢氏の場合はしかたないのかも・・・・・

 あほらし

 

パチンコなどというものは一日も早く潰してほしいものです。

 河岸が休みなので久しぶりに午後からスポーツセンターに行く。

 今日は手首に負担をかけないように、軽いウエイトとチューブを使ったスロートレーニングでメニューを消化。

 Sさん、Nさん来店。初めてのお客様来店。

 ドンチャン。

 珍しく記憶あり。


 

Korea

4月6日火曜日晴れ ×

 最近、「在日朝鮮人」ではなく、「在日コリア」などというわけのわからない事を書いている新聞や雑誌などがある。

 あの売国番組を作っているNHKなどは朝鮮語講座ではなく「ハングル語口座」だそうだ。

 ハングルは朝鮮の文字であって、ハングル講座などということは「日本語講座」を「ひらがな講座」もしくは「カタカナ講座」などと表しているのと同じである。だれもそんなアホなことはせんだろう。

 民族名の朝鮮人ではどうしていけないのだろう。民族名が差別だとでも言うのであろうか。

 何度も書いているように民族名の日本人と言われて怒る日本人はおらんだろうに。

 

 このコリア(Korea)という言葉のもとになったのは、三十六代(九百十八〜千三百九十二年の四百七十五年)続いた高麗(Ko-ryo )だそうですが、この高麗は、途中より元の属国として、元寇の際の主力として我が国を攻め暴虐の限りを尽くします。

 元の属国として王妃にモンゴル女性を迎え、王もモンゴル名を名乗り、胡服弁髪、暦まで取り入れます。

 

 胡服弁髪は元の力が衰え、明に取って代わられるまで百年以上続きます。この間の二十三代・忠憲安孝大王〜三十代・忠定大王までの王はすべて「忠」の字を名前に持ちます。

 名前を奪われたなどというが、元の属国のときはモンゴル名を喜々として名乗り、高麗後期に元の力が衰えてくると宗主国を明に乗り換えます。官服、暦も元から明のものに変えます。

 

 明から正式に「権知朝鮮国事」(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた李氏朝鮮の時代も明が滅亡すると我が国が日清戦争により清を破り、下関条約第一条により朝鮮を独立させるまで満州族である清の属国として存在します。

 朝鮮人はよく我が国に併合されるまで、独立国だったなどと平気で嘘をつきますが、名前、暦までその時の宗主国のものを使っていた事が属国の証拠です。朝鮮にとっての歴史は宗主国のものであり、その支那の歴史を学び試験をする科挙制度はその最たるもののひとつです。

三度跪き、九度頭を地にこすりつけるという屈辱的な「三跪九叩頭の礼」をし、清皇帝を認める三田渡碑が残されています。

 李成桂は高麗王家一族を皆殺しにします。我が国の併合時の李氏一族の扱いとの違いは一目瞭然です。

 支那人はアヘン戦争、そして其の後香港を植民地にしていた英国、マカオを植民地にしていたポルトガルに対して何も言いません。

 我が国対してだけ朝鮮人・支那人はアホな事を平気で言うのは、連中がただただ厚顔無恥な恥知らずなだけなのです。

 それは、その他の事にもよく現れています。

 戦時売春婦の慰安婦のことを朝鮮人はよく問題にしますが、その前に、我が国で売春して稼いでいる朝鮮人女を全て駆除するなり、自国に引き取るなりしてすべて解決してから言ってほしいものです。

 酔狂師さん来店。

 二名様来店。

 Wさん御夫妻来店。

 明日河岸が休市というこで、早くからドンチャン。

 記憶はあったと思ったが、知らないうちにカウンターで寝てました。

 気が付いたら朝の五時・・・・・


真の父母様の金婚式

4月5日月曜日小雨 ○

 私が住んでいる街でいつも通っているところなのだが、今日初めて気が付きました。

 

ドアにいかにも胡散臭いジジイとババアの写真。

 

 

 

よくみると

 

 

「真の父母様の金婚式」

 真の父母様・・・・・・・

 日本語としていかがなものか?????

 

 やっぱり、日本人ではありませんでした。

 

 エロ犯罪で我が国に入国できない朝鮮クソジジイでした。

 文鮮明

 

 

 エロ朝鮮人教祖がやっているあの気違い宗教の統一教会のビルでした。

 エロ教祖様の著書「平和を愛する 世界人」・・・・・・・・・・・・・

 「世界人」などという単語から創価学会の池田大作ダイセンセイを思い出してしまいます。

 胡散臭い宗教の教祖はどうしてこう同じような事を言うのでしょう。

 そういえば、自分の御先祖様の事は何も言わないで不思議がられている池田大作大先生。

 御先祖様のお墓はどこにあるのでしょう????

 過去帳はどうなっているのでしょう?????

 創価学会なんて最近ですので、池田大作ダイセンセイの御先祖様はどこかのお寺さんでお世話になっていたと思うのですが、どこのお寺さんでしょう。

 平成一九年八月二〇日気狂い新聞(通名聖教新聞)第三面によると、もともと東京の蒲田区(現・大田区)麹谷三丁目の二階建ての屋敷に住んでいて、広い敷地には鯉や鮒が泳ぐ大きな池があり、楓や桜、さらにイチジクやザクロも植えられていたとか。お父上は明治の末か大正の初めの二年間、韓国のソウルに滞在していたそうですが、そのお父上のご出身は日本のどちらなのでしょう。

 それとも、朝鮮のどちらかなのでしょうか?????

 あほらし

 今日は飯を食いに出たのと生ゴミを出しに出た以外は何処にも出かけずに一日が終わる。

 酒は飲まず。というか飲む元気もなし。

酒たまねぎや飲んべえの会 東一 

4月4日日曜日くもり一時小雨 ××× 

今日は午後三時より飲んべえの会。会場は「旬采 一笑(いちえ)」さん。


 

「旬采 一笑(いちえ)」

新宿区天神町63−13−2

電話03-5579-8626

(当店より歩いて5分の場所です。)

当店の千倍きれいです。

 出品酒

NO.1    東一 純米大吟醸 斗瓶取り選抜酒平成21年 (20BY) 1升瓶

NO.2    東一 大吟醸 斗瓶取り 選抜酒 平成21年 (20BY) 1升瓶

NO.3    東一 純米大吟醸 斗瓶取り 生   平成22年(21BY)  1升瓶 

NO.4    東一    大吟醸 斗瓶取り 生   平成22年 (21BY)   1升瓶

NO.5    東一 純米大吟醸         生   平成22年 (21BY)  1升瓶

NO.6    東一    大吟醸      生   平成22年 (21BY)    1升瓶

NO.7    東一  山田錦純米吟醸 うすにごり  平成22年 (21BY)   1升瓶

NO.8    東一 純米大吟醸 ワイン樽貯蔵   平成18年 (17BY) 四合瓶

NO.9    東一 純米大吟醸 ワイン樽貯蔵   平成20年 (19BY)  四合瓶

NO.10   東一 純米大吟醸 ワイン樽貯蔵   平成21年 (20BY) 四合瓶

NO.11   東一 純米吟醸 NERO 低アルコール(13度) 平成21年 (20BY) 四合瓶2本

 今日は始めから飲みモード突入。

 

 

 

 六時に終わる予定が結局六時半。

 私はベロベロでした。

 店に寄り、包丁を研いで、生ゴミを出して帰ったようだが記憶に無い。

 サル・・・・・・・・


4月3日土曜日晴れのち一時小雨 △

 昨日の反動?かめちゃヒマ。

 初めてのお客様Aさん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 ドンチャン。 

 珍しく最後まで記憶あり。


4月2日金曜日晴れ ××××

 バンブーさん来店。

 Oさん珍しく金曜日に御友人と来店。

 Tさん来店。

 Mさん二名様で来店。

 59Les Paulさん御子息二人と来店。

 二名様来店。

  Kさん来店。

 Tさん二名様で来店。

 Wさん御夫妻来店。

 今日は大勢様ご来店いただきながらも、メグ蔵さんがお手伝いしてくれていたので、早い時間からドンチャン。

 当然、記憶無し。サル・・・・・・・・


 

結構な事だが

4月1日木曜日晴れ ○

「日本酒復権シンポジウム2010」というダイレクトメールが来た。

 

http://www.fullnet.co.jp/sake_symposium2010/index.html

 日本酒の地盤沈下が叫ばれて久しい。私はこういったイベントは結構な事と思う。でも、でも、でもですね。何か違うような匂いがすると思うのだが。

 今回の会場である北とぴあ・二階「つつじホール」

 http://www.kitabunka.or.jp/data/sisetu/index.htm

 終日借り切って六万六千三百円である。懇親会は別で一万二千円の会費で四百人を集めて四八〇万円。

 講師、司会の方へのお礼、車代などもかかるし、準備も大変だとは思うが・・・・・・

 

 

 当たり前の事だが、一昨年、昨年と九平次の蔵元さんである久野九平治氏が中心になり銀座で行なった日本酒復権を訴えたデモなどとは随分違うように思う。

 今日はメチャヒマというより、もう少しでオチャピー。

 Sくん来店。

 のみ・・・・・・・・・・・

 飲まずにさっさと寝る。



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