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一杯飲み屋の親父の酒と酒の日々
<のんべえ日記>

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


東京マラソン

2月28日日曜日氷雨のち晴れ △

 今日は東京マラソンに参加される当店のお客さまであるG23さんを酒の肴にお家でドンチャンをやろうというG23さんの奥方よりの嬉しいお誘いで、

店の酒と残った刺身を持ちいそいそと市川まで。

 エリーさんカップル、さぶちゃん、めぐ蔵さんなどなど大勢があつまり、でっかいテレビでの観戦。

 

 G23氏はスタート時は氷雨という悪条件の中、見事完走。

 帰宅後は「おめでとう」の嵐。

 結局十時過ぎまで御邪魔してしまい、ワイン、ビール、日本酒となんでもありでドンチャン。

 ごちそうさまでした。


 

百年前のウイスキー、ブランデー

2月27日土曜日晴れ ×

 南極百年前のウイスキー、ブランデーが入った木箱が発掘されたというニュースがありました。

以下引用

CNN 100年前のウイスキーとブランデー、南極の氷から発掘

http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN201002090028.html

南極大陸に100年前、探検家が建てた小屋で、氷の中からウイスキーとブランデーの入った木箱が発掘された。

製造元のスコットランド企業は、サンプルを入手して当時の味を再現したいと意欲を示している。

木箱が発掘されたのは、英探検家アーネスト・シャクルトン卿が1908年に建てた小屋。

シャクルトン卿率いる探検隊はこの時、南極点には到達できなかったものの、南極で初めて自動車を試運転するなどの成果を残した。

小屋の床下から、氷の層に覆われた木箱が見つかり、ニュージーランドの南極世界遺産トラスト(AHT)のチームが5日、

発掘に成功した。当初は瓶入りウイスキーが2箱分埋まっているとみられていたが、実際にはウイスキーと書かれた箱3つ、

ブランデーと書かれた箱2つが取り出された。

氷の影響で一部の箱には割れ目が入っていた。周囲の氷には発掘前からウイスキーのにおいがついていたことから、

何本かの瓶は割れているとみられる。ただ、木箱を動かすと液体の音が聞こえるため、

漏れ出さずに残った酒もあることは確かだという。専門家らが今後数週間のうちに、最良の保管方法を検討する。

製造元ホワイト・アンド・マッカイのロバート・パターソン氏によると、当時の調合法の記録はもはや残っていない。

同氏は、発掘された酒を「慎重に抽出、分析」して調合法を再現し、「人々に本物の歴史を味わってもらいたい」と話している。

引用終わり

 平成九年(一九九七年)に八十年間海底に眠っていた沈没船から引き揚げられた二千本のシャンパン「Heidsieck & Co Monopole 1907 Go^ut Americain」が話題になったこともありました。

 これも、其の後、エドシックモノポールから再現され発売されたそうですし、マッカランなども一八四一年、一八六一年、一八七六年のものを再現したのを発売していますから、同じようにホワイト・アンド・マッカイから再現され発売されるかもしれません。

 そういや、ニューヨークのオークションで競り落としたとかで、百年前のアブサンを飲ませていただいたのは、高田馬場にあるカヴェルナのオーナー森さんだったが、森さんもこのシャンパンのオークションに指値を出したと聞いたが、落札価格はいくらだったのだろう。

 百年前のものということで、ほとんどがマディラワインですが、当店にあるものを並べてみました。

1795 TERRANTEZ 

1834 MALMSEY 

1845 solera       

1875 MALMSEY

1880 TERRANTEZ 

1901 MALMSEY 

1905 VERDELHO 

1910 SERCIAL

1901 BAS ARMAGNAC 

1879 CHATEAU MOUTON ROTHSCHILD 

 Oさん来店。初めてのお客様二名様来店。

 Wさん二名様で来店。

 ドンチャン。記憶はあったように思うけど


和田稔中尉についての佐高信の嘘

2月26日金曜日雨 × ×

 佐高信氏は「遺言と弔辞」http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/satakamakoto.html

にて、

検問制度の下での「重く悲痛な自己欺瞞」として

 <東大法学部在学中に学徒出陣で召集され、人間魚雷「回天」に乗って事故死したと公報が届いた和田は当時二十三歳。妹に次のような遺書をのこしている。

 

〈若菜、私は今、私の青春の真昼前を私の国に捧げる。私の望んだ花は、ついに地上に開くことがなかった。とはいえ、私は、私の根底からの叫喚によって、きっと一つのより透明な、より美しい大華を、大空に咲きこぼれさすことが出来るだろう。

 私の柩の前に唱えられるものは、私の青春の挽歌ではなく、私の青春への頌歌であってほしい。〉

 

 まさに、安田の言う如く、「重く悲痛な自己偽瞞」の遺書である。しかし、それを誰が強いたのか。>

このように書くが、和田中尉の日記が書かれたノートは検問を一切受けていない。

 和田稔中尉が残した「戦いの草稿」と題された四冊のノートのうち殉職後艇内より発見された最後のノート以外は油紙に包んで弁当箱に入れて面会の時に家族に渡していたものである。

 ましてや、佐高氏が遺書として書いている和田中尉の文書は、「慰留のノート 弟妹のために」と題されたもので、昭和十八年十二月十日の大竹海兵団入隊前、昭和十八年九月三十日より十二月六日に書かれたもの一部である。つまり書かれたのは入隊前であり、検問など受けようが無い文書であって、誰にも強いられないものである。

 それを佐高氏は

<「重く悲痛な自己偽瞞」の遺書である。しかし、それを誰が強いたのか。>

と嘘を平気で書く。

 和田中尉が弟妹のためにと書かれた遺留のノートには佐高氏も引用している「私の柩の前に唱えられるものは、私の青春の挽歌ではなく、私の青春への頌歌であってほしい。」という有名な一文がある。

 しかし、どういうわけかこの文章の後に書かれている「祖国は私達にとって最後のよりどころである」という言葉があまり引用される事はない。

 それは、この手の方達は自分の都合の良い部分だけを引用し、都合のよい様に解釈するためである。

 この日の日記には下記のように書かれている。

以下引用

< 十月三日(木下注 昭和十八年)

 昨日、兵役の細目が発表された。

 若菜、私は今、私の青春の真昼前を私の国に捧げる。私の望んだ花は、ついに地上に開くことがなかった。とはいえ、私は、私の根底からの叫喚によって、きっと一つのより透明な、より美しい大華を、大空に咲きこぼれさすことが出来るだろう。

 私の柩の前に唱えられるものは、私の青春の挽歌ではなく、私の青春への頌歌であってほしい。

 私は今、おちついている。予想していた時よりもはるかに楽な、空白な気分でいる。虫の音と風の音とが、交替に聞こえる。全く新しい精神の設計が、私を一時混乱せしめていた。御手本はたくさんあり、私の手習草紙は設計図で一杯に塗りつぶされていた。

 しかし、私は静かに座っている。

 外から叩いても叩いても起こし切れなかった根深い覚悟が、いつのまにか私の胸に、ゆったりと腰かかけているのを感ずる。虚栄的な感激もなくはない。しかし私は、何とおろかなことかとそれを嘲笑することが出来るのだ。

 祖国は私達にとって最後のよりどころである。火星とでも戦いが起らない限り、世界は観念の中にだけしか生存し得ない。今まで私は、戦いを通してその祖国の外側を廻っていた。私はこれから戦いを通じて、私の祖国に手をふれることが出来る。私は戦いによって、私の考え得る最高絶対のものの内奥をまさぐることが出来る。>

 私は引用される事のない和田稔中尉の残された

 <祖国は私達にとって最後のよりどころである。火星とでも戦いが起らない限り、世界は観念の中にだけしか生存し得ない。今まで私は、戦いを通してその祖国の外側を廻っていた。私はこれから戦いを通じて、私の祖国に手をふれることが出来る。私は戦いによって、私の考え得る最高絶対のものの内奥をまさぐることが出来る。>

 この言葉こそ今の我が国にとって必要なものではないかと思います。

 

 

 Sさん二名様で来店。Tさん監督をしている空手部の四回生の卒業祝いということで、八名様で来店。

 初めてのお客Kさん二名様で来店。

 Nさん二名様で来店。Tさん来店。Kくん三名様で来店。

 Oさん二名様で来店。

 今日は忙しく、ドンチャンが遅くなった。

 でも、やっぱりドンチャン。さるサルSARU申猿


和田稔中尉と回天

保阪正康の嘘

2月25日木曜日晴れ △

東大卒の回天乗組員でお亡くなりになられたのは、

 宇都宮秀一大尉(石川県出身 予備学生三期 大津島より菊水隊にて昭和十九年十一月八日出撃 昭和十九年十一月二十日パラオ コッツルにて戦死)

 亥角泰彦大尉(京都府出身 予備学生四期 昭和二十年四月三日出撃 昭和二十年四月十四日戦死)

 和田稔中尉(静岡県 予備学生四期 昭和二十年七月二十五日光基地にて訓練中殉死)の三名。

 保坂氏が書く訓練中の殉死は和田稔中尉である。

 保坂氏は歴史家を名乗り、「回天」について述べながら回天というものがどういう構造で、どのような性能を持ったものかということさへ調べていない。というか、知らない。知ろうとしない。

 だから、「この特攻兵器の搭乗員として訓練中に亡くなった学徒兵(東大生)は、機器が故障し、海中で一時間程閉じ込められたままで亡くなっています。私は、この学徒兵がその間何を考えていたかと考えるのですが、自らの生まれた時代の残酷さに強い怒りを持ったと思うのです。」などという戯けた事を平気で言うことができる。

 回天とはどのような性能を有した兵器であったか。

実戦に使用された一型は我が国が誇る九三式酸素魚雷を基にして製造されたもので、

長さ十四・七五メートル、直径一メートル、総重量八・三トン、頭部炸薬量一・五五トン。

 航続距離

 三十ノットで二十三キロ、

 十二ノットで七十八キロ(十二ノットで約二時間十五分)

という性能を持つ。

 

 終戦後、マッカーサー司令部のサザーランド参謀長は、日本軍の軍使に対し、「回天を積んだ潜水艦は太平洋に後何隻残っているか」と真っ先に尋ね、「十隻程いる」と聞き、「それは大変だ。一刻も早く戦闘を停止してもらわなければ」と顔色を変えたという。

 別の米軍士官は、「日本軍で怖いのは回天だけだった」と語った程、いつ攻撃してくるかわからない、近くにいるのかいないのかわからない「海中の見えない脅威、回天」が恐れられていたのは、発射されてから二時間も目標を探し、八十キロ近くもの航続距離をもち、そして、炸薬量が一トン半もあるので一発で巨艦も撃沈できる兵器だからである。

 「予定通り回天が千機あったら、」と生き残られた搭乗員の方々の言葉の意味がここにある。

 

 殉死された黒木博司少佐、樋口孝少佐のお二人が十二時間生存していたことからわかる様に、十時間以上活動出来る酸素が艇内にある。

 保坂氏が回天という兵器についての性能も作戦も知らないだけでなく、和田中尉の遺稿すらよく読んでいなかったのではないか。

 和田稔中尉は光基地より回天戦に出撃した伊三六三潜の中で日記に下記の様に書いている。

<五月二十九日

 回天は、人一人が動かすものにあらず。神国三千年来の精気ここにこもれる楠氏、湊川神社の新符が、七生報国の頭上にありて、人を操り給うものなり。

最悪の事態を予想するも、仮初にも軽率の行動を慎むべきなり。

 残気三十に至らバ、三十三Kによる突撃不可能なり。思い切りよく浮上停止すべし。隠忍、呼吸続かんかぎり敵を待ち、敵三百米に近づくに及びて再発動、冷走にてそれに迫れ。敵回避して、追躡不可能と見れば、直ちに自爆す。現在の炸薬量なれば、百米付近にて自爆せば、敵に相当の被害を与えん事必定なるべし。

 このためにも、応急食糧は少なくとも二コ。更に潜水艦よりサイダー等の飲料水数本を搭載しおくこと必要なり。

 なお、かかる際にも絶対に、潜水艦よりの救助のごときは念ずべからざる事、言うまでもなし。>

「わだつみのこえ消えることなく」P二百六十九

 特攻隊員として回天搭乗員に応募する前の航海学校時代に書いた昭和十九年七月二十二日の日記には回天について下記のように書き残している。

 「人間魚雷の考え方について

 現在ではこのような兵器によるほかは、打開の途はあり得ないのではないか、航空機の消耗率は敵に与える損害に比しあまりにも大であるし、艦艇の接敵は、敵の電探下、ほとんど隠密行動不可能であり、魚雷艇また劣速、惰弱に過ぎるであろう。

 私はこうして、もし人間魚雷というものが日本にも現れ、また現に採用されつつあるとすれば、それに搭乗するのは、私たちをおいてほかにないであろうということを、不思議にてきぱきと、そして落ち着き払って考えてみるのである。」

「わだつみのこえ消えることなく」P百九十二

昭和十九年十月十八日に特攻隊を志願した日の事も残されている。

<十月十八日

 余死し、旦(木下注 弟)死したる後は、もし豊子に二子あらば、家を続けさせられきこと、美保子、若菜(ともに妹)にても可。

 本日昼休み、道場に窓ガラスを全部閉めきって総員集合あり。隊長の訓辞。

 午後の砲術学校での機銃繰法は、すっかりぼんやりと過ごしてしまう。

 しかしまた何と落ち着いてしまったことか。

 分隊長は「思い残す事は無いか」と言われた。「一時の感情や興奮ではないか」と言われ、そして「静かに死ねるか」と問われた。そして「よし許可する」と言われた。たしかに、今さっきまで、どきついていた心の群が落ちこんでしまっているのを感じている。 

 お母さん、お許しください。私は、家の人々のなげきを考える。けれども、これほど私は重大に思えるくせに、何でもないことはないのだ。

 お母さんの子が、一度戦争に出て、そしてそこに、敵撃滅の大きな鍵を、私の小さな命であがなえると知った時、やっおありその時は、私だってお母さんの子としてよりも、祖国の子としての自分を願みるようになるのです。

 でも、私は、きっと私がお父さんの子であり、お母さんの子供だったことを叫んで死んでゆけることと思います。(この日特攻隊を志願する)。

 私は武田を思う。あいつは私の表情を夕食の時から見やぶっていた。何のてらいもない武田の顔が私にはまぶしい。>

 

 

<十月十九日

 田辺も今朝志願したことを知る。

 だから、私はまじめなことを日記みたいなものに書くのは嫌だと言うのだ。

 私はとうとう選にもれてしまった。理由は、家に男子が少ないし、長男だからというのらしい。

 私の班の呉石も前田もみんなたくさんの男の子供の次男坊、三男坊である。だから武田も入ってしまっていた。まだ、第一次の選であるにしても、彼が行ってしまうだろうことは、たまらなく寂しい。

<十月二十日

 朝、二度願い出て、ついに許された。夜、区隊長、分隊長訓辞あり。

 分隊長が声を出して泣かれる。>

「わだつみのこえ消えることなく」P二百十六〜二百十八

 

和田中尉は昭和二十年五月二十八日、伊三百六十三潜にて出撃も、回天戦の機会なく六月二十日帰投命令。

 昭和二十年七月三十一日に再び出撃が決まり、七月二十五日水中からの潜水艦よりの発射訓練中に殉職された。

 訓練中の殉職であり無念であったであろうが、その時の国を思う気持ちに対し、後世の人間がとやかくいうべきことではない。

 今日は二十五日で世間ではお給料日のところが多いと思うが・・・・

当店はヒマ。

 マロさん来店。「義侠 妙」ガンガン。

 Mさん来店。

 飲むが、今日は記憶あり。


人権

2月24日水曜日晴れ △

「違法な家賃徴収に懲役刑…規制法案を閣議決定」というニュースがありました。

 懲役まである厳しいものだそうです。

以下引用

 違法な家賃徴収に懲役刑…規制法案を閣議決定

家賃を滞納した入居者が執拗(しつよう)な督促を受けたり、部屋から追い出されたりするトラブルが続発しているため、政府は23日、家賃滞納者への取り立て行為を規制する法案を閣議決定した。

 今国会に提出し成立を目指す。

 規制を受けるのは、賃貸住宅の大家や不動産管理業者、借り主の債務を連帯して引き受ける家賃保証会社など、家賃徴収にかかわる人や業者で、法案は「人を威迫し、人の私生活もしくは業務の平穏を害するような言動をしてはならない」と規制する。違反すれば2年以下の懲役もしくは300万円以下の罰金、あるいは両方を科す。

 また、家賃保証会社に対しては、新たに国土交通相への登録を義務づける。無登録営業を禁止し、違反には5年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金、あるいは両方を科す。また国交相は、業務改善命令や業務停止命令も出せる。

 国交省によると、家賃回収を巡り、2008年度に国などに寄せられた相談は78件。うち、滞納の際に「執拗に督促された」が27件、「無断でカギを交換された」が15件、「無断で室内に侵入された」が10件。

 また家賃保証会社について、全国の消費生活センターに寄せられた相談は04年度の44件から08年度には495件に急増。不況などで家賃を滞納する人が増えたためとみられる。

(2010年2月23日  読売新聞)

産経ニュース 2010.2.23 18:11

執拗な家賃取り立てに懲役も 賃借人保護法案を閣議決定

 政府は23日、深夜早朝の執拗(しつよう)な督促など悪質な家賃滞納の取り立てを規制し、住居の賃借人を保護する新法案を閣議決定し、今国会に提出した。不況で収入を断たれ、家賃が滞る非正規労働者らが増える中、強引な家賃取り立てをめぐるトラブルが社会問題化している。今国会で成立させ、来年6月末までの施行を目指す。

 法案は、大家や家賃の連帯保証業者が、滞納を理由に賃借人を脅迫して私生活の平穏を害する▽住居の鍵を無断で取り換えて閉め出す▽室内から勝手に家具や衣類を運び出す−などの行為を禁止する。違反すれば、2年以下の懲役または300万円以下の罰金、あるいは両方を科す。

 また、家賃連帯保証業者や、賃借人の過去の滞納状況のデータベースを構築する業者に対し、国土交通相への登録や5年ごとの登録更新を義務づける。違反には5年以下の懲役または1000万円以下の罰金、あるいは両方を科す。国交相はこれらの業者に対し、業務改善命令や業務停止命令を出せる。

 国交省住宅総合整備課によると、家賃トラブルをめぐり、平成20年度に国や地方自治体などに寄せられた相談は78件だった。内訳は、家賃支払いが滞った際に「執拗な督促がなされた」(27件)、「無断で鍵を交換された」(15件)、「無断で借家内に侵入された」(10件)、「高額な違約金を請求された」(10件)など。

引用終わり

 私のようなものには理解できないのですが、家賃が滞ったら、それを回収するために大屋さんはいろいろな事をすると思うのですが、「執拗な督促がなされた」、「無断で鍵を交換された」という事に対して、家賃トラブルで訴えるということは、部屋を借りる時に、契約書に家賃をいついつまでに払いますと契約したのに、その契約不履行にした本人が悪くなく、契約を破られた方が悪いという事なのでしょうか。

 家賃を払わんのは、払えなくなった社会、国が悪く、自分自身には責任はない。だから、部屋には家賃を払わずに居続けることができるつうことでしょうか。

 こんなんで、部屋を貸す大屋さんはいるのでしょうか。

 普通、契約書をかわして借りた部屋の家賃を払えない方が加害者のであって、貸す方の大屋さんは被害者でしょうに。

 健常者の人権より気違いの人権が大切と言っている連中と同じことのようです。気違いや契約した家賃の払わないカスよりも、健常者、大屋さんの方がよっぽど我が国に貢献していると思うのですが、民主党はそうは思っていないようです。

 

 最近の人権、人権という大合唱について呉智英氏は下記のように書いています。

<フランス革命に始まるこの奇怪な神話は、東回りでロシアに入って共産主義となり、西回りでアメリカに入って人権論となったわけです。私は、人権思想を「西回りの共産主義」と呼んでいます。通常、西というのは地図でみると左の方だから「左巻きの共産主義」と言ってもいいのかもしれない。(笑い)>

「ホントの話」(呉智英 小学館 平成十二年刊)p十八

 これも、鳩山首相のお得意の「友愛」でしょうか。

友愛についても同書で呉智英氏は

<人権・民主主義を掲げたフランス革命には三つの理念がありました。自由と平等ともうひとつです。このうち自由と平等は、権利という観念となじみやすいものであり、また人間性の解放という神話とも関連するものであり、人権思想の中核となっています。

 しかし、政治思想史を少しでも知っている者にとって、この自由と平等という妄想のもとに累計で何百万、何千万という人が殺されてきた事実は重くのしかかってきます。先程述べたヴァンデ戦争の大虐殺はその一例です。

 こういう事実を知っている人は、そこで、フランス革命の三つめの理念に注目します。どうも自由・平等というのは、そのイメージと違って、ギスギスした狂信的かつ偏狭な理念である。

 この第三の理念こそおおらかで普遍的な理念のはずだ、これを今こそ強調すべきだ、というわけです。

 この三つめの理念とは、便宜上英語で説明しますが、Fraternityです。これは従来「博愛」と誤訳され、自由・平等・博愛の三理念と称されてきました。でも、Fraternityは「博愛」じゃあいませんよ。これは「同朋愛」です。FraternityはBrotherと似ていることから分かるように、同根の言葉で、ともに「兄弟」ということです。つまり兄弟のように仲良くする「同朋愛」が正しい訳語なんです。しかし「同朋愛」では日本語としてなじみがないので、「友愛」という訳語が当てられます。

 最近この「友愛」を強調する人が多くなってきました。これこそ、ギスギスした偏狭な理念ではない普遍的な人権の中核にあるものだ、というわけです。旧社会党やその周辺知識人たちが流入して成立した民主党もこの「友愛」を前面に出しています。

 略)

 しかし、この「友愛」、よく考えると「博愛」と同じように意図的な誤訳じゃあないでしょうか。

「博愛」というと、おおらかで普遍的な感じがする。それを受け継いで作った第二の誤訳ないでしょうか。

 原語のFraternityは、他人なのに兄弟のように仲良くするという意味ですよね。これを日本語では何と言いますか。「義兄弟」でしょう。(笑)。

 すなわち、人権・民主主義のフランス革命の三理念を正確に日本語に訳せば、「自由・平等・義兄弟」になるのです。(笑)。義兄弟ときたら任侠です。おおらかだの普遍的だのとはむしろ逆の、閉鎖的で独善的で暴力的なイメージがします。

 そして、事実、人権思想はそういうものなのです。>

「ホントの話」(呉智英 小学館 平成十二年刊)p十九〜二十

 

 アホ首相、アホ民主党の友愛・・・・・・・

誰の為の友愛なのでしょう。

 支那人、朝鮮人、そして、働きもしないカス連中のための「友愛」なのでしょうか。

 あほらし。

 酔狂師さん来店。初めてのお客様Iさん三名様で来店。同じく初めてのお客様Tさん三名様で来店。

 Nさん二名様で来店。Sくん来店。

 ドンチャン。今日はしっかりと記憶あり。

 明日は雨かな。

 


美和先生来店

2月23日火曜日晴れ×

 夕方、長谷川酒店さん、美丈夫蔵元に酒の注文。

 今日は洲実高時代にお世話になった美和晨夫先生が神戸大学時代の御友人の方と来店。

 美和先生は七年前に退職されて以来毎年参加されている青梅マラソンに今年も参加、完走されたそうな。

 先生、来年もお待ちいたしております。

 

 Yさん三名様で来店。Mさん来店。

 Kくん二名様で来店。ホロン部員Yさん来店。

 Wさん二名様で来店。

 ドンチャン。

 今日こそは記憶があったように思ったが、やっぱどっか飛んでいて、サルでした。

 


フロンティア東条21

2月22日月曜日曇りのち晴れ ○

 先日、醴泉蔵元の山田社長より「フロンティア東条21 第17回『日本酒と料理を楽しむ会』」のご案内をいただきました。

会場

 ミシュラン二つ星の「リストランテASO」(渋谷区猿楽町二十九三)

 日時四月二日 金曜日

 午後五時三十分受付

 午後六時開始

 午後九時終了

 会費二万三千円

 募集人数百名

 募集対象 二十才以上の女性、女性主体のグループ、御夫婦、カップル

 会場内は禁煙

 ご参加いただける方は、各蔵元・幹事蔵元までご連絡ください。

山忠本家酒造(株) 義 侠 (愛知県)

初亀醸造(株)   初亀  (静岡県)

磯自慢酒造(株)  磯自慢 (静岡県) 

玉泉堂酒造(株) 醴 泉 (岐阜県)

大澤酒造(株) 明鏡止水 (長野県)

松瀬酒造(株) 松の司  (滋賀県)

黒龍酒造(株) 黒龍   (福井県)

(株)濱川商店 美丈夫  (高知県)

新規蔵元

高木酒造(株) 十四代  (山形県)

(株)廣木酒造本店 飛露喜 (福島県)

(株)澄川酒造場 東洋美人 (山口県)

幹事蔵元

磯自慢酒造 寺岡洋司 054-628-2304

濱川商店 濱川尚明  0887-38-2004

廣木酒造 廣木健司  0242-83-2104

御申し込み後のキャンセルはできません。

以上ですが、蔵元さんが主宰される楽しい会ですので、興味がございます方はぜひ御参加ください。

 朝起きると、肩、胸、背中などが筋肉痛。

 午前中に宅急便で荷物が届く。

 午後より立川に行き、マルガリータさんに歯の治療でお世話になる。

 お茶をごちそうになった帰りに同じビルにある本屋さんに寄り、「流水の海」「「空の技術」「北朝鮮はなぜ嫌われるのか」の三冊を購入。

 「北朝鮮はなぜ嫌われるのか」(日垣隆 大和書房 平成二十一年刊)は百二ページなので、帰宅までに電車の中、途中のうどん屋さんなどで読み終えてしまう。

 日垣氏が経験した北朝鮮関係のことで、「労働組合のボスとチュチェ思想研究会」「エンドレスで繰り返される北朝鮮礼讃スピーチ」「朝鮮総連の糾弾会に呼び出された」などいろいろと面白いエピソードが書かれている。

 いつもどおり、長い風呂に入った後は、ゴロゴロとマンガの本、その他を眠くなるまで布団の中で読む。


回天搭乗員の笑顔その2

2月21日日曜日晴れ○ 2月23日一部追記

 店を片付けて、高田馬場で食事をした後に芳林堂さんに寄る。「国家売春命令」「歴史教科書が隠してきたもの」、雑誌などを購入。

 夕方からスポーツセンターに行く。

 スポーツセンターを終えて帰宅前に芳林堂さんと同じビルに新しく出来た瀬戸内料理?の店で食事。

 

 帰宅した後は風呂に入ったあと、眠くなるまで買ってきた本等を読む。

 下記の写真は「人間魚雷 回天」(ザメディアジョン 平成十七年刊)などに掲載されていたものですが、人物名など詳しい事は不明のものもありますが、そのまま掲載させていただきます。

 

伊四十七潜「多々良隊」昭和二十年三月二十九日

柿崎稔中尉、前田肇中尉、古川七郎上飛曹、山口重雄一飛曹は発進の機会が無く、

昭和二十年四月十七日に同じ伊四十七潜にて再び出撃する。

 

伊三十六潜「轟隊」昭和二十年六月十七日

左より横田寛一一飛曹、野村英造一飛曹、柳谷秀正一飛曹、久家稔少尉、園田一郎少尉、池淵信夫中尉

遺骨は訓練中に殉職した入江雷太一飛曹、坂本豊治一飛曹

 

伊四十七潜に搭載した回天の上に太刀、見送りに答える搭乗員 昭和二十年四月十七日

柿崎稔中尉、前田肇中尉、古川七郎上飛曹、山口重雄一飛曹、新海菊雄二飛曹、横田寛二二飛曹

 

伊四十四潜「多々良隊」昭和二十年四月三日

左より亥角泰彦少尉、館脇孝治少尉、菅原彦五二飛曹、西山兵曹(整備員)

土井秀夫中尉

 

昭和二十年五月二十八日 伊三百六十三潜 轟隊

久保吉輝一飛曹 石橋輝好一飛曹 上山春平中尉 

和田稔少尉 西沢(小林)重幸一飛曹

 

 


 


競技以前の問題

2月20日土曜日晴れ×

 <織田、アクシデントに号泣「靴ひもは前から切れていました」>

というニュースがありましたが、ニュースによると織田選手は「演技の前から切れていました。試合前で感覚が狂うのが、嫌だったので切れたところをくくってやっていました」と大粒の涙を流しながら話したそうであるが、切れた靴ひもを結ぶのであれば、ほどけてしまわないように結ばなければ行けない。

 

 この様に書くと批判もあるだろうが、一本のロープに命を懸けることもある登山家などの場合は結び目がほどけるなどということは絶対に許されない事です。

 登山家と一緒ではないという人もいるだろうが、私はそうではないと思います。ほどけない結び方を知らないのであれば、新しい靴ひもに交換すべきだった。

 過去に飲酒運転で検挙されたことがあったが、これも自分の立場を意識し普通の考え方を持っていれば、当然、そんな事はしない。

 このような考え方の甘さがこの人と他の一流選手との差になっているように思えてしかたがない。

 同じように、スケルトン女子に出場を予定していた小室希選手のステッカーによる失格や、リュージュの安田文選手の重量超過違反による失格により見えてくるのは競技に対しての姿勢です。

 競技においてルールを徹底的に理解するのは戦う上で最低限のことであり、ルールの中で違反ギリギリのところまで戦う事ができればそれにより、戦いを有利にも導く事ができる。

 選手も監督、コーチもそんな最低限の事も考えていないで戦いに臨んだということでしょう。

 そんな姿勢で、もし、出場出来ていても良い成績など望む方が無理というものです。

 Sくん御夫妻、ホロン部員Yさん刺身とアンコウ鍋でドンチャン。

 金ちゃんリエちゃんと来店。マロさん合流。

 Fさん二名様で来店。 

 Wさん二名様で来店。

 ドンチャン。

 記憶はあったと思ったが、やっぱサル・・・・・

 


2月19日金曜日晴れ △

 Sさん四名様で来店。刺身とアンコウ鍋でドンチャン。バンブーさん来店。

 二名様来店。浜松のYさん東京に出張ということで二名様で来店。

 塩月さん二名様で来店。Tさん来店。小胡子さん来店。

 Wさん二名様で来店。

 ドンチャン。でも今日は記憶あり。


2月18日木曜日晴れ

 「受動喫煙防止飲食店なども原則全面禁煙 厚労省通知へ」というニュースがありました。

以下引用

(毎日新聞 - 02月18日 20:54)

 受動喫煙の防止対策として、厚生労働省は年度内に、飲食店や遊技場など多数の人が利用する施設は原則全面禁煙とするよう求める通知を出すことを決めた。03年施行の健康増進法は、こうした施設の管理者に受動喫煙防止措置の努力義務を課しているが、具体策は示していなかった。通知はこれを一歩進め、喫煙区域を設ける「分煙」ではなく全面禁煙が望ましいとの考えを明示する。

 対象は、学校▽病院▽百貨店▽官公庁▽飲食店▽ホテル▽娯楽施設▽鉄道、タクシー、旅客機−−など。自治体などを通じ、管理者に周知を図る。健康増進法が罰則を設けていないため、通知違反にも罰則はない。

略)

引用終わり

 うちの店はカウンター禁煙、テーブル席は換気扇を別に設置してあり喫煙可にしてあるが、「通知違反にも罰則はない。」というのでは、全面禁煙に踏み切るところがどれだけあるのだろう。

 私は酒と同じで、嗜好品だから自分の責任で吸いたければ勝手に吸えばいいと思うが、でも、きっと、ナチスドイツが禁煙について国家統制をやっていたとかにかけて、禁煙ファシズムと騒ぐ人もいるのだろうな・・・・・

 今日はメチャ忙しい。

 Yさん北海道から久しぶりに東京へいらしたとかで寄ってくださる。Sさん来店。

 Sさん大勢の女性の方を含む十名様で来店。御祝いという事で磯自慢35%をボトルで・・・・すげ〜

 Sさん三名様で来店。独立されたそうで、これまた御祝い。

 ドンチャン。

 珍しく、今日は最後まで記憶あり。

 


2月17日水曜日曇りのち一時雪? ○

 確定申告が昨日始まった。うちのような一人でやっているチンケな店でも当然確定申告はしている。おかげで国民金融公庫(今は国民生活金融公庫とかになったようですが)などで融資が受けられます。去年も借りたし・・・・・

 いつもギリギリが多いので、今年こそ早く済ませなければと思っているが・・・・・

 今年の場合は、当然、税務署の職員には何も責任がないが、鳩山子供総理と小沢支那軍司令官のおかげで、「アホらしくて」とか「何か一言ぐらい嫌みを」思っている人も多いのではないだろうか。

 スポーツセンターに行く。時間もあまりないので三セットづつメニューを消化。

 メチャヒマ。

 二名様来店。

 のみ。

 飲まずにさっさと寝る。


「回天」三冊の本

1月16日火曜日曇りのち一時雪 寒い

 ここしばらく、回天関係の本を読んでいる。

 今回は「特攻最後の証言」に掲載されていた前・全国回天会会長であった小灘利春氏の文書にでてきた「『回天』その青春群像」、「回天特攻学徒隊員の記録」「人間魚雷 特攻兵器『回天』と若人たち」の三冊。

 この三冊について、それぞれ小灘氏は、「『回天』その青春群像」は上原光晴氏の著書で比較的まともと書かれていた本。

 「回天特攻学徒隊員の記録」は前大洋ホエールズ社長であった武田五郎氏の著書で、小灘氏には「恨み言は覚えていても他の記憶は一切無いようです。この本のどの部分が嘘であるかリストもあります」と書かれている本です。

 「人間魚雷 特攻兵器『回天』と若人たち」は第六艦隊潜水部隊で回天作戦を担当した水雷参謀であった鳥巣建之助氏の著書ですが、

小灘氏は著書の中では実名こそ挙げてはいないが、鳥巣氏について、

<兵器を知らず、戦略眼もない>

<自分の責任や失敗には一切触れていない>

<無責任で態度も傲慢な男です>

<かっての部下の前でも「どんな兵器か見た事もない」と言ったもので、その場にいた者が怒りまして、靖國神社にある回天にこの参謀を押し込んで上からハッチをバタンと閉めたそうです。ハッチをロックできるわけではないですが、しばらくそのままにしておいたと言ってました>とボロクソに書いている。

 この鳥巣氏については武田氏も著書で、当時の防衛庁技術研究所にある鳥巣参謀が提出した回天搭乗員についての書類でイ五三潜で出撃した久家稔少尉、イ四八潜の塚本太郎少尉の階級が、「予備学生」のままになっている事を指摘し、単なる不注意やミスで済ます事が出来ないとして、<回天で戦死した仲間については、戦争中は二階級特進であるとか、聯合艦隊布告でその殊勲を讃えたりしていたのだ。いくら戦後に提出したものとはいえ、死者の階級を間違えるとは。>

と書き、また、イ三七〇潜の出撃日についても間違っているとして、

<第六艦隊の回天作戦担当参謀、鳥巣建之助中佐はその立場上からも、回天搭載の潜水艦の出撃にはすべて立ち会っている。その彼が書いた本には「伊三六八、伊三七〇潜はその日(二月二十日)午前と午後、それぞれ大津島と光から出撃していった」とある。

 また鳥巣中佐が編集代表者として、主導権をとって作成した回天刊行会編の「回天」という本の中でも、イ三七〇潜の出撃は二月二十日となっている。私達搭乗員出身者としては、他の本よりもこの本の方が信憑性が高いと思っていたのであるが。

 略)

 神津が鳥巣元参謀に「貴方の本の中に書かれている関の戦死した日付はおかしいのではないか」と問い合わせたら「まだ潜水艦に関する真相は明確ではない者が多分にあります。更にご研究のほど願います」という返事がきたそうである。

 少なくとも間違いを指摘されたら、みずから調べてみるのが元参謀としての義務ではないか。それが亡くなられた方への弔いであろうに。彼には当時の乗組員(彼が参謀であった第六艦隊の直接の部下である)に訪ねてみようという意志すらなかったようだ。>p百十〜百十二

と書いています。

 小灘利春氏から、回天の特性を理解せず出撃時間をまだ暗い時間にし、命中率を下げた事、出撃時の記念写真のみで後は大津島では見た事も名前も聞いた事が無いといわれ、本人も「どんな兵器か見た事もない」と戦後に元回天搭乗員に向って言いはなち、回天の中に閉じこめられるという醜態を見せた鳥巣氏ですが、ご自身の著書では大活躍しています。

 鳥巣氏の著書「人間魚雷 特攻兵器回天と若人たち」には下記のような記述がある。

<もし、このような作戦が、半年早く、せめて四ヶ月早く、伊三十六潜、伊四四潜、伊四十七潜、伊四八潜、伊五三潜、伊五十八潜などの精鋭潜水艦で一挙に実施されていたならばと痛切に思われるのであるが、もちろん、死児の齢を数えるようなものである>

あとがきとして

<ところで、私の前著「人間魚雷 回天と若人たち」が新潮社から発刊されたのは昭和三十五年五月であったが、その後も私は潜水艦戦や回天の事を研究し続け、回天関係の集大成「回天」や「日本海軍潜水艦史」などを編纂、刊行を手がけて来た。この間、本文に引用したようなアメリカ側の資料を含め、多くの新史実を知る事が出来た。そこで旧著に数々の追加補正を行い、大幅に改稿して成ったのが本書である。

 本書が完成するまでには、約三十年の歳月を要したわけであるが>

と書いている。

 いずれも厚顔無恥な御仁だけに書ける言葉であろう。

 このような人間が、主導権を握っていた回天刊行会という組織が出した回天関係の集大成という「回天」とはどういったものか。

 昨日の酒が残ったまま河岸に。

 「あれ〜、たまねぎやさんによく似た人が」とか「弟さんですか」とか言われながら仕入れを終える。

 Sくん三名様で来店。転勤される方の送別会ということでドンチャン。

 Kさん来店。

 今日は飲む元気もなく、さっさと寝る。


2月15日月曜日雨 ××××

 今日は午後から立川に行き、マルガリータさんに歯の治療でお世話になる。

 結局、スポーツセンターには行かず。

 七時より一歩ちゃんとMさんと三人で神楽坂の「一笑」さんに伺う。

 其の後、「イデアル」さん、「エムズバー」さんとハシゴ。

 ドンチャン。記憶なし。

 部屋ではなく店の床に倒れてました。

 サル・・・・・・・・


2月12日金曜日霙のちくもり寒い

 御一人様来店。バンブーさん来店。

 Oさん二名様で来店。

 Tさん三名様で来店。Tさんは大学三回生の時からのお客様でもう十五年以上になる。

 Yさん来店。

 ドンチャン。珍しく記憶あり。


 

アントニオ猪木という男

2月11日木曜日雨寒い

 古本屋さんで買って来た「不肖・宮嶋 死んでもカメラを離しません」「カリブの楽園 キューバで恋する」という二冊の本に同じ元国会議員・アントニオ猪木のエピソードが掲載されていました。

 

 

 例のスポーツの祭典とか言ってプロレスをイラクでやったアホですが、

 <猪木は、バグダットまでの往復に、トルコ航空の飛行機をチャーターした。人質の家族のためという名目である。ところが空港に行ってみると、猪木便乗のマスコミ関係者多数に、マサ斉藤、長州力といったプロレス関係者、河内音頭の河内家菊水丸、歌手のジョニー大倉、さらには、のちの皇民党事件の中心人物となる稲本総裁(当時。故人)やら、有象無象の連中やらで乗り場はごったがえしていた。おまけにわけのわからんシロート・スポーツ青年たちもいた。あとでわかったことだが、こいつらは単なる普通のアメリカ人であった。しかも、誰が連れて来たのかさっぱりわからんのである。

 こんな得体の知れない団体が、バンコク、ドバイ、アンマンを経由して、バグダットに向っていた。チャーター便ということもあって、機内は異様な盛り上がりを見せ、機内放送で即席ののど自慢大会まで開かれた。しまいには、機長まで歌を歌い出す始末であった。

 実はこの時の費用が佐川急便から出たということが、だいぶ後になって発覚した。もっとも、人質の家族の旅費はタダであったが、私らマスコミ関係者は一律七十八万円取られている。余ったカネが猪木のポケットに入っていたとわかったのは、佐川事件のあとであった。

 略)

 ところで、人質はといえば、まもなく国籍に関係なく全人質が解放された。猪木の奮闘もあまり関係なかったようだ。何やら大マヌケの猪木であった。>

「不肖・宮嶋 死んでもカメラを離しません」(宮嶋茂樹 祥伝社 平成十二年刊) p二百四十八〜二百五十

 そして、キューバにおける猪木は「日本の国会議員の焼き鳥屋出店計画」として

<日本の国会議員がキューバの観光開発に大々的に乗り出し、事業の一環としてハバナで焼き鳥屋を始めるという噂も持ち上がったが、彼は其の後、キューバには見向きもしなくなり、其の後は朝鮮民主主義人民共和国でプロレスをしたりした。ホテル・ナシオナルにあった彼の事務所もほったらかしで、キューバ人スタッフの給料も未払い。これでは焼き鳥屋もオープンしない。情けないやら不甲斐ないやらだ。そして彼は其の後の国政選挙でももちろん落選した。>

「カリブの楽園 キューバで恋する」(祥伝社 平成十三年刊)p二百五十七

 アントニオ猪木という人間の人なりがわかるエピソードです。

 こんなアホが国会議員をやっていたのです。

 アントニオ猪木氏が移民し苦労したであろうブラジルでは、「ジャポネス・ガランチード」(日本人的保証)という表現があります。

 ブラジルに移民された方々が貧乏と苦労の中、マイノリティの立場でありながら、ブラジルの人々からこのような表現があるほどの信用を得たものです。

 力道山に見いだされ帰国しそれなりの名声を得たアントニオ猪木氏には残念ながら「ジャポネス・ガランチード」は身に付いてなかったようです。

 今日はヒマ。

 寒い中Wさんお二人で来店。先日、営業終了後に店を出た時にお会いし挨拶をさせていただいたご夫妻が来店。

 今日は飲まず。さっさと寝る。


回天搭乗員と笑顔

2月10日水曜日曇りのち小雨 ×××××

 回天の大津島基地に、どこからともなく子犬がやってきて、「回天」と名付けられ搭乗員からかわいがられた。。

 大津島基地の指揮官であった板倉光馬少佐もこの回天を胸に抱き、よく歩き回っていた。

 光基地にも子犬がおり、やはり「回天」と呼ばれ、皆に大事にされていた

 ウサギも飼われていて、搭乗員にかわいがられていた。

 

 特攻隊員として苦悩したであろうが、先人のこの笑顔もまた事実である。

 最前列左から河合不死男(第一回天隊 沖縄)、近江(山地)誠(先任将校 二十三突)、 帖佐裕(第三回天隊)、吉健太郎(菊水隊 伊三十六潜、金剛隊 伊四十八潜)、 小灘利春(第二回天隊)

 第二列左より 橋口寛(神州隊伊三十六潜出撃直前終戦、自決)、川久保輝夫(金剛隊 伊四十七潜)、 久住宏(金剛隊 伊五十三潜)、 加賀谷武(金剛隊 伊三十六潜)、石川誠三(金剛隊 伊五十八潜)、 都所静世(金剛隊伊三十六潜)、 豊住和寿(菊水隊 伊三十六潜、金剛隊 伊四十八潜) 、本井文哉(金剛隊 伊三十六潜)

 第三列左より 森稔(金剛隊 伊五十八潜)、三枝直(金剛隊 伊五十八潜)、村松実(金剛隊 伊四十七潜)、佐藤勝美(金剛隊 伊四十七潜)、有森文吉(金剛隊 伊五三潜)、伊東修(金剛隊 伊五三潜)、原敦郎(金剛隊 伊四十七潜)、不明

 最後列左より 山口重雄(天武隊 伊四十七潜)、井芹勝見(金剛隊 伊四八潜)、古川七郎(金剛隊 天武隊 伊四十七潜)、不明、不明、園田一郎(神武隊 伊五十八潜)

 

 Cさん二名様で来店。Tさん三名様で来店。アンコウ鍋でドンチャン。一名様来店。日本語が堪能な外国の方。Mさん二名様で来店。

 Wさん二名様で来店。

 営業終了後、Tさんたちと「アンブラ」さんにて合流。

 ドンチャン。

 記憶まったくなし。さるサル猿申SARU

 テーブルの上にいろいろと買って来たものが置いてあるので、コンビニに寄ったらしいのだが、記憶なし。


渡辺恒雄、保阪正康、佐高信の嘘その2

2月9日火曜日晴れ △

 自分が腐れだから、他人も腐れに違いないと思っているアホ。

 自分がヘタレだから、他人もヘタレに違いないと思っているバカ。

 渡邉恒男氏などその典型です。

<みんな志願して特攻にのぞんだと言われていますが、上官に命令されたんですよ。上官は天皇の命令であり、志願しないとぶん殴られるから出撃する。>

と自分の尺度で他人を見る。

 ぶん殴られ怖いから志願したというアホな考え方しかできないアホです。

 回天搭乗員の場合

< 回天搭乗員の場合、予備学生と予科練は志願制とし、兵学校と機関学校出身者は潜水学校普通科学生の教程を終えたものなどのなかから任命された。

 予備学生は兵科四期採用の場合、海兵団で基礎訓練をうけたあと、横須賀の対潜学校、航海学校、長崎県川棚の水雷学校臨時魚雷艇訓練所の三校にふりわけられていた。その各校から回天要員が募集された。

 予備学生(兵科四期)の募集要領は、防衛庁戦史部の書庫内に保管されてある軍事養成関係綴りの人事局第三課調製のなかに綴じられている。

 元大佐末国正雄がみつけた。

 選抜要領として、「志願者から選抜する」「気力攻撃精神に旺盛なる者」「理解力判断力及び決断力に秀でたる者」「後願の憂いなき者」と、明記されている。

別紙の説明には、「右特殊兵器は挺身肉薄一撃必殺を期するものにして、その性能上特に危険を伴う」とある。

 この募集要綱が発布されたのは八月三十一日付(注 昭和十九年)で、海軍大臣(米内光政大将)次官(井上成美中将)軍令部総長(及川古志郎大将)らの捺印がある。

 四期予備学生で航海学校在学中に志願した藤沢善郎は、同期で病気のため少尉任官が遅れた山崎喜暉に平成五年(一九九三年)、当時を回願して、「非常に大事な事は、志願はあくまで自主的に行われたことです」と、書き送り、志願の名を借りた暗黙の強制であったとする一部の批判をしりぞけている。>

「『回天』その青春群像」P百八十五〜百八十六

 赤い新聞社社主としては、どうしても無理矢理搭乗させたということにしたいのだろうが、回天搭乗員の場合、

<「軍部に強制されて」「人間魚雷の操縦席に、無理やり押し込まれる」、ひどいのになると「殴りつけて特攻をやらせた」と書く者がいるが、そのような性格の兵器では毛頭ない。

 そんなことで操縦できる回天ではないし、まして命中できる筈がないではないか。回天は搭乗員が「自分自身」で乗込み、自分の意志で突撃するものである>

「回天の群像」p百七

 と小灘利春氏も言っているが無理矢理乗せて操縦出来るものではない。

 和田稔中尉の昭和十九年十二月十八日日記にも途中、搭乗員不適格として帰される隊員の事が

<四期が三名くびになった。>

「わだつみのこえ消える事なく」p二百三十五

と書かれている。

 回天とは真っ暗な道をヘッドライトを点けずに車を運転するようなもので、電動操舵機の起動スイッチを入れ発進準備が整うまで、十九もの動作があり、この動作を正確に、順序通りに行なわないと、発進しないばかりか、途中で酸素爆発をおこすなど、訓練そのものが常に事故と隣り合わせであった。

 潜航中は、陸上で覚えた航行海域の状況を思い出しながら、ストップウォッチだけを頼りに、速度と航行時間から自分のいる場所を特定し、地図に記入しながら進む。

 潜航中に空気を消費すればその分、艇は軽くなり浮力を増す。そのため、常に艇の平衡を保たねばならない。前頭部が下がりすぎると船尾があがり、スクリューで水をかき上げてしまい、大きな泡があがるため、敵艦に見つかり易くなる。搭乗員は、勘だけを頼りに前部と後部のタンクに海水を入れるように調整した。

 回天搭乗員は、一人で航海長や機関長、信号員の役目をこなす、とにかく経験を積むほかはなかった。

「訓練で死ぬ事があるので、訓練に出るたびに戦友らに挨拶してまわった」

石黒壮三元海軍一等飛行兵曹(甲飛十三期)

 このように未完成の兵器による厳しい訓練のために、昭和十九年九月から昭和二十年八月までに、考案者の黒木博司大佐q(殉職後少佐)をはじめ十五名もの殉職者を出している。

 「回天の群像」p百四〜百六を抜粋

 このように強固な意志と兼ね備えた素質を持つ者が訓練を重ねて回天搭乗員となるのであって、無理矢理乗せる事などできないのである。その事を理解出来ないし、理解しようともしないアホウども。

 

 今日、築地で仕入れた山葵。

 デカイ。

 でも、グラムあたりにすると割安。

 長谷川酒店さんに注文の電話。

 

 ホロン部員Yさん来店。二名様来店。

 早い時間からドンチャン。

 今日は記憶あり。


2月8日月曜日晴れ ○

 今日は午前七時過ぎに起きる。やっぱり、体中あちこちが痛い。

 午後から立川に行きマルガリータさんに歯の治療を御願いする。

 途中、中央線の人身事故の影響で予定が大きく狂う。死ぬのは勝手だが、人様に迷惑にならない様にやってほしいものです。

 自殺するぐらいだからいろいろとあるのだろうが、残された御家族も大変だろうに。

 駅前で気違い沙汰としか思えない無防備地域宣言運動の呼びかけ人でもある川田悦子女史などがかんでいる「新日本婦人の会」http://www.shinfujin.gr.jp/

というオバハンらが核兵器廃止の署名活動をやっていたが、相変わらずピントがずれたことをマイクでがなっている。

 我が国の場合、支那、ロシア、そして、犯罪国家の北朝鮮と核の脅威にさらされている。我が国で核兵器廃止の署名をするより、我が国の防衛はその核の脅威に対しどのようにすればよいかを論ずるべきではないのか。

 今日、立川の本屋さんで購入した「特別攻撃隊の記録」(押尾一彦 光人社 平成十七年刊)には私が知らなかった貴重な写真が多く掲載されていた。

 

 今日も酒は飲まず。


2月7日日曜日晴れ ○

 午後よりスポーツセンターに行くと、高校生が二十人程も来ており、メチャメチャ。

 部活の一環として来ているのであれば、もう少し統制というものがあってもいいと思うのだが。

 

 まあ、時間もあったので、高校生連中のためにあまり効率的ではなかったが、三時間いてそれなりにメニューを消化。

 昨日、私がプータローをやっていた時にカリフォルニアのパサディナで非常にお世話になったマリーンから手紙が届く。

 ドイツ系アメリカ人であるマリーンは、ドイツに住む高齢の御両親のためにしばらく帰っていたそう。

 帰宅後、風呂に入り酒も飲まずに今日は早く寝る。


2月6日土曜日晴れ 寒い ×××

 昨日、「在日特権を許さない市民の会」の桜井誠氏が東京検察審査会に対して、民主党幹事長小沢一郎の政治資金規正法違反容疑での起訴を見送った東京地検特捜部の判断を不服として、不起訴処分の是非を問う申し立てを行ったとホームページに掲載されていた。

 検察審査会のホームページ(http://www.courts.go.jp/kensin/seido/sinsakai.html

 を見ると、検察審査会が審査した結論に基づいて,検察官が再検討した結果起訴した事件は,千四百件を超えるとある。

 ぜひ、小沢氏についても徹底的にやってほしいものである。

 

 Iさん三名様で来店。カトリーヌさんフランス人の友人の方々と四名様で来店。明日、赴任先のインドに帰るそう。

 金ちゃん、マロさん来店。

 ドンチャン。

 気が付いたら、ガスファンヒーターの前で床に寝てました・・・・

 サル、猿、申、さる、SARU・・・・・・・


 2月5日金曜日晴れ寒い △

 河岸から帰って来た後に、長谷川酒店さんに注文の電話。

 

 今日はどういうわけか大忙し。

 バンブーさん来店。Oさん二名様で来店。Sくん来店。

 HIROKOさん四名様で来店。アンコウ鍋でドンチャン。Oさん二名様で来店。

 マロさん来店。Oさん二名様で来店。初めてのお客様二名様来店。     

 Mさん、Kくん、Fさん三名様で来店。女性のお客様二名様来店。

 Wさん二名様で来店。

 十一組、二十二名様・・・・・

 ドンチャン。今日は忙しくて飲み初めが遅かったせいもあり、珍しく記憶があった。

 明日が怖い・・・・・・


2月4日木曜日晴れ 寒い ○

 今週号の週刊新潮の高山正之氏のコラム「変見自在」は「韓流の人」と題したもので、小沢一郎氏を取り上げていたが、ネットにある「小沢朝鮮人伝説」かと思ったら、行動は朝鮮人そのものであるが、「実際は岩手の豪農の血筋」しかし、「首相が宇宙人なのだから幹事長が純朝鮮風でもかまわない」というオチであった。

 

 小沢氏の師匠である金丸信氏は遠い御先祖が朝鮮半島から渡って来たということまで金日成が調べ尽くして、金丸氏に会った時にそれを言い、金丸氏は涙したと何かの本で読んだ覚えがある。

 日本は島国なのだから、そりゃあどっかからみんな来ているのであろう。

 私は血筋がどうであろうと、日本人ならば、我が国の為に尽くしてくれればいいと思う。

 ただ、帰化のハードルを低くすればいいというのはおかしい。何処の国でもその国の国民になるという事は、その国に忠誠を誓うということです。

 国民とはその国の為に他国と戦えるということです。

 

 今現在、支那人が多く帰化していますが、彼らが我が国に忠誠を誓っているわけではない。もし、支那と我が国が戦争になった時に、その支那系日本人のどれだけが我が国の為に戦うのか。

 トロイの木馬作戦???????

 電話がチリンともならず、ヒマ。

 一名様来店。二名様来店。

 今日は体調がイマイチなので飲まずにさっさと寝る。


人権派?弁護士

2月3日水曜日晴れのち一時霙 △

 パチンコ屋に放火して無差別に五人殺して、十人に重軽傷を負わせた犯人の担当弁護士が、絞首刑が残虐で違憲という主張というニュースがあったが、

 じゃあ、その気違いが殺した方の人権はどうなるのだ。

 

以下引用

<大阪パチンコ店放火>「絞首刑は残虐で違憲」弁護側主張へ

2月3日18時54分配信 毎日新聞  09年7月、大阪市此花区のパチンコ店に放火し、5人を殺害、10人に重軽傷を負わせたとして、殺人罪などで起訴された高見素直(すなお)被告(42)の裁判員裁判で、死刑求刑が予想されるとして、弁護人が「絞首刑は残虐で違憲」と主張する方針であることが分かった。海外事例などから残虐性を客観的に立証する異例の弁護といい、「裁判員が審理する以上、死刑の執行方法をよく把握してもらった上で議論すべきだ」としている。

 略)  高見被告の弁護人は、絞首刑の残虐性立証のため、海外事例などを多数調査。1942年の絞首刑に立ち会った米国の刑務所長の著書や、イラクのフセイン元大統領の異父弟の絞首刑(07年)ビデオなどで頭部が切断されるなどの実例があったという。またオーストリアでは、絞首刑や首つり自殺で十分な力がかかれば切断されるとする医学博士の研究もあった。これらの点から、弁護人は「絞首刑は残虐な執行方法だ」と主張し、死刑制度を争点の一つに挙げる方針だ。

 最高裁判例(1948年)は死刑を合憲としながら、「執行方法が時代と環境において人道上の見地から一般に残虐だと認められる場合は憲法違反」としている。

 弁護人は「死刑に関する情報を国が開示しないことも問題。情報を開示して初めて裁判員も死刑を選択肢の一つにできる」と話し、裁判員制度を契機に踏み込んだ死刑論議の必要性を指摘する。

略)>

引用終わり

 この高見という気違いがどういう事をやったかその残虐性も充分に問うて欲しいものです。

 報復権を国が取上げている限り、残された御遺族の事、被害者の心情を思うのであれば、絞首刑よりもこの気違いを火炙りの刑にでもしなければ合わんだろうに。

 仕込みを終えて、スポーツセンターへ行く。

 今日も体調がイマイチ。バーベルがメチャ重く感じる。

 肩はチューブを使ったメニューのみ。

 帰りに芳林堂さんに寄り雑誌二冊購入。

 そのうちの一冊「正論」巻頭の西村眞悟氏が書かれた「日本に仇なす無道の人に告ぐ」と題された十三ページにわたる文の最後に下記のように書かれていた。

<中国共産党が歓迎した民主党幹事長小沢一郎は、日本国の敵である>

 ぜひ、心ある「普通の日本人」の方はお読みいただきたい。

 カトリーヌさん来店。カウンターの上に置いてある二枚の写真の話になる。この写真は当店の一番古いお客様のひとりである現チョンイル新聞(人民日報築地支社あるいは朝日新聞ともいう)勤務の大野さんが稲刈り大学(早稲田大学とも言う)卒業前にアルジェリアに旅行した時に写したものです。

 カトリーヌさんは「アルジェリアは古い街並がきれいなところですよ」とおっしゃった。私は思わずフランスが植民地支配していた時に・・・と口に出そうになった。

 静岡からうまごんさん来店。わざわざ当店でドンチャンやるために来てくださり感謝。

 Bさん来店。イデアルさんのスタッフの方二名様来店。

 初めてのお客様四名様来店。

 メニューに二本線で消去してある酔鯨わざわざを注文。

「二本線を引いて消してあるのですが」

「あそこにあるじゃあないか」

と冷蔵庫を指差す。

「どうしてもというのなら、リスクを承知で一本を御注文ください」

というと、イヤだそうだ。

 アホとしか言いようがない。

 お客さんの言うとおりに飲みたいという酒を、店に在庫をあるだけの酒の銘柄、年代別なのを一杯ずつ開けていたら、管理ができないだろうに。

 遅い時間にうまごんさんと少し飲む。


渡辺恒雄、歴史家保阪正康、佐高信の嘘

2月2日火曜日雪のち晴れ △

 内田雅敏という弁護士を職業としている御仁がいる。

 渡辺恒雄という大新聞社主筆という御仁がいる。

 保坂正康という歴史家を名乗る御仁がいる。

 佐高信という経済評論家を名乗る御仁がいる。

 <どんなものでも利用出来るものなら利用する左派の論客は、柄のないところへ柄をすげる>と山本夏彦氏が「『豆朝日新聞』始末」(文藝春秋 平成四年刊)に書いている言葉であるが、この四人のみなさんもご多分に漏れず、自分のイデオロギーのためには平気で嘘を連ねる。

 著書に「海軍兵学校、陸軍士官学校出の職業軍人には特攻をさせず、もっぱら学徒・少年兵らを次々と特攻出撃させました」(「靖国問題Q&A」内田雅敏 スペース伽耶 平成二十年刊 P十二)と嘘を書く内田氏がその自分の著書に引用しているのは、同じ色のその渡辺氏と保坂氏の言葉です。

<渡辺

 日本軍の残虐性を象徴的に示しているのは、特攻だと思います。みんな志願して特攻にのぞんだと言われていますが、上官に命令されたんですよ。上官は天皇の命令であり、志願しないとぶん殴られるから出撃する。だけど怖くて途中で帰ってきちゃう人もいた。三度帰ってきて、ひどい目にあったという特攻兵だっているんです。人間魚雷・回天にいたっては出撃すると外には出られませんでしたからね。

保坂

 回天という特攻兵器は、見ただけで涙がでますよね。本当にひどい。この特攻兵器の搭乗員として訓練中に亡くなった学徒兵(東大生)は、機器が故障し、海中で一時間程閉じ込められたままで亡くなっています。私は、この学徒兵がその間何を考えていたかと考えるのですが、自らの生まれた時代の残酷さに強い怒りを持ったと思うのです。

渡辺

 ねえ、あんな残酷なことを二十世紀に、天皇の名においてやったんですから、こういうことをはっきりさせなきゃいかんですよ。>

「論座」平成十八年十一月号 私は「靖国問題Q&A」(内田雅敏 スペース伽耶 平成二十年刊)より引用P二十四〜二十五

 

そして、もうひとり佐高信氏は「遺言と弔辞」として

http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/satakamakoto.html

< 遺書と言えば、『きけわだつみのこえ』(岩波文庫)に象徴される戦没学徒兵の手紙が真っ先に挙げられるが、検閲制度の下で、彼らの声がそのまま伝えられたわけではない。>

そして、佐高氏は検問制度の下での「重く悲痛な自己欺瞞」として

 <東大法学部在学中に学徒出陣で召集され、人間魚雷「回天」に乗って事故死したと公報が届いた和田は当時二十三歳。妹に次のような遺書をのこしている。

 

〈若菜、私は今、私の青春の真昼前を私の国に捧げる。私の望んだ花は、ついに地上に開くことがなかった。とはいえ、私は、私の根底からの叫喚によって、きっと一つのより透明な、より美しい大華を、大空に咲きこぼれさすことが出来るだろう。

 私の柩の前に唱えられるものは、私の青春の挽歌ではなく、私の青春への頌歌であってほしい。〉

 

 まさに、安田の言う如く、「重く悲痛な自己偽瞞」の遺書である。しかし、それを誰が強いたのか。>

このように書く。

 いずれのカスどもも嘘を平気で書いている。

 今日はメチャヒマ。二月早々にオチャピーかと思った。

 インドに赴任しているカトリーヌさんが、休暇ということで顔を見せてくださった。

 Wさんお二人で来店。

 飲む。でも今日は記憶あり。


 

わだつみ会という赤い組織と安川寿之輔

2月1日月曜日曇りのち雪 ○

 十時半頃に目が覚める。

 今日は生ゴミを出しに外に出た以外は部屋にいた。

 今日、部屋で読んでいた本の中の一冊に「学徒出陣 わだつみ会編」という本がありました。

 どこの古本屋さんでいつ買って来たのか覚えていませんが、その中に安川寿之輔氏の文章がありました。

ネットで「安川寿之輔」と調べると、

 昭和十年(一九三五年)生まれ近代日本社会(教育)思想史。 名古屋大学教養学部名誉教授、現在、不戦兵士市民の会理事日本戦歿学生記念会事務局長、イラク派兵違憲訴訟の原告(東京地裁)韓日併合100年市民ネット共同代表となっている。

 手元にある「学徒出陣 わだつみ会編」に掲載されている此の安川氏の文章に下記のようなものがあります。

 <『きけ わだつみのこえ』の遺稿を含め多くの一般学生は、不義不当・無謀の侵略戦争を「聖戦」と誤解し、「八紘一宇の民族理念」や「尊厳なる皇室」を信じ、その生命を「神州不滅」の祖国に「捧げ」ることに疑問をもたなかった。

 その日本の青春の稚なさは、同時代の枢軸国であったイタリア青年が『イタリア抵抗運動の遺書』(冨山房百科文庫)を残し、ドイツの学生が『白薔薇は散らず』(未来社)などで知られる反ナチ「白バラ」抵抗運動を敢行した事実との対比で、おのずと明らかになる。>

「学徒出陣 わだつみ会編」(わだつみ会 岩波書店 平成五年刊)p七十五〜七十六

 流石は発行人が安江良介となっているだけの事はあります。

 私は問いたい。

 我が国にヒトラーはいたのか。ムッソリーニはいたのか。

 

 安川氏はこの文書の「はじめに」として家永三郎氏の言葉として、

<治安立法による表現の自由の抑圧」と並んで、天皇制「公教育の権力統制による国民意識の画一化」が、「国民の意識の自由な成長と活動とを妨害する事により、無謀な戦争に対する国民の下から抵抗の素地を事前に摘み取った」と述べている。

 つまり、天皇制教育は、「国民の大多数の思想を軍国主義の方向に画一化する積極的役割」を演じることで、十五年戦争(アジア太平洋戦争)を「阻止しえなかった決定的条件」の一つを構成したというのである。>

 と書いている。

 そして、

「東条首相の謹語があった。涙が流れた。言葉のいらない時が来た。必要ならば、僕の命も捧げねばならぬ」

坂口安吾、

「妖雲排して天日を仰ぐ、というのは実にこの日のことであった」 青野季吉、

「この部屋にたちてもゐても身ぶるひす わがますらをは神にあらじか」

斎藤茂吉、

などの言葉を引用し、それについて<こうした知識人の錯乱した姿に、少なくとも自由で合理的な人間の姿を見いだせないことは明らかである>p七十五

と書く安川氏であるが、その安川氏が何度も文中に引用している家永氏が戦前、戦中どのような事を言ってきたかをわかっていてこの文書を書いているのであろうか。

 戦前は家永氏は

 <学会の一兵卒として学問報国の戦列に参加することの出来た吾人は、誠に願っても無き幸せ者と云うべきであらう。>

 と自分の著書に書いていたのである。

 これについては安川氏は一切触れていないのはどうしてだろう。

 あほらし

 今日は酒は飲まず。

 昨日はそれほど重いのをやらなかったのに、朝から身体のあちこちの筋肉が痛い。



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