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まだまだ井筒(従軍慰安婦問題)
7月31日火曜日晴れ ○

 井筒氏の著書より

 <現在も大変大きな問題となっている従軍慰安婦問題。その発端はこのころの徴用と深い関係があります。当時徴用されたのは男性ばかりではありませんでした。女性だって連れて行かれたんです。
 日本軍や日本政府の手先になっていた業者が、「いい仕事があるよ」と声をかける。貧しい農家の娘などは、もう仕事があるだけでも助かりますから「行きます。お願いします」となる。このようにだまして連れて来たり、もっとひどい
手段で強制的に連れ出すこともあった。そしてその女性たちは、日本兵の慰安婦をさせられていた。慰安どころのさわぎではない。実際は性行為を強要されていたんですから、ひどいもんですよ。>p一二三

 <従軍慰安婦の問題が今も解決していないのは、この問題が問題としてクローズアップされはじめた時期がごく最近だったからです。大きなきっかけとなったのは、一九九一年に韓国で元慰安婦の女性が証言し、
略)
その犠牲者数は八万人、いや二〇万人だとも言われており、全体像はまだわかっていません。ただ、日本の支配下において、性奴隷の扱いを受けていた女性たちがたくさんいたという事実は知っておくべきです。>
p一二四

 <もちろんプロの娼婦もいたのでしょうけど、強制連行の流れの中では、何も知らない女性が被害にあっていたことは容易に想像できます。
 ひどいことを経験して、戦争が終わって、生き残って。身も心もボロボロ。でも生きのびてきた女性がたくさんいる。自分の経験に封印して。そんなこと誰にも言えないし、言ったところでどうにもなるものでもない。だけどそんな中で、やっと従軍慰安婦問題が明らかになっていったわけです>
P一二六

 井筒氏は慰安婦だけでなく他の事についても言える事ですが、想像、思い込みで物事を決めつけ、それを歴史的事実のように偉そうに高所から話している。
 現在のように経済が発展している南朝鮮がどうして我が国だけで無く、アメリカなどにおいて朝鮮売春婦が問題になっているのか考えたことがないのであろうか。

 アホウ過ぎる。
参照→
慰安婦問題

 二名様来店。インチキラクターさん来店。一名様来店。ヨッパラッテEさん大勢で来店。鬱陶しい。

雁屋哲の歴史観
7月30日月曜日雨のちくもり深夜大雨 ○

 先日、古本屋にて購入した美味しんぼ四〇巻には雁屋氏の歴史観がよく現れている。

<何を展示してあったかというと、第二時世界大戦中の日本軍によるブルームの爆撃の記録だ>
<なんだって!>
<日本軍の爆撃?>
日本軍がオーストラリアを襲ったというのかね!
<日本軍は、ノーザン・テリトリーのダーウィンも爆撃して、
壊滅的な損害を与えた。
 シドニーもそうだ。シドニー湾に日本の特殊潜航艇が侵入して攻撃し、
多くのオーストラリア人を殺し、自らも果てた。
 日本は全部ひっくるめて五八回、オーストラリアを襲撃した。
 オーストラリアの二〇〇年の歴史の中で、外国に国土を襲撃されたのはそれが初めてだった。>
<いやあ、知らなかったなあ・・・・・>
<日本がオーストラリアを攻撃したたった一つの国とはね・・・>P82
<第二時大戦で日本は一方的にアジアに侵略した。イギリスはその日本を相手に、アジアを舞台に戦った。
といっても、アジアの人々のためではない。植民地にしたアジアの国々を、日本に奪われまいと戦ったのだ。
アジアから見ればどちらにも正義はない。そのイギリスにオーストラリアは加担した。だから戦争したこと自体にやましさを感じるのは、お互いさまだ>
<しかし、正規の戦闘以外では、
日本は人道に背くひどいことをした。
オーストラリア人の捕虜を虐待し、食事も与えず、大勢の捕虜を殺した。
日本軍に沈められた船から島に泳ぎついた、オーストラリア人の従軍看護婦たち一四人を、射殺したりもした・・・>
<今やオーストラリアは日本人観光客にとって、ハワイを抜いて一番人気がある所となっている。
 しかし、どれだけの日本人観光客が、かって日本軍がダーウィンやブルームやそしてシドニーまでも襲撃したことをしっているだろうか。>
<オーストラリアに大してだけではない。日本人は
アジアの国々でもっとひどい、言うに耐えない残虐なことをしておきながら、ケロッとした顔で出かけて行く。>P83
<その理由は日本人のたいはんが、特に若い人たちは、日本が第二次大戦中にアジアの国々でどんなひどいことをしたのか、知らないからだ。
 戦後一貫して文部省は、戦前戦中に
日本がアジアの人々に対して行った残虐行為を子供達に教えない方針を取ってきたし、言論機関も十分に報道してこなかった。>
<そう責められても、言い訳、できないな・・・・
 
実に恥ずかしいことだが・・・・・・>
<勇気がなかったとしか言いようがない・・・>
日本はアジアの国々に、謝罪も償いも十分におこなっていない。
それが、
戦後五〇年近く経つのに、未だに日本が国際政治の場で軽んじられ、尊敬されない理由の一つなのだ
今我々が早急にしなければならないのは、戦前戦中に日本がアジアの国々に何をしたか正確に知り、子供たちにも教え、アジアの国々の人たちに国として正式に謝罪して誠意を示すことだ。
 知らん顔してこそこそしていることのほうが、自尊心がない人間のすることだろう。
 謝罪するのは誇りを傷つけることにはならない。>
<まったくだ、戦争のことで外国に対してあやふやな態度をとり続けるのは、情けない>
<少なくとも、次の世代の者に、こんな思いをさせてはかわいそうや・・・・>p八四

<今我々が早急にしなければならないのは、戦前戦中に日本がアジアの国々に何をしたか正確に知り、子供たちにも教え、アジアの国々の人たちに国として正式に謝罪して誠意を示すことだ。>この言葉に雁屋哲という人間の本性がよく現れている。


 雁屋氏は「襲撃」という単語をつかっていますが、襲撃とは「 襲いかかること。不意をついて攻めること」とされています。そして、「攻撃」とは「進んで敵を攻め撃つこと」つまり、雁屋氏にとっては、戦争時における我が国の攻撃は襲撃という言葉がピッタリとくるのでしょう。
 しかし、雁屋氏にとって、オーストラリア軍からもその勇気を讃えられた特殊潜航艇乗組員は
「多くのオーストラリア人を殺し、自らも果てた。」まるで平時の人殺し並みです。ここまで、先人の事を言えるのでしょうか。大東亜戦争は残酷な日本人が起こしたもので、その「残酷な」日本人は戦後「反省して」おとなしい日本人に急になったのでしょうか。

 イギリスはインドを明治維新よりも以前に支配したのちビルマを明治一九年、マレー半島を明治四二年に支配します。フランスは明治二〇年ごろに清よりベトナムを奪います。インドネシアはオランダの過酷な統治を受けていました。アメリカはハワイを明治二六年に侵略し、フィリピンをスペインから明治三一年に奪います。
 ロシアの脅威も増してくるなか、我国は自衛として支那の属国である朝鮮の自立を願い助成するが、朝鮮は事大するだけであった。清と朝鮮は我国に対しては東夷思想・中華思想による中華秩序を乱すものとしての侮日感情ともいえるものを抱いていた。
 そのような世界情勢の中、我が国は日清、日露戦争にと突入し、勝利する。
 雁屋氏は日本だけを悪者にしたいようだが、一方的に日本を悪者と断罪するほど歴史とはそんな単純なものなのでしょうか。
 いろいろな批判のある大東亜戦争においてさへ、それは同じである。大東亜戦争前にはアジアには独立国は二国しかなかった。我国ともう一つは、一九三九年にシャムという国名を改称したタイです。その二つしか独立国はアジアには存在していなかった。大東亜戦争後に多くの国々が独立したのです。
 何度も書きますが、歴史とは雁屋氏の書くような単純なものでは無いはずです。そして歴史とは連続しているものです。

 今日は朝から運転免許の更新にて雨の中、東京都庁まで行く。無駄なぐらいなりっぱな建物。心配していた目の検査もイッパツで合格。
 一五年程前に、朝まで飲んでいてそのまま更新にいったら目の検査で落ち、一時間後に再検査をやったことがあり、それから目の検査はビクビクです。今の商売を始めてから運転していなくて単なる身分証明書がわりという運転面免許証は、当然、今回もゴールドカードで、あと五年は裸眼でも大丈夫ということになった。
 免許証にICチップが埋め込まれているそうで、ちょっと厚くなり、本籍地が表示されていない。
 更新を終わり外に出ると、雨も上がっている。そのまま高田馬場のスポーツセンターに直行。ただ、夕方のラッシュに巻き込まれたく無いので、軽く済ませて一度店に寄り、資源ゴミを出した後は、ダッシュで帰宅。
 五時三〇分ぐらいの電車だったので、何とかセーフ。
 部屋に帰る前にマツモトキヨシにてアミノバイタルの徳用箱を購入。深夜に大雨。コンビニでおにぎりを買ってきておいてよかった・・・・・


*初亀の飲んべえの会 
7月29日日曜日雨 ×

 飲んべえの会を初亀の蔵元である橋本社長にも御参加いただき開く。
 出品酒
 NO.1 平成19年 初亀 鑑評会出品酒(大吟醸)(二本)
 NO.2 平成18年 初亀 鑑評会出品酒(大吟醸)(二本)
 NO.3 平成17年 初亀 鑑評会出品酒(大吟醸)(二本)
 NO.4 平成19年 亀 純米大吟醸     3年古酒 
 NO.5 平成17年 亀 純米大吟醸     5年古酒
 NO.6 平成19年 初亀 中汲み大吟醸 大吟醸
 NO.7 平成19年 初亀 滝上秀三  純米大吟醸
 NO.8 平成18年 初亀 極吟醸 瓢月  吟醸
 
 御参加頂いた皆様ありがとうございました。

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原爆投下
7月28日土曜日晴れ ×
 コンビニに入ると「週刊現代」の表紙に「池田大作『原爆投下は創価学会誹謗の報いだ」という文字。早速購入。脂ぎった宗教人らしからぬ写真が掲載されたその池田氏の記事によると
以下引用
 
池田氏の問題発言は'五八年五月一八日、福岡県久留米市で開かれた創価学会の第一回男子部九州総会の講演中のもの。当時、池田氏は創価学会会長に就任する前で、参謀室長という役職だった。
略)
 一三世紀に中国の元が日本を攻撃した「元冦」を、鎌倉幕府の日蓮上人迫害と結びつけ、こう話した。
 「大聖人様御在世に大聖人様を迫害したがゆえに一国謗法であり、一国が正法を護持しなかったゆえに他国侵逼の難、二回の他国侵逼の難がございました」
 つまり、鎌倉幕府が日蓮上人を迫害したために元が日本を攻めたというのだ。
略)
 
「大東亜戦争の際、日蓮正宗を国家が弾圧し、創価学会を弾圧し、二度の原子爆弾の投下をされております。一発は九州、一発は広島。日本の国が正法を誹謗した報いです。」
略)
 わかりやすくいえば、広島、長崎に原爆が落とされたのは日本政府が正法=日蓮正法の教え、ひいては創価学会を誹謗した報いだというのだ。
 この講演は創価学会が'六一年に発行した「会長講演集第三巻」にも掲載されている。
略)
 創価学会広報室は本誌の取材に対して、次のように回答した。
 「国民に国家神道を強制して思想の自由を奪い、さらにそれに従わなかった創価学会の牧口初代会長を獄死に至らしめるというような時の軍部政権の狂気が、結果として原爆の投下という悲惨を招いた、という主旨です」

引用終わり
 週刊現代平成一九年八月一一日号p三〇

 何とも醜い、そして独善的としか言い様のない発言でしょう。また、池田大作の発言を擁護する創価学会。

こんな発言の池田大作という人間を崇め奉る創価学会とは、私には普通の人の集まりとは到底思えません。

 


 Oさん来店。Cさん二名様で来店。HIROKOさん来店。初めてのお客様Sさん四名様で来店。一名様来店。Mさん来店。Kさん三名様で来店。
営業終了後、Kさんと早稲田のラーメン屋さんでビールと餃子でドンチャン。仕上げはラーメン。飲んべえの最悪のパターン。

まだまだ井筒(豊臣秀吉の朝鮮出兵)
7月27日金曜日晴れ ×

<日本国内を治めるために「外敵」をつくる必要があったのでしょう。国内の不満をそらすため、派手な戦争を仕組んだという見方もあります>p八六
<もともと朝鮮が優れた文化を持っていることはわかっていたし、尊敬もしていたはずなんです。だからこそ、その朝鮮を支配下に置き、大名でも配置しとけ、ぐらいのことをもくろんでいたのかもしれません。
 朝鮮を支配しようというとき、やはり朝鮮よりわれわれ日本人のほうが優れているのだという意識があったはずです。優れたものが劣るものに勝るのは当然である、という考え方です。今の世の中でも「勝ち組、負け組」などといういやらしい分け方があるようですが、同じような意識はすでに芽生えていたんですね。だから植民地にして、ぜんぶ奪ってしまおうということになる。>
p八七
<これに対して朝鮮側も必死に抵抗しました。激しい戦闘が朝鮮を舞台に繰り広げられました(壬辰・丁酉戦争)。この戦争の結果、朝鮮半島の農村は壊滅的な被害を受けました。
 朝鮮に送り込まれた武将たちは、自分の手柄を示すために残酷なことをしました。朝鮮人の耳や鼻を切り取っては塩漬けにし、秀吉に持って帰ってきたのでした。その数は一〇万ともいわれています。京都市にある耳塚に埋葬されました。
 こういった
侵略。戦争によって、朝鮮の人口は大幅に減少しました。大量虐殺ですよ。しかも何万人もの人たちが日本に連行されてきました。p八八

 普通、「壬辰・丁酉戦争」なんて使うか?日本人だったら「文禄・慶長の役」だろうに。それとも歴史に自称「詳しい」井筒氏は「壬辰・丁酉戦争」って習ったのでしょうか?あと、「
もともと朝鮮が優れた文化を持っていることはわかっていたし、尊敬もしていた」「やはり朝鮮よりわれわれ日本人のほうが優れているのだという意識があったはず」という文章に矛盾というものを彼は感じないのであろうか。
 
 また、戦場において戦果を確認し、功を競うのは当たり前であり、その戦果を確認するために、敵の首級を挙げるのが習わしであったが、朝鮮においては首に変えて鼻を切り取って戦果を量った。
 そして、その敵の鼻を京都大仏の前に埋めて、盛大な法要を催行し弔っているのである。
 それは豊臣秀吉の信任が厚かった側近でもあった相国寺九二代住職西承兌が日記の中に下記のように詳しく秀吉の様子を書いている。
「大相国命(豊臣秀吉)はこの鼻を見て憐れみの心を深くしし、敵味方を超えて平等に供養しなければならない、として禅宗の五山の僧に命じて山海の珍味を供えさせ法要を営んだ。そして憾みを超えた平等の心を持って墓を造る。この墓を名付けて鼻塚とし、尚塔婆一基を建てる」
(原漢文、相国寺史料第一部)
 塔婆に秀吉の命にて、「清風明月同天、千時龍集丁酉秋九月二十又八日敬白」と書いたそうである。
 我国では古来より戦いが終われば、敵も弔う。それは日本人同士の争いだけでなく、元冦などにおいても同じである。
 北条時宗は、元の使者五人を斬首して断固たる決意を示したが、その後、五人を弔うため、鎌倉滝の口に五輪の塔を建て、その傍らに彼らの辞世詩を刻んだ碑を健立しました。
 さらに、文永・弘安の二度の元冦が終わると、弘安五年(一二八二)に鎌倉円覚寺を建て、水没した一〇万人の元軍の死者のために千体の地蔵尊を作って奉納しました。
 朝鮮人は秀吉軍をこのように弔ってくれたのでしょうか。

なぜ、連れてこられた朝鮮人がその後帰国しなかったのか井筒氏は書かないのだろうか。今の在日朝鮮人と同じです。朝鮮半島より我が国の方が暮らしやすいからです。
 ウソまで書いてどうしても、日本人のイメージを悪くさせたい井筒氏。考え方が朝鮮人。

 バンブーさん来店。岡部ちゃん来店。Kさん二名様で来店。Yさん二名様で来店。Hさん二名様で来店。フィリッポさんの御紹介というNさん来店。マロさん来店。大台さん来店。遅い時間にSさん三名様で来店。
 ドンチャン。記憶なし・・・・

まだまだ井筒(強制連行のウソ)
7月26日木曜日晴れ一時雨 ×

 まず、井筒氏は「強制連行」というものについて<
日本に連れてこられた朝鮮人は、日本側の発表で約七〇万人とされていますが、朝鮮側の統計では一〇〇万人を軽く超えている>と数字を挙げながらその数字がどこよりの引用かも書いていない。日本側の発表として「七〇万人」などという数字がいかにも公的な数字のように書くが、そのような公的な数字は無い。<「官あっせん」・・・じっさいは強制に近かった。><「徴用」と名目を変えてはいますが、じっさいは暴力でねじふせて無理やり日本に連れてきた。これが「強制連行」です>と書き、<徴用する名簿に名前が載っているんだとか言って、身支度もろくにさせず、家族や親に「行ってきます」も「さよなら」もいうひまも与えず連行。>とまで書く。
 職業詐欺師である吉田清治については、中村粲氏、板倉由明氏、上杉千年氏らの検証によって、軍の命令系統から本人の経歴まで全てが嘘であることが判明している。参照→
吉田清治
 
 また、官斡旋と徴用を井筒氏は同様に書くが(同様の間違いというか意図的な混用?は「朝鮮人強制連行の記録」など他の著書でも多い。)官斡旋と徴用の違いを分かっているのであろうか。井筒氏は徴兵と徴用の違いも分かっていないように思えるが・・
 官斡旋と徴用の決定的な違いは罰則の有無です。官斡旋の場合は、予定企業に就職後、辞めて他の企業に務めても良い。前渡金、食費、未払い賃金など金銭的な精算さえすれば、何の犯罪にもならない。

 井筒氏の書くような事は法治国家であった日本ではあり得ないと元朝鮮総督府の幹部であった坪井幸生氏と大師堂経慰氏は以下のように述べています。
(大師堂氏)<徴用礼状には、何月何日にどこどこにへ集まり、徴用されていく先はどこで、こういう仕事だということが書かれている。これを受け取った人は指定の場所に集まり、引率されていくのが普通のやり方です。前述の教科書にある「土足で家に上がりこみ、手錠をかけて・・・」というやり方は、普通の例ではありません。何度も徴用を拒否して出てこない人の徴用令違反で逮捕された時の描写だと思います。逮捕されると、検事局に送られ、起訴されて裁判に掛けられます。徴用令違反は一年以下の懲役でした。
略)
 手錠をかけて連れていくというようなことが徴用の一般的な実態だったとしたら、労働行政は成り立ちません。終戦まで行政はしっかり機能していました。 >
 (月刊正論平成一五年三月号 p五二〜五三)


 そして、朝鮮半島からの渡航については、下記のように述べている。
(坪井氏)<保安課で外事警察をやりながら、内鮮係も兼務していた昭和一四年ごろ、内務省の警備局保安課との折衝で、こんな事を思い出しました。当時、朝鮮人が日本内地にどんどん来るので、内地としては、労働の需給関係や治安問題もあって、内務省は「渡航を制限したい」というのです。しかし、朝鮮人も日本人であり、総督府としては困るわけです。内地は気候がよく生活水準も高いし、いろんな面で魅力があるわけです。渡航してきた朝鮮人hば家族を呼び、係累を呼びます。当時は、朝鮮人の渡航を制限しようとする内務省と、制限するなという朝鮮総督府の方針が対立しました。
 やがて、日本で労働力を必要とするようになり、「朝鮮人労働者を入れてほしい」と変わってきた。企業が労働力を補充するため、朝鮮半島へ募集に行ったりした。最後は、徴用令を敷いて労働力を補充したというのが実態です。
略)
どこの国だって、徴兵もし、労働力を補充するための徴用もする。法治国であれば、法律の手続きの下で行われます。
(大師堂氏)それを「国家犯罪だ」というのは、戦争中の動員を国家犯罪だと言っていることと同じです>p五三〜五四

 井筒氏は朝鮮半島に駐留していた我国の軍隊をどのくらいと思っているのであろうか。また、日本人の警察官の占める割合はどのくらいと思っているのであろうか。
 行政官の占める日本人の割合をどのくらいと思っているのであろうか。
 朝鮮併合時の憲兵の数はたった二〇一九名であり、そのうち一〇一二名の憲兵補助員は朝鮮人であった。すなわち、悪名高い「憲兵警察」はたった一〇〇七名の日本人が朝鮮半島全土に散らばって配置されたのである。
 軍隊は朝鮮半島には二個師団しか駐留していなかった。
 併合して間も無い昭和七年でも常備団隊として配備されていたのは、第十九師団(羅南)、第二〇師団(龍山)のたった二個師団です。終戦時には関東軍の下にあり第一七方面軍朝鮮管区として上月良夫中将でした。(「別冊一億人の昭和史 日本陸軍史」毎日新聞社昭和五四年刊)
 この二個師団で朝鮮半島を納めていたのです。
 井筒氏は独立運動について
<一九一九年には二〇〇万人規模の独立運動も起きました>p一〇六
 と書きますが、その独立運動とやらの程度がこれで良くわかります。

 警察官においては、警務官→警視→警部→巡査→巡査補となっていたが、併合間も無い一九一〇年末における日本人と朝鮮人との割合は下記の通りであった。

?

警務部長

警務官

警視

警部

巡査

巡査補

合計

日本人

一三 

三〇

一六七

二〇五三

二二六五

朝鮮人

〇 

一四

一〇一

一八一

三一三一

三四二八

合計

一三

四四

二六八

二二三四

三一三一

五六九三


「歴史を偽造する韓国」中川八洋著徳間書店(中川氏は「総監府時代の財政」友邦協会p一二二より引用)

 つまり、上級職である警務官と警視の三割は朝鮮人であった。これは先の官吏について同じ事であるが、日本の朝鮮統治が「日本の警察による支配」といく批判が的外れであることを意味する。併合間も無い時期ですら警察幹部の三分の一が朝鮮人であり、その朝鮮人幹部の下に日本人警察官が警部、巡査をがついていた事がわかる。また、警察の末端だけが朝鮮人であったということも間違いである事がわかる。
 武断政治といわれている我国の朝鮮統治がウソである事が良くわかる。

 朝鮮には一三の道(県)があり、知事ポストの約四割が朝鮮人でした。(終戦時には五)
 例えば、江原道の知事ポストは李圭完から終戦時の孫永穆まですべて朝鮮人でした。一三道の日本統治時代の全知事総数一二五名のうち日本人知事は七六名、朝鮮人知事は四九名と39%が朝鮮人が占めていました。
ちなみに、知事に直結して朝鮮の民情をすくいあげ具申する任務の特殊副知事ともいうべき参与官は一三道すべてが朝鮮人でした。
 慶尚北道の一九三二年(昭和七年)一月現在の県知事は朝鮮人であり、四名の部長(内務部、産業部、財務部、警察部)のうち産業部長は朝鮮人。そして、四つの部にいた部長以外の日本人官吏は一九四名。つまり、三名の日本人部長もその他一九四名の日本人官吏も、朝鮮人知事に仕えていた。
 一九四〇年の朝鮮総督府における朝鮮人高級官吏の実態として
 内務局には局長以下三一名の高級官吏のうち三名が朝鮮人。財務局は局長以下一三名のうち一名が朝鮮人。学務局は局長以下19名のうち三名が朝鮮人であった。学務局の三名の朝鮮人高級官吏のうち一名は視学官という高官であった。
 その他の例として京城履審法院の一三名の判事のうち二名が朝鮮人、京城地方法院二八名の判事のうち三名が朝鮮人、京城地方法院検事局の検事一四名のうち一名が朝鮮人であった。
 学務局の最高ポストである学務局長として李軫鎬が一九二四年から二九年まで就いている。

 朝鮮半島における地方行政機構は、道知事の下に、日本の市にあたる府、日本の町と村にあたる邑と面、邑と面を統括する郡があった。一九一七年において、一四府、一二八郡、五一邑、二三七四面であった。済州島と鬱陵島のみ島庁をおき、島司を任命していた。この島司は郡守と同格であった。
 準・議会が道、府、邑にそれぞれあり、一九三一年(昭和六年)より府会、邑会、一九三三年(昭和八年)より道会といった。議長はそれぞれ道知事、府?(市長)、邑長が兼ねるために完全な三権分立的な議会でないが、議決機関であった。村にあたる面の面協議会は諮問機関であり、準々・議会といってもよいものであった。
 道会議員の三分の一の議員は官選、三分の二の議員は、府会、邑会、面協議会の議員が選挙した。道会議員の内訳は日本人が四分の一、朝鮮人が四分の三がおおむね基準であった。
 例えば、一九三二年における京幾道の道会議員三七名中、日本人は一〇名で朝鮮人が二七名であった。
 このように朝鮮半島における地方議員の多くは朝鮮人であり、朝鮮人対日本人というような多数決になれば日本人は敗れるしかなかった。
 郡守、邑長、面長は、ほぼすべて朝鮮人であった。(郡守、邑長にごくわずかの例外あり)
 朝鮮半島に移民してきた日本人は朝鮮人の郡守、邑長、面長の統治下にあったといってよい。
  このような状態で、強制連行が行う事ができたと思う方が狂っている。

 朝鮮半島における在日本人は特権というものが無かった。一九三七年より配給制と朝鮮半島もなってきたが、塩、砂糖などの配給で日本人と朝鮮人との差別はなかった。キムチのために朝鮮人に塩を多くし、日本人には砂糖を多くするなど公正な調整がされていた。
 配給の行列ですら日本人、朝鮮人の区別なく一緒に並んだ。(参考文献「歴史を偽造する韓国」中川八洋著徳間書店)
 
 井筒氏は参考文献には挙げていませんでしたが、在日朝鮮人のが強制連行について書いた著書の一つに「朝鮮人強制連行の記録」(朴慶植著 未来社 一九六五年第一刷)という本があります。
 当時、朝鮮学校教師であった著者により書かれていているウソ満載の本ですが、この本の与えた影響は小さくありません。 私の手元にあるのは未来社より一九七一年に発行されたものですが、六年間で一二刷となっています。
 この本には強制連行として一九三九年〜四五年と書かれています。一九三九年、昭和一四年はまだ大東亜戦争も始まっていません。
  
 今日は昨日と逆のような営業。開店早々に大阪よりのお客様Yさん久しぶりの来店。靖國神社に参拝されたそうな。仙台からIさんとHさん来店。遅れてHさんの上司の方来店。酔狂師さん来店。マロさん来店。
今日は早い時間からドンチャン。

まだまだ井筒(強制連行)
7月25日水曜日晴れ 
××
<在日コリアンは難民ではありません。日本が朝鮮を植民地支配して、たくさんの朝鮮人を日本に連れてきました。
略)
 朝鮮半島を植民地化するために軍隊と警察と役人を送り、それまで平和に暮らしていた朝鮮人たちを虐げ、やがて朝鮮人としての名前まで日本風のものに変えてしまう・・・。同じ民族であるにもかかわらず、やがて朝鮮半島は北と南に分断されてしまいます。>
p二六〜二七

<日本は一九一九〇年に朝鮮を植民地化しました。韓国併合という出来事です。植民地支配ですから、朝鮮にいた朝鮮人は、「あなたは今日から日本人ですよ」と宣告されました。支配というのは、そんなやさしいものではありません。朝鮮人としてのアイデンティティーを奪われたのです。
略)
 荒廃した朝鮮半島では食っていけない。そこで朝鮮を離れ、日本で生活の基盤をつくろうと、たくさんの朝鮮人が海を渡って日本に来ました。
略)
 その後、一九五二年に発効されたサンフランシスコ講和条約によって、在日コリアンは日本国籍を離れることが決まりました。ただ勝手に日本国籍にさせられた在日たちにとって、今度はまた勝手に日本国籍を奪われてしまう・・・つまり「外国人扱い」されてしまうことになったのです。>
p三〇〜三一

<日本が朝鮮半島を支配したとき、多くの朝鮮人が土地を奪われたり、労働力として日本に連れてこられたり、戦地に送りこまれたしました。支配される人にとっては情け容赦ないものです。>p六〇

<ただし自分の意志で日本に来たわけではありません。強制的に連れてこられた朝鮮人も数知れない。祖国・朝鮮から引きはがされるように日本に連れてこられ、再び家族の顔を見ることなく死んでいった朝鮮人がたくさんいるんです。
 この猛烈な人口増の裏には、とてもひと言では語りきれない事情が隠されています。でも現在の在日コリアンのことを知るためには、ぜひ学んでおかねばならない歴史があるんです。>
p九三

<突然トラックでさらわれて・・・・
 ある朝鮮人は、畑で仕事をしていたらトラックがやってきて、「おい、貴様、いいから乗れ」と命令されました。そのまま日本に連れてこられたりしたそうです。「いやだ」と反抗すれば、殴ってでも連れてきたんでしょう。「これは命令だ」と。それが強制連行のおそろしいところです。
 このようにして
日本に連れてこられた朝鮮人は、日本側の発表で約七〇万人とされていますが、朝鮮側の統計では一〇〇万人を軽く超えていると言われています。こんなに多くの人々が、朝鮮から日本に連れてこられたんです。>p六七

<一九四一年、大平洋戦争がはじまると、ますます日本本土で労働力が不足していきます。
略)
「官あっせん」というやり方でそうしました。
 このときも表向きは「募集」としていたのですが、じっさいは強制に近かった。その後、「徴用」と名目を変えてはいますが、じっさいは
暴力でねじふせて無理やり日本に連れてきた。これが「強制連行」です。>p一二一

<ある朝鮮人の青年は、田んぼで仕事をしていたら、日本の役人のトラックがやってきて、「おまえ、米なんか作っている場合じゃないぞ。いいから乗れ」って。徴用する名簿に名前が載っているんだとか言って、身支度もろくにさせず、家族や親に「行ってきます」も「さよなら」もいうひまも与えず連行されました。>p一二二

 いまどきこんな戯言というか在日朝鮮人がつくようなウソを信じる日本人がいるのでしょうか。井筒氏は参考文献にはあげていませんが、職業詐欺師の吉田清治の著書「朝鮮人私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」(三一書房 1983)に井筒氏の書くような場面が出てきます。
 
 井筒氏は、拉致されるようにして「嫌で嫌でしかたない日本」に連れてこられた朝鮮人が戦後帰国しないのはどうしてか不思議に思わないのでしょうか。
 犯罪国家である北朝鮮に拉致された我が国の同胞の皆様は二〇年たっても日本に帰国されました。朝鮮人はたった一年や二年、あるいは数年なのに生活基盤が本国(朝鮮半島)に無くなってしまったとでもいうのでしょうか。
 戦後もそして現代も続々と朝鮮人は日本に来ています。我が国で一番の不法滞在者は朝鮮人です。これも日本が悪いのでしょうか。
 井筒氏はこのような朝鮮人の行動についてどう思っているのでしょう。


 今日は河岸が休み。午後よりスポーツセンターに行く。
 体重が約三キロ減。ベンチプレスがきつい。六〇キロ×八、八〇キロ×二、九〇キロ×二、一〇〇キロ×八、一〇〇キロ×七、一〇〇キロ×六、九五×六、九〇キロ×八、八十キロ×一〇、八〇キロ×八、五〇キロ×八を五秒・五秒スローで。
 午後九時まで御来店なし。午後九時過ぎより、Sさん来店。金チャン、マロさん来店。Iさん二名様で来店。二名様来店。大台さん二名様で来店。
 カウンター満席。ドンチャン。記憶無し。

ひったくり
7月24日火曜日晴れ ○

 今日の産経新聞の記事で、南朝鮮人のアルバイトの女性が五〇〇万円入りのバックを引ったくりにあったとかいう記事が出ていました。
まず、インターネット版
http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070722/jkn070722001.htm
以下引用
< ひったくりで500万円被害 ミニバイクの男が逃走
 22日午前6時半ごろ、神戸市中央区加納町3丁目の路上で、ミニバイクの男が、タクシーを待っていた兵庫県加古川市の飲食店アルバイトの韓国人女性(35)から現金約500万円が入った手提げかばんをひったくり逃げた。女性にけがはない。生田署が窃盗事件として捜査している。
 調べでは、男は20歳ぐらい。ヘルメットはかぶらず、黒い服を着ていた。女性は同日、関西空港から帰国する予定で、アルバイトで稼いだ金を持ち歩いていたという。
 現場はJR三ノ宮駅の北約300メートルの繁華街の一角。

(2007/07/22 10:12)

 つづいて本日の産経新聞東京版
以下引用
< ひったくりで500万円被害 神戸、韓国人女性
 22日午前6時半ごろ、神戸市中央区加納町の路上で、兵庫県加古川市の飲食店アルバイトの韓国人女性(35)が、ミニバイクの男に、現金約500万円が入った手提げかばんをひったくられた。女性にけがはなかった。生田署が窃盗事件として捜査している。
 調べでは、被害にあった女性は3
年半前に来日。この日は約1週間の予定で帰国するため、アルバイトで稼いだ金を持ちあるき、関西国際空港に向かうタクシーを待っているところだったという。> 
引用終わり
産経新聞 平成一九年七月二四日東京一五版 二九面

 インターネット版には書かれていませんでしたが、この三五歳になる南朝鮮女性は来日して「三年半」、「アルバイト」で五〇〇万円をためた事になっています。そして一週間の予定で帰国ということはまた日本に入国してくるということです。就労ビザで来日していたのでしょうか??????
 この朝鮮人を入国管理法違反の可能性などはどうなのでしょう。学生アルバイトの場合は時間制限ありで許可されているように思いましたが、単なる飲食店アルバイトに三年半もの就労ビザが出るとは思えないが、どうなのでしょう。三年半もの滞在はどういうビザだったのでしょう。

 ちなみに、強制連行とか騒いでいる朝鮮人ですが、どういうわけか、我が国の不法滞在者で一番多いのは朝鮮人です。これも、戦後の強制連行でしょうか。

あほらし。

 今日は、先週と違って築地の魚は豊富。
 御予約いただいていたSさん四名様で来店。女性の方二名様来店。後でいらした女性の方は風邪っぴきの私の鼻が曲る程の強烈な香水の香り。後で、お客様が御来店いただきカウンターに並んで座ることになり、こういった鈍感女性にはっきりと注意すべきだったと後悔。女性二名、男性一名様のグループ来店。Sさん、龍星さん来店。

同一視
7月23日月曜日くもり一時雨 ○

 今朝は起きると当たり前な事ながら、背中などが筋肉痛。風邪で今日も体調最悪。運転免許の書き替えに都庁にいくつもりがその元気なし。

 今日の朝日新聞に例によって、<「原爆神話」」どう克服>と題された朝日新聞という反日新聞の体制をよく現している記事が掲載されていました。
以下引用
<▽米国にとっては、第二次世界大戦は日本に仕掛けられた戦争である。▽だから原爆は日本軍の真珠湾奇襲攻撃に対する報復として正当化できる。という理屈になる。一方、日本としては、戦争を始めた非はあるが、市民を無差別に殺した原爆の非人道性は許せないことだ。
 問題が複雑なのは、日本側にねじれがあるからだ。日本は平和条約で請求権を破棄したため、米国に賠償を求める事は出来ない。
略)
 むしろこれからは、無抵抗な市民に対する無差別攻撃として、歴史上の様々な爆撃や虐殺と同じ文脈でとらえる努力が求められている>

引用終わり 朝日新聞平成一九年七月二三日月曜日 第三面より

 米軍の「オレンジ計画」なども書かず、東京極東裁判において、インドのパル判事が主張した事も書かずに、当然、当時の世界情勢をいっさい書かずに「日本に仕掛けられた戦争」「日本としては、戦争を始めた非はある」と書く腐れ新聞。
 先日の平成一九年六月二八日の社説では「慰安婦決議?首相は深刻さを認識せよ 」と題された醜いものでした。
以下引用
<私たちは、首相の靖国神社参拝や慰安婦など歴史認識がからむ問題に、政治家が正面から取り組むべきだと主張してきた。戦前の行動や価値観を正当化するかのような言動は、日本の国際的な信用にもかかわることだからだ。
 それがこんな事態に立ち至ったことに、やりきれない思いである。日本がそんな国と見られているのかと思うと残念であり、恥ずかしい。>

 この文章に朝日新聞という売国奴新聞の正体がよく現れている。
 自分達が職業詐欺師の吉田清治の本を鵜呑みにして捏造報道を繰り返してきたことは間違っていないと肯定しているのです。
 原爆投下についても<日本側にねじれがあるからだ。日本は平和条約で請求権を破棄したため、米国に賠償を求める事は出来ない>と書くだけでなく<むしろこれからは、無抵抗な市民に対する無差別攻撃として、歴史上の様々な爆撃や虐殺と同じ文脈でとらえる努力が求められている>と書く。<歴史上の様々な爆撃や虐殺と同じ文脈でとらえる努力>とはどういう事でしょう。原爆投下と他の虐殺行為とを同じ文脈でとらえて、自称慰安婦、万人抗、南京虐殺、毒ガス破棄も認めろという事でしょうか。
 どちらも腐れ新聞の朝日新聞らしい社説と記事です。若宮氏が書いているのでしょうか。
 まあ、売国奴だらけの新聞社ですから、反日記事を書く人材は豊富でしょう。

「日本人でよかった」
7月22日日曜日くもり一時晴れ ○

 今朝起きると両肩の付け根が痛い。店を片付けてから、スポーツセンターに行く。今日は昨日できなかった背中、二等筋、下半身などの箇所のメニューを消化。最後に有酸素運動までの時間あり。
 スポーツセンターを出たところに、今回の選挙ポスターの掲示板。
 イエスサマとかいろいろあった中で、自民党の選挙に少なくとも数年はいっていないという丸川たまよ女史のポスター。

でっ、「日本人でよかった」・・・・・・・・・
あれれ・・・・
どっかで・・・
こんなとこがたまたま一緒でも・・・・
もう少しマトモな候補者と同じだったらよかったのに。

 しかし、松岡氏といい、赤城氏といい、この丸山氏といい、候補を選ぶための安部総理のブレーンは無能と脇の甘さ丸出。ただ、こういった事は産経新聞の黒田記者がコラムで南朝鮮大統領選における「道徳性」の検証における日本と朝鮮の比較論にて述べていたが、足の引っ張り合いということにおいては同様のように思う。
 「生活が第一」などという政党もあるが、ただ、国民に迎合するだけでいいのであろうか。北朝鮮における拉致、支那などに対する外交などもう少ししっかりした議論があってもいいと思うが。

 その外交において、黒田氏が同コラムにて「それにしても過去を中心とした相手の疑惑や弱点の執拗な追求、そして相手に対する「道徳性」の強調。何か連想しないか。そう、日韓関係における過去をネタにした韓国側の執拗な日本非難・追求に似ている?
 相手を非難することで民族心理として自ら優位に立とうとする。…………外交も同じなのだ。北朝鮮が毎日、日本非難ばかりやっているのもそうだ。韓国の政治文化はもちろん、韓国社会、韓国人そのものを知る上でも大統領選は実に興味深いイベントである」と記事に書いていることは南北朝鮮というものをよく書き表わしているように思う。
(産経新聞平成一九年七月二一日「緯度経度」黒田勝弘記者 )
 文中にあるイベントとは、テレビ放送までされた一九日に行われた党内検証として、李・朴両ハンナラ党大統領候補のの疑惑を追求する 「聴聞会」の事です。

 スポーツセンターから店に寄ってから部屋に帰る。風邪っぴきで調子悪し。飲まず。


まだまだ井筒(朝鮮学校・パスポート)
7月22日土曜日

<朝鮮学校(韓国系の民族学校もふくめて)の運営は、ほとんどが在日コリアンの同胞による寄付でまかなわれています。普通の日本の学校と違って、公的な補助金などは交付されていません。
略)
 しかし、それでも朝鮮学校を卒業して、国公立大学に入った在日コリアンもいました。でも驚きますよ。朝鮮学校に通いながら、普通の日本の通信高校でも勉強して、卒業資格を得るという努力をしてきた人たちです>
p三十六〜三八

 
これも事実と反することを平気で書くバカ。朝鮮学校が自治体から補助金を出してもらっているだけでなく、日本人一般家庭が私立学校に通わせるとすると出ない補助金である「外国人学校児童・生徒保護者補助金」などというわけのわからない者まで出すバカな地方自治体まである。(中野区の場合月額七五〇〇円です)
 井筒氏は、在日朝鮮人は外国人であり、朝鮮学校は「各種学校」であるのを理解できないのでしょうか。
 それだけでなく、大学の受験資格は、井筒氏が書くような「朝鮮学校に通いながら、普通の日本の通信高校でも勉強して、卒業資格を得る」というような事をしなくとも、高卒認定試験、前は大学入学資格検定(大検)といわれる資格試験に合格すれば、大学受験の権利は得られます。

 ましてや、在日朝鮮人は我が国の公立の小中高校に通う事ができます。

 まあ、公立の学校には自国民が飢えで何百万死のうと平気な「慈悲深い栄養満点の太った偉大な将軍様や大元帥様」の実物と似ても似つかぬ肖像画はございませんが。

参考→朝鮮学校の現実
入試にみる在日朝鮮人による逆差別
朝鮮高校の矛盾

 井筒氏のウソというかアホさを曝している記述はまだまだ続きます。

<在日コリアンたちは、日本で生まれ、日本のパスポートも持っています。でも、親の国籍が韓国(朝鮮のまま)だとわかった瞬間、アパートの貸し主が「それじゃあダメです」というのもおかしなことです>p四〇
 井筒氏はどこまでアホなのでしょうか。外国人である在日朝鮮人がいくら日本で生まれたからといって「日本のパスポート」を持っているはずはありません。
 浅川彰広氏は御自身の帰化する前の経験として下記のような記述があります。
<なお、オーストラリアへの出発前、大学から、大使館に「在留届」を提出するように指導を受けていた。これは、海外に三カ月間以上滞在する邦人に旅券法上義務付けられているもので、不測の事態が発生した場合、大使館はこの在留届けの情報を基に在留邦人の保護にあたる。法律上の義務はもちろんであるが、自らが在外公館による保護を求めるのであれが、当然行っていなければならない。この「在留届」は日本人を対象としたものだったが、大学から「在留届」を提出するように指導されていたことと、私自身、韓国語もできず、また何の関係も無い韓国大使館に保護を求めるわけにもいかないので、あえて本籍欄に国籍を記入した上で、日本大使館に「在留届」を郵送した。後日、日本大使館から電話あり、「日本人を対象としているので、受付できない」といった連絡があった。
 こうしたことからも、実質的に日本以外に頼る国も、住む国も無いにも拘わらず、日本国民でないという事実の深刻さを痛感せざるを得なかった。仮に紛争が起きた場合、日本大使館による保護を受ける権利は、原則的には当時の私には存在していなかったのである。日本国内では、こうした日本政府によるさまざまな権利や保護が、外国人であっても、「特別永住者」であることを前提に、当然の如くそれらを受けているのだが、一旦日本国外に出ると、こうした当然の現実に気づかされた。
略)
 帰化したことで最も効果的だったのは、公的な書類の入手で、たとえばパスポートを、旅券事務所で申請するだけで取得できることであった。
韓国籍の時は、さまざまな局面でパスポートの取得には制限があったが、そうした制限が一切なくなったのが、なんとも晴れやかであった>
「別冊正論EXTRA.02」P72

 あの朴一氏の所でも書いたが、在日朝鮮人の人が海外にかける時は、日本国のパスポートではなく、南朝鮮、北朝鮮のパスポートで出国する。南朝鮮の民団のホームページには「我々は大韓民国の憲法を守る」と書かれている。つまり在日朝鮮人はみな南北朝鮮(大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国)の国民であるはずです。彼らにとっての祖国とは南北朝鮮であり、我が国から出国する時にはその祖国の発給するパスポートを持って出国する。
 当然の事ながら、菊のパスポートは外国人である在日朝鮮人では持てないのである。そして、海外では南北朝鮮の大使館に保護を求めなければいけないのである。


 仕込みを終えてから、新宿スポーツセンターに行く途中に、本棚を買いたいのでドン・キホーテに寄るが、まだ営業再開していなかった。
 スポーツセンターでは胸部と三頭筋のみのメニューを消化。友酸素運動、腹筋、背筋などをやり帰る。
 初めてのお客様Dさん二名様で来店。Fさん来店。二名様来店。Wさん二名様で来店。遅い時間にHさん来店。


まだまだ井筒(朝鮮半島における土地調査)
7月20日金曜日くもり ○

土地を取りあげられて・・・
<朝鮮に乗り込んできた日本人は「合法的」に土地を奪っていきます。>p一〇六
<「じゃあ、あなたはいついつまでに、土地の広さに応じた税金をいくら払ってください。払えないなら土地を手放してください」という。
 このようにして朝鮮人の土地を取り上げていきます。所有権がはっきりしない土地は取り上げられ、日本人の地主や、植民地を開発する会社(もちろん会社)に取りあげられ、日本人の地主や、植民地を開発する会社(もちろん日本の会社)に譲渡されました。こうして朝鮮人の土地は日本の国土になっていったんです。これが生々しい植民地化のプロセスです。>
p一〇七
<当時、朝鮮人の人口のうち八割が農民だったそうです。多くの人が農地を奪われました。それでも畑を耕して食っていかなくてはならない人々は、小作農になりました。日本人の地主に、小作料を払わなければなりません。出来高の何割かをもっていかれます。これでは生活できない・・・と、農地を離れ都会に職を求める人々があふれました。
生きるために祖国を捨てる
 しかし、都会に出てきたところで、仕事なんかありません。生活に困るわけです。ではどうするか。朝鮮にいてもしょうがないから、いっそのこと日本に行こうじゃあないかということになるんです。
略)
 たくさんの朝鮮人が日本を目指したんです。日本に行かざるを得なかったというのが本当でしょう>
p一〇八〜一〇九

これもウソばかりを並べています。
参考→
土地調査事業
李朝時代の土地制度
米の収奪のウソ
朝鮮の餓死者と強盗数の変化
我が国の朝鮮統治と小作農家
南朝鮮の土地測量事業とウソ
朝鮮における土地政策(農地改良)

 自称「歴史に詳しい」井筒ダイカントクどうしたのでしょう。
 アホ過ぎる。
 Yさん二名様で来店。一名様来店。二名様来店。
 今日は常連さんがいらっしゃらないという珍しい一日。



放言?
7月19日木曜日くもり ×××

 今日、発売の「週刊文春」(七月二六日号)の記事で、麻生太郎外相について
「過去にも『創氏改名は朝鮮人が望んだ』などの数々の放言を繰り返し、物議を醸してきた麻生氏。」P153
書いてある。

 麻生氏の発言の「創氏改名は朝鮮人が望んだ」というこれのどこが「放言」になるのであろうか。
 この週刊誌が放言という麻生氏
の発言とは平成一五年五月三一日の東大における講演会においての質疑応答において「中国や韓国と外交をするうえで、歴史問題をどうすればいいと思うか。」という質問に答えた中にでてきたものです。
麻生氏のその答えとは
<歴史認識を一緒にしようといっても、隣の国と一緒になるわけがない。
たとえば朝鮮人の創氏改名の話。日本が満州国をやる前に創氏改名の話が出たことは一回もない。しかし、当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと名前のところにキンとかアンとか書いてあり、「朝鮮人だな」と言われた。
仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ。
 これを韓国でやりあったら灰皿が飛んできた。
そのときに「若い者じゃ話にならない、年寄りを呼んでこい」と言ったら、おじいさんが現れて「あなたのおっしゃる通りです」と。
ついでに、「ハングル文字は日本人が教えた。うちは平仮名を開発したが、おたくらにそういう言葉はないのか、と言ってハングル文字が出てきた」と言ったらもっとすごい騒ぎになった。
その時もそのおじいさんが「よく勉強しておられる。あなたのおっしゃる通りです」と言って、その場は収まった。
やっぱり、きちんと正しいことは歴史的事実として述べた方がいい。>

 放言とは他への影響などを考えずに、思ったままを口に出すこと。無責任な発言という意味だそうである。この発言のどこが無責任な発言なのだろうか。他への影響とはどういう意味なのであろうか。朝鮮人のいうウソを日本人は黙って聞いていろということなのであろうか。
この麻生氏の発言を放言と書くバカ週刊誌は何処の国の週刊誌なのだろう。

 今でも多くの在日朝鮮人が通名という偽名を名乗って平気で我が国で暮らしている事はどう説明するのだろう。

 河岸からの帰りに築地本願寺側の交差点で、反対側から来たKさんと遭遇。昼食を食べようということになり、もう一度Uターン。場外の初めて入る定食屋さんで「ギンムツの煮付け定食」。Kさんは朝早くから顧問先を三件もまわって忙しかったよう。
Kさんごちそうさまでした。

 予約も無いから今日もヒマだろうなと思っていたら、Yさん三名様で来店。Mさん来店。マルガリータさん来店。マロさん来店。Mさんの御友人Uさん合流。Kさん三名様で来店。後で一名様合流。
ドンチャン。記憶無し・・・・

まだまだ続く井筒(朝鮮人と志願兵)
7月18日水曜日曇りのち雨

 井筒氏の著書よりの引用です。
以下引用
一九四三年になると、朝鮮で徴兵制が施行されました。もうこれは強制連行していいよ、ということです。ハードなやり口で、朝鮮から人間を集めては労働の現場に送り込んでいきました。>p六七

<一九三八年から陸軍特別志願兵令というのが出ていて、朝鮮人の青年に対して志願兵になるように募集はしていましたが、日本人として日本のお国のために戦いますなんという朝鮮人は、よほど珍しかんたんじゃないですか。お金のためにしようがなくとか、そういう人はいたでしょうけど。それがもう一九四四年には強制的に徴兵ですから。>P一二七
引用終わり

 こいつはホンマのアホです。
下記のデーターをどう見るのでしょう。
朝鮮人陸軍特別志願兵の朝鮮人志願状況
? 採用数 応募者 倍率
昭和一三年

四〇六

二、九四六名

七・七

昭和一四年

六一三

一二、三四八名

二〇・一

昭和一五年

三、〇六〇

八四、四四三名

二七・六

昭和一六年

三、二〇八

一四四、七四三名

四五・一

昭和一七年

四、〇七七

二五四、二七三名

六二・四

引用「日韓共鳴二千年史」名越二荒乃助編著P四三六、四四〇

 自称「歴史に詳しい」はずの井筒氏は「日本人として日本のお国のために戦いますなんという朝鮮人は、よほど珍しかんたんじゃないですか。」と書くが、この事実をどのようにみるのであろうか。圧倒的志願数である。
 「歴史に詳しい」はずの井筒氏がどうしたのでしょう。
 その歴史に詳しいはずの井筒氏が朝鮮半島における徴兵制を「一九四三年になると、朝鮮で徴兵制が施行・・人間を集めては労働の現場に送り込んで」P六七と書いたり、「一九四四年には強制的に徴兵ですから。」P一二七と書いたりしています。
この人は徴兵の意味を理解しているんでしょうか?

 ましてや「労働の現場」って、あんたそりゃ、徴用?

 朝鮮半島・台湾における陸軍特別志願兵制は昭和一三年四月、海軍特別志願兵制は昭和一八年五月に実施されていますが、朝鮮半島における徴兵制は昭和一七年五月に発表されたが、実施は昭和一九年四月、つまり一九四四年です。

 名越氏の著書「日韓共鳴二千年史」には、その朝鮮の志願兵の事も掲載されている。
以下引用
 朝鮮総督府情報課が編纂した「新しき朝鮮」には、志願兵李仁錫上等兵(昭和一四年三月二二日戦死)の逸話が掲載されている。
略)
 これが最初の朝鮮人志願兵の戦死を伝える記事である。彼は第十一軍(岡村寧次中将指揮)による南昌攻略「仁号作戦」における日本軍戦死者五〇〇余名のうちの一人と推定される。
 昭和一八年一〇月二〇日、「昭和一八年度陸軍特別志願兵臨時採用規則」(陸軍省令第四八号)による「中等学校卒業程度ヲ入学資格トスル修業年限二年以上ノ学校ニ在学スル者」の志願兵制度が施行された。
 これによる朝鮮出身者の学徒兵最初の戦死者は、佐賀高等学校を卒業し、京都帝国大学法科に進み、一回生で志願して、昭和一九年一月二〇日入隊、北支で鉄道警備に当たっている際に敵と交戦、戦死した光山昌秀上等兵である。彼は戦死後、二階級特進とされているので、戦死時は二等兵であった。それでも時の小磯国昭朝鮮総督府総監は、自ら光山家に出向き霊前で合掌したと報じられている。残念ながら彼の本名、詳しい戦死日時、場所は不明である。
 これ以後も、昭和一八年に朝鮮総督府陸軍志願兵訓練所で四カ月の訓練を受け、翌一九年一二月一四日、ビルマ戦線で爆雷を抱いて敵陣地に突入し、戦死を遂げた朴村官彬上等兵が、個人感状の光栄に欲した事などがハングル文字の新聞に大きく報道されている。
略)
 イワラジ河畔の都市バーモにおいて三〇倍もの重慶政府のインド遠征軍に包囲された原支隊(原好三大佐指揮)が、第四九師団「狼」と第五六師団「龍」の精鋭三〇〇〇名とによって救出された際の「狼」師団の歩兵であったと推測される。
引用終わり
「日韓共鳴二千年史」P四四一

 このように多くの朝鮮の人たちも日本人として立派に祖国を守るために戦ったのです。
その中には、朝鮮人最初の金鵄勲章を賜った金錫源大佐(朝鮮名のまま)、特攻隊として散華された朝鮮人の方々など二四万二千三百二十一人もの朝鮮の方々が大東亜戦争中に、軍人および軍属として戦い、二万二千百八十二人の方が戦死、戦病死されました。当時は日本ではあったとはいえ、台湾の方々ともに戦い、尊い犠牲を払ってくださったのです。
 それを、井筒氏のように「日本人として日本のお国のために戦いますなんという朝鮮人は、よほど珍しかんたんじゃないですか。お金のためにしようがなくとか、そういう人はいたでしょうけど。」と書くことはこのような先人の行動をも歪め、辱めていることになるのです。
 ちなみに、先に書いたように朝鮮半島における徴兵制実施は昭和一九年であり、訓練中に終戦となり、朝鮮半島の徴兵制による兵士はほとんど戦場には行っていない。
 
 河岸から帰ってきて、仕込みを終えてから高田馬場にあるスポーツセンターに行く。今日は時間が無いので、一通り軽めメニューで消化。

 Dさん三名様で来店。Sさん来店。初めてのお客様Tさん二名様で来店。
 今日は早く寝る。

まだまだ井筒(公務員と朝鮮人)
7月17日火曜日くもりのち雨 ×

 井筒氏の著書より
 
<サンフランシスコ講和条約の発効後、それまで朝鮮出身で日本の公務員の仕事をしていた人たちが、職を失ってしまうということもありました。日本国籍でないと公務員の仕事に就けなかったので、日本国籍を失ったことによって、朝鮮出身者は公務員の仕事をクビになってしまった。もしくは職を辞するしかなかった。
 公務員になるには、日本人としてあらためて「帰化」する必要がありました。でも、そんなに急に言われても無理だったのです。事実上、公務員の仕事から旧植民地の出身者を追い出すようなことがあったわけですから。>
p三四〜三五

 これについては、自身も帰化した朝鮮系日本人として生きている浅川彰広氏(名古屋大学専任講師)が「月刊正論」二〇〇七年八月号に井筒氏の記述は史実に反すると下記のように書いています。
以下引用
 井筒氏は、「公務員になるためには、日本人としてあらためて』帰化』する必要がありました。でも、そんなに急に言われても無理だったのです。事実上、公務員の仕事から旧植民地の出身者を追い出すようなことがあったわけですから。」として、フィクションの世界で勝手にその理由を捏造しているのだが、まさに「そんな急に言われても」を可能にしたのが歴史的事実である。
 略)
 韓国政府との合意の上で「在日」の国籍喪失処置が確定的となった段階で、当時日本政府は現職の朝鮮出身公務員に対して、申請書の添付書類として単に「申請者の所属する部局長の証明をもって足りる」とする簡便な手続きによって講和条約発効と同時に、帰化を許可し、就労が継続できる配慮をしていたのである。実際にこの処置によって、一九五二年四月二八日付けで、朝鮮出身者五二名を含む合計七一名の帰化が許可されている。
引用終わり
 
 井筒氏の書く「そんなに急に言われても無理だったのです。事実上、公務員の仕事から旧植民地の出身者を追い出すようなことがあったわけですから。」というのが大ウソという事がよくわかります。
 ましてや国籍を強制的に奪われたわけではない。
参考→
在日朝鮮人のつく大嘘「日本国籍を強制的に収奪された」

在日朝鮮人の選挙権については
 
<在日コリアンには「選挙権」がありません。それは、自分たちの仲間の代表を自分たちで選ぶことができないということです。つまり在日コリアンとしての権利、財産、誇りを守る手段をひとつ失っているということです。
選挙権がないなんていうことが、いまだにあるのは差別です>P二八
、<日本で暮らしているのですから税金は納めているわけです。でも日本の政治には参加できない>
P三四
何度も書きますが、外国人の納税と選挙権は関係ありません。
参考→
在日朝鮮人と参政権


 河岸に行くが、流石に今日は入荷が少ないので品物は薄く高い。鯖と活けイカは結局諦める。活けタコ、白身は活けの真子鰈、塩水ウニ、鮪のみ購入。
 Yさん来店。Yさん来店。遅い時間にKさん来店。
早い時間からドンチャン。


まだまだ井筒(南北分断)
7月16日月曜日晴れ

 井筒和幸氏の「民族の壁どついたる!」というこの本は「14才の世渡り術」というシリーズの中の一冊であるが、井筒氏は南北分断について下記のように書く。
以下引用
<どんな歴史があったにせよ、第二次世界大戦が終わるまで朝鮮半島を日本が支配していた。そのことが南北朝鮮に分断してしまう原因だということは間違いありません。それは覚えておいたほうがいい。
 日本の植民地支配さえなければ、南北分断はなかったし、北朝鮮という現在では特異な国家体制の国が存在することもなかったのかもしれません。 
 ごく簡単な言い方をしてしまいますが、韓国の人も、北朝鮮の人も、基本的には日本さえ朝鮮半島にやって来なければ、こんなことにはならなかったと思っているはずなんです。>
p五九〜六〇

<こんなことになってしまったのも、もとをたどれば日本による朝鮮の植民地支配です。その後始末をしていく過程で、アメリカとソ連がやってきて、中国も加わり泥沼の朝鮮戦争になっていったわけですから。日本が朝鮮半島を植民地にしなければ、朝鮮半島が分断されることもなかったはずなのです。>P一四一

 何と、南北朝鮮の分断は我国のせいだそうです。
 普通に考えれば、我国が統治しなければ、朝鮮は糞塗れの世界最貧国として支那の奴隷国家のままであったか、ロシアに蹂躙されていたかわかりませんが、今のような発展は無かったのは確かでしょう。
 ロシア領に住んでいた朝鮮人は強制移住させられ、民族教育が禁止され朝鮮語も喋れなくなっている。

 金沢工業大学がロボコン世界大会の日本代表になったそうな。がんばってきてほしいものだ。私の場合は、大学に行くより能登穴水にある合宿所にいる時間の方が長かったように思うが・・・・

 アメリカのカトリックの腐れ神父どもが一九四〇年代より児童に性的虐待をしていた事に対して、和解金八〇〇億円を払う事になったそうな。八〇〇億ったって、信者より巻き上げた金だろうに。

 朝、一〇時過ぎの地震では私の部屋も結構揺れました。
 貝原俊民氏が県知事だった阪神・淡路大震災の時と違って、自衛隊の出動が早くなっているような。貝原は自衛隊の出動すら要請していない。それでも「最善の対処」と偉そうなことをホザいている赤い政治家。
 首相が遊説先からヘリコプターで帰るのに、直接首相官邸に発着できないとは。確か六本木の米軍施設でさえヘリコプターの発着施設があったと思ったが。
 柏崎市の被害が酷いようである。

 今日は食事に出かけた以外は一日中部屋にいて本を読んだりしてゴロゴロしていた。ある意味至福の時間。



まだまだ井筒(拉致問題と戦後補償)
7月15日日曜日雨(台風)○

 井筒氏はその著書で北朝鮮による国家犯罪である日本国民の拉致と我国の朝鮮統治を同列に書いている。
以下引用
 <北朝鮮政府は、日本が拉致問題を持ち出すと、「戦後補償の問題が先である」という趣旨の発言を繰り返しています。これ、みなさん何のことを言っているかわかりますか。
略)
 しかし、北朝鮮に対してはどうだったのか。北朝鮮は簡単に言うと、こう思っています。「日本は何も戦争の責任を果たしていない。賠償しろ」>
p六二〜六三

 <もし日本と北朝鮮が国交を結ぶことになると、どうなるでしょうか。「日朝国交正常化」というキーワードで報道されているのがそれです。日朝(日本と北朝鮮)の国交が正常化(つまりほかの国と同じように国交ができること)するとは、そこから日本の「戦後補償」がはじまるということになります。北朝鮮にしてみたら、今まで払ってくれていない分を支払ってよ、ということです。>p六四

 <話がそれましたが、拉致被害者の問題について、拉致した娘を返せ!そうさけんでいる。確かに拉致などは許されることではないと思います。
 ただ、一〇〇年前を振り返り、日本と朝鮮の歴史の流れでみるとどうか。
 一〇〇年前の日本が朝鮮半島を支配して以来、朝鮮半島を支配して以来、朝鮮人を強制的に日本に連れてきて労働力としてこきつかったり、日本人として徴兵して戦地に送り込んだという過去があります。
 在日コリアンの一世にあたる人たちは、こういった歴史的背景の中で日本に連れて来られた人たちなんですよ。「徴用」という名目で強制連行され、日本人がやらないような厳しい仕事に使われた。>
p六五〜六六

 <戦後補償というのは日本が戦時中にやっていた、今となっては非人道的な行いについてもなされるものです。先ほど書いたように北朝鮮と日本には国交がありません。国交もないのですから補償のしようもないのです。北朝鮮にしてみたら、「話はまだ済んでいませんよ」ということになる。
「あなたたち日本人は、朝鮮の人間にひどいことをしてきたじゃないですか。その責任を果たしてからものを言ったらどうなんですか」ということです。あちらから見れば、「拉致問題?それは戦後補償の話がついてからですよ」となるわけです。>
p六八〜六九

 <国交もない中で拉致問題を突きつけても、あっちの人は何とも思わないですよ。それより、北朝鮮は日本に対して「いまだに戦後の補償問題が済んでいない」と訴えている。このままでは拉致問題を解決するのが難しいんですよ。
何よりも、まずは国交正常化だと思います。>P
一四七


 まるで、
「北が日本人女性を拉致したというのはウソだと思う。工作員教育係なら在日同胞を使えばすむからだ。もし、仮に北が日本人を拉致したとしても日本人は批判できるだろうか。
 戦争中、膨大な数の朝鮮人を国家の名の下に拉致した歴史的な事実がある。いまなぜ日本に多くの朝鮮人がいるか考えてみてほしい。自国の歴史を忘れた発言が多すぎる」と書いた辛淑玉(一九八八年二月二六日付「朝日ジャーナル」p二三〜二四)や、
朝日新聞が昭和六二年の北朝鮮による大韓航空爆破テロについて「こうした事件の背景には、米ソ冷戦が生んだ朝鮮半島の分断と対立の歴史があり、それによって不信と憎しみが増幅されてきたことを忘れてはなるまい」(一月一六日)と書き、その後も平成四年一一月に行われた第八回日朝国交正常化交渉で、日本側が李恩恵とされた田口八重子さんの問題を交渉テーブルに乗せることを前回交渉に続いて提言したことに対して北朝鮮側が激怒して席を蹴ったことについて、「日本は戦前の加害者としての反省に立ち、経済再建を積極的に支援する視点を忘れてはなるまい」(一一月八日)と社説で書いたのと同じである。
 ちなみに、朝日新聞は拉致が明らかになった平成一四年九月一八日の社説でも「拉致問題が極めて重大なことは言うまでもないが、それを理由に北朝鮮制裁などで、正常化交渉の窓口を閉ざすべきではない」と書き、第一面では木村伊量政治部長の文章で(拉致は)「その本質は国家犯罪以外の何ものでもあるまい」としながら「けれども、冷静さを失っては歴史は後戻りするだけである。いかなる意味でも拉致は正当化できないが、そもそも日朝の不正常な関係は、北朝鮮ができる前、戦前、戦中の三五年間にわたる日本による朝鮮半島の植民地支配に始まる」「日朝二国間の不正常な関係が生んだ悲劇だと思う」「どの国も『譜の歴史』を負っている。過去の日本がそうなら、北朝鮮もそうである」と書いている。日本の朝鮮半島統治と北朝鮮による日本国民の拉致を同じ位置に置いているのである。
 似たもの同士である。

 台風ということで、店を片付けてスポーツセンターにも行かないでさっさと帰宅。

7月14日土曜日雨 ×
 台風が近付いているのでヒマだろうと思っていたら、Hさんお姉さんと来店。MaxさんYさんというスポーツセンターのお知り合いと来店。Maxさんは今度静岡のトライアスロンに出場するそうな。
 K@ソウルさん来店。初めてのお客様御夫妻で川崎から来店。
 ドンチャン。

7月13日金曜日曇り一時雨 ×
 河岸に行くと、あっちこっちで「酒くせ〜」・・・・・今日、私と一緒に地下鉄に乗り合わせた人、ごめんなさい。

 どういうわけか大忙し。
 バンブーさん来店。江上さんSさん御夫妻と来店。Kさん六名様で来店。しみずさん来店。ふじなみさん来店。わ。さん来店。「お誕生日おめでとうと」う〜むこの年になると・・・Iさん二名様で来店。
遅い時間に金チャン、RIEちゃん、マロさん来店。お誕生日祝いとして駆逐艦「雪風」の立派なプラモデル。完成はいつになるのだろう。Tさん来店。
でっ、遅くまでドンチャン。



大笑い気狂い新聞
7月12日木曜日くもり一時雨 ×

 本日、築地で配られていたあの気狂い新聞聖教新聞の本日の四面の見出し。
「選挙を汚す輩は許さぬ」「違法行為は見つけ次第に告訴・告発」・・・・・
内容は、
以下引用
 
谷川 それにしても、この時期になると、選挙違反するやつ、選挙狙いで謀略を仕掛けるやつ、選挙を汚す輩が必ずでてくるものだ。
 原田 これまでも学会も、また、われわれが支援する公明党も、違反行為をおかした連中には厳重、厳正に対処してきた。
 後藤 その通りだ。あまりにも悪辣、卑劣な事件が多かったな!

引用終わり

 それぞれ、谷川氏は副会長、原田氏は会長、後藤氏は関東青年部長だそうです。

 ちなみに、本日の第一面は珍しく池田大作ダイセンセイの記事では無く「千葉に松戸講堂を建設」というもので、その下のまん中あたりに「絶対無事故・無違反の支援活動を」と正木理事長という人の談話を掲載している。
 これって、洒落でっか。まさに、天に唾するってことじゃあないでしょうか。
 最近も創価学会は税金ゼロの創価学会の会館で公明党への投票練習をやり、それを六月二五日の朝日新聞の「声」欄に「信仰の場で選挙活動とは」と題された投書が実名で掲載されたばかりです。(週刊新潮が「たまには朝日新聞もいいことやる」と記事にしていたのには大受け)
 あのバカの元公明党・
福本潤一議員も週刊現代で創価学会の政教一致ぶりを伝えています。
 インターネットでも「創価学会 選挙違反」で検索すると山ほど出てきます。

 面の皮の厚い気狂いどもには何を言っても無駄なのでしょう。

 第一面の記事<学会本部では、公明党からの比例区選挙への支持依頼に対し、中央社会協議会を開いて検討・協議し、創価学会として公明党を支持する事を決定している>って、今さらなんざんしょ。 
 あほらし。

 HIROKOさん来店。マロさん来店。
 マロさんと遅くまでドンチャン。

まだまだ続くアホの井筒編
7月11日水曜日雨のちくもり ×

 創氏改名についての井筒氏の無知ぶり
以下井筒氏の著書「民族の壁どついたる!」よりの引用
<軍国化が進み、植民地支配が徹底されていく中で、朝鮮人たちを日本人化していこうとしました。さらに一九三九年に「創氏改名」という布告がだされて、朝鮮人は日本風の名前に改めるようにいわば義務づけられたんです。
 朝鮮人は昔から家族の系譜(族譜)を大切にする民族です。結婚しても姓名は変わりませんし、子供に名前をつけるときも、一〇〇年単位で家族の系譜をさかのぼり、親族のあいだで慎重に協議するわけです。
どんな人でも一〇〇〇年ぐらい昔の家系がわかっているらしいですよ。>p四七〜四八

<この流れで一九四〇年には「創氏改名」がはじまります。徴兵するためには、人間の管理をきちんとしなければならない。「朴」とか「李」とか「洪」という同じ朝鮮の姓名では管理しにくいから、名前を変えて日本人と同化させようとしたんです。
氏名を創るから「創氏」といった。これを義務化したんです。
強制的に姓名を変えさせられたんです。日本人化計画が始まるのです。
 ところが朝鮮には「族譜」というものがあって、父系を中心として血縁関係を図にした家系図を各個人が持っているような民族です。それくらいの
長い長い歴史を受け継いでいる、つまり名前というものを大切にしている。
 そういう人々に対して「管理上めんどくさいから名前を変えろ」と急に命じたわけです。日本人が朝鮮人を都合よく管理するためですよ。>
p一一八

 井筒氏のウソというか無知というかアホというか、頭の悪さからかメチャメチャを書いています。
 以前書いたことがあるように確かに創氏改名は、朝鮮民族に対しての天下の愚作ともいわれるべきものであると思う。しかし、それと日本名を強制したかというのは別のものです。(不思議と、今でも強制されなくても偽名であるはずの日本名を堂々と名乗っている在日朝鮮人が多い)
 朝鮮人の「姓」とはあくまで男系の血統をあらわすものであり、夫婦別姓です。「金」家に「李」家から嫁いだ場合、女性は「李」のままを名乗り、生まれた子供の姓は「金」となります。女性には家族の名前が無かった。そこで、家族単位の称号を「氏」として新たに創り、日本国の民法上の整合性を図ろうとした。そのため、創氏は強制であったが、朝鮮人の「姓」を奪うものでは無く、それとは別に、あらたに日本式の氏を持たせるものです。つまり、朝鮮人は男系のみをしるした族譜による「姓」と日本風の戸籍の「氏」の両方を持っていたのです。
 井筒氏が書くように<朝鮮人は日本風の名前に改めるようにいわば義務づけられた>ということは絶対に無かった。届けを出して「氏」を日本式にするか、そのままの「法定創氏」とするかは自由であった。二割がそのままの「金」「朴」といった姓を氏として使った。
 有名な洪思翊将軍などはそのよい例ですし、衆議院議員までなった朴春琴、貴族議員の尹徳栄も日本名では無い。終戦時には朝鮮半島の一三の道のうち五人が朝鮮人であったが、その五人の朝鮮人道知事のうち二人が朝鮮式の姓のままであった。
 その二人の国会議員も創氏改名には反対していない。
 本当に朝鮮人が創氏改名に反対であれば、朝鮮人の国会議員が二人もいるのであるからそれを阻止することは容易かったはずです。そもそも、警察も創氏改名には反対していたのです。
 朝鮮総督府道警察部長であった坪井幸生氏によると、創氏改名について下記のように述べています。
「警察は反対的でした。この制度が始まった時の警察局長は三橋孝一郎という人でした。その三橋さんが局長会議で創氏改名に反対したそうです。警察の立場からすれば、朝鮮人は朝鮮人の名前のままにしておいてもらったほうが都合がいいわけです。朝鮮人か日本人か分からなくなってしまっては、第一線の仕事がやりにくくなる面があります。そういった事情もあって、警察は創氏改名を推奨する立場をとらなかったのですが、当然のことです」
(「月刊正論」平成一五年八月号より)

 ましてや、<徴兵するためには、人間の管理をきちんとしなければならない。「朴」とか「李」とか「洪」という同じ朝鮮の姓名では管理しにくいから>ということも無かった。二割の朝鮮の人がそのままの名前であったのだから。
 因に北朝鮮では「族譜」の全面破棄を断行している。これは日本統治時代の間はその「族譜」が存続していた証明にもなる。

 後、<どんな人でも一〇〇〇年ぐらい昔の家系がわかっている>と書いているが、朝鮮人は古代は「阿直岐」「興首」「階伯」などという名前であったことが古事記、日本書紀などでわかる。それが、高麗朝(九三六〜一三九二)のころには支那から手柄のあったものが支那風の名前を賜った。それを後生大事に有り難がった。その後、モンゴル人の国である元が中華帝国の主となればモンゴル風の名前に国王みずから改名し、漢民族の明が中華帝国の主となれば支那風の名前にもどした。
 しかし、下層階級の人間には「姓」がなかった。我が国でも明治八年にやっとすべての国民が「氏」を持つ事が定められました。朝鮮は李朝末期でさえ約半分が奴隷という国です。奴隷に姓などあるはずがありません。我が国が統治するようになり、すべての朝鮮人が初めて姓を持つようになったのです。
 井筒氏が書いているように本当に朝鮮人の皆が皆一〇〇〇年前までの家系がわかるのであれば、朝鮮人とは当然そのように名前までも事大して生きてきた民族であり、朝鮮人達が言うように名前に思い入れが強い民族では無いことがわかるはずである。
なにしろ、コロコロ名前がかわっているのだから。

あほらし。

 Kさん秘書の人と来店。マルガリータさん来店。Hさん二名様で来店。東京ドームでタイガースが勝った試合後、御機嫌でIさん二名様で来店。奥様がおめでただそうで、お祝でドンチャン。

私一人
7月10日火曜日雨 ×

 気狂い新聞といわれている聖教新聞に先週の金曜日に「世界桂冠詩人」である池田大作ダイセンセイの「詩みたいなもの」が見開き二ページを使って掲載されていた。あくまで「詩みたいなもの」です。
その長文の「詩みたいなもの」の一部引用です。
以下引用
我が人生の栄光を謳う
正義と真実の師弟の道   山本 伸一
略)
陰険にして悪辣な
妬みと僻みに狂った輩は
偉大なる功績の牧口先生
さらにまた戸田先生
そして
私を
捻じ曲げて攻撃した。

略)
初代会長・牧口先生と
二代会長・戸田先生は
そうであられた。
皆がご存じの通りだ。

戸田先生と弟子の私も
同じ方程式であった。
師弟一体で戦い
師弟一体で苦しみ
師弟一体で勝ち抜き
師弟一体で今日(こんにち)まで
勝ちまくってきたのだ。
略)
偉大な広宣流布の師匠
戸田城聖先生の
最も優れた弟子は
私一人であった。

略)
正義と真実の
師弟不二の私は
永遠なる勝利へ
永遠なる栄光へ
永遠なる完勝へと
戦い続けていくのだ。
広宣流布のために!

略)
素晴らしき人生を
生き抜くのだ。
幸福も 歓喜も
平和も 慈悲も
その中に
厳として輝いているのだ。
略)
 二〇〇七年七月三日  学会本部・師弟会館にて 
世界桂冠詩人
引用終わり
 つまり、世の中の輩は誹謗中傷をしてきた。初代会長は二代会長、二代め会長と池田大作ダイセンセイの関係は同じ。「最も優れた弟子は私一人であった」。まあ、普通は自分では中々こうは言えません。面の皮の厚い世界桂冠詩人である池田大作ダイセンセイだからこそのお言葉でございます。
そして、布教活動をしていけば、幸せが来ると言っているのです。流石は現世主義の腐れ創価学会です。

ところで、どうしてその優れた弟子の池田大作ダイセンセイの優れたお弟子さんの名前として四代会長がでてこないのでしょうか?池田大作ダイセンセイの後の方のお名前が出てこないのはどうしてでしょうか??????

あほらし。
惚けてるとしか思えん。


 Iさん三名様で来店。今年の一〇月に、この前にお連れ頂いた方と御結婚されるそうな。おめでとうございます。
 K@相模原さん来店。Tさん二名様で来店。
 明日が河岸が休みということもあり、ドンチャン。

30人?15分?
7月9日月曜日曇り○
 下記のようなある意味ビックなニュースがありました。
以下引用
 
盧溝橋で「反日行進」=事件から70年、30人参加?中国
7月7日13時0分配信?時事通信
 【北京7日時事】日中戦争の発端となった盧溝橋事件から70年を迎えた7日午前、北京市郊外の盧溝橋で
約30人の反日・愛国活動家らがこれに合わせた行進を行った。
 行進に参加したのは「中国民間保釣(尖閣諸島防衛)連合会」「愛国者同盟網」の活動家ら。
約30人は盧溝橋付近にある抗日戦争時の将軍の墓に集合し、黙とうをささげた後、旧日本軍による従軍慰安婦問題や遺棄化学兵器などについて記したポスターを手に持ち、約15分間にわたり行進を続けた。行進中にはラッパで中国国歌を演奏する場面もあった。 
引用終わり

 「約三〇人」「約一五分間」にわたり行進を続けた?????

「約三〇人」が「約一五分間にわたり行進」・・・・・・・
 これって、わざわざニュースにするようなことなのでしょうか。たった30人が、たった15分間・・・・・時事通信ってのは、よっぽどニュースがないのでしょうか?
まあ、時事通信ってのは、ワシントンで慰安婦問題での「抗議集会」を開いた韓国系団体をあえて「米国市民団体」と書いていましたから、こういった事はよほどうれしいのでしょう。

三〇人ぐらいだったら手抜きせずに正確に人数を数えて報道してほしいものです。二九人とか二八人とかW

 あほらし。

 今日は食事に出た以外は一日部屋にいてゴロゴロしていました。


井筒和幸というアホ(まだまだ続く)
7月8日日曜日くもり○

 今日、午後よりスポーツセンターに行く前に、高田馬場の駅前にある本屋さんの「芳林堂」に寄る。
 井筒氏の著書「民族の壁どついたる!」、「マンガ嫌韓流のここがでたらめ」(朴一、太田修その他)をネタとして購入。どちらもアホが書いただけのことはあり、ネタ満載。
 スポーツセンターでは昨日できなかった背中、肩、腕、下半身、そして最後に有酸素運動としてバイクなどのメニューを消化。
 
 井筒氏の著書は内容のアホさはもちろんだが、まずその字の大きさ、スカスカな行間にびっくり。詩集じゃあないんだから。(五〇〇円硬貨と比べてみてください)
 おかげさまで、スポーツセンターのバイクに乗ってる20分間で半分も読めてしまった。これで一二〇〇円(税別)は高い。

 井筒氏はこの本で、歴史について下記のように書きます。
<なんで日本には在日コリアンと呼ばれる人たちがいるのか。どうして関西には朝鮮学校が多いのか。その理由をみなさん知っていますか?
 日本人と在日コリアンの人々のあいだに何があったのか。その歴史を忘れたらいけません。
歴史をちゃんと語らなければ、何も前進しないんですよ」P三
<知らないということは、恐ろしいことなんです
。無知は罪悪なり、です。
略)
もっと歴史を知らなあかん。歴史を知り、現在の世界のことをもよく知ることが大事なんです>P一五九
<だから答えは「知ること」です。知ったことによって、意識がかわるわけですから。それが「知の力」ということ。知性というのは大事なことですよ。「知る」ということが最終目標です。知力を持つことほど、人間的なことはないです。
知らないで平気でいることは罪悪ですよ。まずは、知るべき。>P一九七
<相手を知る。歴史を知る。現実を知る。真実を知る。知ることは、未来につながる知恵となるのです。>P二〇四
と高所から語る井筒氏の歴史認識とはどのようなものでしょう。
井筒氏が「知性」などという単語を使うと、殆どギャグの世界としか思えません。

お前が言うな!

巻末にある参考文献を見てずっこけました。
参考文献
「在日韓国・朝鮮人読本」梁泰昊 (緑風出版)
「在日朝鮮人の歴史と文化」朴鐘鳴(明石書店)
「在日朝鮮人と日本社会」在日朝鮮人・人権セミナー(明石書店)
「Q&A在日韓国・朝鮮人問題の基礎知識(第二版)」中尾宏(明石書店)
「日本の朝鮮・韓国人」樋口雄一(同成社)
「中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史」岡百合子(平凡社)
「在日朝鮮人史年表」姜徹編著(雄山閣)
「朝鮮の歴史 新版」朝鮮史研究会編(三省堂)
「朝鮮韓国近現代史事典」(日本評論社)
「済州島現代史」文京洙(新潮社)
「岩波日本史事典」(岩波書店)
「日本史広辞典」(山川出版社)
「ジュニア 日本の歴史事典」歴史教育者協議会編(岩崎書店)
「面白いほどよくわかる世界の紛争地図」世界情勢を読む会編(日本文芸社)
「一気にわかる民族と紛争」江波戸昭監修(池田書店)

 一冊の本を書くのにこんな偏った参考文献リストでいいのでしょうか。
 まあ、井筒氏だからいいのか?

冬季オリンピック
7月7日土曜日くもり ×

 「ピョンチャンの涙」と題された今日の産経新聞の「ソウルからヨボセヨ」という黒田記者のコラムです。
以下引用
略)
 「ピョンチャン」は漢字では「平昌」。韓国の東北地方である江原道に位置する。山が多く近年、夏はペンション、冬はスキーなど、リゾートとして開発が進んでいる。筆者は渓流釣りでよく出かけるが、韓国の田舎は自然が穏やかで人心がいい。とくに日本人となると親切で、不愉快な思いをしたことなど1度もない。マスコミや政治・外交の“反日”がウソみたいだ。
 江原道気質を語る言葉に「岩下老仏」というのがある。実に味わい深い。首都圏の京畿道の取り澄ました「鏡中美人」や北の平安道の激しい「猛虎出林」などに比べると素朴で人間味がある。先週末の釣行の際、ピョンチャンの街には誘致祈願の出し物があふれていたが、今後、冬季スポーツをもっと盛んにし、街をきれいにして次回を期すればいいだろう。(黒田勝弘)
(2007/07/07 07:01)
引用終わり

 朝鮮に厳しい目を向けながら、朝鮮を愛してやまない黒田記者らしい文章です。
? それに対して、チョンイル新聞の先日の社説です。
以下引用
略)
 1回目の投票で1位だったのは、韓国の平昌だ。IOCの現地調査でも、評価が最も高かった。逆転されたのは、1回目で3位だったオーストリア・ザルツブルクの票が、決選投票で同じ欧州のソチに流れたことが大きい。
 冬季競技をアジアに広げたいという韓国の訴えが届かなかったのは残念だ。
略)
 ソチに決まったことは、16年夏の五輪を招致しようという東京とすれば、ほっとした面があるだろう。
 08年夏の北京、14年冬の平昌と続けば、2年後に同じアジアの東京が選ばれる可能性はまずない。日本オリンピック委員会は平昌支援を口にはしていたが、実際に動いた様子は見えなかった。
 しかし、隣国の不運を喜んでいるようではいけない。少なくとも、ソチや平昌には国民の熱い支持があった。東京にはそんな雰囲気はない。
 都民や国民の共感を呼ぶ理念と計画づくりに手をこまぬいている現状では、最終選考に残るのも危ういだろう。
引用終わり
2007年07月06日(金曜日)付朝日新聞社説

 そして、南朝鮮の報道です。
以下引用
■憎たらしい日本、「ソチ誘致歓迎」 … 下心は「夏期オリンピック誘致」
江原道の平昌(ピョンチャン)がロシアのソチに敗れて2014年冬期オリンピック誘致に失敗したが、 同じアジア大陸の日本は、むしろソチを歓迎する様子を見せた。
日本が推進中の2016年夏期オリンピック誘致には、アジア地域の平昌よりもヨーロッパ地域のソチでの冬季五輪開催が有利だからだ。
共同通信は5日の東京発の記事で、東京オリンピック誘致委員会関係者らが「オリンピック開催は『大陸別循環』の慣行があるため、平昌よりもソチになった方が東京の夏期オリンピック誘致には有利だ」と述べたと伝えた。
東京オリンピックの誘致委員会委員長を兼ねる石原東京都知事も、「ソチに心からおめでとうと言いたい」と言及した。
韓国の江原道平昌が2回連続で冬期オリンピック誘致に失敗した衝撃からまだ脱せていない状況で、早くも自国の利益のためには隣国は眼中にも無いような発言を躊躇しないのが日本だ。
引用終わり ノーカットニュース(2007/07/05 08:05)
http://www.cbs.co.kr/nocut/show.asp?idx=557859


 同じような、なんとも分かりやすい報道です。
 でも、「自国の利益のためには隣国は眼中にも無いような発言を躊躇しない」というのはそっくりそのままお返しさせていただきます。
 相変わらず鬱陶しい連中です。

 スポーツセンターに行く。二キロほど体重が落ちているので、ベンチプレスがきつい。六〇?×八、八〇?×二、九〇?×二、一〇〇?×八、一〇〇?×六、一〇〇?×六、九五?×六、九〇?×八、八五?×八、スローで七〇?×五、
 初めてのお客様Tさん二名様で来店。吟醸番さん三名様で来店。大台さん二名様で来店。インチキラクターさん来店。Sさん来店。
 閉店後、酒を持ってSさんと中野の「石松」さんにおじゃまする。その後、マルガリータさんと高円寺の店で合流。


7月6日金曜日晴れ △
 MIDORIさんがお土産に「ゼイタク煎餅」とかいう人形焼きをお尻でつぶしたような変わった形の煎餅を持って久しぶりに来店。お子さんの育児は大変そうだが、どうしようもなく可愛いよう。バンブーさん来店。でっ、予約のあった女性三名様は来店せず。まあ、よくある事。三月にはわざわざ四人の予約電話の後にアンコウ鍋にしてくれと電話までかけてきたのに来なかった笠松と名乗るバカ女性もいたし(03ー3674ー6438)。「今、神楽坂の駅にいるのですが、前に行った時の個室を八名でお願いします」とかいうのもあったし。いろいろあります。
 金曜日だというのにヒマと思っていたら、その後、Hさん四名様来店。Kさん三名様来店。Yさん四名様来店。Sさん来店。Sさんは海外出張の帰りには必ずといっていい程、寄ってくださる。
 ドンチャン。

無用の長物
7月5日木曜日晴れ ×

 私は現在国民健康保険は「東京都食品衛生協会」というところの国民健康保険に入っています。そもそも、国保がいろいろある意味がわかりませんが。
 そこは以前は一年に一回、風邪薬、シップ薬、のど飴から胃薬まで、使いもしないいろいろな薬をセットにしていっぱい送ってきていました。(使ったのは傷薬ぐらいでしょうか)
 最近は、「こんなの送るより保険料でも安くしろ」とでも苦情でもあったのでしょうか送られてきていません。
 でも、ず〜と「東京の食品界」と題された八ページの薄っぺらな会誌のようなものが月一回送られてきます。内容は誰が叙勲したとか、会長に誰がなったとかいうものです。後はためになる記事はありません。購読料一部一五〇円となっていましたので、今日この事で電話をかけてみました。
 この会誌を出すのに専従は二名だそうで、なんと、この会誌は保険料の中に入っているもので、購読を断わっても保険料が安くなるものではないとのこと。流石は腐れ役人の天下り先のひとつだけあります。

 国保の一元化も必要じゃあありません?

 今日、美丈夫の蔵元の濱川社長と電話で話していて、八月の美丈夫の会の日時が決定。店に予定を掲示させていただきます。
 
 Uさん二名様で来店。相変わらず食欲おう盛。Mさん来店。龍星さん来店。マロさん来店。


デヴィ・スカルノ元大統領夫人
7月4日水曜日雨 ○

 あのデヴィ・スカルノ元大統領夫人が犯罪組織である朝鮮総連の大会で、以下のように吠えたそうです。
以下引用
▼ 「小泉前首相は金正日総書記と国交正常化することを決めた。小泉首相の後を引き継いだ安倍首相は、本来なら国交正常化を実現するために努力しなければならないのに、正反対のことをやっている。まったく理解できない」。26日に行われた女性同盟定期大会で来ひんとしてあいさつしたデヴィ・スカルノ元大統領夫人の言葉だ

▼デヴィ夫人は、「今後も
あらぬ迫害を受けるかもしれないが、決してめげずに、団結してがんばってほしい」と参加者らにエールも送った。会場からは、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
引用終わり
[朝鮮新報 2007.6.27]
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/08/0708j0627-00001.htm

  「あらぬ迫害」とは何のことでしょう。
 犯罪国家北朝鮮の手先である朝鮮総連の犯罪については過去に何度も書いてきました。
 今日の産経新聞で北朝鮮の工作員を竹下派の支配の時は逮捕できなかったわが国の異常さが書かれている。辛光洙という北朝鮮工作員は南朝鮮で逮捕された時に、金正日から直接指示を受け、拉致をおこなっていた事を南朝鮮の取り調べでしゃべっている。その時に逮捕状を検札が出さなかっただけでなく、一九九七年五月の衆議院外務委員会での安部晋三議員の次のような質問までこの事が問題にされる事がなかった。
「韓国の裁判の記録に厳然たる事実があるのに、私は日本の警察はどうしているんだ、強い憤りと疑問を感じる」「辛への取り調べを行いたいという意思を伝えてもらいたい」
 一四年後の一九九九年大晦日に辛が赤い大統領の金大中の判断により釈放されたときに、森政権は動かなかった。その時の外務大臣はあの売国奴河野洋平である。売国河野は「私の責任を取る」と大見得をきって国費一一〇〇億円もの巨費で北朝鮮に米を五〇万トン送った。
この売国奴は何も責任を取っていないどころか衆議院議長まで勤めて我が国を危うくしている。
 ちなみに、九〇年代は金丸信、渡辺美智雄、加藤紘一、野中宏務、中山正暉、加藤紘一などという北朝鮮族議員が大活躍していた時代でした。
 九〇年五月の朝鮮総連への捜査に対しては金丸信が警察庁幹部に圧力をかけたとされる。その後、金丸は友人の田辺誠社会党副委員長と北朝鮮に行き、いわれなき謝罪と戦後の償いをしている。
 辛らの釈放に対して、金大中に対しての嘆願書には土井たか子、菅直人、江田五月、千葉景子、山下八州夫、渕上貞男ら一二八人が署名している。

 北朝鮮に国民が拉致され、国家の主権が侵害されたのに動こうとしなかった異常な時代。やっと普通の国らしくなってきたのです。これをまたあの異常な時代に戻してはいけないと思います。
 犯罪組織である朝鮮総連を追い詰めていくのは法治国家としては当然のことです。
 そんな犯罪組織の味方するバカ女デヴィ・スカルノ。

 今日はメチャヒマ。Sさんと彼女。大台さん来店。Sさんは彼女の御所望でグラシアンのキュヴェ・パラディ・ブリュットを開ける。今度、ピンクが入ったら連絡をとの事。

7月3日火曜日くもり ×
 坂本一生とかいう芸能人が六〇のオヤジからカッターナイフで脅されたというのを出かけるまでつけていた朝のテレビでやっていたが、「タレントの坂本一生さんはホストとしても活躍されています」とかアホ女子アナが言っていた。
「ホストとして活躍」????
活躍ってこういう時に使う単語なのか?

 マロさん来店。後で金チャン合流。I@尼崎さん二名様で来店。Nさん三名様で来店。初めてのお客様四名様来店。大台さん来店。
 ドンチャン。

東京へ
7月2日月曜日雨 ○

 朝起きて、洲本のバスセンターより高速バスで新神戸へ。新神戸から東京へ。
 乗り換えもスムーズ。
 今日は飲む元気なし。
 部屋に帰って、さっさと風呂に入って寝る。

法事
7月1日日曜日晴れ ×

 昨日の酒が残ったまま、朝八時過ぎに淡路島の霊場のひとつである先山にある千光寺へ。高校時代に登った時は徒歩だったので大変だったが、今はすぐ側まで車でいける。でも、そこからの階段も結構あります。
 おにぎり九個を残して残りの一五個?ほどを後ろ向きに投げるというか転がす。餓鬼供養だそうな。まあ、風習。
 帰りには茶店でコンニャクとうどんを食べる。これも風習だそうな。茶店で、もちと羊羹をかって帰る。これもお約束事だそう。
 その後、三五日の法事などなど。終わった後、隣保のみなさんと従兄弟と慶野乃松原荘にてお疲れ会。
 淡路島では田植えが終わった後は「泥落とし」という名称で、お疲れ会を催すそうな。
 昨日の酒が抜けてきた頃にまた酒・・・・
 夕方には飲む元気なし。


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