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平成19年3月分日記

慰安婦決議案提出者マイク・ホンダ議員への公開質問状
3月31日土曜日くもりのち一時雨 ○

 私が送っていただいているメルマガのひとつに伊勢雅臣氏が運営されている「国際派日本人の情報ファイル」というのがあります。
 国際派日本人養成講座
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm

当店のホームページも取り上げていただいたことがございます。

 今回のメルマガの内容は「史実を世界に発信する会」(代表 加瀬英明氏)の「慰安婦決議案提出者マイク・ホンダ議員への公開質問状」というものでした。

 1)皆さまが知っている範囲のあらゆるネットに転送してください。外国のネットに対しても、大歓迎です。もちろん、あなたの個人的な友人知人にも広く転送してください。

2)皆さまが知っている限りの外国人(国内外に居住)に転送してください、そしてその方から、さらに他の外国人に転送してもらうようお願いしてください。

 だそうですので、引用転載させていただきます。
以下引用
--------------------------------------------------------

アメリカ下院議員マイク・ホンダ(慰安婦決議案121号提出
者)に対する抗議の手紙(公開質問状)

貴殿は2007年1月31日、6人の議員とともに、「日本は若い女性を強制して性的奴隷である慰安婦とした事を認めて謝罪すべきである」という趣旨の決議案121号をアメリカ下院外交委員会に提出した。この決議案は昨年12月8日廃案となった、決議案759号と全く同趣旨のものである。われわれは、昨年9月28日に添付の手紙を全下院議員に送り、その決議案が全く歴史的事実を無視し、歪曲した主張の上に成り立つ極めて不当な内容であることを訴えた。しかるに、貴殿らが再び不当きわまる決議案を上程しようとしているのは、はなはだ理解に苦しむものである。直ちに撤回することを強く要求するものである。

もし貴殿が撤回をしないということであるなら、貴殿は添付した手紙でわれわれが提示した歴史的事実、すなわち慰安婦は当時合法的な職業として認められた売春宿で働いていた売春婦であり、軍の強制によるものは全くなかったという基本的な事実に反証してからにすべきである。

 特にわれわれが強調したいのは、われわれが手紙で引用した米軍の2件の公式記録、UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION, Psychological Warfare Team, Attached to U.S. Army Forces India-Burma Theater および Composite Report on three Korean Civilians List No.78, dated 28 March 1945, “Special Question on Koreans” (U. S. National Archives に記述された「"慰安婦”とは売春婦に過ぎない」
「月平均で1500円の総収入を上げ(債務者の)マスターに750円を返還する(筆者注:日本軍曹の月給は30円、したがってその25倍稼いでいた)」、「太平洋の戦場で会った朝鮮人慰安婦はすべて志願か、両親に売られたものばかりである。もし女性達を強制動員すれば老人も若者も激怒して決起し、どんな報復を受けようと日本人を殺すだろう」(朝鮮人軍属の証言)などの情報は、正しくないということを貴殿は証明する義務があるということである。さもないとアメリカの公式記録を貴殿は最初から価値なき虚偽文書とみなしていることになるからである。

 慰安婦とはどのような存在であったのか、何故いわゆる慰安婦問題が日本で起こり、それが国際的な話題となったのか、そして大きな誤解が生じたのか、また戦場における性は各国でどのように処理されていたのか、などについて一つの論文をご参考までに添付する。これ等の資料をよく検討され、慰安婦の真実の理解を深められることを切望する。
(注: 長文のため省略したそうで、ご希望の方は「国際派日本人の情報ファイル」へお申し出くださいとのことです。)

 われわれ日本人の名誉がかかった問題であり、また関係するすべての人達の人権にかかわる問題でもある。貴殿の良心を信じて、誠意あるご回答をお待ちするものである。

平成19年2月16日

史実を世界に発信する会
代表
加瀬 英明 
URL
http://www.sdh-fact.com

---------------------------------------------------------
Society for the Dissemination of Historical Fact
Shin Sakuma Bldg. 3F, 2-13-14, Nishi-Shimbashi,
Minato-ku, Tokyo 105-0003, JAPAN
Tel 03-3519-4366 Fax 03-3519-4367
URL
http://www.sdh-fact.com

February 16, 2007

The Honorable Mike Honda
UNITED STATES HOUSE OF REPRESENTATIVES
1713 Longworth House Office Building
Washington, D.C. 20515?0515

RE: An Open letter to Representative Honda

Dear Representative Honda:

On January 31, 2007 you, along with six other Representatives, submitted House Resolution 121, which calls on the Japanese government to apologize for having forced young women to become sex slaves during World War II, to the House Committee on Foreign Affairs. The import of Resolution 121 is identical to that of Resolution 759, which expired in committee last year.

On September 28, 2006, we sent the attached letter to all members of the House of Representatives. In it, we indicated that the accusations in Resolution 759 were exceedingly unjust and based on gross distortions of historical fact. Accordingly, we find it very difficult to comprehend your reasons for submitting this resolution.. We strongly urge you to withdraw it without delay.

If you choose not to withdraw Resolution 121, you must shoulder the burden of disproving historical fact as outlined in the aforementioned letter. The persons referred to as “comfort women” were prostitutes (a legal profession at the time) working in brothels; they were indisputably not coerced to engage in such activities by the Japanese military.

We would like to draw particular attention to excerpts from two official U.S. military records cited in our letter. The first is a report issued by the United States Office of War Information, Psychological Warfare Team Attached to U.S. Army Forces, India-Burma Theater, which states that ”comfort girls” are nothing more than a prostitute or professional “camp follower”, and the girls’ average total monthly earnings were 1,500 yen, and 750 yen went to their master. (The monthly salary of a sergeant in the Japanese Army at the time was 30 yen; thus, the prostitutes made over 25 times more!)

The second can be found in depositions taken from three Korean civilian employees of the Japanese army, who stated the following: In the battle zones of the Pacific
War, the Korean comfort women we met were all either volunteers, or women who had been sold by their parents.
If the women had been victims of coercion, all the Koreans both young and old would have risen up in rage, and regardless of whatever retaliation, killed the Japanese (from Composite Report on Three Korean
Civilians, List No. 78, dated 28 March 1945, “Special Question on Koreans” in the U.S. National Archives).

We also attach a research paper that describes the comfort women, and how misunderstandings about them originated in Japan and grew into an international problem of monumental proportions. It also discusses how the various nations involved in the Pacific War dealt with the sexual needs of their military personnel in battle zones. It is our fervent hope that you will read it and the other attachment, and, thus, arrive at an accurate understanding of the comfort women and their circumstances.

We appeal to your wisdom and sense of justice, as this is a matter of honor for us, as Japanese, and also affects the human rights of all concerned. We look forward to your reply.

Very truly yours,

KASE Hideaki
Chairman

以上引用終わり

 我が国にとっては沈黙は金ではありません。河野洋平、宮沢喜一などの売国奴のおかげで、我が国は危機に瀕しています。今、我が国の先人の名誉のためにも、そして子孫のために「嘘も一〇〇回言えば真実」などという支那、朝鮮の卑劣な企み対して真っ向から闘う必要があります。このページを御覧いただいた方のお一人でも多く、この文章をお知り合いの方に転送、引用していただきたく存じます。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 今日はみなさん花見で忙しそうで、当店はメチャヒマ。Aさん来店。Tさん二名様で来店。Kさん三名様で来店。


従軍慰安婦問題と遺棄化学兵器にみる共通性9
3月30日金曜日雨のち晴れ × 

 我国をなんとか支那様に対して土下座させて、これからも銭を貢がせようという村山富市、社会党のその姿勢は、村山の著書からも判ります。
 その村山の著書のインタビューアーは辻元清美、発行者は辻元清美の内縁の夫であり元赤軍派の北川明というなんとも濃いメンバーによる著書です。
 その中で村山は五〇年決議について下記のように発言しています。
以下引用
村山 それは議論した。まあ、抵抗もあったけどね。あったけどな、やっぱり、これくらいのことできんようじゃ、僕は総理になった意味がないからなあ。
 辻元 何のための連立政権か。
 村山 それは連立政権の存在が問われる問題じゃ。
 辻元 自民党はだれが骨を折られたんですか、内部で。
 村山 それは
河野さんなんかが。総裁じゃけん、自民党の。
 辻元 まとめていかなくちゃいけない。
 村山 うん。
 辻元 大体あれは満足のいくものですか。
 村山 まあまあ、あのときの情勢からすればぎりぎりじゃあないか。「侵略的行為」と「侵略行為」。もっと「侵略戦争」とするかというような議論があったわな。でもやっぱり「侵略戦争」ということになると抵抗が強すぎるからな。だから、侵略によってということにしたんじゃけどな。そういうところの問題がいくらかあったからな。一〇〇%ということにはならんけどね。まあ、しかし、それなりの筋はきちっとしているんじゃないか。中国なんかでもだいぶ評価してくれてたしね。だから、今、橋本さんが中国に行って何かあっても、「あの談話を踏襲する」といえばそれですむわけじゃけんね。
 
辻元 私たちも政府・自民党に迫っていくときに、「あの談話を踏襲しているんですよね」と質問を必ず予算委員会でもするんですよ。そうしたら、向こうは「はい、そうです」と。
 村山 否定せんわな。
 辻元 言わざるを得ないので。
 村山 そうじゃ、そうじゃ。
 辻元 一回やっておくと効果は大きい。
 村山 それはそうじゃ。一貫してそれを否定できんことになるから。
 辻元 そうですね。
 村山 あの談話は、僕はそれなりに意味があったと思うね。

 引用終わり
 (p一〇七〜一〇八)

 読んでいて胸クソの悪くなる文章です。
村山がえらそうに「議論した」と言っているこの五〇年決議がどのようにして決められたか。だまし討ちによってです。
ちなみにこの時の衆議院議長は学歴詐称疑惑の李高順こと土井たか子女史です。
第八一代村山内閣−平成六年六月三〇日成立
    
内閣総理大臣 村山富市
    
外務大臣  河野洋平
    通商産業大臣 
橋本龍太郎
    運輸大臣  亀井静香
    自治大臣
国家公安委員会委員長 野中広務
    
内閣官房長官 五十嵐広三 社会党
    総務庁長官 
山口鶴男 社会党
    経済企画庁長官 
高村正彦
    科学技術庁長官 
田中真紀子
    
衆議院議長  土井たか子

やっちゃあいかん連中がこんなに・・・・・・
つづく

 昨日営業中にスポーツセンターでお世話になり、昨年早期退職されて故郷に帰った伊藤さんから電話あり。改築されたばっかりの御実家が漏電により全焼してしまったそう。昼間、奥様とお二人で車で出かけていた間の出来事だそうで何も持ち出すことができなかったそうで、お話を伺うだけで何も言えなかった。
 写真もネガも焼けてしまったので、スポーツセンターでの知り合いの写真を送って欲しいと事。明日にでもスポーツセンターに行かないと。

 Iさん御夫妻来店。Oさん二名様で来店。大台さん二名様で来店。マロさん来店。銭湯からの帰りだそう。Yさん来店。
 何か最後にテキーラをというIさんの御希望により「エラド−ラ・セレクション」


従軍慰安婦問題と遺棄化学兵器にみる共通性8
3月29日木曜日晴れ  △
 
 旧日本軍の化学兵器は、ソ連軍や中国軍に武装解除されて引き渡した武器の一部。所有権は中ソ両国にあり、中国のいう「遺棄兵器」には当たらないとの見方が政府内にもあったのに、河野洋平は武装解除で引き渡されたことを証明する書類がないことを理由に、日本による化学兵器の処理を推進した。(平成一七年八月三日産経新聞【戦後60年 歴史の自縛】より)

 つまり、ここでも河野洋平の「慰安婦問題」と同じ対応をこの「遺棄化学兵器」に対してもしていることがわかります。
 村山富市も平成七年一二月二六日参議院予算委員会において
「遺棄した方の国にその処理の責任があるということは明確になっているわけでありますから、その精神を踏まえてこれは誠実に実行しなければならぬということは当然であります」
と答弁している。

 それは村山富市の属している社会党でも同じで、村山と同じ社会党であった官房長官五十嵐広三は
 この夏の村山政権の外交的力点は、戦争責任の謝罪と戦後補償問題に置かれた。先の戦争や植民地支配で被害を受けた人たちに対する戦後補償は「ドイツに比べ何もしなかったに等しい」(五十嵐広三官房長官)というのが、現政権首脳や多くのマスコミの主張だ。
               平成七年九月一三日 産経新聞

 そして、同じく社会党の細川律夫議員(現民主党)の第一三六回国会予算委員会(平成八年四月三日)においての発言
○細川 日本軍が中国に残してきたあるいは捨ててきた化学兵器というのは、砲弾で約二百万発、化学剤で約百トンという大変膨大な数と量の化学兵器を未処理のままに放置をしているというふうに言われております。
 そして、この爆弾が爆発をしたり、あるいはびらん性のガスのイペリットなどを住民が浴びて、そして皮膚がただれるとか、そういうようなことで、住民のこの化学兵器による被害というのも大変多くなっておりまして、これもまた二千人を超す被害だというふうなことも言われているわけでございます。
 そういう大変な遺棄化学兵器の問題でありますけれども、私が昨年中国に行きましたときにも、長春では遺棄化学兵器の展示会のようなものをしておりまして、大々的にこういうものがあるんだというようなことが地域の市民のところに宣伝をされるような、そういうところも見てきたわけであります。そうしますと、これらを早く解決をするということが日中間の友好関係を築く上にも大変大事なことだろうというふうに思います。
 そういう意味では、中国の方から一九九〇年にこの問題の処理について要請をされたというふうに聞いているわけでありますけれども、その後、調査はどういうふうに進められ、調査の結果について、これまでどうなっているのかを簡単にちょっと。簡単でいいですから。
略)
○細川 この調査については、今のあれでは詳しくは聞けなかったんですけれども、昨年私も中国に行ったときに、中国の外務省の方々と懇談をしたときに言われましたのは、もう調査の時期の問題ではない、早くこの化学兵器を処理をしてほしいと、その処理の方に早く踏み込んでほしいと、調査結果については中国の方で調査は幾らでもしておるから、それを全部提供しますから、とにかく早く処理をしてくれなければ困るというようなことも言われたわけなんであります。
 先ほど外務大臣の方からは、ことしの五月ですか、また調査をされる、こういうことも言われたわけなんですけれども、まだ調査をするようなことがたくさん残っておるのかどうなのか、それはどんな調査なのか、その調査をして廃棄をするまでに至る段取りといいますか、そういうのはどういうふうになるのかを教えてほしいと思います。

 河野洋平と村山富市、社会党の五十嵐広三、細川律夫は「遺棄したもの」かどうかはまったく触れていない。疑問さへ呈していない。
つまり、慰安婦問題と同じく最初から結果ありきなのである。
つづく

 Hさん来店。OKABEちゃん来店。やっと就職する気になったようで、明日は面接だそうです。初めてのお客様Kさん兄弟来店。Hさん二名様で来店。

従軍慰安婦問題と遺棄化学兵器にみる共通性7
3月28日水曜日晴れ △

 その後、この日本専用条項である化学兵器禁止条約に平成五年一月に宮澤内閣の時に調印。河野洋平はこの時官房長官外相(臨時代理)。
 平成五年二月二五日の衆議院予算委員会で河野洋平はこう答弁する。
「我国の残して聞いたものである可能性が多いという認識で目下調査をしているわけでございまして、責任が全くないというふうに思ってやっているわけではないことは是非御理解いただきたいと思います」
 平成七年一月一七日、阪神淡路大震災があり、その震災地でまだ多くの国民の皆様が苦しんでいる一月二五日に
村山富市首相と河野洋平外務大臣は
「中国大陸に遺棄されている化学兵器について日本側が責任をもって処理する」との談話を発表し、さらに化学兵器禁止条約への批准を国会で成立させる旨も合わせて表明。
 平成七年四月一一日参議院予算委員会での村山内閣での河野洋平外務大臣の答弁
「旧軍のものであるとはっきりすれば、当然我国がそれを処理する義務、責任があるというふうに思います。これは、化学兵器禁止条約のみならず、日中共同声明その他の精神からいっても、誠意を持ってこの処理をいたすべきものだというふうに考えます。」

 平成七年三月オウム真理教による地下鉄サリン事件。
(旧日本軍の化学兵器には、サリン、VXガスなどといった極めて毒性の高いものは含まれていない)
 平成七年四月二八日 化学兵器禁止条約を国会承認
 平成七年五月に村山富市が支那訪問。
 反日施設である南京虐殺記念館を訪問。支那の李鵬首相に遺棄化学兵器の処理に誠実に対応することを明言。
 害務省(外務省?)総合政策局、中国課の幹部代表とした調査団が支那に派遣され、遺棄化学兵器が旧日本軍のものであることを確認。
 平成七年五月 官房長官五十嵐広三(当時、社会党)が政府として正式に
 平成七年八月 村山富市による村山談話を発表。
 平成七年九月一五日化学兵器禁止条約批准
 平成九年四月に橋本龍太郎内閣の時に支那政府もこの条約を批准することにより、正式に発効。
 小淵内閣時代の平成一一年七月三〇日支那との間に「日本の遺棄化学兵器の破棄に関する覚え書き」がかわされる。その時の官房長官は野中弘務、日本側代表は駐支那大使の谷野作太郎。
 支那側の言い分を言うがままに受け入れた売国奴どもの成果です。
つづく

 今日は河岸が休み。午後からスポーツセンターに行くが調子はイマイチ。一通り軽くメニューを消化し帰る。
 マルガリータさんとご家族、YUMIさん来店。アンコウ鍋にてドンチャン。初めてのお客様大勢様で来店。Aさん来店。
 今日も一通り飲むが記憶あり。


従軍慰安婦問題と遺棄化学兵器にみる共通性6
3月27日火曜日晴れ △

 支那から平成二年海部内閣のときに、支那政府が我国政府に対して解決を要請してきました。
 その時、支那政府のトップは民主化求める国民を虐殺したいわゆる「天安門事件」後に総書記に選出された江沢民の時でした。
 江沢民は支那各地に抗日記念館という反日施設を数多くつくり「(日本に対しては)歴史問題を始終強調し、永遠に話していかなくてはならない」と指示していたことが支那で発売された「江沢民文選」で明らかになっています。
 平成四年二月二七日にジュネーブで開かれた軍縮会議の席上で、支那代表団は「ある外国の国が残した化学弾のうち三〇万個を処理した。けれども、まだ二〇〇万個以上が未処理である。また、二〇トンのマスタードガスを処理したが、いまだに一〇〇トンが残されている。被害者は二〇〇〇名以上にのぼっている」
 日本と国名こそあげて名指ししなかったが、我国を指していることは明らかです。そして、支那は遺棄化学兵器の破棄条項を化学兵器禁止条約に入れる事を強く主張しはじめる。
 化学兵器禁止条約は化学兵器の使用や開発、製造や貯蔵を禁止する条約だが、支那の強い希望で遺棄化学兵器の「廃棄条項」(第一条三項)が盛り込まれた。支那での旧日本軍の残留兵器以外は世界で「遺棄」を認めている国はなく、事実上の支那より我国に対してのみの「専用条項」といえる。
つづく

 Fさん、Iさんと来店。Fさんは香港在住だそうで、ヨンキーの話しなどで盛り上がり遅くまでドンチャン。


従軍慰安婦問題と遺棄化学兵器にみる共通性5
3月26日月曜日晴れ ○
 
朝日新聞は昭和五九年六月一四日朝刊で、「イペリットなどの毒ガス 日本軍が使っていた」「マイナス三〇度という気象条件のため、イペリットの液体が凍結して散布不能になるという事故もあったが・・・」といかにもイペリットがマイナス一六度で凍る事を隠してマイナス三〇度で日本軍が使用したように書いていたり、同じく六月一七日に「日本軍の毒ガス使用 不問は米の政治判断か」「東京裁判検察側が抑える」「確証は握っていた」との見出しでいかにも日本軍だけがイペリットを使っていたのを米軍が政治判断で不問にしたように報道しています。
 ところが、米軍は一九四三年一一月、ベクストラム大尉が一〇〇トンのイペリットを貨物船ジョン・ハーベイ号に載せて、バルチモアから連合軍の補給基地イタリアのバリに運んで停泊中にドイツ軍による爆撃で被弾し、大量のイペリットが流失した。そして、失明、皮膚に重い火傷を負った人など多数の負傷者を出しただけでなく一〇〇〇人以上の連合軍兵士が死亡し、一〇〇〇人以上のバリ市民が命を落とした。つまり、米国はイペリットを大量に保有し、使用した可能性もある。それだけでなく、昭和一二年(一九三七年)一〇月二〇日付朝日新聞に「毒ガス弾下を衝く=人馬・マスクで進撃」
同じく昭和一二年一二月一二日付朝日新聞一面「不法!毒ガスで逆襲」「この夜襲戦で断末魔の敵はいよいよ本格的毒ガスを似て抗戦し来れること明らかになった」と記事にある。つまり
支那が毒ガスを使用していたのである。
 
朝日新聞はこれらの事実を意図的に隠しての毒ガスキャンペーンとしか思えない。そして、これらの毒ガスキャンペーン記事は朝日新聞が行ってきた「靖國参拝」「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などと同じ反日行動です。それにより支那、南北朝鮮が反応し我国の国益を損うという構図です。
 つまり、支那は朝日新聞の反日捏造報道とそれと連携した河野洋平などの売国奴どものおかげで、日本が金を貢いでくれるのです。
つづく
 
 今日は飯を食いに出かけた以外は部屋でゴロゴロして一日が終わる。


従軍慰安婦問題と遺棄化学兵器にみる共通性4
3月25日日曜日雨のちくもり ○

 そして、ついに一〇月三一日には第一面にあの有名なハガキ二枚分の大きな写真を掲載し
「『これが毒ガス作戦』と元将校」「当時の日本軍部内写真を公表」との見出し。
 元将校A氏の証言「『これまでだれにも見せられなかったが、最近、当時の日本軍の行為を正当化するような動きがあり、憤りを感じたため、公表することを思い立った』とAさんは語っている」「南昌攻略作戦の一コマで、一四年三月二一日午後、・・・・写真の光景にははっきりと見覚えがあり、手帳に日時も記入していた」「毒ガス攻撃をするというので全員が防毒マスクをつけて待機、ガス係が点火して写真のような光景になったという」
朝日新聞の解説部分では「百五十余ページの写真帳に掲載された他の写真にはすべて説明があるが、この写真に限って一行の説明もない」とある。
 専門家としてここでもあの藤原彰一橋大学教授が登場。以下、藤原ダイセンセイの記事部分を全文引用
「実際に中国戦線に従軍し、最近は日中戦争での化学戦の実証的研究を進めている藤原彰・一橋大教授(日本近・現代政治史専攻)は『写真でみると、発煙筒ではなく、毒ガスに間違いないと思うが、放射筒が写っていないので、写真だけからはガスの種類を特定することはできない。私自身、日中戦争での毒ガス実射写真を見たのは初めてだし、公開されるのもこれが初めてだろう』と話している」
 流石はダイセンセイだけあります。
ところが、同じ年の一一月一一日付け産経新聞朝刊にこれに対して反証記事が掲載されました。四名の証言者を実名で掲載し、なおかつ反証記事を書いた産経新聞記者が神田の古本屋さんで入手したAさんと同じ写真集には、「南昌攻略作戦」の項目はなく、別の項目に「煙幕放射」との説明がついていたという。
 つまり、朝日新聞の解説部分「百五十余ページの写真帳に掲載された他の写真にはすべて説明があるが、この写真に限って一行の説明もない」というのは捏造ということになる。ましてや、あれほどまでしっかりと証言していた人間をAという匿名で出した朝日新聞に対して、産経新聞はすべて実名で四人もの証人を登場させている。
その中のおひとりは「カンショウ作戦」(漢字変換出来ません)に歩兵中尉で参加した鵜飼敏定氏(昭和五九年当時七〇才)は、「一四年九月二三日午前、新しょう河を渡る時のもの、対岸の敵に部隊編成を悟られないように、発煙筒をたいた。毒ガスではない」
 同じく同じ作戦に参加した西村英雄氏は「敵がおらず味方しかいない川の手前で何で毒ガスを使う必要があるのか」
 朝日新聞は南朝鮮から北朝鮮に攻め込んで朝鮮戦争が始まったと著書に書いている近代史の大家である藤原彰ダイセンセイには「毒ガス」と「煙幕」との区別もつかない「日中戦争での化学戦」の大家という新しい称号まで与えたことになります。
 この産経新聞の反証記事が掲載されてすぐに、朝日新聞の幹部が産経新聞社に怒鳴りこんできたというような記事を週刊誌かなにかで読んだ覚えがあります。
 そして、この捏造記事について朝日新聞は昭和五九年一一月一四日付朝刊の第三面の下隅に「日本軍の『化学戦』の写真」「カンショウ作戦とわかる」との二段見出しのベタ記事を掲載。
でも、当然ですが、朝日新聞による訂正とかお詫びとかいう文言はどこにもありません。 朝日新聞らしいといえばそれまででしょうが・・・・
つづく

 店を片付けてから高田馬場に出て、ラーメンを食べてからパソコンショップと駅の側にある本屋さんに寄る。本屋さんでは浅川晃広氏の著書などを購入。その後スポーツセンターに行く。今日は昨日できなかった肩、腕、下半身のメニューを消化してから帰宅。


従軍慰安婦問題と遺棄化学兵器にみる共通性3
3月24日土曜日くもり ×

 加藤紘一の次の官房長官であった河野洋平はわざわざ宮澤内閣総辞職の前日である平成五年八月四日に、慰安婦の強制連行を認めたというウソの内容のいわゆる「河野談話」を発表しました。この河野談話発表に至る調査はずさんぶりは産経新聞その他で報じられていますが一切の物証はなく一六人の朝鮮人売春婦の証言だけで裏付け作業もされず、聞き取り終了からわずか五日後に河野談話が発表された。
 これについて、最近でも河野は「発言内容には信念を持っている」みたいなことを言っていましたが、この河野談話の唯一の根拠となった、南朝鮮での元慰安婦に対しての聞き取り調査については、いまだに内容が明らかにされていません。個々の証言は、裏付け調査どころか質問も許されず、全資料は未公開のままです。これもおかしなことです。朝鮮人元慰安婦の発言で今まで信頼に足りるものは何一つありませんでした。最近、調査のために安部首相が資料を出してもいいと発言しています。我国の国益のために、また、日本の未来にためにも妥協せずに事実に向き合うためにも大切な事だと思います。

 同じ事が支那に不法に破棄してきたといわれる旧日本軍の科学兵器にもいえます。
 この遺棄化学兵器についても朝日新聞と河野洋平は我国を売る為に大活躍しています。
 毒ガスを朝日新聞がまず、最初に大々的に取り上げたのは昭和五九年六月一四日朝刊で、「イペリットなどの毒ガス 日本軍が使っていた」という見出しの記事です。
 内容は粟屋憲太郎立教大学教授が米公文書館で陸軍習志野学校が昭和一七年に作成した「支那事変ニ於ケル化学戦例証集」を発見し、「一橋大の藤原彰教授らの協力を得て分析を進めていた」との記事。
 その後、昭和五九年六月一五日「拠点の村々にも毒ガス」「日本軍極秘資料と証言でわかる」「焼き払い後井戸に」「壊滅的打撃を与えた」という見出し。
 同じく六月一七日一面トップで「日本軍の毒ガス使用 不問は米の政治判断か」「東京裁判検察側が抑える」「確証は握っていた」との見出し。
 そして、六月二二日「旧日本軍の毒ガス使用 中国が初めて報道」「論評抜きで新華社」
 内容は「日本のマスコミが報じて以来、中国の公式報道機関が旧日本軍による毒ガス使用の事実を伝えたのはこれが初めて。
 同電の主な内容は次の通り。
 朝日新聞の報道によると・・・・」
 まさにマッチポンプです。
つづく
 時間があまりなかったが仕込みを終えた後にスポーツセンターに行く。今日は久しぶりに一〇〇?×八回ができた。ただ、三カ月はセット間一分のインターバルでのメニューを続けるつもりなので八回の三セットはやっぱ無理。
AIKOさん三名様で来店。アンコウ鍋でドンチャン。Oさん卒業式とかで六名様で来店。大台さん二名様で来店。

従軍慰安婦問題と遺棄化学兵器にみる共通性2
3月23日金曜日晴れ ×

 産経新聞は下記のような記事を掲載しています。
以下引用
中国遺棄化学兵器問題 新資料発見か、政府が調査
≪結果次第では事業見直しも≫
 中国遺棄化学兵器問題で、「日本軍が中国に化学兵器を遺棄した」という中国側の主張を覆す可能性のある資料が見つかっています。この問題では、廃棄処理のために政府が負担する費用が数千億円規模に膨らみかねないことや、“遺棄兵器”の実態が不透明という指摘も出ています。政府首脳は詳しく調査、分析するとしています。(『正論』編集部 喜多由浩)
 この問題は、先の大戦で「旧日本軍が中国各地に化学兵器を遺棄した」として、平成2年に中国政府が日本政府に解決を要請してきたことが発端です。9年には、遺棄化学兵器の廃棄義務をうたった化学兵器禁止条約が発効し、日中両国が批准。11年には、日本側が廃棄処理費用を全額負担することなどを盛りこんだ覚書を交わしました。
 これに伴い日本政府が負担する総事業費は今後どれだけ膨らむか、見通しすら明確ではありません。
 中国側は、旧日本軍が遺棄した化学兵器が、吉林省のハルバ嶺などに約200万発残っている、と主張しています。しかし、その主張に疑問を持つ意見は当初から少なくありませんでした。終戦後、日本軍は旧満州(現・中国東北部)ではソ連軍(当時)によって、中国大陸部では主に中国国民党軍によって武装解除され、所持していた武器・弾薬は化学兵器も含めてソ連・中国軍に引き渡していた(遺棄したのではない)とされていたからです。
 しかし、日本政府は「中国、ソ連の同意の下に引き渡されたことを確実に裏付ける証拠、資料があるとは承知していない」などという
消極的な理由で、中国側の主張をいわば“丸飲み”してきたのです。
 ところが最近になって中国側の主張を覆す可能性があるさまざまな資料が見つかりました。山形県のシベリア史料館には、中国で日本軍が武装解除の際に引き渡した武器・弾薬を詳細に記した「兵器引継書」が約600冊も残っていました。受け取った中国軍の責任者の署名・捺印(なついん)があり、化学兵器だけを除外した形跡も見られません。
 また、防衛庁の防衛研究所には、日中両政府が「遺棄化学兵器」として廃棄処理対象にしている『あか筒』『みどり筒』を台湾で中国軍に引き渡していたことを記した「引渡兵器目録」がありました。さらには、中国側が遺棄化学兵器が大量に残っていたと主張しているハルバ嶺近くの敦化で、化学兵器(毒ガス兵器)をソ連軍に引き渡したという元日本軍兵士の証言まで出てきたのです。
 安倍晋三官房長官は5月、衆院内閣委員会での答弁で「(シベリア史料館で見つかった資料などについて)政府としてしっかり調査したい」と述べました。政府は、新しい事実を示す資料などが見つかった場合、事業の「基本的な枠組みが変わってくる」としており、対応が注目されます。
引用終わり
平成18年(09/03 12:15)産経

 朝日新聞は「法律論にこだわっていても意味がない。法的な賠償責任を免れたとしても、危険な毒ガスを残してきた日本に人道上の責任があることははっきりしているからだ。 」とまで書いています。
 どちらがまともな記事か明らかです。この支那における旧日本軍が「遺棄」したとされる化学兵器といわゆる「従軍」慰安婦との問題は大きな共通点があります。それはどちらも河野洋平と朝日新聞社が宮沢喜一、村山富市、加藤紘一らの他の反日活動家と連携しての活動であることです。

 近年ではこの売国奴どもの最初の成果は、まず第一弾として昭和五七年六月下旬、教科書検定によって「侵略」が「進出」に書き改められたと朝日新聞をはじめマスコミが一斉に報じるいわゆる教科書検定虚報事件が発生し、当時の鈴木善幸内閣の官房長官だった宮沢喜一による「宮沢談話」を八月に発表します。
 「アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上で、日本の学校教育、教科書検定に対する中国、韓国の批判に十分耳を傾け、政府の責任において是正する」
 「今後の教科書検定に際しては、検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配慮する」
 宮澤は文部省の公式発言を無視して、政府の責任において教科書の記述を是正するとの約束を支那・朝鮮に通達しました。以後、理不尽なことに我が国教科書の検定に際して近隣諸国の国民感情に配慮しこれを行うなどという検定基準を改めると約束し、後に「近隣諸国条項」として教科書検定基準の中に取り入れられました。この時の宮澤の行為は、すでに、多くの方が指摘されている職権逸脱の違法行為であり、また支那、朝鮮に日本を売るというまさに売国奴としかいえない所業です。その後、この近隣諸国条項が我が国の青少年の教育にとりどれほどの悪影響を及ぼしているかは御存じの通りです。
 産経新聞を除く、
朝日新聞、毎日新聞などは「侵略」が「進出」に書き改められたという誤報事件に対して一切の訂正、謝罪をいたしておりません。

 そして、朝日新聞が一生懸命やってきた反日活動の一環として平成三年従軍慰安婦強制連行に関する一大キャンペーンを開始しました。 
 慰安婦問題は、南朝鮮から我が国に対する反日活動家として認められ勲章までもらっている売国奴弁護士
高木建一らが、南朝鮮で元売春婦を探し出して被害者に仕立てたのが発端です。
「弁護士のTらが韓国で火をつけて歩いた。どうしてそういうことをやるのか、今でも腹が立って仕方がない」(元官房副長官の石原信雄氏談 平成一六年八月三日産経新聞【戦後60年 歴史の自縛】(2)総辞職前日の慰安婦談話より)
 その発端となった朝日新聞の記事です。
<「女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦」のうちの一人>
 平成三年八月一一日付「朝日新聞」
 最初のこの記事を書いた朝日新聞記者は『太平洋戦争犠牲者遺族会』常任理事・粱順任の娘と結婚している植村隆である。
マッチポンプと言われても仕方ないであろう。

 宮沢政権発足間もない平成三年一二月、「従軍慰安婦」だったというこの金学順という南朝鮮人女性が我が国政府を相手取り、謝罪と損害賠償を求める訴えを起こしましたが、すぐに、この朝鮮人慰安婦はキーセンであり、日本軍に強制連行されたのではなく、キーセンハウスの経営者である義父に日本軍 の慰安所につれて行かれたことが分かりました。このしかし
朝日新聞はこれについての訂正記事を出していません。
 続いて朝日新聞は平成四年一月一一日にあの中央大・吉見義明教授が防衛庁保管文書の中から軍の関与を発見したという記事を掲載するが、これも日本軍が人攫い業者の横行を懸念して、警察と協力して取り締まるよう命じた文書を、日本の組織関与と断定した捏造記事であった。これについても
朝日新聞は訂正記事をだしていません。

 河野洋平が支那、朝鮮にとり売国奴としてその功績があまりにも偉大ために影が薄くなっていますが、加藤紘一も負けてはいません。
 そのわずか二日後の平成四年一月十三日に慰安所設置に関して旧日本軍の関与を認める発言を加藤紘一官房長官が記者会見でしました。

 加藤談話(慰安婦問題に関する内閣官房長官談話)要旨
 今回発見された資料や関係者の方々の証言やすでに報道されている米軍等の資料を見ると、従軍慰安婦の募集や慰安所の経営等に旧日本軍が何らかの形で関与していたことは否定できないと思う。この機会に改めて、従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい。
(平成一七年八月三日産経新聞
【戦後60年 歴史の自縛】より引用)

 「現に軍が関与したんだから。それを否定しなければならないの? 事実をちゃんと認めるのは、やむを得ないのではないか」
 「私が長官の時はどうやって慰安婦を集めたか、危ない集め方はあったらしいというところまで。ただ、軍がある種の経営をしていたことは事実だ」
 加藤紘一は、慰安所で軍が関与した料金表などが資料として見つかったことを根拠にしたというが、戦時において、慰安所の保安その他で軍隊が関わるのは当然のことであり、道義的責任に属するものでであるにも関わらず、「従軍慰安婦」などというありえない職業名に結びつけて、それが、いかにも我が国に責任があるというように見せ掛けるという巧妙な手口を加藤紘一は使っています。朝日新聞の手法と同じである。

 更に当時の宮澤喜一首相の平成四年一月十六日よりの南朝鮮への訪問に合わせて「挺身隊の名で連行された慰安婦の数は八万人とも二〇万人とも 言われる」という嘘の解説を載せました。その結果、宮澤首相は訪問先の南朝鮮でこの件について謝罪せざるを得ないようになりました。
朝日新聞の活躍はまだまだ続きます。以下はその朝日新聞記者の北畠清泰の書いた記事です。

 吉田清治さんは、昭和十七年朝鮮人を徴用するために設けられた「山口県労務報告会下関支部」の動員部長になった。
略)
 記憶の中で最も心が痛むのは
従軍慰安婦の強制連行だ。
 吉田さんと部下、十人か十五人が朝鮮半島に出張する。総督府の五十人あるいは百人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む。
 一つの村から三人、十人と連行して警察の留置場に入れておき、予定の百人二百人になれば、下関に運ぶ。女性たちは陸軍の営庭で軍属の手にわたり、前線におくられていった。吉田さんらが連行した女性は、少なくみても九百五十人はいた。

(朝日新聞平成四年二月二三日夕刊)と報道。この吉田清治の嘘の証言も真実として報道しました。(後に、現代史家の秦郁彦氏の現地調査により嘘と判明) 
 職業詐欺師の吉田清治のこの報道に付いても
朝日新聞は一切訂正記事を出していません。

 加藤紘一はさらに「朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する」談話を官房長官として平成四年七月六日に発表する。
以下外務省ホームページより引用。
 
慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められたということである。
略)
 政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未架に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。

 後略)
引用終わり
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

 朝日新聞の捏造記事とそれを利用する売国奴の姿がよくわかります。
もう少し続きます。

 お給料日の金曜日。当店はお約束?。バンブーさん来店。初めてのお客様Tさん二名様で来店。マロさん来店。Iさん来店。


従軍慰安婦問題と遺棄化学兵器問題にみる共通性
3月22日木曜日晴れ ×
 あの朝日新聞の「毒ガス兵器―中国での回収を急げ」と題された本日の社説です。
(以下完全保存しておきたいものですから全文掲載させていただきます)
 
第2次大戦が終わって40年余りがたったある日。中国の建築現場で古びた鉄製の缶が掘り出された。中の液体を調べようとした医師らが呼吸器を侵されたり、鼻や歯から出血したりした。日本軍が終戦時に地中に隠した毒ガスだった。
 こうした事故が中国各地で相次いだ。被害にあった中国人たちは日本政府を相手取り、損害賠償を求めて次々と訴えている。そのうち、1件の判決が東京高裁で言い渡された。
 判決は一審通り原告の請求を棄却した。しかし、毒ガスは日本軍が残したと認めたことは注目に値する。「ソ連や国民党軍のものである可能性がある」という国の主張は退けられた。
 日本政府はすでに中国政府に対して毒ガスの遺棄を認め、各地で回収作業にあたっている。高裁が「日本軍のものだ」と認定したのは当然だろう。裁判の場になると
事実を否定する姿勢は中国人の不信感を募らせるだけだ。

 
ところが東京高裁は、国の賠償責任までは認めなかった。
 
大量の毒ガスが広い範囲にわたって地下や河川に捨てられた。日本政府が日本軍の駐屯地などの情報を中国政府に伝えても見つけることは難しい。だから日本政府に事故を回避する義務を負わせることはできない。これが理由である。
 この理屈でいくと、国際法で使用が禁じられた兵器でも、うまく隠してしまえば責任を問われることはない。
 別の事故の裁判で、東京地裁は「遺棄された場所や処理方法の情報を中国に積極的に提供して事故の防止を図る義務を果たさなかった」として、国に賠償を命じた。こちらの方が筋が通っている。
 とはいえ、これ以上、
法律論にこだわっていても意味がない。法的な賠償責任を免れたとしても、危険な毒ガスを残してきた日本に人道上の責任があることははっきりしているからだ。

 
まずは起きてしまった事故に誠実に対応することだ。中国政府と協力し、治療の難しい毒ガス後遺症の医療を支援する。裁判では和解の道を探って実質的な補償をする。
 同時に、残っている危険を取り除くために回収作業を急がねばならない。

 1997年に化学兵器禁止条約が発効し、日本は中国に
遺棄した毒ガスなどの化学兵器を10年以内に廃棄することを義務づけられた。しかし、回収した毒ガス砲弾は約4万発にすぎない。最も多いとされる吉林省ハルバ嶺の地中には、30万〜40万発が眠ると推定されている。
 廃棄処理は今年4月の期限に間に合わず、12年まで延期された。
 この間にも、03年には黒竜江省チチハルで毒ガス兵器による事故が起き、1人が死亡し、40人余りが負傷した。

 
かつて侵略を受けた中国の人たちは、いまだに毒ガス事故によって日常生活を脅かされている。そんな状況は一日も早く終わらせなければならない。
引用終り
朝日新聞【社説】2007年03月22日(木曜日)付


そして下記は支那の「人民網日本語版」二〇〇六年一二月二二日版の記事です
以下引用

旧日本軍の遺棄化学兵器問題について 外交部
?外交部の定例会見で21日、秦剛報道官が質問に答えた。
??――中国における日本の遺棄化学兵器問題に関する、両国間協議の状況を紹介していただきたい。
??日本の遺棄化学兵器問題は、日本軍国主義が中国侵略期に犯した深刻な犯罪、中日間に残された重大な問題であり、今なお中国の関係地域の人民の生命と財産と安全、生態環境に、重大で現実的な脅威と危害を及ぼしている。

??
両国政府は1997年7月に「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」に署名した。日本側は「覚書」において、中国に大量の化学兵器を遺棄したことを認めるとともに、「化学兵器禁止条約」の定める義務を履行することを承諾した。われわれは、日本側が国際条約とその承諾に基づき、この問題を早急かつ真剣に解決することを望む。
引用終わり

 すばらしい。支那の外交部と全く意見が一致いたしております。朝日新聞の本領発揮であります。まさに人民日報日本支社の面目躍如たるものがあります。
 本日、遺棄化学兵器については「いくらなんでも隠したというのは違うのではないですか」と朝日新聞社に電話をかけました。(朝日新聞社 広報部〇三−五五四〇−七五一五)そして、私は我軍が支那軍、旧ソ連軍に兵器を渡したといういろいろな史料が発見されたり、普通で考えて終戦時に当時では各国とも保持はしているた化学兵器だけをわざわざ地中に隠したりする意味はどこにあるのですか。また、日本製ではないソ連製の化学兵器なども見つかっていますよね。これについてどう思いますかといったのですが、尋ねても自分の名前も名乗らない朝日新聞社広報部のゴリッパナ方が答えられたことは、あなたのご意見としては承るが「日本政府は破棄を認めている」のだから、それに基づく記事であるのだからこの
「日本軍が終戦時に地中に隠した毒ガスだった。」というのは朝日新聞としてこの表現は問題ないと考えている。違うというのであれば、それは政府が認めていることなので、政府に言ってくれとのことでした。
 なんと朝日新聞社の姿勢のよく判る記事と答えでしょう。つまり、事実はどうでもいい、支那様のために日本政府がさっさと金を払えばいいのだといっているのも同然です。
もうちょっと続きます。
 
 Hさん四名様で来店。Eさん来店。三名様来店。Tさん来店。Hさん来店。
体調いまいちなので営業終了近くに飲むが、少しだけ。



いそのさわ垂直
3月21日水曜日晴れ △
 
昨日の酒が残ったまま「いそのさわ」の垂直の会に突入。
 ケイザブロウさんも東北にある酒屋さんの会での懇親会で朝四時まで飲んでいたそうで、新幹線に飛び乗り東京駅から駆け付けてくださる。
 今日は御不幸や仕事が急に入ったりで、大幅に少なくなり、みなさんにそれぞれ選んでいただいた一〜一〇番までの古酒と一一〜一五番の酒を楽しんでいただくことにする。終了後は残ったお酒でお好きなものをお持ち帰りしていただいた。
NO  醸造年度
NO.1 62BY 大吟醸 全国金賞 斗びん取り
NO.2 62BY 大吟醸 全国金賞 斗びん取り
NO.3 63BY 大吟醸 福岡局長杯斗びん取り
NO.4 1BY 大吟醸 福岡局長杯斗びん取り
NO.5 2BY 大吟醸 金賞   斗びん取り
NO.6 3BY 大吟醸 金賞   斗びん取り
NO.7 7BY 大吟醸      斗びん取り
NO.8 9BY 大吟醸 金賞   斗びん取り
NO.9 10BY 大吟醸      斗びん取り
NO.10 13BY 大吟醸      斗びん取り
NO.11 14BY 吟醸  愛山   
NO.12 15BY  吟醸  愛山
NO.13 17BY  大吟醸 山田錦  斗びん取り
NO.14 17BY  大吟醸 山田錦
NO.15 18BY  大吟醸 新酒生酒

 今回も、古酒の口開けからの変化が楽しめました。
終了後、ケイザブロウさんと高田馬場にある中華屋さんにてお疲れ乾杯。初めて入った金華大飯店とかいう地下にあるお店。値段はそれなり、味もそれなりというより注文した料理のうち五目チャーハンは皿洗いのあんチャンが作った賄い飯かと思った。飯がパラリとせずベタ付いていて旨くなかった。最後に出てきたお茶も酷いお茶。
 二人でビール大瓶二本飲んだだけなので、いつもだったらもう一件となるところを、その元気もなく「今日は帰りましょうか」ということで、駅で別れて帰宅。


斉藤貴男
3月20日火曜日

 ジャーナリストの肩書きのある斉藤貴男氏の著書「非国民のすすめ」(筑摩書房 二〇〇四年刊)によると <
自分が日本人である現実が辛くなってくる>として石原慎太郎東京都知事が二〇〇三年一〇月の「彼らの総意で日本を選んだ。どちらかと言えば、彼らの先祖の責任だ」
その三日後の「日本がやった植民地主義というのはまだ人道的で人間的だったとおもう」
「清国のほとんど自主的な属領から解放してもらった日本にね、下駄を預けたということじゃあないですか。それが正確な歴史です」という発言を例に挙げて
<彼の場合は人間としての良識、たしなみの問題になってくる>(p三二)とまで書いている。本当の事を言うのがどこが良識、たしなみの問題になるのであろう。
 このような姿勢は、氏のこの著書の他の個所にも書かれている下記のような文章からも伺える。
<北朝鮮による日本人拉致事件について、過去の強制連行に言及する事も事実上ゆるされない現状に照らせば・・・>(p一〇〇)
<日本人はつくづく、差別が大好きな民族であるようだ。世界中どこにも似たようなものかもしれないが、日頃アメリカの白人サマに媚びへつらいまくっている分だけ、かつて植民地支配していた相手には余計に居丈高になり、実は屈辱にまみれている内面のバランスを取りたがるから始末が悪い。

 
拉致事件の被害者たちが帰国して以来の北朝鮮報道はほとんど狂気の沙汰である。朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)と名がつく一切合切は絶対悪で、わが大日本帝国すべてが絶対善なりという以外には何も語っていない傲慢ばかりをマスメディアは連日連夜、それこそ洗脳よろしくこれでもかとたれ流し続けている>(p一一九)
<拉致事件は確かに醜い。しかし、同じ事を、いや拉致してきた人数も強要した行為もそのはるか上をいくスケールで戦時戦中の日本が朝鮮の人々にしていた歴史が無視されていく限り、今回の拉致をした側はいくらでも自らを正当化することができてしまう>(p一二一)
<朝鮮半島における日本の植民地支配や皇民化教育、強制連行などの史実は改めて強調するひつようもない。>(p一二二)
<そもそも在日朝鮮人社会がどうして、誰のせいで形成されなければならなかったかという視点が決定的に欠落していた>
(p一二五)
 そして北朝鮮の朝鮮学校の高級学校(高校に相当)一年生女子学生の文章を正視できないとして
「私はこの問題によって日本の人を恐がるようになり、外で遊ぶ時などは絶対、朝鮮人ってバレないように、日本人になりすまそうと思う。もうこれ以上、北朝鮮のニュースで傷つきたくない。在日朝鮮人が、近いうちに日本から追い出されそうな気がして、怖くて心配でたまらない。私は今、日本がとても恐く思う」
と例に挙げているが、この文章が本当に女子学生の発言だとしてもどこが問題なのであろう。悪い事をすれば責任を取るのが当たり前なのです。
 異常な祖国を正常な国にしようとなんの努力もせず、我国のためにも生きようともせず、つねに被害者面をし悪いのは日本であると嘘を並べて生きて来た在日朝鮮人の生き方が問われているのである。
 このような事を書く斉藤氏のジャーナリストとしての姿勢とは
<「調査報道」こそがジャーナリズムの最大にして本来あるべき役割なのだと言い換えてもよいかもしれません。それどころか私自身は、ジャーナリズムとは調査報道を行うことができるから社会的に存在を許されているとさへ考えています>(p一六三)
<つまり私は、他人の批判を書く時には、そのための取材に最大限の努力を払い、誰からも後ろ指を指されることのない一人前のジャーナリストたらんと心がけてきたつもりです、と言いたいのだ>(P三〇九)
だそうですが、ジョークで書いてなければアホとしか思えません。朝鮮人のいうことをそのまま垂れ流している人間の言葉とは思えないです。
 特に<拉致事件は確かに醜い。しかし、同じ事を、いや拉致してきた人数も強要した行為もそのはるか上をいくスケールで戦時戦中の日本が朝鮮の人々にしていた歴史が無視されていく限り、今回の拉致をした側はいくらでも自らを正当化することができてしまう>という発言は、あの辻元清美議員の<日本は、かつて朝鮮半島を植民地にして言葉まで奪ったことに対して、北朝鮮には補償を何もしていないのだから、あたりまえの話です。そのこととセットにせずに、「9人、10人返せ!」ばかり言ってもフェアじゃないと思います。>というのと同じレベルのアホな発言としか思えません。この斉藤貴男という御仁の程度がよく判る発言です。

 Sさん@名古屋さん二名様で来店。バンブーさん来店。二名様来店。Tさん二名様で来店。一二時過ぎたしもう営業も終わりと閉める準備をしていたら、中島さんから電話あり。結局、江上さん、フィリッポさんその他大勢のお弟子さんたちが来店で、ドンチャン。記憶なし・・・・

 

恵比須「和」さんへ
3月19日月曜日晴れ 今日も寒い △
 朝、起きて風呂に入ってからボケーとしていると、今日は神楽坂でお昼過ぎに火事があったそうで、テレビで見て心配してくれた淡路島の中学の同級生だった奥野から携帯に電話あり。ありがたい。一度もクラスが一緒になったことがないがどういうわけか卒業してからず〜と付き合ってくれている。
 夕方に恵比須のお店「和(なごみ)」さんに伺う。ケイザブロウさんと六時の「和」さんの開店に合わせて待ち合わせ。「和」さんは超人気店につきケイザブロウさんにおつき合いをお願いした二週間ほど前に予約を取っていただいた。今日も飲んでいた間に何回も予約、問い合わせの電話が幾つもありました。
 お酒も美味しいが、オツマミが当店と違って盛り沢山。ビール、酒でドンチャン。
 今日は珍しく記憶があるうちに帰宅。でも途中の駅で寝ぼけて一度間違って降りてしまったけど・・・・・(一度ぐらいでよかった)

 

やはり腐れ害務省
3月18日日曜日晴れ ○

 週刊新潮の三月一五日号に掲載されている記事(p三二)によると、二月末から四日間、支那を訪問して自民党代表団に対して、支那は訪問団を三日めの三月一日午前中に、廬溝橋の抗日記念館を連れて行かれて数々の反日のための捏造展示物を見物させたそうです。そして、丹羽雄哉総務会長はその時に謝罪こそしませんでしたが反論もしなかったそうです。
 そして、このようなコースが組まれた背景には、相手の言う通り、波風を立てたら外交ではないという考えのあの腐れ害務省の「支那様に対してのお力添え」があったそうです。
 害務省は支那のプロバガンダ施設については「事実関係に疑問があるもの、過度に刺激的なものも含まれており、中国政府に対して適切な対処を要請してきているところです」という立場で、それでも、我国の使節団が行く事は問題で無いというのです。
アホ過ぎます。
 河野談話も朝鮮のねじ込んだ無理難題に波風を立てないようにした惚け首相の宮沢喜一と当時の加藤紘一そして河野洋平と続くバカ官房長官が作ったものです。
 売国奴が我国に残した傷跡は深い。
 
 店を片付けた後、スポーツセンターにいく。昨日できなかった肩と腕と有酸素運動のメニューを消化して帰宅。

大英勇1976
3月17日土曜日晴れ 寒い △

 今さらという感じですが、「軍による慰安婦強制連行示す資料なしと答弁書閣議決定」というニュースがありました。
以下引用
 政府は16日の閣議で、いわゆる従軍慰安婦問題に関する1993年の河野洋平官房長官談話について、「(談話発表までに)政府が発見した資料の中には、軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すような記述は見あたらなかった」とする答弁書を決定した。
 安倍首相は「狭義の意味での強制性を裏づける資料はなかった」としているが、その根拠となる、従来の政府の立場を改めて示した形だ。社民党の辻元清美衆院議員の質問主意書に答えた。
(2007年3月17日1時2分 読売新聞)
引用終わり


 まあ、あのアホの辻元清美女史らしい質問です。福島女史も先日の産経新聞のコラムで「本当に弁護士ですか」とか書かれていましたが、いまやお笑いでしか注目されない社民党です。

 Oさん来店。今日は当店のお客様であるAYAさんのお誕生日ということで、AYAさんが同級生の皆様と来店。AYAさんは御自分の誕生年である昨年廃業してしまった宇都宮の蔵元さん「 大英勇」の一九七六年に造られた吟醸(購入は平成三年)を開けてお祝。マロさん、わ。さんもお祝に来店。金チャン合流。Kさん三名様で来店。Sさん二名様で来店。
 久しぶりに三〇年古酒を飲みましたが、今日、飲ませていただいた「 大英勇」は香りはりっぱに紹興酒?ですが、切れがよく、少し温度が上がってきたらスイスイと飲める美味しいお酒でした。昨日の反動か、めちゃ忙しく、飲み始めたのが一一時過ぎ。さすがに記憶はありました。
営業終了後、李さんと寿司屋さんで飯。

信念?
3月16日金曜日晴れ ×

 今日の産経新聞によると、あの売国奴の河野洋平が河野談話について15日に記者会見して
「信念を持って発表している。いま何かいうつもりは全くない。あの通り受け止めてほしい」と見直しは必要ないとの考えを表明したありました。
 こいつは犯罪国家の北朝鮮への米の援助の時も多くの反対をおしきり「わたしが責任を持つ」とか言いながら何の責任もとらずにノウノウと生きています。このバカにとっての信念とは所詮その程度なのです。河野太郎はこんなバカな父親がそのまま国会議員でいることを恥ずかしいとは思わないのだろうか。きっと、思わないのだろうな。

 「いそのさわ」さんより次回の飲んべえの会に出す予定の62BYを含めたお酒が届く。

 現在、当店で使用しているグラス(写真の左)が製造中止のために、同じような形状の三oz(九〇ml)のリキュールグラスを探していたのですが、中々気に入ったのが無く、やっと見つけたグラスも同じ三ozなのですが、なんとなく小さく見えます。今までのグラスでさえ、三勺(五四ml)しか入らないとか言っていた自称「レストラン評論歴30年」という御仁までいるのですからもっと量が少なく言われそう・・・・・。

 初めてのお客さま来店。酔狂師さん来店。初めてのお客さま来店。
 今日も早くからドンチャン。

恒例行事
3月15日木曜日晴れ ×××

 河岸から帰ってきて、仕込みを終えてから確定申告の書類を五時過ぎに四谷税務署に提出。毎年、今年こそは早く出そうと思いながら、「明日でいいや」ってついつい延ばす。
「明日は永遠にこない。明日になればその翌日はまた明日だから、明日やろうというのはず〜とやらないということだ」と中学時代に夏休みの宿題を休みが終わるギリギリまでやらない連中に担任だった柏木徳郎先生は言っていたが、この年になってもいっしょ・・・・

 Y岡さん二名様で来店。初めてのお客様Mさん来店。Yさん御夫妻来店。マロさん来店。Aさん来店。大台さん二名様で来店。Tさん来店。
 宿題がおわったような気分で今日はドンチャン。記憶あいまい。


飲んべえの会のメール
3月14日水曜日晴れ △

 今日は築地が休市。昨日のドンチャンの影響でスポーツセンターにいく元気もなし。
午後よりメールで来週の水曜日に開く予定の飲んべえの会のお知らせを送るが、あまりにも日にちがないこともあり、集まりがいまいち。

 Fさん二名様で来店。Iさん来店。ひとりアンコウ鍋。
 明日の確定申告の書類作り。毎年の事ながらもっと早くやればいいものを。


3月13日火曜日晴れ ×××
 今日の河岸も魚が薄く、高め。予約していただいていた活けのアンコウが入っていたのはラッキー。その他活けのクエなどを購入。
 Dさん三名様で来店。アンコウ鍋。英国に留学していたNさんがTさん、Sさん、Tさんと来店。Nさんは酒いわしや時代からのお客様で当時はW大の学生さん。
でっ、ドンチャン。記憶無し・・・・・
 
3月12日月曜日晴れ ×××
 今日は午後から立川にある歯医者さんにいく。マルガリータさんにお世話になる。
 夕方から神楽坂にあるルバイヤートさんにて飲み会。フィリッポさんNさん、Oさん、酔狂師さん、途中からマルガリータさんご合流。白ワイン三本、赤ワイン二本、持ち込みをさせていただいた初亀出品酒、磯自慢中取り35%でドンチャン。
 帰りにNさんとエムズバーさんに伺う。その後、李さんと寿司屋さんで飲む。

3月11日日曜日晴れ ○
 
店の前にある小さな花壇のバラは当店から出る生ゴミで育っています。その生ゴミの中にあったタマネギの切りカスと根三葉から芽が出てきました。
 店を片付けてからスポーツセンターに行く。今日は時間もたっぷりあるので、一通りのメニューを消化。
 帰宅してから本を持ち込みなが〜いお風呂。


詭弁
3月10日土曜日晴れ ○
 
安部首相は八日に慰安婦問題で河野談話について「自民党が今後、調査、研究をしていくので、資料の提出、提供で協力していく」と述べ、事実上の再調査を進め、「強制連行」が無い事を明らかにしたい考えとみられると三月九日付けの産経新聞は報道していましたが、これはどういう事かと言うと、今までこの元慰安婦への聞き取り調査内容について、外務省と内閣府に情報公開請求は、プライバシーを理由に却下されています。強制連行があったとそれを証言したという朝鮮人売春婦の聞き取り調査内容の精細を公開していないのです。それについて政府として当たり前の事をしていくといっているだけなのです。
下記は「慰安婦問題―国家の品格が問われる 」と題された朝日新聞の本日の社説です。
以下引用
慰安婦問題―国家の品格が問われる
 旧日本軍の慰安婦について、「官憲が家に押し入って連れて行くという強制性はなかった」などと述べた安倍首相の発言の余波が収まらない。
 米国のニューヨーク・タイムズ紙は1面で「否認が元慰安婦の古傷を開いた」として、元慰安婦たちの生々しい証言を伝えた。米連邦議会下院では、日本に対して公式謝罪を求める決議案が採択に向けて勢いを増している。
 一方、国内では慰安婦への謝罪と反省を表明した93年の河野官房長官談話に対し、自民党の議員らが事実関係の再調査を首相に求めた。メディアの一部にも、これに同調する向きがあり、国内外で炎に油を注ぎ合う事態になっている。
 何とも情けないことだ。いま大切なのは、問題は何が幹で何が枝葉なのか、という見極めである。
 首相発言の内容は、河野談話が出されて以来、それを批判する人たちが繰り返し持ち出す論理と似ている。業者がやったことで、日本軍がさらっていったわけではない。だから国家の責任はない、というのが批判派の考えだ。
 今回、一部のメディアが「問題の核心は、官憲による『強制連行』があったかどうかだ」と主張したのも、それに相通じるものだろう。
 しかし、そうした議論の立て方そのものが、問題の本質から目をそらそうとしていないか。
 どのようにして慰安婦を集め、戦地に送り、管理したのか。その実態は地域や時代によって異なる。しかし、全体としては、植民地や占領地の女性たちが意思に反して連れて行かれ、日本軍の将兵の相手をさせられたことは間違いない。
 河野談話が「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と結論づけたのは、潔い態度だった。
 細かな事実にこだわって弁明ばかりするよりも、民族や女性の人権問題ととらえ、自らの歴史に向き合う。それこそが品格ある国家の姿ではないか。

 
海外の誤解も指摘しておきたい。たとえば、米下院の決議案は日本政府が謝罪していないという前提に立っている。
 だが、政府の主導で国民の募金によるアジア女性基金がつくられ、元慰安婦たちに「償い金」を贈り、首相名で「おわびと反省」を表す手紙を渡した。
 補償問題はすでに国家間で決着ずみだとして、政府は女性基金という道を取った。私たちは社説で「国家補償が望ましいが、次善の策としてはやむをえない」と主張してきた。日本として何もしなかったわけではないのだ。
 安倍首相は河野談話を受け継ぐと繰り返し、「これ以上の議論は非生産的だ」と語る場面が増えた。だが、首相が火種となった日本への疑問と不信は、自らが消す努力をするしかない。
 日本は北朝鮮による拉致を人権侵害と国際社会に訴えている。その一方で、自らの過去の人権侵害に目をふさいでいては説得力も乏しくなろう。

引用終わり
朝日新聞社説平成一九年三月一〇日

 それに対して今日の産経新聞社説は「偽史の放置は禍根を残す」という題名のものでした。
以下引用
【主張】慰安婦問題 偽史の放置は禍根を残す
 慰安婦問題に関する過去の官房長官談話が日本の名誉を傷つけ、日米関係にまで影を落としていることは由々しき事態だ。歴史の事実に対しては断固不当な政治解釈を排し、外交的には無用な摩擦を避ける知恵を要する。つまり戦略的対応が求められる。
 その意味で、安倍晋三首相が国会で「官憲による強制的連行があったと証明する証拠はない」と答弁したのは、事実に誠実に向き合った結果であろう。米下院公聴会で証言した韓国人女性は、国民服の日本人男性に売春を強要されたと証言したが、日本軍に強制的に連行されたとは述べていない。
 論点は慰安婦問題で国家の強制連行があったのか、あるいは身売りの娘に業者が介在したのかである。
 しかし、「河野談話」が明確な裏付けもなく慰安所の設置に「旧日本軍の関与」があったと認めたために、彼女らが日本軍の「性の奴隷」であったとの誤った認識を広げてしまった。安倍首相が否定すると、米紙が真意をねじ曲げ、さらに誤解が拡散する。
 首相は自民党の調査、研究に委ねる姿勢を示すことで、これ以上の外交的なマイナスの回避を図った。中国寄りのニューヨーク・タイムズ紙などは、首相の言動を歪曲(わいきょく)すべく虎視眈々(たんたん)と狙っている。彼らに批判材料を提供してしまうと、一般の米国人に間違った認識を与えてしまう。喜ぶのは日米の離間を狙う中韓である。
 特に中国は、日本が国連常任理事国入りを目指すと、歴史認識を武器に反日キャンペーンに乗り出した実績がある。反日運動のいかがわしさに気づいた欧米のメディアから批判を浴びると、その欧米世論を味方に付けるよう方向を転換している。一部の米紙はその術中にはまった。
 誤用の多い「レイプ・オブ・南京」の著者、アイリス・チャン氏の胸像を米有名大学に寄贈した中国人権発展基金会の幹部が、対日歴史批判に関し「欧米などへの宣伝を重視する」と述べていたのはその証拠である。
 米国下院の慰安婦非難決議案と米紙の誤りには、首相が出るまでもなく、その都度、日本政府として訂正を求めるべきだ。歴史事実の誤認や誇張をそのまま放置すると、偽史が独り歩きし後世に禍根を残す。
(2007/03/10 05:06)

引用終わり

 どちらの社説がまともかは明らかです。
 朝日新聞の社説は、朝鮮系日本人が東京特派員を勤め反日記事を書きまくるニューヨークタイムズとの連携プレイ。 そのニューヨクタイムズの日本支局は朝日新聞社の東京本社の社屋内にあり両社は提携関係をしている。
 朝日新聞は今まで吉田清治などという職業詐欺師まで利用して散々、強制連行、人間狩りによる慰安婦集めだと煽り記事を書き、朝鮮、支那のために働いてきたのです。それが、我国政府による調査だけでなく南朝鮮の新聞、政府による調査でも「強制的」に連行したということを示す証拠、資料はどこにもなく、あるのは朝鮮人売春婦の強制連行されたという「証言」だけ。それも信頼できる証言は一つもなかったために、吉見義明氏なども「広義」の意味での「強制連行」などという事を随分前から言い出しています。
 それはこの気狂い社説(自爆社説といっていいかも)においても<細かな事実にこだわって弁明ばかりするよりも、民族や女性の人権問題ととらえ、自らの歴史に向き合う。それこそが品格ある国家の姿ではないか。 >と摺り替えることで路線変更がよくわかります。
 そして、我国において事実を究明して、明らかにしようという動きがあることに対しては<米下院の決議案は日本政府が謝罪していないという前提に立っている>として、事実等どうでもいいから売国奴河野洋平と宮沢喜一がやったように悪いのは我国であるからとにかく謝れと書く。
 これが、品格等という単語を使って書く社説でしょうか。朝日新聞などが国家の品格などという言葉を使って欲しくないものです。品格のなどという単語に一番縁遠い新聞である朝日新聞。

 ちなみに、朝日新聞ほど「品格?」の無い記事ではありませんが、小朝日新聞である毎日新聞、中国新聞も同様の記事を書いています。
毎日新聞 平成一九年三月八日
中国新聞  平成一九年三月九日
 この二つの記事とも河野談話を継承しろ、訂正するな、騒ぐな、とにかく謝れと書いている事です。そして二つとも朝日新聞でさえ、今回の社説には使っていなかった「従軍慰安婦」などという造語を使ってまで記事を書いています。バカとしかいいようのない宮沢喜一、村山富市、河野洋平の売国奴どもの「波風たてずにひたすら相手の言うがままに謝る」といういままでの我国政府のやり方により、今、我国は窮地に陥っています。売春婦強制連行、破棄科学兵器処理などやっていない事は謝る必要もありません。あのホンダというアメリカの議員も河野談話を基にして「やっていないのであれば、なぜ謝った」と言っているのです。
今、必要なのは河野談話の破棄です。今も平気な顔をして国会議員をやっている河野洋平はこの自分の発言に対して何も言っていません。
 昔だったら晒し首でしょう。これだけの国賊は中々いません。それが今でも国会議員。その息子も国会議員。よく平気で生きていられるものです。

 横浜からYさん二名様で来店。Sさん御夫妻来店。
 昨日の反動?というかいつもどおりと言うか・・・・


3月9日金曜日晴れ ×××
 今日はめちゃ忙しい。わ。さん妹さんの卒業と就職の前祝いということで、御両親と四名様で来店。アンコウ鍋でドンチャン。Kさん二名様で来店。同じくアンコウ鍋でドンチャン。初めてのお客様二名様来店。二名様来店。酔狂師さん来店。マロさん来店。ソウル在住のKさん来店。
 途中から洗い物をやめて飲む。お皿、グラスがどっちゃり。
 営業終了後、Kさんと酒を持って中野の「石松」さんにお邪魔する。Kさんも隣に座っていた人の六〇〇円というお勘定を聞いてアゼン。看板もでていないし、外の灯りも消しての営業なのに相変わらず忙しい。七時半から開店するように最近はしたといっていたが、朝までだから大変。四時とかからも平気で入ってくるし・・・
 今日も帰りは明るくなっていました。ホテルまで帰るKさんに途中まで送っていただく。
 今日の反動で明日がコワイ。

朝鮮学校の現実
3月8日木曜日晴れ ×

 朝日新聞に掲載されていた朝鮮学校についての記事です。
朝鮮学校の現実知って 立川でシンポジウム
 各種学校扱いで国庫補助を受けられない朝鮮学校は、家族ぐるみの支援でやっと運営されている。そんな現実を知ってもらおうと、東京都立川市の「西東京朝鮮第一初中級学校」が初の公開シンポジウムを開いた。北朝鮮による拉致や核実験などが報じられ、学校を取り巻く状況が一層厳しさを増していることから企画された。(須藤龍也)
略)
 朝鮮学校が国庫補助を受けられない理由として、独自の民族教育を採り入れたカリキュラムが日本の学校と認められず、「各種学校」扱いになっていることがある。
 文部科学省によると、公立小学校への公費負担は児童1人当たり約90万円(04年度)。そうした補助のない西東京朝鮮第一初中級学校は月謝と寄付金が頼り。運営費は1人当たり約35万円と、公費負担分の半額にも及ばない。
 同校では年間必要な経費を約2億5300万円と試算するが、今年度の予算は約7400万円しかない。都や市区町から独自に合わせて約510万円の助成を受けているが、資金不足の解消には遠い。
 10日のシンポジウムでは、02年9月の日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認めたのをきっかけに、助成金支出の方針が即座に撤回されたという自治体の例も報告された。
 同校の慎基成(シンキソン)校長は「日本で生まれ育ち、定住する在日の子どもたちが、初めて朝鮮の言葉や文化を学ぶ場所が朝鮮学校になっている。
日本の地域の学校として認めて欲しい」と国庫助成に理解を求めた。
引用終わり
朝日新聞 平成十九年二月二六日
http://mytown.asahi.com/tama/news.php?k_id=14000000702260003

 朝鮮人である人たちが日本という外国に生まれ育ちながら日本の文化を学ばないで、朝鮮の文化を学ぶ学校に対して「日本の地域の学校として認めて欲しい」と要求し日本政府に金を出せという事の異常さ。

 朝鮮学校は我が国のカリキュラムを無視し、教員資格もない人間が教師として教えています。
今、手許に「朝鮮高校の青春」(金漢一 光文社)という本があります。一九六四年生まれの在日二世である著者の金漢一氏は小中高の一二年間を郡山市と仙台の朝鮮学校寮生として過ごしたのち一九八七年に英文朝日に入社し、現在はヘラルド朝日のスタッフライターだそうです。
 この本には
「ボクたちが暴力的だったわけ」という副題がついています。暴力的だったのを自慢し、そのいい訳を・・・・・腐れヤクザも真っ青です。まあ、ヤクザのエリートは多そうですけど。OBが・・・
 その内容は
日曜日には街に出てのケンカが義務づけられていたそうで
三年生は、いわば自由である。取り立てて街に出る必要もない。パチンコ好きな先輩はじつに気楽に「○○パチンコにいるから、カネを持ってこい」と声をかけて去っていく。こうなると持ち合わせがないかぎり、カツアゲしないといけなくなる。先輩命令なので朝高的には合法だ。>p二五

 <
先にも書いたように、カツアゲは一応禁止なのだが、先輩に頼まれることで大義名分が立つ。あとは先輩にいわれた以上に「稼げ」ば、おいしい物を食べて、七時の点呼に合わせてタクシーで戻ってくればいいのだ。あたりまえのように街中でノルマを課してくる先輩もいるし、表向きは一応禁止なので中のいい後輩に特別に頼む場合もあった。
 最初からケンカ・カツアゲモードのやつは「暴走族センサー」がついているのではと思うくらい目ざとく、ツッパリどもを見つける。バスから駆け降りて、街行くツッパリに蹴りを突っ込むという感じだ。
 略)
 カツアゲのとき、僕たちは「カネを貸せ」なんて遠回しな表現はあまり使わなかった。ズバリ「出せ」と脅していた。
 略)
 まるで説教強盗だ。自分達から突っかかっておいて、また殴ったりする。なかには、本当に給料をそのままいただいてくる奴がいた。
「おまえ、それひどすぎるんじゃあない?」
「チョッパリには何をしようが構わないよ」>p二八〜二九

 <
族が冷やかしに来た翌日曜日は、こちらもハイテンションだ。温和な僕でさえも、多少は好戦的な気持ちで街に出る事になる。もう完全に大義名分はこちらにあるという感じだ。
 どんな車が校門前でクラクションを鳴らしたかなんてわからない。とにかく手当りしだいに、信号待ちしている族の車をひっくり返したり、フロントガラスを割ったりする。改造車は軽い車が多いのだ。
 車から出てきた暴走族の連中は、どういうわけか、ひょろりとした線の細いヤツが多い。頭にポマードをべっとり塗っているヤツには、
その髪にライターで火をつける。青白い炎がフワッと現れたと思うと、いつの間にか勝手にもがいている。
 ちなみに、クスリと強姦は朝高生にとって御法度だということは付け加えておきたい。
>p三八〜三九

いずれも人間性をよく現しているお言葉ばかりですが、そんなリッパナな生徒を指導する尊敬できるリッパナセンセイとは
<寮生の場合、生徒が警察に捕まるたびに親が迎えに行くわけにもいかない。当然、先生が保護者として警察に引き取りに行く。ただ、先生が謝るということはまずない。
 それどころか、
植民地時代の話を持ち出し、強制連行等の理由で日本に渡ってきた境遇を説明して、日本での差別に苦しめられたからこのようなケンカになるのだと堂々と主張するのだ。
 略)
 捕まった朝高生も、日本人の徴発に乗ってケンカになったの一点張りだ。
先生も歴史的経緯説を譲らないで、結局は日本政府が悪いと主張し、どんどん話を大きくする。p三六

 大ウソをならべて、相手に謝らせるという、これまた朝鮮人の行動パターンがよ〜くわかるお話です。まだまだすばらしいセンセイの事が書かれています。

<先生もタバコくらいじゃ何も言わない。それどころか、タバコを吸う人間をしっかり把握して、自分が切らしたときはタバコをねだりに来るくらいである。
タバコくらいで生徒を停学にしていたら「学級閉鎖」になってしまう。それはケンカやカツアゲで捕まっても同じ事だ。>
p四一

 二年生が一年生をヤキをいれ過ぎて
殺した時の当時の金校長のありがたいお言葉
事件の背景には民族差別問題が深くからんでおり、単純な暴行事件ではない」『河北新報』一九八二年二月二日>p七〇

 そんな偉大な大センセイからどのような教育をうけているかというと、
<「首領の命令さえあれば、米帝をこの世きあら葬り去るぞ」
「この幸せを与えてくれた父なる首領・金日成元帥万歳、万々歳」
 このような曲が、朝からかかるのだ>
<そして、金日成主席(当時は首相)に関する教育も始まった。
 授業でも彼の「革命的家庭」について習いはじめるのだが、主役は副読本ともいえる絵本の『金日成元帥の幼少時代』だった>
p一三五


 朝高の一般教室はこうなっていると書かれた一三7ページの絵では、金日成、金正日の肖像が正面に飾られ、金日成の教示などが壁に貼られていることが示されている。
 また、教科書については反日教育はなかったと書きながら
(一九九三年までとして)<
教科書は「金日成元帥の革命運動」、そして四年生から「〜革命歴史」と名を変え、金日成主席の曾祖父と祖父母の部分を軽く流したあと、両親や弟、叔父など主な親類に触れ、少年金日成から青年金日成への生い立ち、抗日軍を組織して祖国を解放し、労働党創立、建国、朝鮮戦争、復旧建設、計画経済という流れで、近現代の出来事までカバーされていた。>p一三九

そんなウソが書かれた教科書を使って教える内容は
<「君たちは、線路にある枕木を知っていますか?あの枕木の数と日本人に殺された朝鮮人の数は一緒なのです」
「枕木っていくつあるのですか」
「それほど多くの人が殺されたってことです」>
p一五九

また、金日成については
金日成の肖像画のガラスを赤い布で磨くのは日直の重要な仕事だったし、火事の時に真っ先に肖像画を運び出した人の「英雄的行動」が紹介されたりもした。
略)
朝鮮学校には金日成の研究室と称した部屋があり、そこに赤じゅうたんが敷かれていて、石膏の胸像があり、「革命歴史」がパネルになって展示されていた。>p一四四


 ですから当然このような人間ができます。
<この「チョッパリ」「日本人みたい」という言葉は、思い起こせば、朝鮮学校に通っているときにもっとも言われたくない言葉だったといっていい。>p二九
<国旗も気になる。日韓の国旗に関してはあまりいい印象がなかった。国旗に対する冒涜だと非難する人もいるだろうが、日本の国旗は「梅干し弁当」、韓国の国旗は「ペプシコーラ」というイメージが強かった。>
p二五八

 こんな教育をしている学校が銭を寄越せと日本政府に言う事の理不尽さ。

 そんなリッパナな?朝鮮学校の校長からはこれまたりっぱな「犯罪者」が輩出いたしております。
日本人拉致の犯人として国際指名手配 「朝鮮学校の元校長 金吉旭」
http://www.google.co.jp/search?num=50&hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&c2coff=1&q=%8B%E0%8Bg%88%AE%81@%9Df%92v%81@%92%A9%91N%8Aw%8DZ&lr=lang_ja

北朝鮮と共謀した
覚醒剤の密輸で国際指名手配 「朝鮮学校の元校長 曹奎聖」
http://www.google.co.jp/search?num=50&q=%91%82%9a%f5%90%b9%81@%8ao%90%c1%8d%dc%81@%92%a9%91N%8aw%8dZ&ie=SJIS&oe=SJIS&hl=ja&lr=lang_ja

 大したものです。流石です。そんな朝鮮学校に肩入れする朝日新聞もこれまた流石です。

こんな学校が沖縄など一九の県を除いた日本全国に六八もあるのです。

早く、日本から出ていってくれというのが正直な気持ちです。

 今日もメチャヒマ。金チャン、マロさん来店。


発想の転換???????
3月7日水曜日晴れ ×××

 あの在日朝鮮人で自称「浪速の唄う巨人」趙博氏の事が先日毎日新聞に掲載されていました。
以下引用
必要なのは発想の転換=在日ミュージシャン・趙博さん
 僕は在日朝鮮人として大阪の被差別部落に生まれ、劣悪な住環境の中で生後2週間で右目を失いました。西山と名乗って朝鮮人という事実をひた隠し、隻眼(せきがん)をバカにされまいと、勉強、けんか、スポーツ、何でも一番やないと終わりなんやと必死でした。学校は一瞬も気が抜けない戦場だったのです。
 最難関の高校を目指した中学3年の冬。「出世したる。この家にいたら未来はない、飛翔(ひしょう)せよ」を生活訓にし、1日4時間の睡眠。これがたたって結核になり、生死をさまよい受験はパー。境遇への憎悪から卒業証書を燃やしました。
 でも、妥協して入った高校が良かった。保健室の美人な先生に勧められ、萩原朔太郎や井上靖らの詩や小説に触れ、吉田拓郎、ボブ・ディランらのフォークソングにはまった。 文学と音楽を愛する格好いい自由人を目指しました。
 大学では、学生運動に没頭。予備校講師を18年務め、「ロックで学ぶ入試英語」など好き放題やりました。でも、「未来形の『Will』に何で過去形があるのか」などとこっけいでも、講師をうならせた生徒たちが、「この参考書をやれば〇○大学に入れますか」と年々おかしくなった。ギラギラさがない。予備校では、国が仕掛けた偏差値競争と闘う反権力闘争だと信じてやってきたのに、今やすり寄るばかり。
塾の最終講義では、闘争の敗北を認めつつ、「おまえら終わっとるんじゃ」とぼろくそに言ってやった。
 学校でも、子どものいじめが陰湿化し、被害者と加害者が入れ替わる。1回どついたら友情は修復不可能。おかしいやろ。娘が、小中学校で不登校になったが、その豊かな感受性から不登校になったことを心底誇りに思います。
 
大阪の学校には「非行は宝」という言葉がある。必要なのは、こうした発想の転換。
学校に期待するよりも、僕らおやじが人生を楽しんでいる姿を子どもに見せましょう。

<聞き手・大場弘行> 毎日新聞平成一九年二月二六日
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/gakkou/news/20070226ddm004070032000c.html
引用終わり

 流石は自分のホームページで浜松駅でJR職員に暴力を振るって脅した事を自慢げに書いてヒンシュクをかい、あっという間に削除しただけのことはあってすばらしい内容です。
 <大阪の学校には「非行は宝」という言葉がある> って、これどうみてもオオウソでしょ。学校って何処の学校でしょう。大阪の在日朝鮮人だけの言葉ではないでしょうか。
 予備校講師をやりながら、<予備校では、国が仕掛けた 偏差値競争と闘う反権力闘争だと信じてやってきた>・・・あの辛淑玉女史と同じくアホとしか言い様がありません。こんなのを持ち上げている日本の腐れマスコミ。
 
 今日は午後からスポーツセンターに行く。まだ、古本市が開催されていたので、ついつい本多勝一氏と同じ穴のムジナである笠原十九司氏の著書「アジアのなかの日本軍」などを購入。しかし、こんなのを教授にしている都留文化大学ってなんざんしょ。そういやあ、随分前に「今度戦争があったら従軍慰安婦にしてやる」とかホザいていたという在日北朝鮮人でレイプ疑惑?でたった二ヶ月の停職になったという男がこの笠原氏と同じ文学部・比較文化学科の助教授をやっていたとかいうのをネットで見た事があるのですが、まだいるのでしょうか。まあ、あの東大の上野千鶴子女史とか姜尚中氏とかを税金で養っているくらいですから、珍しくもないでしょうが我が国も太っ腹です。

 大台さん二名様で来店。マロさん来店。初めてのお客様チャリンコで来店。二名様来店。
営業終了後、阿佐ヶ谷の「ひげ」さんにおじゃまする。マスターと日本刀談義。ドンチャン。最後の方は記憶無し。


売国奴つながり
3月6日火曜日晴れ ×

 ネットにあった昨日の「News23 」の多事争論というコーナーにおいての筑紫哲也氏の発言です。
以下引用 
もういい加減にしてほしい、忘れたい、と過去のことについてそれが古傷であればあるほど人は思うわけでありますけれども、しかし、過去のことが現在とは無関係ではないし、その過去に現在どう取り組むかが未来を決めるということがあります。
略)
今日の答弁では、その強制には広いのと狭いのと両方あると。官憲が直接出かけて行って強制連行するという、そういうことはなかったのだから、狭い意味での強制性はないのだと。だたし、業者にそういうことをやらせたことに強制性があるという、まあ日本人が聞いていても分からない説明であります。
これが対外的に日本政府の立場を理解してもらうというのですが、どうやって理解ができるのかどうか。それは私は過去というものは本当にどの国でもいろんな古傷がありますけれども、それに
歴史を直視するかどうか、そのことが大事だと思います。官房長官談話にもその言葉がありました。これを継承してほしいものです
引用終わり

 そして、「『慰安婦』発言―いらぬ誤解を招くまい?」と題されたあの朝日新聞の本日の社説です。
以下引用
【社説】2007年03月06日(火曜日)付
略)
 この問題についての
日本政府の公式見解は、93年に出された河野官房長官談話である。旧日本軍が慰安所の設置などに関与し、「総じて本人たちの意思に反して行われた」と認めた。慰安所での生活について「強制的な状況の下での痛ましいものであった」としている。
 略)
 だが、いわゆる従軍慰安婦の募集や移送、管理などを通じて、全体として強制性を認めるべき実態があったことは明らかだろう。河野談話もそうした認識に立っている。
細かな定義や区別にことさらこだわるのは、日本を代表する立場の首相として潔い態度とは言えない。
 首相の一言が大きな波紋を呼んだのは、首相自身がかつて河野談話を批判する議員グループの先頭に立ってきた過去があるからだ。
 このグループは、いまも河野談話の修正を求めようと議論を進めている。米国の下院に、慰安婦の問題をめぐって首相の公式謝罪を要求する決議案が出されたことに反発しているようだ。
 政府は
河野談話に基づいてアジア女性基金を発足させ、元慰安婦への償いの事業に民間と協力して取り組んできた。自民党が連立する村山政権の時からだ。
 
以後、橋本龍太郎氏から小泉純一郎氏まで4代の自民党首相が「おわびの手紙」に署名し、元慰安婦に送ってきた。戦争で蹂躙(じゅうりん)してしまったアジア諸国との和解のために、官民が連携して積み上げてきた努力なのだ。
 
首相は政権として方針を決めた以上、要らぬ誤解を招く発言は避けるべきだ。日本の信用にかかわりかねない。米議会に対しては、こうした首相の手紙などの取り組みを説明すればいいことだ。
引用終わり


歴史を直視するかどうか、そのことが大事」「官房長官談話にもその言葉がありました。これを継承してほしい 細かな定義や区別にことさらこだわるのは、日本を代表する立場の首相として潔い態度とは言えない」とは笑わせる。
 まあ、吉田清治という職業詐欺師を祭り上げ「従軍慰安婦」「強制連行」というウソを広めた売国奴新聞とそのOBらしいコメントです。その「従軍慰安婦」と「強制連行」を否定されると困るので躍起になっているのでしょう。このバカどもが拠り所としているのが、今、我が国政府が否定しようとしているあの「河野談話」です。「河野談話」「北朝鮮への援助」「支那における化学兵器処理」など、支那、朝鮮からは頼りにされている売国奴河野洋平が我が国へ与えた被害は甚大です。

 河岸に行くといつもお世話になっているお店が火事で大変なことになっていた。日曜日の朝九時ごろの出火ということで、休日なのに仕事で出ている人がいて、発見が早く数軒の中卸しさんの被害で済んだのが不幸中の幸い。でもやはり火事は大変。
 昨日の大荒れの天候で、魚が薄いので高い。
めちゃヒマ。初めてのお客様Nさん来店。Mさん来店。Mさんとは大宮にあるお店で阿波屋の今野さんから御紹介いただきお会いしてから久しぶり。当店には初めての御来店。AIKOさん来店。

 


戸井田とおる議員の答弁
3月5日月曜日 曇り 風邪強し

 先週の週刊新潮(三月八日号)p四七に<「南京の死者二万人」と「国際連盟」で演説していた>という記事があった。
 それは今年二月二十一日に戸井田とおる議員によるこのような答弁が国会内閣委員会であったということです。
ところが、議会の議事録をみるとそれだけではない。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm

以下引用
内閣委員会
平成十九年二月二十一日(水曜日)   
戸井田委員 自由民主党の戸井田とおるです。
略)
 昨年の十月二十七日の当委員会でやはり同じような質問をしたんですけれども、資料一を見ていただきたいと思うんです。このカラー版のものです。一番最初のは、アイリス・チャンの「レイプ・オブ・南京」の表紙と、その中に入っている写真です。この上の写真なんですけれども、それは、日本人は数千人の女性を駆り集めた、ほとんどの者は集団暴行され、軍の売春婦に強制的にさせられたと。官房長官は英語がよくわかるんですから、このキャプションを読んでいただいたらわかると思うんですけれども。この二枚目の左上の写真ですね。
 それと同じのがこのアサヒグラフに出ているんですけれども、アサヒグラフの方の三枚目です、これが初出の写真なんですね。(十月十四日 熊崎特派員撮影)と、写真の左横ですか、そこに書いてあります。このキャプションの違いにも驚くんですけれども、大事なのは、この(十月十四日 熊崎特派員撮影)と、日付と撮影者が書かれているということなんですね。そういうことでこの写真の信憑性というものもわかるし、同時に、これを追跡調査しようと思ったら、きちっとその事実をつかめるし、原版も突き当たることができるわけであります。
 昨年の本委員会でもって、国会図書館というのは、国会議員が国政調査のための資料をそこに集めてあるわけでありますから、そこで調べていくと、間違った資料をもとに間違った考えを頭に植えつけて、結果的に間違った法律をつくるというようなことになると国民に迷惑がかかるし、ここらのことは非常にスピード感を持って解決していただきたいなと。

 前回は、日本国全部の税金を使った図書館ということを申し上げたんですけれども、私は国会議員として、国会議員が調査に当たる、その中心の場である国会図書館の資料に、明らかに間違いだ、一次資料で確認できる、そういうものについてはきちっと訂正をしていただきたい。前回は、富田メモのように、写真だけでも上に張りつけたらどうだというようなことを申し上げましたけれども、今はなかなか難しいようでありますから、それだったら、インターネットでホームページでもつくって、そういう間違いの訂正というか、そういうものをきちっと出せるようにしていただきたいな。そのことをぜひお願いしたいと思うんですけれども、まず、国会図書館長ですか。

黒澤国立国会図書館長 お答え申し上げます。
 当館は、設置の根拠であります国立国会図書館法の規定に基づいて、収集した資料を最大限に国会、行政・司法、並びに国民の利用に供する任務を有していることは、先生御存じのとおりでございます。この任務は、憲法第二十一条の保障する表現の自由にかかわるものでございます。
 これらの考えから見まして、当館がみずからの判断に基づいて資料の利用を制限したり、誤りであると判断することは、国民の人権の侵害につながるようなことになるのではないかなと思います。
 先生のおっしゃるように、注意書を添付、貼付するだけであるといたしましても、当館がその資料に対して価値判断を行ったに等しいと受け取られるのではないかなと思います。
 当館は、資料が明らかに間違いであることを判断する権限を持っておりません。むしろ、資料の内容に価値判断を加えず、多様な意見を国民に提供することが当館の役割であると私は認識いたしております。
 御指摘のような資料については、研究者による議論等の言論活動を通じて適切な評価が与えられていくものと私は考えております。
 以上でございます。

戸井田委員 想像した答えなんですけれども、今、これからネット社会というのが広がっていくと、大変なことが起きてくる可能性があるわけです。中国でも、ネット人口一億四千万人、日本の国民以上、そのネットに関係する人間がいるということですね。そんな人らが集中攻撃を浴びせてくる、そういうようなことになったときに、日本はどうやって対抗していくんだという思いもあるし、確かに、言論の自由、いろいろありますよ。そういうことには慎重にならなきゃならないのはよくわかります。しかし、それで本当に正義は守っていけるのかなという思いもあるんですね。
 私自身も非常に迷う部分ではありますけれども、今後とも何らかの形で、明らかに間違いだということが証明されている、逆に言ったら、これは人の写真を横取りしたということですよね。盗作にも匹敵するんじゃないかな、そういうことも思うわけですから、ぜひそんなところも対応していただきたいと思います。
 では、次に移りますけれども、ことしは、南京攻略戦から七十周年になります。ことし、世界じゅうで、天皇の軍隊が組織的にホロコーストをしたとの宣伝映画が七本以上もつくられると報道されています。

 十九日の予算委員会でも、我が党の稲田議員が従軍慰安婦の問題を取り上げておられましたけれども、慰安婦非難決議が米国の下院議会で採決されると日米同盟に少なからず悪影響を及ぼすことになると考えるんですけれども、
慰安婦問題に関しては、強制連行を示す一次資料がないにもかかわらず日本人的心情で政府が謝罪したことに端を発している、私はそういうふうに思っております。これらの問題に関して、真相を戦略的に内外に発信してこなかったという政府の責任は重大だと思うわけであります。
 実は、その調査をしていて、早急に、ペロシ米下院議長、マイク・ホンダ議員に翻訳して差し上げてもらいたいような資料が出てきました。

 資料二を見ていただきたいと思うんですけれども、これは官報号外、昭和二十八年二月二十七日に載った第十五回国会の社会党の藤原道子議員の質問の議事録です。
 二ページ目の上段に線が引いてありますけれども、そこにはこのように書かれてあります。
「米軍の暴行事件は、昨年十二月まで独立後」独立後ですよ、「八カ月間におきまして千八百七十八件を数え、なお泣き寝入りになつておりまする件数は厖大な数であろうと想像されております。」
 次に、三段目の線のところを見ていただきたいと思いますけれども、またこうも述べておられます。

 
私は、米軍の日本進駐に対し、この尊い母に代つて青年の純潔と健康と堕落から青年を守つた米軍をこそ、信頼し、期待していたのであります。併しこの期待はみごとに裏切られました。基地附近の百鬼夜行の有様は、学童の勉学する所まで荒らされ、幼児さえ米兵の行為の真似をして遊ぶ状態は、ひとり日本の母を悲しませるのみならず、遠く我が子の上を思うアメリカの妻が、母たちが、若しこの実情を知りましたならば、その歎きと、当局に対する不信と憤りは、どのような結果を招くでありましようか。それとも、アメリカの婦人尊重、正義人道とは、アメリカ国内だけであつて、ヨーロッパではそれは紳士道を守るが、アジアの国々においては、その国内法を無視し、何をしてもよい、軍紀も何も通用しないことになつているのでございましようか。


 アメリカの若き兵士の妻、母の立場をもおもんぱかった格調高い日本女性議員の訴えは、読んでいて心を打つものがあると思うんですね。私は、戦後失われたものの一つに、正当な抗議をしなくてはならないときにしてこなかったことがあると思うんです。

 官房長官、戦略的に内外に発信するということは、まさに時をとらえて発信することではないんだろうか。タイミングを外したらだめだということであります。逃してはならない時があると思うんですね。私は、まさに今がそのときではないかな、そう思うわけであります。

 今、
アイリス・チャン氏の「レイプ・オブ・南京」を題材にした映画が制作されておりますけれども、米国議会からは慰安婦問題の決議案が提出され、中国では、南京虐殺記念館は展示面積が三倍に拡張される、多くの抗日記念館が北京オリンピックを目指して新たに建設されるなど、海外に向けて反日運動をこれでもかとばかり繰り広げているわけですよ。その状態を放置していていいんだろうか。

 
南京問題にしても、七十年もの間、あったなかったと論争があるにもかかわらず、国は何も調査をしてこなかった。何もと言ったら言い過ぎかもわかりませんけれども、調査をしてこなかったというその不作為は無視することができないな、私は調べれば調べるほどそう思うわけであります。

 中国が言うところの国際的に認められた事実なのか。国際連盟の一次資料を取り寄せてみてびっくりしました。

 これは、
外務省も非常に協力してくれればいいんですけれども、持ってきた国連の決議文、これなんかでも読めないようなコピーで持ってくるんですね。読めるようになっていても、私もすべて理解できるかといったらそうじゃないから、ちゃんと訳文をつけてくれと言ったら、その訳文がついてきたのがけさ方の四時です。二時まで待っていたけれども来なかったということで、知り合いに頼んで決議文の全文を訳してもらったんです。

 
一九三八年の二月二日、国際連盟理事会第百会期第六会議、支那問題に関する決議が採択されているんですけれども、中国代表が採択に当たって行ったとされる南京攻略戦での日本軍非難演説の内容は、決議文に取り入れられていないと承知しておりますけれども、いかがでしょうか。

伊原政府参考人 今先生御指摘の国際連盟理事会の決議でございますが、これは、一九三八年の二月二日、国際連盟理事会の第百会期の第六会議において、支那問題に関する決議という名前のものが採択されております。

 まさに先生御指摘のとおり、同決議の採択に当たり、中国代表の顧維鈞という人物が、日本の侵略の事実、旧日本軍の暴行、第三国に対する権益侵害等を述べた上で、連盟の行動を要求する趣旨の演説を行い、その中で、中国の代表は、第三国の新聞記事等を引用する形で、南京における旧日本軍兵士による殺害や略奪行為について言及したというふうに承知しております。

 一方、決議においては、南京事件について明示的な言及はございません。中国における戦闘行為の継続、激化に遺憾の意が示されるとともに、極東に直接の利害関係を有する諸国間において紛争を解決する機会につき検討することを期待するといったようなことが、その決議の中では表明されているというふうに承知しております。

戸井田委員 今言われたように、
国際連盟の理事会は、中国の一方的な政治宣伝との認識を持っていたことにほかならないと思うんですね。それだけの演説をしながら、しかし、それは、今言われているような数の、三十万人の虐殺と二万人の暴行が、その当時、中国の代表が二万人と数千ということを言っているわけです。だけれども、それでも理事会はその中国の演説に対して動かずにいたということ。これはどういうことなのか、どういう意味を持っているのかということを考えたら、まさに国際連盟は相手にしていなかったということなんだろうと思うんですね。

 こういう資料をずっと当たっていくと、やはり一次資料、第三者がだれでも確認できる資料を当たっていって、それを積み上げていく、そのことをやはり政府はきちっと発信していく必要があるんじゃないかなというふうに思うんです。
 それ以外にも、やはり世の中には、そういうことに奮起して、一人で黙々と、何の利益にならなくても調べ回っている人というのは実はいるわけであります。

 資料四を見ていただきたいんですけれども、一九八四年に、南京問題一筋に研究している阿羅健一さんが、南京攻略戦に従軍した外国新聞社の記事を調査したものがあるわけであります。今一般に言われているようなことなど、
当時、第三国の新聞記事には載っていない。ニューヨーク・タイムズとかロンドン・タイムズだとか、そういう海外の特派員が当時、南京にいたわけですよね。しかし、本国に送った記事の中に、三十万の虐殺であるとか二万人のレイプだとか、そんなものは出ていないわけであります。

 それは、今から訂正するわけにいきませんし、その当時の記録として残っているそのものを丹念に当たっていくことによって、それが証明されてくるんだ、私はそういうふうに思っております。

 そして、お手元に資料の五をお配りしておりますけれども、これは、一九九八年に雑誌に掲載された南京虐殺派の第一人者であります笠原十九司都留文科大学教授も、そのページの中に線を引いておりますけれども、「南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺はおこなわれていない。」というふうに明確に書いております。

 もう一つ、手元に配付しております資料六の中には、水間政憲氏が朝日新聞と毎日新聞に公式見解を問い合わせたものがあります。
朝日、毎日も、南京での虐殺は特定していませんと明確に回答しているわけであります。

 次に、資料七も見ていただきたいと思うんですけれども、これは阿羅健一氏が南京に従軍した新聞記者、軍人などから聞き書きした「「南京事件」 日本人四十八人の証言」の一部であります。当時の支局長の中には、我々の政治の先輩であります橋本登美三郎さんも当時おられた。その人の証言もその本の中には入っております。
朝日新聞の山本治上海支局員は、「事件と言うようなものはなかったと思います。」「朝日でも話題になってません。」とはっきり答えているんですね。

 そこで、外交問題になっているこのような歴史認識問題に関して、一切の日本側の解釈を加えない形にして重要な一次資料だけでも、外務省のホームページというのはアクセス数が世界で二番目とかいうことを言っておられるわけですから、そのホームページに掲載して、日本のみならず世界にわかりやすく理解されるよう、内外に発信していく必要があると思うんですけれども、官房長官、どうでしょうか。

塩崎国務大臣 先生の党での活動について、いろいろと今、御教示をいただきました。

 ホームページに掲載してはどうだ、こういうお話でありますが、歴史認識に関連する資料を含めて、戦前戦中の日本外交に関する資料については、外交史料館というところで個々のファイルごとに保管をいたしまして、一般に供覧に供しているという形に今なっているところでございます。

 それから、内閣府所管のアジア歴史資料センターというところがありますが、国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所図書館が所蔵をいたします、明治初期から終戦までのアジア関係資料を電子データベース化する作業を今進めておりまして、作業が終了したものから順次インターネットを通じて既に国内外に情報を提供しているというところでございます。

 今、一次資料については解釈を入れない客観的な形でというお話がありましたが、現状、今御説明申し上げたような形で供覧に供しているというところでございます。

戸井田委員 大体そういう答弁が来るんだろうなと思いながら待っておりましたけれども、しかし、内外に発信する、わかりやすく発信するということはどういうことなのか。特にこの南京問題に関しては、あったことを又聞きとか、そんなうわさ話がどんどん膨れ上がっていくわけですよ。だけれども、日本としてもあったかなかったか判断はしない、しかし第三者が確認できる、そういう資料だけを集めていったときに、さあそれで皆さんどう思いますかというのが民主主義だというふうに思うんですね。

 私も南京の現場を見ていないわけですよ。今ここにいる人はすべて見ていないと言ってもいいほどだと思います。ほとんどの人がそれを知らない。知らない中に、そういう宣伝のプロパガンダがぼんぼこぼんぼこ入ってきたときに、その人たちはどうなるかということを考えたときに、やはりそこは大人として正しく、一次資料はこうなんですよ、それを見て考えてくださいというようなことは、わかりやすく発信することになるんじゃないでしょうか。

 これは言うだけでありますけれども、あえて返事をしてくれとは言いませんけれども、だけれども、やってほしいですね。それをやらなかったら我々はもっと別の行動をします。そのことを言っておきます。

 略)

戸井田委員 私の手元に、中国の南京軍事法廷で、通称百人切り競争の実行犯として、たった一回の公判で死刑になった向井敏明少尉に叙賜されたことを証明する文書があります。
昭和四十五年の六月二十七日、政府は向井少尉に勲四等旭日章を叙賜したことになっています。そして、毎日新聞なんかでは、現在でも大武勲の事実報道をしていたとしていますが、当時、大武勲があれば必ずや逆に授与されたはずの金鵄勲章が、向井、野田両少尉には叙賜されていません。この事実は、日本政府が毎日新聞の記事が創作だったと判断していることになるわけでありますけれども。

 現在、南京大虐殺記念館などに展示されていて、毎日新聞に掲載された両少尉の写真を撮った、
元東京日日新聞カメラマンの佐藤振寿さんは、九十歳を過ぎていますが、まだお元気なんです。佐藤さんは、平成十六年の東京地裁に百人切り競争の裁判の証人として出廷したのでありますが、そのとき供述書で、百人切りはうそである、浅海はうそを書いたと同僚だった記者を批判して、百人切りはうそと断言しているのであります。それもこれも、当時の軍隊がどれだけ軍紀に厳しかったか知らないからこんなことになるんだというふうに思うんですね。

 お手元に、軍事刑罰令の一部をコピーしたものがありますから、見ていただきたいと思います。強姦、捕虜を死亡させたら、七年とか死刑とかなんですよね。これは原本を見てもらったらわかるんですけれども、これは靖国神社からお借りしてきたんですね。こういうポケットタイプのものをみんな軍服のポケットに入れているわけです。僕もこれは初めて見ましたよ、こういう小型の。軍人手帳というのはよく恩給なんかのあれでもって見ることはありましたけれども。こういうものがあって、みんな軍人一人一人が持ってしているんですね。その中に全部そのことが書かれているわけであります。

 そのことをすべて承知して、向井敏明少尉は犯罪者でないと認定したことになると思うんですけれども、福下さん、間違いないでしょうか。

福下政府参考人 お答えいたします。
 賞勲局の保管している資料には、向井敏明さんに金鵄勲章が授与されたという記録はございません。一方、昭和四十五年六月二十七日に、戦没者叙勲といたしまして勲四等旭日小綬章が授与されておられます。
 ただ、賞勲局といたしまして、その向井敏明さんが犯罪者であったかどうかということをお答えする立場にはございませんので、答弁は差し控えさせていただきたいと思います。

戸井田委員 やはりそういうあいまいなことなんですね。明確に発信されていない、これが日本の、日本人の性質なのかなというふうに思うんですけれども。
 もう時間も参りましたけれども、私は、このたびのこういう従軍慰安婦問題、同時に南京問題も含めて、
中国という国は映画一つつくろうと思っても検閲の入る国であります。先ほどいろいろ言っていました言論の自由、出版の自由、そんなものもない国なんですね。その国がやりたいようにやってくる。

 同時に、日本というのはやはり自由の国であり、民主主義の国である。国会に携わる、政治に携わっていく人間は、自由と民主主義というものをやはり大切にしていかなきゃならないということは、だれもが肝に銘じていることだと思うんです。しかし、そのことを守っていく、そのことを言うべきときに主張することは主張していく、そういうことをしていかない限り、この自由と民主主義というものは守り切れないと私は思うんです。なあなあでやっていて本当にそれが守っていけるんだろうか。

 かつてのまじめにやってきた日本人たちが、主張したくても主張できる立場に今ない、既に亡くなってしまっている。代議士という言葉は、だれかの代弁をするのであるとしたら、もう既に亡くなった人たちのその心情もおもんぱかって、主張すべきことは、その時期、時を逃さずに主張すべき責任があるんじゃないか、私はそういうふうに思っております。

 最後に、官房長官、どう思いますか。それだけお聞きして、終わります。

塩崎国務大臣 代議士というのは、代わって議論する士、こう書くわけでありますので、国民にかわって議論をしていくというのが我々の使命だと思っております。

 今いろいろと御指摘がございましたが、個別の事実関係はともかく、我々としては、過去について事実に反するようなことがあれば、やはり物申していかなければいけないということでもあろうかと思います。今先生が御指摘になった点を踏まえて、また、行政のやり方についても御指摘がございましたが、今の御意見を聞いて、またこちらでも検討してまいりたい、このように思います。

戸井田委員 最後に、これは言わなかったですけれども、この資料を官房長官にお渡しして、質問を終わります。
引用終わり

 私はこの全文を全国紙に掲載していただきたくおもいます。どうして朝日新聞、毎日新聞はともかくとして他紙はこの事を報道しないのでしょう。
そして
 「かつてのまじめにやってきた日本人たちが、主張したくても主張できる立場に今ない、既に亡くなってしまっている。代議士という言葉は、だれかの代弁をするのであるとしたら、もう既に亡くなった人たちのその心情もおもんぱかって、主張すべきことは、その時期、時を逃さずに主張すべき責任があるんじゃないか、私はそういうふうに思っております。」
という戸井田議員の言葉は重い。

 今日は飯を食いに外に出た以外は、部屋でゴロゴロして一日が終わる。
昨日のスポーツセンターでの反動で背中、三頭筋などが痛い。

三・一事件と裁判
3月4日日曜日 晴れ ○

 三・一事件に関して下記のような記述の本が数多くあります。
 「警察と憲兵は捕らえたものに過酷な拷問を加えた。日本軍の弾圧に依る死者は七〇〇〇名、負傷者は一六〇〇〇名、検挙者は約四万七〇〇〇名にも及んだ」(「日本の七〇年戦争」丸山静雄 新日本出版社p五二)

 我が国はこのような事を本当にしたのでしょうか。
 三・一事件の前となる「二・八事件」は朝鮮半島よりの留学生による東京などでの独立宣言で、東京集会では二十九名が逮捕された。しかし、独立宣言に署名した一一名中、九名を除き釈放。起訴された九名は、弁護士として当代の第一人者であった花井卓蔵、布施辰治らが無報酬で弁護を引き受け、内乱罪などに問われる事なく、文書の無断配布を問う出版法第二六条に問われ、最高九カ月の判決が下っただけでした。
 三・一運動という暴動ともいえるものに対しても我国は法治国家として公正な裁判を行いました。

 朝鮮人暴徒は棍棒、鎌、鍬、竹槍または稀に拳銃を使って軍隊、警察に抵抗した。さらに官公署や学校を襲い、放火、破壊を行ない、内地人の家産あるいは巡査補、憲兵補助員(朝鮮人が担当)の居宅を犯し、日本人の憲兵六名、警察官二名を殺害したが、被疑者に対しては朝鮮固有の拷問は皆無で、証拠主義に徹し、多くの被疑者が無罪放免となった。
 さらにこのような暴動なのに死刑も無期も一人としてなく、軽罰の判決しか出さなかった。とくに、四月三日に水原郡雨汀面(村)花樹警察官駐在所(日本人巡査一名、朝鮮人巡査補三名が勤務)の川端豊太郎巡査を石と棍棒で殺したうえに、(創痕五一ケ所)、耳と鼻をそぎおとし陰部を切断した惨殺事件があったが、裁判は報復的な事は一切しなかった。

 官公署の被害(四月二五日現在)は、朝鮮総督府の調査によれば、面事務所(村役場)全壊一九ケ所。うち放火によるもの五。同じく面事務所の窓硝子破壊、器物・書類の焼却など一部破壊二八ケ所。警察署・警察官駐在所・憲兵分隊・同分遣所・同駐在所については全壊一六ケ所、一部破壊二九ケ所。郵便局の全壊二ケ所、一部破壊九ケ所。
 前述の川端巡査殺害と放火で起訴された被告五二名につき、予審を担当した京城地方院(地方裁判所)は半数にもなる二五名を証拠不十分で免訴かつ放免を決定。高等法院(最高裁判所)に刑法七七条該当として送致されたのは二七名のみであった。

 五月八日現在まで送検された一万二六六八名のうち、その時点で三七八九名を不起訴処分。一一五一名については取調中。この時点で起訴されたものは六四一七名の約半分に過ぎなかった。検事もまた裁判官と同様、行政(警察、憲兵)から完全に独立して、朝鮮人に対して日本国内の日本人被告と同一の扱いをしたのである。
 検察に起訴されても裁判に於いて無罪となるものも多かった。この暴動の被告に対する五月二〇日時点までの第一審判決は、有罪が三九六七名、無罪が五八名、免訴が一名。
 有罪にしても死刑がなし。無期もなし。一五年以上もなし。一〇〜一四年以下が六名。七〜九年以下が一名。五〜六年以下が二三名。三〜四年以下が五〇名。
 三年以上の禁固刑となったものは、有罪となった三九六七名のうち僅かに八〇名しかおらず、二%に過ぎなかった。また、よく記述される死者七五〇九名などという数字がいかにでたらめな数かわかります。
 三・一事件をもって朝鮮総督府が朝鮮人を弾圧したという記述がいかにいい加減なものか。この公正な裁判による事実がすべてを現している。

 (日韓共鳴二千年史 名越二荒之助 明成社 p三二八〜三三〇)
 (「歴史を偽造する韓国」中川八洋 徳間書店p九二〜九四 中川氏はこれらを「現代史資料 朝鮮2」みすず書房、近藤釼一編「万歳騒擾事件1」友邦協会より引用)

 店を片付けた後に高田馬場のビックボックスで開かれている古本市に出かける。前から探していた「従軍慰安婦資料集」(吉見義明 大月書店一九九二)が二五〇〇円であったので購入。定価六五〇〇円もするこの本はひとつも慰安婦に対して国による強制連行によるという証拠が発見されていないにも関わらず、「広義の意味で・・・」という詭弁を展開している吉見氏の姿勢がよくわかる本です。
 そういう意味では今国会で話題になっている河野談話に通ずるものがあると思います。その他いくつかネタになりそうな本を購入したので七九五〇円も散財・・・・・・
 そのまま購入した古本を持ったまま新宿スポーツセンターにいく。今日はたっぷりと時間があるので、いろいろなメニューを三時間かけて消化し、グッタリとなって帰宅。明日あたりからあっちこっちが痛いのでしょう。


三・一運動とキリスト教
3月3日土曜日晴れ ×

 そもそも、三・一運動の原因の推定としてはアメリカのウィルソンの民族自決主義の提唱とそれを煽った宣教師による影響。朝鮮併合に一生懸命努力したのに併合後は解散させられた一進会の恨み。李朝の末裔である英親王・李垠殿下と梨本宮方子妃との婚約(李朝の血が汚辱され断たれると思った)と、皇帝であった高宗の急死(日本人が殺したという噂がながれた)。何よりも日本人に対しての反感などがあったとされている。
 その中でキリスト教アメリカ人宣教師による民族自決運動の煽りが大きいといわれています。キリスト教は布教を許されてから、わずかの期間で民衆の支持を得ました。その中で最大の勢力を誇ったのがアメリカ長老派といわれる連中でした。支那でもキリスト教による独立運動の煽動、反日運動の支援は行われていました。
 白人の侵略の先兵であるのは武力という軍隊だけではありません。必ずキリスト教宣教師がついていきます。侵略の先兵として侵略予定地に乗り込んだり、征服地において民衆の宣撫策に重要な役割を果たしています。我国において織田信長、豊臣秀吉は当初布教を許したが、その後、豊臣秀吉そして徳川家康などが宗教上の布教を許さなかったのは、宗教一揆のおそれのあるなどのキリスト教の本質を見抜いたためです。

 一進会は日露戦争当時から併合のために種々の運動をしてきたが、併合がなると、他の政治勢力とともに解散させられ、一切の政治発言を禁じられました。更に当時のお金で三〇〇万円程度といわれる補助金で、満州の間島に新天地を築く夢も画餅に終わりました。その一進会の会員は元来、東学党の乱を起こした天道教の教徒であり、日本への対応を巡り、第三代教主孫秉煕と袂を分かったのですが、日本政府の処置により孫秉煕の元に戻りました。そして、その孫秉煕は朝鮮における集会の中心人物である京城にある普成専門学校(現高麗大学)の校長であった崔麟により代表に据えられました。三・一運動に東学党の乱を経験している彼らが加わる事に依りよけい苛烈なものとなった。
 「子爵斉藤実伝」によると容疑者一九五二五人中キリスト教徒三三二八人、天道教・侍天教信者二二九七人、他は無宗教・不祥となっている。

(日韓共鳴二千年史 名越二荒之助 明成社 p三三二)  
(「植民地朝鮮の研究」杉本幹夫 展転社 p六九)
(「破約の世界史」清水馨八郎 祥伝社 p二二)

 Hさん二名様で来店。マロさん来店。
ヒマだしマロさんと飲み始める。ドンチャン。記憶はあやふや・・・・


大発見?(三・一運動2)
3月2日金曜日 晴れ

 昨日も書きましたが、三月一日の社説からは朝日新聞の姿勢がよ〜くわかります。
以下引用
 
きょう、韓国は休日である。「3・1独立運動」を記念してのことだ。1919年のこの日、 日本の植民地統治に抗する朝鮮の民衆が立ち上がった。運動は朝鮮全土に広がっていった。
略)
気勢をあげる民衆。鎮圧する日本軍。さまざまな場面を描いたレリーフ群が並んでいる。実際はどうだったのだろう。抵抗を抑え込もうとする軍の行動などを記した大量の史料がこのほど見つかった。当時、朝鮮軍司令官だった宇都宮太郎大将の日記や書簡などだ。
例えば「堤岩里事件」。日本兵が約30人の民衆を教会に閉じ込め、虐殺し、火を放った。日記は、そうした事実を認めれば「帝国の立場は甚(はなはだ)しく不利益」になると、軍司令部として否認を決めた隠蔽(いんぺい)の経緯などをつづっている。宇都宮は武器使用を制限する訓示を出していた。事件はその宇都宮が知らないうちに起きた。こうした内実が当事者から詳しく明かされるのは初めてだ。
日本は植民地支配で鉄道や港を整備した。後の韓国の発展につながっていく善いこともした――。
そんなことを強調する人もいる。だが、統治の実態は相手を踏みにじり、生やさしいものではない。

宇都宮日記は、そういう現実の一断面を生々しく物語っている。武力による強硬な植民地統治に対して批判的な記述もある。当時の軍高官にそんな考え方があったことも改めて確認することができた。
ロンドンに駐在した経験を持つ宇都宮は、アジア発展への強い思い入れがあったようだ。そんなところは、アジアとの和解や軍縮問題で活躍した長男で自民党政治家だった故宇都宮徳馬氏に継がれたのだろう。
いずれにせよ、当事者による第一級の証言史料である。
近隣の国々との付き合いでは、
双方が誠意をもって歴史に向き合うことが欠かせない。だが、歴史にはまだまだはっきりしない部分も残る。その空白を埋めるには、今回のような史料の発掘が大きな手掛かりになる。これらをもとに、冷静に分析して役立てていく。それも日韓や日中が協力し、共通の土俵で議論する。そういう取り組みを広げたい。
日韓の専門家らが10年がかりで編んだ高校生向けの歴史共通教材がきょうから店頭に出る。
ひとつの成果だ。政府の肝いりの事業では、02年からの日韓共同歴史研究に続き、新たに日中間でも同じ作業が始まった。残念なのは、日韓の第2期共同研究がまだスタートできないことだ。
人選の混乱などもっぱら
日本側の事情が原因になっているようだ。早く環境を整えてもらいたい。
引用終わり

 いかにも日本側が悪いような書き方です。しかし、この三・一運動という暴動や「堤岩里事件」については我国は法治国家として処理してきています。そして第一面に持って来て、続いて社説にまで載せるような記事でしょうか。
 岩波書店からすでに発売が決まっているのですから、昨日、今日見つかったものではないでしょう。
「宇都宮太郎関係資料研究会」なるものがあり、日記等多くの資料が数年前より日本女子大学に託され既に多くシンポジウムなど開かれているようです。
http://athena.jwu.ac.jp/JWU_mail/200504/html/news6.html
シンポジウム「宇都宮太郎関係資料から見た近代日本と東アジア」
史学科教授 吉良 芳恵
2月26日(土) 午前10時から午後6時まで、百年館高層棟5階502・503・504会議室で、シンポジウム「宇都宮太郎関係資料から見た近代日本と東アジア」が開催された。
 宇都宮太郎関係資料研究会(代表・吉良芳恵)が科学研究費補助金を得て開催したもので、 明治大正期の陸軍軍人宇都宮太郎と東アジアやイギリスとの関係を、斎藤聖二・孔祥吉・大山瑞代・ 櫻井良樹・吉良芳恵がそれぞれ報告、その後コメンテーターを含めて熱心な討議がなされた。

このシンポジウムは、該資料の歴史的価値を広く学界に紹介する最初の試みで、新事実を含む新しい視点が披露され注目をあつめた。
なお、約7千点にものぼる資料(日記・書翰・書類・写真等)は、現在日本女子大学に託され(借覧中)、整理が続けられている。


 二年前から開かれているシンポジウム。もう本の出版も決まっている。何度も書きますが、それをわざわざ朝鮮の三・一運動にあわせて第一面に持ってくる朝日新聞。
 じゃあ、台湾の「二・二八大虐殺」も書けよな。数百人ではなく三万とも五万ともいわれる台湾人の人々が大陸から来た支那人によって殺戮されているのだから。

<日韓の専門家らが10年がかりで編んだ高校生向けの歴史共通教材がきょうから店頭に出る。>
って、こっちの方は二七日だったかの朝日新聞でしっかりと記事にして宣伝していたし。
まだ続く

 Sさん来店。ケイザブロウさん来店。Sさん二名様で来店。一名様来店。HIROKOさん、Yさん来店。Kさん二名様で来店。金チャン、RIEさん、マロさん来店。
 ドンチャン。でも記憶はあり。


宇都宮太郎大将の日記と朝日新聞
3月1日木曜日晴れ ×

 今日は朝鮮にとっては「三・一独立運動」とやらの暴動を記念すべき日です。その南朝鮮酋長である盧武鉉氏はこの日の演説でも反日演説をやっているそうです。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=85055&servcode=200&sectcode=200
 朝鮮日報日本版の朝日新聞の昨日、二月二八日の第一面も「3.1運動の鎮圧 詳述」とでっかく前祝。そして、<宇都宮大将15年分の日記>
<虐殺隠蔽「抵抗理由に殺す」「恨みは自然」朝鮮人を懐柔>などという見出しが並びます。
 今日の社説までその記事関係です。

 宇都宮大将の日記はあの岩波書店から出版されるそうです。岩波書店というと「リットン報告書」「紫禁城の黄昏」の日本語訳で都合の悪い部分は全部カットして出版するというすばらしいテクニックをお持ちですので、今度も期待できそうです。
しかし、こんな記事が第一面に持ってくるようなことでしょうか。普通でしたら「君が代 伴奏命令 合憲」という最高裁判決が第一面トップに来るものだと思いますが、流石に朝日新聞は違うようです。
 逆に違憲となっていたら第一面トップに持ってきたでしょう。
 しかし、この朝日新聞の記事も醜いものです。
以下引用

<虐殺隠蔽「抵抗理由に殺す」「恨みは自然」朝鮮人を懐柔>
 
日本統治下の朝鮮で1919年に起こった3.1独立運動の際に朝鮮軍司令官だった宇都宮太郎大将(1861〜1922)の15年分の日記など、大量の史料が見つかった。
独立運動への鎮圧の実態や、民族運動家らに対する懐柔などが詳細に記されている。
宇都宮は主に情報収集を任務とし、日露戦争前後に英国で世論工作に携わったほか、辛亥革命では三菱財閥から活動費10万円を提供させ、中国での情報工作費にあてた。
旧軍の対外情報活動をはじめ、日本のアジア政策の裏面史を含む貴重な記録といえそうだ。
 3.1独立運動が朝鮮全土に拡大し、朝鮮軍などが鎮圧する中で19年4月15日、 「堤岩里事件」が起こった。宇都宮日記によれば、ソウル南方で日本兵が約30人を教会に閉じこめ虐殺、放火。宇都宮の知らぬ間に発生した事件だったが、朝鮮軍は発表で虐殺や放火を否認する。そこに至る経緯が日記に詳しい。
「事実を事実として処分すれば尤(もっと)も単簡なれども」「虐殺、放火を自認することと為(な)り、帝国の立場は甚(はなはだ)しく不利益」となるため、幹部との協議で「抵抗したるを以(もっ)て殺戮(さつりく)したるものとして虐殺放火等は認めざることに決し、夜十二時散会す」(4月18日)。翌19日、関与した中尉を「鎮圧の方法手段に適当ならざる所ありとして三十日間の重謹慎を命ずることに略(ほぼ)決心」。実際、30日間の重謹慎処分となった。

独立運動が始まった当初、宇都宮は従来の「武断政治」的な統治策を批判し、朝鮮人の「怨嗟(えんさ)動揺は自然」と日記に記した。そして、後の「文化政治」の先取りともいえる様々な懐柔工作を行った。朝鮮人の民族運動家や宗教者らと会い、情報収集や意見交換に努めたことが日記から分かる。
日記以外の史料は、書簡5000通、書類2000点など。日露戦争期に英国公使館付武官だった時に、ロシアの革命派らを支援して戦争を有利に導こうとする「明石工作」を、資金面で支えたことを示す小切手帳もあった。
これら多様な史料によると、宇都宮は英国で対ロシア包囲網を作るため、新聞に英軍改革を求める投書を匿名で出すなどの活動をした。また、辛亥革命時は海外情報・諜報(ちょうほう)担当の参謀本部第2部長だったが、政府方針に反して孫文らを援助。日記によれば、三菱財閥の当主・岩崎久弥に革命派への工作費10万円の提供を要請して受け入れられ、軍人らを派遣して革命拡大を図り、中国内の分裂を目指した。
宇都宮の長男は、軍縮問題や対アジア外交への取り組みで知られた故・宇都宮徳馬参院議員。日記は「日本陸軍とアジア政策 陸軍大将宇都宮太郎日記」(全3巻)として4月以降、岩波書店から刊行される。
19年4月18日の宇都宮日記。堤岩里事件の処理をめぐって「事実を事実として処分すれば尤(もっと)も単簡なれども」「虐殺、放火を自認することと為(な)り、帝国の立場は甚(はなはだ)しく不利益と為り」とある。

引用終わり

 我国にとって脅威であるロシアに対しての工作は当たり前ですが、それに対して<明石工作 宇都宮は、参謀本部を経て01年に駐英武官になると、駐スエーデン武官・明石元二郎がロシアの弱体化を企てた「明石工作」を支え、資金の運用や情報収集にあたった>(三四面の記事)と書きます。何か悪い事でもしているのでしょうか。軍人としては当たり前の事でしょう。朝鮮人を懐柔と書いた見出しですが、同じ三四面の記事では<「排日派」と目される朝鮮人との接触にも積極的で、日本批判の言論活動をしていた民族運動家と数回会って意見交換している(二〇年二月二〇日、四月九日など) また、三・一運動の最中に天道教に対する懐柔を提言し(一九年三月二〇日)>と書いています。見出しから受ける印象とはえらく違います。
 暴動に対してそれを鎮圧し、その後、再発防止にむけて話し合いなど努力したとしかとれません。何処が問題なのでしょう。
 ましてや、三・一運動において最も非難される「堤岩里教会事件」といわれるものについては、暴徒を鎮圧する過程において殺害したのは事実であり、それに対して行き過ぎであったということで、処分されている。朝鮮の新聞やあの悪名高い捏造書「朝鮮独立運動の血史」(朴殷植)などが書くように「赤ん坊まで殺し」などということはなく、全員が男性であった。
 これは当時、英国紙「モーニング・アドバイザ」京城特派員四月二日付けレポートよりの引用として「万歳事件を知っていますか」(木原悦子著)において、「殺害されたキリスト教信者一〇名、天道教信者二五名、全員が男性」と記述しています。
 また、在英日本大使館も同紙の英国版記事を読んでその抜粋記事「日本兵一隊はキリスト教徒宅全てに訪れ、そこの男たちに教会に集まる様に言って回った。この話は、非キリスト教徒で殺されなかったある老人から、カーチス氏(英外交官)が聞いたものである」と外務本省に送付している。
 (「植民地朝鮮の研究」杉本幹夫著 展転社 p六六) 
 そして、同じく杉本氏は日本総督府憲兵隊司令官・児玉惣次郎の報告として
 <当時の状況 三月下旬、同地方では官公署の破壊焼却されたものが少なくなかった。殊に花樹、抄江の両地では巡査を虐殺し、其の死体を凌辱した。また当地在住の内地人の被害頻々として起こり、民心の恐怖・憤怒一時其の極みに達した。発案場に於いては三月三一日、市ノ日に際し、約一〇〇〇名の暴民が太極旗を押立て路上演説をし、内地人家屋に投石暴行し、終に白昼小学校に放火して高唱する等の暴行を行った。翌四月一日晩より発案場周囲の山上八〇余箇所にかがり火を焚き、内地人の退去を迫った。その為、内地人婦女四三名は幾多の危険、困難を排し三里離れた三渓里に避難した>
 <有田中尉は、同地方騒擾の根源は堤岩里における天道教徒並にキリスト教徒であるとの事を聞き、この検挙威圧の目的で(中略)堤岩里に到着すると、巡査補に命じて天道教徒及キリスト教徒二〇余名を、キリスト教の教会に集合させた。そして先回の騒擾及将来の覚悟について、二、三質問している間に、一人が逃亡しようとしたので、直ちに之を斬棄てた。この状況を見て、朝鮮人全部が犯行の態度に出て、その一部は木片または腰掛等を持って打ちかかってきたので、直ちに外に逃げ出て兵卒に射撃を命じ、殆ど全部を射殺するに至った。この混乱中、西側隣家より火を発し、暴風のため教会堂に延焼し、遂に二〇余戸」を焼失するに至った>
 長谷川好道総督による原敬首相宛の報告書
 <以上、検挙班員及軍隊の行為は、遺憾ながら行き過ぎであり、かつ放火の如きは明らかに犯罪であるが、今日の場合、正当の行為と公認するのは、軍隊並びに警察の威信に関し、鎮圧上の不利となるのみならず、外国人に対する思惑もあるので、放火はすべて検挙の混雑の際に生じた失火と認定し、当事者に対しては、その手段方法が問題であった罪により、その手段方法が問題であった罪により、その指揮官を行政処分に付す事とした>

 この事より警察権を有する有田小隊に依る取り調べ尋問が、取り調べ側人数の二倍強三倍近くいた被疑者たちに対して行われた際、被疑者側の一人が逃亡を図り抵抗し、他が逃亡幇助の公務執行妨を犯したことから、本事件が偶発的に発生したことが分かる。近隣の朝鮮人住民よりも「発案場小学校を焼き暴行に及んでいる犯人達を掃滅して欲しい」との懇願を受けていた。
 そして杉本氏はこのようにも書いています。
「今日只今、米国内でこの様に、犯人とその逃亡幇助者たちが数を頼んで、警官たちに反撃するならば、警官たちは躊躇なく発砲に及ぶのではなかろうか」
(「植民地朝鮮の研究」杉本幹夫著 展転社 p六四〜六五) 

 暴徒を鎮圧する上での発砲で、それにより死者をだし、それに対して処分もしています。
 続く
 
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