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7月31日日曜日晴れ △
 午後よりスポーツセンターにいく。まだ、右肩が痛いが、上げる事のできるウエイトは少しはもどる。故障を少なくするために、肩の可動域を広げるようにしたほうがよいと金子さん、常磐さん両トレーナーのからのアドバイスに従いいつもより、肩を意識し長めのストレッチ。スポーツセンターよりいったん店に寄って酒を持って行くつもりが、高田馬場の本屋さんでついつい長居をしてしまい、その時間がなくなり、今回は手ぶらで直接西大島の駅にいく。待ち合わせの予定時間より少し早く改札口をでるとSさんと一杯さんはもう来ていらっしゃる。そのまま三人で「興兵衛」さんに伺う。今日もカウンターは定員いっぱいの八人の予約で埋まっていました。5組ぐらいもお断りしたそうで、うらやましい・・・・おつまみも、にぎりも旨かったです。そのまま、高田馬場の「カヴェルナ」さんにおじゃまする。オーナーの森さんのお薦めで久しぶりに「インシグニア85年」を開ける。メチャ、安くしていただき感謝!
その後は、それぞれ、マディラワインとポートワインを一杯ずつ飲んで御開き。


相変わらず
7月30日土曜日晴れ △

 今日の朝日新聞の社説は<教科書採択 こんなやり方でいいのか >という記事でした。

以下引用?
 
私たちは4年前の検定時も今回も、この教科書について、教室で使うにはふさわしくないと主張した。光と影のある近現代史を日本に都合よく見ようとする歴史観が強すぎると考えるからだ。
 そのことは別にしても、都教委の採択のやり方は、きわめて問題が多いと言わざるを得ない。
 まず、歴史教科書の選定にあたって、とくに着目する点として(1)北朝鮮による拉致問題の扱い(2)日本の神話や伝承(3)竹島や尖閣諸島の扱い、を挙げて一覧表をつくったことだ。
 いずれも「つくる会」が力を入れている項目であり、8社の教科書の中では神話などの記述が最も多かった。
 歴史教科書は、日本の長い歴史というものを教科として学ぶための教材である。この3点が大事でないというつもりはない。しかし、何よりも重要な項目だろうか。
 都教委は、中高一貫の各校ごとに、歴史上の人物や文化遺産などの観点を加えた資料を作成し、点数化している。
 検定を重ねるようで点数化には賛成できないが、合計点が最も高いのは4校とも扶桑社以外の教科書だった。
 着目する3点の結果と調査資料の合計点が食い違えば、教育委員会は慎重に検討するのが当然だろう。だが、何の議論もないまま「つくる会」の扶桑社版が採択された。

 
これでは、都教委は初めから扶桑社版の採択を決めていたのではないかと言われても仕方あるまい。
 なかでも見過ごせないのは、都教委が学校の意見を排除していることだ。
 教科書を使うのは教師と生徒である。教育は学校全体の取り組みであり、各校とも子どもたちに何を、どのように学習させるかを真剣に考えている。どんな教科書を使うかは保護者にとっても大きな関心事だ。
 教育委員会が一方的に教科書を選び、現場に押しつけるようなやり方では、学校や教師の意欲が低下しかねない。
 東京都教委は卒業式でも教員の処分を振りかざして日の丸・君が代を強制してきた。教科書採択でも同じような押しつけを繰り返すつもりだろうか。
 法律の上では教科書は各地の教育委員会が決めることになっている。それでも多くの教育委員会が学校や教師の声も参考にして決めてきた。それが子どもたちにとって有益だと判断したからだろう。

略)
朝日新聞【社説】 2005年07月30日(土曜日)付
引用終わり

 以上のように扶桑社が嫌いな朝日新聞は書くが、同じ三十日の産経新聞では、岡山県総社市教育委員会が扶桑社の教科書採択をめざしていたことが報道されるや、市役所に抗議の電話、メールが殺到しいったん決めた扶桑社の教科書を大阪書籍に変えた事を報道しています。4年前もありましたが、地方の教育委員会に対して、脅しともとれるようなこのようなプロ市民の行動は朝日新聞は問題ないとしているのでしょうか。
ちなみに、竹内総社市長は「いったん決めたことは貫いてほしかったが、教育委員会には介入できない。私としては扶桑社の教科書が最もふさわしいという見解に変わりはない」ということを言っています。
朝日新聞は自虐教科書でなければダメだといっているのです。相変わらずわかりやすい腐れ新聞社です。

  二名様来店。Hさん御夫妻来店。イタリアで結婚式をあげて来たそうで、思わず「誰の結婚式だったのですか?」と聞いて大ヒンシュク!イタリアの美味しいチョコレートをお土産にいただく。ごちそうさまです。先日、Hさんが友人の方々と飲みに行ったところ、そこに来て居た酒蔵の写真を写す事で飯を食っている輩とカウンターのとなりになり、その輩はあろうことかHさんの友人の男性を殴っただけでなく止めようとした女性までなぐったそうです。当然、喧嘩になり、その輩はHさんにぶっ飛ばされた後、テメエで喧嘩を売っておきながらゴタゴタいっていたそうです。まあ、あいつだったらとメチャナットク。Nさんに高田馬場でボコボコにされたPRIDE武士道とかにでているバカとか、最近色々とケンカネタが多い・・・・・・


本当に必要か
7月29日金曜日晴れ ×

 <人権擁護法 救済の法律は必要だ >という朝日新聞の社説が28日付けの朝刊に掲載されました。
以下引用
 
私たちはこの法案に問題があることを指摘してきた。
ひとつは、新たにつくられる人権委員会が法務省の外局とされたことだ。刑務所や入国管理施設など法務省が管轄しているところでの人権侵害が指摘されるのに、身内に厳しく対処できるだろうか。
 もうひとつは、メディアの取材による被害も救済の対象としたことだ。取材のあり方を行政機関が決めることになり、表現・報道の自由を侵しかねない。
 しかし、差別や虐待に苦しむ人たちをすばやく救済する仕組みや、それを保障する法律は必要である。私たちは、問題のある条文を修正したうえで、法案の成立を急ぐべきだと主張してきた。
 略)
 法案では、各市町村で人権擁護委員が委嘱され、相談や調査・救済の実務に当たる。その委員に外国人がなれるのは問題だ、などの意見が急に噴き出した。
 朝鮮総連や部落解放同盟の名を挙げ、特定の国や団体の影響が強まるのではないかという批判も相次いだ。人権擁護委員から外国人を締め出すため、国籍条項を加えるよう求める声も高まった。
 
だが、心配のしすぎではないか。
 今も続く部落差別をなくすことが、この法案の原点だ。
部落解放に取り組む人が人権擁護委員に就くことを、この法案は想定している。
 国連規約人権委員会は98年、入国管理職員や警察官らによる人権侵害を扱う独立機関をつくるよう、日本に勧告した。この勧告も法案につながった。外国人への差別や虐待も救済しようという法案である。
委員の中に少数の外国人が加わるのは自然なことだろう。
 そもそも、新しい人権擁護委員は市町村長の推薦を受けて委嘱される。その活動は、国会の同意を受けて首相が任命する中央の人権委員会が監督する。

 
そんな仕組みで運営されるのに、特定の団体が委員の多数を占めたり、牛耳ったりすることが起こり得るだろうか。短絡的にすぎるのではないか。
 略)
 法案の最大の問題は、人権委員会の独立性とメディア規制である。広範な支持を得て法案を成立させるために、政府はこの修正をためらってはいけない。

朝日新聞 2005年7月28日朝刊社説
引用終わり

 朝日新聞が問題にしているのは、権委員会が法務省の外局であることと、メディアの取材による被害も救済の対象という二点のみで、一番問題とされている人権擁護委員が委嘱され、委員が無給で、そして外国人がなれる、部落解放に取り組む人が人権擁護委員に就くことを、この法案は想定しているという事は「心配のしすぎ」と書く。現実問題として、外国人とは在日朝鮮人を指し、部落解放同盟がこの法案を押し進めて来たのことは以前に指摘した通りです。そしてそれがどんなに恐ろしい事か。それを「心配のしすぎではないか」と書く新聞社。流石は月曜日の朝刊の第一面に「従軍慰安婦」という戦後の捏造とわかっているありもしない言葉(でも朝日新聞はマッチポンプ得意ですが)を堂々と使って平気な腐れ新聞社だけのことはあります。

しかし、またもや国連人権委員会・・・・・・・
 
 Nさん来店。Sさん来店。敦厚の
英英珈琲店の副店長二名様で来店。敦厚行ってみたい・・・・ 大台さん来店。二名様来店。メチャ遅い時間Kさん来店。少し飲んだあと、店を出てKさんと一風堂にてラ−メーンとビール・・・体に悪そう・・・・


特攻隊の遺書の訂正
7月28日木曜日晴れ ×

 私が随分前に
日本人の心根に引用させていただいた、植村大尉の御遺書ですが、一部訂正させていただきます。
植村眞久海軍大尉(立教大学)
昭和19年10月26日第一神風特別攻撃隊大和隊隊員として爆装零戦にてセブ島基地から出撃、スリガオ海峡周辺洋上にて戦死。

 素子 素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。
 私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。
 素子が大きくなって 私のことが知りたい時は、お前のお母さんか佳代子叔母様に私のことをよく御聞きなさい。私の写真帳もお前のために家に残してあります。
 素子と言ふ名前は私がつけたのです。
 素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。 (略)
 私は御前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、幸になるまで見届けたいのですが、若し御前が私を見知らぬままにしてしまっても決して悲しんではなりません。御前が大きくなって、父に会ひたい ときは九段へいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ず御父様の顔がお前の心の中に浮かびますよ。
 父は御前が幸せ者と思ひます。
 生まれながらにして父に生写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると眞久さんにあっている様な気がするとよく申されて居た。 又御前の御祖父様、御祖母様はお前を唯一の希望にして御前を御可愛がり下さるし、姉様も又、御自分の全生涯をかけてただただ素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一の事があるのも親無児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護って居ります。先に言った如く素直な人に可愛がられるやさしい人になって下さい。
 お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、此の便りを読んでもらひなさい。
 昭和十九年○月吉日                  

 植村素子へ
追伸 素子が生まれた時オモチヤにして居た人形は、御父様が戴いて自分の飛行機に御守り様として乗せて居ります。だから素子は御父様と一緒に居たわけです。 素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。
                         父
 素子殿



 NHKがこの御遺書を放送したときには「 御前が大きくなって、父に会ひたい ときは九段へいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ず御父様の顔がお前の心の中に浮かびますよ。 」という個所をカットして放送したそうです。
流石は、国歌を流す時に馬の尻をアップにして放送する腐れ局だけのことはあります。

Tさん来店。二名様来店。Wさん二名様で来店。Aさん来店。Tさん三名様で来店。


 

特攻隊に見る日本人としての死生観
7月27日水曜日晴れ 台風一過メチャ暑い ×××××今日は体調最低〜
 
右の写真を見ていただきたい。これは、写真集「特別攻撃隊」(国書刊行会昭和五十五年発行)に掲載さられている写真です。この写真の特攻隊員、機付兵の方のお名前はお二人とも不明ですが、写真のキャプションとしては
<この点景、あまりに日本的、あまりに美しくそして悲しい。死に臨むものそして断腸の想いをもって送る者、共に風雅の心を失わなかった。それが日本人であり、その心根、今日も失われていないと信じたい。>となっています。

 これとともに、先の本「いざさらば我はみくにの山桜」靖国神社編(展転社 平成六年八月十五日)に掲載されていた三名の特攻隊員の方をぜひ紹介しておきたく思います。

 時任正明海軍大尉
(中央大学) 昭和二十年四月六日、神風特別攻撃隊「第一早薙隊」隊員として「九九式艦上爆撃機」に搭乗、第二国分基地を出撃、南西諸島洋上にて戦死。
 時任少尉(後に二階級特進にて大尉)は出撃前夜に御実家に連絡をとっている。
「国分の息手さんから電話です」役場の小使いさんの呼び出しに、時任少尉の、両親、祖母、姉は役場へ急行する。出撃前夜、第二国分基地から時任少尉最後の電話だった。
父「正明か、征っておいで、家の事は何も心配いらない。立派に戦っておいで、成功を祈る」
母「正ちゃん、いよいよ征きますか。元気で征ってください」
姉「正ちゃん、元気でお征きなさい。心残りなく戦って下さい」
思い思いの声が受話器にすがる。
父「おばあさん、これが正明の最後の電話ですよ。・・・・・よく聞いておきない。涙声を出さないように・・・」
 促されて祖母は生まれて初めて受話器をとった。
祖母「正ちゃん、明日発ちますか。行っておいで。そして元気に帰っておいで・・・・」
後は言葉にならなかった。
 いよいよ明日は征く孫。精一杯励ましてはみたものの、二十余年育んだ断ち難い孫への愛着が、叶わぬ望みと知りながら「元気で帰っておいで」と言わせたのであろう。電話はきれた。零時半だった。

家に帰り、大急ぎでご飯を炊き、おにぎりをつくり、身支度をして午前二時、両親は家を出た。
 幼手を抱えた姉と祖母は家に殊った。眠られぬまま夜が白む。姉は国分の方角に手を合わせ、はるかに門出を祝し、武運を祈った。
略)
夕方帰宅した、両親の眼の輝きに姉は驚く。「出発十五分前、機上の正明に会えた」ことを伝える輝きであった。
略)
ようやく飛行場に辿り着いた。11時15分だった。
 次から次へ離陸する飛行機。もうもうたる砂塵であたりに人も見えず、眼も開けられず、気ばかりあせった。
 何人かの人に尋ねて広い飛行場を走り回り、最後は親切な方々に手を引かれ、ようやく時任少尉機の側に駆けつけることかできた。

父「正明!」
正明「はい、お父さん。来られましたか」
父母「よかったね、元気で征きなさい」
正明「有難う。お父さん。お母さん。お体を大事に。おばあさん、お兄さん、お姉さんによろしく。近所の方にもよろしく」
正明「何も思い残すことはありません。喜んで征きます」

 ニコニコ顔で答える時任少尉に、両親は吾子でありながら神の子のような思いで心の中で予を合わせた。
死を前にして送る者、送られる者、まして両考は親と子。その胸中いかばかりであろう。私たちは言葉を知らない



 穴沢利夫陸軍大尉(中央大学) 昭和20年4月12日、特別攻撃隊「第二十振武隊」隊員として一式戦闘機「隼」にて知覧を出撃、沖縄洋上にて戦死。
「にっこり笑つて出撃した」(当時、知覧高女学生で、出撃を見送った前田笙子さんの日記)穴沢少尉(後に二階級特進で大尉)は、白い飛行マフラーの下に婚約者の智恵子さんから贈られたマフラーを締めていた。「神聖な帽手や剣にはなりたくないが、替われるものならあの白いマフラーのように、いつも離れない存在になりたい」
 穴沢少尉は彼女の一途な思いに、このマフラーを彼女の身替りとして、肌身につけ出撃する。
 婚約者へのご遺書の中に「今更何を言ふか、と自分でも考へるが、ちよつぴり慾を言つてみたい」と三つあげている。「一、読みたい本」として「万菓」「旬集」「道程」「一点鏡」「故郷」を挙げ、「二、観たい画」としてラファエルの「聖母子像」と芳岸の「悲母観音」を挙げ、そして「三、智恵子」とあり「会ひ度ひ。.話したい。無性に」とあった。
 ご遺書は最後に「今後は明るく朗らかに。自分も負けずに朗らかに笑つて征く」と締めくくられていた。
 その日、穴沢少尉は、桜を打ち振り見送る前田笙子さんら女学生に、軽く手を挙げ笑みを返して飛び立って征った。
 戦後の長き年月、婚約者智恵子さんの生きる支えになったのは、穴沢少尉の日記に記された次の言葉である。

「智恵子よ、幸福であれ。真に他人を愛し得た人問ほど幸福なものはない」

 一度は見た事のある、桜の小枝を打ち振る知覧高女の女子学生に送られての隼の特攻隊出撃の写真ですが、穴沢少尉の機体だったのです。穴沢少尉はこの見送りに対して笑顔で挙手の礼にて応えています。

 堀之内久俊海軍大尉(東京帝国大学) 昭和20年4月12日、神風特別攻撃隊「第二八幡護皇隊」九七式艦上攻撃機にて串良基地を出撃、南西諸島洋上にて戦死

 <けふは第四次護皇隊が出発した。われわれ学生からは、艦攻六名、艦爆十三名で、堀之内少尉も黒崎少尉も山て行つた。堀之内は台北高等学校から東大法科を出た男で、家は台湾に在り、此の三年のあひだ父上母上に会つてゐないのださうだ。さういへば、かつて水兵時代、予備学生時代、面会のたびに彼が手持無沙汰にさみしさうにしてゐたのを、自分はおもひ出すのである。いま彼がたどらうとしてゐる死出の道は、むかしかよひなれた帰省の道であり、三年目の家路である。堀之内は此のことを、感慨ぶかく静かにはなして出かけて行つた>とは、阿川払之の代表作『雲の墓標」の一節である。
 そして、この出撃前「これでいい。おれは、生まれたままの体で死なふ」というご遺書を残している。
ご遺影には、振り袖人形が写っているが、これは、当時、彼の心境を察した知人の町医者が贈ったものであり、山桜を背に刺して人杉をかかえる彼の姿からは、これより死出の旅に赴く者とは思えぬほど、晴れ晴れとした感じが伝わってくる。

 散華された特攻隊員の方々の数だけドラマがあります。

今日は河岸が休みなので、午後よりスポーツセンターにいく。今日も軽めのメニューを消化。

Sさん二名様で来店。Fさん二名様で初めての来店。Iさん三名様で来店。金チャン、マロさん来店。遅い時間にマルガリータさん来店。Sさん来店。
営業終了後、マルガリータさんと中野へいき、ドンチャン。体調最低・・・・



二冊の本
7月26日火曜日台風のはず・・・・

 わたしの手許に「いざさらば 我はみくにの 山桜」と題された本があります。この本は靖国神社で開かれた学徒出陣五十周年特別展の記録として出版されたものです。

 題名になったのは、関西大学在学中、学徒として出陣、海軍に人りさらに特攻を志願し昭和20年3月21日「第一神風桜花特別攻撃隊神雷部隊桜花隊」隊員としてロケット特攻機「桜花」に搭乗して鹿屋基地を出撃、九州南方洋上にて戦死した緒方襄中尉(のちに二階級特進にて少佐22歳)が、今生の別れに任地に赴いた母三和代さんの鞄に忍ばせた辞世です。


 
いざさらば 我は御国の山桜 母の身元にかへり咲かなむ

それを帰宅後発見した三和代さんは

 散る花の いさぎよさをばめでつつも 母のこころはかなしかけり

 と詠じている。

 また、同じ本には小説家の山岡荘八氏の「最後の従軍」(昭和37年8月6日〜8月10日朝日新聞)が掲載されていて、昭和20年4月に海軍報道班員として海軍の鹿屋基地に配属された時に接した特攻隊員のようすが描かれている。
その中で山岡氏はまさに必死、必殺兵器である「桜花」の神雷部隊や爆装ゼロ戦などで出撃していく特攻隊員が底抜けの明るさであったことを記している。それらは、今も残る多くの写真の中の特攻隊員の笑顔がそれを裏付けている。
山岡氏はその底抜けの明るさを見せている隊員の心境をしりたくて、そして、できるだけ自然にその筆跡を残したいと思い、鹿屋の町の文房具店で、わとじの署名帳を購入し、出撃前の隊員に書いてもらっている。
それはすぐにいっぱいになってしまったそうで、後に二冊あればと氏は後悔している。
氏によると、署名とともに浮かんでくる特攻隊員の顔は、どの顔も笑っているそうである。

 山岡氏は
「この野里村の基地にも、むろん地上勤務の人はたくさんいた.しかし十日経たないうちに、私は、それらの人々と特攻隊員の、区別がハダでわかるようになった。一方は軍規の中に生きている人々であり、一方は死生の外に踏みだしてしまった人々なのだ。そこにある闊達さと自由さは時に傍若無人にさえ見えて、その実、按近するほど離れがたい別の美しさを秘めていた.私にとってなによりも悲しいことは、彼等に出会って親しくなると、それがそのまま別離なのだというきびしさだったが、それにしても、この底抜けの明るさは、どうして彼等の肉体を占領し得たのであろうか…:・その秘密だけは、とにかく私なりに解いておきたかった」
と書き、20年5月、古畳の上で胡座して、教え子に最後の返事を書いていた西田高光海軍中尉(のちに二階級特進で少佐、大分県師範学校22歳)に「この戦を果たして勝ち抜けると思っているのか?負けても悔いはないのか?今日の心境になるまでにどのような心理の波があったかなど・・・・・」と質問している。
  西田中尉は、重い口調で、現在ここに来る人々は皆自分から進んで志願した者であることと、したがってもはや動揺期は克服していることを話した。そして西田中尉は最後にこう付け加えています。

  「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・・おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに・・・・・・」

と言われたそうである。
  西田中尉が昭和20年5月11日に500キロ爆弾を抱いた零戦と共に大空へ飛び立っていったとき、山岡氏は見送りの列を離れ声をあげて泣いたとある。

 その西田中尉出撃の翌々日に、中尉の母と兄嫁が基地にたずねてきた。疲れきっった老母をみて 真実を告げられなかった山岡氏は、中尉は一昨日、前線の島に転勤したとウソをいい、飲み物の接待をしたあとで付近を案内し、休息所にしていた小学校に案内した時に立ちすくんだ。そこには「西田高光中尉の霊」を壁間に祀って香華がそなえてあったのだ。あわてて逃げ出そうとした山岡氏の耳元に兄嫁が「お母さんは字が読めません」とささやく。
 自分では巧みにその場を取りつくろったつもりで、二人を当直将校の控所に戻って、三人の前にお茶が出された時だった。「ありがとうございました。息子がお役に立ったとわかって、安心して帰れます」
と西田中尉の母上に丁寧にあいさつされた山岡氏は、いきなりこん棒でなぐられた気がしたと書き、続けて、母親のもつカンを文字が読めないからといって、どうして鈍らせ得たと思ったのだろうと自分を恥じています。西田中尉の母上は兄嫁を励ましながら涙一滴見せずに立ち去ったそうです。

 特攻隊員は飛行場のある野里村からの外出を禁じられていたそうですが、鹿屋の町に時々そっと抜け出していっていたそうです。これは当然違法行為になります。それを、山岡氏はあれだけりっぱに死んでゆく特攻隊員に軍規を侵したという一点のかげりを心に止めさせてはならないと司令の岡村基春大佐に特攻隊員の禁止令を解くようにお願いし、司令はそれを聞き入れたそうです。

 山岡氏は こうも記しています。
まだまだ署名帳を見てゆくと、思い出は限りない。私にはこの野里村は自分の生涯で再び見ることのできない天国のような気がする。あらゆる欲望や執着から解放された人々が、いちばん美しい心を抱いて集っていた・・・・そう思えるのも、実は「諸君だけは殺さぬ」□ぐせのようにいっていた彼らの上官もまた、みなそれぞれきびしく責任を執っていったからでもあろう。とにかくこの特別攻撃を、やむなく考え出した後の軍令部次長大西滝治郎中将も、第五航艦の司令長官宇垣纏中将も、そして司令の岡村基春大佐もみなそれぞれ彼等との約束を厳しく守って自決していった。
 私の見聞の限りではみじんもウソのなかった世界・・・・それだけに私もまた生涯その影響の外で生きようとは思っていない。
(昭和37年8月10日) 

 「最後の従軍」その後として下記のようにも書いています。
 そういえぱ諸井少尉の顔もご両親の便りで、まざまざと思出した。出撃の前夜、私も加わって、実はみんなで大宴会(?)をやった。その時に、それぞれ最後のかくし芸を披露することになり、少尉はふしぎな流行歌を歌って、みんなをおどろかせた。
 唇を赤きルージュに染めて
 誰を待つのか巷の乙女・・・
みんなびっくりして「貴様そんな歌どこで覚えた」とひとしきり一座の人気をさらったことを覚ている。それが翌朝は死んでゆく人なのだ。彼は実に淡泊らいらくな、文字どおり空の若武考といった好青年だった:・・:と、書いて来るとまたまた思い出は眼りない。市島少尉、高野中尉、町田少尉などのことについてはそれぞれ私信でお答えすることにして、ただ最後に、実は私もこの人々の十三回忌に庭の片すみへ「空中観音」と名づけて草堂を建てて、お祈りしていることを記さしてもらってよいであろうか。こんどのことで頂いた手紙、写真、記念出版物などは一切この草堂にありがたく保存してゆくつもりである.なおその草堂に昨年の八月十五日、特攻攻撃をやむなく許した人、そして、終戦と同時に約束どおり自決された軍令部次長大西滝治郎中将の末亡人が中将の遺書を供えて「おわびに参りました」と、長い間心をこめてお詣り下されたこともご遺族の方にはお知らせしておきたいと思う。

と書かれています。

 こういった特攻隊員の姿も、ゆがめてみる輩にはそうはうつらないようで、元毎日新聞記者の古川利明はその著書「カルトとしての創価学会=池田大作」の中で引用先も証言者の名前もどこの特攻基地かも明記せず、下記のような腐れ文を書いています。
「日本の神風特攻隊員もそうだろうが、彼らは人義のために、自ら勇敢に、潔く散っていったように表面上は見える.しかし、死を目前にした恐怖など、そんなになまやさしいものではない。
 例えば、特攻隊員を実際に送り出していった整備兵はこう語っている、
「特攻隊員は基地に配属されると、だいたい一週間後に出撃命令が下りる。あまり長く置いておくと耐えきれず、脱走するから。この一週問は地獄だ。正気を保ったものは一人もいなかった。滑走路のわきで泣いていたり、一晩中何かに叫んだリ、泥酔するくらい飲んだり、飲めない者は飛行場の片隅で呆然としていた。.消灯吋問がすぎても帰らない者もいた。オレたちは激励も慰めも何もできない。声を掛けられる雰囲気ではなかったからね。一週問後に死ななきゃならないなんて、誰が納得できるもんか。心の整理もつかないまま、半狂乱で日が過ぎる。出撃前日になると、しぶしぶ身辺整理をしたり、遺書を書いていたりしていた。もう、誰も声を掛けられない異常な時代だった」

(p149)

 この古川氏の文章がどれほど説得力のない内容か、また先人を屈辱しているかは、先の山岡氏の文章や多くの遺書、写真によりわかります。
さすがは大朝日と並ぶ毎日新聞の元記者だけあって、性根が腐りきっていいる分かりやすい文章です。

 台風という予報の中、ITGさん三名様で来店。Sさん来店。ホロン部員Yさん来店。
飲む。


杉浦日向子さん
7月25日月曜日曇り一時雨 × 

 杉浦日向子さん死去というニュースがありびっくり。杉浦さんは前の「酒いわしや」からいらしてくださっていて、こちらに店を移した時もでっかいカサブランカの花束を持ってお祝にいらしてくださった。(写真はその時いただいたカサブランカ)
日本酒をこよなく愛されていた。
 のんびりと生きたいと週休四日の隠居生活だったと伺っていたのだが、46歳とあまりにも早い。

 御冥福をお祈りいたします。

 今日はヒマ。転勤というか戻っていらしたMさん来店。のみ・・・
今日はカウンターに一杯杉浦さんの分の酒を注いだグラスを置き、早い時間からMさんと飲む。



大橋嘘泉
7月24日日曜日晴れのち一時雨 ○

 店を片付けてからスポーツセンターにいく。スポーツセンターのトレーニングルームにはいろいろな国からの留学生や働きにきている人とたちが多く来ている。今日、初めて一緒にベンチプレスをやった方も香港からの留学生だそうです。何か武道をやっているそうで、礼儀正しい好青年でした。
 あとは、部屋に帰っていつもどおりにぬる〜いお湯につかりながら本を読む。

 週刊現代7月30日号に掲載されていた大橋巨泉の「内遊外歓」に「日本人は自らの手でA級戦犯を裁くべきだった」と題されたコラムが掲載されている。
 氏はそこで、病院の中で見たNHKの特集番組「干年の王宮・プラハ城・民族の記憶」という番組が気になってよく寝れなかったとして、下記のように書いている。
以下引用
特にボクの心を捕えたのは、チェコ人親予の会話であった。父は68年のいわゆる「プラハの春」で、学生運動のリーダーの一人だった男である。
略)
父は娘に言う。「いいかい、あの時われわれを弾圧したのはチェコ人なんだ。生れていなかった娘は答える。「私はずっとソ連人だと思っていたわ」「いいや、チエコ人がチェコ人を弾圧したんだ。愚かなソ連人はただ見ていただけさ。」
この言葉は病室で見ていたポクの胸にぐさりと刺さった。そして今朝まで何度もこだました。そうなんだ。今の日本人はこれを忘れていたんだ靖国間題を頂点として、教科書間題、「自虐史観」「土下座外交」「対中対韓の威丈高な姿勢」---こうした右側の論客やメディアが、一番忘れているのはこの言葉ではないのか。一憶総右傾化(少々オiバーだが)の中で、声を大にしたいのは、「やったのは中国人でも、韓国人でも、ソ運人でもなく、日本人なのだ」という事である。
 最も卑近な例でいえば、電車の中で「こんな戦争、勝てるわけがない」といっただけでボクの父を捕まえ、顔が腹れ上る程殴ったのは、他ならぬ日本人の刑事だった。母の指輪からボクのレコード針まで供出させて、取り上げたのも日本人。ポク達小学生に松の根を掘らせたのも日本人この間テレビを見ていたら松根油を混ぜた飛行機はロクに飛べなかったという。ボク達少年に「大きくなったら兵隊さんになって、天皇陛下のために死に、靖国神社にまつられるのが男子の本懐しと洗脳したのも日本人である。それどころか彼らは、10歳前後のボク達に、実際に校庭で、竹檜でわら人形を突く練習までさせた。今も忘れない。確実に胸を突き、突いたらすぐ抜く。そうしないと抜けなくなってしまうと叱られた。今考えると、長身のアメリカ人成人の胸に子供つ竹槍がとどくか? 第一相手は銃をもっているのだ。つまりこれは、殺されろという事なのだ。

 
その証拠に、沖縄やサイパンで、非戦闘員の女子供や老人に投降をすすめず、自決しろだの、崖から飛び降りろと命じたのも日本人である。こうした日本人達、或いは彼らにそうするように命じた日本人を、われわれは正当に裁いたか? 今右側の論客は、極東裁判の是非を言う。たしかにあの裁判は勝者が敗者を裁いた、片寄ったものであった(非人遺的な原爆投下は断ぜられなかった)。しかし、われわれはわれわれの手で、戦前から戦中にかけてわれわれの父や兄を弾圧した日本人を、裁判にかけることはしなかった。それが「諸悪の根源」なのだと、チェコの父親はポクに語っていたようであった。今からでも遅くはない。A級戦犯などと言わず、自分達で裁いて、弾圧や洗脳をして国民を死に向わしめた人々と、従わざるを得なかった大多数の国民をはっきり分ける事が必要である。そうすれば分祀問題も解答が出るし、何よりも世界中の人々から着せられた、日本人は自分では何も出来ないという汚名から逃れる事が出来る。
引用終わり

  この大橋巨泉という人は、我々にイタリアの民衆がしたような事をやれといっているのでしょうか。支那がやったような人民裁判をやれといっているのでしょうか。確かに、軍部の上層部にも多くの問題があったでしょう。無能な輩により無垢な命が失われたのも事実でしょう。いまと変わる事無い、当時の外務省の無能ぶりにより我が国の国益が失われたのも事実です。しかも何ら罰せられていません。しかし、それは当時の人間が当時の法律により裁くべきものであり、後世の人間が先人を裁くべきものではありません。
「昭和16年12月8日」にはざまあみろと当時の日本国民の多くは思ったはずですから・・・・

自国の先人を今の価値観で裁く、まるで今の南朝鮮がやっている事と同じです。



日本人だったら
7月23日土曜日晴れ
 ○
 偶然見つけた輸入商の方のプログですがその内容が
「伊藤博文は韓国で韓国人に暗殺されたと言われていますが、本当は日本の陸軍が暗殺した
略)
A級戦犯が埋葬されている靖国神社に小泉首相が参拝するのは、中国が怒っているが、所詮、A級戦犯と言われた方が埋葬されただけの話し。」

とかなっていたのにはアゼンとしました・・・・
支那のハルピンで暗殺された伊藤侯の暗殺場所の間違いや現在の北朝鮮の生まれのテロリストの安重根を韓国人という表示しているのはともかくとして、どうして陸軍が暗殺したと断定しているのかその理由を書いてほしいのと、せめて、日本人なら神社というものがどのようなものであるかを知っていてほしいものです。「A級戦犯が埋葬されている靖国神社」って、これじゃあ、ありもしない「靖国にある位牌を返せとか騒いでいる朝鮮人」よりひどいです。(この場合の朝鮮人はあくまで「ありもしない位牌を返せと騒いでいるバカな朝鮮人」を指しており、一般的な朝鮮の人々を指しているのではありません。誤解なきよう)

 四時半ごろに地震があったが、冷蔵庫の上の空瓶やグラス類も落っこちる事無く無事。ただ、地下鉄が東西線、有楽町線も止まっており、神楽坂は陸の孤島状態。

 もちろん、メチャヒマ。Sさん、遅い時間にTさんが心配してくださり来店。
磯自慢中取り35%の12BYを開ける。旨い!



精白と精米
7月22日金曜日晴れ ×

 酒を造る時にどのようなお米で造ったかをあらわすのにお米の品種と同時に「精米歩合」「精白歩合」がよく使われています。(精米歩合の方が一般的と思います)よく知られているように精米歩合30%だと70%を磨いて残りの30%で仕込んでいるということになります。これが、精白歩合だと逆になり、精白歩合30%だと磨いたのが30%で、残った70%で仕込んだいうことになります。つまり、精米歩合30%の場合は精白歩合70%と同じ内容表示になります。
 下記は酒の本まで出しているある大学のセンセイが書いている「私のスーパーグルメ術」とかいう日記よりの引用です。
6月30日の日記より引用)
今年の造りの80%精白の山田錦と雄町の米違いバージョン。
山廃造り70%精白の山田錦と雄町の米違いバージョン。
60%精白の吟吹雪。
それに、豪華なラインが秋鹿の最高峰である、
嘉村壱号田の2001年から2004年までのビンテージごとの比較。
80%精白のものは、
昨年よりも山田錦と雄町の違いが少なく感じられた。


7月20日の日記より引用)
秋鹿『精米80%山田錦』2004年醸造年度
秋鹿『精米80%雄町』2004年醸造年度
秋鹿『みぞれ霙もよう』2004年醸造年度
秋鹿『純米無濾過特別純米原酒もへじ』2004年醸造年度
秋鹿『精米70%山廃』2002年醸造年度
略)
精米80%のものは、栓を開けて3週間は経過していた。


7月22日の日記より引用)
最後に「もへじ」と
「嘉村壱号田(かむらいちごうでん)」を飲む。
これは、どちらも無農薬栽培の山田錦を使っているが、
「もへじ」は60%精白で「嘉村壱号田」は50%精白。
また、同じ無農薬栽培といっても
嘉村壱号田のほうが、より自然に近い育て方で、
山田錦を逞しく育てている。

引用終わり

 同じ方の日記に精米と精白という2つの表示方法が出て来ます。現在は、お酒のラベルなどには精米歩合で表示する場合が多いですので、7月20日の日記の精米という表示は酒の瓶のラベル表示をそのまま転載したものと思われます。そして、その日の日記には精米80%と精米表示を使っています。つまり、酒の本まで出されているこのセンセイは精米と精白の意味を理解せずに、二つは同じと思って使っているのではないでしょうか。それでないとセンセイの二つの単語の使い方に説明ができません。
なにしろ精白80%ではなく精白50%のお酒がこの蔵元さんの最高峰と書いてあるのです。(何度も書きますが、センセイの書かれている精白80%だと精米歩合20%!というお酒ということになります。確かに、造ろうと思えば造れる事は造れるでしょうが秋鹿さんで造っているのでしょうか・・・・)

 普通の方と違って、酒の本まで出しているダイセンセイなのですから、大なり小なり一応社会的な影響もあるでしょう。センセイの「精白」というアホな使い方を信じてしまったおかげでどこかで恥をかくバカも出てくるかも知れません。難しい言葉でいろいろとお酒の事を書く前に、こういった基本的なことを理解された方がよいとおもうのですが、いかがでしょう。(まあ、過去には基本的な事も何もわからずにあのトンデモ本の「大吟醸バガボンド」を書いた島内景二ダイセンセイもいらっしゃいましたが)

 最初の日記の日付けから三週間以上経過しているわけです。センセイのお近くにはこういった事を指摘される方はいらっしゃらないのでしょうか。このままだと、まるで、フィロキセラという害虫について「フィロキセラという虫による」とか書いているところもあれば「フィロキセラ菌」とかでたらめな箇所が軒並み出てきていた「ワインの常識」というとんでも本を書いたあの自称日本酒の専門家?の稲垣眞美氏なみでしょうか・・・・
 
 今日は予約は中島さんたちひと組だけでしたので、ヒマだろうと思っていたら、大台さん2名様で来店。Sさん来店。
英英珈琲店の副店長、Oさんと来店。ケイザブロウさん来店。そして副店長からの電話で、舞い戻って来た大台さん本日二回めの来店。二名様来店。遅い時間に中島さん八名様で来店。今日はお祝?でサービス価格にて(それでも高い)ガヤのスペルスのWマグナム1993を開ける。途中からいろいろ開けて私もドンチャン。記憶は一応あり・・・と思う・・・・


7月21日木曜日晴れ △
 Kさん来店。大野さん、セシリアさんと来店。相変わらず忙しそう(ふりだけかな???)遅い時間に2名様来店。
 今日も飲む。記憶はあり。

 当店の前に小さな花壇のスペースがあり、そこにツタ、バラなどを植えていますが、空いたところに生ゴミを埋めています。そのゴミを、ミミズが食べて土に還してくれます。まあ、たいした量ではありませんが、数パーセントはゴミ袋に入れて捨てる生ゴミが減っていることにはなるのでしょう。つまり、当店のバラとでっかくなったツタは生ゴミで元気に育っています。

穴を掘って

生ゴミを入れて

土をかぶせて

2週間後にはボコッと
かぶせた土が凹みます。

7月20日水曜日晴れ ×
 先週の土曜日に河岸にいったら、築地の交差点で「新しい歴史教科書を作る会」の皆様がビラ配りをしていたのでビラをいただく時にがんばってくださいと声をかけさせていただく。
 2002年の3月下句に南京に、支那、南朝鮮、日本の売国奴関係者があつまって、「歴史認識と東アジアの平和フォーラム」を開催したという事は7月18日の日記にも書きましたが、その時に扶桑社の歴史教科書に対抗するために、あの反日を職業としている俵義文「子どもと教科書全国ネット21」事務局長を中心に、日本、支那、南朝鮮の三カ国共通の歴史教育の副教材を作ることが決定されたという本の現物がこれです。
 もう古本屋さんに出ていました。ありもしない「朝鮮半島食糧の強制徴収」とか、「朝鮮人民は中国人民と肩を並べて日本帝国に抗日闘争をした」とか内容も予想通りのひどいものです。(この本のキチガイ沙汰の内容につきましては後日アップさせていただきます)

 しかし、こういった連中の教育委員などに対してのキチガイ沙汰の反対運動を、朝日新聞はどうして報道しないのでしょう。

 初めてのお客さまSさん2名様で来店。Sさん来店。Y岡さん2名様で来店。Tさん御兄弟で来店。
 今日も早くから飲む。ドンチャン。記憶あり・・・・

お笑い朝鮮タカリ2
7月19日火曜日晴れ ×

 
7月13日に「タカリの予感」という日記を書きましたが、早速、南朝鮮がタカッテ来たようです。
以下引用
 
<韓国政府高官>北朝鮮への送電で“つなぎ支援”要請
 小林温参院議員が18日、ソウル市内で李鍾ソク国家安全保障会議事務次長と会談し、韓国政府の北朝鮮に対する送電計画について説明を受けた。李次長は送電設備が完成して電力供給が始まるのは08年以降になるため、重油による“つなぎ支援”は「6カ国協議の枠組みの中身で役割分担するよう検討してほしい」と述べた。
(毎日新聞) - 7月19日15時4分更新

引用終わり

 南朝鮮分かりやす過ぎ!!!!

もう少しひねってほしいものです。

 ところで、山拓さんはあっちこっちにいっていますが、今度は南朝鮮にいってきたそうで、金ブタの言葉として「国交正常化を強く望んでいる。体制に対する脅威がなくなれば必ず(核を)放棄する」と南朝鮮の統一相から聞いて来たそうで、早速、小泉首相と会って、小泉首相も「小泉政権の間に北朝鮮の核問題、拉致問題を解決し、国交正常化をしないといけない」と述べ、来年九月までの自民党総裁任期中に北朝鮮との国交正常化を実現したいとの意向を改めて示したとかいうニュースが一杯流れていましたが、そりゃあ、泥棒乞食国家北朝鮮の金ブタにとっては我が国からの銭は一刻も欲しいでしょうが、我が国の国民も返さない犯罪国家に、こちらから譲歩することなどなにもないでしょう。

 小泉首相の北朝鮮との外交って・・・・北朝鮮が嫌がり、我が国としては簡単にできる経済制裁、在日朝鮮人再入国禁止なども何もしないで最初から結論ありきで、拉致問題の早期幕引き狙いという感じがするのは私だけでしょうか。

 小泉首相は犯罪国家北朝鮮に何か弱味でも握られているのでしょうか。北朝鮮にいってから急に態度が変わったといわれているあの中山正暉みたいに・・・・・

 南朝鮮も北朝鮮も結局は早く銭よこせと言っているだけです。
流石は小中華だけあります。宗主国様の支那と同じです。まあ、そういう意味ではクサレ国連も同じだけど・・・・

 Sさん来店。ず〜とSさんだけで、今日はこのままかなと思っていたら、Tさん来店。Hさん来店。遅い時間、いやバンブータイムでは早い時間にバンブーさん来店。
今日も早い時間から飲む。でも、休み前は大丈夫だったメニューに掲載している酒が入っている冷蔵庫の調子が悪く8度以下に下がらないので、営業終了後に酒を全部出し冷蔵庫を引き出して、フロント下部にある機械部のカバーをはずして、中に掃除機をかけて大掃除。
結果、ぐんぐん冷蔵庫内の温度が下がる。落っこちたA4の紙が吸気口あたりにへばりついていたのが原因みたいでした。在庫リストの数に入っていなかった東一の大吟醸選抜がこの冷蔵庫から1本見つかりラッキー!
余計な出費が防げてホッとしました。でっ、冷蔵庫の不安が解消したので、飲んでドンチャン!最後の方は記憶なし・・・・・・



国連至上主義者の危うさ2
(反日ネットワークつながり)
7月18日月曜日晴れ ○

 今日は夕方から飯を食いに出かけた以外は、一日中部屋にてゴロゴロして終わる。ただ、7時頃に飯を食いに出かけたのですが、古本屋に寄って立ち読みしたあと、数冊買って気がついたら9時半・・・・
 後はいつも通りに本を持ち込みなが〜いお風呂に入って終わる。

 反日団体についての追記です。
まず、下記の団体を見ていただきたい。
これは正論平成17年7月号に掲載された日本会議事務総局の江崎道郎氏の記事「知られざる反日ネットワークの脅威と実態を暴く」より記事内容を一部転載させていただき、そして私なりに表としたものです。これは支那政府が南北朝鮮、米国、フィリピン、オランダそして我が国の反日組織のリーダーを平成15年9月に上海に集めて作った「日本の過去の清算を求める国際連帯協議会」という反日国際ネットワークです。
つまり、世界中の反日組織のまとめ役は支那政府のシンクタンクである中国社会科学院の中日歴史研究センターなのです。

 下記はその「日本の過去の清算を求める国際連帯協議会」という反日国際ネットワークの構成団体です。
日本
韓国・朝鮮人元BC級戦犯者・同進会
強制連行企業責任追及裁判全国ネットワーク
朝鮮入強制連行真相調査団
神奈川県朝鮮人強制連行真相調査団
在日朝鮮人・人権セミナー
在日の慰安婦裁判を支える会
戦後処理の立法を求める法律家・有識者の会
「慰安婦」問題の立法を求める会
戦後補償実現市民基金戦後補償ネットワーク
戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会
全国抑留者補償協議会
憲法9条一世界へ未来へ連絡会(略称:9条連)
過去と現在を考えるネットワーク北海道
中国入強制連行を考える新潟市民の会
在韓軍人軍属裁判を支援する会
歴史の事実を視つめる会
アジェンダ・プロジェクト
日本キリスト教会靖国神社間題特別委員会
フィりピン人元「従軍慰安婦」を支援する会
フィリピン・ピースサイクル
フィリピン元「慰安婦」支援ネット・三多摩


フィリピン
アジア女性人権協議会
ロラズ・カンパニエラ

北朝鮮
朝鮮日本軍「慰安婦」・強制連行被害者補償対策委員会
朝鮮人強制連行被書者・遺族協会

南朝鮮
日帝強占下強制動員真相究明特別法制定推進委員会

アジアの平和と歴史教育連帯(日本の歴史教育を正す運動本部)
韓国労働組合総連盟
全国民主労働組合総遵盟
全国教職員労働組合
韓国民族芸術人総連合
歴史問題研究所
太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会
韓国太平洋戦争被害者補償推進協議会
独島守護隊
韓国教会女性連合会

世界華人連合

支那
731細菌戦訴訟原告団
中国侵華日本軍南京犬屠殺犠牲者記念館
中国社会学院中日歴史研究センター

台湾
台北市婦女救援社会福利事業基金会

オランダ
対目道義補償請求財団

アメリカ
今歴史の正義をロサンジェルス
慰安婦問題ワシントン連合
慰安婦間題ニューヨーク連台
コリアン・アメリカ人平和協会
第二次世界夫戦残虐行為に関するコリアン連名、ロサンジェルス

アジアにおける大二次大戦の歴史を保存する世界連盟
 「南京暴行」補償連合
 アジァにおける第二次世界大戦真相委員会
 中日戦争の真実を保存するためのセントルイス連盟
 紀念南京大屠殺受難同胞連合会
 対日索賠中華同胞会
 抗日戦争史実維護会
 アジアにおける第二次世界大戦の歴史を保存するための連合一□サンジェルス
など、30ものアメリカにおける支那系組織

カナダ
アジアにおける第二次世界大戦の歴史を保存し学ぶ協会
アジアにおける第二次世界大戦の歴史を保存し学ぶカルガリー協会

香港
香港紀念抗日受難同胞聯禽
香港補償協会


その他として日本から歴史教育アジアネットワークJAPAN(連携しているが正式メンバーでない)
 共同代表…小河義伸(キリスト者平和ネット)、
 高嶋伸欣(高鴎教科書訴訟を支援する会)、
 俵義文(教科書ネット21)、
 野平晋作(ピースボート)、
 松井やより(VAWW一NETJapan)〕
 教科書情報資料センター
 子どもと教科書全国ネット21
 在日コリアン連合戦争と女牲への暴力」日本ネットワーク
 中国人戦争被害者の要求を支える会
 ピースボート
 歴史教育者協議会

? アメリカにおける支那系反日組織 支那の動き 世界の主な出来事 我が国の反日団体の動き
1987年 「対日索賠中華同胞会」結成 ? ? ?
1989年 ? 済制裁のために経済発展に必要な「資金」が入ってこなくなった。
それと同時に、天安門事件で弾圧を受けた学生たちが海外に亡命し、フランス、アメリカ、カナダなど世界各地で中国民主化組織を設立し、欧米のメディアと連動して中国共産党批判の活動を開始
11月ベルリンの壁崩壊

12月3日冷戦終結宣言
?
1990年 ? 9月香港、アメリカ、台湾など海外の華僑の権利を認める法律を制定
本士に対する華僑の投資を保障する法制度を整えた。
11月「中国海外交流協会」設立
海外の華僑に対する工作を始める。その目的は海外の華僑たちの莫大な資金を本土へ投資させることと、華僑ネットワークを使って海外の民主化運動を抑え込むことである。
? ?
1991年 「紀念南京大屠殺受難同胞連合会」結成
ニューヨーク
対日政策専門のシンクタンクを設立
 日本の政治大国化(自衛隊のPKO派遣や憲法改正、日本の国連常任理事国入り)を阻む必要があり、そのためには、「過去の謝罪問題を取り上げるべきだ」と結論
? ?
1992年 「抗日戦争史実維護会」結成
 カリフォルニア
? ? ?
1993年 ? 8月支那政府は日本政府に対して、日本の国連常任埋事国入りを支持するためには戦争犯罪への率直かつ直接的な謝罪が前提条件であると通告する。
日本を「準同盟国から、アジアの覇権を争う「敵国」へと明羅に位置付けを変更。
? ?
1994年 12月「アジアにおける第二次大戦の歴史を保存する世界連盟」

アメリカの30以上の支那系反日組織の連合体として結成
 アメリカにおける「日本の戦争責任追及の動き」のほとんどに係わっている。例として、終戦五十周年にあたって計画されたスミソニアン博物館の原爆展で日本軍の加害行為の写真を展示するよう主張。南京大虐殺を目撃したというドイツ人ジョンニフーべの日記を発掘。「南京大虐殺はなかった」と明言した石原慎太郎衆院議員に抗議する意見広告をニューヨーク・タイムズに掲載。訪米された天皇陛下に対して抗議デモ。『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』の著者、アイリス・チャンも会員。日本の戦争犯罪を追及する米国の捕虜団体や韓国系組織、そしてドイツに対して補償を要求していたユダヤ系紺織とも連携。
9月、支那共産党中央宣伝部は「愛国主義教育実施綱要」を公表
国内の教育機関に対して「反日教育」を行うよう指示。
海外の華僑に対しても「中国海外交流協会」を通じて工作をした可能性が高い。
それにより、全米各地で活動していた約30もの支那系反日組織が12月にカリフォルニアに結集し、「世界連盟」を結成して活動を活発化
? ?
1999年 カリフォルニア州議会を動かし、民事訴訟法に「賠償・第二次世界大戦、奴隷的な強制労働」という条項を追加する法改正に成功。
この改正で「ナチの体制、同盟者、支持者の占領・支配下にある地域の企業などから、一九二九年から四五年にかけての強制労働に対し賃金を支払われなかった者」は、二〇一〇年までに、その企業に対し訴訟を起こすことができるようになった(通称「ハイデン法」)。
このハイデン法に基づき一九九九年ハ月、米国人の元捕虜が三井物産ら四社を相手取って損害賠償請求訴訟をロス地裁で起こした。
カリフォルニア州議会は全会一致で、「南京大虐殺」や「慰安婦」などを引き合いに出して、日本政府による「明確な謝罪」と「すみやかな賠償金の支払い」を求める決議を採択した。

その後もミネソタ、ニュージャiジー州などが相次いで同趣旨の立法を行う。
? ? ハイデン法改正の段階で対応しておけば、問題は全米に広がる事はなかった。ところが在サンフランシスコ領事館の総領事は、田中均であった。
ハイデン法の審議に際して田中総領事がやったことといえば、
一九九五年の村山総理の「謝罪談話」や戦後日本政府が二十七カ国に対して支払った賠償金二百七十万ドルの明細書をマスコミに配っただけだった。
つまり、何もしなかったのである。
2001年 9月シカゴの連邦地裁に元捕虜たちが在米日系企業を相手に総額一兆ドル(百二十兆円)の集団訴訟を起こした。

9月ブッシュ政権はサンフランシスコ講和条約で賠償問題は解決済み」(パウエル国務長官)という立場を堅持することを明言した。しかし支那系の反日ロビー活動に影響を受けた連邦議会は
7月に下院が、9月に上院がそれぞれ日系企業への戦後補償裁判に対し、
国務・司法両省の意見書提出を事実上不可能とする修正条項を盛り込んだ歳出法案を圧倒的多数で可決した。
それに対して
「国際テロとの戦いで重要度を増す日米同盟を危うくしかねない」(モンデールー元駐日大使)と考えたブッシュ政権が法案の削除を連邦議会に要請、議会もこれに同意し、法案を削除。
可決した法案を後日削除したケースは建国以来数回しかないという異例の措置であった
? ? ?
2002年 ? 2月に「世界連盟」の幹部を上海に招き、
「第二次世界大戦補賞問題に関する国際法律会議」を開催した。
在米日系企業に対する集団訴訟を担当しているバリー・フィッシャーも出席した。
(狙いは、日朝国交樹立に伴う対日賠償金を出来るだけ多く日本から分捕るためであると思われる)
3月下句に南京において、日本の戦争責任を追及する支那、南朝鮮、日本の関係者が一堂に集い、第一回「歴史認識と東アジアの平和フォーラム」を開催した。主催は、支那の「南京大虐殺記念館」「中国杜会科学院中日歴史研究センター」、韓国の「韓国学術同体協会」、日本の教科書を正す運動本部」(別名「アジアの平和と歴史教育連帯」、「日本の戦争責任資料センター」「子どもと教科書全国ネット21」の六つの団体で、日本からはほかにも日教組やピースポートの代表も参加している。
フォーラムでは、扶桑社の歴史教科書に対抗するために、俵義文「子どもと教科書全国ネット21」事務局長を中心に、日本、支那、南朝鮮の三カ国共通の歴史教育の副教材を作ることが決定された。
? 3月下句に南京において、日本の戦争責任を追及する支那、南朝鮮、日本の関係者が一堂に集い、第一回「歴史認識と東アジアの平和フォーラム」を開催した。
主催は、支那の「南京大虐殺記念館」「中国杜会科学院中日歴史研究センター」、韓国の「韓国学術同体協会」、日本の教科書を正す運動本部」(別名「アジアの平和と歴史教育連帯」、「日本の戦争責任資料センター」「子どもと教科書全国ネット21」の六つの団体で、日本からはほかにも日教組やピースポートの代表も参加している。
フォーラムでは、扶桑社の歴史教科書に対抗するために、俵義文「子どもと教科書全国ネット21」事務局長を中心に、日本、支那、南朝鮮の三カ国共通の歴史教育の副教材を作ることが決定された。
2003年 10月、連邦最高裁はサンフランシスコ講和条約で戦後賠償は解決済みとして原告の請求を棄却、訴訟は終息に向かいつつある 9月南朝鮮、北朝鮮、米国、日本、フィリピン、オランダの反日組織のリーダーを上海に集め、
国際反日ネットワーク「日本の過去の清算を求める国際連帯協議会」を結成。北朝鮮は朝鮮労働党の一部門(日本軍「慰安婦」・強制連行被害者補償対策委員会)
韓国の加盟団体「アジアの平和と歴史教育連帯」(扶桑社の教科書採択を妨害するキャラバンを日本で実施すると表明している急進派反日組織で、母体は「韓国労働組合総連盟」と「全国教職員労働組合」で、いずれも北朝鮮融和政策をとり、全国教職員労働組合はかつて非含法団体)
? ?
2005年 「国際連帯協議会」のアメリカ支都である「世界連盟」はこの五月から十二月までの約半年間、実に百万ドル(一億二千万円)の予算を使って、「過去に対する明確な謝罪と補償、特に首相の靖国神社参拝の中止、扶桑祉の歴史教科書ることなくして日本の国連常任理事国人りは認めない」というキャンペーンを国連、アメリカの政府・連邦議会、主要メディアの編集長に対して行う予定。

 このキャンペーンに同調して、連邦議会では、ローラバッカー議員やホンダ議員らが口系企業に対する戦菱補償請求を可能とする日的で「サンフランシスコ講和条約の解釈変更を求める決議」などを準備し、既に下院の過半数を超える二百二十五名が決議賛同者に名前を連ねている。
日本の国連常任理事国入りに反対するインターネット署名を呼びかけ、
支那だけでなく、アメリカ、カナダ、南朝鮮などの三百六十以上のサイトにおいて、3月1日から5月初旬までの2カ月間に、4200万人分集めた
? 2月、朝日新聞の"誤報"に端を発した「NHK番細政治介入問題」をめぐって衆議院第、一議員会館で開かれた
「『女性同際戦犯法廷』に対する冒とくと誹誘中傷を許さない日・朝女性の緊急集会」
バウネット・ジャパン共伺代表の西野瑠美子
「朝鮮女性と連帯するH本婦人連絡会代表」清水澄子
在日本朝鮮民主女性同盟中央本部委員長で北朝鮮の国会議員(最高人民会議代議員の金昭子
「連帯」常任共同委員長の梁美康が参加

まだ未完成につき後日、随時追記予定

国連至上主義にみる危うさ1(反日ネットワークと国連)
7月17日日曜日晴れ ○

 昨日の酒が抜けきらないまま、店の片付けを始める。途中、アミノ酸プロを飲むとかったるさがなくなり随分と楽になった気がする。昨日、そのままにしてあった洗い物を片付け、冷蔵庫を整理し、包丁も研ぎ終える。
 スポーツセンターにいく。今日も右肩が痛いので、軽いメニューを消化。
 部屋に帰って布団のうえで本を読んでいたら、いつのまにか灯りをつけたまま寝てしまう。

 先日のニュースに「日本に深刻な差別、是正の必要を勧告へ」という記事がありました。
以下引用
 
国連人権委員会で特別報告者として各国の人種差別の現状を調査しているディエン氏(セネガル出身)は11日、日本での9日間の調査を終え、都内で記者会見した。
 このなかで、同氏は、日本では被差別部落や在日韓国・朝鮮人などに対し深刻な差別があり、政府は対応措置を講じる必要があるとの報告書をまとめ、9月に開催される国連総会に提示する考えを示した。
 同氏は、これらの人々が特に、就職時や住宅を探す際に厳しい差別に直面していると指摘。日本政府が十分な対応をとっておらず、是正が必要との勧告も報告書に盛り込む意向だ。
(読売新聞) - 7月11日20時17分更新

引用終わり
 
 国連至上主義者からみると「さあ大変だ、国連様がお怒りだ」となるかもしれません。(朝日新聞とかがそうでしょう)
 ここにでてきた国連人権委員会には過去にあの辛淑玉女史、前田朗東京造形大学教授が石原都知事の「三国人」発言(これも毎日新聞社の都知事の発言をわざと歪曲したともいえる報道によるものが元になった)を差別だと訴えたことがあります。
 そして、前田氏の師匠である戸塚悦朗神戸大学大学院教授などは小泉首相の靖国参拝まで訴えています。
近年リビアのカダフィ大佐の子飼いの外交官が人権委員会委員長であったほどのいんちき臭いこの国連人権委員会と我が国のプロ市民との関係とはどうなっているのでしょう。
 まず
「性奴隷 国連」とGoogleにて検索して見ると36000件がヒットする。
その主なものからみてみると、国連に対してのプロ市民といわれている連中の動きと繋がりがよく分かる。
「戸塚悦朗の国連たより 98年7月」
http://www.jca.apc.org/JWRC/center/totsuka/98-8.htm
 これを読むと戸塚という反日日本人がどのようにして国連人権委員会に対し、運動し、ありもしない戦時売春婦を「日本軍性奴隷」という造語により浸透させていったかがよくわかります。
国際法の平面での成果と課題とあり
<強制労働である点、軍性奴隷と女子勤労挺身隊は同じ問題だから同様の法理が適用できる。ただし、男性の強制労働については、同条約上例外的に認められていたので、条約違反の根拠は異なる。事実関係も、法的分析も、さらにきめ細かい多様な検討が必要である。しかし、軍性奴隷の場合と共通する事項も多い。だから、軍性奴隷問題を強制労働条約の適用により解決することは、その他の問題での重要な先例を確立することになるのである。 >
と人権擁護委員会への我が国の戦時売春婦を如何にゆがめて世界にアピールする事が効果的なのかを説いています。
そして、
 下記のように運動の大切さを記しています。
 
<人権と正義の砦のはずの司法裁判所でも、被害者側が懸命の裁判活動をしなければ、正しい判決を獲得することは困難である。1通の訴状の提出で「あとは裁判所におまかせします」という手法が通らないのが現実であることは、戦後補償裁判を支援している市民にはよく知られているであろう。だから、前述の見方が楽観的過ぎることは、理解できるだろう。被害者側を支援する各国の市民・労働団体・NGOは、ILO機構と関連国際法規を研究して、深い調査・研究に基づき必要十分な証拠と法的根拠をILOに提供することおよびこれまでの経過と現実的諸問題を念頭に置きながら、日本政府・連合・国民基金に対抗できる適切なロビーイングを全力を挙げて展開する必要があるであろう。 >
そして、その結果

国連人権小委員会、戦時性奴隷問題の法的原則で決議
http://www.jca.apc.org/JWRC/center/totsuka/99-10.htm

国連人権小委員会、日本軍性奴隷問題で日本政府を厳しく批判
http://www.hurights.or.jp/newsletter/J_NL/NL34/NLJ34_5_13.htm

 彼らの運動は、支那、朝鮮だけでく、アメリカ、ロシアなど他国まで広げている。
<日本軍性奴隷問題への対応だけでは済まないところまで来ている。強制労働問題でも、ILO専門家委員会(99年報告書)からカリフォルニア州議会の立法・決議に至るまで国際的批判にさらされ、米国で相次いで訴提起が続いている。シベリアでの日本軍捕虜・民間人被収容者は(99年人権小委員会でアジア女性人権審議会(安原氏)が初発言)、日本軍によって奴隷労働としてソ連に売られた旨の告発を行った。日本人被害者問題も国連に告発された。日本政府は、これまで日本人に戦争被害を受忍するよう強いてきたが、これには大きな疑問がある。日本政府は、日本人被害者までも救済対象に含むよう、戦後補償政策の大転換を迫られている。 >
そして、
「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」に向けて真剣な討議を始めることが必要ではないか。>と説き

<韓国挺身隊問題対策協議会代表のシン・ヘイスー教授(司会者)は、日本軍性奴隷加害者等を裁くために12月に東京で開催される女性国際戦犯法廷について詳しく説明した。>

 
<委員の発言には興味深いものがあった。 中国出身のファン・グオジャン委員は、日本政府を名指しで批判した。 特別報告者がナチと日本による性奴隷にふれたこと、日本政府の4年前の謝罪にもかかわらず批判が継続しているのは、日本政府が被害者への補償義務を果たしていないからであること、人権小委員会は、NGOの発言を真剣に受け止めるべきであること、元「慰安婦」も強制労働被害者も訴訟を起こしたが、日本の侵略戦争中の化学兵器被害者も訴訟提起を検討中であること等を上げた上で、「これらの被害者には、補償を求める権利がある」と発言して関係者の注目を集めた。 それは、これまで繰り返し「政治的解決」を求めてきた同委員が、「権利」という法律用語を初めて使ったからである。 重要な変化として、見逃せない点である。
 韓国出身チョン代理委員は、
一般論として、武力紛争時に性犯罪が起きるのは、「不処罰の文化」によるとし、被害者が発言しやすくすること、高等弁務官が不処罰文化に強く反対すること、軍隊の人権教育を強化すべきことを述べた。 英国出身委員も、日本(4回も名指しした)などが、軍人(=自衛隊員)に人権教育を始めるように求め、人権高等弁務官が来年その結果を報告するよう求めた。
 政府オブザーバーでは、朝鮮民主主義人民共和国が日本を名指しで、植民地支配下での強制労働・殺戮・「慰安婦」等を列挙し、「敗戦国として、また人権侵害者として法的道義的責任があり、事実を認めて人道に対する罪の被害者・朝鮮民族に対し謝罪し、補償する責務がある」と厳しく批判した。
 しかし、日本政府だけでなく韓国政府も審議中の発言を控えた。
略)
 この研究と決議は、日本軍性奴隷問題の解決を促進する為になされてきたことはよく知られている。 この決議は、とくに強く日本政府に向けられており、日本はこの決議を無視できない。 英国の委員が決議採択に際しても、軍隊=自衛隊の人権教育義務に注意を喚起したことを想起すべきだろう。


 これらの戦時売春婦を「日本軍性奴隷」と偽るためにありとあらゆる反日運動家、グループ、反日国家と手を結んでいます。
 ホームページに記されているだけでも、北朝鮮、支那、朝鮮人強制連行真相調査団(ホン・サンジン氏)、、韓国挺身隊問題対策協議会、南朝鮮と日本の労組、国連NGO連絡会(前田朗氏)、VAWWネットジャパン(平川なおみ氏)、 反差別国際運動、世界市民協会、APWLD、国際友和会(IFOR)・日本友和会・アジア女性人権評議会(AWHRC)などの反日NGO、日弁連、日本の戦争責任資料センター。
 
<人権と正義の砦のはずの司法裁判所でも、被害者側が懸命の裁判活動をしなければ、正しい判決を獲得することは困難である。1通の訴状の提出で「あとは裁判所におまかせします」という手法が通らないのが現実であることは、戦後補償裁判を支援している市民にはよく知られているであろう>といい、そのために、これらの反日団体は支那、南北朝鮮と繋がっているだけでなく、アメリカ、英国までその勢力を広げているのです。
 その反日団体が国連という御墨付きにより、我が国に圧力をかけ、国家改造という国体解体を目論んでいます。今、すすめられている
支那の代表が
<日本の侵略戦争中の化学兵器被害者も訴訟提起を検討中である>といったことが、我が国の売国奴の村山富市と河野洋平により現実化され、我が国は莫大な言われなき賠償金という名前の血税を支那に払わされる事になりました。

そして、今、騒がれている人権擁護法案についても、
<韓国出身チョン代理委員は、一般論として、武力紛争時に性犯罪が起きるのは、「不処罰の文化」によるとし、被害者が発言しやすくすること、高等弁務官が不処罰文化に強く反対すること、軍隊の人権教育を強化すべきことを述べた。 英国出身委員も、日本(4回も名指しした)などが、軍人(=自衛隊員)に人権教育を始めるように求め、人権高等弁務官が来年その結果を報告するよう求めた。>という所に現れています。
現実に、この後、平成13年3月20日に「人権差別摘発委員会」において
「 委員会は、(日本において)人種差別それ自体が刑法において明確かつ適切に犯罪とされていないことを懸念する。委員会は締結国(日本)に対し、人種差別を犯罪とすることを勧告する」
「委員会は、高位の公務員が行った差別的な発言(石原発言)に、懸念をもって注目する。締結国が、こうした事件の再発を防ぐための適切な処置をとり、特に、公務員に対し、適切な訓練を行うように求める」
という最終見解が採択されました。
 これらは、すべて反日ネットワークの成果です。今回の新聞報道によるのも、すべて、反日ネットワークによるものです。

 国連はいわゆる「国連信仰」はいい加減にやめるべきです。そして、これらの反日活動に対して、我が国も、国としてもっと具体的な対応を取っていくべき時期にきています。連中には「いつか、分かってくれる」などということはないのです。


7月16日土曜日はれ 暑い ××××
 江上三兄弟がそれぞれ夫人同伴で来店。しみずさん来店。ホロン部員Yさん来店。Yさん2名様で来店。Sさん来店。
営業終了後、Yさんとお連れさん、Sさんと四人でワインを三本持って歌舞伎町にいきドンチャン。私は今日も大ヨッパライ。

7月15日金曜日はれ ×
 電話もないし、ヒマかな〜と思っていたら、
 初めてのお客さま来店。大台さん2名様で来店。Sさん来店。Tさん、Aさん、Sさん4名様で来店。Maxさん一平さん来店。
 飲む。ドンチャン。記憶はあり。

7月14日木曜日
 昨日、ナナちゃんを引き取ってくださったMさんよりハガキが届きました。そのハガキにによると、Mさんはななちゃんを越谷のナナちゃんの元の飼い主様のところにお届けくださったそうです。そこにはナナちゃんの息子もいるそうです。(耳が聞こえないそうです)

 大台さん来店。Mさん2名様で来店。Eさん来店。Kさん三名様で来店。
 一通り飲む。

タカリの予感
7月13日水曜日くもり ×

 あの南朝鮮が北朝鮮に200万キロワットの電力を直接供給というニュースがありました。
以下引用
 
韓国政府は十二日、七月二十七日にも再開される六カ国協議に関連、先に北朝鮮に示した「重大な提案」の内容について、北朝鮮が核放棄に合意すれば二百万キロワットの電力を韓国が北朝鮮に直接供給する計画であることを明らかにした。配電施設などは韓国が費用を負担し建設、二〇〇八年ごろの送電開始を目指すという。十四日にソウルで開く日米韓局長級協議で、韓国の提案について意見交換が行われるとみられる。
略)
 二百万キロワットは、一九九四年の米朝枠組み合意で着工しながら中断している軽水炉二基分に相当する。
略)
 一方、ソウルで開かれていた韓国と北朝鮮による第十回南北経済協力推進委員会は十二日午前、コメ五十万トンの食糧支援や、石炭など北朝鮮の天然資源開発に共同で取り組むことなど、経済協力拡大に向けた十二項目の合意文書を採択し、閉幕した。

 以上引用終わり
産経新聞17年7月13日より

 我が国から搾取することしか知らない南北朝鮮ですから、近い将来、南朝鮮がデカイ面をして、当然のごとく我が国に「チョッパリが、200万キロワット分の電力料金を払うニダ」と言ってくる予感がするのは私だけでしょうか。これって、いろんな意味で結構その確率が高いと思うのですが・・・・

 50万トンの米支援といえば、以前私も書いたことがありますが、今日、発売の週刊新潮にあの犯罪国家の北朝鮮は、度重なる(なんと100回)の催促にも関わらずまだ我が国に対して有償米支援の金を返していないそうです。米代金約56億円で10年は利息だけ、残りは20年で返すという超有利な条件ですが、返したのは8400万のみ(厳密には1500円たりなかったそうで、流石はクサレ北朝鮮セコイ!)利息だけで12億円も滞っているそうです。北朝鮮の大使館を自認する朝鮮総連施設の差し押さえぐらいやってほしいものです。
 ちなみに、北朝鮮はあの国らしく「日本が謝罪の意味で米を送るというから受け取った」(金容淳北朝鮮書記)という不遜きわまりない態度だった平成7年6月の50万トン(うち有償35万トン)のこの米支援を根回ししたのがあの野中広務(当時自治相)と北朝鮮の工作員といわれている吉田猛を秘書として連れ歩いていた加藤紘一(当時自民党幹事長)です。参考「
腐れやくざに金を貸すと

 しかし、野中といい加藤といい、こいつらの存在が我が国にとってマイナスになることは数々あるようですが、ひとつもプラスになることは無いようです。こんな売国奴の加藤(下等?)はまだ現役の国会議員です。早く辞めてほしい!

 河岸から帰ってきて仕込みを終えてから、スポーツセンターにいく。まだ、右肩があまりよくないので、ベンチプレスは軽いメニューを消化。三か月後ぐらいには元のウエイトでメニューを消化したいと思っている。

 今日もヒマかなと思っていたら、Y岡さん来店。初めての方2名様で来店。Hさん四名様で来店。Iさん四名様で来店。ドンチャン。めずらしく最後まで記憶あり!


カルト教団つながり
7月12日火曜日くもり ×

 パリ市がトム・クルーズがカルト教団に入っているために名誉市民授与せずというニュースがありました。
以下引用
 
パリ市は、米国の新興科学教団「サイエントロジー」のメンバーであることを理由に米映画スター、トム・クルーズ(43)に「名誉市民」の称号を与えないことを決定した。
 パリ市議会が11日夜、クルーズを名誉市民としない趣旨の決議を採択したことによるもので、世紀の二枚目俳優はパリでは「歓迎すべからざる人物」と規定された。
 サイエントロジーは1954年、SF作家のロン・ハバードによって米国で創設され、フランスをはじめとする欧州の多くの政府は「危険なカルト集団」と位置づけている。
 クルーズはそのメンバーであることを公言し、「戦闘的活動家」を自任している。
 略)
 仏南部のマルセーユ市はクルーズを名誉市民としている。
(時事通信) - 7月12日21時38分更新

引用終わり

 フランスでカルト教団と認定されたサイエントロジーですが、それと同じく認定されているのが、キチガイの集まりである創価学会です。
http://nvc.halsnet.com/jhattori/rakusen/AntiSouka/Video.htm
創価学会が、「エホバの証人、サイエントロジー教会に次いで、3番目にリッチなセクトである」と指摘。

http://nvc.halsnet.com/jhattori/rakusen/AntiSouka/VideoTrans.htm
<ホワイトカラーのカルト、それが創価学会である。>
<創価学会の力は、仏教のイメージを餌にして誘い込むことである。
精神的 な詐欺だ。>
<鎧甲(よろいかぶと)のようなものに包んで、我々は鎧を着せられた兵隊だ。>
<家裁は創価学会をカルトとして認定した。>
<87〜90年にかけて過大な利益を得たということで追徴謀税を創価学会は受けた。>
<創価学会では勧誘すればするほど良い成績が認められ、場合によってはノルマもある。>


 こんな恐ろしい異常な宗教団体が我が国では与党として政治の世界にいるのです。
 あの名誉大好きである池田大作ダイセンセイも、カルト認定されているフランスの大学の名誉教授や名誉市民にはなれていません。いつものように銭では買えないようです。参考<
池田大作と恥の宝冠
池田ダイセンセイ分かりやす過ぎ・・・・・・

 メチャヒマ。Sさん来店。
 今日も一通り飲む。

初物
7月11日月曜日晴れめちゃ蒸し暑い △

 朝、起きて築地にいく。昨日、久しぶりにスポーツセンターにいったので、あっちこっちが痛い。明日はもっと痛いだろうな・・・
 築地にてサンマが初入荷というので、購入。キロ2200円(5本ほど)というのはサンマとしては高いが初物の値段としては安い。それと早い時期のサンマは焼いては脂があまりないので旨くは無いと思うが、刺身は旨い。

 トマトは週末に入荷が無かった茨城の「小春ちゃん」が入荷していたので購入。

 昼食は今日は近所の「えびす亭」さんにていただく。ここのオーナーは大東亜戦争時に、神奈川県の海軍工廠で戦闘機「雷電」(子どもの時にプラモデルで作った寸胴のスタイルを思い出します)の製作に携っていたそうです。その時には
台湾小年工のみなさんもいっしょに働いていたそうです。
 
 写真は先月、香港の
ヨンキーレストランのオーナーのカムさんからのお土産といってHIMEが持って来てくれた特製チマキ!!!!
でかい!結局二回に分けてひとりで食っちゃいました。どなたにもお裾分けはありません。

 今日もメチャヒマで、先々週の月曜日と同じ悪夢のお茶ピーかと思っていたら、10時前にMさんが米国留学中のお姉さんと来店。むこうで旨い日本酒が中々飲めないそうです。その後、ホームページを御覧になったという初めてお客さまHさん来店。いろいろと盛り上がる。


プロはつらい
7月10日日曜日晴れ

 先日、この日記で書きましたが、今年の一月に当店のお客さまのNさんたちに対してPRIDE武士道とかいうのに出ている○○○や○○○○、○○○○とかが酔っぱらって暴力を一方的に振るい、恥ずかしいことに、四十六歳の親父に逆に返り打ちにあってボコボコにされたと先日、この日記で書きました。
 そのNさんのお話「いや〜なんか、こっちからあっちに勝手に飛んでいったんですよ」・・・違うと思う・・・日本語として絶対におかしいと思う。普通は「飛ばした」だろうに・・・・・勝手に飛ぶことはない・・・・

 「でっ、仕方ないから上からポコ、ポコと」・・・・これも違うと思う・・・「馬乗りになってボコン、ボコン」だろうに・・・・
でも、素人にボコン、ボコンにされているのに「格闘技のプロ」だから加害者の調書を警察署でとられて、しかも、そのうえに・・・・

 まっ、わたしはおかげで、旨い酒を御馳走になれそうだし、いいけど。

 「格闘技のプロ」は大変ですね・・・・・「格闘技のプロ」というメンツを守るために裏でいろいろと大変そうで・・・・

 昨日の後始末と店の片付けを終えて、スポーツセンターにいく。その途中で、今日も古本市にて、ずいぶんと時間を取ってしまい、スポーツセンターにくのが予定よりメチャ遅くなる。右肩が痛いので、ベンチプレスはマックスを軽くしてメニューを消化。
 今日もおとなしく部屋に帰る。部屋ではいつも通りにぬる〜いお風呂にはいりながらダラダラと本を読む。
 しかし、昨日いった銭湯で本を持ち込んで読んでいた人がいたのには驚いた。脱衣場ではありません。銭湯のお風呂場の方です!

ナナちゃん
7月9日土曜日くもりのち雨 ×

 今日、昼頃に仕込みをしていたら、「ナナちゃんいます?」と御婦人が来店。お話を伺うと、Mさんというこの方はナナちゃんを前の飼い主の
FREDERICさんに紹介した方でした。
ナナちゃんの事を気にとめていただき、こちらの方に来る度に足を運んでいたのだそうです。そして、最近のちょっとナーバスになっているナナちゃんの様子を気にされていたようで、「もし、よろしければ、ナナちゃんを引き取ってもいいです」とおっしゃってくださる。大家さん家と当店を行ったり来たりしているナナちゃんはその時は店にいなかったのですが、Mさんというこの社長さんに結局お願いすることにしました。
 Mさんがお帰りになってから、店の外で名前を呼んだらナナちゃんが走ってきましたので、すぐに教えていただいていたMさんの携帯に電話をしてもう一度来ていただき、そのままMさんのお家の子にナナちゃんはなりました。
 ナナちゃんが居なくなっても当店の斜前のあのお家はあのはり紙をず〜と貼っていそう・・・・

 スポーツセンターにいくつもりが、高田馬場についたら、ビックボックスのところで、古本市が開かれていたので、ついつい寄ってしまい、長居をして五千円弱も買ってしまい、結局、スポーツセンターにいく時間が無くなりそのまま帰る。また今月も回数が少なそう・・・・

 Yさん、お兄さん御夫妻と二歳のお嬢ちゃんと来店。Kさん来店。Mさん御夫妻来店。ホロン部Yさん来店。中島さん大勢の部員のみなさんと来店。美丈夫の蔵元である濱川社長御夫妻が土佐で「閏(うるう)」という居酒屋さんを経営されている地原さんとその従業員の方とで来店。
 中島さんは部員の女性の方が今日誕生日ということで、お祝でドンチャン。
若いし(中島さんは別にして)体育会だけあって飲む・呑む・ノム・のむ。酒は三升ほど、カバ一本、赤ワイン二本・・・・・・
ハマちゃんたちも中島さんのお話に大受け。
私は、今日もいつもどおりにドンチャン。大酔っ払い。


5000万人
7月8日金曜日くもり 一時小雨 △
 「旧満州の日本人墓守ろうと残留2世ら動く」というニュースがありました。
以下引用
 
1945年8月の終戦前後、旧満州各地にいた日本人は、旧ソ連軍から逃れようと、関東軍の補給基地があった方正を目指した。男性は徴兵されていたため、多くは婦人や子供だったという。帰国できずに迎えた冬は厳しく、人々は飢餓や伝染病で次々に倒れた。その数は3000人とも5000人とも言われ、遺骨は野ざらしとなった。
 生き延びた残留婦人たちから「埋めてあげたい」と訴えを受けた方正県人民政府は63年、「日本人入植者も、中国人と同じく軍国主義の犠牲者だ」として遺骨を集めて埋葬し、高さ約2メートルの墓石を建てた。日中国交回復の9年も前で、建立3年後に始まった文化大革命の際も県は破壊から守った。中国側が敵方だった日本人のために建てた墓は、ここしかないという。
 こうした事実を掘り起こし、県に教育、農業などの支援で“恩返し”をしようと93年、日本人帰国者の支援者らが市民団体「方正地区支援交流の会」を発足させたが、3年前に会長が死去した後は活動が停止した。公墓の由来を知る残留婦人・孤児たちも高齢化し、亡くなった人も多い。一方、中国各地では今春、反日デモが相次ぐなど日中関係は大きく冷え込んだ。
 そこで残留2世、3世たちが中心となり、公墓の存在を語り継いで日中の交流をはぐくもうと今年6月、同会を「方正友好交流の会」として再出発させた。
 公墓の周囲は植林され、県政府が「中日友好園林」として管理している。今村さんや南さんは「県の厚意に甘えず、維持費を日本側で負担したい」と話している。
 交流の会の事務局は03・3295・0411(社団法人日中科学技術文化センター内)。

引用終わり
(読売新聞) - 7月7日14時33分更新

こういうニュースもあるかとおもえば、
支那の盧溝橋付近の<抗日戦争記念館>が7日に新装オープンというニュース以下引用
 
日中戦争の発端となった1937年の盧溝橋事件から68年を迎えた7日、北京市郊外の盧溝橋付近にある歴史展示施設「中国人民抗日戦争記念館」が改修を終えてオープンした。「抗日戦争・世界反ファシスト戦争勝利60周年」を記念した大型展覧会「偉大な勝利」も同日から始まり、中国各地で記念イベントが本格化する中、反日感情の再燃も懸念されている。
 同記念館は今年3月から休館し、5000万元(約6億5000万円)をかけて改修を行った。
略)

(毎日新聞) - 7月7日11時55分更新

 反日施設に日本円にして6億5000万円もかけて改修・・・・アホらしい。
そして、そんな支那政府の反日教育の成果としてこんなニュースも
以下引用
「日本が好き」わずか3%=若い世代にメディアが影響−中国
 中国の大学生など若い世代を対象に行われた世論調査で、「日本が好き」と答えたのは全体のわずか2.8%にすぎないことが分かった。回答者の6割は新聞、テレビ、インターネットを通じて日本の印象を形成したとしており、若い世代に対しては日本に厳しい論調を示す国内メディアの影響が強いことが浮き彫りになった。
 略)

(時事通信) - 7月6日17時1分更新

そりゃ、あれだけ反日教育をやりゃ、だれでも日本の事を嫌いというか憎く思うしかないでしょう。りっぱな教育の成果です。

まあ、朝鮮もそうだが、嫌われているやつに別に好きになってもらわなくともいいわけです。勝手にやってろ!

支那という国をよく現しているニュースも
中, 日侵略戦争被害激甚..死亡者だけ 5千万人
http://www.excite.co.jp/world/korean/web/body?wb_url=http%3A%2F%2Fnews.naver.com%2Fnews%2Fread.php%3Fmode%3DLSS2D%26office_id%3D001%26article_id%3D0001043472%26section_id%3D104%26section_id2%3D231%26menu_id%3D104&ami_src_lang=KO&ami_tar_lang=JA&wb_dis=2
(北京=連合ニュース) 造成台特派員 = 中国は去る 1931~1945年中・日戦争期間 日本軍の残酷行為でおびただしい人名・財産被害が私社会発展が半世紀や遅滞 されたという主張が申し立てられた.
中国社会科学院近代事情旧ソビェンシュウェ(卞修躍)博士は 5日官営新華通信と のインタビューで中国は日本の侵略戦争で 14年間 5千万人が殺害されて直・間 接的な経済損失が 6千億ドルに達したと推算した.
日本軍の侵略と無差別爆撃など残酷行為は全土の 3分の2地域で恣行されたし 殺害された民間人は見当をつけて 5千万人にのぼるとビェンバックサは言った.
殺人方法だけしても 250種類や動員されたし, 大虐殺も 4千余件もなる. 被殺自 重には女性と子供がかなり多い数含まれた.
戦争期間の経済的損失を見れば直接被害が 1千億ドル, 間接損失が 5千億ドル に推算されるとビェン博士は言った.
ビェンバックサはこんな人名・経済被害と文化的巽時のだから中国社会の現代 化が 50年延ばされたと主張して中国は日本に対して戦争賠賞金をあきらめた がそうだとして日本軍がやらかした蛮行と残酷性を忘れたのではないと強調した.

引用終わり

 いや〜支那は何もかもがスケールがでかい!これには朝鮮も負けるでしょう。
(あっ、でも朝鮮高校の
バカ女が何千万人も連行してとかやっていたような・・・)
14年で5000万人・・・一年357万人・・・一日1万人!
こんなに強い我が国の軍隊がどうして負けたのでしょう。
どんな武器を使って(250種類の殺人方法??)
さすがは白髪三千丈の国だけのことはあります。つぎは一億、二億・・・・

ウソもえ〜かげんにせいよ!

 一名様来店。大台さん二名様で来店。Aさん来店。
副店長来店。Yさん来店。Kさん二名様で来店。
 今日も飲む。でも記憶あり・・・・


帰化
7月7日木曜日晴れ ×××

 モンゴル出身の旭天鵬関が日本国籍を取得し日本名は親方の名字で、太田勝だそうです。モンゴル出身力士の日本国籍取得は初めてだそうですが、ただ、今日のスポーツニッポンの記事によると、旭天鵬関がインターネットをみたら、モンゴルでは裏切り者と数多く書き込まれているそうです。旭天鵬関の心根をモンゴルの人々が理解してあげてないのが残念です。日本人も他国で生きる時はその国の国民になる人が多いのが普通です。同郷で同じく大島部屋の幕下旭天山も日本に帰化したそうです。
 日本で外国人として生活しながら、差別差別と騒ぐ在日朝鮮人の人々が異常なのです。

 ところで、今日の朝日新聞朝刊に「教科書巡り14県が請願採択 歴史関係が大半 本社調査」といういかにも朝日新聞らしい記事がありました。
http://www.asahi.com/life/update/0707/002.html
以下引用
 
来年4月から中学校で使う教科書について、6月下旬段階で47都道府県議会のうち14県議会が住民からの請願を採択していることが朝日新聞社の調査でわかった。大半が社会科の教科書をめぐるもので、「我が国の歴史に対する愛情を深める」教科書を採択するよう求めている。
略)  
 これらの請願の提出者は、「新しい歴史教科書をつくる会」の地方支部員▽歴史教科書の検定基準で中国や韓国などへの配慮を定めた「近隣諸国条項」の削除を求めている教科書改善協議会の支部▽新憲法制定や教育基本法の改正を主張し「現在の歴史教育は自虐的だ」と批判する日本会議(会長=三好達元最高裁長官)の支部のメンバー――らだった。扶桑社の社会科教科書は「つくる会」のメンバーらが執筆している。
 市段階では、6月24日に新潟市議会、昨年12月には大津市議会でも採択されるなど、請願採択の動きは市町村議会にも広がってきている。

引用終わり

 「請願採択の動きは市町村議会にも広がってきている」・・・・さすがは?<「つくる会」こんな教科書でいいのか>という題名で今年の4月6日付の社説を書いた朝日新聞だけあります。それでいて、俵義文氏などのやっている反対運動については何も書いておりません。

 5日に引き続き学習者さん来店。Sさん来店。
加藤さん来店。先日の座り込みにも参加されたそうです。しみずさん、ふじなみさん4名様で来店。
今日も早い時間から飲む。ドンチャン。その後、
新浪漫亭さんに忘れてあったデジカメを取りに伺う。でっ、またPIPEさんにごちそうになってしまった。しかも、寝てしまったし・・・・・


支那サマから大使にお誉めのお言葉(お笑い)
7月6日水曜日雨のち晴 ○ 

 郵政法案がわずか五票差で衆議院を通過したそうです。わたしには郵政民営化というものを今の時期に最優先でやることが、我が国にとりそんなに必要なことなのかよく理解できない。拉致問題などの方が早急に取り組まなければいけない事だと思う。
 小泉首相は拉致問題については、どうも早く幕引きをしたがっているように思えて仕方が無い。今、必要なのは、あの犯罪国家の北朝鮮より一刻も早く我が国の国民を救い出す事である。そのために我が国の意志の現れとして、北朝鮮への経済制裁、朝鮮総連に対しての課税、監視強化、北朝鮮への送金禁止、在日朝鮮人の北朝鮮に渡った者の再入国禁止などいくらでもできることがあるはずです。

 今日の産経新聞で、支那外務省の劉副報道官が8月に離任する阿南惟茂支那大使について、「大使が在任中に、中日関係の発展に積極的に努力したことを賞賛する」と述べたという記事があり、大笑い。
これって、つまり、阿南大使という男は、支那を怒らせないで、支那の都合のいいように動く事が、我が国の国益と考えていたバカ大使ということの証明でしかないわけでしょう。
腐れ害務省ということがよくわかるお話です。

 Sさん来店。Kさん2名様で来店。64年と76年のワインを開けて乾杯できる時を楽しみにいたしております。Y岡さん来店。初めての方来店。「義侠40%より30%が白身魚の刺身にぴったりあうはずだ」「やっぱり、ぴったりあった」「酢の物は日本酒に合わない」「この酒はあ〜だ、こ〜だ」といわれても・・・・・私なんぞは、どちらも旨けりゃいいとしか言えません。不味い酒に合う肴も無いだろうし、不味い肴にあう酒もない。酒ってそんなにツマミを選ぶほど幅の狭いものとはどうしても思えないのです。そんなことに気を使うより、旨い酒と旨い肴で楽しくやるほうがいいと思うのですが・・・・
今日も飲む。でも、一通り少しだけ。


7月5日火曜日晴れのち雨 ×
 URAホームページの掲示板によく投稿してくださる「学習者」さんが、出張の合間をぬって来店。感謝。インチキラクターさん来店。nakadareさん4名様で来店。大阪へ転勤だそうです。ホロン部員Yさん来店。学習者さんとお話で盛り上がる。
今日も飲む。ドンチャン。

大阪・岸和田の住民投票条例
7月4日月曜日雨のち曇り ××××
(7月6日に一部追記)
 新聞に大阪・岸和田の住民投票条例として「定住外国人」に投票権というニュースが先日ありました。
以下引用
 
大阪府岸和田市は住民皿票条例を制定し、国内仏住期間が三年を超える一国人を「定住外国人」定義し、投票権を認めた。岸和田市が制定した条例は、住民が投票資格者の四分の一以上の署名を集めれば、議会を通さずに市こ住民投票の実施を講求することが可能。今月二十四日まで開会された市議会に提案され、本会議で賛成多数で可決された。市は講求・投票権の有資格者を定めた第三条の条文に、在日コリアンなどを含めた永住・特別永住外国人に加え、「出入国管理及び難民認定法の在留資格をもって在留し、引き続き三年以上日本に住所を有する者」と、定住外国人を独自に定義。永住外国人と合わせて外国人の住民投票参加に門戸を広げた。
引用終わり 産経新聞 2005年6月30日
でっ、うそか本当か知りませんが、岸和田市のホームページ
http://www.city.kishiwada.osaka.jp/に下記のような書き込みがありました。
http://www.city.kishiwada.osaka.jp/keijiban/Main.asp?Menu=Mes&GroupID=1&MesID=1211
以下引用
タイトル これからは我々在日コリアンの時代
投稿者 李舜臣
投稿日 05/06/30 午後 9:49:00
メッセージ
可決されましたか。いやめでたい。今なら言えるかな。
関西在住の在日三世ですがこの日を待っていましたよ。
我々は日本への帰化など望んでいません。日本の兄の国である韓国国民としてのプライドと誇りがありますからね。
民団総連日本の市民団体の方々とともに手を組んで我々寄りの議員をどんどん送り込んでいきますよ。
当然我々寄り議員は我々にメリットの大きい条例や法案を作ってくれるでしょう。
これまで差別され虐げられてきた60万在日のパワーを見せつけてやります。
日本人に一泡吹かせるどころかコリアン特区コリアン自治区を日本全国に広げます。
韓流ブームなんてのはそのほんの入り口の更に手前の門扉の前の石ころ程度のものですよ。
日本人は我々が大勢でちょっと大きな声をだしてやるだけですぐに動きますからね。
この条例成立がそれを証明しているでしょ?
まずはこの岸和田から。

あとは日本中の在日コリアンコリア系日本人を総動員し日本中の都市街で投票条例を得
最後は参政権を手中に収めます。必要があれば住民票を移したり引っ越しだってやりますよ。
我々にはそれを実現するだけのパワーがありますから。
この我々のパワーと勢いがあなたたち日本人との絶対的な差なんです。
相互主義とか関係ないですよ。
在韓外国人には今も投票権や参政権はありませんけどね
こうして在日は相互主義に関係なく欲しいものは絶対に手に入れることができる圧倒的実力を誇るんです。
独島も実質的に我らのものになっていますし強制連行や従軍慰安婦も我々の主張通りに認められました。
今からこれからですよ。
我らの先祖様たちが受けた36年にも渡る日本による圧政と搾取と略奪と蹂躙の歴史を挽回する時がやってきたんです。
もう日本による歴史歪曲や妄言や差別はたくさん。
これからの日本を作っていくのは我々コリアンです。
どうせあなたたちは何も出来やしない。
PCの前に座ってせいぜいこうやって掲示板に書き込むだけだ。デモの1つもできない。
我々は民族の誇りをかけて日本を変えていく。あとは我々に任せてあなたたちは座して愚痴の1つでも編んでいなさい。

引用終わり

 この投稿が本当に在日朝鮮人の方が書いたかどうかは別にして、現在の我が国の在日朝鮮人が求めている参政権、公務員への任用などの権利、そして、特別永住権というものの問題点を曝け出してるといえるでしょう。
 在日外国人というより在日朝鮮人問題と言っていいと思いますが、先に、東京都による地方公務員管理職選考の受験資格が外国人ということで無いということを訴えた国籍条項問題で、最高裁が合憲とした在日朝鮮人鄭香均氏の事が思い出されます。
鄭氏は判決後の記者会見で下記のように述べたそうです。
「涙も出ないような情けない判決。涙も出ませんむしろ笑いが先に来ました。もうあきれはててここまでひどいとは思いませんでした。
 憲法判断一つすらしない 世界中に言いたい、日本には来るな!
日本で働かないほうがいい、と外国籍の人に言いたい。日本で働くということは、ロボットとなることです。
人間として扱われない涙も出ない、笑いが先に来る哀れな国だ 」

 これが、おそらく世界中で一番恵まれている外国人である在日朝鮮人が、その生活をしている日本という国に向かって吐く言葉でしょうか。
御存じのとおり、我が国においては在日朝鮮人は無期限で日本に滞在できるという特異な外国人です。在日朝鮮人という外国人は、我が国においてビザ無しで就労、商業その他の活動を何の制約も受けずに我が国国民と同じように無制限にできます。それなのに、在日朝鮮人が我が国を罵りこそすれ、我が国に感謝する事はまずありません。
 これは、あの
辛淑玉氏やこの鄭香均氏の言動がそれを証明しています。
彼らは世界中で最も恵まれた外国人であるのにも関わらず、その暮らしている日本に対して、つねに文句をいい反日運動をする事により、自分のアイデンティティを証明しようとしている最も甘やかされている外国人なのです。

 ちなみに、鄭香均氏の実兄である鄭大均東京都立大学教授はニューズウイーク日本版の2005年2月16日号で、「妹よ、日本国籍を取れ」と題した記事の中で下記のように述べています。

以下引用
 
ずいぶん過激な内容だと思ったが、他人事のようなことは言っていられない。原告は私の妹である。それにしても、なんという皮肉だろう。私は今まで、韓国・朝鱗籍をもちながら本国への帰属意識に欠ける二世やご.世の在日コリアンは、早く日本国籍を取得して日本社会のフルメンバーとして生きるべきだと主張してきた。一方で私の妹は、自らを抑圧や差別の「生き証人」と位置付けて行動している。帰化などというのは、彼女にとっては敗北を意味するにちがいない。
 朝日新聞は、「生まれ育った日本で、日本人と岡じように地方公務員の管躍職の試験を受けたいという在日韓国人の訴えは司法に退けられた」と書いた。妹を無垢な存在として扱うような話も聞かれる。だが彼女や支持者たちの闘いはもっと政治的なものであり、日本の否定的な一面を印象づけることを目的としていたのだと思う。私が妹や在日に伝えたかったのは、被害者としてのアイデンティティーにとらわれ、そこに人生の動機を見いだすのは賢明な生き方ではないというメッセージだ。だが妹には、兄の言葉より在白たちの「闘いの伝統」のほうが魅力的であったらしい。

 「外国籍で生きる不自然さ」として鄭大均教授は下記のように続けています。

 
妹の裁判闘争に私が批判的だったのは、何よりもそれが「在日の不透明性」を永続化させると考えたからである。現在の在日は、韓国・朝鮮籍をもちながら本国への帰属意識に欠け、また外岡籍をもちながら外国人意識にも欠けているようにみえる。
 外国籍を維持したまま内国人との平等をめざす妹たちの運動は、在日のアイデンティティーと帰属(国籍)の間にあるズレを永続化させてしまう。いわゆる在日一世が朝鮮半島から内地に来たのは1930年代だ。その子孫である二世や三世は日本語を母語とし、東京を中心にして世界を眺め、白分を眺めてきた。そのような人々が、外国籍のまま生きているのは不自然である。二世の親は、子供から「なんで自分は日本で生まれたのに日木人ではないの」と聞かれたとき、それに答えられるのだろうか。

ニューズウイーク日本版の2005年2月16日号P35より引用

 この兄の声は妹である鄭香均氏には届かないのでしょうか。(当然、鄭大均東京都立大学教授は日本に帰化され、日本人として生活されています)

 そんな世界で最も甘やかされている外国人の在日朝鮮人に対して、もっともはいけない言葉として辛淑玉氏がその著書にも書いているのが「帰れ!」という言葉ですが、
私はいいたい。文句ばかり言うのであれば、「朝鮮に帰れ!」と。

 彼らは、帰化せずに自分を外国人だと納得させる方法として一番簡単な反日にはしっているだけなのです。
在日の人たちが求めるものを満足させるには、この日本という国が日本でなくなるしかないのです。そう思って活動している土井たか子や野中広務のような売国奴も大勢います。
 そもそも、日本国民となぜ外国人である在日朝鮮人が同じ権利を有しなければいけないのでしょう。もし、外国人である在日朝鮮人が日本国民と同じ権利を有すれば、日本国民を持って構成される日本国という国家は無くなってしまう事になります。これは、日本に限ったことではありません。どこの国にも言える事です。
つまり、在日朝鮮人の公務員任用と参政権という問題は我が国という国家の存続に関わる問題なのです。

 よく、在日朝鮮人の人々は「税金を払っているから当然の権利」という言い方をしますが、そんなことはありません。税金は我が国においてインフラその他の恩恵をうけているから当たり前の事です。もし、我が国国民が外国人として他国で働いた時にはその国に税金を払うのは当たり前です。しかし、参政権をよこせとか、公務員にしろ、そこの国の国民と同じ権利をよこせなどと在日朝鮮人みたいなアホな要求はする事はありません。世界の国々でも国民と外国人には歴然とした区別というより差別というべきものがあります。当然ですが、そうしないと国家というものが成り立ちません。国家として成立するためには国民と外国人との差別が必要なのです。
差別、差別とバカ騒ぎする在日朝鮮人の方に問いたい。
あなた方の祖国のひとつである南朝鮮の外国人の権利とはどうなのだ。
相互主義からいって同じで無ければいけないが、我が国ほど、認められているのか。現実には
醜い外国人差別がある国として有名ではないのか。日本人が南朝鮮の公務員になれるのか(なりたいとおもう日本人もほとんどいないだろうが・・・)

 我が国を崩壊させるものとして、過去には平成14年1月に滋賀県の米原町で三か月しか滞在していない町内在住の外国人滞在者までも「永住外国人」として定義して投票権を与えるというキチガイ沙汰の条例を可決しています。
そして、川崎市、神戸市などでは公務員の在日朝鮮人の採用が進んでいます。これらは、日本という国の存続を危うくするものです。

 我が国がまずすべきは特別永住者制度の即時廃止でしょう。相互主義からも、南朝鮮などと同じく、数年間の在留許可制とし、その更新の度に審査をするというどこの国でもやっている制度に切り替える必要があります。
 それが、国籍として主権国家である南北朝鮮を選んだ在日朝鮮人の人々の意志を尊重する事にもなります。(好きで選んだんじゃあないとか言い出しそうだが・・)

 もう一度書きますと、
「嫌だったら朝鮮に帰れ」
ついでに、支那人にも
「日本が嫌だったら来るな」

 先週の月曜日の悪夢の再現かと思ったら、マルガリータさん来店。(これはこれで○○かも)磯自慢35%グビグビ。Eさん来店。Tさん来店。三軒まわってマルガリータさん再来店。ドンチャン。でっ、歌舞伎町にTさんマルガリータさんとワイン2本(DRCのリシュブールと南仏ワイン)持ち込みまたドンチャン。最後は中野の「春」さんに伺うが満席で入れずに帰る。今日も大ヨッパライ(いい加減にしとかないと・・・)


支那のビザ拡大
平成17年7月3日日曜日曇りのち雨 ○

 きょうのニュースであの創価学会の北側国交相がわざわざ支那までいって、支那人観光客のビザ発給を支那全土に拡大することを合意してきたそうです。
この人は、あの不法滞在の堂々一位をず〜と守り続けてきた(現在は支那人がNO.1)南朝鮮人のノービザも決めています。
やっぱ、創価学会は池田大作ダイセンセイの朝鮮マンセーのとおり、支那、朝鮮の都合の言い様に我が国の体制を変えたいようです。
?以下引用
ビザ発給、中国全土に 対象地域の拡大、調印
 【北京=野口東秀】中国を訪問中の北側一雄国土交通相は二日、邵h偉・国家観光局長と会談、今月二十五日以降、期限を設けず中国人団体観光客に対するビザ(査証)発給対象地域を中国全土に拡大することで合意。日中間の観光や青少年交流拡大などを強化する協議書に調印した。
 北側国交相はその後、呉儀副首相とも会談、呉副首相は「観光は友好の懸け橋」と述べ、日中関係改善に努力する姿勢を示した。
 略)
 このため日本側は、調印を機に旅行業者に対する罰則強化も検討する。呉副首相も「中国は不法滞在などを力強く取り締まる」と述べ、同国政府が対応を強化する方針であることを示した。
産経新聞 平成17(2005)年7月3日[日]


 「中国は不法滞在などを力強く取り締まる」ってジョークでっか!支那人の不法出国を取り締まるの間違いだろうに。支那に不法滞在している人間がどれだけいるのでしょう。いたとしても、支那にどれだけ影響があるのでしょう。支那人が我が国で凶悪犯罪を犯しまくっているように、支那で犯罪を犯しているとでもいうのでしょうか。

 店の片付けを終えてから、都議選の投票所へ行く。ネットでは酷く悪い投票率だそうで、投票率が低いと喜ぶのはあのキチガイ宗教の公明党だけでしょう。
 久しぶりにスポーツセンターにいくが、右肩が痛いので、ベンチプレスなどは軽く済ませる。部屋に帰る途中に雨に降られ、100円ショップで傘を買って帰るが、寄ったコンビニで傘を盗まれる・・・・結局、コンビニでまた傘を買う。部屋ではゴロゴロして一日を終える。


朝鮮人と売春
7月2日土曜日晴×

 
売春大国の南朝鮮で、売春婦があつまり、合法的労働者として認めろと抗議活動をしているというニュースがありました。
以下引用
売春女性ら「私たちも労働者」 29日全国組織結成へ
 「売春も通常の労働と認定せよ」
 売春街の女性や業主など5000人余りが29日、ソウル・蚕室(チャムシル)体操競技場に集結し、「性労働者の日」大会を開催、全国組織も結成する予定だ。
 今回の大会を通じ、「性労働者準備委員会(仮称)」を結成し、「性売買特別法」の廃止と売春街の女性たちを合法的な「性労働者」と認定するよう要求する。
略)
 これまでは「全国ハント女性従事者連合」は、各地域の売春地域の代表たちが協議体の役割を担ってきたが、今回の大会を通じ、売春女性の全国的な同一組織が初めて出航することになる。
略)

朝鮮日報 2005/06/24?07:29


 別のところにはその人たちのインタビューも掲載されています。
http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/issue/sexwork/20050630ksw3
以下一部引用
 性売買女性をどう見るべきか、なぜ集まったのか?そして自らを労働者と規定することにどんな意味があるのか?

 われわれは、ほとんどの人々と同じように自発的に働き、その賃金で生活する。 単に仕事の内容が性的サービス分野だというだけだ。 労働組合および労働関係調整法は、「労働者とは職業の種類を問わず、 賃金・給料、その他これに準ずる収入によって生活する者」と規定しているで はないか。 労働者は、社会的な汚名と烙印から脱し、雇主の資本家に対しては法的に対等 な立場に立てるという点で、堂々とした人間だ。 それで、われわれは自らを労働者と規定する。

 
性売買女性が自らの声を出し始めたのは、性売買特別法以後と理解する。性売買特別法が裁定されて9か月を過ぎ、性売買特別法に対する評価はどうか?性売買特別法の廃棄を要求していると理解するが、実際に多くの人は、性売買特別法がこれまで表面に現れた性売買をなくすことに大きな寄与をしたと評価するとも言う。これに対してどう思うか?

 性売買特別法は絶対多数国民が実効性を認めない非民主的な悪法だ。それでも 国会で全員一致で通過した理由は、国会議員の階級性が民意とかけ離れている からだ。特に急進主義フェミニストの純潔イデオロギーに脅迫された結果だ。 性売買特別法はすでに失敗した。集結地から出た性労働者は、国内外の裏の 性売買市場で命賭けの生活をしている。この恐ろしい性売買特別法の下でも 生存が難しい女性が集結地に入ってくるのは何を意味するのか。
性労働は、 貧益貧・富益富による社会構造の産物だ。

 性労働者準備委では性売買の非犯罪化を主張しているという。性売買を非犯罪化する意味は何か。非犯罪化の具体的な姿はどのようなものか?非犯罪化を主張するのは、性売買特別法をなくそうという主張で、それは合法化ということではないかとの提起があるが、これをどう思うか?

 性売買特別法は、当然、廃止されなければならない。これに対して非犯罪化を いう女性界権力は、激しい自分矛盾に陥っている。彼らの非犯罪化とは私たち 性労働者を性売買被害女性という名で、法の網により安全に保護するというこ とだ。しかし、
われわれは被害女性ではなく、堂々と働く労働者だ。したがっ て、私たちを求める男性顧客を除く非犯罪化には同意できない。男性顧客には 刑罰を加えておいて、私たちだけが逃げ出すほど、性労働者は破廉恥な存在で はない。したがって私たちが言う非犯罪化とは、性売買を肯定も否定もしない ヨーロッパ式を意味する。合法化は、オランダやドイツ式だが、これは公娼と 私娼の間に階級ができて、短所がある。

略)
 
性労働者は主体的に自身の生存権を語り、労働する権利を語る運動を作っていると思う。しかし事業主との関係に対し、多くの人が疑問を持っている。事実労働者の闘争で事業主、事業主は賃上げ闘争などで対立する関係だからだ。今後、事業主との関係をどのように作って行くのか?

 事業主は角を生やした人ではない。彼らもまた韓国社会構造から疎外され、押 しやられてきた人々がほとんどだ。きわめて一部の金を儲けた人たちは、すで にヤミの性売買に移動した。性労働者の質的・量的な成長は彼らにも心理的に 当分は負担になるだろう。しかし、それは中長期的に事業主が社会で認められ る立派な方法でもある。賃金交渉の問題はあまり大きな問題ではない。今は、 各地域別にすでに双方が互いに了解できる分配水準が決まっている。社会人が 思うより、私たちが働く現場では事業主よりもむしろセックスワーカーの地位 の方が高いと思っていい。
以下略)
2005年06月30日13時42分

以上引用終わり

 どうでしょう。現役朝鮮人売春婦の人たちの意見です。
<われわれは、ほとんどの人々と同じように自発的に働き、その賃金で生活する。 単に仕事の内容が性的サービス分野だというだけだ。>
<性労働は、 貧益貧・富益富による社会構造の産物だ。>
<われわれは被害女性ではなく、堂々と働く労働者だ。>
<社会人が 思うより、私たちが働く現場では事業主よりもむしろセックスワーカーの地位 の方が高いと思っていい。>
 平和なこの時代にも売春はあります。ましてや、我が国においては昭和三十一年に売春禁止法が成立するまで(施行は三十三年)、売春は合法でした。
 これら売春婦の言葉を自称「従軍慰安婦」とかの被害者とかいって、自らの過去を捏造している面の皮の厚い朝鮮人ババアたちに、ぜひとも聞いてもらいたいものです。
まあ、それでも相変わらずアホな事をいっている朝鮮人戦時売春婦も多いみたいですけど・・・・
以下引用
 
日本植民地時代の強制連行による被害実態を調査するため、韓国政府が着手した被害申請の第1次受け付けが30日、締め切られた。強制動員被害究明委員会の発表によると、29日現在で軍人、軍属、労働者、慰安婦の被害申請は、韓国国内集計分が17万5666人、海外集計分が130。慰安婦だけで290人に上っている。
(毎日新聞) - 6月30日21時12分更新

引用終わり

 ず〜と、アホやってろという感じですが、こういったアホ連中の戯言よりも、その戯言に踊らされる河野洋平など売国奴どもが我が国の一番の問題でしょう。

 Oさん来店。初めてのお客さまFさん二名様で来店。Tさん来店。Sさん来店。Yさん来店。後からY夫人来店。Kさん四名様で来店。
飲む。ドンチャン。記憶あり


林由美香さん
7月1日金曜日曇一時雨

 林由美香さんが、都内の自宅で亡くなたというニュースがありました。AV女優としてだけではなく、いろいろなジャンルの映画にでていました。10年以上前ですが、早稲田にあった「酒いわしや」時代に近所の編集プロダクションのみなさんが仕事を終えた林さんといっしょに当店にいらしてくださった事があります。その時は、みなさん、随分とお酒を召し上がってくださり、林さんも酔っぱらって、その時、店にきていた理科大ラグビー部員の一人が抱えて編集プロダクションの事務所まで送っていった事がありました。かわいい、気持ちのいい感じの方でした。35歳だったそうで、睡眠薬とお酒をいっしょに飲んでいたそうですが、それが原因とすれば、残念なことです。

 私は直接は見ていないので、知りませんで、当店のお客さまにお教えいただいたインターネットで流されている日本テレビのこの醜く過ぎる報道・・・・
http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/159208b6c6a5d54a4a35c12b6dbe80ec

 日曜日の選挙はとりあえず公明党と共産党、社民党(居たのかな?)以外の候補者に投票いたしましょう。

 ケイザブロウさん来店。Tさんお姉さんなど四名様で来店。塩月さん二名様で来店。Kさん来店。Uさん、Tさん来店。
飲む。途中で洗い物がいやになり、どっちゃりと残ったまま・・・・・


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