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平成17年5月分

5月31日火曜日
 1名様来店。Nさん5名様で来店。Sさん来店。オガピー来店。

クエルボ1800ですが、左から古い順番に列んでいます。
ちなみに一番左の1800は1980年初めのものです。
まん中の1800とはラベルが微妙に違います。
私がメキシコにてプータロをやっていた時には無かったクエルボの高級バージョン

 今日、オガピーにお出ししたテキーラはクエルボ1800ですが、このテキーラは今の1800とは違うもので、1980年代の1800です。
最近はこのような上級バージョンが出ているクエルボですが、1980年代初めは左の1800が最高クラスでした。


創価学会らしい公明党議員
5月30日月曜日雨

 潮新刊週平成17年6月2日号P26によると、あのキチガイ団体の創価学会を母体とする公明党の福本潤一という参議院議員が5月20日に行われた参議院予算委員会にて
 
「小泉首相靖国参拝の間題もお伺いさせていただこうと思います。違憲状態、違憲の疑いもあるというようなことも一方では出て来てはおります。(中略)私の感覚でいきますと、中国側から見ると、例えばA級戦犯ということになりますと、ヨーロッパでいうヒトラーの墓に参拝するドイツの首相、というようなことが起こった場合、ユダヤ人とかさらにはドイツ人がどういう感覚を持つのか・・・」
と言い放ったそうです。
靖国参拝はヒトラーの墓に参拝するという事だと言い放ったのです。 
 ヒトラーと我が国の先人たちとを一緒にするとは、いくらキチガイの集まりである創価学会信者でもあまりにもアホすぎます。
こいつのプロフィールをみると、
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/profile/727.htm
東大大学院博士過程を経て、小朝日新聞ともいえる愛媛新聞の地盤である愛媛県の愛媛大学助教授から議員になっています。
こんな輩から教えられていた学生は可哀想過ぎます。

こんなクサレ売国奴は一日も早く国会議員をやめてほしいものです。

まあ、公明党じたいが、我が国の国益よりも池田大作いのちで、支那、南北朝鮮の顔色ばかり伺っているからなのでしょう。

公明、首相に靖国参拝自粛を要求 日中関係の改善促す(朝日新聞平成17年5月26日)

森岡政務官のA級戦犯「もう罪人ではない」発言に反発(朝日新聞平成17年5月27日)


こんなキチガイ連中が与党とは呆れ返ります。

 雨の中、Oさん四名様で来店。



田原総一郎というバカ
5月29日日曜日晴れ ○

平成17年5月22日 スポーツニッポン 22面
田原総一郎の一刀政談より
以下一部引用
 
わたしは率直にいって、中国、韓国などの政権当事者が、日本の首相に「靖国神社に参拝するな」というのは内政干渉だと思う。中国、韓国からλる干渉されて首相が靖国参拝を取りやめるのは反対である。だが、A級戦犯合祀(ごうし)は、実は国内間題なのである。靖国神社に杷(まつ)られているほとんどの霊は、いわゆる赤紙で召集されて戦死した兵士たちである。戦争の犠牲者たちだ。
その遺族たちは、彼らの父や夫、兄弟たちに赤紙を出した側、つまりA級戦犯と合杷されていることに複雑な低抗感を抱いている。このことがよくわかっているからこそ、中曽根康弘、宮沢喜一、そして森喜朗はA級戦犯分杷論を掲げているのである。小泉首椙は、この点をどうとらえているのか。

引用終わり

 この田原という御仁は自分が司会をしているテレビ朝日の「サンデープロジェクト」平成14年8月18日放送で、高市早苗議員にむかって
「こういう幼稚な人がね、下品な言葉ででね、靖国、靖国って云うから。僕は靖国はあっていいと思う。参るのもいいと云う。あんたみたいな下品な人間がね、靖国神社へ行ったらねえ(『下品というのは云い過ぎじゃありませんか』と高市氏が抗議するも田原氏は無視)
日本で下品な人間のねえ、憎らしい顔をしたのが集まってるんだ。可哀そうだと思うよ、あんなのは。」と暴言を吐いております。
それに対して、高市氏は
「私は少なくとも当時の政権が決定したことに関して、後世の国会議員が判断する資格はないと思っています」
と明確な言葉で筋道の立った反論を述べています。

  
田原という男は靖国神社へは「日本で下品な人間、憎らしい顔をしたのが集まってるんだ」とまでテレビの全国ネットでいっているのです。
その男が、「靖国神社にられているほとんどの霊は、いわゆる赤紙で召集されて戦死した兵士たちである。戦争の犠牲者たちだ。
その遺族たちは、彼らの父や夫、兄弟たちに赤紙を出した側、つまりA級戦犯と合杷されていることに複雑な低抗感を抱いている。このことがよくわかっているからこそ、中曽根康弘、宮沢喜一、そして森喜朗はA級戦犯分杷論を掲げているのである」などといっても、ボケ老人の戯言にしか聞こえません。筑紫と一緒に早くマスコミから消えて欲しい。

 この田原というひとはその後、右翼に責められて、謝ったらしいけど・・・・

 昨日の後片付けを終えた後、遅い時間にスポーツセンターにいく。今日も部屋に帰ってから、本を持ち込み、なが〜い風呂に入ってから寝る。

九周年最終日
5月28日土曜日晴れ ×

 Hさん来店。Tさん四名様で来店。Kさん2名様で来店。えびぞうさん御夫妻来店。Tさん来店。大台さん2名様で来店。Yさん御夫妻来店。KAZUMIさん、HIROKOさん、MAKIさん来店。今日も多くのお客さま御来店ありがとうございます。というか、ちょっとオーバーで、狭くてすみませんでした。

5月27日金曜日晴れ
 九周年二日め。
 しみずさん、Nさん、Nさんと三名様で来店。Kさん、Sさん、Aさん三名様で来店。Sさん、Mさん三名様で来店。Mさん二名様で来店。Iさん、Kさん、Nさん四名様で来店。インチキラクターさん二名様で来店。

 今日は日本海海戦100年だそうで、あの戦いに負けていれば、我が国は無かった・・・・先人に感謝。

5月26日木曜日晴れ
 今日は九周年ということで、多くのお客さまが御来店。感謝。
Tさん来店。Tさん、Mさん、Sさん、Yさんの女性四人組来店。Sさん来店。ホロン部員Yさん来店。カレラさん来店。Kさん来店。Nさん30年来の御友人の方と来店。キンちゃん、マロさん来店。
営業終了後、キンちゃん、マロさんと台湾料理の「青葉」さんにおじゃましてドンチャン。 

5月25日水曜日晴れ
 少し前の日記で一番高い日本酒は?というような事を書きましたら、先日、いらしてくださったWさんからメールをいただきました。容器は不明ながら「須藤本家の”花薫光 純米大吟醸原酒10年熟成 1993無濾過生”で、四合瓶で税込定価 220,500円」というのがあったそうです。欲しい人にとっては幾らでもいいわけですから、まあ、こういった価格はあって無いようなものなのでしょう。

 ここの1974年の15年古酒としてでた「郷の誉 15年秘蔵大吟醸太古酒」とかいう酒を当店も数年前まで在庫として持っていたんですよね。出した当時は26〜7年古酒くらいになるのでしょうか。幾らで売ったか忘れたのですが、10000円で買った物ですから、そんな高い価格で出さなかったと思うのですが・・・古酒がめちゃ高くなったのはいつ頃からなのでしょう。

 今日は築地の市場が休みなので、スポーツセンターにいく。

 初めてのお客さまTさん二名様で来店。I本さん御夫妻と御友人夫妻と来店。Hさん三名様で来店。
 のどにするりと入る初亀の出品酒の2003年は今メチャウマ。
 営業終了後、李さんと飯。今日も台湾料理の「青葉」さんにおじゃまする。今の時間で美味しい料理を食べさせてくれる貴重なお店。でも、今日の白身魚のあんかけはこの前の方がうまかった。

5月24日火曜日晴れのち一時雨
 今月の20日(金曜日)に近くの中華屋さんにお邪魔した時に、その店にあったスポニチに掲載されていた田原総一郎氏の記事が面白かったので、食べ終わったあと、近所のコンビニにいったのですが、入手することができなかったので、お客さまのSさんにお願いしたところ、当日の新聞を送ってくださり、感謝。
 お客様といえば、先日の日記に書きましたが、車で通行中のNさんたちに酔っぱらってボンネットの上に乗るなどの狼藉を働き、その後、一方的にケンカを売ったプロのリングにあがっているTやS、Fらは聞けば聞くほど最低です。

 Sさん来店。Nさん三名様で来店。


支那のバカ外交
5月23日月曜日晴れ夕方から雷雨 ×

 大台さん来店。「イデアル」のN社長がMさん、Mさんと来店。遅い時間にキンちゃん来店。
ヒマだったので、早い時間から飲み始め、めちゃ遅い時間まで飲む。ドンチャン。珍しく記憶あり・・・と思う・・・・

 支那に自民党の武部勤幹事長、公明党の冬柴鉄三幹事長は二十一日夜、北京で唐国務委員(前外相)と会談した時に唐氏は小泉純一郎首相の靖国神社参拝の中止を言い、それに対して、内政干渉と武部幹事長が当たり前の事をいったらしいが、支那側はへそを曲げたそうな。暴力デモの事も謝りもしなかったそうです。
(まあ、すぐに、王氏の抗議と同席した冬柴と支那大好き議員の二階俊博が「今の(武部氏の)発言は適切ではない」と応じたために、武部氏は「誤解があったとすれば撤回します」と撤回しちまったようですけど)

 でっ、今日、支那の呉副首相が、我が国の首相との会談を取りやめて帰国しちまったそうです。
謝れといってどこまで謝れば気が済むのでしょう。
反日教育をして、テメエらの非常識な行為は絶対に謝らないバカ政府のくせして、他国には無理難題のたかり国家。
 まあ、我が国にとっては支那のアホ外交ぶりがよくわかりよかったのじゃあないでしょうか。

 でも、自民党の武部幹事長はそんな支那の副首相の非礼な帰国が、首相の靖国神社参拝が影響しているとの見方について「そんな小さな国ではない。今回(の訪中で)、胡錦濤国家主席や要人と会ったが、そんなことで中止すると考えられない」と否定した。というニュースがありました。(共同通信) - 5月23日21時15分更新
そんな小さな国だと思いますよ。
いままで、やってきた事みればあの国がどんな国なのか分かると思うのですが・・・・・

 今まで、支那、南北朝鮮にただ頭を下げるだけしか脳のない外交をやり、当たり前の事を言えばすぐ辞めさせられた事からすると、こと外交に限ってみれば、我が国も少しは普通の国に近付いているということでしょうか。


支那と反日教育
5月22日日曜日晴れのち小雨 ○

 支那各地に反日の嵐が吹き荒れ、官製デモがおこなわれました。それに対して我が国とアメリカ、ヨーロッパ各国の反応は今までと違ったものでしたので、支那は慌ててデモを押えこみました。
 しかし、支那において自国政府に対しての不平不満のはけ口として日本を悪者にする教育を改めないかぎり、延々とくり返される問題です。

 週刊新潮の5月26日号に民主党(しかし、売国奴からまともな政治家までなんでもいる政党ですな。自民党もそうだけど・・・)の松原仁代議士が支那の反日教育について述べた記事があります。
以下一部引用
中学生用教師指導本95年度版より
南京大虐殺」について
<この項目では、鮮血したたる事実をもって、日本帝国主義が行った中国侵略戦争の残虐性と野蛮性を暴露している。教師は教室において、日本軍の南京における暴行を記した本文を真剣に熟読させて、生徒をして、日本帝国主義に対する深い恨みを植えつけるようにしなければならない>
(原文では深い恨みを生徒に牢記させねばならないと表現されているそうです)
<南京大虐殺の時期と、日本軍によって殺害された中国人民の人数を、記憶させなければならない>
その他
<教師は教科書中の『日本の石井部隊が殺害者の死体を焼却した殺人炉』と『日本の侵略者が生きた中国人を用いて行った細菌実験』の2枚の画像を組み合わせ、生徒の思いを刺激して、日本帝国主義の中国侵略の罪状に対して強い恨みを抱くように仕向けるべきだ>
<授業中、教師は敵に対する強烈な恨みの思いをこめて生徒に説明するだけではなく、生徒をうながして授業中にみずから発言させ、彼らの見聞きしたことのある歴史の材料を踏まえて、当時の日本帝国主義の中国侵略の種々の罪状を暴露させ、批判させるように指導するのがよい>

9・18事変(満州事変)
<9・18事変の勃発を説明するときには、教科書本文に従って解説するが、加えてスライドやビデオを活用して、直感的な教育を強化するのが望ましい。本課のない様は愛国主義教育をおこなう上でもっもよい題材であり、思想教育が予期された目的を達成するために、授業に臨むときには教師自身が、日本帝国主義を心より恨み、(中略)憂国憂民の感情を、心に持たねばならない。「松花江のほとり」の歌を、教師や生徒が沈痛な思いをこめて歌うか、録音を教室で再生するが、その際、教室の雰囲気に気を配って、思想教育の実質的効果が上がるように心掛けなければならない>

 加えて課外授業として、江沢民時代から盛んに作られるようになった、抗日記念館の社会見学を併せて行う事の重要性が説かれています。

 2001年に試作され一部地域で使われている教師指導本では、ここ数年、日本国内で「自虐的歴史観」見直しの気運が高まってきたことについて強く警戒し
<常に、日本右翼勢力による南京大虐殺の真実状況を隠す企み、侵略事実を抹殺する行為、ファシズム勢力の復活などを学生たちに警戒させる>
として、日本からの反論は右翼の戯言に過ぎないから、まともに取り合わないように釘を刺し、南京大虐殺について日本人との論戦を起こる事を想定してか、クラスでディスカッションや日本の中学生に「南京大虐殺」を知らせる手紙を送る事を奨励しています。

(週刊新潮 2005.5.26 P57~60)以上黄色部分引用

 松原議員は以上の「反日洗脳教育」だけでなく、戦後の日本の平和憲法、支那に対しての巨額のODAについても何も記されていない事や、多くの餓死者を出した「大躍進運動」、多くの犠牲者を出した「文化大革命」の凄まじいリンチについても、チベット侵攻、天安門事件など負の部分にはほとんど書かれていないと書き、支那の歴史教育とは、支那共産党の正当化のための、あからさまな思想教育に他ならないと指摘しています。
 そして、組織的に反日教育を継続するメリットとして、仮想敵国を作って不満を逸らすだけではなく、支那人を苦しめた悪辣非道な日本人から、国を救ったのが共産党で、その過去の貢献を考えれば、今の支那の貧富の格差拡大や一部の共産党員の腐敗など微々たる失政に過ぎないというすりかえ論理を成立させていると続いて指摘しています。
 
 このような反日教育を行って来た支那に対して、我が国の害務省は抗議も何もせずに放置し、一切の責任をとらずに来たこと、北京オリンピックについての是非を問うことが大切と書き最後に次の言葉で結んでいます。

 
15年余もの長きに亘った反日教育が、あの暴動を生み出したのです。日本は、鋼鉄のように毅然と外交を展開すべき時がきたのです。

 今回の松原議員のこの告発による記事はわかりやすく、すばらしい内容の記事だったと思います。

現実に、アメリカの下院では北京五輪中止を要求する決議案が提出されました。
http://www.sankei.co.jp/news/050429/kok055.htm

 町村外相が支那の外相と会談した時にも、向こうから「北京オリンピックをボイコットするという話が伝わって来ている」と言っているのはそれだけきにしているのでしょう。北京オリンピックのスポンサー企業は4割が日本企業だそうですから、我が国がボイコットしたら北京オリンピックは開催不可能になるでしょう。

 そんな我が国に、支那は北京、上海高速鉄道誘致に新幹線導入を匂わせ、揺さぶりをかけて来ています。新幹線がフランスのTGVより有利なのは明らかですから、我が国から無理に売り込む必要などないのです。外交とは、そしてこの場合は商売としてもそういうものでしょう。

 それなのに、我が国では支那に対して新幹線を導入すれば建設費をODAとして提供するなどというアホな話がでているのです。
http://www.sankei.co.jp/news/050522/morning/22iti003.htm
まだ、まだ我が国の中にアホな反日日本人が多くいることの証明でしょう。

 今日は久しぶりにスポーツセンターにいく。まだ、右肩が重い感じがするので、メニューは軽く一通り消化。

田中真紀子
5月21日土曜日晴れ ×
 我が国に対して相変わらず支那、南北朝鮮のバカ三国が靖國神社参拝のことで難くせをつけていろいろ言って来ています。我が国の政治家にも支那や南北朝鮮の政治家と間違うようなのが多くいます。
 田中真紀子などもそのひとりでしょう。
「閣僚の皆さんも、右翼化しています!わざわざ人がイヤだと言ってんのに、靖國参拝に行ったり・・・」
(2005年4月21日、衆議院統一補欠選挙福岡二区の民主党候補の応援演説で)週刊文春2005、5月5日・12日ゴールデンウイーク特大号p28より

 「今の中国を見てください。株やって儲けて、ロールスロイスやベンツに乗っている若い人がいる一方で、年収数千円という貧しい人がいる。そうやって国内の不満が爆発しそうなところに、小泉さんが靖国神社へ参拝するからデモが起こるんです。あの人は、日本の国益とか世界平和なんて考えていないのです」
「東シナ海の油田開発をめぐって日中が争っていますが、解決法はあります。つい先日、前から仲良しの中国の王大使が私の家にやって来てこういいました。『油田を日中共同で採掘すればいい。一緒にやりましょうよ』って。私もそれが一番いい方法だと思います。
 王さんはさらに、『真紀子さんが外務大臣だったら、こんなことは起こらなかった』といっていました。そりゃそうですよ。小泉さんが総理になってから、日中関係は荒れ始めたんだから。『真紀子さんが辞めたからこうなっ.た』とも.今度だって、小泉さんの意向を受けて意地悪そうなメガネかけた奴(町村信孝外相のこと?)が中国を訪れるみたいですが、どうせケンカになるだけでしょう」

 「ウチのお父さんが日中国交回復をやった時、周恩来は『日本の国民が悪いんじゃない。軍国主義が悪い。一般国民と中国人は仲良.。しよう』といって戦後賠償を放棄してくれた。おかげでこの30牢近く、口中の仲は良かったんです。それを小泉さんが、煮干しの出がらしみたいな顔して『俺は靖国行く』っていうからおかし<なった。あの人はホントにタチが悪いつ」
「私は一般の戦没瑞を分従して別の場所、例えば新宿御苑みたいな広いところに墓苑を造れといってるの。それで.A級戦犯が偉かったという人は靖国に行けばいいし、一般戦没者を追悼したい人ぽ別の場所に行けばいいのよ。でも小泉さんは-緒がいいんだって。靖国の桜は散り始めたけど、今年もそろそろ行くでしょう。『中国があげん騒いでるども、俺は行くどー』とかいって」

2005年4月16日 新潟県南魚沼市「国政報告会」にて
週刊ポスト 2005年5、6・13

 この人は次期首相候補などと持ち上げられていた時期もあったのですが、あまりにもバカ過ぎるのであきれはてて、誰もそんな事を言わなくなりました。アメリカのアーリントン墓地には献花して祈りを捧げていますが、我が国の先人の祀られている靖國神社には参拝したくないようです。でも、害務大臣時代には就任直後に靖國神社参拝をやっておりますが、忘れてしまっているようです。

 はじめてのお客さまMさん二名様で来店。Tさん来店。Kさん来店。Aさん来店。
今日も飲む。

素人に・・・・
5月20日金曜日晴れ ×

 総合格闘技?の道場のインストラクターをやってDEEP、PRIDE武士道とかいうのに出場しているらしいTやS、そして、なんと女性のFらが酔っぱらって、Nさんたちの車のボンネットに乗るなどの狼藉を働いたうえ、大勢でNさんたちに殴りかかり、逆にTらはNさんたちにしばき倒されたそうです。酔っぱらっていたとはいえ、現役でまがりなりにもプロのリングにあがっている連中が一方的に、通行中の普通の40過ぎの親父(普通というにはチョット無理がある気がするけど)たち相手にケンカを売り、逆にしばかれる・・・・しかも、そのうちの有名ならしい一人などはのびてしまった・・・・
カッチョワル!というか、問題あるだろうに。Tらは酔っていたらしいけど、格闘技で飯を食っているプロ(食えているかどうかは別として)だったら素人になんかケンカ売るなよ。しかも、大勢で一方的にケンカを売りそれも勝てなかった・・・週刊誌が喜びそうなネタ?

 今日はどういうわけかメチャ忙しい。明日がこわい・・・
 江上さん、甥の健さん夫妻、弟子の中島さん、そのまた弟子の方と来店。うーちゃん、YOUKOさん、塩月さん、溝上さん、関澤さんが今度、台湾に赴任する丸山さんの送別会ということで来店。Sさん二名様で来店。MIKIKOさん来店。Y岡さん来店。Sさん、Tさん、Nさんゴメンナサイ。

今日も飲む。ドンチャン


大和
5月19日木曜日晴れ ○

 あの戦艦大和の乗組員だった八杉康夫氏の体験談が現在、産経新聞で「わが青春の大和」と題され連載されている。
その5回目(5月17日)の文章でお母さんとの別れの場面として次のような内容が書かれています。
 出撃前にお母さんと呉市内の紅葉旅館という高級旅館に泊まり、枕を並べて寝た後、翌日、旅館を出たところで敬礼して「17年間お世話になりました。行って来ます」というのが精一杯だったそうで、それに対してお母さんは敬礼に頭を下げて答えてくれ、その後、大和への船が出る桟橋までついてきて、「元気でな」と後ろから声をかけたそうですが、振り向かないで、「さようなら」と一言いって敬礼して船に飛び乗ったそうです。
機密保持のために大和の出撃前に家族には連絡が取れなかったそうですが、八杉氏は上官が知らせてくれ、お母さんが会いに来たのでしょうと。

 以下は新聞に掲載された文章をそのまま引用いたします。
 沈没の前日の四月六日、豊後水道を南下中、艦長よりの命令の伝達があり、皇居の方角に向かって最敬礼、君が代、海行かばを斉唱しました。それで終わりかと思いましたら、能村副長から「各人故郷のほうを向け」と命令がありました。「みな、遠慮せずに大いに泣け」というのです。みな肩を震わせて一生懸命泣きました。よく覚えております。
その前日には無礼講の酒宴があり、「今のうちに飲んどけ。気持ちよう飲まな、機嫌よく死ねないぞ」と。そんな無茶な酒宴はあとにも先にもありません。
引用終わり

 わたしはこの文章を朝、読んでいて涙が出て来ました。
 批判するのは容易く、よく、無謀な、無駄なと言われる大和の特攻ですが、このように覚悟して乗り組み戦ってくれた先人がいて、今の平和な我が国があります。それを我々は決して忘れてはいけないと思います。この大和の乗組員のみなさんのような辛い別れも酒宴をする事も、我々は無いのですから・・・・・

 ナベちゃん、オウさんとニコニコ来店。遅い時間にHさん来店。
以上・・・・・


工作船万景峰号入港
5月18日晴れ ×

 あの犯罪国家北朝鮮の万景峰号が新潟に入港したそうです。それに対して抗議行動と抗議集会が家族会(横田 滋代表)、救う会(佐藤勝巳会長)、拉致議連(平沼赳夫会長)で、開催されたそうです。
北朝鮮の船に対しての国交省のずさんな検査についての救う会のメルマガより引用いたします。
以下引用
 
改正船舶油濁損害賠償保障法にもとづく審査について産経新聞が報道したが、救う会がその後、情報を集めた結果、現時点で以下のことが判明した。

平成17年5月17日 救う会事務局

 国交省海事局は、北朝鮮船舶20隻について改正船舶油濁損害賠償保障法(改正油濁法)にもとづく船主責任保険(PI保険)の審査を行いすべてパスさせたが、審査は極めてずさんなものだったことが判明した。

 18隻が契約している保険会社、MMIAニュージーランドは3月18日に審査をパスし入港証明書が交付された(3月に16隻、4月に2隻)。

 また、5月11日、万景峰号を含む2隻の船舶も、バミューダ登記の保険会社、SEPIAが審査をパスし、入港証明書が交付された。

 しかし、MMIAニュージーランドのオーナー、ポール・ランキンは過去に支払い拒否を繰り返している国際詐欺師であることが、海上保安庁と外務省の調査で明らかになった。

 それを産経新聞が5月15日1面トップで報道した。


 
なお、外務省の調査は国交省側が審査終了後に同社への疑念が広まったのを受け審査の正当さを補強するべく急遽依頼したのだが、逆の結果が出た。

 ニュージーランドの新聞 「The Press」 が3月4日に外務省の調査について詳しく報じている。そこでニュージーランド保険会社幹部は、「(同社は)外国で活動しておりニュージーランドの評判が落ちる」等と語っている。

 国交省内部でも、「国際的詐欺師と北朝鮮が組んで改正油濁法をザル法にしようとしている」という評価がある。

 MMIAニュージーランドは2004年6月に設立されたことなどから、北朝鮮が改正油濁法施行をにらみポール・ランキンに接触して作らせた保険会社ではないかという見方もある。

 なぜ、国交省海事局がこのようなずさんな審査をしたのかは不明だが、「永田町から速くせよという風が吹いていた」と話す関係者有り。なおランキンは今年1月、日本人弁護士を連れて海事局を訪問している。

 万景峰他1隻はバミューダ登記の保険会社SEPIAと契約し国交省審査を通ったが、同社はポール・ランキンの娘婿の会社であるとの情報もある。

引用終わり
★☆救う会全国協議会ニュース★☆( 2005.05.18 )より


 今後、このキチガイ国家北朝鮮の工作船は5月23日、30日、6月4日、27日と続けて入港予定です。20隻のうち18隻がワケの分からない保険会社であり、残りの二隻も怪しいのです。早急に審査をやり直すべきでしょう。

 Iさん二名様で来店。Kさん三名様で来店。Sさん来店。何度も電話で店の場所を聞いてきた方は来店せず。
 飲む。ドンチャン。でも記憶あり。 

5月17日火曜日晴れ ○
 小泉首相は昨日、衆院予算委員会の集中審議で、仙谷由人民主党議員への答弁で靖国神社参拝について「戦没者を追悼し、二度と戦争を起こさないという、ごく自然の気持ちを実践してきた。わたしは何ら問題があるとは思っていない」「どのような追悼がいいのか他の国が干渉すべきではない」と述べたそうです。それに対して、仙谷氏は首相に「いい気なもんだ」と言い放ったそうです。
 この仙谷議員は支那命の岡田民主党党首の会談のために先週、北京までいって、支那側と事前折衝しています。岡田党首におべんちゃらを使うだけでは無く、支那の走狗に成り下がっているわけです。
支那は早速「血で汚れたA級戦犯」と言い放って首相靖国参拝を批判 しています。
 支那、朝鮮がこれほどまでに歴史問題にこだわるのは、支那、朝鮮にとって都合がいいからに他ならない。かってに反日日本人が騒いでくれるからです。そういう意味でいえば、山崎拓議員のは12日夜のTBSの報道番組に出演した際の「中国側が、靖国問題が解決すればおのずから解決できると発言した」との言葉はあまりにもアホ過ぎる。
 支那、朝鮮は「一般の日本国民は悪く無い。悪いのは一部の軍国主義者だったのだ」といって全日本国民を敵には回さないようにしています。そのために「ひとにぎりの右翼勢力が軍国主義を復活させるために『軍国神社』である靖国神社参拝をして侵略戦争を美化している」と繰り返しいっているのです。
 では参拝をやめたらどうなるのか。支那は次から次へと問題を変えてくるだけです。墓を暴いてまで鞭打つという暴挙を平気でやるという支那、朝鮮とによる内政干渉に対しては毅然とした態度が大切です。

 今日は酒の残ったまま河岸にいき、そのまま江上さんにマッサージのお世話になる。今日は江上さん、酒臭くってゴメンナサイ。ここしばらく肩が重く感じられるのでトレーニングメニューは何も消化せずにいる。

 カレラさん来店。バンブーさん二名様で来店。Iさん二名様で来店。ホロン部員Yさん来店。ETUKOさん二名様で来店。

西日本新聞のバカさ加減
5月16日月曜日晴れ ×××?

「日本政府、強制徴用も縮小・歪曲か」という朝鮮の中央日報の今日の記事を御覧いただきたい。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=63579&servcode=200&sectcode=200
以下一部引用
 ?
日本政府が進めている朝鮮人徴用者遺骨調査が、極めて一部の企業を対象に行われており、正確な実態解明にはほど遠い縮小調査だという疑惑が提起された。 朝鮮人強制連行真相調査団は16日、記者会見を行い、「朝鮮人徴用者が働いていた企業は、日本政府の資料から確認されたものだけでも400カ所以上にのぼるが、日本政府の調査は100社余にすぎない」と明らかにした。また「日本政府が形式的な調査を行って一部の遺骨だけを返還し、強制徴用問題を早期に片付けてしまおうという意図があるのはでないか疑わしい」と指摘した。
略)
??◇広範囲にわたる強制連行=植民地時代の朝鮮人徴用者の数は少なくとも60万人、多ければ100万人以上と推定されている。 日本厚生労働省の集計では、1939〜45年に66万7684人の朝鮮人が日本企業に徴用されたという。 うち、およそ1割にあたる6万7609人の名簿が、91年、日本政府の実態調査で確認された。 韓国政府もこの名簿を譲り受けた。
略)
2005.05.16 20:43:14

そして下記の文章は西日本新聞のホームページより引用したものです。
http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/2004/report/0517_2.html
強制連行
 1938年に制定された国家総動員法に基づく国民徴用令により、39年から終戦(45年)まで、多くの朝鮮人や中国人が炭鉱、土木工事現場、軍需工場などで過酷な労働に従事させられたとされる。その人数については学界でも諸説あるが、朝鮮半島からは約70万人が連行されたとする説が多い。
後略)


 南北朝鮮が戦時売春婦を「従軍慰安婦」、女子挺身隊をも「子どもまでも強制連行して従軍慰安婦」、戦時徴用を「強制連行」と支那の万年属国のウソつき民族らしい事を言いまくっています。まあ、朝日新聞のようにマッチポンプ的に火をつけて煽動していたマスコミもありますが、朝鮮人のウソに反日日本人と我が国の腐れマスコミが便乗していました。

 過去に何度もいわれているように、「徴用」と「強制連行」は違います。それをキチガイマスコミの一つである西日本新聞では徴用=強制連行としているのです。
「強制徴用」という言葉もおかしいのですが、あの反日学者?である吉見義明氏がよく使う「広義の意味での強制連行」などと同じく都合よく解釈して意図して使っているのでしょう。
 我が国で徴用が制度化されたのは1939年(昭和13年) 国家総動員法第4条によってです。これにより39年4月にできた徴用令では男子15〜45歳、女子16〜25歳が対象となり、43年には男子12〜60歳、女子12〜40歳に拡大されました。
台湾でも39年徴用令に合わせて、10月府令で施行規則が制定され、台湾本島の他、内地や南方占領地に徴用されました。
 ところが、朝鮮には39年の時点では徴用令が施行されていません。自由募集だけだったのです。それまでの朝鮮人の内地への移住は、制限されていました。
40年に自由募集ながら計画的な運営が図られ、41年に軍関係の徴用が始まり、42年に自由募集が官斡旋に切り替わり事実上の徴用が始まりました。
内地同様の徴用令が施行されたのは44年からです。
このときに小磯国昭朝鮮府総督は、関係官を徴用事業所に派遣し、将来朝鮮の技術向上の礎石として活動できるよう受け入れ側に体制の整備を要求しました。厳罰主義をさけ、労働条件の悪いところには割り当てを減らすなどの処置を施しましたので、徴用拒否者が続出し44年徴用令施行より45年6月まで割当数の79%しか送り出せませんでした。
 42年からの官斡旋が強制連行といわれる場合が多いが、官斡旋の場合は徴用と違いあくまで自由意思であり拒否による罰則が無いことである。
 強制連行は嫌がる者を力ずくで連れていくことであり、教科書などでもあのい嘘つきの朝鮮人の朴慶植や、反日日本人で詐欺師の吉田清治の本などから引用した文が多いが、出頭する時間、場所が決まっていて自発的に出頭する徴用令による徴用を強制連行と呼んでいることは明らかな間違いです。その間違いを判っていてわざと使っている反日日本人や朝鮮人も多いと思います。
 徴用で出頭しなければ、一年以内の懲役または1000円以下の罰金に処せられました。徴用拒否の場合は強制労働ではなく、刑務所だったわけですので、「寝ているところをいきなり捕まり、トラックに乗せられ日本に連れてこられた」などという事がいかにウソか分かります。

 1943年から台湾から本土に来た少年たちによる「
台湾少年工」の人たちと朝鮮人との大きな意識の違いはなんでしょう。

 Wさん来店。Sさん来店。ヒマだな〜と思ってお二人と飲みだしたら遅い時間にNさん三名様で来店。Tさん来店。Nさん二名様で来店。ドンチャン。営業終了後SさんとM's Barにお邪魔する。


5月15日日曜日 晴のち一時雷を伴う大雨
 店を片付けていると、突然の雷と雨。おまけに地震が一発。酒の会で東京にきているので、後で寄るかもという醴泉のやまチャンから電話があり。

 昨日、築地でめちゃめちゃ列んでいる人がいたので、その列を整理している警備会社(これもすごい)の人に聞いたら、「チョコレートの無料配付ですよ」と答えに唖然。チョコレートをタダでもらうためだけにこんなに列んでまで待つものなのでしょうか。

 ところで、あの北朝鮮が契約した保険会社というのは支払い拒否の常習だそうな。
以下引用
 
国土交通省が「改正船舶油濁損害賠償保障法」(改正油濁法)に従って日本への入港に“お墨付き”を与えた北朝鮮船と「船主責任保険(PI保険)」契約を結んでいる保険会社が、これまでに度々、保険金支払いを拒否し、訴訟を起こされていることが、分かった。国交省関係者は「無保険船の“逃げ得”を防ぐための改正油濁法の実効性を損なう恐れもある」と懸念するが、「入港証明書(保障契約証明書)」を交付した国交省の審査の杜撰(ずさん)さこそ、問題になりそうだ。
 問題の保険会社と契約した船が日本の港で座礁事故を起こした場合、最悪、保険金が受けられず、流出重油除去や船体撤去の作業にともなう費用の補償が、受けられない可能性がある。
 略)
 しかし、海上保安庁や外務省(ニュージーランド大使館)が調査したところ、北朝鮮船十八隻が契約した保険会社は、ニュージーランドの法律に適合しないことが判明した。

 平成十五年七月には、南太平洋上で起きた日本漁船と台湾漁船の衝突事故で、契約していた台湾漁船に対する保険金の支払いを拒否。このため、日本漁船側から東京地裁に提訴され、今年一月、一審で保険金を支払うよう判決を受けながら「契約を締結した会社は倒産した別会社である」として保険金を支払っていなかったことが分かった。
 問題の保険会社のオーナーは、イギリス南部に在住するといわれているが、このオーナーがかつて経営していた別名称の保険会社は平成六年、ホンジュラス籍船と韓国船が衝突した死亡事故の際にも東京地裁に提訴され、二億八千万円の支払い判決(十二年一月)を無視。保険会社は事故後、倒産を理由に支払いを拒み、「保険の支払い、信用力への不安が排除できない」(政府関係者)という。

略)
 産経新聞社の取材に審査を担当した国交省海事局の担当者は「わが国の被害者保護上、問題ないということで認めた」と説明しているが、問題がないとする根拠については、明確には回答していない。
略)

平成17(2005)年5月15日[日]産経新聞朝刊
引用終わり
 ひどいもんです。
審査を担当した国交省海事局のバカ担当者は「わが国の被害者保護上、問題ないということで認めた」って、たんなるペーパーカンパニーの可能性もあるわけですし、早急に再審査すべきでしょう。

やっぱ
5月14日土曜日くもり時々晴れ 寒い

 今日のニュースで香港にとんでもない社名が登録されているというのがありました。
以下引用
 
「日立電器集団」「香港東芝電器」「日本松下電器(香港)」「香港三洋国際集団」――経済産業省は13日、香港で日本の電機メーカーとそっくりな社名が登記され、商品名などに勝手に使われていることを受け、政府として調査に入ると発表した。
略)
 企業の申し立てを受けて政府が知的財産権侵害の調査に入るのは初めて。
 これらのメーカーはいずれも日本メーカーとは何の関係もない。しかし、香港では企業の登記が簡単で、世界的に有名な商標がすでに存在していても、それを理由に登記を拒否できない制度になっているという。
(読売新聞) - 5月13日20時10分更新

引用終わり
しかし、「世界的に有名な商標がすでに存在していても、それを理由に登記を拒否できない制度」ってなんざんしょ。
さすがは今まで(これからも?)、散々コピー商品を作り続けてきた支那だけのことはあります。上海空港内で
百年孤独?を売っている国だけのことはあります。
 最近は、堂々回りよりもそのコピー製造業者と提携した方がいいなどという考え方もあるそうです。
でも、コピー商品ならお隣の南朝鮮も負けてはいません。
なにしろ、有名な裁判ですが、ガンダムという商標の件ではロボットの一般名詞だとして裁判で負ける国です。
(まあ、その後は逆提訴により取り消されたそうです)

 
今日、築地で信号待ちしていたら、御年配のみなさまが「新しい教科書をつくる会」がビラを配っていたので、早速一部頂戴する。もちろん「がんばってください。応援しています」と声をかけさせていただきました。
扶桑社の教科書どうのこうのよりも、安重根、李舜臣を英雄としてとりあげているのに明治天皇は写真も掲載せず、ロシア革命を好意的に書き、スターリンの2000万人虐殺、毛沢東の4000万人虐殺を掲載していない日本書籍、東京書籍、大阪書籍など他の七社の教科書がひどすぎる。

反日に侵されているのは朝日新聞だけではないという日本の出版界の酷さがよく表れています。

Oさん来店。Kさんことフィリッポさん二名様で来店。ワインの仕事もいろいろ大変そうです。
フィリッポさんと飲む。
営業終了後、歌舞伎町の台湾料理「青葉」さんで李さんと飯。ここのお料理は美味しい。


 
100万円ウイスキー完売
5月13日金曜日はれ 寒い

 サントリーが売り出した「山崎50年」が1日で完売したそうです。
 700ミリだそうですので、ワンショットで4万2870円ですね。すごい・・・・・

 でも、今までも100万円ウイスキーとか200万円ブランデーとか結構出ているようです。
そういえば、日本酒でも高額なのがいろいろありますが、容器に高価な焼き物とか塗り物などを使用したものを別にすれば、四合瓶で10万とかが一番高いのでしょうか?

 一名様来店。初めてのお客さまOさん、Sさん来店。Wさん来店。Yさん御夫妻来店。Kさん来店。Aさん来店。Kさん三名様で来店。テキーラの「ドンフィリオ リゼルバ アネホ」が完売。MASAKOさん二名様で来店。
 今日も飲む。

5月12日木曜日くもり一時雨 △
 今日の産経新聞にノルウエー御訪問中の天皇・皇后両陛下が11日午前中にアーケシュフース城にある戦没者慰霊碑に献花し、黙礼されたことが掲載されていました。
 あのバカ害務大臣だった田中真紀子でさえ、他国では戦没者慰霊碑に献花しています。その国のために亡くなった先人に敬意を表すのは当たり前の事です。
 我が国においては靖國神社がその施設ですが、残念ながらアホな反日日本人のために、陛下の御親拝が絶えて久しいです。
今年はぜひ御親拝をしていただきたいものです。
  
20年11月20日 天皇陛下御親拝
27年10月16日 天皇・皇后陛下御親拝
29年10月19日 天皇・皇后陛下御親拝 
32年4月23日 天皇・皇后陛下御親拝
34年4月8日    天皇・皇后陛下御親拝 
40年10月19日 天皇陛下御親拝 
44年10月19日 天皇・皇后両陛下御親拝
50年11月21日 天皇・皇后両陛下御親拝
     
 Hさん来店。大台さん二名様で来店。Mさん、Kさん、Sさんと彼女、Kさん来店。ドンチャン!

5月11日水曜日晴れ ×
 Nさん来店。一杯さん来店。初めてお客さまテッチャン、うなチャン来店。
今日は早い時間から飲む。営業終了後、テッチャン、うなチャンとイデアルさんにお邪魔する。相変わらずコストパフォーマンスの高いワイン!その後はひとりでふらふらとこれまた久しぶりにM's Barにお邪魔する。

我が国の朝鮮における土地政策(4)
5月10日火曜日晴れ ○

餓死者と強盗件数の変化

餓死者と強盗件数(人口百万人当たり)

?

餓死者数

強盗件数

1911〜15

31

172

1916〜20

23

101

1921〜25

14

131

1926〜30

25

90

1931〜35

20

51

1936〜40

13

26

1941〜42

15

植民地朝鮮の研究  杉本幹夫著 展転社 p76より
杉本氏は朝鮮総督府統計年報より作成
餓死者データー1911、1912、1923年欠


 我が国と併合後、それまで、世界最貧国であった朝鮮では餓死者が激減したのである。
そして、これによって、朝鮮人がよくいう米を取られたからではないことがわかる。
ましてや、朝鮮半島の人口は1906年の980万人からたった30年後の1938年の2400万人と2・5倍近くにも急増しているのである。
もし、
本当に朝鮮人たちが主張してきたように、我が国に食料、その他を奪われた状態でも餓死者数が急減し、逆にこのような人口の急増がみられるのであれば、朝鮮人という民族はゴキブリ以上の生命力と繁殖力をもつ驚異的な民族といえる。

 Sさん来店。初めてのお客さま二名様で来店。同じく初めてのお客さま二名様で来店。遅い時間にマルガリータさんから電話あり、来店。


アルバニアみやげ
5月9日月曜日晴れ×

 Y岡さん来店。初めてのお客さまNさん二名様で来店。ホームページを御覧いただき来店してくださったそうです。初めてのお客さまIさん三名様で来店。すぐお近くにお住いだそうです。Sさん来店。アルバニア帰りのバンブーさん来店。Oさん来店。Hさん来店。
しかし、バンブーさんの今回の旅はアルバニアですか。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/albania/data.html
私を含めて、店にいた人全員が「元ソ連の・・」とか間違った知識しかない程度でした。場所などわかりません。お土産はアルバニアの酒(アラクの一種?)でした。もちろん全員、初体験ということで、ごちそうさまでした。
ドンチャン。


我が国の朝鮮における土地政策(3)
5月8日日曜日晴れ ○

李朝時代の土地制度

 我が国の土地調査事業においてどうして耕作農地が増えたのか。それは、それまでの朝鮮における土地事業のいいかげんさを物語っています。
 耕地面積を測る統一単位すらないのです。朝鮮の土地面積の単位は「結負(キヨルブ」と呼ばれ、それが課税単位として使われていました。
結(キヨル)=100負 1負=10束 1束=穀物10把だそうです。
結は土地の生産性に応じて一等地は約一町歩から六等地約四町歩まで6つのランクに分けられて、二十年ごとに見直されることになっていましたが、ほとんど行われなかったそうです。

 李朝時代には、耕地面積に「斗落マジキ」または「日耕イルキヨン」という単位を用い、「1斗落」とは五穀の種一斗を播種できる広さの土地を指し、もっぱら水田の広さを数える時に使用。実際は種の播き方でどうにでもなるために、土地や時代により異なり約100坪から200坪といい加減。
「1日耕」とは牛一頭を使役して一日耕作できる広さの面積とされるが、これまた牛と農夫によりいくらでも変わってくるためにいい加減。つまり、前近代的ないい加減なものだったのです。
そして、1894年の公簿には140万3171結が記録されているが、課税結数は75万9979結のみで、約半数が脱税地となっていたわけです。公簿に記録されていない土地も多く、これは隠結つまり隠し田となっていました。
そのために、朝鮮総督府がおこなった朝鮮半島の土地調査により隠田が一掃され、調査開始時には272万余町歩とされていた耕地面積が、調査の結果、所有者が確定した総面積487万町歩。そのうち耕作面積は424万9000町歩〜450万町歩と増大したのです。
 しかし、それにより隠し田にて甘い汁を吸ってきた者たちなどが困り、朝鮮総督府の調査に不服申し立てをし、そのために高等土地調査委員会が1920年まで受理し審査しました。件数は2万148件にも達したそうです。

 朝鮮および台湾の近代化にもっとも貢献した事業のひとつが、この我が国がおこなった科学的土地調査です。この事により、前時代的な土地制度を廃し、近代的社会基盤を建設する基になりました。

 ちなみに、朝鮮の旧宗主国様である支那は1996年にやっと検地が完成し、それにより、既存の耕地に対して40%が隠し田であることがわかり、それまで全国の土地面積の10%といわれていた耕地が、急に14%になったそうです。つまり我が国の面積以上の耕地が突然増えたそうです。
 さすがは、宗主国様あって万年属国とは規模が違います。毛沢東がバカをやらかし、自国民を3000万人殺しても平気な国だけあります。


 店を片付けたあと、スポーツセンターにいく。肩、腕、足と有酸素運動のメニューを消化。部屋に帰って、いつもどおり本を持ち込んで、なが〜い風呂。


我が国の朝鮮における土地政策(2)
5月7日土曜日晴れ ×

米の収奪のウソ

朝鮮人がよく書くウソ
 
鉄道や港湾は充実しましたが、それは朝鮮半島の資源を日本に運ぶためでした。米の生産高は増えましたが、多くは日本に運ばれたため、朝鮮は食糧難に陥りました。
 「一気にわかる朝鮮半島」鄭銀叔著 池田書店 p24
だいたい、この本自体が、李朝時代の悲惨な統治を書かずにいきなり日韓併合から書いています。朝鮮人はこれと同じレトリックを使い、平気でウソをつきます。もし、鄭銀叔というこの著者がウソをついているつもりもなく、捏造に気がつかないでそういった間違いを本気で書いているのでしたら、この鄭銀叔という朝鮮人は単なるバカです。

 朝鮮農民は我が国の統治により<農民はいっそう苦しい立場におかれた>などという事はない。ましてや朝鮮人の書くような「日帝は彼らの食料不足を解決するために、韓国から米を略奪することに力を注いだ。そのため韓国の農民は彼らが生産した多くの米を日本に奪われ、飢えを免れなかった」などということも絶対にない。
まず下記の3つの表を見ていただきたい。

表1(数字は単年ごとの平均値)

年度

生産高

日本への移出高

移出の割合

1917〜21年

1,417万石

220万石

15.5%

1927〜31年

1,591万石

661万石

41.5%

1932〜37年

1,771万石

866万石

48.9%

表2

年度

生産量(万石)

移出量(万石)

消費量(万石)

1920年

1,270

185

1,085

1922年

1,432

340

1,092

1924年

1,517

475

1,042

1926年

1,497

544

953

1928年

1,730

742

988

1930年

1,370

540

830

1932年

1,590

760

830

1933年

1,630

870

760

表3(最終桁数は四捨五入)

?

生産高(万石)

移出高(万石)

朝鮮での総消費高(万石)

人口一人当りの消費高(石)

1912〜16年平均

1,230

106

1,111

0.7188

1917〜21年平均

1,410

220

1,171

0.6860

1922〜26年平均

1,450

434

1,061

0.5871

1927〜31年平均

1,580

661

967

0.4964

1932〜36年平均

1,700

876

845

0.4017

1937年

1,941

716

1,258

0.5679

1938年

2,680

1,070

1,578

0.7031

1939年

2,424

605

1,765

0.7761

1940年

1,436

43

1,398

0.6108

1941年

2,153

368

1,751

0.7285

1942年

2,489

564

1,912

0.7571

1943年

1,569

0

1,653

0.6246

 たとえば、朝鮮半島から米を奪ったという悪質宣伝によく使われているのが表1と表2である。この表により河井塾の青木裕司氏などは「生産高は増加していますが、日本への移出が激増していることがわかります。つくったそばから取られてしまうという状況ですね」<青木裕司著(知識ゼロからの)『日本・中国・朝鮮 近代史』幻冬社>P69などとアホらしいことをいっている。
これは、あの問題山積みの教科書をだしている山川出版の「朝鮮史 世界各国史12」糟谷憲一 から引用しているのですが、大きなごまかしがあります。
 表2も韓国の教科書からの引用です。(「韓国の歴史 国定韓国高等学校歴史教科書」明石書店1997)
これにより、同様「増産量を遥かに超過した量を収奪していったのである。そのため我が農民の大多数は飢餓線上にある」などというウソをならべています。

 このごまかしを解くカギは、いずれも33年、37年までしかのデーターしか示していないことにあります。表3は大蔵省管理局「日本の海外活動に関する歴史調査」です。
この3つの表を比べていただきたい。

 ウソつき朝鮮人や先にあげた青木裕司などというアホどもは、その時代背景、朝鮮の食料事情も説明せずに、表1、表2など1933〜37年までの統計しか示さずに収奪だと騒ぐ。日帝36年とか言いながらどうしてその後の統計を示さないのであろうか。我が国にとっても一番食料事情が悪い時であり、食料が欲しい時である。
それは、1937年を境に1938年からは朝鮮内の米の消費高、人口一人当りの消費高が大きく増えているのである。このような事実を隠すために37年までのデーターしか示さないのです。
いかにも、嘘つき朝鮮人、そして反日日本人らしい姑息なやりかたです。


 時代背景
 表2、表3では1926年(大正15年)から朝鮮での消費量が急減している。この時は昭和初期の昭和恐慌として名高い時期であり、農家が米を食べられなくなったのは朝鮮半島だけではない。日本の東北地方の惨状もすさまじい。その後の冷害では北海道、青森などを中心とした地帯に45万人もの人々が餓死線上にたたされ、農村部では、役場の史員や学校の先生の給料までも払えずに、娘の身売りが続出した時代であった。
 しかし、朝鮮半島の米の生産量は大きく伸びている。これは日本が治水、品種改良などによる成果であるが、それ以上に移出が伸びているのは、米以外に換金作物がないために、日本に米を移出する事により農家が現金収入を得たいがためである。
つまり、自由経済の当時においての朝鮮半島の米の内地への移出は、すべて朝鮮半島の事情によるものである。
このために、朝鮮総督府は緊急に雑穀を輸入して、朝鮮人の食するカロリーに変化がないようにした。?p68
 欧米の植民地主義とはまったく違う、日本民族の誇るべき善政である。

 なによりも、1918年の米騒動の時を例外として、昭和に入ってからの朝鮮よりの米は我が国にとってはもはや不要のものであった。考えてもみてほしい、朝鮮でさえ昭和に入ってからは大きく増産ができる体制になっているのである。朝鮮より早く近代化された我が国では1925年(大正14年)から31年(昭和六年)にかけて日本本土の米の価格が40%も暴落したのは朝鮮、台湾からの安価な米が無制限に入ることが原因であった。
そのために日本本土の農家は朝鮮米の移入制限を強く要求、農林省も内地農民の保護のために1934年には臨時米穀移入調節法案が策定されていたが、その法案の国会上程を陸軍の応援を得てまで阻止したのが、「朝鮮の二宮尊徳」とまで呼ばれる石塚俊と朝鮮総督府であった。

 結局1934年に「朝鮮から移入される米は内地では拒まない。しかし、一時に移出されると困るから月ごとに平均的に移出する事」とし、京城、台北にも農林省の米穀事務所を設置することで合意が成立した。しかし、石黒忠篤農林次官は「このような状況では朝鮮米移入問題は解決できない」として辞任している。?p74
 米騒動のあった大正時代と違い、昭和に入ると各地に増産体制が整い、不況による消費の減少もあり、米余り時代となったが、朝鮮の農家は米にかわる換金作物がなく、また内地に移出した方が高く売れるために移出を続けたのである。
石塚や朝鮮総督府は内地より朝鮮半島、朝鮮人を第一にかんがえたのである。
その証拠に、朝鮮の教科書やバカ日本人どもが提示しない表3にあるとおり、朝鮮半島が1940年の大干ばつで前年比約1000万石減という大凶作になったときは、日本本土への米の移出を前年の605万石からわずか43万石にまで制限した。
朝鮮農家にとり米は日本本土に売った方が何倍も儲かるから、総督府が移出制限をしないと、朝鮮半島が深刻な米不足に陥るためである。それは、生産量の大きな落ち込みに比べて、その時の人口ひとりあたりの米の消費高が大きく減っていないのでもわかる。内地以上に食料事情がよかったのである。
 朝鮮における1941年の米価設定は、生産者の手取り価格は一石五〇円にたいして、消費者価格は四十三円の完全な逆ざや政策であった。

以下引用および参考文献
?歴史を捏造する韓国 中川八洋著 徳間書店
?植民地朝鮮の研究  杉本幹夫著 展転社
?日本植民地経済史研究 山本有造著 名古屋大学出版会
?韓国は日本人がつくった 黄文雄 徳間書店


 河岸から帰って来て、仕込みを終えたあと、スポーツセンターにいく。明日も行くつもりなので、胸と背中だけのメニューを消化。

 初めての客様来店。(本をお忘れです)しみずさん来店。一名様来店。二名様来店。金チャン、マロさん大勢様で来店。オガピー来店。Kさん来店。T大の教授でありながら某流派の師範代のMさん門下生の人たちと大勢様で来店。今日、美丈夫の斗瓶のおり酒が入荷しました。しみずさんも早速!
ドンチャン。


我が国の朝鮮における土地政策(1)
5月6日金曜日雨 ×

 ゴールデンウイーク中にURAホームページの方に書いたものを、日記の方にもアップしたほうがよいというご意見を伺いましたので、そのようにさせていただきます。

土地の収奪というウソ

 下記の黄色い文三つの引用はいずれも南朝鮮の教科書などの書籍より、我が国と朝鮮が併合していた時の土地政策についての引用です。

 日本は、韓国で近代的土地所有制度を確立するという名目で、土地の面積と所有者を徹底して調べる一方、土地調査令を宣布して、自家に基づいて税金を納付する制度をつくった。この過程で、膨大な土地が朝鮮総督府と日本人の所有になった。また、長い間農民が小作してきて耕作権が強かった官有地と開墾地などでは、国家と地主の所有権だけが認められた場合もあり、農民はいっそう苦しい立場におかれた。「若者に伝えたい 韓国の歴史」明石書店P93〜4

 
土地調査事業によって不法に奪い取られた土地は全国農地の40%にもなった。「韓国の歴史 国定韓国高等学校歴史教科書」明石書店1997

 
朝鮮総督府は、これらの没収した農地を、東洋拓殖株式会社などの日本人が経営する土地会社に払い下げたり、韓国に渡ってくる日本人に安価で引き渡したりした。その結果韓国の農民たちはいっそう貧しくなり、土地を失った農民たちは深い山の中に入り火田民となったち、・・・・満州など国外に移住する人々も多くなった。「入門韓国の歴史 国定韓国中学校国史教科書」明石書店p327

 <土地の面積と所有者を徹底して調べる一方、土地調査令を宣布して、自家に基づいて税金を納付する制度をつくった。>これは国の運営上当たり前のことだし、一坪たりとも農地を没収していないのに<膨大な土地が朝鮮総督府と日本人の所有になった>と記されるにおいては理解に苦しむ。
 まず、土地調査事業は日本人が日本人の税金で、当時のお金として2040万円という大金を使い、朝鮮人のための土地調査を1910年(明治43年)〜1918年(大正7年)まで8年もかけて実施したものです。当時の朝鮮総督府のおこなった法律万能主義による土地調査事業が完璧だったとは私も思いませんが、少なくとも、前近代的な李朝の土地制度を改め、近代的な土地台帳を無償で朝鮮は手に入れたのです。これがどれほど朝鮮半島の近代化に役立つものか少し考えればどんなバカでもわかりそうなものです。

耕地面積

接収耕作地

接収耕作地の割合

437万町歩

11万7000町歩

2・7%

450万町歩

14万7000町歩

3・26%

3-A

286万町歩

13万4000町歩

4・7%

3-B

424万9000町歩

13万4000町歩

3・15%

1歴史を捏造する韓国 中川八洋著 徳間書店
2日本植民地経済史研究 山本有造著 名古屋大学出版会
3-A、3-Bは朝鮮近代社会経済史 全錫淡他著 龍渓書舎
(上記の表における1と2の接収耕作地の違いは総督府に接収された土地は11万7000〜12万町歩、
定められた期間に申告しなかったり、所有権を証明できなかった為に接収された耕地が2万7000町歩あり、それを含めるかどうかの差となっています)

 1919年に測量された土地面積などは引用文献により多少の差が生じます。手許にあるものを記しておきます。それ以外に調査面積の中に未墾地90万町〜100万町歩があったため接収されていますが、これはあくまで、未墾地であり、耕地面積にはふくまれません。そして、土地調査の結果、権利関係が極めて不明確な土地などを総督府は数百年の故事来歴などをさかのぼり調査し、裁定した結果、総督府に接収された土地は11万7000〜12万町歩、定められた期間に申告しなかったり、所有権を証明できなかった為に接収された耕地が2万7000町歩あり、結果として合計11万7000〜14万7000町歩として当時の耕作面積の424〜450万町歩の2・7〜3・26%の割り合いしかありません。

 ではどうして「土地調査事業によって不法に奪い取られた土地は全国農地の40%にもなった」などというウソを平気で書くのでしょう。
それについて杉本氏は「著書植民地朝鮮の研究」の中で
北朝鮮の経済史の第一人者である全錫淡他著である「朝鮮近代社会経済史」よりの引用として
「駅屯土として国有地に編入された耕地面積は13万4000余町歩で、全耕地面積の5%に当たり、この駅屯土の小作人は33万2000余人に達した。この他にも田畑及びその他各種の土地90万余万町歩を、いわゆる国有未墾地の名目で大量略奪した」と引用していています。?p56
13万4000町歩が5%ということは、逆算して全耕地面積を268万町歩とし、それをもとに未墾地90万町歩に13万4000町歩を足して103万4000町歩が38・6%となり韓国の教科書の40%を収奪したとしているわけです。
でも、同じ全氏の著書のすぐ後に
「土地調査事業の結果、課税地総面積は424万9000余万町歩となり、従来の課税地総面積の286万7000余万町歩より46%増加した」という記述がしっかりとあるそうです。
こら〜なんじゃ、と思ういかにも朝鮮人らしい本の内容です。
 つまり、138万2000町歩も耕地面積が増えたわけです。未墾地を計算にいれたとしても24・3%としかなりませんが、先に書きましたように未墾地はあくまで未墾地であり、耕地面積には含まれませんので、朝鮮総督府の接収した耕作地は3%強にしかなりません。
 さすが、ありもしない被害をつくり出し、騒ぐことにより相手に集るということが上手な朝鮮民族というか、やっぱ白髪三千丈の国です。

 ただ、先に書きましたように、この土地調査による総督府の接収、公正な裁判によるものとはいえ不満を残したことは事実の様ですが、朝鮮総督府の管理地となった農地の小作人の耕作権については、杉本氏は著書で小作権を認めてもよかったのではと書いていますが、中川氏は自作農と思っていたのが土地調査により、小作農に転落するケースがかなり多かった。しかし、小作権は保証されていたので、農地を追われた朝鮮人農民はいませんと書いています。
 ましてや、朝鮮総督府は国有地としたのは旧大韓帝国所有の国有地のみを引き継いだだけであり、その国有地は1920年より「東洋拓殖株式会社」(東拓)には売却せずに、12万町歩の田畑を朝鮮人の(従来からそこで耕作している)縁故小作人に安く直接売却した。つまり、朝鮮人自作農の育成に取り組んだのです。
 東拓の持っていた土地も7万3千町〜8万町歩で、総督府の国有地と東拓の耕作地を合わせても20万町弱であり、耕作地の4%強であるのに、日本統治下で開墾された新しい水田は22万町にもなり、これより多かった。

 ちなみに、1922年末の日本人農業者所有土地面積は、一般地主17万5000町歩で東拓の持っている土地と合わせて25万5000町歩で全耕地面積の6%弱です。?p56ですが、著者は朝鮮総督府「調査資料2ー7朝鮮における内地人」より引用

以下引用および参考文献
?歴史を捏造する韓国 中川八洋著 徳間書店
?植民地朝鮮の研究  杉本幹夫著 展転社
?日本植民地経済史研究 山本有造著 名古屋大学出版会
?韓国は日本人がつくった 黄文雄 徳間書店


 CSJのHさんという初めてのお客さま三名様来店。お帰りになる時に、だまって酒のメニューを抜いていった(盗んでいった)人たちでした。普通は一言あるでしょう。ハナちゃんが彼女と来店。祝!!!!!新潟からMさん来店。金チャン、マロさん来店。ホロン部員Yさん来店。Yさん来店。
 今日もドンチャン。 


共同の歴史認識というウソについて
5月5日木曜日晴れ ○

 多くの方々が御指摘されている通り、支那、南北朝鮮の教科書はウソばかりです。朝鮮人は息をするようにウソをつくとよくいわれますが、全くそのとおりです。
朝鮮人が教科書にまで書いている我が国の土地の収奪、米の収奪というウソについてそれなりにまとめました。まだまだ、手を加えなければいけませんが、URAホームページに一応アップさせていただきます。
お時間がございます方は、御覧いただければと思います。

 午後よりスポーツセンターにいく。今日も時間があるので、一応一通りのメニューを消化。 

5月4日水曜日
 5時頃まで部屋でゴロゴロして本を読んでいたのだが、十時前に目がさめる。うちの部屋は中古パソコンは、酒を零してダメになった前のパソコンの保険のおかげで、少し前にやっと購入したが、インターネットに接続していないし、テレビもない環境。
外に飲みに行くことはあってもひとりで部屋にいるときまず酒は飲まないので、今日みたいに休みで一日中部屋にいるときは緑茶ばかり飲んでいる。

5月3日火曜日 晴れ
 店の留守電には電話がいっぱい入っていました。ごめんなさい。午前中に不燃物と資源ゴミを出した後は、部屋に帰って風呂に本を持ち込み長い風呂。
その後は、ひたすらゴロゴロして過ごす。

5月2日月曜日 晴れ
 
山田盟子というキチガイについてまとめましたので、ぜひ御覧ください。

 ゴミを出してから、スポーツセンターにいく。ただ、前回から一日しか間が空いていないので、まだ肩などに張りがあるが一応メニューを消化。
 夕方より長谷川のこーちゃんとケイザブロウさんとで森下にある山利喜さんで飲む。山利喜さんも十年ほどまえにこーちゃんにつれて来てもらって以来。最初はビールから始まり、ワインをドンドン。途中からTさん合流。
 ケイザブロウさんともう一件ということで、久しぶりに高田馬場にあるカヴェルナさんに伺う。オーナーの森さんに久しぶりにお会いする。ここのお店は、やはりポートとマディラの品揃えはすばらしい。
でっ、またまたケイザブロウさんと酔っぱらって、中野の「春」さんにおじゃまする。今日も「春」さんは大忙し。入れないので、外で二人でしばらく飲む。今日もドンチャン。

5月1日日曜日 晴れ ○
 今日は何もせずに一日が終わる。このゴールデンウイークはこんな調子で終わる予定。


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