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杯飲み屋の親父の酒と酒の日々
<酒たまねぎや 飲んべえ日記 平成26年8月分

 

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


Facebook(木下隆義)、Twitter(@saketamanegiya)を始めました。でも、いまいち使い方がよくわかりませんのでちびちびやって行きます。よろしければ、友人リクエストをお願いいたします。

Mixiでの当店のコミュニティは「神楽坂のお洒落でない一杯飲み屋」

管理人はめぐろのしみずさんです。

Mixiでの私自身のハンドルネームは一合です。

一合とっくりのつもりですが、酒はそれでは終わりませんのでいろいろと問題が・・・・・最近は時事的な事は書き易いので、ついついMixiの日記の方に書いております。よろしければ、ご覧下さい。もっと、よろしければ、当店のコミュニテイに参加してください。もっと、もっと、よろしければ、マイミクに。


8月31日日曜日晴れ△

 カミさんは合気道の稽古に出かけ、私は店に行き片付け。

 カミさんはそのまま合気道の先輩の皆様と昼酒に直行。私は店の片付け続行。

 店の近所の銭湯に行く時は回数券を使っているが、先日、購入したばかりの回数券を落してしまいちょっとへこみました。

 でっ、今日、店を片付け銭湯へ行くと

 「たまねぎやさん、この前いらした時に回数券落したでしょう」と旦那さんから言われる。

 「ハイ、買ったばかりの回数券を」

 「はい、これ、お客さんが脱衣場で落ちてましたと届けてくれました」

 「ありがとうございます。助かりました」

 

 ホンマ、ありがたいことです。

 

 夜はカミさんと合流して、近所のお店で飯。

 店に寄り生ゴミを出して帰宅。

 

 記憶あり。

 サルよりマシ。


8月30日土曜日晴れ△

 どこの国でもアホウはいます。

 今日築地にて。

 

 早稲田で「酒たまねぎや」を開いたのが昭和六十一年六月。

 昭和六十二年の学生時代から来てくださっている理科大ラグビー部OBの皆さんが「ゼロ次会」ということで、営業前の早い時間からいらしてくださりドンチャン。

 

 ありがたいことです。

 Tさん四名様で来店。

 二名様来店。

 マロさん来店。

 二名様来店。

 

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。


8月29日金曜日くもり△

 バンブーさん来店。

 二名様来店。

 Yさん来店。

 Kさん来店。

 塩月さん二名様で来店。

 弘前よりKさん来店。

 Kさんよりいただいた「万齢 大古酒」

 

 昭和三十八年二月の鑑評会出品酒だそう。

 

 成田空港より直行でSさん来店。

 

 ドンチャン。

 一応記憶あり。

 サルよりマシ。


8月28日木曜日曇り一時雨△

 河野太郎は好きではないが情報として、外国人の生活保護。

 やはり、我が国の寄生虫・朝鮮人が突出。

 以下引用

<ごまめの歯ぎしり メールマガジン版......

       衆議院議員 河野太郎の国会日記

===========================================================

外国人に対する社会保障の続きで、国籍別の生活保護受給世帯数。

最新の数字は2011年のもの。

左から国籍、生活保護受給世帯、その国籍の在留外国人数、右端の

数字は生活保護受給世帯数/在留外国人数(世帯数を人数で割って

いる数字であることに注意)

韓国・朝鮮 28,796世帯 542,182人 5.3%

フィリピン  4,902世帯 203,294人 2.4%

中国     4,443世帯 668,644人 0.7%

ブラジル   1,532世帯 209,265人 0.7%

その他    3,806世帯 423,964人 0.9%

被保護世帯数全体に占める外国人世帯の割合は、3%。(これは

世帯数を世帯数で割っている数字)

韓国・朝鮮国籍には特別永住者を含む。また、フィリピン国籍に

は日本人と結婚後、離婚し、日本国籍を持つ子供を養育している

ケースがしばしばある。

生活保護を受給するなど公の負担になる可能性がある場合は、上

陸拒否事由になるので、嘘をついて上陸し、生活保護の申請をし

た場合は遡って入国を拒否されることになるので、退去強制の対

象になる。

中長期在留者の場合、在留資格の更新時に公の負担になる場合は

更新を拒否される。

永住者の場合、在留資格の更新がないので、生活保護の受給が続

く可能性がある。

定住者の場合は、在留資格の更新はあるが公の負担を理由に更新

を拒否した事由がない。

国際条約で、社会保障は国籍に関係なく対象とすることが定めら

れており、また、永住者や日本国籍を持つ子供の養育者などを生

活保護の対象から外すことは難しい。

しかし、公の負担になることが上陸拒否事由であるので、中長期

在留者の場合でも上陸後一定期間および在留資格の更新後一定

期間は生活保護の申請が出されても対象としない等のことが考え

られるのではないか。

また、定住者の場合も公の負担になる場合の在留資格の更新につ

いては議論の余地があるのではないか。

また、在留資格のなかでも生活保護を認めないものがあってもよ

いのではないか。

======================================================

当レポートに掲載された記事は、全文を掲載する場合に限り転載・

再配布できます。>

 だそうです。

 支那人、朝鮮人が我が国よりいなくなれば、どれほど我が国が住みやすい国になるか。

 

 大阪よりTさん来店。

 二名様来店。

 三名様来店。

 二名様来店。

 三名様来店。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。


8月27日水曜日曇り一時雨△

 インドネシアで独立戦争最後の侍が逝ったというニュースがありました。

 <農業、家族養うのがやっと  バトゥで生きる「父は偉大」と息子 小野盛さんの半生 (2014年08月27日じゃかるた新聞)

 元残留日本兵で25日に亡くなった小野盛さんは、戦後の半生を東ジャワ州バトゥ市で暮らした。インドネシア人として生き抜くことは苦難に満ちていたが、家族をもうけて地元に根付いた。次男のエル・スヨノさん(47)に小野さんの半生を聞いた。

   1945年8月、小野さんは日本のポツダム宣言受諾をインドネシアの地で知った。同年の12月に第27旅団司令部参謀部を離脱し、インドネシア独立戦争に加わることになる。ジョクジャカルタでインドネシア新兵の教育や演習指導にあたった後、各地の戦闘に参加し、47年12月にはインドネシア軍中尉に任命された。  48年9月には戦闘中に手榴弾を受けて左手を負傷。最初は村の診療所で指だけ切ったが、治療の不備で左腕を切り落とした。オランダが攻勢を強めており、十分な治療を受けられなかったという。  家族にも独立戦争当時の状況を多くは語ることがなかった小野さん。だが、当時の状況をエルさんに「インドネシアに独立を約束した日本が先に負けておいて、おめおめと日本に帰ることなどできなかった。戦闘で左手を失ったが、独立戦争に対する気概は変わることはなかった」と語ったことがあるという。毎年独立記念日の前後にテレビで当時の映像が流れると、懐かしそうに当時のことを話すことがあった。

 50年6月にバトゥ市出身のダルカシさんと結婚。同市で農業を始める。妻の両親から譲り受けた家の近くの畑で、朝6時から12時頃まで働き、昼食後は日没まで働いた。リンゴ栽培をはじめ、さまざまな野菜を耕作していたが収入は少なく、家族を養うのがやっとだったという。1年で休む日は数えるほど。家族の暮らし向きは厳しいままだった。  「残留日本兵の真実」(林英一著)で小野さんは「戦争の時は自分のことだけ考え、死ぬ覚悟で戦闘に身をていしていればよかった。だが、農業をはじめて家族を養うようになってからは本当に苦しかった。戦争どころの苦労ではなかった」と話している。

 独立戦争を闘った兵士という肩書きも、戦後数年たてば効力も薄らぐ。「ジャワの田舎町であるバトゥで農業で生計をたてて暮らすということは想像以上に難しいことだった。文化風習が違う地元の人々に受け入れられるようにすることに苦心する日々であった」とも語っている。 ■ジャカルタへ単身赴任  62年6月、正式に念願のインドネシア国籍証明書が発行され、17年間の無国籍者から解放されている。  66年には、収入を増やすためジャカルタで日本商社のジャパンインターナショナルに勤め始める。単身赴任で働いていた小野さん。忙しいと1年に1回、多くても3カ月に1度帰郷して家族と会うのがやっとだったという。

 エルさんは、「一年のうちでも父と会えるのは数日だけで、あまり父と遊んだ記憶はない。だが、真面目で家族を養おうと懸命に生きる父の背中を見て育った。偉大な父親だった」と話す。

 73年にジャパンインターナショナル倒産に伴い、日本商社のフジ・インターナショナルに入社して養鶏業に転身した。74年には養鶏の講習で32年ぶりに故郷の北海道に帰省している。

 84年に同社が生産品輸出をするために設けた出張所の所長になるなど、ビジネス界でも活躍し、90年に同社を退社した。

■晩年も日本忘れず

 退社後は、バトゥに帰り恩給生活を送った。毎州金曜日、近所のモスクでの礼拝は欠かすことがなかったという。葬儀には近隣の住民が訪れ、男女に分かれてコーランを読み小野さんを弔った。バトゥではインドネシア人として、ムスリムとして受け入れられていた。  恩給生活に入っても、畑仕事は小野さんの日課だった。家族が食べる分の野菜は小野さんが作っていたそうだ。家では海外向けのNHKを見て日本を忘れることはなかったという。  小野さんは「我がいのち 困難の道を 延ぶれども 老えし心は 故郷を偲ぶ」という歌を詠んだ。バトゥの地で、雄大な自然に囲まれながら老後を過ごした。国籍はインドネシア人でも、日本人としての心を持ち続けていたのだろう。 (バトゥ市で藤本迅)>

 

インドネシア ジャワ島の残留日本兵 ラフマット・小野盛さん 2014.01.24

https://www.youtube.com/watch?v=aiMuFZoYwGg

 

 以下、過去に私のホームページの日記に書いた事です。

 

 インドネシア独立に際し、多くの日本兵、軍属などが残り、インドネシアの人びとと戦ったのは事実であり、インドネシア国籍を習得された元日本兵の皆さんのこの功績に対して、インドネシア政府は、月々二〇万ルピー(約一万円)の恩給、独立戦争の英雄として、ゲリラ勲章(ピンタン・ゲリリシャ)受章者には病気の場合には、陸軍病院に無料で入院でき亡くなれば国軍葬にて、各地にある英雄墓地に葬られる。

 四十五年組といわれる独立戦争に参加した者だけがかぶることのできるブルーに金色のかざりのついた側面に「45」という数字がある帽子である。

 昭和五十七年(一九八二年)と八年に当時の厚生省が費用を負担して、インドネシア残留日本兵の里帰りが企画されたとき、応募したのは、最初は六人、二回目はわずか四人だった。これについて、自身も残留元日本兵である故乙戸昇氏は上坂冬子氏の著書で下記のように述べている。

<生き残った者としては、やっぱり名もなく死んでいった人にこだわっているのだと思います。平成三年(一九九一年)には日本政府から一時軍人恩給を受け取りました。我々としては金額など問題外で、日本の軍人恩給が支給されたことによって、脱走兵ではなく戦時中に日本が働きかけたインドネシア独立のための職務を果たしたのが認められたと判断して、大喜びでこれを受け取ったのです>

 「南の祖国に生きて」(上坂冬子 文藝春秋 一九九七年)p二九

 乙戸氏が語った、名もなく死んでいった人たちについて、手元にある「インドネシア独立戦争に参加した『帰らなかった日本兵』、一千名の声 福祉友の会・200号『月報』抜粋集」(YWP福祉友の会 二〇〇五年刊)に掲載されている名簿にも、苗字しか判らなかったり、「日本名不詳 現地名ウマル」などと日本名が不詳とされる元日本兵も多く含まれている。インドネシア名を名乗りながら戦っていて戦死された方も多いためである。

 その名簿によると、独立戦争参加者は九百三名。  その内訳は、 戦没者二百四十六名(二十七%)、不明二百八十八名(三十二%)、生存三百二十四名(三十六%)、帰国四十五名(五%)。 (P三百八十二)

  乙戸氏は、一九七九年(昭和五十四年)七月十四日にこの抜粋集を出した「福祉友の会」を発足させ、残留日本兵の相互互助の一環として、体の不自由な者、貧困者のための生活補助金の支給、その子弟への学費援助、残留元日本兵の里帰り、日系二世に対する日本語教育講座の開催、二世への奨学金支給、毎月発行してきた福祉友の会月報などの事業を行ってきた。それらの運営資金はすべて寄付であるため、資金確保のため、乙戸氏は何度も自費で来日し。日本国内も奔走した。

 「帰らなかった日本兵」には、一九九〇年九月に青山会館で開かれたインドネシア独立四十五周年記念祝賀会と日系二世訪日団一行の歓迎会において、率いてきた乙戸氏の事が書かれています。

 <その祝賀会場で「ムルデカ、ムルデカ、ムルデカ」の声が上がった。乙戸は独立戦争後、日本人を前にして初めて晴れがましい気分で「ムルデカ」の三唱を聞いた>p二六〇

<「我々の不安定な身分は、軍人恩給が出た時に初めて、逃亡兵としてでなく、やむなく離隊したのだと認めれると思います。免罪符をいただくような気がするのです。その時こそ、逃亡兵・非国民の汚名が晴れると思うのです。それまで私は死ねません。」>p二六一

   インドネシア残留元日本兵二十一名に対して平成三年に支給された一時軍人恩給は下記の通りである。  元陸軍兵長・本坊高利、元陸軍上等兵・富永定仁、元陸軍一等兵・堀井豊、元陸軍兵長・大塚秀雄の三万五千三百五十円が最も低く、 元陸軍準尉・故小沢久の八万七千六百円が最も高かった。

 受給は一回限りであり、一人当たりの平均は、わずか四万八千二百八十円である。

 ただ、そのわずかな金額の一時軍人恩給に対し、インドネシア残留元日本兵の皆様が、これで逃亡兵・非国民の汚名は晴れたと喜んだのである。

 合掌

 Oさん二名様で来店。

 Tさん二名様で来店。

 かな江ちゃん社長二名様で来店。

 マルガリータさん、Sさん来店。

 今日のカミさんの朝ビール。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。


日本語になってない。

8月26日火曜日くもりのち一時雨△

 福島みずほのブログです。

<「福島みずほのどきどき日記」

皆さんこんにちは。お元気ですか?

この猛暑の中、私たちは原発なくても大丈夫です。原発が動いてなくても脳症に私たちは炊いています。原発がなくても天気は何やっています。このことをまず確認をしたいと思います。>

http://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-2631.html

魚拓

http://megalodon.jp/2014-0827-1438-32/mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-2631.html

<原発が動いてなくても脳症に私たちは炊いています。原発がなくても天気は何やっています。>

 

 福島みずほが書いたこの文章の意味を理解できる日本人はいるのであろうか。

 

 まあ、アキカンと同じで頭の中は日本人でないから当たり前か。

 

 あほらし

 Oさん御両親と来店。

 府中よりKさん来店。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。


8月25日月曜日くもり×××

 何度も書いてますが、私が今だったら絶対に入国出来ない片道切符(それも今だった絶対に乗らない大韓航空)でロスに渡ったのが昭和五十四年、一九七九年です。パサディナでお世話になり、メキシコへ行き、その後、銭が無くなってバンクーバーへ行って、当時二件しかなかった日本レストランに片っ端から働かせてくださいとお願いし、結局「AKI2(アキ二号店)」で半年間お世話になりました。

 その時から中華街は一番治安が悪いところで、不動産の価格も安かったです。

 当然、時間もたち、それから随分変わったようですが、支那人の多い北池袋、朝鮮人の多い新大久保を見ればわかるように、急激に移民を受け入れたら我が国のあらゆるところがこのようになります。

以下、「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成26年(2014)8月22日(金曜日)通巻第4320号より転載させていただきます。

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バンクーバーのチャイナタウンの様変わり

  旧街区と新チャイナタウンとの鮮明な差は何を意味するか?

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 カナダの西の玄関口、バンクーバーに異変が起きたのは1980年代からだ。

 香港からどっと移民がやってきてバンクーバーは「ホンクーバー」と渾名されるようになった。

1997年の香港返還前に、ともかく逃げだそうとした人々はまず英国を目指したが、旧宗主国は23万人だけで移民受付を閉め切った。

となれば次の仕向地はおなじ大英連邦のカナダか、豪州だった。

 したがってバンクーバーのチャイナタウンでは香港人が「先住民族」になる。

ここへ過去十年間で夥しい中国大陸からの移民が増え、両者の間に摩擦が起こり、混沌とした状況となった。富裕層だけならまだしもインチキ書類による、就労目的の貧困層が流れ込む。

 中国人の移民ラッシュに恐怖感を抱いたのはバンクーバーに元から住んでいた人たちで、政府に移民の規制を訴えた。すでに18万5000もの中国人が永住権を得たが、産業的発展はなく、カナダ移民当局が悲鳴をあげる。

彼らはカナダ全体の経済発展よりも自分の生活さえ良くなればそれが人生目標だから投資より投機、とりわけ不動産投機にしのぎを削った。

このためバンクーバーの不動産価格は世界一のレベルとなった。市内のマンション価格は東京の二倍以上、郊外でも庶民は手が出なくなった。

 ついに当局は中国移民にストップをかけた。このままだと2030年頃にバンクーバーは80万人の中国人で埋まり、トロントは110万人になるという衝撃的予測がでるにおよんでカナダ政府は政策を修正する。

 2014年三月、中国からの移民申請があった四万六千人分の手続きが中断された。

 しかし当局の措置は「もう遅い」って。バンクーバーの中華街は不法滞在を含めて既に40万人である。

 ▼ニュー・チャイナタウンは富裕層の街に

 空港近くの新街区リッチモンドがニュー・チャイナタウンだ。ヤオハンの周囲を囲む。高層マンションが少なく、一軒家が多い。ヤオハンは中国系に乗っ取られ、テナントの殆どが中国人で食堂もネイルもサウナも完備。

 ここで中国語新聞を手に入れた。フルカラー百ページ近い、しかも日刊。

香港の『明報』と『星島日報』だ。したがって旧漢字(繁体字)で書かれ、トップニュースはすべてが香港情報、ついで広東省情報、つぎが中国全体の動き、それも香港企業や株式市場の動向が多く、いかにバークーバーの中国人が香港のビジネスと直結しているかを物語る。

 その次のページがようやく世界情勢という紙面構成だ。

こうした華字紙の特色から見ても香港と広東からの移民が圧倒的、華北出身者は極小で台湾人も殆ど目立たない。ちなみに広告欄はレストラン情報より「移民合法化」「帰化申請の早期達成」「国際結婚の法務相談」など弁護士事務所の広告が圧倒的である。

 スーパーに買い物に来ている中国人は何となく明るく、服装も垢抜けている。乗り付ける車もベンツ、BMW、トヨタ。。。。

 旧市内にあるオールド・チャイナタウンのほうは三ブロック四方ほどの広さ、入り口に大きな中華門があり一目で華人街と判別できた。

漢方、中国食材の店がならび、安宿、クリーニング、そして中国語学校があり、裏道へ入ると麻薬取引の現場のように暗い。聞けば治安が悪く、いまではクーリーの末裔、広東省出身の老人しか住んでいない。

そして中華街の周囲はホームレス、貧困層、麻薬密売人らがごろ寝する物騒な町に変わっていた。

 

 (この文章は『共同ウィークリー』(8月11日号)の再録です)

      □□◎  □◇▽ ◎ □▽○ 

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 今日のカミさんの朝ビール。

 店でカミさんと残り物で飯。

 店を片付け、「さるなし」の焼酎漬けを軽く濾過して瓶に移し替える。 

 映画より帰って来たカミさんと合流し、夕飯を食べに出る。

 軽く飲もうと言っていたのに、三軒もハシゴしてしまい、記憶なし。

 夫婦揃ってサル以下。


8月24日日曜日晴れ△

 離島奪回想定、弾薬44トン 陸自が最大規模の実弾演習

朝日新聞デジタル2014年8月24日19時41分  

 陸上自衛隊が実弾を使って行う国内最大規模の訓練「富士総合火力演習」が24日、東富士演習場(静岡県御殿場市など)であった。陸自富士教導団の隊員ら約2300人、戦車や装甲車約80両、火砲約60門、航空機約20機などが参加。3億5千万円分の弾薬計約44トンを、富士山のふもとに広がる演習場内に撃ち込んだ。

 演習は、昨年に続いて、侵攻された離島を奪回する想定で行われた。各国の武官が招待され、海外メディアも取材した。

 会場には、自衛隊関係者や一般の見学者ら約2万9千人が訪れた。一般入場券の抽選には13万通を超す応募があり、倍率は約24倍だったという。>

 <陸上自衛隊が、実弾を使用する国内最大規模の演習を公開し、敵に占拠された島を奪い返すことを想定した訓練で離島防衛の強化をアピールしました。  陸上自衛隊の富士総合火力演習は昨年に続き、尖閣諸島などの離島が攻撃を受けたとの想定で行われ、陸上から軍艦を狙う地対艦ミサイルなどが登場。今年は、陸海空の自衛隊の統合的な運用により、敵に占拠された島に上陸して奪い返すシナリオがより明確に打ち出されました。  安倍政権が中国などに対する抑止力として重要性を強調している離島防衛の強化を一般公開の演習で強くアピールしたかたちです。  今回の演習は、実弾を使った国内最大規模のもので、およそ6000人の見物客の前で実弾およそ44トン、3億5000万円相当が使用されました。(TBS24日16:47)>

 マスゴミは三億五千万円分の実弾といかにも無駄使いのように書いていますが、軍隊は装備を揃えるだけではまさに張り子の虎です。

 厳しい訓練とメンテナンスがあってこそ、その武器を使いこなせます。

 ですから、一部のアホウが言ってるように徴兵制だけでは軍は維持出来ません。

 

 しっかし、見学者二万九千人と六千人ってなんだこの差は?

 

 カミさんは合気道の稽古。私は店に行き片づけ。

 

 カミさんは帰宅して昼ビールらしい。

 カミさんと合流し近所で夕食。

 店に寄り生ゴミを出してから帰宅。

 記憶あり。

 サルでもエビでもない。


 

8月23日土曜日晴れのち雨のち晴れ△

 朝早く起きてカミさんと「そうかえん」へ。

 

 

 カミさんが「国旗と国歌はどうなってるの」とぼそり。

 その後も「日本の男も一度は軍隊に行くべきだ」

 「私は平気。悪天候でも自衛隊の人たちは帰るわけにはいかない。訓練だから。敵は天候は関係ない」などなどぼそりぼそりと。

 最後は「来年も来よう」だそうです。

 帰りのバスに乗る前に普通の人間だと着ている雨具を脱ぐのが普通だと思う。実際にほとんどのかたがそうしていたが、着たまま乗り込んでいるアホが一匹。

 

 予約していた御殿場十三時発小田急「あさぎり四号」が運休で臨時列車に乗り松田まで。

 結局、来たときと同じ急行で新宿へ。

 三名様来店。

 かな江ちゃん社長来店。

 Tさん来店。

 今日、帰りのロマンスカーで飲むつもりでカミさんが買ってきた御殿場高原ビールを店で飲む。

 ドンチャン。

 

 一応夫婦とも記憶あり。

 サルよりマシ。


 

アホ

8月22日金曜日晴れ○

 アホなニュースです。

<日韓間に海底ケーブル計画=釜山と対馬、福岡結ぶ―韓国電力

時事通信 2014年8月22日(金)11時35分配信

 【ソウル時事】韓国紙・中央日報は22日、韓国電力公社が、日本に電力を輸出するため、南東部の釜山から対馬(長崎県)を経由し、福岡県に至る海底ケーブルの設置計画を進めていると報じた。ソフトバンクの孫正義社長も参加意思を示しているという。  釜山と対馬間の距離は約50キロ、対馬と福岡間は140〜150キロで、技術的な問題はないとしている。

 韓国電力広報担当者は時事通信に、「短期的な計画ではなく、アイデアとして検討中の案件」と述べた。>

<釜山−九州200キロ海底電力網を推進 「孫正義会長も参加の意向」

韓国電力(韓電)が釜山−対馬−九州をつなぐ韓日海底電力網の構築を推進している。

釜山−対馬(約50キロ)と対馬−九州(約140−150キロ)に計200キロの長さの海底ケーブルを敷設し、韓国と日本の電力網を連結するプロジェクトだ。韓国は中長期的に電力需給が安定し、電力が残る半面、日本は原発の稼働中断で電力が不足する状況であるため、韓日双方にウィン・ウィンとなるという判断からだ。

韓電の関係者は「韓日海底電力網の構築には韓国系の日本人企業家である孫正義ソフトバンク会長も参加の意向を表している」とし「最近、韓電の経営陣と孫会長が会い、この問題について話し合った」と述べた。また「韓電はすでに珍島−済州の海底に105キロの複数電力網を1997年と先月それぞれ敷設した経験があり、技術的にはいかなる問題もない」と説明した。

孫会長が韓日海底電力網に関心を見せている理由は、2011年3月の福島原発事故後に自ら提示した「アジアスーパーグリッド(Asia Super Grid)」事業のためだ。これは韓国・日本・中国・ロシア・モンゴルの電力網を連結しようという長期構想だ。豊富な化石燃料と太陽光・風力資源を持つ中国・ロシア・モンゴルが電力を安く安全に生産し、韓国・日本がこれを輸入して使用しようというものだ。

韓電の関係者は「韓日海底電力網は孫会長が構想するアジアスーパーグリッドの最初のボタンを掛けるという意味がある」とし「北東アジア情勢の変化しだいでは、北朝鮮の参加も引き出せる」と述べた。続いて「最近、韓日関係はふさがっているが、韓日海底電力網構築事業が関係改善の突破口になる可能性もある」とし「日本側の反応も悪くない」と伝えた。

韓日海底電力網が構築されれば、韓電の予備電力を日本に輸出できる道も開かれる。

中央日報 2014年08月22日07時52分 >

 でっ、我が国に電力を「売ってくださる」というそんな立派な南朝鮮の電力事情と原発とはどういったものかといえば、下記のような状況です。

<韓国、電力危機に直面 猛暑のなか発電所相次ぎ停止

【AFP=時事2013年8月12日(月)15時31分配信

【AFP=時事】韓国で12日、火力発電所2か所がトラブルのため稼働停止し、政府は官公庁の庁舎でのエアコンの使用禁止を命じた。韓国では前日、尹相直(Yoon Sang-Jick)産業通商資源相が、深刻な電力危機に直面しているとして節電を呼び掛けたばかり。

   韓国の電力系統を運用する韓国電力取引所(KPX)によると、発電容量50万キロワットの唐津火力発電所で12日、3号機に技術的問題が発生し発電を停止した。稼働停止は1週間ほど続く見通しという。  一方、近くの舒川火力発電所も同日早朝、やはり技術的な問題で稼働停止。1時間ほどで再稼働したが、現在は発電容量20万キロワットの半分ほどで運転している。 ■原発も停止中、輪番停電の可能性も  韓国は今夏、猛暑に見舞われており、気象予報によれば熱波は少なくともあと1週間は続く見込み。原子力発電所も点検や照明書類偽造のため、23基中6基が長期にわたって稼働停止しており、今回の火力発電所2か所の停止は最悪のタイミングで起きたといえる。  尹・産業通商資源相は11日、「韓国は最悪の電力危機に直面している。もし発電所が1か所でも稼働停止すれば、輪番停電を実施しなければならないかもしれない」と述べ、工場や一般家庭、商店などに向こう3日間の節電を要請していた。  韓国では予備電力が200万キロワットを切ると自動的に警報が出され、政府庁舎で必要不可欠でない電力の使用が禁止される。だが産業通商資源部は12日、「極めて緊急性を要する」事態と判断し、予備電力が規定を下回る前に強制節電を実施した。  庁舎ではエアコンや照明、冷水器の電源を切り、できるかぎりエレベーターの使用を避けて階段を使うよう職員に指示が下った。また、ショッピングセンターなどでも室内の気温が26度以下にならないよう監視を強め、違反した場合は罰金を科すという。  韓国は2011年、残暑厳しい9月に数十年ぶり最悪の電力受給逼迫(ひっぱく)に見舞われ、全国的な計画停電を実施している。【翻訳編集】 AFPBB News>

<「電力難が本格化」公共機関冷房機稼働を全面禁止=韓国

中央日報日本語版2013年8月12日(月)14時10分配信

韓国政府は12日から14日までの3日間、公共機関の冷房機と空調機の稼働を全面禁止した。 産業通商資源部はこの日、「勤務時間の公共機関の冷房機および空調機の稼働を全面禁止することにした」とし「ただ、高齢者や妊婦などのために猛暑避難所を用意するなど安全措置を取るよう伝えた」と明らかにした。 産業部の関係者は「現在、全国公共機関に公文書を伝え、有線で連絡している」と伝えた。また、エレベーターの使用を最小限に抑え、階段を利用するよう呼びかけた。 一方、最悪の電力難が懸念される中、12日、全国主要産業団地や企業が生産量を縮小するなど節電に力を注いでいる。>

<残暑厳しい韓国で大規模な停電、162万世帯に影響

   2011年09月16日 09:29 発信地:ソウル/韓国

【9月16日 AFP】秋としては異常な暑さに見舞われた韓国各地で15日、一時的に大規模な停電が発生し、韓国電力取引所によると、162万世帯が影響を被った。  各地の消防署にはエレベーターに閉じ込められたとの通報が相次いだ。また、国内3万4000基の信号のうち約2900基が作動しなくなり、各地で渋滞が発生。警察が交通整理にあたった。数百の工場も直撃されたが、緊急用の電源を備えた一部の大企業には影響がなかった。  この日の最高気温は釜山の33度だった。一部発電所の定期保守作業とも重なった。  韓国では停電は極めてまれだ。政府は厳しい冬を迎えて電力がひっ迫した1月、国民に節電を呼び掛けている。(c)AFP>

<韓国、原発不祥事続出で大停電危機! 苦しい経済が一層厳しく

2013.07.16ZAKZAK

原発をめぐる不祥事に揺れる韓国。朴槿恵(パク・クネ)大統領はどう克服するか

 世界第5位の原発大国・韓国が揺れている。偽造部品の使用など不祥事が相次ぎ、原子力発電所23基のうち9基が停止。電力供給は過去最悪水準で、2011年9月のブラックアウト(大停電)再来も懸念されている。  「ブラックアウトが起きても不思議ではない。2年前より状況は厳しい」。日本の電力関係者は韓国の電力事情について指摘する。事実、5月末に韓国産業通商資源部の幹部が会見で「ブラックアウトがないとは100%言えない状態だ」と話したほどだ。  2011年9月15日。韓国では突如、電力不足に陥り、首都ソウルを含む国内全地域で事前通告なしの輪番停電(計画停電)が始まった。日本の電気事業連合会によると「各地域で約30分程度の停電が5時間続き、約160万世帯に影響を与えた」という。  韓国国内で「9・15事態」と呼ばれるこのブラックアウトが今夏再び発生するのでは…との不安が広まっている。原発23基のうち14基が稼働している韓国。電源構成に占める原発の比率は2割強だが、「原発停止の理由が極めて深刻だ」と前出関係者は明かす。  社団法人「海外電力調査会」(東京)によると、11年11月に韓国の霊光原発5、6号機で偽造部品の使用が発覚し、同国原子力安全委員会が長期的な運転停止を指示。さらに定期検査中の同原発3号機で制御棒などにひび割れが発見されるなど、不祥事・故障が頻発した。  また、中国の新華社日本語経済ニュース(電子版)によると、韓国で過去10年間、原発建設のために仕入れられた部品のうち1万900点超の品質合格証書が偽造された疑いがあるという。

6月20日には性能証明書が偽造された不良部品が使われていた事件で、韓国検察が同国すべての原発を運営する韓国水力原子力(韓水原)の本社など9カ所を家宅捜索。韓国の原発停止は「問題」というより「事件」であり、偽造部品の使用が同国の原発の安全性を著しく低下させている。  「不良部品を使っているため短期間に改善するのは難しい。停止した原発がすべて再稼働するには相当時間がかかるのではないか…」(関係者)との声も少なくない。  一方で韓国の電力消費は経済成長にあわせ、右肩上がりで伸びてきた。最大電力は01年の4313万キロワットから11年には7314万キロワットに達し、10年間で1・7倍に拡大した。それとともに供給予備率は07年に10%を割り込み、10年は6・2%、11年は5・5%に低下し、昨年は3%台にまで落ち込んだという。  日本では7月8日に原発の新規制基準が施行され、震災以降、原発の再稼働にむけて第一歩を踏み出す。これに対し、韓国は“不良部品”を約1万点も使用していただけに、徹底的な調査と100%の安全性の確保が必要で、夏の電力需要に合わせて再稼働させることはまず不可能なのだ。  JTB総合研究所によると、今年4月に韓国を訪れた日本人は日韓関係の悪化などの影響で前年同期比32%減の約20万2500人。そのうえ、今夏はブラックアウトも現実味を帯びており、「夏が過ぎるまで韓国旅行は改善しないのでは。だれも事前通告なしに計画停電を実施される国に行きたいとは思わない」(関係者)。  不祥事による原発停止が引き起こした過去最悪水準の電力不足は、ウォン高で苦しむ韓国経済をより一層厳しいものにしている。>

 

部品書類偽造で停止の原発 再稼働を承認=韓国 2014/01/02 20:33

韓国、原発停止とブラックアウトの危機 (2013/6/5

使い捨て部品を再利用する韓国原発 2013/6/19

新月城原発1号機、稼働再開1週間でまた故障=韓国2013/6/18

原子力発電所3機まもなく再稼働冬季電力難減る模様=韓国2013/1/3

 こんなアホな状態なのです。

 

 ところが、こんなアホな国の原発を安全だとヨイショしていた人間のクズがいます。

 ハゲバンクの孫正義氏です。

<孫正義社長、安全な韓国の原発を評価…「脱原発」は日本の話

サーチナ【社会ニュース】 2011/06/21(火) 17-54

訪韓したソフトバンクの孫正義社長は20日、青瓦台(大統領府)を表敬訪問し、李明博(イ・ミョンバク)大統領と会談した。孫社長は席上、「脱原発は日本の話。韓国は地震が多い日本とは明らかに異なる」とし、「安全に運営されている韓国の原発を高く評価している」と話した。複数の韓国メディアが報じた。

  孫社長はグローバルグリーン成長サミットに出席するため訪韓。大統領府によると、孫社長は「(韓国とは異なり)日本が地震地帯が多い太平洋沿岸に原発を立てたことは大きなミス。予想外の危険が発生した時はなすすべがない」と指摘したという。

  さらに、中国やインドのエネルギー需要が急増していることから、日本と韓国が再生可能エネルギー分野で協力し合えば大きな成果を得られると述べ、「韓国は太陽光分野でサムスンとLGが、風力がヒュンダイがあり、韓国の勢いがあれば世界最強になれる」との考えを示した。

  孫社長は、中国のゴビ砂漠で大規模な再生可能エネルギー団地を建設するプロジェクト「(Gobi Tech)」について説明。「このプロジェクトを成功するためには、政治指導者でありグローバルなビジネスリーダーである李大統領の協力が必要」と述べ、推進するよう提案した。

  李大統領は、「韓国は化石燃料の比重を減らしながら原発の安全を強化し、再生可能エネルギーへの比重を高める必要がある」と述べ、エネルギー開発を積極的に進める考えを示した。(編集担当:新川悠)>

 

 事故は無いのに再稼働させられない我が国の原発と違って、書類偽装 部品の使い回しなのに安全だと見切り発車で再稼働というすばらしい原発です。それを我が国の原発と違って安全だという腐れ元朝鮮人ハゲW

 こんな元朝鮮人ハゲが一枚噛んでいたのです。

 この元朝鮮人ハゲは朝鮮人・支那人だけを優遇する料金体制をとっていました。

 でっ、こんな国から電力を輸入すればいいと言っていたアホ政治家もいます。

<海外から電力輸入を=小沢元環境相

 民主党代表選出馬を目指す小沢鋭仁元環境相は22日、時事通信のインタビューに応じ、原発からの段階的撤退を目指す立場を改めて示した上で、代替エネルギーに関し「海外から電力の直接輸入を行う」と語った。ドイツなどは電力を輸入しているため「脱原発」への転換が可能だったとの指摘があることから、日本も原発依存度を減らすため、電力輸入に踏み切るべきだとの考えを示したものだ。

 小沢氏は「(輸入先は)韓国、中国などいろんな国の可能性があっていい。国と国の間に海底ケーブルを1本引けば全て解決する」と語った。同氏は代表選の目玉公約として訴えていく考えだ。(2011/08/22-19:08)時事通信>

 

 この小沢鋭仁というアホも朝鮮人にしっぽを振っている売国奴です。

ウッキペディアより

「もし民主党に政権を取らせていただければ、お金はしっかりと政治が負担して、そして(教育現場に)余計な口は利かない」

外国人参政権の推進
在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟の副会長を務め、在日本大韓民国民団の集会において、政権奪取で在日韓国人に対する参政権の実現を約束した。また、2008年4月16日に開催された民団の外国人参政権推進集会に賛同した。

在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟(副会長)
恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟
民主党娯楽産業健全育成研究会
パチンコチェーンストア協会(政治分野アドバイザー>

 つまり敵国である朝鮮にライフラインをゆだねるなどあってはならない事ですが、日本人であっても心は日本人でない人間のクズ、アホウどもがこんな与太話を言っているのです。

 あほらし

 今日のカミさんの朝ビール。

 バンブーさん来店。

 Aさん三名様で来店。

 二名様来店。

 今日は明日の早起きのため、カミさんとも酒は飲まずにさっさと帰る。


チョウセンハゲネズミ

8月21日木曜日晴れ○

 チョウセンハゲネズミとは、名前にネズミがつく哺乳類ではあるが、ネズミ目(齧歯目)のいわゆるネズミではなく名前のとおり朝鮮を原産とする見た目だけでなく精神も極めて醜い生き物である。

 正確には脊椎動物亜門・哺乳類サル目・ヒトモドキ科ヒトデナシ亜科ニンゲンノクズ族チョウセンニッポンジンモドキ亜族・ゼニゲバネズミオトコ属・マスゾエヨウイチチョウセンハゲネズミという特異な生物であるが、「チョウセンハゲネズミ」あるいは「ハゲネズミ」と呼ばれる事が多い。

 離婚二回、妻三人、愛人二人、実子三人、婚外子三人。婚外子は結婚中に妊娠と繁殖力、性欲が旺盛であり、DVもやり三億の豪邸に住むが、婚外子(重度障害児)の養育費を減らしたいと言って調停申立し、実の姉は生活保護をもらっているが、関係ないと銭にがめついというその特性の為だけでなく、国を平気で売るために東京都民だけでなく我が国国民より非常に嫌われているが、その原産地のせいか在日朝鮮人には優しく、また血税を惜しみなく注ぎ込むため朝鮮での人気は高い。

 

 

 

「私の原点 そして誓い」 佼成出版社 平成二十年一月刊

 P一二五〜 オモニ(おふくろ)の味

<舛添家発祥の地は福岡ですが、わが家は先祖代々 朝鮮半島とはゆかりが深く

 略)

 ある日、全羅道(チョルラド)に行って、全州(チョンジュ)で食事をしたとき、これはどこかで食べたことがあると、なつかしくなったものがあります。それはイカなどの海産物を煮付けたものでしたが、よく考えると、小学生のころ母が作ってくれた夕ご飯のおかずの味でした。 高度経済成長とともに便利な調味料などが出てきて、母も面倒な味付けをしなくなったのか、私が中学生になったころには、その味は、とんと食卓にのぼらなくなりました。ですから、全州での食事は、40年ぶりに再開した家庭の味ということになったのです。まさに一衣帯水の間柄です。おふくろの味を韓国南部の家庭料理のなかに発見するとは思ってもいませんでした。>

 

 チョウセンハゲネズミと水木しげる氏の描くネズミ男とは関係ありません。念のため。

 カミさんの朝ビールの残骸w

 二名様来店。

 二名様来店。

 今日は飲まず。

 サルでもエビでもない。


我が国の寄生虫・支那人、朝鮮人と我が国の敵・くそマスゴミ必死

8月20日水曜日晴れ△

 最高裁で集り外国人どもに対しての生活保護は必要ないという判決に対して、くそマスゴミどもは必死です。

<生活保護法 永住外国人は適用外 中国籍女性が逆転敗訴

2014年7月19日 東京新聞朝刊

 永住資格を持つ中国籍の女性(82)が生活保護法の適用を求めていた訴訟の上告審で、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は十八日、「法の適用対象に永住外国人は含まれない」として、原告勝訴の二審福岡高裁判決を破棄し、女性の請求を棄却した。原告の逆転敗訴が確定した。

略)

 一審大分地裁は「生存権保障の責任はその人が属する国が負うべきだ」と請求を退けたが、二審判決は、行政措置で給付されてきた経緯を踏まえて「法の文言にかかわらず、永住外国人は保護対象と考えられる」と逆の判断をしていた。

略)>

 

<永住外国人は生活保護法の対象外 最高裁、二審を破棄

朝日新聞デジタル2014年7月18日23時26分西山貴章

国内での永住権を持つ外国人が、日本人と同じように生活保護法の対象となるかどうかが争われた訴訟で、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は18日、「外国人は生活保護法の対象ではなく、受給権もない」とする判断を示した。「保護法の対象となる」とした二審・福岡高裁判決を破棄し、原告側の訴えを退けた。4人の裁判官全員一致の意見。

 生活保護法は、保護の対象を「国民」と規定。外国人は対象に含まないが、実際には行政の裁量によって外国人も支給の対象としている。この日の判決で受給権は否定されたが、生活保護の実務には影響はないものとみられる。

略)

 2010年の一審・大分地裁は女性の訴えを退けたが、二審は外国人を同法の保護対象と認めた。これに対し、小法廷は「生活保護法が適用される『国民』に外国人は含まれない」と指摘。「外国人は行政による事実上の保護対象にとどまり、法に基づく受給権は持たない」と結論づけた。

 厚生労働省によると、世帯主が外国人で生活保護を受給している家庭は、12年度で計約4万6千世帯(約7万5千人)。審査では外国人と日本人とを区別していないという。ただ、外国人は法的に保護されないため、申請が却下されても不服申し立てはできない。

略)

(西山貴章)>

<永住外国人は「生活保護法の対象外」 最高裁が初判断

2014.7.18 23:13 産経新聞

 永住資格を持つ中国人女性が、生活保護法に基づく申請を却下した大分市の処分の取り消しなどを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は18日、「永住外国人は生活保護法の適用対象ではない」との初判断を示した。その上で、永住外国人も生活保護法の対象になると認めた2審福岡高裁判決を破棄、女性側の逆転敗訴を言い渡した。

 4裁判官全員一致の結論。永住外国人らには自治体の裁量で生活保護費が支給されているため、直接的な影響はないとみられる。

略)

 同小法廷は、受給対象を拡大する法改正が行われていないことなどから、永住外国人は対象にあたらないと判断。「外国人は行政措置による事実上の保護対象にとどまり、同法に基づく受給権はない」とした。

略)

 現状は支給、自治体を圧迫

 永住外国人は生活保護法に基づく保護の対象ではないと判断した18日の最高裁判決。原告の中国籍の80代女性は法的保護の必要性を主張したが、現状でも各自治体は、永住外国人や難民認定された外国人に対し、人道的な観点から行政措置として、すでに生活保護を支給している。外国人の受給世帯は年々増加しており、日本人世帯への支給増と相まって、地方自治体の財政を圧迫する一因ともなっている。

 厚生労働省の最新の調査(平成24年度)によると、生活保護の全体の受給世帯数は月平均155万1707世帯。そのうち外国人世帯は4万5634世帯と全体の3%近くを占めており、10年前と比較すると全体の伸び率を超え、1・8倍以上に増加した。

 国籍別(23年7月時点)では、韓国・朝鮮人が約2万8700世帯と最も多く、フィリピン(約4900世帯)、中国(約4400世帯)と続いている。略)>

 

 朝日新聞、東京新聞は書いてないが、生活保護を受けているのは朝鮮人が突出して多く、我が国にとっていかに朝鮮人というものが害しか与えない、まさに「害人」であり異常な存在であるかを示している。

 これに対して、我が国の反日くそマスゴミは必死です。

<日本が受け入れた外国人が経済的苦境に陥ったとき、最低限の生活ができるセーフティーネットはどうあるべきか。

最高裁は先月、永住資格を持つ外国人に生活保護を受ける権利があるかどうかが争点になった訴訟で「法律に基づいて生活保護を求める権利はない」という判断を下した。

永住外国人にも生活保護を受ける権利があるとしていた福岡高裁の判断を覆した。

1950年に施行された今の生活保護法は、その対象を「生活に困窮するすべての国民」と定め、日本国籍を持つことを条件にしている。 この規定や、その後も外国人に対象を広げる法改正が行われていないことなどが、最高裁判決の理由だ。

もっとも、事実上、永住外国人は生活保護の対象になっている。

旧厚生省が54年に出した通知で「当分の間、生活に困窮する外国人を生活保護に準じて保護する」ことを認めたためだ。90年に永住外国人や日系人などに対象が限定されたものの、こうした行政の扱いは今も変わっていない。

今の法律を前提にすると、最高裁の判決は理解できるし、今後、永住外国人が保護の対象ではなくなると見るのは考え過ぎだろう。

最高裁は、行政が生活保護を認めなかった時に争う権利を認めなかっただけで、今の行政の扱いを否定したわけではないからだ。

この問題は、81年に難民条約に加入するときにも議論された。

条約が合法的な難民に対しては自国民と同じ扱いをするよう求めていたからだ。このときは、事実上生活保護の対象になっているとして法改正が見送られた。

だからといって、現状のまま何もしなくてもよい、ということにはならない。行政の判断に大きく依存する現状では、不安定さがつきまとう。 

保護の対象も課題だ。今の運用では、働くことが目的で入国する外国人は対象外となる。

しかし、今後、介護や建設、家事労働など、これまでより幅広い分野で外国人を受け入れることになったときも同じでいいのか。

人口減に直面して、外国人の活用が盛んに議論されている中での新たな課題である。

不法滞在者や生活保護目当ての人が排除されるような仕組みを構えるのは当然としても、労働力として外国人を受け入れるならば、 セーフティーネットも同時に考えるべきだ。

今回の判決を契機に、外国人の扱いをきちんと法律で定めることを検討するべきではないか。

朝日新聞社説 2014年8月20日>

<「在日特権」バッシングは根拠なし 永住外国人の生活保護

2014年8月19日東京新聞

在日コリアンら永住外国人の生活保護受給がバッシングにさらされている。

「外国人は保護対象外」と判断した最高裁判決(七月)が根拠のようだが、法律的な形式論を再確認したにすぎず、

外国人の受給に何の問題もない。

社会問題化しているヘイトスピーチ(差別的扇動表現)デモでは、外国人の受給を「在日特権」と攻撃してきた。

事実と反する宣伝を許さないためにも、外国人の受給権を法律に明記する必要があるのではないか。 (白名正和)>

 あほかと。

 我が国に留まった朝鮮人どもは戦後何をやってきたか。

 なぜ朝鮮人が尊敬される事がないのか。

 それは朝鮮人自身の問題であり、朝鮮人自身が解決するしかない事である。

異国で「朝鮮人らしく」胸を張って生きるという事はどういうことか。

 

 そして、南朝鮮の厚顔無恥マスゴミも騒いでいます。

<日本の最高裁「外国人は保護する国民ではない」

2014年07月21日08時01分

[? 中央日報/中央日報日本語版]

  日本に住む外国人は、日本国民に準ずる法的な生活保護を受けることができるだろうか。4年ほど引きずってきた論争に終止符を打つ最終判決が下された。結論は「日本国民ではないために法的保護を受けることはできない」ということだ。

  日本の最高裁は18日、外国人が生活に困窮する場合、法的に生活保護対象になるのか否かを問う裁判で「法律が保護対象とする『国民』に、外国人は含まれていない」と判決した。自治体が裁量により外国人に生活保護資金を支給することはできるが、法的に支給を保障できないということだ。

  最高裁第2小法廷の千葉勝美・裁判長は、永住資格を持つ中国国籍の80代女性が生活保護法に基づく保護申請を拒否されたとして大分市を相手に提起した訴訟の上告審で「保護対象を拡大する法律の改正が行われておらず、外国人は自治体の裁量により事実上の保護を受けている」として原告敗訴の判決を下した。

  2011年に福岡高等裁判所が大分地方裁判所の2010年の1審判決を覆して「永住外国人も生活保護を受けられる地位を法的に保護されている」と中国人女性側の訴えを認めたものを再び覆したのだ。原告側の弁護団は、原告である中国人女性が日本で生まれ育った後、日本でずっと仕事をしてきており中国語もできないとし「国籍以外は日本人と違うところがない」と主張していたが、受け入れられなかった。

  こうした判決について日本国内でも非難と憂慮があふれている。安倍晋三内閣が先月発表した3つ目の成長戦略として低出産高齢化にともなう労働力不足の問題を解消するために外国人労働者を拡大して受け入れると明らかにした中で、外国人のための社会的セーフティネットは認めないという最高裁判決が下されたためだ。NHKは「今後、日本にきて仕事をしようとする外国人がいなくなってしまい、どんな形でも外国人の生活保護のための法律改正が必要だ」と報道した。

  産経新聞は19日付の記事で、今回の判決が直ちに外国人の生活保護に大きな影響を及ぼすことはないが、自治体の財政を圧迫するものだと報道した。現在、相当数の日本の自治体が、永住外国人や難民と認定された外国人に人道的レベルで生活保護費を支給している。だが景気低迷が続き、急速な高齢化で外国人受給者が増えながら財政を圧迫している。

  2012年の厚生労働省の調査によれば、生活保護の全体受給者は155万世帯余りで、このうちの3%にあたる約4万5600世帯が外国人だ。10年前と比較すると外国人受給者の増加率が全体受給者に比べて1.8倍高い。外国人受給者を国別に見れば2011年7月現在で韓国・北朝鮮国籍者が2万8700世帯と最も多く、フィリピン4900世帯、中国4400世帯の順だ。厚生労働省の担当者は「人道的レベルの支援は必要だが、自治体の財政負担のため、外国人受給者の増加は歓迎できない」と話した。>

 では、南朝鮮人どもに聞きたい。

 南朝鮮では生活出来ない外国人に対して「生活保護」は出るのか?

 「外国人は生活出来ないのであれば自分の国に帰れ」というのが事実であろうに。

 あほらし。

 Tさん二名様で来店。

 Tさん御夫妻来店。

 珍しくカミさんの朝ビールなし。

 でも、店に来て「お腹空いた」と言いながら店の酒をグビグビ。

 一緒やん。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。


8月19日火曜日晴れ×××

 カミさんの朝ビール。

 Sさん三名様で来店。

 三名様来店。

 Mさン来店。

 Oさん来店。

 Oさん二名様で来店。

 ドンチャン。

 記憶なし。

 サル以下。


8月18日月曜日晴れ△

 朝鮮には英雄と言われるものは山賊とテロリスト、そして戦時売春婦しかいない。

 そんな朝鮮で、それらを護る法案が出されているそうです。

 <【ソウル=ニューシス】パク・テロ記者=日帝強制占領期の日本の行為を称賛したら処罰する方案が推進される。

新しい政治民主聨合、洪翼杓(ホン・イクピョ)議員が代表発議した「日本帝国主義の植民統治および侵略戦争などを否定する個人または団体の処罰などに関する法律」には「日帝強制占領期間下の日帝支配および親日行為を称賛したり抗日闘争を誹謗する行為および独立活動家と日本軍慰安婦被害者の名誉を傷つける行為を処罰する」内容が含まれる。

ホン議員は提案理由として「最近、日帝強制占領期間になされた日本の支配または親日反民族行為を称賛する行為が現れている」として「また、抗日闘争行為を誹謗する行為や独立活動家と日本軍慰安婦被害者の名誉を傷つける表現がインターネットと放送を通じて広がっている」と現況を紹介した。

議員は同時に「このような状況は大韓民国臨時政府の法の正統性を継承する憲法精神に符合しないばかりか、社会的統合を阻害し歴史的事実を歪曲する」として「適切な処罰を通じて正す必要がある」と趣旨を説明した。

 日帝植民統治称賛すれば処罰推進>

http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20140815_0013111196

 

<「慰安婦ハルモニは日帝に強制動員されたのではない」と主張すれば最高懲役7年に処される法案が発議された。

イ・ジョンゴル新政治民主連合議員は20日、日本植民支配を擁護したり殉国烈士・愛国志士・強制動員被害者の名誉を傷つける行為を処罰する内容を含む「日帝植民支配擁護行為者処罰法制定法律案」を代表発議したと明らかにした。

改正案によれば日帝の国権侵奪に反対し独立のために日帝に抵抗した行為を誹謗したり関連した歴史的事実をねつ造して流布するなど過去の歴史を歪曲する行為や親日反民族行為を称賛・正当化した場合、5年以下の懲役または5000万ウォン以下の罰金に処することになる。

また、すでに死亡した殉国烈士や愛国志士、日帝強制占領下強制動員にともなう被害者を侮辱する行為をした場合、3年以下の懲役や3000万ウォン以下の罰金、関連事実の虚偽を流布したり虚偽事実を指摘して名誉毀損した場合、7年以下の懲役または、10年以下の資格停止、5000万

ウォン以下の罰金に処する内容も入れられた。

合わせて民族差別行為を否認したり殉国烈士・愛国志士および日帝強制占領下強制動員被害者に対する侮辱罪・名誉毀損罪は告訴がなかったり被害者の意志と関係なく控訴を提起できるようにした。

文昌克(ムン・チャングク)国務総理候補の過去の歴史発言を問題視し、イ議員はこの法を別名ムン・チャングク法'と命名した。また、日刊ベストストア(イルベ)にアップされた'慰安婦ハルモニ=ウォン・チョンニョ'掲示文を防ぐために'イルベ法′とも言われる。

独立活動家イ・フェヨン先生の孫でもあるイ議員は「目の前の利益に誘惑されて日帝の植民史観に捕われた一部の勢力の親日売国行為から憲法の価値を守り、国家の根幹を正しく立て直すための立法」とし、「植民支配を擁護する親日勢力を断罪し子孫に正しい価値観を持たせるようにしようと法案を発議することにした」と説明した。

マネートゥデイ(韓国語) "慰安婦強制動員ではなくて主張すれば懲役7年"イ・ジョンゴル発議

http://news.mt.co.kr/mtview.php?no=2014062015007636723

 「日本時代が良かった」と言ったご老人を殴り殺した犯人が賞賛され、こんな気違い法案が出されるような国と「仲良くしようぜ」などとホザイているアホウども。

 チョウセンハゲネズミ都知事は「朝鮮人売春婦帰れ」という主張が我が国のヘイトスピーチだなどとホザイているが、南朝鮮のキチガイデモに対して、ええかげんにせいと言う方が先だろうに。

 

 あほらし

 

 

 二名様来店。

 Oさん御夫妻来店。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。


8月17日日曜日晴れ○

 カミさんは飲む気満々なようだが、私は飲み過ぎがたたり、飲む気にもなれずに一日が終わる。

 酒は飲まず。

 サルでもエビでもない。


 

加藤嘉一という支那の走狗

8月16日土曜日晴れのち一時雨×

 今の台湾の馬政権は台湾国民にとっては最悪の政権である。ということは支那政府にとっては都合の良い政権です。

 この馬がやっている事というのは、例えば、台湾で好きな事をやり放題の支那人連中。団体名は愛國同心會、昔からずっと台北市内で支那国旗を掲揚し、支那国歌を大きい音で流し暴力をふるう。

リーダーのくそ女は張秀葉。

支那の犬である馬政権は警察官に取り締まりもさせない。

https://www.youtube.com/watch?v=huGeFLTNq9w

 そのアホ馬をカリスマ指導者と持ち上げるのが、これまた支那政府の走狗である加藤嘉一氏である。

 以下引用

<加藤嘉一「台湾・馬英九総統は、アジアではナンバーワンのカリスマ指導者です」

週プレNEW

2013年6月17日(月)15時10分配信

 アジアにおける現役の“カリスマ政治家”といえば、誰を思い浮かべますか? 今ならぼくは迷いなく、台湾・馬英九(ば・えいきゅう)総統の名前を挙げます! 今年1月にワシントンで行なわれた就任演説でオバマ大統領を見たときと同じくらいの衝撃、そして魅力を感じさせてくれる指導者が、アジアにも存在するということを初めて知りました。 4月17日に台湾・輔仁(ふじん)大学で開催された「釣魚台列島議題国際シンポジウム」にパネリストとして参加したときのこと。テーマは「東シナ海平和イニシアチブと釣魚台列島(=尖閣諸島)の紛争解決に向けた道のり」。この会場で、基調講演をした台湾・馬英九総統と交流する機会がありました。 馬総統はホスピタリティ豊かで物腰が柔らかい。甘いマスクと強い目力、日々のランニングで維持するスマートなスタイル。スピーチでは原稿の棒読みなどせず、ジェスチャーを交えてリズミカルに聴衆を魅了していました。

馬総統はハーバード大学で博士課程を修了しており、論文の研究テーマはなんと「尖閣諸島問題」。一緒に会議に参加した台湾外交部の役人は「台湾で最も尖閣諸島問題に詳しい学者は馬総統だ」と言い切り、馬総統本人も「この問題に個人的に関わって40年以上になるが……」と感慨深く語っておられました。

卓越した専門性と洗練された英語力、スマートさとカリスマ性を兼ね備えた馬総統は、アジアでは傑出した指導者と申し上げて間違いありません。

彼の立場上、当然のことではあるにせよ、基調講演では「尖閣諸島は中華民国固有の領土だ」と延々と述べるので、日本人であるぼくとしてはあまりいい気分はしませんでした。それでも、「東シナ海を平和の海にする」という地域主義をベースにした提唱、日中台のトライアングルで機能的な話し合いをしていきたいとの主張など、同意できる面もありました。

今回のシンポジウムにおいて、台湾関係者はその1週間前に日本と締結した「日台漁業協定」を前面に押し出したかったらしく、われわれ参加者は漁業の盛んな台湾北東部の宜蘭(ぎらん)県を訪れ、地元の漁師や村長たちと密にコミュニケーションを取る機会を得ました。 地元の人たちは、「釣魚台は宜蘭の漁民にとっては伝統的な漁場なのです」と主張します。印象的だったのは、漁業組合の人たちが日本に対して友好的なこと。この海域では日本と良好な関係を築いていきたいと言っていました。

一方、われわれに同行していた台湾外交部の役人に、漁業組合の人たちが詰め寄り、言い合いになる場面も見受けられました。 「主権なき漁業権など無意味だ」 これが漁業関係者の訴えです。

台湾が世界の多くの国々から“国家”として認証されておらず、主権を主張できる場面が限られているのは事実です。だからこそ漁民は「まず主権を取り返せ、強気でいけ」と外交部に迫る。主権さえあれば、そもそも漁業協定など必要ないのだ、と。しかし外交部としては、これまでの歴史の流れや相手のある話だから、そう簡単に言われても困ってしまう。

日本の普天間問題もしかり、どの時代、どこの国であっても、中央と地方、政府と住民の考え方にはズレがある。台湾も同じなのだと、宜蘭の海に沈みゆく夕日を眺めながら考えていました。

そんなジレンマを抱える状況下において、馬総統は得意分野の尖閣問題で国際社会に「東シナ海平和イニシアチブ」を訴え、日本とは「主権」にタッチしない形で漁業協定を結ぶことに成功した。地域主義と機能性を軸にした“独自外交”。これほど戦略的に立ち回れるアジアの政治家をぼくはほかに知りません。なぜ日本には「専門性」と「カリスマ性」を兼ね備えた指導者が出てこないのか、その理由を逆に教えて!! 今週のひと言 台湾・馬英九総統は、アジアでは ナンバーワンのカリスマ指導者です

 台湾人からアホにされている馬をここまで持ち上げる加藤嘉一氏という男は、過去にその醜過ぎる経歴詐称で散々話題になった男です。

 

< 加藤氏は、高校卒業後、北京大学に留学しているが、「我考上了東京大学(私は東大に合格した)」(2010年3月、中国のインターネット番組『両会三人行』)と答えるなど、「東大に入学、もしくは合格したがそれを蹴り、北京大に留学した」との内容を複数のメディアで公言しており、また面識がある日本人記者や中国人ジャーナリストに対しても、同様の発言を繰り返していた。

 週刊文春が加藤氏の母校の進路担当教諭に取材したところ、「加藤君は東大に合格していません」との回答だった。

 加藤氏の経歴をめぐっては、他にも疑わしい点がある。中国での著書では 、自身を「日本の公費派遣留学生」と記述しているが、日本での著書には「中国教育部の費用で留学した」とあり、明らかに矛盾している。

 また、昨年より、日中両国の書籍で「北京大学朝鮮半島研究センター」研究員の肩書きを記載しているが、今年5月、中国の深セン(土+川)テレビ傘下のネット番組『中国時刻』が、北京大に同名の研究所は存在しないと報道した。さらに、中国語書籍『中国的邏輯』には「慶応大学SFC研究所上席研究員」との肩書が記載されているが、実際は訪問研究員であり、「上席研究員」の職務に就いた形跡は確認できない 。

 加藤氏に事実確認を求めたが、回答はなく、日本の所属事務所社長が「東大は合格していない。プロフィールにも書いてない。私たちは日本でのマネジメントであり、中国のことは知らない」と回答した。

 現在、加藤氏は、「日中の架け橋になりたい」と中国の問題について積極的に発言する一方、ハーバード大学ケネディスクールにフェローとして在籍。雑誌の連載やBS朝日の番組「いま世界は」の特派員、日経新聞英字版のコラムニストを務めるなど、日本の大手メディアで活躍しており、今後の対応が注目される。

週刊文春2012.10.30 18:00

http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1983

  

 加藤氏が自分の経歴についてどう言ってきたか。

http://blog.goo.ne.jp/yukarippp_2006/c/d74f034b174bfbc37c49a99f91166b23

 

<中国の検索サイト”百度”をみてびっくり。実は彼はとても数奇な人生を歩んできたのです。

幼少期家が破産し、その負債のため、4年間で20回以上転校。ずっと新聞配達のバイトをしながら家族を助ける。中学から陸上を初め全国大会出場。しかし、怪我で陸上が続けられなくなったのと、借金の取り立て屋などから暴力を振るわれた経験から社会の不公平に立ち向かうため、勉強に専念。高2で受けた英語のトーフルなんとほぼ満点。家計を助けるため、翻訳もはじめる。センター試験の当日まで新聞配達をし、英語の試験に15分遅刻も東大法学部合格

しかし弟、妹がいた彼は両親の経済的負担を考慮し国費留学生の資格を手に入れた北京大学に留学することに。(東大やめたのはこんな重い理由だったんですね。。。)

そして北京大学修士課程を卒業し、若干26歳にしていまやメディアのひっぱりだこ。 >

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年5月29日

http://japanese.beijingreview.com.cn/ztjl/txt/2011-05/30/content_361315.htm

魚拓

http://megalodon.jp/2014-0819-1647-45/japanese.beijingreview.com.cn/ztjl/txt/2011-05/30/content_361315.htm

 <2003年、彼はスポーツ特待生として東京大学に合格した。>

 東大スポーツ特待生つうのは初めて知りました。

 支那が大好きな馬をヨイショしている加藤氏は我が国について支那では(ダライ・ラマ政権を支持する日本人は)「日本右翼勢力」 「中華文明は偉大であり、毛沢東は唯一無二の素晴らしい人物」 「胡錦濤主席の講話が体現する思想の深さに敬服」などとほざいている。

他にも、

中国で一番有名な日本人、加藤嘉一君への手紙

2011年07月10日(日)09時00分

李小牧

http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2011/07/post-347.php

<具体的に言いましょう。君は日本でのテレビ出演や執筆活動ではほとんど言わないこと、書かないことを中国での言論活動でかなり露骨に口にしている。それは日本の悪口です。

 若い日本人がたった独りで中国を生き抜き、ここまで成功するためには大変な苦労があったでしょう。だからといって日本や日本人を利用していいはずはありません。中国人にも日本人にも心の中に「国境」がある。君はその「国境」を利用している。中国で日本人の君がジャーナリストとして活動できるのは、中国政府が本当に嫌がる民主化や言論の自由について君が決して口にしないからです。>

 こんなやつをいまだに使っているアホな我が国の企業。

 あほらし。

 今日は一件めはカミさんのお気に入りのビールバーのひとつへ。

 次は歩いて友人の川頭さんがやっているイル・マニフィコさんへ。

 ドンチャン。

 夫婦揃ってサル。


8月15日金曜日晴れ×××

 昼過ぎに靖國神社へ。

 

 昇殿参拝までの短い時間だったが、参道での台湾研究フォーラムによる「台湾を中国領土とする文科省『社会科教科書検定』糾弾!街宣・署名活動」を手伝いさせていただく。

 

 

 西村眞悟先生との昇殿参拝。

 朝からず〜と参集殿付近に居て参拝に来られた政治家、著名人などと写真を撮って宣伝材料にする詐欺師集団「台湾民政府

 

 暑気払い。

 

 

 当店でのドンチャン。

 

 

 完全に記憶なし。

 サル以下。


8月14日木曜日雨のちくもり×

 カミさんと行った大久保にあった看板。

 

 

 大久保の神社。

 

 日本語で書いても意味ないと思うが。

 Nさん来店。

 四名様来店。

 二名様来店。

 金ちゃん、マロさん三名様で来店。

 ドンチャン。

 完全に記憶なし。

 サル以下。


支那要人には反日家は一人もいないらしい

8月13日水曜日晴れ△

以下引用

中国要人に「反日家」はいない

研究テーマ:シリーズ企画「中国とどうつきあうか」

日本記者クラブ講演

2013年7月8日    14:00〜 15:00

DLC・GBコンサルティング社長 青木麗子

福岡を拠点に長年にわたり日中交流に携わってきた青木氏が、現場で感じてきた対中観や胡錦涛元国家主席、李源潮副主席ら中国要人の素顔を語った。青木氏は中国には反日家はいないと断言する。中国トップは日中関係をこれ以上悪化させたくないと考えており、日本に様々な対話のサインを送ってくるので、日本側もそれを見逃さないでほしい、と語った。日本の政治家や企業人の中に中国語でコミュニケーションができる人が増えれば、両国間の摩擦や衝突が少なくなり、関係改善の一助になるだろうとも。

司会 日本記者クラブ前企画委員 泉宏(時事通信出身)

「中国人よりうまい中国語」を駆使し、福岡を本拠に約30年にわたり中国語通訳業をベースに、日系企業による対中国ビジネスのサポートなどを手がけてきた青木麗子氏。中国人と本音で話せる数少ない中国専門家として、日中のあるべき姿を率直に語った。

父親の仕事の関係から中国の地方都市で生まれ育ち、文化大革命も体験した。帰国後は自然に身に付いた中国語をさらに磨き、福岡県職員を経て中国語通訳として独立、習近平国家主席ら多くの中国要人訪日の際のメーン通訳を担当する一方、日中ビジネスのコンサルタントなど幅広い活動を続けている。

通訳として接した中国要人たちの素顔については「誰もが日本との関係改善を望んでいる。『反日家』は実は1人もいない」と力説した。尖閣問題についても「中国の一般国民はほとんど関心がない」とし、「(外交上)これ以上こじれさせるのは日中双方にとって得策ではない」という共通認識を持って、当面は冷却期間を置くことが肝要と強調。日中首脳会談については「とりあえず第3国での会談を」と欧米での国際会議などで接触の道を探るのが早道と指摘した。

その上で今後の日中外交のカギは「人」だとし、政界、財界、地方都市などによる重層的交流が関係改善に結び付くとの考えを示し、安倍晋三首相ら政界要人には「成熟した民主主義国家として『情』ではなく『理』を基本とする日中関係を目指してほしい」と語った。

「日中の懸け橋になる」ことを人生の目標とし、福岡県上海事務所上級顧問など多くの役職を担っての訪中はすでに600回を超す。「中国の心が分かる日本人」として中国人の本音を聞き、交流の最前線で日中友好を切望する青木氏。控室では鑑真和上に渡日を決意させたという奈良朝・長屋王の招請文にちなみ「風月同天」と揮ごうした。

前企画委員 時事通信出身 泉 宏

2013年 7月12日 (中国総合研究交流センター 小岩井忠道)

 「日中の架け橋」となることを願い、福岡を拠点に活動を続けている青木麗子DLC・GBコンサルティング社長が2013年7月8日、日本記者クラブ主催の研究会「中国とどうつきあうか」で講演、日 中両国の関係修復は、「人と人との関係を築き上げることが重要。中国語を話せる日本人をもっと増やす必要がある」と提言した。

 青木氏は、「中国に反日家は一人もいない」と言い切り、むしろ「日本が大好きで、日本人にあこがれている人が多い」ことも強調している。

略)

日本記者クラブ>

引用終わり

 この青木という女性が何を言うのも勝手だが、歴史的に我が国が支那、朝鮮と付合ってろくな事がないことは確かである。

 支那、台湾で国父とされる孫文を頭山満、内田良平、宮崎滔天、杉山茂丸、北一輝などがどれほど支援しようと報いる事はなかった。蒋介石は世話になった松井石根を南京攻略戦で虐殺事件をでっちあげ、戦犯として処刑した。

 蒋介石はその後、白団で我が国帝国軍人に世話になっておきながら、これを隠し、徹底的反日教育を行なう。

 台湾の親日派は蒋介石により白色テロ、恐怖政治に曝され続けていたのである。

 渡辺望氏は著書「日本を翻弄した中国人 中国に騙された日本人」(ビジネス社平成二十六年刊)に孫文の支援者である山田純三郎の「孫文先生の対日観」に記された反日主義の学生相手に言った孫文の言葉として下記のように書いています。

<もし忠実な番犬がいなくなったら、勝手に強盗が入ってくるではないか。番犬に一片の肉でも与えておかなかったならば、番犬はすぐ逃げてしまうではないか。番犬が逃げれば、次の日から強盗が来るではないか。貴美らのこの意味がわかるか。忠実な番犬とは日本の事だ。>

p一〇六

 そして、毛沢東については「毛沢東が仕掛けた日本人への罠」として

<まず毛沢東は政治的にはるかに遠い距離にある日本に、緩やかな、しかしきわめて強い形での「種まき」的な工作を開始する。

略)

一九五〇年代後半から六〇年代にかけて、実に多くの日本人作家や人文科学者が中国にしきりに招待され、政府高官の手厚いもてなしを受けた。中には毛沢東や周恩来と直接会談した人物も少なくない。この招待旅行、毛沢東ら政府首脳との会談こそ、日本という「中間地帯」の知識人を中国に隷属させるための毛沢東の戦術に他ならなかったのだ。

略)

 毛沢東の「種蒔き」は本人の予想以上に成功した。>

p一七二〜一七五

 その例として亀井勝一郎、大江健三郎、井上靖、小田実をあげている。

 其の後に毛沢東による田中角栄への取り込み成功させた事を書いている。

 そして、「田中角栄はおろかだったのか」として、

< 彼自身の中にあった明治維新以来の中国との提携の夢、言い換えれば「教養としての中国」との交わりに酔いしれる精神状態に陥った。そう考えれば、田中角栄こそ、頭山満らに始まる「中国に振り回された近代日本人」の最後に位置する人間だったという事になるのではないか。

 「日中同盟論」は、日本の側からすればロマン主義的成功であったかもしれないが、毛沢東や中国側からすれば、最大の敵であるソビエトへの牽制の意味以外何ものでもなかった。そのことはその後の日中関係の推移を見れば明らかである。毛沢東と田中が敷いた日中友好ブームは、一九七八年の日中平和友好条約締結によって極みに達した。

 略)

 しかし、一九九〇年代に入り、ソビエトが崩壊を起こし、新生ロシアが混乱と弱体な形でスタートすると、中国にとって日本は「用済み」となる。この次期から反日活動が活発化した。日本人にとって「永遠と思われた「日中同盟論」は、約二十年の歳月をもって終焉を迎えることになった。

 略)

 結局のところ、孫文の「番犬」の比喩通りに中国は日本を操ってきたということになる。

 その操り方の上手下手があるだけなのが、日本と中国の近代における政治的交わりの本質なのだ、としたら言い過ぎだろうか。そして「番犬」は「用済み」になって、「野良犬」としてしか見られなくなったのが一九九〇年代以降の日中関係の「反日」の姿である。>

p二〇二〜二〇三

 我が国は支那朝鮮とは距離をとっておく事が我が国の為である。

 西村眞悟先生がおっしゃっているように、安倍晋三首相の最大の功績は支那朝鮮と首脳会談をやっていないことである。

 

 今日のカミさんの朝ビール。

 

 二名様来店。

 二名様来店。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。


 

台湾民政府の危険性

8月12日火曜日晴れ○

 台湾民政府というカルトともいえる団体がある。

 台湾において数々の問題を起こしている。

 ところが、我が国では一部の保守派に評判が良い。

 それは「台湾は天皇領」とうたい、「皇居一般参賀」「靖国参拝」を揃いの黒服を着て集団で行なうためである。

 

 検証も無しにブログを書きまくり、指摘されても無視するネットで有名な「ねずさん」こと小名木善行氏などは自分のブログにて講演会と台湾民政府の言い分を喜々として紹介している。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2078.html

http://megalodon.jp/2014-0814-1749-46/nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1674.html

 

 週刊誌でも「超親日派」などとして紹介している。

<「台湾は今、アジア支配を目指す中国の併呑危機に面している。このような事態を招き、台湾人を“国無き民”にしたのは、米国の戦後60余年にわたる曖昧な対台湾政策が原因であり、この問題の解決には日米両国の参与が欠かせない」

 こう主張する総勢220名の『台湾民政府』一行が、12月20日に来日した。日本のメディアがほとんど報じない中、その目的を、同政府の主席を務めている曾根憲昭氏に聞いた。

 「2008年2月、国際戦争法の自衛権に基づいて、本土台湾人により『台湾民政府』が設立されました。今回の来日目的は、まず靖国神社に参り、3万9100柱の台湾英霊の慰霊祭を行うこと。12月23日に皇居前において天皇誕生祝賀会に参賀すること。そして日本政府に対し、台湾の“日本復帰”を求めるPRを行うことの3つです」

 折からの「尖閣問題」に関しては、台湾の在り方が、日本のシーレーン防衛に大きな影響力を持つことは紛れもない事実。同政府の存在は、日本の国益に沿うのだろうか。

 「台湾民政府の立ち位置は、戦後の沖縄と同じく、台湾は米国占領下の“大日本帝国”であったというものです。『我々は日本人である。従って近い将来、英連邦のように“天皇陛下の台湾”という“日本連邦”の一国として国際法に基づく台湾を樹立し、その後、国連に加入する』という目的を持っています」(外交問題に詳しいジャーナリスト)

 台湾がいまだ日本国であるという理論は、にわかには信じがたい。だが、このジャーナリストによると、国際法上、台湾の“日本復帰”は決して非現実的ではないという。

 「サンフランシスコ平和条約において、日本は台湾の“領土の権利”を放棄しただけで『主権はいまだ日本が擁している』という彼らの主張を覆す論拠がないのです。現地台湾の支持がどの程度か不明ですが、日米両国がカギを握っているのは間違いありません」(同)

 安倍“新政権”が、尖閣、竹島だけでなく、この台湾問題にどう取り組むのかも注目である。>

週刊実話2013年01月16日18時00分

http://news.livedoor.com/article/detail/7320204/

 

 

 この参拝は事実でしょう。一般参賀にも出向いております。ただ、この「台湾民政府」には注意が必要です。

 「台湾の声」では下記のようにこの集団について指摘しています。

 

**************************************************

【要注意】「台湾民政府」林志昇カルト集団に注意!

2013.4.10

台湾の声編集部 多田恵

【林志昇集団「台湾民政府」とはなにか】

「台湾はアメリカの軍政府の占領下にある、自分たちはその代理である」と主張し、「台湾民政府」などと名乗る、狂信的なグループがあり、問題になっている。彼らは台湾では、米国へのノービザ渡航が可能になったり、米国ビザ申請時に面接が免除になるなどと言って、「台湾民政府のパスポート」を以前は5000台湾ドル。

「台湾民政府の(国民)身分証」を、今は1000台湾ドルの「手数料」で販売したり、「台湾民政府の公務員」になれるなどとして、有料の講習会を行っている。受講料は2日間で6000台湾ドルだという。また台湾人が潜在的に日本国籍を持っているとして、天皇陛下を参拝して国民の義務を果たすとし、数万台湾ドルの費用を出させるなどしている。

林志昇集団は、台湾の独立派の人々が求めているけれども、満たされていないと感じている点を自分たちだけが実現できると語る。台湾の一般の独立派の団体は、お互いに協力し合うのだが、林志昇集団は他の独立派団体を非難・否定することで、自らの支持を増やそうとする。

たとえば、民進党が選挙に力を入れることや台湾独立建国聯盟が民進党の候補者を応援することを、「中華民国体制」に迎合していると非難し、集団の信者たちには選挙ボイコットを求めている。

【台湾独立建国聯盟に伝わる林志昇の詐欺行為】

林志昇集団は、無知に付け込む。その指導者である林志昇は、10年ほど前、「台湾独立聯盟」という名義で募金活動を行っていた。これは台湾独立建国聯盟が1987年まで使っていた名前である。黄昭堂主席の抗議に対し、林志昇が、「台湾独立建国聯盟と台湾独立聯盟は名前が異なっているから、抗議される筋合いはない」と答えたという逸話は、台湾独立建国聯盟の古参メンバーたちにとっては周知の事実である。つまり、「台独聯盟」という略称で知られる「台湾独立建国聯盟」が、もはや「台湾独立聯盟」ではない、ということに気づかない人、確かめない人が罠にかかってしまったというわけだ。

【米国が承認している?】

最近、彼らが「台湾(民)政府をアメリカの行政機関が認可した証明文書」として示している英文の文書の写真がある。この文書が本物だとしても、そこに書かれている内容は、米国の首都ワシントンD.C.政府の消費者および規制業務部の法人課が、「台湾政府財団」の名称を登録したことを証明するに過ぎない。ところが少なからぬ人が(なんと英語ができるはずの人でも)、その文面を読んで考えることなく、「へぇ、そうなんだ」と信じ込んでいるようだ。

「台湾民政府」が、本当に政府だとすれば、いわば東京都知事に登録するようなことをする必要があるだろうか?

一国の本当の政府が、別の国の地方自治体に法人登記するなんて、ありえない。

略)

【陳水扁前総統救出活動?】

また、林志昇集団は最近、陳水扁・前総統(受刑者)を救出するように米国政府に呼びかける声明を発表したが、その声明を台湾の自由時報に広告として掲載している

(今日あたりは、聯合報に出したそうだ)。米国政府に呼びかけたいのならば、米国の新聞に広告を出すべきではないか?なぜ台湾の新聞に広告を出したのであろう。

狭い個室に24時間の照明という人権無視の環境で、心身をぼろぼろにされ、現在、病院で拘束されている陳水扁・前総統に同情を寄せる台湾人は多くいる。その広告を見て、「ああ、台湾民政府はいいことをやっているな」と思うのかもしれない。

そして、ホワイトハウスに請願するネット投票を行っている。その宣伝文句は、「あと○○○○人で、陳前総統が救出できる」。

「請願」には、法的な拘束力がないという常識すらない人を騙しているのだ。そもそも、彼らは、以前、米国が軍隊を派遣して陳水扁前総統を救出すると語っていたが、それはどうなったのだろう。

【ニュースでその嘘が暴かれる】

台湾の中天テレビは、林志昇が「民政府の身分証(IDカード)を作れば、米国ビザ取得の面接が免除になる」と語っている場面と、AIT(米国の台湾におけるビザ発給機関)の職員が、「必ず面接は必要です」と語っている場面があるニュースを製作し2012年9月26日に放送した。

台湾のテレビ局ニュースチャンネルはニュースの取材力が乏しいためか、同じニュースが、一日中、繰り返し繰り返し流される。インターネットでも検索すれば、視聴できる。

這麼神? 「台灣民政府」自製身分證號稱赴美免面試

〔そんなに霊験あらたかなの?米国ビザ面接免除を謳う「台湾民政府」自製IDカード〕

http://www.ctitv.com.tw/news_video_c13v98085.html

略)

【騙しやすい相手を騙すのが詐欺集団の王道】

林志昇集団は、詐欺である事実を指摘されると、それについては、反応せず、嘘を続ける。確かに、騙せない相手を騙そうとするより、騙しやすい相手を同じ手で騙すほうが、費用対効果が優れているのだろう。それに、名誉毀損で訴えでもすれば、逆に、法廷で自分たちの詐欺が明らかになってしまうという計算もあろう。

【米国や日本の権威を利用して騙す】

林志昇集団は、米国や日本の権威を利用する。たとえば、

皇居一般参賀に参加すると、天皇陛下に認められたとか、

皇宮警察から大切にされ、最前列に誘導された、とか宣伝

している。退役した日米の軍関係者、元防衛庁長官などに

会った写真を見せて、安全保障に関して対話をしたように

宣伝する。参議院議員会館で議員の秘書に話を聞いてもら

うと、「参議院を訪問した」と宣伝する。また、CIAと

か、米国国務省から認められたとか、米軍から旗を送られ

たとか宣伝しているが、それらの証拠を示せというと、機

密であるなどと答える。

ちなみに、米国のある政府機関では、すでに「林志昇集団と接触を避けるように」と職員に注意喚起がなされたという。

【日本の台湾関係の活動に関わっているように見せかける】

彼らの研修施設には、台湾研究フォーラムのマークに似た、日の丸と台湾が重なったマーク、そしてその横には「日台共栄」という文字が印字された旗が掲げられている。これはたしかに台湾研究フォーラムが参加する日本の活動で使われていた旗だ。「日本での街頭活動などを台湾民政府が自らの活動と見せかけようとしている」というのが関係者の見方である。

略)

 

【本当に政府?】

林志昇集団は、自分たちが、「政府」だと主張している。とてもたくさん、「大臣」がいる。が、いったいどのように、予算を立て、行政サービスを行っているのか?

略)

 

【林志昇は、「ROC」パスポート使いたくないから出国しない?】

ところで、彼らが大勢で日本へ来る際に、林志昇は、台湾を出ない。「中華民国」のパスポートを使いたくないからだと言われている。たしかに、彼らは「中華民国体制」を拒否するために選挙ボイコットを呼びかけている。では、どうして大勢の信者たちは、「中華民国」のパスポートで日本へ入国するのか?かつて林志昇集団のウェブサイトを担当し、いまは脱会し、インターネットで「民政府」の問

題を詳細に暴露している「櫻川武蔵」氏によれば、林志昇は税金滞納により出国が禁止されているということだ。

「櫻川武蔵」氏の告発サイト(最新):

http://taiwanheart.ning.com/profile/yingchuanwucang

「櫻川武蔵」氏の告発サイト(旧):

http://tw01.org

【嘘を見抜いた石戸谷慎吉氏】

なお、石戸谷慎吉氏は、はじめは台湾民政府の靖国神社、天皇陛下に対する態度に感動し、日本人台湾民政府協力会の会長となった。そして、自身の人脈から米国の軍関係者などを紹介したという。しかし、のちに民政府が靖国神社を宣伝に利用しているにすぎないことや、実際には米国の政軍関係者と人脈がないことを見抜き、本誌に"さよなら「台湾民政府」"と題した訣別宣言を寄せた。これは、自身が林志昇集団に協力したために、いろんな日本人を林志昇集団に紹介し、彼らが引き続き林志昇集団に利用され続けているのに心を痛めてのことである。

 

「台湾の声」【読者便り】さよなら「台湾民政府」(2013/03/21配信)

http://www.emaga.com/bn/?2013030001864535001831.3407

略)

【奪われるのは金銭だけ?】

実は、金銭だけではない。台湾に詳しいはずのある日本人が、台湾ではもう228事件の活動が行われていないと公言していた。その人は、3月に台湾へ行って、林志昇集団の関係者と会ってきたらしい。本誌でも報道したように、今年は「三月大虐殺を忘れるな」というテーマで、民進党や台聯の主席、蔡英文氏も参加したデモ行進が行われたのだ(3月1日配信「【現地レポート】再び228事件を起こしてはならない」)。林志昇集団は、このようにして、台湾人が台湾国の実現のために努力をしていないかのよう

なイメージを、その日本人に与えるのに成功した。

【彼らは台湾独立派を攻撃し、日台関係を破壊する】

そして彼らは民進党や、台湾独立建国聯盟、そして、米国でロビー活動などを行っている台湾人公共協会(FAPA)などを敵視し中傷している。

中傷されたほうの団体は、これまで、林志昇集団を批判したことはない。そもそも取り合っていない。民進党や台独聯盟、台湾人公共協会の功績は、かれらに批判されたくらいで否定されるほど儚いものではない。

しかし、林志昇集団は、台湾の独立派の人々から金と勢力を奪い取り、それを利用して他の独立派の団体を中傷・攻撃し、独立派が団結して台湾をリードすることを阻害している。

日本にとって台湾は生命線であるが、中国に呑み込まれたくない台湾人にとっては、日本や米国が命綱である。ところが、林志昇集団は、台湾と日本そして米国の間に入り込み、台独聯盟やFAPAの力を削ごうとしている。日本語の堪能な、黄恵瑛や陳辰光、あるいは、林志昇集団に協力する日本人が、台湾に興味を持つ日本人におかしな情報を吹き込んでいる。彼らがもし、このまま増殖し続ければ、日本と台湾の関係にとって大きなダメージを与えるかもしれない。

前述の「櫻川武蔵」氏が、林志昇と訣別したきっかけになったのは、林志昇の指示が書かれたメールである。そのメールでは、民進党、台湾独立建国聯盟(原文は「台湾独立建国」)、台湾人公共事務協会(FAPA)を敵だと名指ししている。これに違和感を持った「櫻川武蔵」氏は、脱退し、反林志昇の急先鋒となった。

「中華民国体制」に反対する有能な人たちの一部さえ、林志昇集団に騙されてしまっている。彼らは、台湾独立建国への夢、精力、財産を無駄にせず、一日も早く目を覚まして、林志昇と訣別し、台湾独立建国運動に戻り、力をあわせて「中華民国体制」を倒すべきではないか。

まだまだ多くの人が騙されているときに、その問題を知っている者が声を挙げないでいることは、犯罪の片棒を担ぐことになってしまう。そこで皆様に、注意を呼びかける次第である。

**************************************************

「台湾の声」【林志昇詐欺集団】警察でも警戒呼びかけ

台湾の声ニュース 2013.4.14

昨日、TVBSが報道したところによれば、台湾の南投県および台北市の警察署より、林志昇集団「台湾民政府」が発行しているIDカード(身分証)販売に注意するよう呼びかけが出されたという。なお、林志昇集団は、最近、「台湾政府」と名称変更し、そのIDカードも「台湾政府身分証」と表記されている。

「このIDカードがあれば、米国のビザ免除プログラムによるESTA申請が不要になる」と言われて購入したが、そうはならず、うやむやにされたという視聴者からの訴えでTVBSが取材した。

米国の事実上の大使館であるAIT(米国在台協会)はこのIDカードの有効性を否定し、「パスポートが必要」としている。

南投県政府警察局では、2月19日に「最近、虚偽の宣伝文書をもって、米国政府が審査発行する台湾政府身分証などの便宜が得られるとして、原住民部落{原文}に侵入し詐欺を行っている詐欺集団があるので、信じて騙されないように」という注意喚起を行った。

また、台北市警察局文山第二分局でも2月24日にほぼ同様の注意を呼びかけた。

報道によれば、林志昇は「IDカードだけではなく、「台湾政府(台湾民政府のこと)」発行の旅行文書を取得して初めてノービザになる」と説明しており、詐欺はさらに拡大する様相を見せている。

なお、台湾を米国の一州にしてから独立をという運動をしている黄育旗氏は、当初は林志昇に協力していたが、途中で協力するのをやめ、今ではネットテレビ(風雲網路電台)で林志昇の詐欺を告発している。

黄氏によれば、かつて林志昇らが発行していたパスポートを使って米国に入ろうとした台湾人が目の前で

送還されたという。

黄氏はまた、米国の統治下では身分証は発行されず、身分証明は社会保障番号や運転免許証で行われるので、林志昇が米国が発行した身分証だと宣伝しているのはおかしい、と指摘している。

黄氏は常識がない人が騙されて共犯になっていると厳しく批判している。

またその番組の司会を務める劉丁妹氏は、自身が林志昇集団の研修を受けに行きましょう、と誘われた時の経験を明かした。「お金がかかるから行きたくない」と断ったところ、「そんなの気にしなくても大丈夫」と言われたので、行ってみたら、宿泊費・食費を含めて高額の研修費を請求されたという。

南投県警の注意喚起(中国語)

http://www.ncpb.gov.tw/index.php?code=list&flag=detail&ids=32&article_id=14304

台北市警文山第二分局の注意喚起(中国語)

http://w2pp.tcpd.gov.tw/ct.asp?xItem=45790105&ctNode=35247&mp=108111

TVBSの報道(中国語)

http://www.tvbs.com.tw/news/news_list.asp?no=miranda012020130413193629&&dd=2013/4/13%20%A4U%A4%C8%2007:46:11

用民政府護照遭強制驅境

[ 風雲網路電台 2012-06-28 ](台湾語)

http://www.youtube.com/watch?v=4qautiPssL0

黄育旗:美國統治會用社會保障號碼不會用身分證

[ 風雲網路電台 2012-09-26 ](台湾語)

http://www.youtube.com/watch?v=ROrsu0tJZD4

 

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【NEWS】台南警察、林志昇集団のチラシを詐欺と断定

台湾の声ニュース 2013.4.20

14日に報道したように、2月中旬以降、台湾各地の警察で林志昇集団による身分証詐欺への警戒が呼びかけられている。櫻川武蔵氏によれば、台北市、南投縣、彰化縣、台南市、高雄市、花蓮縣、台東縣の警察署で、この注意喚起が呼びかけられている。

そのなかで、台南市警察局永康分局では、林志昇集団の宣伝用チラシの写真に、「これは詐欺です。被害にあわないよう警戒してください」という注意書きを入れて、インターネットで公開した(2月23日付)。

現在、林志昇集団は、

(1)7月にパスポート(旅行文書)を発行することについて5月12日の研修会で発表を行う。

(2)今月下旬に団体で訪米し記者会見を行う。

(3)4月28日に読売新聞に紙面広告を出すこと、

などを準備していると宣伝している。

実は、林志昇集団はこれまでに「パスポート」を発行して、それが使えないことがメディアで報道されている

(2011年12月)。林志昇集団の支持者たちが、同じ手に、騙されるのは哀れである。

彼らが、動きを急に活発化させるのは、すでに警察からも目をつけられて、最後に騙せるだけ騙し取ろうということなのだろうか。

略)

台南・永康分局が示したチラシ:

http://www.tnpd.gov.tw/uploadimg/pubtncgb/comm/201302211654000.jpg

2011年末にすでに問題になっていた林志昇集団の偽パスポート報道:

http://www.tvbs.com.tw/news/news_list.asp?no=jimmyliu220111209181400

2011年の偽パスポート問題について櫻川武蔵氏のまとめ:

http://taiwanyes.ning.com/profiles/blogs/1970702:BlogPost:2177340

 

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「台湾の声」【NEWSと論説】「民政府」詐欺相談多数ー台湾当局

台湾の声「ニュースと論説」 2013.4.27

本誌では、3月21日および4月18日に、石戸谷慎吉氏(元・日本人台湾民政府協力会会長)による告発文等を掲載。4月10日に編集部員・多田恵による注意喚起。14日および20日に台湾の警察が、「台湾民政府」林志昇カルト詐欺集団への注意喚起を行っていることなどを報道した。

これに対し、林志昇集団の幹部である陳辰光、黄恵瑛の両氏が、ヒステリックな「反論」のメールを拡散し、懸命に、同集団への疑問の声を封じようとしている。

両氏に共通するのは、詐欺だという指摘について、台湾当局「内政部」の、165詐欺防止電話窓口に電話すれば、詐欺でないことが分かる、と宣伝している点である。これは両氏のみならず、同集団の信奉者の統一見解であるようだ。陳氏によれば、これは林志昇の「直接のコメント」だという。

そこで、台湾の同志を通じて問い合わせたところ、

内政部では次のように答えた:

「民政府についての詐欺相談は多数寄せられています。

そのため各警察署を通じて詐欺被害防止を呼びかけています。」

 

略)

林志昇集団の問題は、詐欺の問題であり、台湾の地位の問題とは関わりがない。論点のすり替えである。どんなに国際法が分かっていようと、詐欺を見抜けないのでは、先が思いやられる。

台湾人の台湾への想いは、熱いものがあるが、資源は正しい方向に注ぎ込むべきであり、詐欺集団に注ぎ込むのは愚かである。冷静な判断をせずに、彼らに騙されることは、自らのみならず、台湾の同胞、台湾の支持者、台湾を傷つける愚行に過ぎない。

なお、石戸谷氏が繋いだという自衛隊OBが引き続き、林志昇と関わっている。実に嘆かわしい。

林志昇たちに歓待され、気持ちがいいかもしれないが、そのことによって彼らが台湾人を騙すための演出の道具となっているのである。彼らの饗応を受け詐欺の片棒を担いだことが後になって分かれば、後味の悪いことであろう。

略)

関連記事:

2013/04/20 【NEWS】台南警察、林志昇集団のチラシを詐欺と断定

http://www.emaga.com/bn/?2013040002159104002327.3407

2013/04/18 【読者便り】台湾民政府は林志昇のカルト詐欺集団である

http://www.emaga.com/bn/?2013040001881652001623.3407

2013/04/14 【林志昇詐欺集団】警察でも警戒呼びかけ

http://www.emaga.com/bn/?2013040001430315002955.3407

2013/04/10

【要注意】「台湾民政府」林志昇カルト集団に注意!(長文)

http://www.emaga.com/bn/?2013040001042647017228.3407

2013/03/21

 

「台湾の声」http://www.emaga.com/info/3407.html

引用終わり。

 

 

 台湾研究フォーラム会長の永山英樹氏も下記のようにこの集団を見ている。

以下引用

<保守派が飛び付く台湾発の捏造理論  

「台湾は天皇の領土」との言説が、最近インターネットなどを通じ日本で流布されている。

発信源は「台湾民政府」と名乗る台湾のグループだろう(皇居一般参賀の際に黒服を着て現れる台湾人の集団はそれである)。台湾人からそう言われ、感激、共感する保守派は少なくないが、惑わされてはならない。なぜならそれは完全なる謬説、事実捏造だからだ。

 

中国の第一列島線(日本と台湾)侵略に断固反対の声を上げるべき保守派が、このようなものに騙されているようでは心許ない。これでは「台湾は中国の神聖不可分の領土」というあの国の侵略正当化のための虚構宣伝(条約などを歪曲する法律戦)にすら太刀打ちできないだろう。

こうした宣伝に世界中が騙されている中(あるいは中国への配慮で騙されたふりをしている中)、「台湾の主権は台湾住民に帰属する」との真実を訴えて行かなければならないのに、謬説に惑わされている場合ではないということだ。

■「台湾地位未定論」は中国に対する強力な武器

先ずは台湾の帰属先に関する事実を言おう。

かつて日本領土だった台湾は「一九四五年、カイロ宣言に基づき、日本によって中国(当時は中華民国)に返還された」ため、台湾は中国(今日の中華人民共和国)に統一されるべきだというのが中国の宣伝だ。こうしたものに惑わされている日本人は実に多い。だが実際には、日本は台湾を中国に返還(割譲)などしていないのだ。

たしかに一九四五年、台湾は中華民国の占領を受けたが、しかしそれは連合軍に命令による進駐であり、日本が割譲したためではない。当時はなお法的には日本領土であり続け、一九五二年に発効のサンフランシスコ講和条約の第二条B項「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」との規定により、日本は初めて台湾の主権を放棄したというのが事実なのである。

このように日本領土から離脱した台湾だが、しかしその新たな帰属先は決められなかった。したがってそれは国際法上の住民自決の原則に従い、台湾住民によって決せられるべきものとなった(もっとも当時台湾はすでに中華民国亡命政権の独裁支配下にあり、住民自決が許される状況ではなかった)。

この否定しようのない事実を論じるのを「台湾地位未定論」と呼ぶ。そしてこれが持ち出されるのを極度に恐れているのが中国だ。「台湾は中国の一部」との宣伝の虚構を暴く威力があるから当然である。

■中国が喜ぶだけの荒唐無稽の理論

このように見れば、「台湾地位未定論」が、台湾侵略を狙う中国を抑止する強力な武器であることがわかるはずだ。しかし中国が嫌がるからこそ、日本も米国も中国への外交的配慮で同論を棚上げし、敢えて黙して「台湾地位未定」の事実を語ろうとしない。

そのためこの事実は、日本でも保守派を含む圧倒的多数の国民に知られていない。だからこそ多くは「台湾は中国の一部」との宣伝に簡単に騙されてしまうのである。

そうした中、先ずは保守派こそが、その武器の武器たることを一刻も早く理解し、それを行使して中国に対する反宣伝戦を行うべきなのだ。ところがそこに「台湾は天皇の領土」との謬説が浸透して来たのだから、実に危ういのである。

なぜ危ういかと言えば、第一にこの謬説は「台湾地位未定論」の対中武器としての威力を削ぐものだからに他ならない。そもそもそれは「台湾地位未定論」を歪めるものだからだ。

「民政府」も「台湾地位未定論」を掲げてはいる。しかしその説明によると、台湾の主権の帰属先は「未定」だが、それが確定されるまでは依然として天皇に帰属するのだという。

つまり「未定」だが実際には「不変」なのだと。そしてそれはあたかも「未婚の女性は婚姻後の戸籍は未定だから、目下の戸籍は不変である」のと同じなのだと。

しかしこれは明らかに荒唐無稽の誤りである。何度も繰り返すが、日本は台湾という領土を放棄したのであり、正しく例えれば「未婚女性が戸籍を抜かれた」のと同じなのだ。戸籍は抜かれれば新たなものを作れるが、台湾の主権の場合は住民自決がなされず、帰属先未定の状態に陥っているというだけの話である。

それであるにかかわらず、もし「民政府」の馬鹿げた主張が今後保守派の間で広がれば、一般からは「台湾地位未定論」は荒唐無稽と誤解され、中国に大喜びされかねない。「未定論はこれほどインチキだ」と宣伝される恐れもある。

■日本人には許せない不敬なる皇室利用

ところで気になるのは、「民政府」が台湾を「日本に帰属する」というより、「天皇に帰属する」と強調することだ。つまり「天皇の皇土である」と。

これも中国を歓喜させるものだろう。

あの国はこれまで、台湾独立分子(台湾と中国との切り離しを主張する勢力)は日本の軍国主義者が育成してきたと宣伝して来た。つまり日本の殖民地統治下の皇民化政策が台湾人から中国人意識を奪い、戦後も右翼勢力が台湾を支援して来たと言いたいわけだが、もし保守派が「台湾は天皇の領土」と主張すれば、これも中国の宣伝に利用されかねない。

たしかに台湾はかつて天皇が統治した皇土(天皇が統治したまう日本領土)の一部だった。だが「民政府」は皇土を御料地(皇室財産)だと勝手に解釈し、サンフランシスコ講和条約は日本政府と連合国間で締結されたものに過ぎず、天皇は如何なる領土処分も行っていないため、日本政府は台湾を放棄しても、天皇による御放棄はなく、依然として「天皇の領土」だと宣伝するのだ。

それでは「民政府」が台湾を御料地扱いにする法的根拠は何かというと、それは清国の日本への台湾割譲を規定した下関条約だ。

同条約には「大日本帝国皇帝陛下及び大清国皇帝陛下は…媾和条約を訂結する」とあるため、台湾割譲も清国皇帝から天皇への割譲だったというのだ。

しかし大日本帝国憲法第十三条に「天皇は戦を宣し和を講じ及び諸般の条約を締結す」とあるように、下関条約は日清の天皇、皇帝間の個人的な契約ではなかったのである(「民政府」はしばしば、天皇は台湾の「所有権」を持つと説明するが)。

事実、同条約第二条には「清国は…(台湾などの)土地の主権…を永遠日本国に割譲す」とあるではないか。あくまでも台湾は清国から日本国へ割譲されたものなのだ。

大変な誤解釈である。誤解というものは知識不足に起因するのが通常と思うが、こちらは日本のかつての法制に関する研究を積んだ上での「誤解」のようだ。つまり「台湾は天皇の領土」という主張を裏付けするため、敢えてした「曲解」に見える。

そして「民政府」は、次のようにも強調するのである。

―――中国国家副主席習近平は二〇〇九年十二月十五日、皇居に赴き天皇に謁見したが、聞くところによると、台湾購入の件で問い合せを行っている。しかし天皇は「皇室はこれまで財産を売ったことはない」と答えた。これは大日本帝国憲法下の皇室典範第四十五条の「土地物件の世伝御料と定めたるものは分割譲与することを得ず」に完全に符合するものだ。

これは自らの主張を正当化するための完全な作り話であり、不敬極まりない皇室利用である。

■カルト集団の如し―日本人まで洗脳されるか

 

皇居参賀を集団で行う「台湾民政府」のメンバー。この写真の撮影は 天皇が「民

政府」を「黙許接納」された証拠だと彼らは強調する。これも不敬宣伝ではないの

ここまで歴史や法理を巧妙に歪曲し、さらには皇室の御尊厳まで冒涜しまつり、敢えて誤った主張を流布し続ける「民政府」の目的はいったい何なのか。

私はそれを確かめるべく、その台湾人メンバーらとインターネットを通じ、論争を試みたことがある。彼らは謬論に洗脳された人々だから、各個撃破は容易だったが、しかしどんなに論破しても、殺しても死なないゾンビの如く、同じ主張(民政府の教条的な理論)を何度も何度も繰り返し、しかも次から次へと仲間を呼び寄せ、「お前は中国人と同じだ」「真相がわかっていない」などと罵声を浴びせて来くるのだ(その後、民政府関係のHPに私の名前、写真、動画を掲載し、批判をするというよりもむしろ私が彼らの仲間であるかのような印象を広めている)。

要するにカルト集団に似ていた。

これほど多くの台湾人を洗脳する目的はいったい何なのか。私にはそれがますますわからなくなった。

こうした次第につき、日本人もまた「台湾は天皇の領土」という言葉に飛び付き、洗脳されてはならない。

「台湾民政府」は自分たちに批判的な者に関し、激しい口調で批判宣伝をする傾向もあるが、そのようなものに煽られ、台湾を支持する日本の保守派までが思想的、理論的な対立に陥り、分断を受けることも、中国を利することになる。

杞憂と笑われるかもしれない。たしかに日本で「台湾民政府」の存在は一般的には知られていない。しかしあの宣伝の伝播力、洗脳力、つまり保守派層に対する「魅力」には、今後侮れないものを感じる。日本人一般にしっかりとした台湾に関する知識があればさほど問題はないのだが。

中国を喜ばせるようなことばかりをする彼らが、実際にあの国と関係があるか否かは知らない。ただ確かなのは、日本人にとっては許し難き不敬集団であるということだ。

(追記)台湾の法的地位は未定とはしたが、その一方で台湾住民による総統選挙が行われるなど、すでに住民自決が行われ、今や台湾の主権は台湾住民に帰属していると見ることもできよう。もっとも中国製の中華民国憲法が行われ、馬英九政権も「台湾は中国の領土」と主張するなど、依然として中国政権の看板(虚構)を掲げ続けており、正常な主権国家になっていると呼ぶには程遠いものがある。>

引用終わり

http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2301.html

 

 「台湾民政府」については各自が調べられて、結論をだされればいいことですが、盲信は何事においても危険だと思います。ただそれだけです。 

 ちなみに、台湾人である私の妻もこの「台湾民政府」は信じておりません。というか「胡散臭い」と思っています。

 今日のカミさんの朝ビール。

 

 バンブーさん来店。

 二名様来店。

 

 今日は酒は飲まず。

 サッサと帰宅。

 サルでもエビでもない。


池田大作と五つの墓

8月11日月曜日晴れ風が強い△

 池田大作氏について興味深い記事が随分前に掲載されていた。

 

 以下、私の部屋にあった週刊新潮の記事より引用

 <創価学会の池田大作名誉会長が公の場から姿を消して一年が過ぎた。この大震災に際しても音沙汰なく、健康危機説の真実味は増すばかりだ。すでに水面下では大権力者の墳墓に関する話題が取り沙汰されているという。実は彼にゆかりの墓が五つもあったのである。

 

略)

異宗徒の墓

 池田家にまつわる墓は全国で五カ所あるとされる。そのうち一番最初に作られた墓から話を始めよう。

 東京都大田区大森。マンションや商店が並ぶ一角にその寺はあった。

 平安時代に開創され、千百年以上の歴史を持つ密厳院。境内には、あの八百屋お七≠祀ったお七地蔵なども安置されている。ちなみに大森は池田氏の生誕の地でもある。当地で海苔製造業を営んでいた父・子之吉(ねのきち)氏が昭和三十年にこの密厳院にお墓を建立した。

「子之吉さんは、昭和二十年、にビルマで戦死した長男の喜一氏を供養するためにうちに墓を建てられたのです」

 というのは、住職の喜田啓照氏である。なお、池田氏は十人兄弟の五男坊だ。「その翌年、子之吉さんもお亡くなりになり、このお墓に納骨されました。ですから、ここにはお二方のお骨が納められています。子之吉さんの死後は次男の増雄さんがお墓を継がれた。その増雄さんも逝去され、今ではお墓の所有者はその息子さんになっています」 ここが池田家のそもそものお墓であるが、奇妙な点がある。実はここは真言宗智山派の寺院。池田氏らが日頃、邪教としている異宗徒の墓地なのだ。

「このお墓の存在によって、浮かび上がってくる事実があります」

 というのは、学会問題に通暁し、『池田大作金脈の研究』(第三書館)などの著書があるジャーナリストの野田峯雄氏だ。

「つまり、会員には親兄弟や友人を折伏して入信させろ≠ニ大号令をかけながら、自分は父親の子之吉さんさえ折伏できなかったということです

 野田氏によれば、池田父子の間には宗教を巡って激しい相克があったらしい。

 池田氏が創価学会の第三代会長に就任した後の昭和四十年代、この大森のお墓を巡ってある異変≠ェ起きた。

「まだ存命だった増雄さんが来られ、弟がああいう立場なので……≠ニ、お父さまと長兄の遺骨を分骨したい旨の申し出をされました。本堂で分骨したことを今でも覚えています」(前出・喜田住職)

 池田氏の意向で、分骨が実施されたようなのである。

「この時、二人の骨は、学会が土地を提供し、日蓮正宗が開発・運営している東京・八王子の高尾墓園に移されました。子之吉氏の法名も『浄徳清道信士』から、『種田院法子日実居士』に替えられた。喜一さんの戒名もしかりです。要するに父親も長兄も池田氏によって、二つの全く異なった宗派の法名を持ち続けるという、実に奇妙なホトケさんにされてしまったのです」

 と、前出の野田氏。それにしても、なぜ彼はこのようなことをしたのか。

「推測になりますが、本人にしてみれば、自分が家族も折伏できず、まとめられなかった≠ニいわれることは我慢ならない。お骨をそのままにしておくと、この事実が残るので、容認できなかった、ということではないでしょうか」(同)

 いずれにせよ異教の宗派のお墓であるから、池田名誉会長が死後、ここに永眠することはまずあり得ない。 次に建てられた池田家の墓は、野田氏が語った、八王子市の高尾墓園である。

 この墓園がオープンしたのは昭和三十八年。三千坪ほどの広大な土地を創価学会が日蓮正宗の総本山、大石寺に寄進した。ただ造成は日蓮正宗が行い、その後の経営も総本山が行っている。墓園を管理する常修寺の関係者が語る。

「この墓園には学会の初代会長、牧口常三郎氏や二代会長の戸田城聖氏らのお墓もあります。池田大作さんはその区画の周辺を学会用に押さえました。池田家の墓も牧口、戸田家のすぐ下に設置したのです」

 前述したようにここには、池田氏の父、子之吉氏と長兄の喜一氏が分骨され、後には母、一(いち)さんや昭和五十九年に二十九歳の若さで急死した池田氏の次男、城久氏のお骨も納められている。池田氏もここに埋葬されていい筈だが、そうもいかない事情がある。なにせ、高尾墓園は日蓮正宗が運営している。本来、日蓮正宗の一信徒団体に過ぎなかった創価学会。それが巨大化し、池田教≠ヨと変貌する中で、宗門と激しい戦争≠繰り広げたことはご存じの通りだ。その結果、平成3年、池田氏率いる創価学会は日蓮正宗から破門されてしまった。池田氏にしてみれば、その憎き仇敵の運営するお墓に入れる筈がないのである。

 三つ目に紹介するお墓は古都、鎌倉の「鎌倉霊園」にある。昭和三十年代に西武鉄道が開発したものだ。この地に、昭和四十九年、前述の増雄氏が年老いた母親、一さんと自分のためにお墓を用意した。なお、この鎌倉霊園は無宗派の墓苑である。

「増雄さんは老齢の母の面倒を見て、一緒に暮らしていました。その母親が昭和五十一年九月に亡くなり、鎌倉霊園で供養しようとした。この時、割って入ってきたのが、池田さんです。すでに学会の三代会長となっていた彼にしてみれば、母親を無宗派の霊園に埋葬ざれては周りに示しがつかず、たまったものではない。だから、葬儀の喪主は増雄さんでしたが、実質的には創価学会に取り仕切らせました。まだ蜜月関係だった日蓮正宗のお寺で、品川にある妙光寺において葬儀は営まれた。そして一さんの死の翌年、彼は、日蓮正宗総本山の大石寺に墓を建立。結局、一さんのお骨はその大石寺と高尾墓園、鎌倉霊園の三カ所に分骨されたのです」(学会ウォッチャー)

 ともあれ、この増雄氏が建立した鎌倉霊園の墓も無宗派だけに、池田名誉会長の墳墓としての適格性を欠いている。

 次にご紹介するのは、いわずと知れた日蓮正宗のお膝元。前述した総本山大石寺にあるお墓である。 富士山を望む、緑豊かな墓地にある池田家の墓は一際、豪壮なものである。「建立は昭和五十二年九月六日。これは池田氏の母親、一さんの命日です。したがって母親のお骨を分骨するために建立されたお墓ということが窺えます」

 と語るのは、日蓮正宗の宗務院渉外部の担当者だ。

「墓石には、他に子之吉氏、喜一氏の名前も刻まれていますが、納骨されているかどうかは分りません。ただ、名前の記されている次男の城久氏はここに分骨されていると思います。池田氏は破門される直前まで総本山に参詣していました。その際にお墓参りもしていたでしょう。今もお墓はいつも綺麗に掃除され、樒(しきみ)もよく取り替えられていますよ」

 本来、「学会VS宗門」戦争がなければ、こここそが大本命。ご本人も入るつもりで建てた墓だったと思われる。しかし、破門された今となっては、この墓に埋葬されることは一〇〇%ないと断言できる。

 最後に紹介するお墓は、奈良・生駒の山間の町にある。日蓮正宗・法雲寺。ここに池田氏が墓を建立したのは、昭和五十八年のことだ。

「法雲寺の住職だった故・石川秀頴(しゅうえい)氏と池田さんは非常に親しい間柄だった。そうした関係から、池田さんが石川さんのお寺に約千万円ものお金をかけ、墓を建てたと聞いています」(前出の学会ウォッチャー)

 現在、墓には誰の骨も入っていないという。いずれにせよ、ここも日蓮正宗のお墓である以上、池田名誉会長が埋葬されることはあるまい。

 こう見ると、池田氏は五つも縁(ゆかり)の墓地がありながら、そのいずれにも居場所がないことになる。大教祖様にすれば何とも寂しい限りで、哀れにすら感じられる。

聖地$V設

 では、池田氏にもしものことがあった場合、本人や家族はどこに埋葬することを望んでいるのだろうか。

 ジャーナリストの乙骨正生氏の見立てを聞こう。

「私は、破門される前の池田大作氏が大石寺に登山したように、あるいはムスリムがメッカを巡礼するように、会員が巡拝するための新たな聖地≠作ると思います。これが現代のご本仏である池田先生のご灰骨である≠ニして聖地を新設すれば、拝観料という形で金儲けもしゃすい」

 では、それはどこに作られるのか。

「まず八王子が候補に挙げられるでしょう。八王子には大規模な会議など各種イベントを行う東京牧口記念会館がある。創価大学のキャンパスもあります。敷地は広大にあり、どこにでも作れます。また本部がある新宿区信濃町も考えられる。ここは全国の会員が信濃町詣で≠しています。現在、学会はこの信濃町に壮大な新総本部を建設中。この中に池田記念堂≠フような部屋を作る可能性もある。そこに金の骨壷や池田像などを置けば、信濃町詣での信者も増えるでしょう」

 もっと変則的な展開があるのではないかと予想するのは、元学会広報部副部長の小川頼宣氏である。

「学会には北海道から九州まで全国一三カ所に学会墓苑があります。池田氏が亡くなった場合、まず信濃町の本部にお骨を置いて、そこで一周忌の盛大な回忌法要を行うでしょう。その後、本骨は高尾墓園など首都圏に置きながら、七回忌あたりから全国の学会墓苑に徐々にお骨を分骨していくというショーを始めると思います。各地に分骨しないと、彼と共に眠れると思って墓苑を購入した会員から騙された≠ニいう不満が出かねませんから」 むろん、現時点でこれだと断定はできないが、いずれの予測も説得力があり、あり得そうである。

 そんな中、最も現実性がないと思われるのが冒頭でお伝えした「ミイラ化による池田廟建設」だ。しかし元公明党委員長の矢野絢也氏も学会幹部から同じ相談を受けたと証言する。「私が公明党書記長をしていた七十年代に、ある幹部から池田先生が亡くなられた後、ミイラにできないか。レーニン廟みたいなものを作りたいんだ≠ニ相談を受けたのです。当時は学会上層部で真剣に検討もされていた。ただ日本では法律的に不可能であることがはっきりし、そのまま立ち消えになりましたが」

 スターリン、毛沢東、金日成……。冒頭の証言も併せれば、こうした独裁者が抱いた野望が、特異な宗教団体の基底でも何十年も保持され、燻(くすぶ)り続けてきたといえよう。しかも厚労省によると、現在の死体解剖保存法の下では、遺族が了承し、指定病院が行えば、遺体を標本化できるという。それを病院などの医療施設以外に安置することも、当該の都道府県知事等が許可すれば間題ないというのだ。名誉会長ミイラ化には実現性が出てきたわけである。

略)>。

『週刊新潮』平成二十三年六月九日号P五十〜五十三

 

 

 このように池田大作氏の墓は五つもあるのであるが、自業自得とはいえどこにも入る予定がない。入れない。

 それだけではなく、池田大作氏の御先祖の墓についてはどこにあるか不明なのである。

 祖父の墓についても書かれているものを見つける事が出来ない。

 池田大作氏のような有名な御仁の御先祖の事がどうして出てこないのか不思議である。

 それとも隠したい事でもあるのであろうか。

 

 そういえば池田氏の生家については、聖教新聞に過去に下記のように書いてありました。

 以下引用

<もともと東京の蒲田区(現・大田区)麹谷三丁目の二階建ての屋敷に住んでいた。  広い敷地には鯉や鮒が泳ぐ大きな池があり、楓や桜、さらにイチジクやザクロも植えられていた。

 とんぼ捕りなど、幼き日の楽しい思い出が光るこの家も、昭和一三年(三八年)、兄たちの出征と相前後して人手に渡り、軍需工場へと変わった。

 略)

 麹谷二丁目に移り住んだ立派な家も、東京大空襲の後、空襲の類焼を防ぐために取り壊されることが決まり、強制疎開させられた。そこで、当時、田園が広がる大森区(現・大田区)馬込のおばの家に、一棟建て増しさせてもらい、移り住むことになった。

 五月二四日。新しい家ができあがり、荷物もリヤカーで運び終え、あすから皆で暮らせるというその夜のことだった。

 「落っこちた!落っこちた!」と、防空壕の皆が騒ぎ始めた。

 無情なる空襲によって焼夷弾が、我が家に命中した。完成したばかりの我が家は全焼してしまったのである。父と母は人生をかけて築き上げてきた大切な幸福の城を、戦争はことごとく破壊してしまった。

 なんとか運び出した長持ちに入っていたのは、たくさんの「ひな人形」だった。それでも、「このおひなさまがかざれるような家に、きっと住めるようになるよ」と皆をはげましてくれる母の明るさが、我が家の希望の光りとなった。」>

引用終わり

 同じ紙面に「小学校五年生の私も、海苔製造業の家業を手伝い、六年生からは新聞配達も始めた」と書いています。二年間京城にいたお父上はやり手の海苔製造業者だったようです。

 平成十九年八月二十九日聖教新聞より

 京城にてやり手の海苔製造業者であって、大田区でも海苔製造業者であった裕福なお家の御先祖様のお墓はどこにあるのでしょう。

 淡路島の百姓のウチの家でさへあるようにな過去帳もないのでしょうか?

 

 あほらし。

 

 今日はカミさんと店のご近所でワインを飲んだあと、店に寄り資源ゴミを出してから帰る。

 サルでもエビでもない。

 


アホ朝鮮人ども

8月10日日曜日雨○

 いつもこの時期になると「平和平和」「九条、九条」と叫ぶ気違いどもがいる。

 日本人が我が国憲法についていろいろ言うのは良いが、なぜ朝鮮人どもから我が国憲法についていろいろ言われなければならないのだ。

 いくら朝鮮人に気違いの割合が多いといっても気違い過ぎる。

 ハングル版「パッチワークキルトで憲法九条を作る会」

 http://homepage2.nifty.com/article9/newpage17.htm 

 

 以下はネットにあった南朝鮮の気違いどもの写真です。

 

 

 そんなに九条が良いのであれば、おのれらの国の憲法にも取り入れろ。

 それもしようとしないくせに、我が国に対していろいろ五月蝿く吠えるな。

 ついでに、もう一枚北朝鮮の気違いどもの写真を。

 

 

 あほらし。

 今日は店を片付け、ビールイベントに行ったカミさんと合流し、残り物で飯。

 

 


8月9日土曜日雨△

 夕方より蔵元の濱川社長も参加してくださり、「飲んべえの会 美丈夫」

 出品酒

NO.1 平成26年 美丈夫 鑑評会出品酒 

NO.2 平成26年 美丈夫 あかぎ坂 うす濁り 50%

NO.3 平成25年 美丈夫 あかぎ坂 うす濁り 50%  

NO.4 平成25年 美丈夫 夢許 純米大吟醸  30%

NO.5 平成24年 美丈夫 夢許 純米大吟醸  30%

NO.6 平成23年 美丈夫 夢許 純米大吟醸  30%

NO.7 平成19年 美丈夫 夢許 純米大吟醸  30%

NO.8 平成26年 美丈夫 華  純米大吟醸  40%

 NO.8の「美丈夫 華」は蔵元である濱川社長より提供していただきました。

 

 二名様来店

 一名様来店。

 Sさん二名様で来店。

 その後皆さんで二次会。

 ドンチャン。

 サルよりマシ。

 


「岐阜県遊戯業協同組合50年史」

8月8日金曜日一時雨のち晴れ△

 平成二十三年に編集されたこのパチンコ組合の記録には、パチンコ関連が基幹産業であるといってはばからない朝鮮人どもの足跡がものの見事に記されていません。

 

http://www.gifu777.jp/ebook/index.html

 まあ、あのどうしようもないパチンコ業界の犬である国会議員・野田聖子が人間のクズらしい喜々とした挨拶文をだしています。

 <大衆娯楽の殿堂として県民に広く親しまれ、レジャー産業の一翼を担い、経済的地位の向上と合わせて幅広く社会貢献を図られるなど確固たる社会的基盤を築いてこられました。

 略)

 カジノ法案と合わせて、関連するパチンコ業法の問題もございますが、双方が共存共栄し国民の中で定着していくことが一番望ましい姿ではないかと考えております。

 私と致しましては、皆様の御意見、ご要望をお伺いいたしまして、長年お世話になっております皆様方業界の発展のため、お役に立てるよう頑張って参りたい所存であります。

 パチンコによる数々の醜い出来事など一切眼に入らないようで、まさに人間のクズとしか言えない文です。

 バンブーさん来店。

 Tさん来店。

 Sさん来店。

 一名様来店。

 Mさん来店。

 

 営業終了後、カミさんの誕生日と結婚記念日を兼ねて、カミさんの好きな磯自慢アダージョで御祝い。

 

 


8月7日木曜日晴れ△

 カミさんの「予定」朝ビール

 Oさん二名様で来店。

 二名様来店。

 Fさん三名様で来店。

 一名様来店。

 Yさん来店。

 Yさんは二〇になって初めて酒を飲むのに選んだ店がウチの店だったというお客様。

 営業終了後、カミさんとアンブラさんに伺いドンチャン。

 サルよりマシ。

 


8月6日水曜日晴れ△

 今日のカミさんの朝ビール。

 Oさん来店。

 新聞社の集まりがあったが朝日新聞に関しては誰も何も言わなかったらしい。

 二名様来店。

 六名様来店。

 Oさん御夫妻来店。

 Mさん来店。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。


何も変わってなかった。

8月5日火曜日晴れ△

 あの朝日新聞が慰安婦報道について「反省」しているとかいうのがあり、記念にと買ってみた。

 でっ、やっぱ何も変わってなかった。

 「おわび」や「訂正」などどこにもない。

 あるのは開き直りだけである。

 <日韓関係はかつてないほど冷え込んでいます。混迷の色を濃くしている理由の一つが、慰安婦問題をめぐる両国の溝です。

 この問題は1990年代初めにクローズアップされ、元慰安婦が名乗り出たのをきっかけに議論や研究が進みました。戦争の時代に、軍の関与の下でアジア各地に慰安所が作られ、女性の尊厳と名誉が深く傷つけられた実態が次第に明らかになりました。
略)

一部の論壇やネット上には、「慰安婦問題は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」といういわれなき批判が起きています。しかも、元慰安婦の記事を書いた元朝日新聞記者が名指しで中傷される事態になっています。

略)
 私たちは元慰安婦の証言や少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します。似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。

 こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。

 被害者を「売春婦」などとおとしめることで自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、日韓両国のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因を作っているからです。見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧します。

 戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです。

 90年代、ボスニア紛争での民兵による強姦(ごうかん)事件に国際社会の注目が集まりました。戦時下での女性に対する性暴力をどう考えるかということは、今では国際的に女性の人権問題という文脈でとらえられています。慰安婦問題はこうした今日的なテーマにもつながるのです。
略)
 来年は戦後70年、日韓国交正常化50年の節目を迎えますが、東アジアの安全保障環境は不安定さを増しています。隣国と未来志向の安定した関係を築くには慰安婦問題は避けて通れない課題の一つです。私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます。>

 

 そりゃそうだ。

 朝日新聞が「今まで捏造ばかりしてました。反省します」などというのは、在日朝鮮人どもが「今まで日本と日本国民に集って迷惑かけました。申し訳ありません」というみたいなもので、気色悪いだけである。

 朝日新聞は朝日新聞。

 朝鮮人は朝鮮人。

 ただそれだけである。

 朝日新聞の従軍慰安婦問題と遺棄化学兵器問題にみる共通性

 朝日新聞、本多勝一にみる歴史の捏造の仕方

(南京攻略線、万人坑)

 朝鮮人戦時売春婦と朝日新聞の報道

 

 あほらし

 エアコンから異音がするのでサービスセンターに連絡して修理に来ていただく。

 昨年と同じ箇所だったので無料。

 

 今日のカミさんの朝ビール。

 二名様来店。

 香港からスミちゃん三名様で来店。

 三名様来店。

 Iさん来店。

 二名様来店。

 営業終了後、Iさんとカミさんと三人でご近所でプチドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。


朝鮮人の整形

8月4日月曜日晴れ△

 下記のようなニュースがありました。

<韓国で“顔重視じゃない”ミスコン開催、後ろ姿の美を競う「ミス・セクシー・バック」―香港メディアXINHUA2014年07月31日12時34分

最近、「参加女性たちの顔がみんな同じ」と話題になったミスコンテストが行われた韓国で、今度は「顔重視じゃない」ミスコンが行われている。お尻や背中など、後ろ姿の美しさを競う「ミス・セクシー・バック」コンテストで、現在、インターネット上で出場者たちの人気投票が行われており、8月10日にソウルで決勝大会が行われる予定だ。香港・東網が30日伝えた。

参加者27人は書類審査と予選を勝ち抜いた女性たちで、職業はモデルに女優、銀行員、看護士、塾講師とさまざまだ。この中から選ばれた6人が下着ブランドの宣伝に起用される。

(編集翻訳 恩田有紀)>

 そりゃ、顔で選んだら、ミス・コリアの最終選考に残った下記の写真のような劣化コピー製品ばかりになります。

 

 朝鮮は支那の属国であった李氏朝鮮時代まで延々と女性を宗主国様に貢ぎ物(朝貢品)として差し出していた歴史があり、その残り物、カスが今の朝鮮人どもです。

 そのため、朝鮮女は工事をして、一生懸命外面だけ整えます。

 その工事のために削り取った千人分の顎の骨です。

 <韓国ソウルの病院が整形手術で切除した約1000人分の顎の骨を使った高さ60センチほどのオブジェを院内に展示し、地元当局が医療廃棄物管理法に違反するとして撤去させた>

 

 そんな大工事をして男を騙して結婚してもそのDNAはごまかせませんので、騙された男は悲惨なめにあいます。

 米国人のピートローズなどその典型です。

 

 

 まあ、自業自得としか言い様がありませんが。

 あほらし。

 今日は夜はカミさんと軽く酒と飯。

 其の後、店に寄り資源ゴミを出してから帰宅。

 今日は二人とも記憶あり。

 サルよりマシ。


「内なる祖国へ」(河田宏著 原書房 平成十七年刊)のデタラメぶりその4

8月3日日曜日晴れ

 創氏改名について

 <なんと言う事をしたのか。権力が特定の地域の住民の名前を変えさせたことはあっても、二千五百万もの民衆全員の名前を変えさせるとは、世界史上かってなかったことだ。>

 P七十九

 <本貫とは姓の発祥した地をいうが、具体例を、朝鮮韓国関係書著訳者金容権氏にとって説明すると、彼の本貫は金海金。慶尚南道金海が発祥の金氏である。この金海金氏も非常に多いので、いくつかの派がある。彼はその三覧派。三覧派の六十九代目には名前、ファーストネームに「容」がつく。これは百年も前から決められている。つまり金容権は名前を見ただけで金海金氏三覧派六十九代目とわかる。朝鮮人の名前はこれほど同族意識の強いものなのである。これは今も変わらない。>

P八〇

 朝鮮人のいう族譜についての嘘についてはもう何度か指摘している。

 玄大松氏(財団法人アジア太平洋研究会)の論文によると

 <族譜を編纂時期別にみると、十五世紀に二十三点、十六世紀に四十三点、十七世紀に百四十八点、十八世紀に三百九十八点、十九世紀に五百八十点である。二十世紀には、一九四五年以前が四百十七点、一九四六年以後が六百八十四点である。(『姓氏の故郷』第3版、中央日報社、千九百九十年)編纂年度が不明な三百三点を含め、千九百九十年現在で把握されている二千五百九十六二点の族譜のなか、二十世紀以前のものが千百九十二点、二十世紀以後のものが千百一点である。現存する韓国の族譜の半分近くが二十世紀に入ってから編纂されたものであることが分かる。これは何を意味するのか。

略)

朝鮮中期まででも身分が低い人は名字がなく、出身地をあらわす本貫しかもっていなかった。韓国で誰もが名字を持つようになったのは身分制度が打破されてからであり、日本の植民地支配の過程で一九〇九年民籍法が施行されてからのことである。

 では、今まで名字がなかった人々はどのように名字を付けたのであろうか。四つの事例がある。第一に、戸籍書記と警察とが本人の希望通り、あるいは適当に作ってあげた。第二に、奴婢の場合、主人の名字を使うことが多かった。第三に、出身地で最も多い大姓を名乗った。第四に、戸籍書記が記録のとき、漢字を間違ったのがそのまま名字になった。

 改めて述べるまでもなく、十七世紀以降族譜の刊行が盛んであったため、族譜に名を連ねている祖先の多くの功績が文禄・慶長の役での活躍である。そして、彼らが公式的な文書、歴史物語のなかにも登場する。それと同時に、田舎には文禄・慶長の役で戦死した祖先を祀る霊廟が町内にあり、人々が参拝してはその祖先が成し遂げたことを回想する。祖先の物語が現在も生活の中に息づいているのである。

略)

しかし、前述したように韓国人のすべてが名字を持つようになったのは、二十世紀に入ってからである。

 十五世紀に二十三点、十六世紀に四十三点、十七世紀に百四十八点に過ぎなかった族譜の刊行が、十八世紀に三百九十八点へと飛躍的に増えたのは、単に印刷技術の発達によるだけではない。族譜があれば軍役が免除されるなど、族譜をもつこと自体が特権であったためでもある。それゆえ族譜の偽造が大量に行われた事実は『朝鮮王朝実録』の記事にも散見できる。十九世紀末の身分制度の崩壊と、植民地時代での身分の変動に伴い、一九二〇年代には毎年族譜がベストセラーになったくらい、族譜の編纂は盛んになった。その多くが「作られた伝説」であることは言うまでもない。すなわち、いま各家庭で神聖なものとして奉られているほとんどの族譜が実は「幻の族譜」なのである。

 十六−十七世紀には、姓氏さえも持っていなかった奴婢は全体人口の三十−四十%であり、人口の四十−五十%を占めていた百姓も族譜を持つことは不可能であった。にも拘わらず、現在韓国のほとんどの家庭が五−六世紀からの始祖から始まる族譜を持っている。族譜からみて、現在の韓国人は皆これまでこの国を作り、支配してきた王様か、両班貴族の末裔である。

「族譜・アイデンティティ・日韓関係」玄大松氏(財団法人アジア太平洋研究会)

朝鮮人の族譜というウソ 

 <朝鮮固有の文化を解体して、日本と一体化する内鮮一体、同化政策であり、近い将来に施行する徴兵制の準備だった。>

P八十一

 <三八年二月に徴兵制の施行であった陸軍特別志願兵制度は初年度四〇六名の募集に対し二九四六名が応募。四〇年度は三六〇〇名の募集に八万五千名近くが応募している。実態は各面への応募者の割当があったからであり、深刻な問題としては農村の窮乏化があった。農村振興政策で吸い上げられなかった貧農層は、立て続けに襲った水害と干害で食も職も無い状態に陥っていた。兵隊の僅かな給料でも欲しかったのだ。だから、志願者の九割は小作農出身者であった。軍隊では給与に日本人との差がない。それに除隊後に警察官、下級官吏登用の途もある。応募に当たっては熱烈な願書や血判志願もあった。

 略)

 各家庭から壮丁(徴兵年齢に達した青年)を徴募するためには、日本同様の家族制度が必要だった。>

 P八十一〜八十二

 創始改名は徴兵制の為に必要だったと言っているのです。

 アホかと。

 

 それ以外も

<朝鮮人にとって、創氏改名は自己のアイデンティティーを否定する事になる。伝統からの断絶を意味する。それだけでない。日本風の名字をつける事によって心が屈折し、かえって日本人との違和感はいっそう強くなった。結果として、総督府のいう内鮮一如から遠ざかる事になってしまった。>

P八十六

 創始改名については何度も指摘しております。

 創氏改名の誤解朴一の著書に見る創氏改名朝鮮と徴兵・徴用

 

 下記の記述についても、著書の河田氏は矛盾というものを感じなかったのであろうか。

<金嬉老にも創氏改名はある。「清水安広」。その他に、一九六八年二月のいわゆる金嬉老事件を起こすまで近藤、金岡などわかっているだけでも七つの名前を使っていた。日本風の名前なんかどうでもよかったのであろう。

 しかし、日本で生きていくには日本風の名前が必要不可欠であった。朝鮮人は日本内地ではマイノリティなのである。朝鮮人は朝鮮にいる限りは日本に抑圧されていてもマジョリティだ。朝鮮人という群の中で生きていける。ところが日本に上陸したその日から、彼らはマイノリティとして日本人にとして日本人と日本語に直接対応しなければならない。>

P八十七

 

 朝鮮人がそれほど自分の名前に拘りがあるのであれば、別に日本名など名乗らなくても我が国では生きていける。多くの外国人は自分の名前だけで生きている。差別だ、名前を奪われたなどとほざきながら、偽名で生きているのは朝鮮人ぐらいである。

 朝鮮人という人種の程度がよくわかる。

 あほらし

 私は店を片付けてから、横浜で友人と飲んできたカミさんと合流し、遅めの飯。

 店に帰って生ゴミを出してから帰宅。

 一応記憶あり。

 サルよりマシ。


 

「内なる祖国へ」(河田宏著 原書房 平成十七年刊)のデタラメぶりその3

8月2日土曜日晴れ

 独立戦争とやらについて

 <六月四日夜半、金日成の指揮する朝鮮人民解放軍(正確には東北抗日軍第六師だが通称こう呼ばれている)九十名が筏で鴨緑江を渡り、祖国光復会の八十名と合流、普天堡の公共施設数カ所を破壊、放火し、駐在所にあった銃器を奪って撤収したのである。

 略)

 問題はその後だ。恵山鎮の守備隊と警察隊一〇〇名が出動して鴨緑江の対岸まで追撃したが死者七名、負傷者十四名という壊滅的打撃を受けてしまった。

 略)

 連日掲載された記事を読んでいくと鮮やかな襲撃だったことがわかる。金日成という特定の人物名が繰り返し出てくるので現実味が増す。>

P六十六〜六十七

 <反日武装闘争=義兵闘争は併合前から続けられていた。啄木がテロリストの悲しみと詩った安重根は中国東北部吉林省北間島からソ連領沿海州を根拠地とする大韓義軍中将なのだ。彼はテロリストではなく、大韓帝国の軍人として戦争したのだ。

 略)

 彼は単身でハルピン駅頭で伊藤博文を射殺した。彼の義挙は朝鮮人一人ひとりの心に刻み込まれた。>

P六十八

 <中でも金佐鎮率いる北路軍政署と洪範図率いる大韓独立軍約二千名が、吉林省青山里一帯で四日転戦しながら五千名の日本軍を破った戦いは、朝鮮独立戦争史上最大の勝利であった。>

P六十九

 嘘が国技の朝鮮人の言う事を何も調べずにそのまま書いているこの河田という御仁ははっきり言って、どうしようもないドアホです。

 安重根の伊藤博文銃撃事件について、テロリストではなく軍人としての戦闘行為であるとは笑止。軍人であっても軍服も着用する事無く政府要人である身に寸鉄もつけていない無防備な伊藤博文を射殺すれば単なるテロリストです。軍人とはどうして軍服を着るか。軍人と民間人との区別を付ける為です。これは義勇兵でも同じで、制服なり徴章なりを有しなければいけません。民間人のふりをして戦闘行為を行えば便衣兵として国際慣習法にて即刻射殺されても文句は言えません。

 南朝鮮が潜水艦の艦名にまでしている金佐鎮は単なる山賊です。

  

金九および閔妃について

 <一八九五年朝鮮王朝の王妃閔妃が王宮内に侵入した日本人に殺害され、焼き捨てられた。閔妃暗殺である。彼はまさに怒髪天を衝くごとく怒りを発し、偶然出会った日本人将校を殴り殺し、その血をすすって怨みを晴らした。その時彼は二十歳。『白凡逸史』でその詳細を知る事ができる。撲殺した将校の日本等を奪ってメッタ切りにし、その血を手で掬って飲むというほどの激しい怒りであった。

 それから14年後の一九〇九年に安重根は伊藤博文をハルピン駅頭で射殺した。彼は公判廷で、射殺の理由の第一に閔妃暗殺をあげている。この事件を日本の国家犯罪とみていて、事件当時の総理、伊藤博文を誅殺したのだ。

 これほどの怒りを民族が共有しているのである。日本人である私たちはどうしたらよいのか。>

P七十四〜七十五

 これについてはこれまで何度か引用させていただいた事があるが、昭和十一年、京城帝国大学を卒業後、高等文官試験(行政科)に合格し大東亜戦争終戦まで朝鮮総督府に警察官僚として務めた坪井幸生氏は著書「ある朝鮮総督府 警察官僚の回想」に「戦時下朝鮮に不穏分子の策動無し」と題し下記のように書いています。

 <保安課は一言で言えば、政治警察を主管する課であった。朝鮮に関する一般情報や政治情報を集め、総合的に判断して統治の資とする。

そして、治安維持法等の運用を主管し、その違反事件を検挙するための課である。

 そのための特別高等警察係(特高係)は、共産主義による独立運動などを中心として、監視、捜査を指導する。高等警察係(高等係)は、民族主義などによる独立運動などを中心として対処するという二つの大きな係が伝統的にあった。そこに新しく第三の柱として外事係(外事警察係)が加えられた。その他にも内鮮係、宗教係、水平運動係、右翼係など、取り締まり対象などによって諸係があった。

略)

 特高係も高等係も事件らしい特別の事件はなかった。一部反戦的言動を表するものはいたが、社会一般の銃後奉公の大勢に圧倒されて、問題にはならなかった。過去の事件関係者などにも目立った動きはなく、運動展開の企図を有する者はみな海外に脱出して、そこから遠隔操作で目的を達しようとしたが、まったく効果はなかった。

 海外では一部の者によって「光復軍」や「朝鮮義勇隊」の旗揚げもあった。しかし、前者は民族系で蒋介石の国民党軍に依存しようとしたものの問題とならず、後者は共産系で、毛沢東の共産軍の指導下に組織の拡大を図ったが、結果的にはあまり重要視されなかった。

(戦後、この「朝鮮義勇隊」の後身の一部は北朝鮮の建国に参加しようとしたが、金日成によって粛清・抹殺された)

 結局のところ、いずれも一部の気勢劇に終わり、朝鮮内にはほとんど影響する事はなかった。>

p一〇〇〜一〇二

 続いて、坪井氏は当時の朝鮮半島内の情勢につき具体的な数値をあげ下記のように記している。

 <朝鮮内は滔々として戦意高揚一色となり、兵役義務のない朝鮮青年の中にも軍人志向が高まり、日本軍人を志願するものが急増し、昭和十三(一九三八)年、朝鮮総督府陸軍志願者課が新設されたのである。

 志願者に対する採用者の比率を見ると、昭和十三年の二九四六人中、採用され、訓練後に正式に軍人として入営したのは一九二人であった。其の後の応募倍率は、昭和十四年が二〇・五四倍、同十五年が二八・二五倍、同十六年が四八・二五倍という数字を示している。

 ちなみに、それ以降は徴兵制施行方針が決定された。

 この雰囲気の中では共産主義者なども蠢動の余地はなく、のちに北朝鮮建国後に朝鮮共産党を代表するとして金日成の対抗勢力を標榜した朴憲永も、光州の煉瓦工場に工員となって逼塞し、全く活動していなかった。

 戦時下の朝鮮は、戦後にいわれる評価とは裏腹に、まったく間然するところなく戦意高揚、日本国力の重要構成部分として、それと一体に機能したのである。>

 p一〇二

 そして、これは呉善花氏なども指摘していることであるが、坪井氏は朝鮮内の日本人の人数などに触れて下記のように書いています。

<当時の朝鮮の全人口は三千万余、その中の日本人は七十万余に過ぎなかった。日本人がいかに指導的立場にあるとしても、その量的比重はあまりにも差がありすぎた。朝鮮はあくまでも朝鮮人の朝鮮として在ったことは間違いのない事実であった。

 朝鮮では京城をはじめ都市の占める地位は相当重要なウエイトを持っていた。しかし、人口比や地理的占有率からすれば農村の持つ社会的比重は比較にならないものがある。その農村の人口構成は、村人全員が朝鮮人であったと言えるのである。日本人は駐在所の巡査か小学校の校長がいるだけというところも少なくなかった。

 そして、その邑(町)や面(村)を支配する邑・面の事務所は、邑長、面長以下職員全員が朝鮮人であった。また、戦時下の召集によって日本人警察官多くが朝鮮から姿を消し、第一線の警察官の半数以上が朝鮮人であった。

 これは朝鮮は朝鮮人の朝鮮であるといいことであり、その朝鮮人による朝鮮が日本の一部として完全に一体化して世界戦争を戦ったのであった。>

p一〇三

 

そして、坪井氏はこの章を

 <今は当時の朝鮮をいろいろと誣い、非難する者が少なくない。だが、その中の何人がその実情を見聞、体験していたか。その主張は妥当性ある証拠資料に基づいた確固たる立論であるのか、多分に疑わしいものが少なくない。私は、あえて当時の保安課に在籍した者の一人として、実地の所見をそのまま明言しておきたいのである。>(p一〇三)

と結んでいるがまさにそのとおりである。

 

 「ある朝鮮総督府 警察官僚の回想」(坪井幸生著 荒木信子協力 草思社 平成十六年刊

 戦時下における朝鮮独立運動の嘘

 あほらし

 

 今日のカミさんの朝ビール。

 バンブーさん来店。

 茨城よりAさん御夫妻来店。

 Aさんとは「台湾フォーラム」の懇親会でお会いして以来。

 直ちゃん来店。

 「FLASH」に掲載された直ちゃんが次期横須賀配備空母「ロナルド・レーガン」に乗艦し取材してきた時、飛行甲板上で防音ヘルメットを装着したかっくいい写真。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。


「内なる祖国へ」(河田宏著 原書房 平成十七年刊)のデタラメぶりその2

8月1日金曜日晴れ×

 土地調査事業について

<東洋拓殖株式会社、朝鮮を未開地とみなし日本農民を移住させる目的で設立した会社だが、日韓併合後の土地調査で収奪したり、買収した農地から五割以上の小作料を徴収した。>

 

 これについての反論は下記を参照していただきたく存じますが、酷いデタラメです。

 土地調査事業我が国の朝鮮統治と小作農家

 *南朝鮮の土地測量事業とウソ 朝鮮における土地政策(農地改良)

 我が国は植民地政策、併合政策において他の欧米諸国の植民地政策、併合国家に対する政策とはまったく違う政策をとっている。

 

<総督府の下級官吏であった父親は、朝鮮人官吏は高学歴でも昇進が難しい事を知っていたので、実業界で生きた方が良いと判断したのかもしれない>p四十四

 朝鮮半島において、日本人より偉かった朝鮮人

 これについても何度も書いていますが、朝鮮人でも知事までなっています。 朝鮮人の下について多くの日本人が働いていたのです。

 一九三一年よりの宇垣一成朝鮮総督の朝鮮治政について

 <彼が朝鮮に来てまず着手したのは「農村振興運動」であった。全人口の八十%は農民である。その農民が日本内地の農業恐慌に連動して、一段と酷い状態になっていた。

 略)

 ほとんど総ての農家が高利の借金で崩壊かその寸前になっていた。宇垣は金融組合を全道の各面に造り、この組合の強権によって低利の融資に変更させた。それを直接指導したのは公立普通学校長と駐在所警察官である。彼らはそれだけでなく、土地の生産性を高める施肥の方法から生産物の多角化、例えば「南綿北羊」という流行語を生んだ南部では綿花の増産、北部では綿羊を奨励し、さらに営農計画を具体的に指導した。しかもそれを個別にやったのである。こうして総督府の方針は面里の隅々まで食い込んでいった。

 これが第一の効果。第二の効果は、この政策が多少の経営基盤のあった自作農、小自作農にとってはある程度有効であったことだ。計画どおりにいけば五年で借金は返済され、土地の生産性も上がるので、多少の余剰も生まれる可能性も見えてきた。努力すれば何とかやっていけるという希望を与えた。>

 これがどこが悪いのであろう。すばらしい施政であると思うのだが、河田氏によると下記のようになる。

 <こうして農民は体制側に組み込まれていった。第三の効果は面里まで張り回された組織は、宇垣の次の南次郎総督の代になると三十八年からの志願兵兵、四十四年からの徴兵制、さらに強制連行のために機能した事だ。>

p四十五〜四十六

 また朝鮮の工業化についても

 <宇垣が最も力を入れたのは朝鮮の工業化であった。朝鮮を大陸進出の兵站基地とし、日本の戦時総力戦体制に組み込む為である。しかし、近年になって、これで朝鮮工業化の基礎ができたとする見方も出てきた。いづれにしても、この政策によって朝鮮の社会構造に変化が生じたことに間違いない。

 宇垣は金融税制で優遇し、今でいうと工業特区を設けて日本企業を誘致した。朝鮮にはまだ工業法(労働基準法)もなく、環境に留意する必要も無い。企業にとってこんな有利な条件はない。満州事変後ようやく不況から抜け出した企業は、豊富な資源と安い労働力を求めて次々に進出してきた。朝鮮の全生産額のうち工業生産額は一九一八年には十八%に過ぎなかったが、宇垣の政策によって三十年代末には四十%に達している。

 それに伴って朝鮮人経営の中小零細企業が急増する。それまでにも生活に結びついた軽工業的な小企業はあったが、この時期になると大企業の下請けなどで機械工業が急成長する。朝鮮人労働者も増える。戦争が拡大すると日本人熟練労働者が次々と徴兵されていくので、朝鮮人労働者がそれに代わって高度な技術を身につけるようになる。>

p四十七

<興南のコンビナートに動員された朝鮮人労働者は亜硫酸ガスや塩素の臭気の立ち込める劣悪な労働環境で低賃金、長時間労働を強制されたわけだが、それだけではない。彼らの中から技術を習得し知識を蓄積していく者が出てくる。この時期になると中学、専門学校出身者も多くなるので、この人たちの中から管理、経営のノーハウを身につける人もいた。朝鮮の、朝鮮人の強靭さと能力をそこに見るべきだろう。 

 略)

 宇垣は辞任した時「在任中に朝鮮は物心両面とも母国(日本)の進軍に貢献しえるよう基礎だけは出来上がっております」と自負していたが、朝鮮はこれを見事に逆手に取ったのである。独立後の経済発展の基礎としたのだ。>

p四十八

 

 河田氏は自分が書いている事に矛盾というものを感じないようである。

 河田氏によると我が国の朝鮮半島において治政は総て日本人のみの為であり、それを朝鮮人が後に朝鮮人の力のみで今の朝鮮を築いたように書いている。

 朝鮮半島において、亜硫酸ガスや塩素の臭気の立ち込める劣悪な労働環境で働いていたのは朝鮮人ばかりではない。日本人は朝鮮人と一緒になって学んでいた。働いていたのである。

 朝鮮は我が国が統治するまで醜い状態であり、それを近代的にしたのも我が国であり、そして、戦後、世界最貧国に転落した南朝鮮を経済的にも技術的にも救ったのもまた我が国である。

 朝鮮人だけの力では決してない。

 

 <孫優勝の朗報が入った八月十日には、京城をはじめ主要都市では人々が街に繰り出し、「バンザイ!バンザイ!」の声が溢れた。「マンセイ」は禁じられていたので「バンザイ!」としか叫べなかった。>

 P六十一〜六十二

 

 南朝鮮の教科書にも「民族の言葉と歴史を学ぶ事が禁止され」と書いてあるが、我が国は朝鮮を併合した後、只の一度も朝鮮語を禁じた事はない。

 朝鮮における日本語普及率  「一九四二年には全人口の二〇%に当たる五〇〇万人強の朝鮮人が日本語を解したのである」

中川八洋『歴史を偽造する韓国』のP五八(中川氏は森田芳夫『韓国における国語・国史教育』からの引用)

 我が国が朝鮮人に対して「言葉を奪って」、日本語の強制をした結果がこの程度です。

 

朝鮮統治時代の教育

ハングルは日本が普及させた

 

 あほらし

 カミさんの朝ビールの残骸。

 

 ウーちゃん、陽子さん、塩月さん、丸山さん、大野さん来店。

 ホロンさん来店。

 二名様来店。

 ウチの店に来てくださっている一番古いお客様方。

 昭和六十一年、早稲田で初めて店を開いた時はみなさん大学生であった。

 ドンチャン。

 一応記憶ありと思ったが、やっぱ、記憶がなかった。

 サル以下。


 

 


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