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杯飲み屋の親父の酒と酒の日々
<のんべえ日記>平成25年12月分

 

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


Facebook(木下隆義)、Twitter(@saketamanegiya)を始めました。でも、いまいち使い方がよくわかりませんのでちびちびやって行きます。よろしければ、友人リクエストをお願いいたします。

Mixiでの当店のコミュニティは「神楽坂のお洒落でない一杯飲み屋」

管理人はめぐろのしみずさんです。

Mixiでの私自身のハンドルネームは一合です。

一合とっくりのつもりですが、酒はそれでは終わりませんのでいろいろと問題が・・・・・最近は時事的な事は書き易いので、ついついMixiの日記の方に書いております。よろしければ、ご覧下さい。もっと、よろしければ、当店のコミュニテイに参加してください。もっと、もっと、よろしければ、マイミクに。


12月31日火曜日晴れ○

 店に行き、片付け。

 その後は、年賀状。

 カミさんが合気道の練習に出かけた後、置いてあったカミさんのキャリーを見たら、どういうわけかビールが三本入っている。

 淡路島に帰るのにわざわざビールを持っていくつもりか。

 夜はカミさんと飯。

 二人とも酒は飲まず。


12月30日月曜日晴れ△

 金ちゃん、マロさん来店。

 Iさん二名様で来店。

 二名様来店。

 Sさん来店。

 本間さん、文月ちゃんご夫妻三名様で来店。

 

 ドンチャン。

 カミさん共々記憶あり。

 サルよりマシ。

 


 

12月29日日曜日晴れ△

 ホロンさん来店。

 Sくん来店。

 奥様の手作り黒豆を持って来てくださる。

 Hさん来店。

 なんと、東洋美人の平成十年に発売された超限定品を持って来てくださる。

 営業終了後、Hさんとカミさん三人で、大塚の「レアンドロ」さんへ。

 いただいた1969のマディラは絶品でした。

 途中、寝てしまったみたい・・・・・

 でも、サルよりマシ。

 


12月28日土曜日晴れ

  Kさん来店。

 Yさん来店。

 二名様来店。

 Tさん来店。

 二名様来店。

 Sさん来店。

 一名様来店。

 Tさん来店。

  Mさん、Kさん来店。

 青森のKさん来店。

 限定500本、アルコール度数三十二度というペンギンビールをいただく。

 ただ、開けるのにひと苦労で、こんな道具を使わなければ開かないビールって、どうよ。

  

 Wさんご夫妻来店。

 

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。

 


 

12月27日金曜日一時雨 △

 バンブーさん来店。

 一名様来店。

 Oさん来店。

 カレンダーと沖縄の酒「黎明」をいただく。

 二名様来店。

 二名様来店。

 Fさん、Sさん、Sさん四名様で来店。

 Sさん来店。

 青森からKさん来店。

 香港からカミさんの友達の旦那さんである羅さん来店。

 酒を楽しめる方で、風邪っぴきで数日朝ビールやってないカミさんも、ここぞとばかり上機嫌で遅くまでドンチャンをやり大盛り上がり。

 うちの店は、ここしばらく、台湾、香港から初めて来店した方は酒が飲めない?楽しめない?というなんでうちの店に来たのかわからん変なのばかりで、カミさんもストレス溜まりまくりだったからその反動がでかいw


12月26日木曜日晴れ ○

 またまた、大川隆法ダイセンセイ。

 マンデラ、堤清二、山崎豊子、酒井雄哉までなんでもあり。

 面の皮が何センチもないとできないことでんな。

 あほらし。

 酔狂師さん来店。

 一名様来店。

 四名様来店。

 二名様来店。

 二名様来店。

 Oさんご夫妻来店。

 カミさんは風邪っぴきのため、留守番。

 今日は飲まず。


12月25日水曜日晴れ ○

 フランスからルシアンさんが約十年ぶりに来日し、江上夫妻、中島さんとともにドンチャン。

 もちろん、ルシアンさんも武道の達人でその手のエピソードに事欠きませんので、ヤバい事を含め、いろんな話題で盛り上がった夜でした。

 最初にお会いしたのは二十年以上前。

 当時はルシアンさんは日本在住。

 ご自宅とか江上さん宅で毎年ドンチャン。

 お嬢さんも小学生になったばかり。そのお嬢さんは今はコロンビア在住で、お子さんが二人。

 まさに光陰矢の如し。

 

 一名様来店。

 二名様来店。

 サブちゃん来店。

 Hさん三名様で来店。

 ドンチャン。

 一応記憶あり。 

 サルよりマシ。


12月24日火曜日くもりのち雨 ○

 部屋に帰ったら、カミさんが開けてたビール。

 風邪っぴきだつうのに・・・・・

 Eさん来店。

 Sさん来店。

 二名様来店。

 Mさん二名様で来店。

 

 今日は飲まず。

 サルでもエビでもない。


平成25年12月23日月曜日くもり△

 今年も午後より、米軍そして、マッカーサーの卑劣な復讐により「いわゆるA級戦犯」として処刑された英霊の皆様のご命日ですので、東池袋中央公園にある碑に、カミさんとお参りさせていただく。

 マッカーサーという卑劣な男の行った復習については西村眞悟議員が、「世界人権宣言十二月十日発布から東京裁判の本質を見抜け」と題した

メルマガにて指摘されているので、それを全文引用させていただきます。

 以下引用

西村眞悟の時事通信

世界人権宣言十二月十日発布から東京裁判の本質を見抜け

                                  No.919 平成25年12月13日(金)

 本年四月二十八日の「主権回復確認」を踏まえて、再び十二月に書くべきことを書きとめておきたい。

 即ち、主権を奪われたときに何があったのか、とうことである。

 

 そこで、何故、世界人権宣言の発布された年月日を表題に書いたのか。

 それは、第二次世界大戦の連合国が行った我が国の戦時指導者に対する戦犯裁判と称する東京裁判と密接な関係があるからだ。

 この東京裁判は、連合国軍最高司令官だったD・マッカーサーが全権を任されて行ったもので、実質上はマッカーサー裁判であった。彼は、この裁判を我が国を支配する独裁者として取り仕切ったのである。

 そのマッカーサーが仕切った東京裁判の流れは以下の通り、

昭和二十一年四月二十九日(天長節、天皇誕生日)、起訴

 同    五月三日(翌年の憲法施行日)、審理開始

 同二十三年十一月十二日、判決宣告

 同    十二月二十三日(皇太子誕生日)、絞首刑執行

 マッカーサーは、昭和十七年、日本軍に敗北してフィリピンのバターン半島に追い詰められ、そこから七万の部下をおいて脱出した(逃亡した)司令官である。つまり生き恥さらした男だ。

それ故、彼は敗北した我が国に「バターン号」という名前を付けた飛行機で乗り込んできた。

 そして真っ先にしたことは、かつて昭和十七年に、自分をバターン半島に追い詰めて逃亡を余儀なくさせた日本軍の司令官本間雅晴中将に対する復讐であった。

 彼マッカーサーは、本間雅晴中将がバターン半島に立て籠もるマッカーサー軍に対する総攻撃を命じた同じ日の同じ時間に彼を処刑した。即ち、昭和二十一年四月三日午前零時五十三分。

 

 マッカーサーは、同じくマニラで軍事裁判にかけた山下奉文大将を、昭和二十一年二月二十三日、囚人服のまま絞首刑によって殺したが、本間雅晴中将は、軍服を着用させ銃殺している。

 これを以て、マッカーサーが本間雅晴中将に武人の名誉を与えたように言われているが、私はそうではないと思っている。

 マッカーサーの性格から推測して、本間中将が総攻撃命令を下した時間ドンピシャリに彼の肉体に弾をぶち込むために銃殺にしただけだ。

 マッカーサーの決めた東京裁判の起訴から死刑執行までの日付けといい、本間雅晴中将銃殺の日と時間といい、マッカーサーの実に執念深い嫌な陰湿な性格が現れているではないか。

 そこで、昭和二十三年十二月十日に発布された世界人権宣言と東京裁判判決宣告の関係であるが、これもマッカーサーの意向で決定されたと思われる。

 それは、マッカーサーが東京裁判の本質を「裁判」ではなく「復讐殺人」であることを知っていた何よりの証拠である。

 世界人権宣言は、世界人類が保障されるべき人権を宣言したものであり、当然、刑事罰に於ける罪刑法定主義つまり事後法の禁止が宣言されている。

 従って、この世界人権宣言が為された後では、「平和に対する罪」等々の恣意的に拡張された犯罪概念を以て被告人を死刑にしようとする東京裁判は続行できなくなる。

 よって、マッカーサーは、世界人権宣言が世界に公表される前に東京裁判を結審させて判決を終え、皇太子殿下が十五歳のお誕生日を迎える日に狙いを定めて一挙に七人を殺したのだ。

 その殺害の日と時間は、十二月二十三日午前零時一分三十秒から三十五分の間。

 つまり、七人は、マッカーサーのこだわりによって、二十二日の深夜、絞首台の前に引き出されて日付けが変わるまで待機させられ、二十三日の午前零時の時報と共に首に縄を巻かれて吊るされ、約三十分間吊したままにされて確実に殺された。

 これが、我が国が主権を奪われている時に、

 我が国に君臨した武士道・騎士道のかけらもないマッカーサーが為したことである。

 しかしその二年後に朝鮮戦争が勃発する。

 総司令官マッカーサーは、朝鮮半島に雪崩れ込んでくるソビエト軍の武器装備を持った北朝鮮軍と中国共産党の人民解放軍に応戦して、東京裁判に於ける東条英機をはじめとする被告人の主張の正しさを実感する。

 そして、東京裁判に於ける東条英機らの主張を否定したままで朝鮮戦争に対処する自分の判断の正当性を主張できないと判断し、

昭和二十六年五月三日、アメリカ上院軍事外交合同委員会で次の通り証言する。

「したがって、彼らが戦争に突入したのは、主にセキュリティー(安全、生存)の為だった」

「Their purpose,therefore,in going to war was largely dictated by security.」>

 その後、池袋をブラブラし、久しぶりに「沙漠乃月」さんへ伺う。

 店長のインインさんは昨日帰国したばかり。

 相変わらず、インインさんの料理は旨い。

 

 

 

 この「沙漠乃月」さんは客席は五席のみですし、店長のインインさんのご都合で営業していない期間も多々あるので、要電話確認。

 飲んだわりには、二人とも記憶あり。

 サルよりマシ。


12月22日日曜日晴れ△

 日曜日だが、臨時営業。

 Sさん二名様で来店。

 Hさん三名様で来店。

 トモちゃん来店。

 泉さんお二人で来店。

 マルガリータさん、Sさん来店。

 大阪よりOさんお二人様で来店。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。

 


 12月21日土曜日晴れ△

 小胡子さん来店。

 三名様来店。

 二名様来店。

 香港、台湾からのお客様四名様で来店。

 今日は、三名、二名、四名の九名様で約三時間いらして酒十三杯という当店の記録W

 二名様来店。

 Bさん来店。

 Mさん来店。

 営業終了後、Bさんと神楽坂のバー「オブデュモンド」さんへ。

 一応記憶があったと思う。

 サルよりマシ。


 12月20日金曜日晴れ×××

 バンブーさん来店。

 G23さん二名様で来店。

 一名様来店。

 三名様来店。

 Wさん来店。

 四名様来店。

 四名様来店。

 二名様来店。

 

 営業終了後、G23さんと酒を持って中野の「石松」さんへ。

 相変わらず旨い。

 結局、始発電車で帰宅。

 途中、随分と寝てしまったようで、サル以下。

 

 


12月19日木曜日晴れ △

 二名様来店。

 Iさん四名様で来店。

 二名様来店。

 四名様来店。

 Oさん来店。 

 Sさん来店。

 Hさん二名様で来店。

 長尾たかしさん、加藤さんご友人の方々とプチ忘年会。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ

 


12月18日水曜日雨 ○

 メチャヒマ。

 Kさん来店。

 Sくん来店。

 

 カミさん共々飲まずにさっさと帰る。

 サルでもエビでもない。

 


 

12月17日火曜日晴れ △

 今年も美丈夫の蔵元である濱川社長が贈ってくださった干支ボトル。

 御自分の年だけあって、なんとなく例年より力が入ってると思うのは私だけでしょうか。

 四名様来店。

 二名様来店。

 今日は、カミさん共々軽く飲んで、さっさと帰る。

 でも、カミさんはテキーラ。私はビールと酒。

 ちょっと違う。

 サルでもエビでもない。


12月16日月曜日晴れ △

 ユーさん御夫妻とカミさんと出かける。

 途中、高田馬場のホームより見かけた「スズヤ」さんの看板。

 何度かこの日記に書いた事がありますが、昭和五十二年九月に東京に出て来て、渋谷で置き引きにあい、荷物も金も盗られて、所持金三千円弱になり、どうしようかと思いとりあえず山手線に乗りグルグル回っていた。

 途中、少しでも持ち金を増やさなければと高田馬場で降り、電車から看板が見えていた「スズヤ」さんという質屋で、時計を質入れして五千円を借りた。

 所詮春まで学生をやっていた者がしていた時計だから、たかが知れている。スズヤさんから最初言われた金額が千五百円とか二千円程度だったと思うが、「何かご事情がございますか」と言われて「置き引きにあいまして」と言うと「わかりました」と言って五千円にしてくれたのは本当にありがたかった。

 もちろん、働きだしてすぐに引き取らせていただいたが、なんとなく人の情に助けられたありがたい思い出です。

 

 鷺宮の「伊勢勇」さんへ。

 

 その後、ユーさん御夫妻と別れて、カミさんと目白の田中屋さんへ。

 田中屋さんでは私が今一番気に入っているポートである「DOWS2007」一本なにの、カミさんは十本以上買い込む。

 またまた、店長の栗林さんにごちそうになる。

 

 店に寄り片づけものをした後、カミさんと飲みに出る。

 燗酒の老舗「伊勢藤」さんに伺う。

 その後、「アンブラ」さんでワイン。

 

 二人ともサルでもエビでもない。


12月15日日曜日晴れ △

 今日は臨時営業。

 

 Hさん来店。

 Sさん来店。

 ユーさん御夫妻来店。

 Hさんがカミさんへの土産として持って来てくださった川越のビール。

 

 記憶あり。

 サルよりマシ。


12月14日土曜日晴れ△

 我が国のマスゴミは報道しない事。

 特に、朝日、毎日、沖縄タイムズ、琉球新報は、絶対に報道しないでしょう。

 在日米海兵隊フェイスブックより

<交通事故に遭った女の子を海兵隊員が素早い行動で救助

【沖縄県伊江島補助飛行場】 自動車事故で負傷した地元の少女を助けたとして、12月1日、ゴードン・ルウェリン二等軍曹とデービッド・シュミッド三等軍曹が功績記章および表彰状を受章しました。

今年の夏、名護市を北西に走る449号線を走行中、ルウェリン二等軍曹は道路脇で横転している車両に気づき、その車両を通りすぎた所で10代の女の子が近くの歩道で横たわっているのを目に留めました。

ルウェリン二等軍曹は、「運転手に車を止めるように伝えるとすぐさま車を降り、シュミッド三等軍曹も後に続きました。彼女の倒れている姿勢から察して、車から放り出されたように見えました」と当時の様子を説明しています。

両軍曹は彼女の意識があるのかを確認すると、心拍数や大きな損傷がないのかを確めました。

シュミッド三等軍曹は、「意識はありましたが混濁しているようで、見るからにブルブルと震えていました。彼女は身体を起こそうとしましたが、そのまま横たわっているように伝えました。万が一にも脊髄や骨盤の損傷がないか心配だったんです」と彼女の状態について説明しました。

ルウェリン二等軍曹は、彼女の怪我の状態に加えて事故のショックから来る心拍数が高かったことが心配だったと話し、「外傷としては後頭部が野球ボールほどの大きさに膨れ上がり、左側の骨盤に痛みがあることが分かりました。傷の具合から見て迅速に状態が悪化する可能性のある内出血を伴なっている危険性が非常に高いのではないかと思われました」と説明しています。

ルウェリン二等軍曹が彼女の怪我の状態に対応している中、シュミッド三等軍曹は救急隊員が負傷した少女の元へスムーズにたどり着けるようにと現場に集まった人たちを遠ざけました。

シュミッド三等軍曹は、「英語を多少話せる地元の人がいたので、人ごみを被害者から遠ざける手助けをして貰いました。まず被害者を落ち着かせることが先決でした」と話しています。

その後間もなく現場に救急隊員が到着し、被害者を地元の病院へと搬送しました。

 伊江島補助飛行場の施設担当官ライアン・アックランド大尉は、ルウェリン二等軍曹とシュミッド三等軍曹のとっさの判断と冷静さで確実に事故に対応することができ、被害者の安全を確保して、さらなる損傷を防げたと説明しています。

 そして、「間違いなく表彰するに相応しい二人です。事故当時、私も同じ車に同乗していましたが、二人がそんなに素早く対応するとは予期していませんでした。二人は車から飛び出すと走って救助に向かっていました。彼らの行動は特筆すべきです」と二人を賞賛しました。

 アックランド大尉によると、被害者は思ったより軽傷で、それ以上の情報を公表することはできないと話しています。

 ルウェリン二等軍曹は、「彼女が元気なのか知りたいです。私たちが行動を起こしたことで、彼女が元気に家族の元に戻っていたら嬉しいです」と話しています。>

 

 以前も同様の事があったが、一切我が国のマスゴミは報道しなかった。

(平成24年10月24日水曜日の日記)

 大阪から佐藤さん来店。

 二名様来店。 

 二名様来店。

 二名様来店。

 Kさん来店。

 目黒の清水さん、わ。さん四名様で来店。

 クエ鍋でドンチャン。

 ユーさん来店。

 ちょっと、ドンチャン。

 

 さっさと帰る。


12月13日金曜日晴れ △

 今日の中日新聞のコラム

こんなお遊び、しませんでしたか? か〜ってうれしい花いちもんめ。まけ〜てくやしい花いちもんめ。あの子がほしい。あの子でわからん。この子がほしい。そうだんしましょ。そうしましょ。

 物騒な世の中になるのかな。そうやって楽しく遊んでいると、おまわりさんが飛んできて、誘拐を共謀した疑いで逮捕するって。どうしてさ? だって君たち、あの子がほしいと、相談してた−。

 それならば、デモはテロだと決めつけたとか、特定秘密の報道は抑制されるのだとか、今し方話したことさえすぐに忘れてしまうカンジチョウ。あなたのことも逮捕しますぞ。今日忘(キョウボウ)罪の疑いで。>

2013年12月13日中日新聞コラム夕歩道

 こんな阿呆な文章を書いて銭を貰えるとは、なんとこのクズ会社の記者はなんともええ商売なのか。

 今日のうちのカミさんの朝ビール。

 河岸に出かける時間になっても、ビールとグラスだけだして、チンタラやってたので、私がさっさと開けてグラスについで写真を撮ったら、「捏造だ」と騒いでました。

 フン、どうせ三分後には開けるはずだったのに。

 醴泉蔵元である山田社長が「営業前」から来店。

でっ、結局、遅い時間までカミさん交えて三人でドンチャン。

 バンブーさん来店。

 二名様来店。

 二名様来店。

 Tさん来店。

 Iさん二名様で来店。

 Wさん来店。

 ドンチャン。

 久々にカミさんも大ヨッパライ。

 赤信号みんなで渡れば恐くないW

 


 

最低の台湾人来店

12月12日木曜日晴れ○

 これまた、今更ですが。

 カミさんの朝ビール。

 風邪っぴきだつうのに・・・・・

 

 林(リン)という在日台湾人が四名でテーブル席を数日前に予約。

 遅れてくるといった二名が来店せずに、最初に来た林と女性の二名のみが三時間近くいて、帰る時に後の二人が来なかった事を謝りもせずに、

「二人は迷ったようです」と阿呆な事をホザイタこのくそバカ台湾人に、

「だから台湾人は日本で信用を無くすんだ」と、うちのカミさん激怒して、

すぐに塩をまいたw

ほんと、台湾人の恥さらしの人間のクズでした。

二名様来店。 

カミさん共々酒は飲まず。


12月11日水曜日晴れ ○

 店の近所の共産党のポスター。

 ブラックジョークとしか思えん。

 宮本顕治氏については

 <まずは衣であるが、これは宮本の着ているもののブランド志向である。ネクタイはイタリア製、靴はフランス製の特定ブランドのみと定められ、その購入のためだけに党員がヨーロッパに派遣された。その当時、赤旗新聞は日本人の過剰なブランド志向に警鐘を鳴らす記事を載せていたが、自分のところのトップのことは何も触れなかった。

 食についても同様で、好物のウナギは常に銀座の特定の店のみ。間違えてもサラリーマンが昼食に気軽に入れるようなものではない高級店である。

 また、宮本を訪問する際に手ぶらで行くことは許されなかったが、その手みやげは宮内庁御用達以外は門前払いされた。そして、皇室が好んで食しているとされる食事を用意することが宮本をもてなす絶対条件となっていた。

 宮本の食については他にも逸話が残っている。

 共産党の党大会は伊豆で開かれることが多く、そこにある共産党の施設には食堂も宿泊機能もついている。

 そこは共産党内の身分において明白に差別化されていた。

 出される食事に目を向けても、ヒラの身分で党大会に出る中央委員と比べ、その一つ上の幹部会員となるとオカズが一品増える。その上の常任幹部会員はさらに一品追加され、その上に立つ宮本はただ一人鯛の刺身が付いてくる。その日の朝、熱海の魚屋に出向いて仕入れたその日いちばん大きな鯛で、宮本が食べる前には宮本のボディーガードが毒味をしてから宮本が箸を付けるという仕組みである。まるで江戸時代の大名のようなことを宮本はやっていた。

 宮本がそのために呼び寄せた帝国ホテルの料理人は、自分が料理人としてやってきた中で、組織の中の身分で出される料理にここまで露骨に差を設けるよう要求されたのは、日本国内では共産党だけだったと述懐している。

 そして、住であるが、これもまた独裁者のそれである。

 多摩にある宮本邸は千坪の敷地を誇り、出入り口は常に共産党のガードマンが配備され、「数名の秘書、十数名のボディーガード、専属の医師、看護婦、保健婦に囲まれて生活(袴田里見『昨日の同志宮本顕治へ』)」していた。

 伊豆に建てた別荘は二棟あり、それぞれ夏用と冬用の別荘として利用された。

 乗用車はトヨタに特注した専用の高級車を愛用した。

 どこへ行くにも自分専用の料理人が同行した。

 後に参議院議員に立候補し当選するが、国会に出るのは年に一度のみ。それで居ながら国会から歳費が支払われ、年金も手にする。その上、共産党からの給与もかなりの高額であり、推定でも年に3億円以上の収入があった。しかも、その収入は闇から闇へと移され、税金はほとんど納めることがなかった。一説によると、宮本が納めた税金は消費税だけであったと言われている。>

「日本共産党の研究」講談社文庫 立花隆著

 「赤旗」は宮本顕治氏が死ぬまで、いや、死んだ後も、宮本氏のブルジョア指向を糾弾する記事は掲載する事はなかった。

 当然、宮本氏の後を引き継いだ不破哲三氏が丹沢(神奈川・津久井)の別荘で専属の料理人を二人、そして、護衛、運転手、をかかえて生活していることなど赤旗が追求することなどない。

 

<不破氏には神奈川県の津久井湖畔にある豪華別荘(現在は自宅になっている)のほか、全国に複数の別荘があった。津久井には、護衛、運転手、2人の料理人など、常時5人ほどが泊まりこんでおり、彼らの住む別棟までありました。彼らはみな党中央委員会の職員で給与は党から出ていますが、普通だったら年収1億円以上なければできないような生活でしたよ>

(SAPIO平成二十一年三月十一日号より)

 そして、先月、下記のような記事がありました。

 <共産市議が離党届「毎月の上納金で生活に支障」

日本共産党相模原市議団(4人)の大田浩氏(37)が、党への多額の寄付やカンパを事実上強制され、生活に支障をきたしているとして、離党、離団届を出したことが13日、分かった。

 取材に対し大田氏は「年間約300万円も上納させられ、公認時にそんな話は聞いていない」と主張。党神奈川北部地区委員会は「詳細を説明している。党公認で当選した以上、役目を果たすべきだ」としている。

 大田氏は2011年4月の市議選で初当選。8日に離団届を提出し、10日に離党届を党に郵送した。離団届は現在、市議団長預かりになっている。

 大田氏によると、納付金は、月約48万円(税引き後)の市議報酬のうち、党費と党への寄付金として毎月約16万円。8月と12月には「夏季・冬季カンパ」として各約17万円、年2回の期末手当(ボーナス)時にも各約40万円を納めており、年間総額は約306万円に上る。

 市議会局によると、議長、副議長を除く相模原市議の年間報酬は約1090万円(税引き前)。

 大田氏は、国政選挙などの際にも臨時のカンパを求められるとし、これらの納付が「事実上の強制」と訴えている。離党、離団については、「昨年11月に結婚し、子供ができれば生活できなくなるので決断した」と話し、無所属の1人会派で活動していく考えを示した。

 共産党の公認候補は、党員の中から選出され、選挙戦で全面的なバックアップを受ける。党規約は、党の資金に関し、「党費、党の事業収入および党への個人の寄付などによってまかなう」と記載しており、「党費は実収入の1%とする」と定めている。

 大田氏の離党、離団届提出に対し、党神奈川北部地区委員会の菅野道子副委員長は「寄付金などの詳細は擁立する際、本人に伝えている」と説明。「個人ではなく、党として取り組んだ選挙で当選した以上、党の議員として役目を果たしてほしい。思いとどまるよう話し合いたい」としている。

(2013年11月14日11時26分  読売新聞)>

 こんな共産党にどんな企業も「ブラック」と言われたくはないでしょう。

 あほらし。

 

 一名様来店。

 間違って入って来たとしか思えん。

 四名様来店。

 二名様来店。

 Oさんご夫妻来店。


 

12月10日火曜日晴れ △

 一名様来店

 Iさん三名様で来店。

 一名様来店。

 目黒の清水さん来店。

 三名様来店。

 ユーさん御夫妻と息子さん、クエ鍋でドンチャン。

 営業終了後、店でカミさんと酒を飲みながら鍋。

 一応記憶あり。

 サルよりマシ。


12月9日月曜日曇り △

 店を片付けた後、夜はユーさんご夫妻、友人のご夫妻と「神楽坂・石川」

 

 ドンチャン。カミさん共々記憶あり。


12月8日日曜日晴れ△

 午後四時より、「酒たまねぎや飲んべえの会 磯自慢」ということで、蔵元の寺岡社長、秘書として醴泉の山田社長もいらしてくださりドンチャン。

 出品酒 

NO.1  磯自慢 純米大吟醸古酒 中汲み35% アダージョ

NO.2  磯自慢 純米大吟醸 中汲み35% 平成25年(24BY)

NO.3  磯自慢 純米大吟醸 中汲み35% 平成24年(23BY)

NO.4  磯自慢 純米大吟醸 中汲み35% 平成23年(22BY)

NO.5  磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 古家 (24BY)

NO.6  磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 常田 (24BY)

NO.7  磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 西戸 (24BY)

NO.8  磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 古家 (23BY)

NO.9  磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 常田 (23BY)

NO.10   磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 西戸 (23BY)

NO.11   磯自慢 純米大吟醸 愛山40% グラッパボトル (24BY)

NO.12   磯自慢 大吟醸   愛山50% グラッパボトル (24BY)

NO.13   磯自慢 大吟醸   山田錦45%           (24BY)

NO.14   磯自慢 純米吟醸 多田信男 山田錦50%    (24BY)

 寺岡社長のご好意により、昨日しぼったばかりのお酒を提供していただけました。

NO.15   磯自慢 しぼりたて純米              (25BY)

 

 

 

 二次会として、江戸川橋の「一笑」さんでドンチャン。

 店に寄り、後片付けをしてから帰る。

 一応、記憶あり。

 サルよりマシ。


12月7日土曜日晴れ ○

 一名様来店。

 二名様来店。

 二名様来店。

 四名様来店。

 営業終了後、明日の飲んべえの会の準備として出す酒をいったん開ける。

 今日は酒は飲まず。


 フェルディナント・ヤマグチというどうしようもないドアホウとそのクソドアホウを平気で使う講談社

12月6日金曜日晴れ ×

 今日、発売のフライデーに下記のような醜い事が書かれていました。

 以下引用

<毎年が当たり年?ボジョレーのコピーに悪酔いの夜

フェルディナント・ヤマグチ

 ボジョレーヌーボーの「ヌーボー」は新酒と言う意味です。

略)

この葡萄でできたワインは熟成に向いていません。

略)

つまりコストを掛けて在庫にしておく価値もない、ということです。

このへんは同じ醸造酒である日本酒と似ています。

(ちなみに日本酒の寿命は長くて一年と言われています)>

フライデー平成25年12月20日号p65

 

(ちなみに日本酒の寿命は長くて一年と言われています)

 このフェルディナント・ヤマグチという人間は、本名も素顔も隠し、こんなデタラメを平気で書くどうしようもないクソドアホウ。

 酒はこのドアホウが書いているような事はないし、同様にこのドアアホウが言っているガメイでも長寿のワインはある。

 浅い、そして偏った知識で知ったかぶりをする典型的な腐れドアホウ。

 そして、そのドアホウを平気で使うどうしようもないクソ会社。

 

 三名様来店。

 Mさん来店。

 二名様来店。

 小胡子さん来店。

 二名様来店。

 一名様来店。

 Tさん来店。

 ドンチャン。

 サル以下


 

12月5日木曜日晴れ ○

 Tさん三名様で来店。

 Kくん二名様で来店。

 

 飲まず。

 サルでもエビでもない。


 

12月4日水曜日晴れ△

 ホロンさん来店。

 Mさん来店。

 Aさん四名様で来店。

 大野さん来店。

 二名様来店。

 四名様来店。

 サルでもエビでもない。

 


12月3日火曜日晴れ△

 今日のカミさんの朝ビール。

 不味いと言われているイチゴビールらしい。

 Iさん来店。

 Tさん来店。

 二名様来店。

 一名様来店。

 二名様来店。

 小胡子さん来店。

 

 ビールだけ。

 サルでもエビでもない。


12月2日月曜日晴れ ×××

 カミさんと近所の加賀屋さんで飲む。

 

 

 あちこちにある加賀谷さんはここの暖簾分けだそう。

 ワインサワーを初めて飲みました。

 

 そこ後、店に寄り片づけをし、いったん店を出てから忘れ物を取りに帰ったら、

西村眞悟議員がご子息とぶらりと。

 

 

でっ、結局、夜中までドンチャンで完全に記憶無し。

もちろん写真を写した記憶もなし。


12月1日日曜日晴れ △

 夕方より店を開ける。

 Iさん来店。

 ヒマだし、台湾の友人と会って、ドンチャンが終わって店に寄ったカミさんも混じって、Iさんと早い時間から飲み始め、結局ドンチャン。

 カミさんは・・・・・・・・


 

 


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