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<五〇年決議における売国奴・村山富市の成果> 

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 我国をなんとか支那様に対して土下座させて、これからも銭を貢がせようという村山富市、社会党のその姿勢は、村山の著書からも判ります。
 その村山の著書のインタビューアーは辻元清美、発行者は辻元清美の内縁の夫であり元赤軍派の北川明というなんとも濃いメンバーによる著書です。
 その中で村山は五〇年決議について下記のように発言しています。

  

(辻元清美女史の画像につきましては、ネットにあったものを流用させていただきました。制作者の方がご不満がございましたら、お詫びとともに直ちに削除させていただきます。

ただし、辻元清美および関係者の方からの抗議は絶対にお断り)
以下引用
村山 それは議論した。まあ、抵抗もあったけどね。あったけどな、やっぱり、これくらいのことできんようじゃ、僕は総理になった意味がないからなあ。
 辻元 何のための連立政権か。
 村山 それは連立政権の存在が問われる問題じゃ。
 辻元 自民党はだれが骨を折られたんですか、内部で。
 村山 それは
河野さんなんかが。総裁じゃけん、自民党の。
 辻元 まとめていかなくちゃいけない。
 村山 うん。
 辻元 大体あれは満足のいくものですか。
 村山 まあまあ、あのときの情勢からすればぎりぎりじゃあないか。「侵略的行為」と「侵略行為」。もっと「侵略戦争」とするかというような議論があったわな。でもやっぱり「侵略戦争」ということになると抵抗が強すぎるからな。だから、侵略によってということにしたんじゃけどな。そういうところの問題がいくらかあったからな。一〇〇%ということにはならんけどね。まあ、しかし、それなりの筋はきちっとしているんじゃないか。中国なんかでもだいぶ評価してくれてたしね。だから、今、橋本さんが中国に行って何かあっても、「あの談話を踏襲する」といえばそれですむわけじゃけんね。
 
辻元 私たちも政府・自民党に迫っていくときに、「あの談話を踏襲しているんですよね」と質問を必ず予算委員会でもするんですよ。そうしたら、向こうは「はい、そうです」と。
 村山 否定せんわな。
 辻元 言わざるを得ないので。
 村山 そうじゃ、そうじゃ。
 辻元 一回やっておくと効果は大きい。
 村山 それはそうじゃ。一貫してそれを否定できんことになるから。
 辻元 そうですね。
 村山 あの談話は、僕はそれなりに意味があったと思うね。

 引用終わり
 (p一〇七〜一〇八)

 読んでいて胸クソの悪くなる文章です。
村山がえらそうに「議論した」と言っているこの五〇年決議がどのようにして決められたか。だまし討ちによってです。
ちなみにこの時の衆議院議長は学歴詐称疑惑の李高順こと土井たか子女史です。
第八一代村山内閣−平成六年六月三〇日成立
    
内閣総理大臣 村山富市
    
外務大臣  河野洋平
    通商産業大臣 
橋本龍太郎
    運輸大臣  亀井静香
    自治大臣
国家公安委員会委員長 野中広務
    
内閣官房長官 五十嵐広三 社会党
    総務庁長官 
山口鶴男 社会党
    経済企画庁長官 
高村正彦
    科学技術庁長官 
田中真紀子
    
衆議院議長  土井たか子

日本の政治家をやっちゃあいかん売国奴連中がこんなに・・・・・・

「五〇年決議」と村山談話について
4月1日日曜日晴れ ○

 村山談話について「果たして、歴代総理大臣が拳拳服膺すべき権威ある談話なのであろうか。」として西村慎吾議員は御自身のメルマガ「西村慎吾の時事通信 No・一九二 平成一七年 四月二九日号」で
「この村山富市談話は、戦後五〇年の国会謝罪決議の後に、突如発表されたものである。
 それまでの歴代内閣は、歴史に対する評価は後世に任せる、総理大臣が、良かったとか悪かったとか公表する問題ではない、との態度であった。
 そのなかで、村山富市総理大臣が、我が国の歴史は悪かったので反省して謝罪するとの談話を発表したのである。 
 これこそ、総理の立場を私し、その立場を利用したイデオロギーによって歪められた個人的妄想の表明に過ぎないのだ。」
と書いています。
 そして同じメルマガで「五〇年決議」を成立させるために社会党、そして一部議員を除く自民党がどのような異常な手口を使ったか。当時の村山内閣がいかに歪んだものであったかということを書いています。
以下引用
 一九九五年、平成七年、内閣は自社連立の社会党内閣であった。社会党は、先の細川内閣で与党となり大臣病患者が大量に発生する。そして、その病状につけ込まれて自民党との連立に走り、自民党は与党に返り咲くのである。
 その与党返り咲きのために、自民党は社会党的左翼的妄想にすり寄り同調するのである。
 即ち、日本は悪い国だから、戦後五〇年を契機に、国会で謝罪決議をするということになる。

 以後、詳細は省略するが、私また多くの野党になった同志は、謝罪決議阻止のために行動を起こし、自民党のなかにも阻止に立ち上がる者が出てきたのである(尊敬すべき同志であった)。
 その結果、当時の野党新進党と与党自民党とも、謝罪決議の本会議に臨めば、分裂した採決になるという状況になった。
 
 そのような緊迫した状況になった金曜日の夕刻、今でも不可解であるが、新進党議員に対して、党国会対策幹部から、「本日は本会議が開会されないので各自選挙区へお戻りください」という伝達があった(この幹部は、現在の自公連立の一員である)。よって、私どもは、新幹線や飛行機で帰省し始めた。

 すると、謝罪決議阻止派が東京からいなくなったのを見届けてから、土井たか子衆議院議長は、午後七時前に本会議開会のベルを押した。
 その結果、本会議は大量の欠席者があったものの,強引に開会され、出席者の全会一致で謝罪決議は衆議院で採決されたのである。

 本会議開会のベルが押されたとの連絡を受けたとき、私は新幹線で浜松付近を走行していた。そして、名古屋で列車を降りて乗り換えてまた東京に引き返した。
 しかし、とっぷりと暮れた国会は、ライトアップされているだけで、もぬけの殻であった。
「ちくしょう、だましやがったなー」と地団駄を踏んで国会を見上げた。
 その直後、私は、
「夜陰に乗じて、衆議院決議を窃取した卑劣な輩」と社会党内閣を非難する報告書を同志に送った。
 だが、我々の、国家の名誉と英霊への忠誠をかけた謝罪決議阻止の行動により、謝罪決議は窃取されたものの、参加者少数の権威なき決議になったのである。
 さらに賛成した議員でも、謝罪決議の内容を覚えているものはいないであろう。つまり、社会党内閣存続のための自社首脳の保身からでた権威亡き決議、欠陥決議、外交上引用できない決議、となったのである。
 
 そこで、登場してくるのが。村山富市謝罪談話である。
 即ち、あくまで、我が国家を謝罪させねばならないとの妄想に駆られた村山富市という老いた左翼が、総理大臣の地位にあることを奇貨として、衆議院本会議決議の欠陥を補うために苦し紛れに発表したものが、村山談話なのだ。
引用終わり

 いかがであろうか。村山談話そして五〇年決議というものの正体。そしてそんな売国奴どもの成果により我国が苦しめられているバカバカしさ。
一刻も早くこの異常な状態から抜け出さないといけないのです。
そして、西村議員は下記のようにも書いています。
以下引用
 以上、村山富市談話を、現総理大臣が権威あるもののように外交の場で朗読する風潮を憂い危惧して、述べた。
 私にとって、謝罪決議阻止は、忘れ得ないことである。
一〇年前の衆議院の謝罪決議と村山談話は、我が国の国益を毀損し続けている。
 我が国周辺は、謝れば済むという文化ではない。
 謝れば、ますますつけ込んでくるという文化なのだ。
 それは、北朝鮮、韓国、中国の現在の言動で証明されている。これらは、謝れば謝るほど、嵩に懸かってきているではないか。
この度も、中国の駐日大使が、自民党内で講演し、内政干渉も甚だしい靖国神社参拝非難を堂々と述べると共に、中曽根内閣以来、靖国神社を参拝しないとの日中の協定があるとの発言をした。この国家の沽券に関わることを言い放たれるのも、今まで謝罪してきたからだ。
 一〇年前から、私はこのことを指摘して不用意な謝罪は、国益を損ねると言い続けてきた。即ち、福沢諭吉の「脱亜論」をこそ読み返し、先人の苦労と経験に学び直すべき時なのだ。

  一度、謝罪決議と村山富市談話に賛成か反対かで点検してみるとよい。与野党縦断して明確に分類できるはずだ。
 マスコミも、労働組合も、評論家も、この基準で分類すれば、
日本はどれほどすっきりするか。
引用終わり

 化学遺棄兵器についての我国政府の対応は、教科書問題、慰安婦問題、靖國問題、五〇年決議、村山談話とつながっている。 

 我国を貶めることに一生懸命な村山富市、辻元清美、福島みずほなどの社会主義者は、大東亜戦争終結間際に国際条約を一方的に破棄し満州、朝鮮などにおいて軍隊に対しての戦闘行為だけで無く、無抵抗な我国の婦女子に対しても暴虐のかぎりをつくした旧ソ連軍の非道に対しては決して非難することはない。


「そうじゃのう」村山富市 インタビュー辻元清美 第三書館刊 発行者 辻元清美の内縁の夫、連合赤軍元コマンドである北川明

「西村眞悟の時事通信 No・一九二 平成一七年 四月二九日号」西村眞悟


村山富市とブサヨクによる阪神淡路大虐殺

 阪神淡路大虐殺についてのインタビュー記事より 村山富市と支那の毒ガス  五〇年決議と村山富市(西村眞悟議員のメルマガより)   五〇年決議における売国奴・村山富市の成果


 

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