尹奉吉と森一敏(社民党)金沢市議会議員

平成20年9月16日火曜日小雨のち晴れ ×
 朝鮮人テロリスト尹奉吉については、金沢市の議員で頭が腐っている人はまだ健在なようで、金沢市議会議員の森一敏(社民党)議員はご自身のホームページで、
下記のようにこの朝鮮人テロリストへの心酔ぶりを書いています。
http://www.kazutosi.jp/sigikai/izen/kankokuhomon.html
はじめての韓国訪問記
以下森氏のホームページよりの引用です。
訪韓の主な目的は、金沢市の野田山に眠る抗日運動の英雄ユン・ボンギル(尹奉吉)義士の生地礼山郡で、彼が創始した農村自立復興団体月進会と交流することだった。併せて、板門店の視察、植民地時代の日本帝国主義の罪業を告発する紀年館を参観すること、略)
 参加者は、団長に、
ユン・ボンギルの顕彰と史跡保存に90年代初頭金沢市の協力を引き出した平田誠一金沢市議、通訳兼添乗は、ユン・ボンギルの歴史発掘と顕彰運動に生涯を賭けてきたパク・インジョさん、宮下登詩子県議、浅野俊二羽咋市議、古河尚訓松任市議そして私の6人である。
社民党や市民グループがとりくんできたユン・ボンギルを通じた交流共同事業は、その土台を築くものとして新しい意義を持った。私も、議員としてその列に加わりたい。ついにチャンスがやってきたと心が踊った。
 
北朝鮮の脅威については
半島は終戦しておらず、米韓軍と北朝鮮軍が38度の軍事境界線を挟んで対峙している状況であることはまちがいない。しかし、有事法制論議で言われた「北朝鮮の脅威」とはこういうものだったのか。一同同じ思いを抱いたのが正直なところである。韓国内では、金大中以来の太陽政策が支持され、平和的統一とそれに向かう南北交流が促進されているという。日本の人々の意識とのギャップは大きい。

 赤い大統領盧武鉉は昨年、北朝鮮への二〇〇〇億円もの援助をしていましたが、今の李明博大統領になり、それが停止しています。南朝鮮の金大中、盧武鉉と続いた親北政権による太陽政策といわれる北朝鮮に対しての盲信的援助が何の役にも立たず、金正日政権の延命にしかならなかったことは明白です。
 

(2)李熙子さんとの再会と「太平洋戦争被害者補償推進協議会事務局との交流」として、
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「イラク派兵反対運動にももちろん関わっている。韓国世論では半々である。日本では世論はどうか。民主党と自由党が合併し、衆議院選挙があると聞いている。日本の自衛隊はアジア最大の軍事力だ。憲法9条の改正はアジアの緊張を高める。中国を刺激する。北朝鮮に対しては、経済が苦しく、軍も弱小で、韓国民は誰も本気で北朝鮮軍が韓国に攻め入ってくるとは考えていない。むしろ、離散家族の行き来が活発になるなど人々の交流は進んでいる。最大の脅威はアメリカ軍との認識が拡がり、多くの若者は反米軍基地のたたかいに参加している。2005年は1905年の対日不平等条約押しつけから100周年、植民地支配の責任を経済援助で帳消しにした韓日条約締結(1965年)から40年に当たる。韓日間で文化交流のイヴェントをしたい。民間交流こそが平和友好を創る。」
 
一同大いに共感し、今後の交流を約束しながら分かれた。李熙子さんとのおつきあいはこれからも続く。
 李熙子氏とは朝鮮人遺族が分祀を求めている靖国訴訟の朝鮮人原告のひとりです。神様として祀られているのだから騒ぐ事も無いと思うのだが。
 ところで、まだ位牌を返せとか言っているのだろうか・・・・
しかし、<最大の脅威はアメリカ軍との認識が拡がり、多くの若者は反米軍基地のたたかいに参加している。2005年は1905年の対日不平等条約押しつけから100周年、植民地支配の責任を経済援助で帳消しにした韓日条約締結(1965年)から40年に当たる。>に大いに共感ってすごいです。朝鮮が我が国との併合、そして日韓条約締結とともに、当時、我が国の外貨準備高が一八億ドルの時に、国家予算が三・五億ドルの南朝鮮に対して、当時三億ドルもの無賞金、二億ドルもの円有償金、そして、三億ドル以上の民間借款がなくて、今の南朝鮮があると思っているのであろうか。
 

西大門刑務所歴史館見学では 
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旧日本統治下、主に抗日運動の政治犯を収容する監獄であった西大門刑務所跡の歴史館だった。監視するために放射状に配置された獄舎は、レンガ積みの堅牢なもので、当時行われていた苛烈な拷問や取り調べの状況を人形、ドラマ映像などで再現している。韓国民衆は植民地となることを歓迎していたかのような発言を耳にすることがあるが、あらゆる醜い拷問は、統治した日本の側がいかに韓国民衆の抗日運動を恐れ、憎悪し、敵視していたかがよく分かる。それは、日本の統治が強要するものであったことの裏返しであり、何よりの証左である。認めたくない人には、韓国を訪れ、歴史館や独立記念館を見学し、韓国の人々と直接対話することを奨めたい。
 朝鮮の拷問の醜さは当時朝鮮について書いた外国人の文献でも証明されている。それを再現したものが、この展示である。つまり、李氏朝鮮時代のものを我が国との併合時代のものとして偽って展示しているのです。森氏はこれらの文献の記述内容を意図して遠ざけているのであろうか。

尹奉吉(ユン・ボンギル)墓所参拝として、
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向かって右から白貞基義士、尹奉吉義士、李奉昌義士(皇居桜田門事件実行)の墓標が並び、左端には墓石のない安重根の土饅頭がある。韓国で4大義士と並び称される抗日闘争の英雄たちの墓である。略)
 静かな墓所内で、我々は献花し、植民地支配の不当を想い、歴史の事実の継承と、戦後責任・補償の前進、そしてアジアの平和共存・共生への課題に思いを馳せた。

 テロリストしか英雄として祀られていない朝鮮。私は、朝鮮戦争の軍人が護国の英雄として祀られるべきだと思いますが、それどころか、親日法などという法律の対象になっています。

ソウル梅軒尹奉吉(ユン・ボンギル)義士記念館では
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義士と讃えられる韓国独立運動の英雄尹奉吉(ユン・ボンギル)が、韓国の歴史上いかに大きな存在であるかをこの記念館は知らしめてくれる。

(4)独立紀念館(記念館の間違いと思われる)では
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パクさんがユン・ボンギル顕揚会の名刺を駐車場管理人に提示すると、彼はいんぎんな態度で城内に招き入れ、館に横付けの駐車位置へと案内してくれた。ユン・ボンギルとパクさんの威力に一同敬服。
 略)
 意外なほど歴史が新しいのは、建設が日本での植民地支配の歴史歪曲の動きへの憤激がその動機になったからだと説明された。中国の抗日戦争紀念館や南京大虐殺紀念館建設と同様の建設経緯である。アジアにおける信頼されない日本の位置がここでも浮かび上がる。
 豪壮な資料館全体を参観するのは余りに時間が無く、日本語解説員の女性(名前はメモ漏れ)と駆け足で回った。印象に残る彼女の言葉は、日帝侵略館での「日本がいかに悪いことをしたか次々に展示していますが、罪行を暴くのが目的ではなく、事実を学び、未来の教訓としたいのです。どうか理解してください。」であった。
 ユン・ボンギルの時代、つまり1930年代の地下臨時政府の抗日運動の時代が近代韓国の再スタートであり、植民地支配で奪われた民族文化、誇りの回復により民族意識を高揚を目指し、苦難の抗日闘争を民族的団結・国家統合の根源とする歴史観が紀念館を貫徹している。

 支那の「南京大虐殺紀念館」といわれるものは、森氏とおなじ旧社会党時代に田辺誠などが建設資金から、設計まですべて提供し建設されたものだ。知らないのであれば、仕方ないが、知っていながら隠しているのであれば、不誠実きわまりない。

(3)尹奉吉祈念堂、生家、紀念館訪問
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夕暮れが迫る時間になっていたが、尹奉吉が生まれ、育ち、決起していく当時の空間を時間を隔てて共有している特別の感慨が湧いてくるのだった。
http://blog.goo.ne.jp/kazu3333m/e/e02140d4d00c408c37162b0fe1834680

 ここまで、心酔してくれれば、爆弾テロリストも本望だろうが、こんな日本人がいるとは、恥ずかしさを通り越してあきれるしかない。

第35回祭享、禮山郡平和友好訪問として、
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韓国独立運動の英雄ユン・ボンギル(尹奉吉)(初訪韓報告参照)生誕百年を記念する第35回祭享(さいりょう・祈念式典)に参加する韓国訪問から帰沢しました。
略)
 6年連続、6回目の禮山郡訪問で認識を新たにと言うか、確信を持つことが出来たことがありました。それは、尹奉吉義士のたった一人での抗日戦闘行為に、どんな意味が見いだせるのか、そして頭の片隅で考え続けてきた民族主義の象徴としての彼の存在をそこから解き放つ普遍性の獲得という問題についてでした。
 略) 
 蹂躙した側の日本でもまた、彼をテロリストと呼び(因みに上海爆弾事件での白川大将は戦死とされ、逮捕された尹奉吉は軍法会議で銃殺刑に処された。日本軍自身が戦闘行為と認定したことになる。)、民族主義に立った感情的な反応を示す向きも少なくありません。ですから、
あの植民地と軍事占領の時代に、民衆が世界の解放を求めて闘ったという意義付けを現代から未来に向けて見いだすことは重要なことではないでしょうか。もちろん、先駆的な憲法第9条をもつ私たちは、世界平和を獲得する方法を武力に求めないことを選択しました。今日にあっては、彼の時代の方法までを肯定するわけにはいきませんが、民族主義からインターナショナルな地平に尹奉吉の解放の理念を位置づけ直す認識作業が私たちにも求められていることを、他でもない尹奉吉義士の最大の顕彰者月進会会長からメッセージとして受け取ったことは大きな収穫でした。
http://blog.goo.ne.jp/kazu3333m/e/984e96e7e70247f489ef0138b94be6c7

 森氏はテロリストの碑を守るだけでなく、平成一二年(二〇〇〇年)に石川県の都市公園だった県護国神社の境内に建立された大東亜聖戦大碑の撤去を求める会を結成が翌年五月に結成しています。
 醜いものです。


 森氏は平成一六年六月の金沢市定例議会においての質問として、
4番目に、韓国独立運動の英雄、尹奉吉の殉国記念碑、暗葬の跡地が野田山に整備されて12年が経過しました。韓国ジョンジュ市訪問団も昨年、そしてつい先日と当地の訪問を熱望し、レセプションでは尹義士の話題に身を乗り出すほどでした。韓国自治体関係者、教育文化人、留学生、在日の方々を初め、日本人も含め、今日まで推計 7,000人が野田山を訪れていると聞きます。韓国の学校では必ず学習するというこの尹奉吉ゆかりの場所は、日本の中でここ金沢にしかなく、金沢市は韓国の人々にとり特別な存在となっております。ジョンジュ市との姉妹都市提携がきっかけとなり、これまで以上に韓国の政治、経済、学術文化各界との交流が盛んになるでしょう。尹奉吉ゆかりの野田山は、地方における日韓親善外交の要所となっていくに違いありません。
 先週末も尹奉吉生地の韓国禮山郡から議会副議長を初め14人の訪問団が金沢を訪れました。市当局の理解に感謝しつつも、現在は雨をしのいだり、腰をおろして懇談する場もない現地に対し、せめて休息のできる小屋の設置など史跡整備を懇請する声が上がりました。私も未来志向の日韓親善という大局からの市長の英断を期待しますが、いかがでしょうか。

と驚くべき質問をしています。
そして、今年の三月に「世界都市金沢の創造について」として下記のような議会質問をされています。
以下引用
 <
野田山のユン・ボンギル史跡を金沢と韓国、ひいては中国・アジアを結ぶ近代史の歴史的なかけはしとしてプロモーション事業に組み込み、情報発信するとともに、同史跡に資料館の性格を持たせ、野田山の拠点施設の一つとして再整備してはいかがか。>
という森氏の質問に対して、山出金沢市長は
<史跡を訪れる方々は、亡くなった人とのつながりの場として訪れていると思う。敬虔さ、静溢さを大切にしたい。したがって、観光プロモーションの手段にはしたくない。資料館整備は考えていないが、むしろ、日韓親善、世界平和の啓発に努力していきたい。

(金沢市議会ホームページ議事録より)
という至極まともな答えでした。


 亡くなった方を埋葬し、そのお墓などを後世の人間が荒らす事なく、保存するのは当たり前の事であるが、朝鮮人テロリストの尹奉吉の顕彰碑を建てる必要などあるとはとても思えません。
 同じ金沢市議の山野之義(ゆきよし)氏はご自身のホームページで
http://yamano4455.jugem.jp/?eid=543
<そのようなテロ行為を称えるような石碑が、金沢市が所有する墓地に建てられているのか。金沢市はテロリズムを肯定しているととられてしまうのではないか。
 私が先に述べたように、何人もの地元の墓守や市民の方が懸念している所以である。その不安、不満は、漠としたものであっても、行き着くところは、まさに、ここに尽きる。>
この朝鮮人テロリストの石碑について批判されています。

 私も、このような朝鮮人テロリストの顕彰碑が我が国に存在し、そして、それを守ろうとする日本人がいることが信じられません。
一刻でもはやく、このような朝鮮人テロリストの顕彰碑が撤去されることを望みます。

裏表紙