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美輪明宏

平成20年5月25日日曜日雨のち晴れ ○3日め
 午後より高田馬場にあるトンカツ屋さんに久々に伺ったあと、芳林堂さんに寄り「米国人記者が見た戦前のシナと日本(上・下)」など何冊か購入。
 久しぶりにスポーツセンターに行く。ノートを見ると今月はまだ二回。今日は時間がたっぷりとあるので、ジムに三時間近くいた。スポーツセンターの近所にある戸山高校のアメフト部の連中が来ていたが、相変わらずベンチに腰掛けてしゃべったり、チンタラやっているので、機具が塞がり、使用できずに他の利用者からの評判メチャ悪し。私も注意したし、アメリカで道場を開いている松山さんが主将を呼んで注意しようとしたら、今日は来ていないという。個々の人たちは非常に礼儀正しい好青年だが、全体としての統制がとれていないと思う。トレーナーが注意してほしいものだが、なによりもマシン、ダンベル、バーベルなど機具を使ってやるトレーニングの場合はセット間の休憩時間は一分から三分(MAX狙いの場合は除く)という人が多いと思うので、休まずに二ケ所を鍛えるスーパーセットとかでなくても、その機具がよほど多く揃っていないと、大人数で来てやると次のセットまでの待ち時間も長くなり、トレーニングとして効率的とは決して思えない。部活で大勢でやる場合は、二人ひと組とかで、機具を使わずに運動場、体育館などでやる筋力トレーニングの方が時間もトレーニング効果からみても効率的だろう。
 あと、確か、少し前の代のアホ連中がシャワー室でふざけて小便を掛け合っていて出禁になっていたはずだが、代が変わりバックレテ来ているのだろうか。

 スポニチで美輪明宏氏が「明るい明日を」というコラムを持っているようで、今日は「救助隊は『柔の国』への一歩」と題したものでした。食事に入ったお店で読んだだけですので、記憶があやふやですが、「支那・四川省での我が国の救助隊の活動により、我が国が「柔」の国を目指さなければならないと改めて思った。最近まで支那の反日感情が薄れることがなかった。我が国でも「剛」の時はうまくいかない。」
ミャンマーの軍事政権を例にだして
「軍事政権、軍人が愚かで、脳みそが砂で出来ている」
「我が国でも一時、剛の国へ持っていこうという動きがあった。憲法を改正して再軍備しようという動きです。」
「もはや再軍備の剛どころではなくなったのです。剛が自爆するのは結構な事。これは神の啓示だと思います」

というような内容だったと思います。

 
 このコラムで美輪氏は、支那が反日なのはまるで我が国のせいのように書いていますが、支那が反日なのは我が国のせいではなく、支那の政策であり、支那にとって都合がいいからです。また、ミャンマーが戦後、イギリスより独立する時に軍事政権以外のどのような道があったのでしょう。そして、以前に書いた事がありますが、現在、ミャンマー民主化の旗手のようにいわれている「中身が英国人」であるアウンサン・スーチ−女史にどうしてノーベル平和賞が与えられたか。同じような例として、スーチ−女史の五年後の一九九六年に東ティモールのC.ベロ氏、J.ラモス ホルタ氏のふたりにどうして一九九六年にノーベル平和賞が贈られたか。その背景を考えれば、明らかだと思います。

 また、美輪氏は「再軍備」という言葉を使っているが、現在の我が国の自衛隊を軍隊と思わない他国はありません。その他国から軍隊と思われている自衛隊が軍隊の扱いを受けられないのは我が国の現憲法が異常なだけです。そのために、憲法改正が必要なのです。
 自国を守れない国は滅びるか属国として生きていくしかないのは歴史が証明しています。