「国立追悼施設を考える会」と朝日新聞

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成18年6月22日木曜日くもりのち一時雨 △ 
 少し前に「国立追悼施設を考える会」が無宗教の国立追悼・平和祈念施設の建設を政府に求める中間報告をまとめたというニュースがあり、それに早速、チョンイル新聞(一部では朝日新聞という人もいる)、および今発売中の「AERA」でも応援しています。
 チョンイル新聞は平成十七年十一月十日の」社説で「反対論ばかりが目立ってきた自民党から、新施設で近隣国との修復をめざす動きが出てきたのは歓迎したい。先の大戦の戦没者をどうするかをめぐっては、国内だけでなく中国や韓国なども巻き込んで対立が続いていた。その打開策となりうるのが、懇談会の提言した『明治以降の日本がかかわった戦争のすべての死没者』を追悼する施設の建設である」と書き、「国立追悼施設を考える会」の結成にエールをおくり、今回も六月十七日に即座に「私たちもこの考え方に賛成だ」として 諸手をあげて賛成する社説を書いて、その後六月二十日にも「自民総裁選 福田さん、決断の時だ」という社説を書いています。 同じく朝日新聞の雑誌「AERA」は今週号(06.6.26号)で「靖国問題 宮司交代の極秘革命プラン」と題して「一つの宗教法人を取り巻く『包囲網』は確実に狭まりつつある」とし、「小泉首相の参拝によって再燃した中国など
アジア諸国との関係を悪化させた靖国問題」とウソを書き、あの売国奴の加藤紘一議員(下等紅一偽印の間違いとおもいます)の言葉「A級戦犯の分祀さえ実現できればできれば飛躍的に改善する」を引用するといった記事を掲載しています。(アジア諸国ではありません。騒いでいるのは支那、朝鮮とその他の各国に散った工作員だけです)
 
 「国立追悼施設を考える会」の会長は、あのアホな女を愛人にして恥をかいただけでなく、南北朝鮮にしきりに媚びを売り、支那共産党政府の「上海社会科学院」の客員研究員という筋金入りの売国奴である山崎拓議員です。
「国立追悼施設を考える会」が無宗教の国立追悼・平和祈念施設の建設を政府に求める中間報告をまとめたという内容は、福田康夫議員の私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が提言した内容とほぼ同じという。そして、「国として戦没者の追悼を行う場合、海外とりわけ近隣諸国からどう受け取られるかも十分配慮する必要がある」と主張し、靖国神社については「太平洋戦争」以前の戦没者遺族にとって「かけがえのない追悼施設」と位置付け、空襲などで亡くなった民間人や戦後、国のために殉じた人を祭っていないことや「限定された戦没者のみが祭られるのが基本なのに、戦死者でないA級戦犯が合祀されている」ことを問題点として列挙しただけでなく、首相らの公式参拝は憲法違反の疑いがあるとまでしたそうです。

 これについては、すでに、日本会議専任主任研究員である江崎道朗氏が「反靖国議連で報告された追悼論議のお粗末」として「正論」平成十八年一月号にてこの連中のアホウぶりについての論文を発表されています。そして、基本的に何も変わっていないと江崎氏の指摘通りです。
この江崎氏の発表された論文を主に引用させていただき、この売国奴どものアホウぶりについて書きたく思います。
 
 福田康夫議員の私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」の座長代理として「最終報告書」をとりまとめに当たった山崎正和元東亜大学学長が平成十七年十一月九日に「国立追悼施設を考える会」設立総会にておこなった講演で、「無宗教の国立追悼施設」の具体的イメージとして「この施設はお墓ではない。霊廟でもない。特定の魂もない。誰がここに祀られ、誰が祀られていないかも明確にしない」と説明。この「誰が祀られていないかも明確にしない」のはいわゆる「A級戦犯」問題の影響だそうです。
 つまり、連中は当初、いわゆる「A級戦犯」を外して施設を造ろうと考えていたが、調べていくうちに、それは戦後の我が国の歴史上不可能と結論つけているのです。
 その理由について江崎氏は下記のように書いています。
<ところが、調べていくうちに、昭和二十七年以来五回にわたって「戦犯赦免」の国会決議を採択し、政府もその決議を踏まえて遺族援護法等を改正、「戦犯」の遺族に対しても遺族年金等を支給していることや、終戦記念日に開催される「全国戦歿者追悼式」でもその追悼の対象には「戦犯」とされた人々が含まれ、遺族も招待されていることが判明した。
これまでの政策の一貫性を守ろうとすれば、「A級戦犯」を外した施設を造ることはできない。
 そこで委員の一人が(「追悼の対象」をどうするかという問題がある。私が提案したいのは、カテゴリーの明示にとどめ、靖国神社のように個人の特定は行わないというものである)「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」第三回議事録、平成十四年二月二十六日)と提案し、結果的に誰を祀っているかを明確にしない施設を造ることになったのだが、追悼施設である以上、追悼の対象を全く明らかにしないわけにもいかない。>
 そこで山崎正和座長代理はさきの講演で「私たちはカテゴリーで考える。つまり国際紛争ないしは国家の政治的行為の延長として起こった災難で斃れた人々を悼む。従って普通の病気で亡くなった人とか、犯罪によって亡くなった人とか、これはカテゴリーとして追悼の対象にはならない」
そして、だれが祀られているか、個々の名前は明確にしないというのである。
そして、驚くことに、
「日本が仕掛けた戦争で外国人の若者も兵隊に取られ、家族は苦しんでいるのだから、そういうものを考えた追悼施設が必要」(「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」第三回議事録、平成十四年二月二十六日)
「ここで外国人と言うときには、日本が係わった戦争で平たく言えば御迷惑をかけたという人、その犠牲になった人ならば日本人としても国民一人ひとりが追悼する気になる」(「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」第六回議事録、平成十四年五月二十三日)
このような先人を貶め「日本がすべて悪かった」「謝り続けなければならない」というようなアホな考えしかできないと次のようなことまで平気で発言します。
「(北朝鮮の)不審船のあれ(死亡者)が本当に軍人で立派に戦死したものであれば祀ってやる必要がある」(「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」第六回議事録、平成十四年五月二十三日)

 横田めぐみさんを拉致した犯罪者を祀り、それに対して、日本国民一人ひとりが頭を下げて祈れと言っているのです。気が狂っているとしか思えません。

 江崎氏はこのようなおぞましい施設を造っても、下等好位置偽印いや加藤紘一議員などが言っているいわゆる「A級戦犯」問題は解決しないとして次のように書いています。
<山崎代理は講演で「祀られている方々の氏名を特定しないわけですから、ある人がやってきて、その人がA級戦犯を追悼なさってもそれはご自由で、個人の内心の問題で誰も干渉できません」と明言し、参加議員たちを驚かせた。
 山崎代理の頭には、「A級戦犯」を祀っているかどうかを瞹味にすれば、問題は解決するという思いがあったのだろう。しかし、中韓両国が「追悼施設にA級戦犯が祀られていないことを明確にせよ」と迫ってきたらどうするのか。「誰が祀られていないかも明らかにしない方針だ」と拒んでも両国が納得するとはとても思えない>

 そして、多くの方が指摘していることだが、靖国神社に変わる新しい追悼施設を我が国が造ったとしても、支那、朝鮮の難くせが止まるはずもない。それは、支那、朝鮮にとって外交材料の一つにすぎないからである。
江崎氏は山崎正和代理でさえも講演会にてその支那、朝鮮が難くせをつけてくる事についてはっきりと発言している事を指摘している。
「中国や韓国の政治的非難というのは、国民的感情の問題で、感情というのは論理ではありませんので、どのような態度をとっても怒られるときは怒られるわけです。
 非常に望ましくないことではありますが、仮に靖國神社に対する総理の参拝がなくなった時に政府がそれを宣言した。するとその次には、新年の総理の伊勢神宮参拝はどうなるか。ご承知のように伊勢神宮というのはかって国威を発揚する神社でした。
 ですから、これ(伊勢神宮の参拝)を今度は攻撃の材料にされるかもしれないし、八月十五日の式典に対しても非難しようとすればできるわけです。従いまして、私はこういう施設ができたから、これで外交問題が払拭されるとは思いません」(平成十七年十一月九日に「国立追悼施設を考える会」設立総会にておこなった講演にて)

 建設推進派である座長代理からして新しい追悼施設は無意味であるといわれているのです。そのようなアホな施設を造れと売国奴議員どもは言っているのです。
その同じ講演会で山崎代理はタリバンのテロにまで言及しています。
「(九・一一米国同時多発テロの関係者とされる)タリバンのようなテロリストによる被害者を追悼するかどうか。それと関連して、そのテロリストが死んだ場合、その人を追悼するのか。私共は議論しましたが、(結論が出ず)ついに手を挙げてしまいました」
 
 つまり、テロリストさへ追悼する可能性のある国立追悼施設を造れといっているのです。そりゃあ、そうです。我が国にとって偉大な政治家である伊藤博文を暗殺したテロリスト安重根は朝鮮では英雄として祀られています。当たり前ですが、それぞれの国により見る角度は違うのです。
他国にとっては英雄であるテロリストどもを祀れ、そして日本人は頭を下げろといってきても不思議ではないのです。
 江崎氏はそれに関連して、現在の朝鮮では「大東亜戦争においてアメリカ、支那などとともに日本国政府を相手に独立戦争した」というアホというか妄想としか言えない歴史観を持ち、昭和二十六年のサンフランシスコ講和条約においては対日戦勝国としての参加を要請までしていることについても言及しています。
以下、江崎氏の文章より
 <こうしたユニークな歴史観に立ち、反日テロを行った韓国人たちを「独立闘争の英雄」と称える韓国のいまの空気からすれば、「国立追悼施設が敵国将兵も追悼する施設であるならば、『日本との戦争で死んだ韓国人』というカテゴリーを作って追悼して欲しい」と要求してくる恐れがある。この要求を断れば、「日本は我が国の独立戦争を否定した」と大騒ぎするだろうし、受け入れれば、「日本政府が韓国との戦争状態を認めた以上、反日テロを行い処刑された民族英雄に対する戦争賠償を要求する」と追求され、莫大な賠償金をむしり取られることになるだろう。

略)
 そもそも山崎代理も認めているように、中国も韓国も新しい施設を造ったところで、それで矛を収めるような国ではない。靖国問題で日本が譲歩したところで、次々と理由を見つけて対日非難を続けるだろう。
 中韓両国との関係を修復するために我が国がしなければならないことは、国立追悼施設を造って相手に擦り寄ることではない。アメリカやアセアン諸国と協調して、中韓両国が国際社会の常識を尊重するような「普通の国家」に自己改革するよう働きかける、「攻め」の外交を行うことであるはずである。>

 今日の「沖縄慰霊の日 悲劇と狂気を思い起こす 」と題されたチョンイル新聞の社説も醜い。
以下引用
沖縄慰霊の日 悲劇と狂気を思い起こす
 沖縄の「慰霊の日」が今年も巡ってきた。太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった人々を悼み、平和を祈る日だ。
 80日余りの戦闘で亡くなったのは20万人を超える。このうち、本土からやって来た兵士よりも、住民の犠牲の方がずっと多かった。それが沖縄戦の特徴だ。
 そうした住民の犠牲のうち、沖縄の人たちにとって、消し去りようのない痛みを伴う記憶が「集団自決」だろう。
略)
 狂気の世界というほかない。
 米軍に投降すればいいではないか。自殺することはない。いまの若い人たちはそう疑問を抱くだろう。
 宮城さんは「皇民化教育は国のために死を惜しまないことを教えた。集団自決は敵を目前にした住民の必然的な行為で、国に死を強いられた」と語る。
 さらに住民は「米兵に捕まると、女性は辱めを受ける」などと、「鬼畜米英」の恐ろしさを信じこまされていた。
略)
 慶良間諸島の集団自決について「沖縄ノート」に記した作家の大江健三郎さんは「沖縄戦がどんなに悲惨で、大きなことだったか。集団の自殺を頂点として、日本軍が沖縄の人々に大きな犠牲を強いたことを日本人の心の中に教育し直さなければならないと思う」と話す。
略)
 沖縄戦の悲劇と狂気を絶えず思い起こす。それは日本の進む道を考えるうえで、苦い教訓となるに違いない。
引用終わり
平成十八年六月二十三日朝日新聞社説

 先にあげた「打開策となりうるのが、懇談会の提言した『明治以降の日本がかかわった戦争のすべての死没者』を追悼する施設の建設である」と書いたチョンイル新聞の社説について、「A級戦犯を分祀しても支那、朝鮮が難くせをつけてくる」ということをすでに懇親会にて結論が出ているのにもかかわらず、それを隠して書いている。その事を江崎氏に指摘されていますが、同じように今回の社説も、大江健三郎というどうしようもないアホというか嘘つきが沖縄の方達を描いた「沖縄ノート」が、曾野綾子さんの著書により、そのウソを指摘され今、問題になっていることを知っていながらこのようなことを平気で書く。流石は売国奴で厚顔無恥な
本多勝一のいたところです。その血はりっぱに受け継がれ、今も誇らしく脈々と流れているようです。

裏表紙