金嬉老を激励した「ドアホ文化人グループ」

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成21年1月22日木曜日小雨 ○

 在日朝鮮人の恥さらしであり、根っからの犯罪者である金嬉老の言葉にだまされ、その犯罪行動を支持した「文化人」グループと呼ばれた人たちがいます。

 日高六郎(東大教授)、伊藤成彦(中大助教授)、鈴木道彦(一橋助教授)、金達寿(作家)、角南俊輔(弁護士)、斉藤浩二(弁護士)、山根二郎(弁護士)

 これらは、週刊新潮昭和四十三年三月九日号の記事「金嬉老で恥をかいた人々 日本を征服した五日間の言行録」に掲載されていた人たちの名前です。(私は「週刊新潮が報じたスキャンダル戦後史」(新潮社二〇〇六年刊) p二二一より)

 現実に、金嬉老の籠る静岡県寸又峡の「ふじみ屋旅館」まで応援にのこのこと出かけていったのは、伊藤成彦、金達寿、角南俊輔、斉藤浩二、山根二郎の諸氏だったようです。

 金嬉老と会い、その発言にころっと騙されて、泣いたバカもいたそうです。

 学生運動については金嬉老の「警官と戦う学生の心の中にダイヤモンドを見つけました」という言葉に感激した伊藤成彦氏は「いや、私は、金さん、あなたの心の中にダイヤモンドを見つけました」という言葉を吐いたそうです。

「曽我(注=金嬉老が清水で殺した相手)が、私の家に踏み込んで私をなぐり、アサ公とののしった時、私は心の中ですでに彼を殺していました」

「私は十五歳のときから、警察が自分の家となりました。しかし、その家はあまり住み心地のいい家ではありませんでした」

これらの言葉は、普通の人が聞けば、「寝ぼけたこと、アホ言っとるな。お前がみんな悪いんだろうに」となるのに伊藤成彦氏は「あなたは立派な文学者だ」と叫んだそうです。

 このバカどもは、下記の金嬉老の母親、朴得淑さんの言葉をどう聞くのであろうか。

「あれは、ふだん朝鮮人といわれてもハラは立てないが、ムシの居所が悪いと、カッとくるね。それだけの話よ。だけど、息子は、捕われになっても、まだ生きてるからいい。しかし、あれが殺した二人の遺族を思うと、私、何もいえない。私は息子にいいたかった。死ぬのなら早く死ねばよかった」

 このバカどもだけでない。金嬉老を、在日朝鮮人差別を訴えた英雄のごとく扱った、いや、今でも扱っている腐れマスコミも、このお母さんの言葉をどう聞くのであろう。腐れマスコミだけあってどうも思わんのだろうな。

 ちなみに、日高六郎氏は、日本赤軍と深い関係にあり、オーストラリア政府から入国拒否の措置をとられたりしている、

伊藤成彦氏は現在中央大学教授の要職にあり、そして、あの浅井基文氏などとともに、九条連(憲法9条 世界へ未来へ連絡会)代表の一人。

 九条連とは、戦時売春婦をたきつけて、日本軍慰安婦問題アジア連帯会議 などというものを開いて、「日本政府は公式謝罪せよ!」などと気勢をあげているところです。ちなみに日高氏もこことのつながりは強いです。

 伊藤氏の過去の発言には、中々面白いものがあります。

 「日朝国交正常化交渉の中断は、日本側が共和国にたいして、核疑惑や大韓航空機爆破犯の女性の日本語教師だったとされた李恩恵など何の根拠もない問題をもちだした結果でした」

 (キムイルソン主義研究一九九九年一〇月号)

 「(国交正常化交渉で)もう一つ懸念されるのは、行方不明者の問題、日本政府が主張しているいわゆる拉致問題です。『拉致問題』にはいっさいの証拠がないため、これをとりあげてハードルを高くしようと思えば無限い高くしていけます」

 (キムイルソン主義研究二〇〇〇年七月号)

 「日本の植民地支配がなければ、朝鮮民族が戦争に巻き込まれることはなく、外国軍がくることも、三十八度線での分断もありえなかった。従って日本は、済州島四・三事件について済州島民に謝罪すべきだ」

 (朝鮮日報 二〇〇八年四月二十三日)

 流石は、在日朝鮮人の恥である金嬉老に対して、「金さん、あなたの心の中にダイヤモンドを見つけました」という言葉を吐いただけの事はあります。アホ丸出しです。

こんなアホでも務まるのか中央大学教授・・・

まあ、東京大学もアホ教授をいっぱい飼ってますけど。

 午後よりスポーツセンターに行く。昨日出来なかった下半身のメニューを消化。久しぶりにフリーウエイトでのスクワットなど。最後は有酸素運動。

 帰りに、芳林堂さんによる。週刊誌と「戦時演芸慰問団『わらわし隊』の記録」を購入。

 写真は、高田馬場のビル街にいたかわいいネコ。人懐っこい感じでしたので、どこかで飼われていたのだろうが。

 小胡子さん来店。遅い時間にHさん二名様で来店。

 早い時間から飲む。記憶は最後まであり。


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