米軍による慰安婦レポート

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

 米軍による1944年夏に北ビルマのミートキーナーにて捕らえられた朝鮮人慰安婦二十人と抱え主の北村夫婦(日本人)からの尋問記録を要約したレポート(米国立公文書館所蔵)

 尋問したのは二世のアレックス・依地軍曹とカール・吉田軍曹です。
それによると、
募集
1942年5月、日本人業者たちは軍の勧誘で東南アジアの占領地における「気楽な慰安サービス」の名目で朝鮮人女性を集めた。業者は三〇〇〜一〇〇〇円の前借金を親たちに払った。
渡航
北村夫婦は若干の経験者をふくむ二十二人の女性(十九〜三十一歳)つれて七月十日釜山を出港、八月二十日ラングーンについた。同船の女性七〇三人は、二十〜三十人ずつに分かれビルマ各地に散った。
丸山クラブ
北村班がおちついたミートキーナの慰安所には六十三人の慰安婦がいて、連隊長の名前をとって丸山クラブと名付けられた。
雇用契約
抱え主と慰安婦の配分は五〇%ずつ。月間収入は一五〇〇円、年季は半年から一年(一部は帰還した)
時間割りと料金
午後九〜午後五時=兵(一円五〇銭)、五時〜九時=下士官(三円)、九時以後=将校(五円)、以上は二十〜四十分のショートタイム(山田盟子は一時間と書いています)泊り=将校のみ(三十円)、なお兵の月収は十五円ぐらい。
生活状況
 個室を与えられ、利用者は、毎日一〇〇人ぐらい。水曜日は検診のため休日、生活はかなり豊かで町へ買い物にも行けた。兵からの贈物が多く、娯楽やスポーツをやりパーティにもでた。
性格評価
 無教育で子供っぽい。利己的で美人はいない。健康状況は良好。
その他
 兵士からの求婚が多く、実際に結婚した例もある。
希望
 生存を知らせるビラを朝鮮に播いて欲しい。
 以上秦郁彦著「昭和史の謎を追う 下」p491〜492より

 同じく秦氏の著書「慰安婦の戦場の性」新潮選書には
 慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊して、寝起きし、業を営んだ。彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。

 慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。p275

 元慰安婦で、平成4年に二万六千百四十五円の郵便貯金返還の訴訟を起こして敗れているビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠という元慰安婦の手記よりの引用として
 支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。

将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像をみに行った。ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母の無事を祈って帰ってきた。p276

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