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本多勝一と天皇

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成211月8日木曜日晴れ 寒い △

  二十年前の昨日、一月七日昭和天皇が崩御され、昭和が終わり、平成が始まった。

 我が国は天皇とともにあるが、その天皇について、本田勝一氏はどう語っていたか。

 <「こういうもの(注=天皇)を、平然と飼っている日本人を、心底から恥じさせてくれる存在」

「利用された気の毒な人なのだから、死刑にしなくてもよいが、国外追放にして今後また利用されないようにする。南米あたりに移住してもらって、あそこの勝ち組の日系人たちに飼ってもらったら」>

 「我々にとって天皇とはなにか」(エール出版)という問いに対して「北京から」回答して。週刊新潮昭和四十六年九月二十五日号の記事「朝日のエース 本多勝一記者のやっていること」より 私の引用は「週刊新潮が報じたスキャンダル戦後史」(新潮社二〇〇六年刊) p五三より引用

<言葉だけでアイマイにしておく「罪」などは、日本以外にはほとんど存在しない。きびしいリアリズムなのだ。日清戦争以来五十年間も中国を侵略し、日露戦争中の中国人殺害なども含めると何千万人も殺した過去について、どうしてそのようにかんたんに「あやまる」のだろうか。

このような態度は、中国では全く通用しないのだ。

略)

中国人が何千万人も殺された行為が、どのような構造によってなされたかを、素朴に、原点にさかのぼって考えてみよう。これは実証してゆけば、大册の単行本になってしまうけれど、そんなことをするまでもなく、実はほとんどの日本人は知っている。天皇制。すべては天皇に象徴される天皇制軍国主義によってなされた。もちろんそのさらに底には財閥があるけれども、構造の頂点に天皇があったことは否定できない。三光作戦による皆殺しも、天皇の名においてすべて正当化されてきた。赤ん坊を面白半分に突き殺し、その母親を強姦する行為も、すべて天皇の名によって「聖戦」となるのだった。中国人がこんなにもひどい目にあわされたことの元凶は、天皇制軍国主義である。その天皇が、今なにをしているか。

略)

私たちは、多少はスジの通った考え方のできる者であればだれでも知っている。天皇制などというものは、シャーマニズムから来ている未開野蛮なしろものだということは。ニューギニア高知人だって、こんな未開な制度を見たら大笑いするであろうことも知っている。にもかかわらず、平均的日本人よりは「良識ある」報道人が作り出す大新聞さえ、『ニューヨーク・タイムズ』と決定的に違って、ニューギニア高地人に大笑いされるような、ドバカな記事を書いているのである。世界に希有なこの大迷信によって、戦争中の私たちは、あんなにもだまされ、あんなにもひどい目にあった。敗戦のとき報道人は「もうだまされまいぞ」と心に誓ったのではなかったのか。どうしてそれが、今でもこういうことをやっているのだろうか。どうしてそれが、今でもこういうことをやっているのだろうか。だが、この「良心的」報道人の態度は決して報道人特有のものではなく、日本の一般的知識人の正体の反映なのだ。恥ずかしい。日本が侵略したアジア諸国の人々に対してとくに恥ずかしい。この世界で最もおくれた野蛮な風習を平気で支持している日本人。侵略の口実とした天皇をそのまま「あがめたてまつ」っている日本人。第一に謝罪すべきアジアでなく、ヨーロッパあたりへ出かけてはほっつき歩く天皇を大々的に報道する日本人。こんな民族は、世界一恥ずべき最低民族なのであろうが、私もまたその一人なのだ。少しでも、もう少しでも、ましな民族になってほしいと、いたたまれない「愛国」の気持ちで、こんな文章も書いている。

略)

戦後、天皇は人間になったなどといわれたが、「象徴」という奇妙な存在として、結局は天皇制が残された。このあいまいな存在。こういう思想的甘さが、どれだけ残酷な結果をもたらしてきただろう。

略)

日本および日本人については、そのような意味で根底をなすものは何か。それこそまさに天皇制である。しかも天皇制は、常に「悪」の面でのみ、日本人にかかわり、支配している。世界の人民の平和のために、消えてなくならなければならないものはたくさんあるが、天皇はその典型のひとつといえよう。>

(本多勝一氏の著書「中国の日本軍」蒼樹社p二九四〜p二九八より引用 同文は「月刊社会党」一九七二年一月号に掲載されたもの)

 この本多氏の言葉を読んで、怒りを覚えない普通の日本人は皆無でしょう。ちなみに、この時、本田氏は朝日新聞のバリバリの第一線記者であり、スター的存在でした。このような者が看板記者であり続けた朝日新聞というものがどういったものであるか。今更ながらによくわかる事例です。

 

 

今更ながらの腐れ売国奴本多勝一1

12月28日日曜日晴れ ○

  あのソ連から金をもらっていた恥知らずな日本社会党、現社民党の田辺などが金を出して作らせた南京大虐殺記念館。(現在は支那政府により新装なった)

 その捏造記念館からさすがの嘘つき支那人も信憑性乏しい写真3枚を撤去というニュースがありました。

以下引用

南京のものとして展示されていた「上海南停車場」の写真

 中国・南京市にある南京大虐殺記念館が、信憑性が乏しいと指摘されていた写真3枚の展示を取りやめたことが17日、政府関係者の話で明らかになった。「連行される慰安婦たち」「日本兵に惨殺された幼児たち」「置き去りにされ泣く赤ん坊」の3枚で、日本の研究者らは南京事件と無関係だと指摘していた。中国が同館の展示について“是正”に応じたのは初めて。ただ、30万人という犠牲者数の掲示や“百人斬り”など事実関係の疑わしい展示多数はそのままになっている。

 撤去された3枚の1枚は、南京攻略戦の前に撮られ、「アサヒグラフ」(1937年11月10日号)に掲載された写真で、農作業を終えたあと、兵士に守られて帰宅する女性や子供が写っている。これを中国側は旧日本軍が女性らを連行する場面と紹介し、「農村婦女は連れ去られ陵辱、輪姦、銃殺された」と説明していた。この写真は戦後、朝日新聞記者、本多勝一氏の著した『中国の日本軍』や中国系米国人作家のアイリス・チャン氏の著書『ザ・レイプ・オブ・南京』でも、残虐行為と関連づけて紹介されるなど、国内外で繰り返し誤用されてきたことで知られる。

 また、幼児たちの写真は、朝鮮現代史の学術書に掲載されたもので、匪賊(ひぞく)(盗賊集団)に殺された朝鮮の子供たちの遺体。赤ん坊の写真は米誌「ライフ」に掲載された報道写真で、撮影地は上海。いずれも南京の旧日本軍とは関係ないが、愛国主義教育の“模範基地”と指定される同館は「悲惨な史実」と紹介してきた。

 日本側は、事実無根だったと判明している“百人斬り”関係の展示品のほか、誤用や合成と指摘されている写真について、さまざまなルートを通じて撤去を求めてきたが、これまで同館は応じていなかった。

 85年に開館してからの同館の参観者の累計は1897万人。日本の修学旅行生らも訪問している。

引用終わり

産経新聞 2008.12.17 21:04

 手元に本多勝一氏の著書「中国の日本軍」(蒼樹社 一九七二年第一刷発行 一九九〇年第二十二刷発行)があります。本多氏は、撤去されたアサヒグラフに掲載されていた写真について、下記のように書いています。

「婦女子を刈り集めて連れて行く日本兵たち。強姦や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ。」

同書p一一八の同じ写真のキャプションより。

 「これらの写真の多くは、捕虜になった日本兵から没収されたものだという。日本軍の侵入と同時に南京市内は火炎に包まれた」p一〇八

と本多氏は書いている。何の検証もせずに支那政府のスポークスマンにされていることを恥とも思わないご仁である事がよくわかる文章です。だから、平気でアサヒグラフ掲載の写真を、何の疑問も抱かず支那の説明通り使うのです。

まあ、人民日報築地支社である朝日新聞はアサヒグラフの写真とわかっていても、ご主人様である支那政府に対して、抗議も何もしませんでした。そりゃあ、ご主人様には逆らえませんから。

 そして、同書には「自序 教育される側の論理」として、

最近私は中国に行って、日本軍が何をしたかについて取材し、『朝日新聞』に連載した(のちに単行本『中国の旅』として朝日新聞社から刊行されている)。読者から強烈な反響があったが、その反響を年代別にわけてみると、ごくおおざっぱにいえば、年齢が若くなるほど、この報道に率直な驚きと反省をみせる例が多く、高年齢になるほど、「今さら・・・」といた拒否反応や非難をする例が多い。その境界線は、いうまでもなく、太平洋戦争中に青春をおくった世代あたりにある。

このことは、当初から予想されたことであった。むしろ予想をはずれたことで嬉しかったのは、中国に兵隊として行っていた人々の中からの支持と激励の便りが、意外と多かった点である。もちろん非難や脅迫も多いが、これは予想どおりだから意外ではない。

さて、かくも深く教育されてしまった私たち日本人の「ものの考え方」を、いくらかでもより率直な方向へ教育しなおすということは、ほとんど絶望的にむつかしいであろう。文部省教育によって小学生から偏向教育をさせられ、NHK教育によって毎晩「君が代」教育が実施されている現在、そんなことは原爆に竹ヤリで向かうようなものだ。たとえば、靖国神社復活をすすめようとしている自民党に対して、強烈な拒否反応が国民的規模で起きてこないのも、すこしも不思議でない。教育の成果を示すひとつの指標にすぎないのだ。

 略)

敗戦後になっても、基本的には知らされないで二十数年間も過ぎ去ったという事実であろう。このままでは、わが祖国は世界の嘲罵と憎悪のマトでしか無い最低民族になりかねない。なんとか最低民族になるようにと、私たちは文部省やNHKなどによって毎日教育されている。

この最低民族化教育を、なんとか拒否したい。そのためのひとつの方法は、反動政府が知らせたがらない事実を、私たちの手によって掘り起こし、知る事である。そのような事実を、広範な日本人の常識とすることができるようになれば、最低民族化教育にとっても大きなブレーキになるだろう。さきに刊行した『中国の旅』の姉妹編として、ここに写真を主とした本書を刊行する意図は、ほぼこのようなところにある。

 p十〜十二

 つまり、本多氏が書くところの事実とはあくまで支那政府が言う事実であって、決して本当にあったことではないのです。

それは、この文章の末尾には下記のように凡例としても書かれています。

<凡例

 ご主人様である支那政府を信じ切って、検証など一切していないことはこの文章からも伺えます。

「現在の軍国主義への危険を阻止することこそ、真の謝罪になるのです。今度取材した日本軍国主義のツメあとの報道は、このような意味で現在の軍国主義の進行を阻止するための、ひとつの戦いになるものと信じます」

(p二九一〜二九二)

 これは、本多氏が支那において、取材相手に対して述べた言葉として同書に書かれています。本多氏は記事を事実ではなく、自分のイデオロギーに基づき書いているのです。

 自分のイデオロギーに基づき、支那政府の言うがままの記事を書きながら、「中国で日本軍が何をしたかを詳細に報道した私のルポタージュ『中国の旅』」p二三八と書ける神経もすごいです。本多氏は後に、当時、支那にいた日本人の人々から事実と違うという抗議を受けた時に「中国政府のいうままに書いただけだから、抗議は中国政府にしてくれ」と言い逃れしました。

このような男が、当時の朝日新聞の看板記者だったのです。

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