石坂啓と辺見庸と朝鮮人慰安婦

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成21年2月12日木曜日晴れ ×××

 辺見庸氏の作品に「もの食う人びと」(共同通信社 一九九四年)というものがあります。この中に収められているものの中の一つに「ある日あの記憶を殺しに」があります。

 その作品中には、金福善、李容洙、文玉珠という三人の慰安婦が掲載されている。

その三人が、一九九四年一月二五日午前十一時ごろにソウルにある我が国大使館前で隠し持っていた包丁で割腹をおこなおうとして、三人とも無事保護される場面から始まっています。

 その三人ともそれなりのいわく付きの慰安婦であり、狂言強盗より質が悪い嘘つき朝鮮人であることは有名な話ですが、辺見氏にとってはそうではないようです。 三人の元慰安婦が包丁で腹を切ろうとした行動に関して <万々一、狂言だとしてなに悪かろう。私にとがめる筋合いはない。>p三一四

 李容洙に関して、 <記憶というものを、私たちはなめてかかっていると思う。五十年前とは、かなり多くの人びとにとって、昨日なのだ>p三二〇

 そんな李容洙にとって「昨日の記憶」であるはずの「慰安婦の体験」証言が十四歳から十六歳と連行された年と年齢が一致せず、その時の状況もコロコロと変わることを辺見氏はどう思っているのであろう。

   文玉珠に関しても、 <一見陽気な文さんは、じつは生きた「悲しみ百科事典」みたいな人だった。私にはその一ページ分も書けない。  一九四二年から三年間もビルマ各地で慰安所生活を強いられる。 略)  忘れられない味もある。ラングーンの慰安所にいた時のことだ。師団司令部の倉庫係がサンマの缶詰を持ってきた。たった一缶のそれに野菜と塩を加えて女性たち十人で分けて食べた。>p三二四

 そんな生きた「悲しみ百科事典」みたいな人のはずの文玉珠は、一九四二年から一九四五年の間のわずか足掛け三年間のビルマでの慰安婦時に軍事郵便貯蓄にて二万六千百四十五円の貯蓄をし、一九九二年に日本の郵便局を相手にその貯金返還の訴訟を起こしています。また、それ以外にも、五千円もの大金を実家に送金しています。

(「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」などより)

 現在の価値に直して、六〇〇〇万円もの大金を僅か三年で稼いだ事になります。

 何度も書くように、慰安婦問題を叫んでいる朝鮮人に、どうして、豊かなはずの現在も朝鮮人売春婦が我が国に不法入国までして、居座り、金を稼いでいるのか説明してほしいものです。

   何の検証もせずに書くアホ物書き。こんな作品にも一九九四年講談社ノンフィクション大賞が与えられています。  フィクション大賞・・・・

 そんな辺見氏の作品を基にして、石坂啓氏は手元にある「戦争論妄想論」(教育資料出版会 一九九九年)に漫画作品を掲載している。(これは「コミック版 もの食う人びと」(集英社 一九九七年)を再録したもの。初出は「週刊ヤングジャンプ」一九九八年四三号)

 辺見氏の作品に出てきた三人の戦時売春婦をひとりの人物として描いている。そして、石坂氏は漫画のあとに掲載されているインタビューで、下記のように述べています。

<今日にあってまだ戦争をめぐる問題が曖昧なまま残されている原因は、やはり昭和天皇が責任をとらなかったことにあると思います。極端なたとえをすれば、オウムでいえば麻原彰晃が無罪になるようなもの。実際手を下した人たちは裁判で刑を受けるなど、麻原自身は平和を願って手を汚していないから無罪だという論理です。天皇が無罪になって放免されたということは、アジアからみたら麻原無罪と同じではないか。反省しろとか謝れとか、何度謝ればいいのだという問題の元凶は、そもそも天皇制を残したことに尽きると思います。無理があるに決まっているのです。> p一八九

 オウムの麻原彰晃と先帝陛下と同じ・・・・  腐れアホ漫画家の石坂啓らしいご意見です。

 酔狂師さん来店。小胡子さん来店。初めてのお客様Tさん来手ン。ナベちゃん来店。

 ドンチャン。最後まで記憶ありと思ったら、まったく覚えていないことをいろいろとやっている。やっぱサル・・・・・


平成25年5月19日日曜日晴れ○

 今日の毎日新聞に「特集ワイド:息苦しさ漂う社会の空気」と題されて掲載されていたあの辺見庸の記事です。

以下引用

< 特集ワイド:息苦しさ漂う社会の「空気」 辺見庸さんに聞く

毎日新聞 2013年05月09日 東京夕刊

今の日本は自己規制、ファシズムの国

略)

 「昔は気持ち悪いものは気持ち悪いと言えたんですよ。ところが今は『花は咲く』を毛嫌いするような人物は反社会性人格障害や敵性思想傾向を疑われ、それとなく所属組織や社会から監視されてしまうようなムードがあるんじゃないの? 政府、当局が押しつける政策や東京スカイツリー、六本木ヒルズ10周年といったお祭り騒ぎを疑う声だって、ほとんど出てこない。それが今のファシズムの特徴です。盾突く、いさかうという情念が社会から失われる一方、NHKの『八重の桜』や『坂の上の雲』のように、権力の命令がないのに日本人を賛美しようとする。皆で助け合って頑張ろう、ニッポンチャチャチャでやろうよと」

 安倍首相は靖国問題で「国のために尊い命を落としたご英霊に対して尊崇の念を表するのは当たり前のこと」と言い、「どんな脅かしにも屈しない自由を確保していく」と中国や韓国に反論した。

 「英霊でいいのに、ご英霊と言う。一言増えてきた」と注意を向けたうえで、辺見さんはこう語る。「安倍首相の言葉や閣僚の参拝に対し、国会でやじさえ飛ばない。野党にその感性がない。末期症状です。新聞の論調も中国、韓国が騒ぐから行くべきでないと言うばかりで、靖国参拝とはなんぞや、中国が日本にどんな恐怖感を持っているかという根本の議論がない」

この空気を支えるものは何か。キーワードとして辺見さんは、哲学者アガンベンが多用する「ホモ・サケル」を挙げた。「古代ローマの囚人で政治的、社会的権利をはぎ取られ、ただ生きているだけの『むき出しの生』という意味です。日本でもホモ・サケルに近い層、言わば人間以下として放置される人たちが増えている。80年代までは、そういう貧者が増えれば階級闘争が激しくなると思われていたけど、今は彼らがプロレタリアートとして組織化され立ち上がる予感は全くない。それどころか保守化してファシズムの担い手になっている。例えば橋下徹・大阪市長に拍手をし、近隣諸国との軍拡競争を支持する層の多くは非受益者、貧困者なんです」

 政治を野放しにするとどうなるのか。「安倍首相は官房副長官時代、官邸に制服組をどんどん入れ、02年の早稲田大の講演で『現憲法下でも戦術核を持てる』と語った。その考えは今も変わらないと思う。今の政権の勢いだと、いずれ戦術核の議論までいくんじゃないですかね。マスコミの批判は出にくいしね」

 言語空間の息苦しさを打ち破れるかは「集合的なセンチメント(感情)に流されず、個人が直感、洞察力をどれだけ鍛えられるかにかかっている。集団としてどうこうではないと思うね」と辺見さん。まずは自分の周り、所属する組織の空気を疑えということか。

 きわめて地中海人的な態度と言える。>

引用終わり

 偉そうに言語空間の息苦しさを打ち破れるかは「集合的なセンチメント(感情)に流されず、個人が直感、洞察力をどれだけ鍛えられるかにかかっている。集団としてどうこうではないと思うね」とほざくこの辺見庸というご仁については過去に「石坂啓と辺見庸と朝鮮人慰安婦」と題した日記を書いた事がありますが、その直感力だけでなんの検証もせずに金福善、李容洙、文玉珠という三人の嘘つき朝鮮人戦時売春婦の言うがままに書いた「もの食う人びと」(共同通信社 一九九四年)というクズ作品の事はどう思っているのだろう。

 きっと、な〜んにも思ってないんだろうな。

 人間のクズだもの。

 あほらし。

 

 今日はカミさんは合気道の練習に出かけ、私は店を片付け、明日の準備。

 

 酒は飲まず。

 サルでもエビでもない。


 


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