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二つの墜落

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成20年11月22日土曜日晴れ ×
 週刊新潮に「墓碑名」というコーナーがあります。手元にある今年始め(平成二〇年)に発売された週刊新潮(一月十七日号)のこのコーナーは土志田勇さんという方でした。私は存じませんでしたが、昭和五二年九月二七日午後一時二〇分頃に、厚木基地から空母ミッドウエーに向かっていた米軍戦闘機ファントムが横浜市緑区(現青葉区)の住宅地に墜落。この土志田勇さんの長女の和枝さんと幼子の裕一郎ちゃん(三歳)は「お水をちょうだい。」といって、半日後になくなり、次男、康弘ちゃん(一歳)は覚えたばかりの鳩ポッポの歌を力なく口ずさみ息を引き取ったそうです。母親の和枝さんも壮絶な闘病に耐えていたが、お子さん二人の死を知らされた後、昭和五七年一月に呼吸困難により御亡くなりになる。
 その後、土志田勇さんは事故の記録を残す事と母子像を建てる事、福祉の仕事をする事を目標にして生きたそうで、「港の見える公園」に母子像を建てられ、六〇歳を過ぎてから福祉関係の資格を取得し、社会福祉法人を立ち上げ、知的障害者を支援する授産施設、ハーブ園、保育園の開設に力を尽くしたそうですが、一月三日に八十三歳でお亡くなりになったそうです。
 米軍のファントムと違い、このような御不幸を避けるため、平成十一年十一月二十二日、眼下に広がる住宅や商店の建て込む地域をさけ、高度九〇mという墜落ぎりぎりのところまでコントロールし、入間川上を通る二七万五〇〇〇ボルト高圧電線を切断して首都圏に大規模な停電を発生させたものの、民間の生命財産に重大な被害をもたらすということは何とか回避しましたが、そのことにより脱出が遅れてお亡くなりになったお二人の航空自衛隊ベテランパイロットがいらっしゃいます。
 自衛隊員は入隊するときに『国民の生命財産を守る、その使命のためには自らの命を懸けても職務を遂行する』という誓約をし、そして隊員になります。その誓約をしっかり守った航空自衛隊のすばらしい隊員が二人いたことを我々は誇りにすべきです。

 中川 尋史(なかがわ,ひろふみ)
平成十一年十一月二十二日没 享年 四十七歳
長崎県出身 自衛官 航空自衛隊 F-1支援戦闘機パイロット
航空学生二十八期
十一月二十二日付で空将補に特別昇進 第一級賞詞

門屋 義廣(かどやよしひろ)
平成十一年十一月二十二日没 享年 四十八歳
愛媛県出身 自衛官 航空自衛隊 F-15J戦闘機パイロット

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