このページは旧ホームページです。新しい「酒たまねぎやホームページ」へ

BAR FAL (ファール)の真実

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成13年7月6日金曜日 曇り一時雨 △
 10年ほど前に、飯田橋にFAL (ファール)という店を長谷川酒店現社長の長谷川浩一氏が長谷川酒店とは関係なく、長谷川氏の個人の店としてオープンいたしました。
 あくまで、長谷川氏の永年の夢を実現させた個人的な店でした。
 
 FAL(ファール)という店名はその時の従業員に、国会図書館などでゲール語を調べさせて、いくつかの候補の中より長谷川氏が選び「究極」とか「真髄」みたいな意味であるゲール語の「ファール」にきめたそうです。
 長谷川氏もオープン当初は手伝って、カウンターの中に立っていました。(こーちゃんの蝶ネクタイ姿もなかなかサマになっていました)
 私も、開店当初は三週間ほど毎日の様に、自分の店が終わってから、飲みに通いました。

 数年の時を経て、その店の借金の返済も終わりこれからというときに、(開店からその時まで、この店より長谷川氏の手元には一銭の利益もあがっていませんでした。)
その時の雇われ店長から私の元に一枚の葉書が届きました。
 その葉書には、「ファールは移転する事になりました・・・・・・・」と書かれていました。
 驚いて、その週の日曜日に長谷川氏と飲んだ時に聞くと、移転などしないという話しでした。
 つまり、ファールの雇われ店長の独立でした。
 しかし、この雇われ店長にとってはこの店の移転だった訳です。おかしな話しです。
 そして、一銭も金を出していないくせに、この雇われ店長は、共同経営者と一部のお客にはいっていたのです。普通は一銭も銭を出さない共同経営者はおらんでしょう。面の皮の厚い人です。
 これまた、おかしな話しです。

 そして、今発売の「料理王国」という雑誌の中で、このBARが愛される理由という記事があり、その中にファールも載っています。
 その記事の中では「まったくの素人が、26歳で飯田橋に小さなバーを開き、客に鍛えられながら技術を磨いてきた。そして3年前、ついに念願の銀座進出を果たした。」
とこの銀座にある店のオーナー廣瀬孝一氏の事が、紹介されています。

 欄外にある個人のプロフィール紹介でも『26歳のときバーテンダーを志す。「赤坂グレース」でアルバイト後、「素人同然の状態」で飯田橋に「ファール」をオープン。8年後の98年、現在の場所に移転』となっています。アルバイト先の名前まで書いておきながら、飯田橋のファールは長谷川氏がオーナーだった店で、ただその店で働いていただけで、移転ではなく独立でしたという事はどこにも書いてありません。

だいたい、この廣瀬という人は飯田橋ファールのお客さまにも、自分は共同経営者だと言っていたのです。当店のお客さまでさえ、それを信じていました。
 一銭も銭を出していない場合は、普通は雇われ店長、雇われマスターと普通いわれる立場の人ですが、その人が、26歳で飯田橋でバーの経営をしていたと他人にいうとは、まったくもって、おかしな話です。

 普通でしたら、飯田橋のファールで働いていましたとか、ファールという名前の店をまかされていましたとか言うものでしょう。

 そして、廣瀬氏は客にくばった葉書に移転と書いた、その移転したはずの飯田橋のファールは、銀座にファールを廣瀬氏が開いた後も、長谷川氏が別の従業員にまかせて営業を続けていました。移転したはずの店がまだ営業していたとは、もっと、おかしな話しです。

 自分の単なる独立なのに、「店の移転」と書いた葉書を、お客に配るとはいったいどういう神経の持ち主なのでしょう。おかしな話には理解に苦しみます。

 そのような、うその情報が、どれだけ自分がいままで世話になっていた、長谷川氏に迷惑をかけるという事も考えない愚かな行動です。

いや、計算尽くだとしたら、卑劣極まりない人間でしょう。
 しかも、働らかせてもらっていたオーナーの許可もえずに、同じ名前で店を出す事を勝手に決めるという無神経さには驚きます。

 長谷川氏は廣瀬氏に、「ファールは移転する事に・・・・」という葉書を、回収して、出し直すように言ったのですが、廣瀬氏は聞き入れませんでした。

 廣瀬孝一氏の様な非常識人は私も知りません。
普通、独立する時には人としてもっと筋を通すのものでしょう。

 後ろ足で砂をかけるような独立の仕方です。まさに人非人、恩知らず、恥知らず、鉄面皮といった言葉がぴったりのお人柄でございます。

 そして、そのような人の店を「このBARが愛される理由」という記事で「ファール、バランスが信条のバーテンダーは技術も心得もすべて独学。」と紹介してありましたが、肝心の人間的なバランスは最低のようであります。そんな人の店をこのような形で載せるとは、この「料理王国」という雑誌の編集の連中の目と頭は腐りまくっています。
 あの
ダンチュウといい、この料理王国といい何なんだろう。

 廣瀬氏の独立のあと、飯田橋の「本当の」ファールは長谷川氏が従業員にまかせて営業いたしておりましたが、その後閉店し、残念ながら現在はございません。


 このページの記述内容につきましての責任は、すべて酒たまねぎや店主である木下にございます。この記述内容につきましては、私の体験上の事実であるという信念から、すべて実名で書かせていただいております。しかし、内容につきまして異論、反論をお持ちの方もいらっしゃると思います。ページ内容についての間違い、または御反論などございましたら、どうぞ酒たまねぎやの掲示板に実名で投稿していただければ幸いです。(平成13年7月6日)

うそをつき続ける
平成18年12月10日日曜日追記

 コンビニでふと「大人の酒場 The Bar」という特集が気になって買った「男の隠れ家」(二〇〇七年一月号)という雑誌。名店といわれるバーが多く掲載されていた。
 この特集記事の中に、以前に書いた事のある「Bar FAL」も掲載されていました。p25
その記事には「オーナー・バーテンダーの廣瀬孝一氏は、飯田橋で同名のバーを七年間営業した後、一九九八年に銀座に開店」となっていた。
 「営業」となっているが、この書き方では、廣瀬氏が飯田橋で「FAL」というバーを経営していたととる人がほとんどだろう。間違うのは勝手だとでもいうのであろうか。飯田橋時代の事をいうのならば、普通は「FAL」というバーをオーナーから任されていたとか店長をやっていましたというべきでしょう。でも、そうすると、その「FAL」という同名のバーを銀座に出す由来まで聞かれて、色々まずいのでしょうか?何と言っても飯田橋の「FAL」が営業中にもかかわらず、「FAL」は銀座に移転する事になりましたという案内状を飯田橋の「EAL」に来ていたお客様に配るようなお人ですから。相変わらず、大切なのはバランスといいながら、心のバランスは最低のようです。

表紙