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万人抗の嘘

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成20年7月29日火曜日くもりのち一時雷雨 × 
 「『死体』が語る中国文化」(樋泉克夫著 新潮選書)を読む。いろいろと興味ある記述が出てきておもしろい。あの本多勝一氏が著書「中国の旅」にて書いていた日本軍が支那人を放り込んで埋めたという「万人抗」とは、本来どういうものであるかというのも理解できました。
 万人抗についてはすでに田辺敏雄氏が「朝日に歪められた現代史」(全貎社 平成六年刊)という本の中で、本多氏がいかにでたらめを書いているかを、当時の炭坑側の日本人の証言、アンケート、そして歴史検証などに基づき指摘されています。それに対して、本多氏は反論証拠も示さずに、「正論」平成二年九月号にて「この種のかなしい調査結果」「失礼かつでたらめ」などと強調し、「矮小で偏狭な右翼国粋主義者にすぎず、世界に恥をさらしている売国奴と大同小異」などと罵倒しながらも下記のような「コメント」をしたそうです。


<第一に「中国の視点」を紹介することが目的の「旅」であり、その意味では「取材」でさえもない。第二に事実関係については日本側の証言をもとめています>


 何をいわんかや。
<「中国の視点」を紹介することが目的の「旅」であり、その意味では「取材」でさえもない>とはお笑いです。本多勝一という人間の程度とともに、このような男が社の顔であった朝日新聞という会社の程度が良く判ります。
 
 「『死体』が語る中国文化」の著者である樋泉氏は現在は愛知県立大学外国語学部教授で、支那文化というものを死体、その埋葬方法、歴史などから書いた支那文化論です。

 万人抗というものについては、「第四章 無告の民と匪賊」にて下記のように書かれています。
<彼女の生まれる二〇年ほど前、四川省の北部が早魃に襲われた。当時の記録は、これまでみてきたような死屍累々とした惨状を綴っているが、その中に、「この年の冬から翌年春にかけて、死に絶えた一家もあれば食い合う者もいた。餓死者は数万を下らなかった。仁に厚い者は始めは棺を、次に席(むしろ)を提供し、席が無くなったら草叢を深く掘って埋葬し、これを万人抗と名付けた>p一一六
 つまり、「支那側の言う事だけを書き綴った」だけの本多氏が著書「中国の旅」で<東北地方でよく聞くようになったが、どういうものなのかはよく理解できなかった。だが、このマグネサイト鉱山をたづねたとき、そのすべてを理解することができた。略)
 私はまだ、ナチがやったアウシュビッツ殺人工場の現場を見たことはない。だからこの万人抗のような恐ろしい光景は、生涯で初めてだった。>p一四七
と書いた万人抗は支那各地にあるわけです。

樋泉氏は著書で、
<「草叢を深く掘って」作った「万人抗」だが、大量死体を一括して集団で埋葬するために掘られた大きな墓穴の事である。
 戦前のハルピンの中国人街である傅家甸に旅館、雑貨屋、麻薬密売屋などを兼ねた大観園という施設があったが、一九四一年頃にここを調査した内部資料といわれる「極秘魔窟・大観園の解剖」(満州国警務総局編 原書房 昭和五七年)によれば、大観園の敷地内や付近の路上における身元不詳や行き倒れ死体は一ケ所に集められた後、次のように処理されている。
 相当の死体が集積せられた頃には、市公署の衛生自動車が来て是等を拾ひ歩くのである。(中略)さて市公署では集められてた死体の足首に、番号の入った小さなブリキ製の札を結び付けて、俗称「万人抗」(ワヌイヌカン)万人も入る大きな穴と云ふ意味で、市では予め大きな穴を掘っておいてそれに死体を抛りこむので伝つてゐる)。正確には『南崗大有坊市立貧民義地』の大穴に文字どおり抛りこむのである。
 おそらく、「草叢を深く掘って」作った「万人抗」と「極秘魔窟・大観園の解剖」の伝える「俗称『万人抗』とは同じ性質のものだろう。「仁に厚い者」、すなわち宗教団体なり善会なりの慈善団体、あるいはハルピン市公署のような公的機関が、大量に発生せざるを得なかった無縁仏を埋葬するために設けた施設だと考えられる。>P一一六〜一一八
 
<つまり、万人抗とは、農村といわず都市といわず。自然災害といわず貧困といわず、あまりにも多くの死があり死体が生まれ、個人の力ではどうにもできなくなってしまったがゆえに、慈善団体なり公的機関が遺族に代わって処理するために考え出されたシステムなのだ。だとすると万人抗は必ずしも日本帝国主義の蛮行の鉄証ではなく、中国の庶民社会に秘められた相互互助機能の一環ということになる>p一二〇
 と書いています。
 本多氏の「支那側の言う事だけを書き綴った」だけというのとどちらが信憑性が高いでしょう。

 しかし、日本人だったらだれもが本多氏から「世界に恥をさらしている売国奴」などといわれたくはないでしょう。腐れ売国奴から売国奴と言われる・・・・洒落にもならん。

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