連合軍の捕虜虐殺(アメリカ)

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成19年1月16日火曜日晴れ ×
 映画「硫黄島からの手紙」の中に、昭和七年ロスアンゼルスオリンピック馬術大障害飛越競技にて金メダリスト(オリンピック史上、馬術で我が国唯一のメダリスト)であるバロン西こと西竹一中佐(戦死後大佐)が負傷したアメリカ兵の手当てを部下に命じる場面と、アメリカ兵による降伏した日本兵を銃殺する場面までこの映画の中にあります。昨年、日記にも少し書きましたがロシア軍はもちろん、アメリカ軍、オーストラリア軍、オランダ軍、支那軍などの連合国は多くの捕虜虐殺をやっています。もちろん、日本軍もです。
 ちなみに、映画でも描かれていますが西中佐が肌身離さず持っていた愛馬ウラヌスの鬣は後に一九九〇年になってアメリカで発見され、返還されたそうです。アメリカ軍の戦利品あさり・・・・

 連合国軍の捕虜虐殺については有名なリンドバーグの日記にも書かれています。下記の「 」内の引用文はリンドバーグ日記よりの直接の引用では無く、私の手元にある「日本の反論」(米田健三著 並木書房 二〇〇六年)よりの引用ですので文章は米田氏が要約・抜粋したものです。
 これについて米田氏は第二次大戦に対してアメリカ参戦を反対していたリンドバークは昭和一九年になって南太平洋の戦場視察と慰問を許される。そこで、「アメリカ人が文明人であることを主張せねばならぬ理由がなくなる」ような、米軍兵士の日本兵捕虜に対する数々の蛮行を見聞することとなったと書かれています。

 「日本兵士殺害に関する将軍の話−−−−実戦参加経験がないまま帰国する軍曹が、せめて一人だけでも日本兵を殺したいと不平を漏らした。
 偵察隊に捕らえられた一人の日本兵捕虜が軍曹の前に引き立てられた。軍曹は言った。
 『俺にはこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ』
 『ちぇっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ』
 偵察隊の一人がそういうと、日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めたとたんに、日本兵の頭部に腕が巻つき、喉元が一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた。
 このやり方全体は、話をしてくれた将軍の全面的な是認を受けていた」(リンドバーグ日記六月二一日)

 「ニューギニアの密林を越えて、ホーランディア飛行場周辺に日本空軍の残骸が散乱していた。着陸後、将校連と会議。談たまたま日本兵捕虜の数が少ないという点に及ぶ。
 『捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることができる』
 と将校の一人が答えた。
 『ところがわが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ』
 『(原文伏字)では二〇〇〇人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった一〇〇人か二〇〇人だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう』
 『あるいは両手を挙げて出てきたのに撃ち殺されたのではね』
と、別の将校が調子を合わせる」

 ホーランディア攻略戦で敗れて捕虜となった日本軍人の大多数は、機関銃の乱射で殺されたのである。

 「我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが大平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う」(七月一三日)

 「安全でかなり贅沢な将校クラブに座しながら、これらの日本軍を『黄色い奴ばら』と表現するアメリカ軍将校の言に耳を傾けねばならないのである。彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、惨たらしく皆殺しにすることなのだ。オウィ島に来て以来、敵に対する畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた覚えはまったく無い」(七月二一日)

 「私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき断崖の黒点を眺めやる。あの焼け爛れた地域の地表下に極限の苦悶隠されているのだ   飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとしない。なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも明らかだから」(七月二一日)

 「われわれがもし日本兵の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、さらった土をかぶせてやったりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが出来るのであれば、私はわが国民性にもっと敬愛の心を抱けたに相違ない。ブルドーザーで片付けたあとは墓標も樹てずに、こう言うのである。『これが黄色い奴らを始末するたった一つの手さ』と」(七月二一日)

 「山道の片側にある爆弾でできた穴の縁を通り過ぎる。穴の中には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾でできた穴に投げ込んだうえ、残飯や廃物を放り込むところまで堕落するとは実に胸糞が悪くなる」(七月二四日)

(以上は先に書きましたようにリンドバーグ日記よりの直接の引用では無く、「日本の反論」米田健三著 p162〜165よりの引用)

 そして、米田氏はこうも書かれています。
<第二次大戦におけるソ連軍の蛮行は周知の事実だが、米軍については極めて人道的であったがごときイメージが長い間流布されてきた。記録映画などに登場する日本占領前後の米軍将校のほとんどが、降伏した日本軍兵士や民間人に食糧を支給し、医療を施す善良な姿で映っている。だから、「鬼畜米英という教育はまちがいだった。玉砕は犬死にだった。文明国の軍隊はあんなにも寛大だったのだ」という論理がまかり通ってきた。しかし、前線の諸記録に垣間見られるのは、むしろ日本人が軍民を問わず玉砕を選ばざるをえなかった米軍の残虐さである>(同書p161〜162)

 以上は戦後の我が国の単純な「米軍善玉、日本軍悪玉」論者にぜひ読んでもらいたいです。

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