池田大作語録南朝鮮編


 下記の記事は池田氏が創価学会という邪教を広めるために、いかに歴史を歪め、朝鮮マンセーにより朝鮮の人々を煽ってきたかがよく分かる内容です。
池田センセイの腐れコラム「来光」より
以下引用
1592年豊臣秀吉は朝鮮に 15万名の大軍を送って侵略した. 以後 7年にわたった戦乱で, 朝鮮の国土に筆舌で終えることができない損害を被らせた.
野蛮きわまりない掠奪, 暴行, 破壊. 罪もない幾多の人々を殺害して, 都市も農村も大変あばらになった.
また多い国宝級文化財も破壊されるとか搬出された.
今まで何回申し上げたが, 韓国は日本に ‘文化大恩の国’だ.
古代以来, 韓半島でさまざまな文化が日本に伝来された. 仏教徒もそうだ. この一つだけでも日本は言葉で終えることができない恩恵をこうむっている. それにもかかわらず日本はその大恩を踏み付けて隣国人々をいじめた.
あまりにも非道だった, 人間の道を脱した日本だった.
また日本の隣国侵略は永遠に消すことができない悪業の歴史を刻んだ.
小さな人物は地位が上がるとか, 大きいお金を持てばあれほど自分が偉くなったように勘違いして傲慢になる.
何ともなく相手を見下す. 恩恵を忘れて恩人さえ踏み付けてしまって, 自分の醜い野望の見代わりにしようと思う.
過去の日本がそうだった. このような過ちを二度と繰り返してはいけない.

引用終わり
和光新聞05/04/22 633号

同じく来光より
以下引用
日本は韓国と友情を結んで, 韓国を尊敬して, 韓国の心を学ばなければならない
韓国で受けた文化の大恩恵はいちいちかかることができない位だ.
思えば江戸時代日本が無断主義から文治主義で切り替える きっかけも韓国知性人の教えることがあった. すなわち武道ならなくてしょうがない ‘壬辰の乱’で 虜になった韓国の碩学河港(姜〓)と対話を通じて日本の学者は平和秩序思想に 深く目を開いたのだ.

それが当時の幕府を感化させて, また韓国の文化通信社を招待することでも 繋がれて時代の潮流を大きく変えたのだ.
しかし近代日本の蛮行(蛮行)はそういう恩義(恩義)も縁も踏み付けて韓国の人々を 徹底的に苦しめた. 第2次世界大戦末期に日本軍は済州島に約 7万名の 駐屯させた.

彼だけではなく島人々を強制労動で追い払って ‘サムリョサムボ(三麗三宝)の島’を 沖繩とまったく同じく日本の盾としてこの頃化させようと謨議したのだ.
日本は韓国と友情を結んで, 韓国を尊敬して, 韓国の心を学べばこそ平和と 繁栄の方向に進むことができる. しかし韓国に対して傲慢になって恩知らずだったら 日本は必ず衰退して滅亡する. これが万代(万代)にかけて生命に刻まなければならない 歴史観でまた人間の道だ.

引用終わり
和光新聞 : 05/04/15 632号

同じく「来光 」より
以下引用
韓国が日本文化の ‘大隠である’であることは言うまでもない.
仏教を含めてすべてのものに恩恵をこうむったと言っても過言ではない.
それならどうしてこれ ‘大隠である’の国を裏切っただろうか.
例えば ‘日本書紀’(8世紀)でも恩人の国を一段階軽んずるような文を 使っている. そのようにまで ‘宝物の国’と呼びながら憧れたが今更韓国の 色彩を消そうと思う.
その背景はいろいろに考えられるが心理的には ‘劣等感の反転’という見解が ある.
本当に大きい恩恵をこうむって来た. 内心ではそれを認めざるを得ない. しかし そのように認めることは自尊心が承諾しない.
ちょうどその頃国家体制を整備した日本では支配層の間で国家意識が 高くなった. このナショナリズム(国家主義)が恩人の国を否定するようにする.
恩人を否定して “自分はもとより自分の力だけでしたことだ”という虚勢を張る.
ついに ‘大隠(大恩)’があった実はそのものさえ忘れる.
その後にも日本の国家意識が高くなった時(豊臣秀吉時代や明治時代)に 隣国に対する愚かな差別意識が為政者によって広げられた.
こんな計略を看破しなければならない.

<Ikeda SGI会長スピーチで>
和光新聞 : 05/05/20 637号

‘3・1 独立運動’は立派な非暴力闘い,婚儀闘いだった.
韓国で日本に対する独立運動を導いたことは青年で学生だった. ‘韓国のジャンダルク’だと呼ばれる柳寛順は 15歳で日本警察に逮捕した.
到底言えない残酷な顧問. しかし彼女は屈しなかった.
堂堂と, “君たちの日本人たちが私たちを裁判する権利はない. 裁判を受けなければならない件 むしろ君たちだ!”と叫びながら死んだのだ.
彼ら青年は ‘どんな権力にも魂は絶対に死なない’と言うのを全世界に証明した.
彼女が争った ‘3・1 独立運動’は立派な非暴力闘いだった.
いわゆる ‘婚儀闘い’だった.
彼らは約束した.
“日本人を侮辱してはいけない. 石を投げてはいけない. 殴ってはいけない. このような のは野蛮人やしぶりだ.”
このように日本に対する猛烈な批判もなかった. 日本人はいつも人々を侮辱して 石を投げて殴った野蛮人だったからだ.
極めて切ない事だが ‘歴史の事実’は事実として正確に伝達しなければならない. 恥ずかしがらなければ割 ‘事実’を隠すことは恥ずかしがらなければならない行為をまた繰り返えす のだからだ.

<Ikeda SGI会長スピーチで>
和光新聞 : 05/05/13 636号 2005. 04. 08(金)

和光新聞 >企画特集 > 学会記念日
keda(池田) SGI会長は “韓国は文化大隠の国”と言いながら近くて遠い隣りで 残された韓国と日本に友好の仮橋をおこうと持続的な民間交流を推進した. 特に ‘日帝 36年’という屈辱の歴史を抱かれて日本が韓国国民にやらかした蛮行を 謝罪しなければならないと一貫されるように主張した. また在日韓国人参政権付与を日本政府に 促して人権運動も広げた.
略)
“韓国の大隠を絶対に忘れてはいけない”

Ikeda SGI会長インタビュー要旨
韓国との友好で一番重要なことは今までの両国間の歴史を正しく認識する のだと思います. 日本では国家主義史観(史観)で歴史の真実を隠蔽するとか 歪曲させているし, ひどくは日本のアジア帝国に対する侵略や ‘日帝時代’の 悪事さえ正当化する事も少なくないです. しかし歴史を定時(正視)して返り見たら 韓国が日本に文化の最大恩人というのは明明白白した事実です. 韓国と日本は 地理的に一番近くて, 韓国で渡来した人々が日本文化の基礎に多大な 影響を及ぼしたことは文献上でも, 考古学の成果で見ても明らかです.

(中略) 長い間, そのような歴史を隠蔽するとか認めないという悪幤が続いて あります. 特に最近にはそれを正当化するとか美化(美化)さえしようとする国家主義的 主張が平気に行われているということに強い危懼心(危懼心)と怒りを感じています. それで私は “韓国の大隠を絶対に忘れてはいけない”というのを繰り返して 叫んでいるのです.
<見出しニュース 1999年 11月号, ‘人類平和のリーダーIkeda SGI会長’ 中>


歴史の真実はあくまでも真実で話して来ました. 恥ずかしい ‘真実’を隠す 仕事は恥ずかしい ‘行為’をもっと助長させる仕事だからです. 日本の青年たちに 恥ずかしくて胸が痛む事かも知れないが歴史の真実をそっぽを向くとか真実から逃げだすように してはいけないのです.
今まで私たちが経験して来た事は不幸な事もいやな事も皆未来の略式で 三考歴史の教訓を ‘師匠’ して生きて行く姿勢が重要だと思います. それを 原点にして日本の青年たちが韓国青年と万代の友情を厚くするのを念願しています. そこ書から相互理解で相互信頼につながる民衆交流が開かれると思います.
韓国には “行く言葉が古瓦は来る言葉もきれいだ”という諺があります. 国民間の 友愛も友情も自分が先に相手の心を理解して本気のこもる言葉に近付けばこそ 構築されると信じます.
<月刊中央 WIN 1998年 4月号, ‘Ikeda SGI会長の人生と哲学’ 中>

“帰国は ‘文化師匠’の国”
Ikeda SGI会長韓国偉人スピーチ集め
■韓国のジャンヌダルク柳寛順
彼女の名前は柳寛順だ. 祖国の独立のために争って, 17歳の若いことで玉の中で 死んだ信念の少女だ. もう 24年前だが私は高校生の代表にこの少女の仕事を 少し言ったことがある.(1966年 1月6日)

この少女が住んだ時代. その時は日本の非道的な植民地支配の時代だった. 文化の 大隠人である韓国に, 日本は恩恵を返すどころか掠奪と圧制で報いた. 1919年 3月1日, 民衆による祖国独立運動の行動を開始した. 彼女もこの闘いに身投げをした.


それは暴力を使わない平和的なデモ行進などの運動だった. しかし日本の 権力は銃剣で被疑弾圧を加えた. 旧暦 3月1日広場に集まった人々に再び 日本憲兵隊は無差別な発砲をした. 彼女のお父さんも, お母さんも殺害された. そして 彼女自分も逮捕して投獄された.
到底言えない残酷な顧問が続いた. しかし満身創痍になっても彼女は “独立万歳!”とずっと叫んで人々を励ますまでした. 裁判でも “罪を 認めなさい”という脅迫に絶対に屈しなかった. 何の言葉を聞いても彼女は “私が ‘自分の 国’を求めるために独立万歳を呼んだのが何の罪になるというのか? むしろ罪を 受けなければならないことは強制で他人の国を奪ったあなたたちだ!”と矜持高く言い切った.
傷だらけの身で “祖国の幸せのために争うのに何が悪いか”と対抗した のだ. 永遠な正義によって裁判受けたことは裁判長の方だった.
(中略) 大変逞しい青春の足は人々の胸に火を付けた. 火は広く 滲んでやがて 25年後に独立である ‘光復’の日を迎えた. 権力は彼女の肉体を 殺した. しかし精神さえ殺すことはできなかった.
<関西窓べ学院第 9回健康制, 1990年 10月20日>

■権力と争った詩人尹東柱
略) 日本が奪おうとたいてい, 愛する祖国の言語で祖国の文字ハングルで, 美しい 美しい青春の時を命をかけて残した. 祖国に ‘美しい朝’ が必ず 来るというのを信じて, 望んで争った.
2年間の獄中生活では残酷な取り扱いを受けた. そして彼は日本の降参に よった解放の日(8月15日)を見られずに福岡刑務所で獄死した.
詩人尹東柱は弾圧のため在世には一冊の詩集も出すことができなかった. 日本の官憲に 押収されて闇の中に埋まった試みいたと推測される. 彼は完全に無名であるまま彼の 生涯を終えることを強要されたのだ.
略)
<第2回全国男青年部幹部回, 1990年 9月30日>

■韓国の独立闘士キムク先生
略)
帰国はまことに日本に ‘文化の師匠’の国で ‘教育でも兄さん(型)の国’です.
私は心深い所から尊敬しています.
それにもかかわらず大恩恵を口は帰国を侵略した日本はいくら愚かだったのか. <イ・スソン 前総理と対談, 1999年 12月2日>
和光新聞 : 05/04/08 631号


 いかかがでしょう。朝鮮マンセーのオンパレードです。
創価学会を支持母体としている朝鮮総連じゃあなかった、公明党は国益よりも池田大作いのちであり、そのために、北側国土交通相は北朝鮮船18隻に入港証明書を与えたり、支那に対しての観光ビザ発給地域拡大や南朝鮮人の観光ビザ免除恒久化 。極め付けは外国人地方参政権付与 と動いているのじゃあないのかと思ってしまいます。
まあ、売国奴どものの集まりには違いありません。

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