イージス艦と漁船の海難事故について
海難事故に思う
平成20年2月19日火曜日晴れ △
今日の午前四時ごろだそうだが、イージス艦と漁船との海難事故があったことが報道されている。小さなFRP製漁船は沈没。乗り組んでいたお二人は行方不明だそうです。お二人の御無事をお祈りする。
今回の事故についての詳しい事はわからないが、このような事故の時に思うのは、事故の原因だけでなく、起こってしまった後のことです。
漁船の乗組員お二人はライフジャケットを着けていたのであろうか。乗組員がライフジャケットを着けていれば、着けていない時に比べて、助かる可能性が間違いなく高くなります。よく、ライフジャケットなど着けて仕事などできるかという人がいるが、そんな事はない。ライフジャケットを着用したままでも仕事はできる。一番ライフジャケットの着用率が低いといわれているのが、漁業従事者です。漁師さんは、広い海で、小さな船に命を預けているのです。その広い海では、人間など船よりもっともっと小さいのです。その小さな、小さな人間が広い海に投げ出される・・・・・
ライフジャケットを正しく着用していれば、もし、頭部打撲などにより意識を無くしてしまったまま海に投げ出された時にも、最低限沈むという事は絶対にありません。それだけでも助かる確率が高くなります。オートバイなどのヘルメットなどと同じで、事故の時に少しでも助かる確率を高めることが大切だと思います。
随分昔の事ですが、琵琶湖で関西のある大学のヨット部が試合前日の練習中に、主将艇が沈(転覆)し、クルーとも行方不明になった。翌日の試合は中止され、出場予定の全大学のヨット、監視艇、救助艇が総出で二日間探したが、その時は見つからなかった。二人ともライフジャケットを着けていなかった。毎日のように練習している勝手知ったる水面いう安心感もあったのだろう。しかし、事故は起こった。沈すればマストが刺さる程の深さしかないところもある琵琶湖でさえ、そうなのです。それが広い海、ましてや真っ暗な時間帯でしたら、発見に余計、困難が伴います。
私がヨットに乗っていた三〇年以上前と違い、防寒着と一体型など、今は、いろいろなタイプのライフジャケットが発売されています。
船は壊れて、沈没してもまた造ればいいのですが、命は代わりがありません。万が一の時の生存率を少しでも高めるためにも、ライフジャケットの着用をと願う。
平成20年2月24日土曜日晴れ春一番が吹く △
今回のイージス艦と漁船との海難事故では、自衛艦側にもミスはあった事は間違いありませんし、攻められるべき問題です。漁船の接近を許し、接触までしたのですから、軍艦として失格です。テロだと沈められている可能性もあります。
西総゚チ悟議員は、御自身のメルマガ<西村眞悟の時事通信(平成二〇年二月二二日号>で下記のように書いていらっしゃいます。
以下引用
はっきり言って、議論e゚竢ャ化されてきている。首相も防衛大臣も、自分への「事故の報告が遅れた」といっている。
では、午前4時5分、即刻、官邸で寝ている福田さんや自宅で寝ている石破氏をたたき起こして報告すればよかったのか。
そうではないだろう。この二人をたたき起こして何ができたのか。現場海域に変化はない。
問題は、このような事態に対処できる体制があったのか。その体制に基づいて対処されていたのかということである。
つまり、海上自衛隊にいざというときの「ROE」(ルール・オブ・エンゲイジメント)、交戦規定とも訳されるルールがあったのかということではないのか。
つまり、イージス艦という世界最新鋭の軍艦を運用する体制を我が国は保有しているのかが問われねばならない。
突き詰めれば、我が国は「海軍」そして「軍隊」を運用する体制を保持しているのかということである。しかも、この体制を創設する責務は、政治つまり総理や防衛大臣が担っているのだ。
よって、はっきり言って、軍隊を運用する体制を整えることなくイージス艦を運用していながら、事故が起これば、報告が遅れたと部下を非難しても始まらないではないか。
午前4時過ぎに、この「おっさん方」が叩き起こされれば、漁民が助かったとでも言うのか。事故直後から起きていましたという言い訳ができたということくらいであろう。
何故、こういう思いを持ったのかと言えば、この二人は、自衛隊は軍隊かと尋ねられれば、「軍隊ではありません」と答える閣僚だからである。石破氏には、かつて安全保障委員会で確認済みである。
正真正銘軍隊でしか運用できない船を運用する組織の長でありながら、「軍隊だ」と答えることは回避する。しかし、事故が起これば報告が遅いと組織をなじる。まるで、平安朝の公家が、武士に守られながら昇殿は許さず、細かい落ち度だけはなじっているようではないか。
では、あらゆる不祥事を即座に報告されたら、福田、石破両氏はどうなる。寝られなくなるだろう。アメリカ大統領が夜に寝られるのは、対処する体制があるからである。我が国も同様でなければならない。
かつて、高校生の演習船「えひめ丸」がハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦に沈められた。その時、当時の森総理はゴルフをしていた。そして、国会の委員会での質問は、いつゴルフを辞めて首相官邸に入ったのかということに集中していた。
私が質問にたったとき、「総理が何時官邸に入ったかなどは、痰小化された議論である。問題は、この事態に対処する体制があったのかということである。」と官房長官に言った。その時の官房長官は今の福田総理であり、ホッとしたように肯いていた。私は、我が国に体制があれば、総理はそれから9番でも18番でもゴルフを続けてよいと思っていた。
さらに、もう一つの観点を述べたい。
イージス艦に漁船が衝突した。イージス艦が漁船を回避できなかったからだ。その結果、漁民の行方がわからなくなった。けしからん。これだけで済ませて良いのであろうか。
この船が、実は漁船ではなく爆薬を満載した漁船に偽装した工作船だったらどうなったのか。
我が国のイージス艦は、偽装漁船一隻によって撃沈されるということではないのか。
最高指揮官たるもの、部下を叱るなら、こういう観点からも叱責して欲しいものだ。
「お前たちは、7トン半の漁船に撃沈されかねないような気の弛んだ状態で国家にとって貴重なイージス艦を操船していたのか」と。
とは言っても、この場合においても、軍隊であることを否定して、イージス艦を運用させている政治の総責任者には、部下を叱責する資格はないだろう。イージス艦の弛みというより戦後国家の弛み、戦後政治の弛みだ。
かつて、アメリカの空母が、ペルシャ湾で自艦の上空を通過しようとする民間の旅客機を撃墜したことがあった。これに対して、アメリカを非難する国はなかった。空母の上を無断で通過しようとする航空機の方に落ち度があると国際社会が観たからである。ソビエトも、自国領空に無断で侵入しようとする航空機を無警告で撃墜することを常とした。その航空機に核が搭載されているかも知れないからである。
つまり、このアメリカもソビエトも、最悪の事態を想定してそれを防ぐための措置り藉躇うことなく実行したのである。
ここに、国家国民を守る国防を担う組織の厳しさ非情さがある。
この度のイージス艦も、自艦の損失は即我が国防衛体制の破綻であると認識し、自艦へのあらゆるものの接近に神経を研ぎ澄まし、接触など断じてありえないという体制で東京湾に向かっていたら、二人の漁師の親子は今頃家で夕餉を食べられたであろうに。
夫と息子の二人が冷たい海から未だ帰らないご家族の心中を思えば言葉がない。
引用終わり
まさに正論だと思います。当たり前のことですが、自衛隊は軍隊であり、自衛艦、イージス艦は軍艦であるということです。国家、国民すべてにそういう意識があれば、今回の事故も起こらずにすんだことでしょうし、漁船に乗っていらしたお二人も無事だったでしょう。
ただ、それと今回の事故がどちらが正しかった、悪かったというのとは別問題です。そして、小さなことかも知れませんが、私が今回のマスコミの報道で思う事は、漁船が最低限、自分の身を護るために必要な事を怠っていたという事に触れていないことです。
私は学生時代は、年間半分以上は合宿所生活で、ろくに大学にも行かずにず〜と海に出ていました。いろいろな事がありました。海に出てしまうと、人間の力など微々たるものです。いろいろなアクシデントが発生します。海は急にその姿を変えます。何度も強風で乗っていた艇が沈したことがあります。強風下の落水もあります。救助艇ですら沈の可能性があります。他校ではそういった例もありました。そういった時に、最低限、自分の身を守る為に、そして、部員の安全のために、注意をはらいます。艇、備品、天候、そして、ライフジャケットもそのひとつです。海に出る時は、全員がライフジャケットを着ける事を徹底されてきました。まあ、海の恐ろしさ、怖さ、人間のちっぽけさなどすぐにわかりますから、全員が誰からもいわれなくとも普通に着用するようになりますが、それがわかるまでに事故の可能性もありますから、海に出る初日から徹底されます。
いまでも、OB会に行きますと、OBはごく自然にその事を連れてきた家族に言い聞かせて、ライフジャケットを着用させています。それは少しでも、事故の可能性を低くし、愛する家族を護るため当たり前の事です。
先の日記にも書きましたが、今回のイージス艦と漁船との海難事故の時点で、漁船の乗組員お二人はライフジャケットを着けていたのかどうか。私はおそらく着けていなかったと思いました。着けていましたら、べた凪状態で、行方不明にはなりません。
そして、先日の産経新聞に、「これから、救命胴衣の着用を徹底したい」という漁業関係者の言葉と共に、「息子さんが泳げないと聞いているから心配だ」とあの漁船の息子さんは泳げなかったという別の関係者の証言も掲載されていました。
これが事実だとすると、「泳げない」そんな人がいくらベタ凪だからといって、仕事で海に出るのにライフジャケットを着用していなかったとしたら、普通では信じられない事、考えられない事です。
それを、船長である父親が自ら着用しないばかりか、泳げない息子に着用させていなかった、着用させられなかったとしたら、今回の事故がなくても、いずれ、不幸に巻き込まれる可能性は高かったと私は思います。船長として、親として、事故の可能性を低くするための最低限しなければいけないの事の一つを怠っていた可能性が高いのですから。
このような書き方をすると、非難も多いとは思いますが、あえて、書きたいと思います。
もし、自らがライフジャケットを着用もしない、乗組員に着用もさせられない、そのような方が船長を務めている船の操船が、いままで、安全を意識した操船を行ってきたとは、私には到底思うことができません。
私は、別の形でもいずれ事故は起こる可能性が高かったと思います。
今さらですが
5月9日土曜日晴れのち小雨 △
資料として部屋に切り取ってあった新聞の記事を整理している時に、東京湾でのイージス艦と漁船の衝突事故についてあらためて思ったことがありました。
「早く見つけて」という見出しで、事故海域で父子家族らが事故から四日過ぎて、行方不明の海域を訪れて、日本酒や花束を海に投げ込んでいます。(二月二四日産経新聞)
その同じ日の紙面に海洋研究開発機構の調査船「かいよう」を投入した捜索が二三日午前に始まったが、波の状況が悪く、同日午前一〇時過ぎに捜索を中止しています。
そして、三月四日に海洋研究開発機構が、調査船「なつしま」が、漁船の無線機、方位探知機、操舵室の一部などを発見したというニュースとともに、「海底の船には、二人の魂が宿っているから」と家族が船を引き上げないで海上保安庁に要望したというニュースが出ていました。(三月五日産経新聞)
その記事には<同じ船乗り同士。海保幹部は感銘を受けた。しかし、清徳丸の船体は、イージス艦乗組員の刑事責任を追及するための重要な証拠品。「原因究明のために必要なものだけにしますから」。そう説明して了承をもらったが、今後の引揚げには困難も伴う。>と書いていましたが、この証拠とはイージス艦乗組員の刑事責任だけではなく、漁船側にとっても証拠となりうるわけではないでしょうか。
どういうわけか、いっしょに出漁していた僚船の無線に応答しなかったと言われています。小型船が大型船より小回りがきき、操船が容易なのは常識です。今回の漁船のような小型船が網を投げ入れてるなどの操業中でもなければ、大型船を避けるのはたやすい。七七五〇トンのイージス艦と七トンの漁船。ましてや、灯火高速船でレーダーを装備した漁船がどうして回避できなかったのでしょう。
つまり、回避優先順位によるイージス艦の回避行動だけでは無く、操船が容易な高速漁船がどうして回避できなかったかという理由も問われてしかるべきではないでしょうか。居眠りをしていた可能性もあるわけですから。何度も書きますが、自分だけではなく泳げない自分の息子にライフジャケットも着用させずに乗組員として使っていたような船長失格といわれても仕方ない人間が操船していた漁船です。
事故の背景が明らかになるまえに、このように「イージス艦乗組員の刑事責任を追及するための・・・・」というような書き方はマスコミは、他の事件においてはするのでしょうか。マスコミはもう少し理性的に報道すべきではないでしょうか。確かに、イージス艦の乗組員による過失もあるでしょう。艦長の責任もあるでしょう。しかし、どのような事故であっても、事故は自衛隊、自衛艦が全て悪いと扱う「なだしお」の時と何も変わっていないマスコミの報道の仕方は違うのではないでしょうか。
少なくとも、自衛隊といっているものが、他国では軍隊といわれ、扱われているものであり、自衛艦といわれるものが、他国では軍艦として扱われているという認識がわが国国民にあればこのような事故は起こり得ない。大臣自ら「自衛艦は軍艦でない」と発言し、それがまかり通り、他国では常識の事が常識でないというそれだけでもわが国憲法の異常さがよくわかる。
そんな異常な憲法を後生大事に守っている・・・・・