一原口一博
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
正論だが・・・・・
平成22年10月10日日曜日雨のちくもり○
下記の文章はある政治家が靖國神社参拝について雑誌「諸君」に発表した論文です。
<日本という国を守る防人になっていただいた、私どもの先祖である英霊が祀られている靖國神社に参拝する事が何を意味するのか?
近親の者にも靖國に祀られている者がいますし、出身地が佐賀という、「薩長土肥」の一員であり、数多くの国士を生んだ地の出身だからこその思い入れもあるのかもしれませんが、前の大戦だけでなく、明治維新以降の先達すべてを含めて国難に殉じた方への追悼の念を持つのは古今東西変わらぬ人の感情ではないでしょうか。
事の重要性は、今更強調するまでもありません。
略)
私自身は、宿舎が靖國神社の傍の富士見にあることもあり、毎朝、国会に登院する前に、お参りしていますし、この春の例大祭にも靖國に参拝してきました。
何故、靖國神社に参拝する事が、戦争を賛美したり、歴史に目をそむけたりすることになるのでしょうか?そこに、ある種の短絡があり、政治的な意図があることを見過ごしてはならないと考えます。
略)
中国はじめ近隣諸国との関係を懸念して「何故、今の時期に靖国参拝か」との問いが私の元にも寄せられました。しかし、うわべをつくろっただけでの理解では、真の友好はないと私は考えます。
その意味で、一部の勢力が靖國神社への参拝を執拗に愚弄するのには、憤慨を通り越して呆れるというほかありません。決して戦争を正当化したり、さらなる戦争を謀ったりというわけでもないのに、英霊にお参りするという、日本人なら誰でも持っている内心の問題に土足で踏み込まれるのは、決して愉快な事ではありません。
略)
営々として築かれてきた歴史や伝統・風土に対する深い理解と尊重がなければ、「顔のない」、「根こぎ」の信用出来ない国となってしまいます。>
「諸君」(平成十七年八月号)p六十六〜六十八
同じ論文で「自虐史観が無用の混乱を起こした」として下記のように書いています。
<一党独裁の社会主義国家で、反日デモが整然と行われるということは何を意味しているのか?当局による煽動はなかったのか?それを単純に民衆の怒りだと評価するのは空々しさの極みです。中国、韓国の今回の異常なまでの靖国批判は、それぞれの政権が内政を巡って非常に厳しい時だからこその、国内の不備の捌け口につかわれた「対日カード」ではないかという懸念さえ抱かせます。
他国からの圧力によって、我が国の「和」の風土までをも否定してしまうことは、日本人にとっての自己同一性の危機すら引き起こしかねません。>
同p六十九
そして、この憂国の政治家は下記の言葉でこの論文を結んでいます。
<真の対話は事なかれの姿勢からは生まれません。自らの文化や伝統を語る事なく、友好を築くことはできません。
「宥和外交が対立を深めた」ことを反省し、「毅然とした外交展開」するために、外交の戦略基盤強化が求めれています。>
同p七十三
堂々たる正論です。
この論文は<民主党代議士の憂国宣言「岡田代表、私は参拝します」 小泉首相、靖國で会いましょう>と題された原口一博代議士のものです。

ところが、原口代議士は総務大臣の時には、すっかりこんな事はきれいさっぱり忘れて靖國神社参拝はいたしませんでした。
そして、今回、超党派の「国家主権と国益を守るために行動する議員連盟」つうのを作り、そのメンバー四人と尖閣諸島をチャーター機にて上空視察したそうです。
私には何の為の行動かな〜んにも理解出来ません。
単なるパフォーマンス親父なだけだろう。
あほらし。
店を片付けた後に高田馬場のスポーツセンターへ一週間ぶりに行く。
今日は時間もあったので、それなりのメニューを三時間弱かけて消化。
帰宅途中にOさんから電話あり。マルガリータさんがごねた為にセラーに保管してあったDRCエシェゾー一九五八を開けたそう。
マルガリータさんが、「今から来ない」
行けるか。もっと前に言ってほしいものである。
帰宅後、長い風呂に入った後、ゴロゴロとマンガの本をみていたら、外が明るくなっていました。