戦争の記憶の伝え方の歪み

9月27日火曜日曇りのち晴れ△
元毎日新聞ソウル特派員・下川正晴氏は「正論」に下記のように「二日市保養所」について記している。
<引揚げには「原爆、空襲、沖縄戦」という戦争報道の定番とは異なる事情もある。引揚げ体験はいつのまにかメディアから冷遇されるようになった。深刻な体験を持つ人ほど口を閉ざす。引揚げ体験は語られない「伏流水」になり、日本人の記憶から薄れた。しかし、それでは「昭和の戦争」体験を継承できないと、私は思う。
グローバルな難民体験として引揚げの歴史を考えなければ、「歴史の教訓」を引き出せない>
(月刊正論平成二十八年九月号p二〇二)

戦争の記憶の伝え方の歪みとして、
<「原爆、空襲、沖縄戦」という対米戦争の記憶は頻繁に報道される一方、中国、朝鮮、ソ連の戦争記憶は、日本による「加害の現場」(南京事件など)として報道されることはあっても、「被害の現場」(シベリア連行など)としてはあまりに言及されてこなかった。そういった奇妙な「メディアフレーム」が続いてきたということだ。マスコミによって「二日市保養所」が特閑になったのもこの歪んだフレームのせいだ。
記憶の正常化が必要だ。朝鮮半島からの引揚げ研究は、外務省職員だった森田芳夫の労作「朝鮮終戦の記録」(厳南堂書店、一九六四年)以降、さしたる進展がない。>
(月刊正論平成二十八年九月号P二〇八)

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朝鮮人ども、ロシア人ども、支那人が戦後どういったことを我が国国民にしたか。
我が国国民は記憶しなければいけない。
その朝鮮人どもが現在我が国において被害者面していることなど許されるはずがない。

今日はめちゃ暇。

ドンチャン。
記憶あり。
猿よりまし。
さっさと帰る。