人間としてやっちゃいかんもんをやっただけ

2月3日水曜日晴れ△
清原という元プロ野球選手が覚せい剤をやって捕まったというニュースがありました。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/02/03/kiji/K20160203011973560.html?feature=related

人間が人間としてやっちゃいかんもんをやっただけ。
ただそれだけ

前にも書いたことがあると思いますが、
私も昭和五十二年九月に東京に出てきて、
渋谷駅で置き引きにあい、ほぼ無一文になった後、その日から屋根と食うとこが必要なので、
手っ取り早く水商売に入りましたが、当然色々とありました。

水商売は続くかどうかは別として、入るだけだと誰でも入れます。
私のように置き引きにあってな〜にもなしになって着の身着のままでも雇ってくれます。
だから、年齢、学歴、前職いろんな人がいます。
すぐ入れますし、すぐに辞められます。
出入りがめちゃ激しいです。給料もらってそのまま何も言わずにトンズラなど普通です。
普通の方も多いですが、一緒に働いていた奴が寝て朝起きたら、
同僚の金を盗んでいなくなっていたなどしょっちゅうです。

だから短い期間にいろんな人間と知り合いました。
おかげさまでいろんな世界も見ることができました。
おかげさまで短期間でしたが結構なお金を頂きました。
お世話になった方も山ほどいます。

覚せい剤を眼の前で注射器で射っていた人間も何人もいました。
水商売に入った時のオーナーの若い衆的なN氏にもお世話になりました。
N氏もその覚せい剤をやっていた一人でした。
実家が蕎麦屋だったN氏はその後、オーナーの元を離れ千葉市で蕎麦屋を始めました。

結構なお金を頂いていた私はそれなりのお金もあっという間にたまり、やめさせていただき、
その後、金沢に半年いた後、昭和五十四年から北米を二年ほど放浪して帰国後、
渋谷でお世話になったオーナーにあいさつに行ったら、
「行くとこ決まるまで、いたらいい」ということでまたしばらくオーナーの側でお世話になっていました。
その時に、三年ぶりでN氏が「会いたい」と言ってきて指定された渋谷駅側の喫茶店で会ったら、
恰幅も良く、喧嘩も強かったN氏とはまるで別人。
顔色も悪く、体もふた回りは縮んだような感じでいきなり老けていた。
その時にああ、この人まだ薬やめてないんだとすぐにわかった。
蕎麦屋はとっくに廃業していて、奥さんの実家がある〇〇にいるという。
そりゃ、そうです。覚せい剤などやっていて蕎麦屋さんが続けられるはずがない。
どんな生活をしていたか私でも想像ができます。

そして、
「オーナーにもう一度世話になりたいと取り次いでくれ」
と言われたが、すぐに断った。
「じゃあ、しばらく、木下くんの部屋にいさせてくれ」
それもすぐに断った。
「じゃあ、俺に死ねというのか」
そうはいっていないが、Nさん奥さんがいる〇〇に帰ったほうがいいよと言って、自分の財布からカードだけ抜いてそれなりに入っていた財布ごと渡して、そのまま振り返らず喫茶店を出てきた。
今思えば、財布ごと持っていた有り金を渡すこともなかったが、まあ、世話になった方へのつまらん見栄だったと思います。

その後、何度か無言電話があった・・・・・

そして、半年後、共通の知り合いから部屋に
「Nさんが亡くなったそうで、明日告別式らしい」
と電話があったが、N氏の死因も聞かずに、俺は行かない、俺なりの別れは済んでるからと言って電話を切った。

覚せい剤やめますか?
それとも人間やめますか?

アホらし

河岸が休市なので、部屋でゴロゴロしていて夕方から店に入る。
デッ、店はめちゃ暇。
今日はこれで終わりかな〜と思っていたら、
Wさんご夫妻来店。
ドンチャン。
記憶あり。
猿よりマシ。