綿引弘

綿引弘
8月19日水曜日晴れ△
DSCN3895手許に古本市で買ってきた「世界の歴史がわかる本」(三笠書房一九九三年刊)という文庫本があります。著者は綿引弘、一九三六年生まれ、東京教育大を卒業後、桐朋中、高等学校教論 NHKのテレビ講座で歴史を受け持ったこともある御仁。
そんな先生の著書「世界の歴史がわかる本」に書かれている事
以下引用
<過酷をきわめた日本による朝鮮支配
日本が朝鮮に対して行った植民地支配は、世界の植民地支配のなかでも、もっとも過酷な部類にはいるものであった。ここでその全貌をいい尽くすことはできないので、ほんの一端に触れておきたい。
日本はソウルに朝鮮総督府をおき、総督には陸海軍の大将を当ててきびしい武断政治を行った。言論出版の自由はなく、朝鮮文字の新聞の発行も認められなかった。
日本は近代的土地所有制度を確立する必要がるとして、一九一〇年から一九一八年にかけて「土地調査事業」を強行した。当時の朝鮮には近代的な意味での土地所有の考え方はなく、村の所有地も多く、土地の支配者がいても、個々の土地がだれの所有かははっきりしない場合が多かった。日本は大々的な土地調査を行うなかで、共有地の没収だけでなく、「期限までに申告しなかった」などさまざまな名目で朝鮮人の土地を取りあげた。
このため朝鮮の農民はこの土地調査を「土地取りあげ調査」と呼んだ。土地を失った農民のなかには、生計を求めて中国東北地方(満州)や日本に移住していく者も多かった。
一九一九年三月一日、ソウルで「朝鮮独立宣言」が発表されたのを機に全朝鮮で「朝鮮独立万歳」を叫んだ三・一運動(万歳事件)といわれる民族運動が起こった。全朝鮮の二二八郡中二一一郡で万歳デモが展開され、参加者はのべ二〇〇〇万人に達したという。
日本はこれに対し徹底した弾圧を行った。日本の発表では死者七五〇九人、負傷者一万五九六一人となっているが、朝鮮人研究者は「砲火で殺された朝鮮人はおそらく一〇万人以上になるだろう」(金達寿『朝鮮』岩波新書)と推定している。
ところで、日本人はいつごろから三食とも米を食べられるようになったのであろうか。それは大正時代に入ってからのことである。一九一八年の「米騒動」にみられる日本の米不足を補うためにに、政府は朝鮮米の輸入を強力に推進した。朝鮮での米の増加するにつれて、朝鮮人の米の消費量が落ち、その代わり粟の輸入が増大した。日本人はこうして朝鮮を犠牲にすることによって歴史始まって以来初めて、三度三度白い米の飯を食べられるようになったのである>
以上引用終わり P百五十四~五

<なぜ朝鮮は独立と同時に分裂国家となったのか?
日本の朝鮮支配は、太平洋戦争が始まると、いっそう過酷なものになっていった。徹底した内鮮一体化・皇民化が推進され、朝鮮語・朝鮮文字・朝鮮人の生命までも抹殺しようとする政策がとられた。

朝鮮人を大量に日本に強制連行して劣悪な労働条件で働かせたり、女性を従軍慰安婦として戦場に送り込んだのも、この時期だった。

日本の支配に対する独立運動は激しい弾圧を受けたが、粘り強く続けられた。一九四五年八月のソ連軍の参戦とともに、中国の東北(旧満州)の、朝鮮との国境地帯で活躍していた朝鮮の抗日パルチザン部隊もソ連軍とともに北朝鮮に入り、八月十五日の日本の敗戦と同時に朝鮮は三十六年鑑にわたる日本の支配から独立を達成した。そして、大戦末期の米ソの軍事協定に基づき、北緯三十八度以南はアメリカ軍の支配下に置かれることになり、アメリカ軍が沖縄から進駐した。こうして独立と同時に朝鮮は二分されることとなった。
略)
戦後の冷戦という国際情勢が直接の原因にはなってはいるが、この隣国朝鮮の悲劇をもたらした最大の歴史的要因は、日本の朝鮮支配にあることは論を持たないであろう。
p二百二十七〜二十九

まるで朝鮮の教科書なみのひどいウソばかりの文章です。土地の収奪、米の収奪のウソについては過去に何度も書きましたが、我国政府は朝鮮より、ひと粒の米、ひと坪の土地も収奪などしておりません。
「日本が朝鮮に対して行った植民地支配は、世界の植民地支配のなかでも、もっとも過酷な部類にはいるものであった。」というウソについては、この綿引氏が世界史を専門としているなら、アジアだけでもオランダのインドネシア統治、イギリスのインドおよびビルマ統治、フランスのベトナム統治、スペイン、アメリカのフィリピン統治がいかに醜いものであったか。世界を見まわしたら、アフリカの国々、南米、先住民が絶滅してしまったタスマニア、そしてオーストラリアの先住民に対しての虐殺などいかに醜い統治であったかを知らないというのであれば、世界史を教える資格もない。知っていて事実をねじ曲げてこういうことを平気で書くのであれば、これまた教育者の資格などないでしょう。どちらにしても反日主義者にはよくいる最低の部類の厚顔無恥な人間です。
この綿引氏のいちばんひどいところはその数字の捏造でしょう。
いわゆる三・一独立運動に関しても、大ウソをついてここまで酷い数字をあげている者はそうそういません。

綿引氏の著書の数字

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ではこの綿引氏の数字が何処から出てきたか。
下記を御覧下さい。

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普通の場合だと、朝鮮人のウソとしての例、あるいは死者、負傷者の多い方の例として多く取り上げられる朝鮮人朴殷植が書いた「朝鮮独立運動の血史」に書かれている数値を日本の発表の数値としていることです。(ましてや参加者のべ二〇〇〇万人・・・・めちゃめちゃです)この数値は現在は朝鮮の教科書にも引用されていますが、当時、朴殷植は上海にいて独立運動をやっていました。ですから独立精神を奮い立たせることを主題とし、また、上海の地では正確な数字を統計的に算出したとするには無理があります。それに対して朝鮮総督府は面(村)ごと、そして月ごとに事実関係を明らかにして集計したものであり、両者を対照した時には普通は総督府の方が確度が高いと思うのがふつうでしょう。
二つの資料を並記するばあいは日本側資料としては普通は朝鮮総督府の発表の数値を使用するでしょう。
それを綿引氏は日本発表としている数値は、朝鮮総督府発表のものではなく、朝鮮人朴殷植が書いた数値を日本発表としているのです。これだけでも、この腐れ男の本性がよくわかる事例です。(まさか綿引氏は日本にある朝鮮総連の発表だからとかいって日本の発表としてこの数字を使っているとか!!!!)こんな男が我国においてまがりなりにも教育に携わり歴史を教えて飯を食っていたのです。そんな男を
NHKは講師としてテレビに出演させていたのです。
知らなかったとでも言い張るつもりでしょうか。まあ、どちらにしても腐り切った男です。

こんな腐れ男を恩師と思っている桐朋中、高等学校の生徒は可哀想な人たちです。
この三・一運動における七五〇九人という数字は大手出版社である講談社(目録二十世紀 一九一九 平成十年九月二十九日号)なども平気で使っています。それだけ朝鮮人のウソが浸透しているということでしょう。

あほらし

二名様来店。
岡山よりインチキラクターさん来店。
東京にいる時の事など懐かしい話しから、今の事などいろいろと話しをする。
来てくれてありがたい。
ドンチャン。
記憶あり。