「大」の字に憧れる朝鮮人

6月12日金曜日晴れ△
朝鮮が「大朝鮮国」となった理由
<一八七六年一月十七日、それまで厳重な鎖国政策を堅持していた朝鮮が、初めて開国する事となった。日朝修好条規(江華島条約)である。
朝鮮国接見大官・申櫶と副管・尹滋承一行は、日本の特派全権弁理大使黒田清隆と対座していたが、内心、日本軍艦「雲揚号」の騒々しい威嚇射撃の音に怖気づいていた。
略)
朝廷では連日、重臣会議が開かれたが、条約の内容として一番肝心な「治外法権」の事や、日本側が計画した「五%の関税」の事が、いかに深刻な問題であるかをまともに認識した大臣は一人もいなかった。
朝鮮側はただ、朝鮮国の上に「大」の字をつけさせてくれないか、日本国名が大日本帝國だから、我々もそのようにしたいと要求し、日本側も快く承認した。丙子修好条約(大日本・大朝鮮修好条規)の締結である。
こうして李氏朝鮮は一朝にして「大朝鮮」となったが、その代価はあまりにも大きかった。そんな事も理解しないで批准書を交換した二月二日夕方の祝宴では、朝鮮側の代表団は、ひたすら嬉々としているだけだった。
こうしたことは二十年経っても変わらず、一八九七年、高宗は国権を喪失していく状況にあっても、国号を「大韓帝國」に改め、自らを「王」から「皇帝」に昇格させた。
その後、ハーグ密使として派遣する李相卨・李儁に与えた信任状には「大皇帝」とした。
その後、王座から追われた彼は、自らを「徳寿宮高宗大皇帝」とし、即位した息子の純宗王を「大皇帝」と呼ばせたのであった。>
P百十五〜百十六

大の字に憧れる朝鮮人
<韓国人の「大」の字に対する憧れは、四〇〇〜一〇〇〇メートルの橋も、漢江大橋、麻浦大橋と呼び、「王」に対しても「大王」、創氏改名(一九四〇年代)の時も、「林」氏の多くは「大林」氏になったところにも表れている(小林とはならない)。
明石海峡大橋は、橋脚の高さ三〇〇メートル、全長四〇〇〇メートルで大橋の名ふさわしいが、韓国ではその一〇分の一以下でも大橋だ。>
P百十八
「日韓併合―韓民族を救った日帝36年の真実」崔 基鎬祥伝社 平成十六年刊

 

 

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このように朝鮮人は「大」が大好きらしいです。
そういや、「大⚪️」で作ったトンスルも大好きですからW

あほらし

金曜日だというのに暇。

バンブーさん来店。
二名様来店。
二名様来店。
Oさん来店。
Oさんと部下の方には今回当店の事でえらくお世話になる。

ということでドンチャン。
何もなくともドンチャン。
一応記憶あり。
サルよりマシ。