有田芳生と遺骨ビジネス

遺骨ビジネス
5月24日日曜日晴れ⚪️
産経新聞の記事です。
<遺骨問題 総連、訪朝墓参を拒否 マツタケ事件に対抗か
産経新聞 2015年5月24日(日)7時55分配信
■「拉致」期限控え政治利用
終戦前後に北朝鮮地域で死亡した日本人遺骨問題で、遺族側が墓参のため5月下旬の訪朝を在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に打診したところ、拒否されていたことが23日、分かった。日本政府関係者はマツタケ不正輸入事件をめぐる警察当局の強制捜査に対する“意趣返し”とみている。朝鮮総連は北朝鮮政府に指示を仰いでおり、人道問題と主張してきた遺骨問題を政治利用する姿勢が鮮明になった。

外交筋によると、遺族の墓参を支援している民間団体「北遺族連絡会」が5月初め、昨年10月に予定した遺族の墓参のための訪朝が延期されたままになっているため、朝鮮総連に5月下旬の訪朝を要請したところ、「今は適切ではない」と拒否されたという。

北朝鮮は、マツタケ不正輸入事件で朝鮮総連議長宅が家宅捜索を受け、日朝政府間協議の中断の意向を示すなど、事件と外交交渉を絡めて態度を硬化させている。外交筋は「日本側の捜査を圧力とみて北朝鮮側は反発しており、対抗措置の一環ではないか」と分析する。

遺骨問題をめぐっては、米国が朝鮮戦争で戦死した米兵士の遺骨収集で1柱2万ドルを払うなど、北朝鮮にとって外貨獲得につながることから、これまでの日朝交渉でも北朝鮮側は積極的な姿勢をみせてきた。日朝政府間協議の開催にあわせて墓参を許可する例が多いのもそのためで、連絡会が関わる訪朝は平成24年8月から計10回も受け入れている。

ただ、昨年10月末に予定していた訪朝について、北朝鮮側が「諸事情で11月半ばに延期してほしい」として以降、半年以上も止まったままだ。昨年10月末は、日本人拉致被害者らの再調査に関する日本政府代表団が平壌に派遣された時期と重なり、墓参の延期と符合するように日朝協議も止まっている。

再調査の期限の「1年」が7月に迫る中で、日朝協議の進展は見通せないが、日本政府に揺さぶりをかけるために突然墓参のための訪朝を許可する可能性もある。政府関係者は「遺骨問題での態度の変化は交渉にも影響しかねない。期限を間近にして民間を巻き込んでの駆け引きが激しくなっている」と指摘する。

朝鮮総連は産経新聞の取材に対し「受けつけていない」とした。>

この墓参りを支援しているとされる「北遺族連絡会」についてネットでわかる限りでは諮問委員会には和田春樹、水野直樹、庵逧由香、鈴木文子、出水薫という香ばしい人たちが並んでいるようです。

過去の記事より

<日朝協議と並行して始まった民間の遺骨収集に「怪しい親北日本人」の影
日本と北朝鮮の政府間協義の対象になった日本人戦没者の遺骨返還で、日本の民間団体による埋葬地訪問が最近行われた。北朝鮮に残留する日本人の遺骨は約2万1600柱(厚生労働省社会・援護局)。遺骨は必ず祖国に帰ってこなければならないが、問題は、墓参や収集話に絡んで北朝鮮と関係の深い怪しげな日本人たちが活動を始めていることだ。日朝交渉の駆け引きに人道問題が使われるのはもってのほか。遺骨返還問題を行う日本政府は、経緯をクリアにして進める必要がある。(久保田るり子)

北朝鮮が「遺骨」にご執心であるワケ
遺骨問題は、8月初旬に行われた日朝赤十字実務協議で北朝鮮側が日本人遺族の墓参受け入れを表明。これをうけて戦前、北朝鮮東北部の咸鏡北道清津に在住していた人たちの民間団体「全国清津会」の正木貞雄事務局長(82)ら4人が8月28日から訪朝し、平壌や清津など北朝鮮の案内で訪問した。
同会の訪朝は、ミサイル発射(2006年)以来実施している渡航自粛など対北経済制裁の例外扱いとして、日本政府の支援で行われた。
日本海に面した港湾都市、清津市は北朝鮮の工作船が出航する軍港で、外国人の立ち入りは厳しく制限されている。今回の訪朝団は北朝鮮側の許可による特例だった。北朝鮮側は、「全国清津会」に日本人遺骨の埋葬地とされる農地を案内したり、「軍人とみられる遺骨」などを見せたりと、至れり尽くせりの異例の対応をみせた。

北朝鮮が日本人の遺骨返還に熱心になったのは今春からだ。
中井洽元拉致担当相が宋日昊・日朝国交正常化担当大使と一昨年来、秘密接触するなかで、「今年はじめから北朝鮮側は、『遺骨』『遺骨』になった」(交渉筋)①という。5月には「戦没者の遺骨取材に応じる」と言いだし、6月、日本メディア2社に平壌市内の埋葬地2カ所を公開した。
日本人遺骨問題とは、日本の植民地だった北朝鮮地域からの引き揚げ途中に飢餓や疫病で死亡した人々や、シベリア抑留者がスターリン指導下にあった北朝鮮に移送され収容所で死亡した旧軍人などの遺骨が残されたままになっていることを指す。植民地時代に死亡した人々の遺族による墓参問題も含む。
北朝鮮側は「遺骨問題が、北朝鮮と日本との過去の清算(植民地時代の賠償要求)につながると考えているフシがある」(日朝関係者)とされる。

米国は北朝鮮と、朝鮮戦争(1950-53年)の行方不明米兵(MIA)遺骨捜索で1993年に合意、96年から断続的に共同で収集作業を行ってきた。北朝鮮の核問題で2005年から中断したが、昨年再開に合意、今春から開始している。未帰還兵は約8000人で、米国は一体につき、さまざまな名目で北朝鮮側に1万ドルから3万ドル(80~240万円)を支払っているとされる。
朝鮮戦争の未帰還兵と日本の戦没者遺骨では事情が全く異なるが、北朝鮮では「軍人の遺骨はカネになるとの認識が広がっている」(日朝関係者)という。

慌ただしく動きはじめた親北ビジネスマンたちの影
北朝鮮にこれまで何度も渡航し、日朝ビジネスに関わってきた親北の人物たちが、遺骨をめぐって慌ただしく動き始めたのは今春から。「全国清津会」に接近し、咸鏡北道へ行く墓参団の募集に関わってきた。
関係者によると、墓参団のなかには一時、北朝鮮にいる「よど号」ハイジャック犯の縁者も入っていたが、「全国清津会」の訪朝が正式に決まり、注目を集め出すと、表舞台から引いて「地下にもぐってしまった」(同)という。
ただ、同関係者によると親北ビジネスマンらは日朝赤十字会談の開催前にひそかに訪朝。「日本人遺骨」に関しての日本情報を北朝鮮側に伝達していたという。

「全国清津会」の会員の1人は「今春、(全国清津会から)墓参募集の手紙が来た。国が援助するから3万~5万円ぐらいで(現地に)行けるという話で、おかしいなと思った。結局、4人しか入れないことになったが、何か不透明な感じがしている」と話す。
また、別の会員は「北朝鮮には元軍人の遺骨が3000柱あるといわれており、遺骨返還事業で1人3万ドルかける3000人で9000万ドル(約70億円)のカネになるという試算が、まことしやかに流れている」と話した。
戦没者の遺骨収集は、遺族の高齢化から一刻を争う人道的事業のひとつ。朝鮮半島に残った遺骨は日朝間の国交がなく敵対関係が続いたため、これまで全く進まなかった。それだけに遺族の期待は膨らんでいるが、そこにつけ込む勢力があるのも事実。4年ぶりの日朝協議の対象となった経緯には、この「人道問題」交渉のテコに使おうとの北朝鮮の思惑が透けてみえるだけに、日本政府は、透明性の高い協議を行う必要がある。
産経新聞2012.9.8>

そして、売国奴である有田芳生スターリンの影もちらつきます。

<【平壌・石原聖】 民主党の有田芳生(よしふ)参院議員(比例代表、当選1回)が23日午後、北京から空路、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)に到着した。
終戦前後に現在の北朝鮮地域で死亡した日本人の遺骨問題に関連して現地視察するとしている。有田氏は27日まで北朝鮮に滞在するという。
略)
日本政府が国民に、北朝鮮への渡航の自粛を要請している中、与党の国会議員である有田氏が北朝鮮を訪問したことは今後議論を呼びそうだ。
一方、有田氏と同じ航空便で、日本人の遺族ら計9人も墓参のため平壌に到着した。遺族らは墓参の希望地に合わせて二手に分かれ、陸路と空路で羅先や清津、元山などを訪問し、日本人が埋葬されたとされる場所に赴く。30日に帰国する予定。
毎日新聞二〇一二年十月二十三日>

< 【北京共同】北朝鮮を訪問していた民主党の有田芳生参院議員は27日、訪朝日程を終えて空路、経由地の中国・北京に到着し、記者団の取材に応じた。終戦前後に死亡した日本人の遺骨埋葬地とされる平壌市内の現場を視察したと説明、遺骨収集や墓参の問題は「戦後処理の問題として、早く解決しないといけない」と訴えた。
有田氏は23日に訪朝した。同じ日に墓参のため遺族らも訪朝したが、有田氏は遺族らとは別に政府当局者ではなく現地旅行社の案内で視察したという。政府幹部との会談はなかったとしている。
共同通信2012.10.27 >

<有田議員が訪朝終了 遺骨問題で現地視察か
2012.10.27 12:51産経新聞
北朝鮮を訪問していた民主党の有田芳生参院議員は27日、訪朝日程を終え空路、経由地の中国・北京に到着した。終戦前後に現在の北朝鮮地域で死亡した日本人の遺骨収集問題をめぐり、埋葬地とされる場所の視察や、北朝鮮側関係者との意見交換を行ったとみられる。
有田氏は23日に訪朝した。日本政府は、北朝鮮に対する経済制裁の一環で国家公務員の渡航を見合わせ、国民にも渡航自粛を要請している。玄葉光一郎外相は24日の記者会見で「政府・与党に相談なく、与党議員が訪朝するのは残念だ」と不快感を示していた。(共同)>

そして、有田芳生は週刊新潮掲示板に下記のような内容を書いている。

<戦後、満州や朝鮮半島から日本へ帰国しようとした人たちは、三十八度線でとめられ、栄養失調と寒さで高齢者や幼児の多くが亡くなりました。その数は三万五千人に上ります。
そのうち二万を超える遺骨が北に残ったままです。平壌の近くに龍山墓地があり、そこには二四二一人の日本人が眠っています。その名簿を平壌で暮らしていた佐藤知也さんの父親が日本に持ち帰りました。昨秋、佐藤団長、藤川大生事務局長ら十六人の遺族や関係者が墓参に行きました。墓参事業を今後も続けたいと思います。北で眠る日本人の遺族を探しています。>
週刊新潮平成二十五年十月十七日号「週刊新潮掲示板」p八十四 より

<戦後、満州や朝鮮半島から日本へ帰国しようとした人たちは、三十八度線でとめられ、栄養失調と寒さで高齢者や幼児の多くが亡くなりました。>
確かにソ連軍が三十八度線を閉鎖したが、多くの日本人は三十八度線で止められたのではなく、三十八度線を目指して亡くなったのではないのか。

朝鮮人の為に一生懸命な有田芳生スターリン大センセイは今度は何をしようとしているのか。

言え事は、朝鮮人の為になる事はあっても我が国国民の為になるような事は何もないという事である。

あほらし。

日曜日だが、二組の御客様のご予約があり。
Sさん御夫妻来店。
Aさん二名様で来店。

私は今日は酒は飲まず。
サルでもエビでもない。