カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel van Wolferen)というアホを持ち上げる我が国のマスゴミ

カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel van Wolferen)
5月9日土曜日晴れ△
カレル・ヴァン・ウォルフレンというオランダ人がいます。
ウィキペディアには下記のように書かれています。
img_0_m<カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel van Wolferen、1941年4月 – )は、オランダ・ロッテルダム出身のジャーナリスト、政治学者。現在はアムステルダム大学比較政治・比較経済担当教授。
高校卒業後、中近東各国とアジア各国を旅し、オランダの新聞『NRCハンデルスブラット(NRC Handelsblad)』の極東特派員となる。
日本における官僚を始めとする権力行使のあり方を分析し、責任中枢の欠如を指摘した初の著書『日本/権力構造の謎』を、1989年に発表。
1994年に上梓した『人間を幸福にしない日本というシステム』は、33万部のベストセラーとなる。管理されたリアリティの壁に隠された「システム(物事のなされ方)」の支配から日本人が脱すべきことを説き、論議を巻き起こした。特に「説明責任(アカウンタビリティー)」という言葉は広く知られる事となる。
同書は、薬害エイズ事件を起こした厚生省(現在の厚生労働省)を批判する市民運動の若者達の間では、半ば聖典とも化した。薬害エイズ事件における厚生省の責任を認めて謝罪した厚生大臣の菅直人を、「偉大な政治家」と賞賛した。
一方、官僚独裁主義を打破する改革者として小沢一郎を高く評価し、この時すでに官僚側の抵抗により、いずれその手先である検察庁に彼は狙われると予言していた。またマスコミの小沢たたきを批判し、官僚支配から脱却した政治主導への改革を小沢以外の誰が成し遂げられるのかとも主張していた。
アメリカ合衆国の覇権主義を非難しており、2004年のジョージ・ウォーカー・ブッシュの大統領再選を嘆いた。日本は対米従属路線を脱せよと訴える。
部落解放同盟の糾弾を受けたことがある。詳しくは確認・糾弾、小森龍邦の項を参照。
2014年に起きたウクライナ危機を、「アメリカが中央ヨーロッパやアジア地域での支配権強化」を目論んで「欧州とロシアの関係を分断する」ために「ウクライナ国内の右翼勢力に資金援助を行なった」のが原因であり、日本は「プーチン大統領は『悪』で、世界にとって脅威だ」というアメリカのプロパガンダに騙されていると主張している。
職歴
1972年 – 『NRCハンデルスブラット』東アジア特派員。
1982年〜1983年 – 日本外国特派員協会会長。
1997年6月 – アムステルダム大学政治経済制度比較論教授。
受賞歴
1987年 – フィリピン革命運動の報道により、オランダジャーリズム部門最高賞。>

偉そうに講演会とか記事を掲載したりしています。
<日本の右傾化 左翼が夢物語ばかり掲げたからとウォルフレン氏
【「日本の右傾化」について語るウォルフレン氏】
略)
(私は)京都精華大学人文学部専任教員の白井聡氏との共著で『偽りの戦後日本』(KADOKAWA刊)を出版した。白井氏は『永続敗戦論』(太田出版刊)で注目された新進気鋭の学者であり、戦後の歪んだ日米関係をわかりやすく表現できる優れた有識者だ。

白井氏は「日本の右傾化」について強い危惧を示していたが、私はそれを許した左翼の罪が大きいと考えている。戦後日本では左翼が理想論ばかり唱えて現実的な対案を出せなかった。作家の大江健三郎氏や社会党の党首を務めた土井たか子氏が象徴的な存在だろう。ひたすら平和を唱え、国民に対して「戦争はダメだ」「軍隊を持ってはいけない」というだけで、議論を深めようとしなかった。

左翼は「憲法を守ってきた」と自負しているが、大きな間違いだ。憲法9条が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定しているにもかかわらず世界で最も高価な軍隊の一つである自衛隊の存在に目をつぶってきた。日本に軍隊はない、と主張したところで海外には全く説得力がない。自衛隊違憲論にしても理想論を掲げただけで、社会党は本気で政権交代を起こそうともしなかった。

少しでも軍事力を持てば日本が戦争に突き進むという考えは、日本を一人前の国家と認めていないに等しい。その点において、日本の左翼はアメリカにとっても都合の良い存在だった。憲法は、アメリカが日本を従わせるのに都合が良いものとして作られたのだから。

左翼が夢物語ばかり掲げてきた結果として生まれたのが、右派に支えられた安倍政権である。改憲の主導権を右翼に握らせてしまった罪は大きい。

私は日本の憲法は現実に即したかたちに改正すべきだと考えている。たとえば9条は「日本は主権国家として、他国と同様に交戦権を有する。しかし、過去の歴史の反省に立ち、自らの領土が脅かされた場合を除き、武力に訴える行為は取らない」と明記すればいい。それだけで平和憲法として世界に誇れるものになる。

思考停止した左翼の護憲でもなく、歴史を真剣に学ばない安倍氏の掲げる改憲でもない別の道がある。実現するには日本人自身が声をあげなければならない。それが「真の独立国」への道となる。>

※週刊ポスト2015年5月8・15日号

<カレル・ヴァン・ウォルフレン氏「安倍首相は絵空事だらけ」
2014年11月17日日刊ゲンダイ
略)
安倍首相に外交政策などありません。彼が外交政策を立案できるわけもありません。外務省の一部の官僚が策定しているだけです。ただし、日本が独自の外交政策を持っているわけでもありません。ウクライナ問題が好例です。欧州諸国はロシアへの制裁を発動しました。米国がロシアへの制裁を発動したからです。ヨーロッパ諸国はウクライナ問題で、体たらくと呼べるほど米国に追随したのです。ほとんど「見せ物的なショー」です。今回のロシアへの経済制裁ほど実質的効果のないものもないです。日本が独自の外交路線を歩むつもりならば、米国に対して「制裁など意味がない」と言ってやらなくてはいけませんでした。でも、安倍首相にそんな真似ができるわけもありません。
略)
09年に民主党政権が誕生した際、鳩山政権は少なくとも政治家が物事を決定するシステムをつくろうとしました。機運はあったと思います。だが、チャンスを逃しました。次の菅氏は官僚の言うことを聞くだけでしたし、野田氏に至っては最も脆弱な首相でした。最低でしたね。ですから民主党政権は事実上、最初の鳩山政権で終わったと考えていいのです。さらに言うならば、私は民主党政権が瓦解したのは3本の「魚雷」のせいだと思っています。目に見えないところから飛んできた。1本目は日本のメディアです。2本目は官僚。3本目がワシントンです。この3本の魚雷によって政権が攻撃されて崩壊したのです。
略)
――日本の将来をどう見ていますか。安倍政権は、激動の世界情勢に対応できるのでしょうか。

私には日本が行き先を見失っているように見えるのです。どこに行くのか明確な進路が示されていない。それが日本にとっての危機です。日本のトップに立つ人間は世界情勢を適切に見極められていない。安倍首相は第1次政権も経験していますから、本来ならば過去から学び、世界へ向けて示唆に富んだ指導力を発揮しなくてはいけないところです。だができていない。歴代の首相と違うようにも見えますが、何も変わっていません。極めて平凡な政治家です。日本はロシア・中国両国と密接な経済関係を進化させていかなくてはいけない。積極的に推し進めるべきですが、それもできていない。中流層は衰退し、一部の富裕層だけが潤う格差社会が現出しています。これでは日本の将来は暗いです。中国には拡大する中流層がいます。日本製の付加価値の高い家電商品を、彼らに今まで以上に購買させるなどの努力をもっとする必要があります。
――最後にお聞きしますが、安倍首相をリーダーとして、また人間としてどう見ていますか。

日本がどうあるべきか、という漠然とした考え方はあると思いますが、ファンタジーのレベルでしかない絵空事を抱いている。つまり、幻想の中で生きている首相だということです。まったく現実的な政治家ではありません。(インタビュアー・堀田佳男)

ウォルフレン氏 日本人は「プーチン=悪」の米宣伝信じ込む
2014.11.19 16:00

<略)
日本国民は「虚構」の存在に気付き、現状を打破するために声をあげなければならない。現在の世界情勢は「現状維持中毒者」による意思決定で乗り切れるほど甘くはないからだ。
略)
日本ではそうしたアメリカのプロパガンダがそのまま、官僚やメディアによってバラ撒かれた。「プーチン大統領は『悪』で、世界にとって脅威だ」と情報操作され、多くの日本人はそれを信じてしまっているのだ。
戦後70年、日本政治のトップを占めるエリートたちは、アメリカの要求や要望に対して、時折反抗的な態度を見せながらも、最終的には隷属国としての振る舞いから外れないように政策決定してきた。安倍政権はそうした慣習を忠実に守っている。
アメリカの権力者にとっては冷戦時代のような緊張状態は大変好ましいもので、「旧敵は決して消滅していない」と西側諸国に信じさせたい。だが、そうした緊張状態はいとも簡単に武力衝突を招き、世界に不幸をもたらす。日本人はそんな事態を本当に望んでいるのだろうか。>

※週刊ポスト2014年11月28日号

この偉そうにホザイテいるウォルフレンとはどのような頭の程度の人なのか?
手元にあるウォルフレン氏の著書より引用します。
<読者はよくご存知だと思うが、日本軍は、外地の日本兵相手の売春宿に女性を送り込むプログラムの一環として、一〇万人から二〇万人の若い女性を強制連行したと非難されている。中には一二、三歳の少女もいたという。
場所によっては「強制連行」という言葉は適切ではないケースもあったかもしれないが、それでも、どう控えめに見ても、これらの若い女性たちは途方もない規模で騙されたとは言える。同時に、軍当局に黙認ないし後押しされた脅しや集団レイプの証拠も十分にある。国連の委員会がまとめたクマラスワミ報告にも集められているし、もちろんそれを体験した何千人もの女性が直接語ったことからも明らかだ。
ポル・ポト時代のカンボジアから早期に脱出した難民たちの証言について、当初はその信憑性を疑う議論もあったが、結局彼らの話は本当だった。あの時と同じく、十人が全く同じ話をしたら、その信憑性を疑う理由になるかも知れないが、何千人もの人がそれぞれ違う話をしながら、それらの話が同じ基本的背景を描き出していたら、信じないのは無責任だ。>p一六九〜一七〇

ようまあ、これだけ嘘を書けるもんです。ましてや、戦時売春婦とポルポト政権下の虐殺を同等に見ているのです。

<戦争中の軍の売春宿に性的奴隷はいなかったとか、南京大虐殺はなかったという過去の見方は、正しい歴史ではありえない。道理をわきまえた部外者のコミュニティーでは、誰もそんなことは信じないからだ。
略)
南京大虐殺、「慰安婦」、日本の植民地政策の「善良なる」意図、などが、海外でも同じような感情的な反応を引き起こすのは、決して偶然の一致ではない。なぜなら、あなたの国に歴史は、外国人があなたの国の歴史と考えるものと、かなりの程度まで一致しなければならないからだ。
歴史の自己認識の源として活用する作業は、むろん日本でこれまでまったく行われてこなかったわけではない。客観性を追求する多くの歴史家が、国民の自国に関する知識を高めることによって同胞の力になろうと努力してきている。
藤原彰教授は、自己の政治目的に都合がいいように資料を集め、並べる人々、とりわけ自民党の政治家や藤岡教授のような人々は、ほとんどが歴史の専門家ではないと指摘している。しかし、藤原教授自身のように、過去を否定しない歴史の専門家もいるにはいるが、彼らは日本の大学の歴史学部の外で行われる議論には、あまり影響を及ぼしていない。少なくとも、真実を求める人々や日本人以外の人々に安心感を与えるような形では、発言していない。
左翼のお荷物を捨て去り、過去と虚心に向き合っている日本の若手歴史学者には、私は心から共感する。そして、どの雑誌が彼らの論文を積極的に乗せるようになるか期待している。
しかし、明らかに言えることが一つある。日本が亜細亜の各地を占領していた今世紀(二十世紀)の出来事について、今一般に流布している物語は、日本の隣人が当然要求し、日本の市民が自国の知識人に当然要求してしかるべきレベルの客観性を目指しているものではない、ということだ。
欧米では、戦争中の日本の行為に対する日本の姿勢を、よく「歴史的健忘症」と表現する。
しかし、これは完全にぴったりくる比喩ではない。大方の日本人がすべて忘れてしまいたいとおもっているのは確かだろうが、忘れることはできない。今も一人一人の記憶に残っているし、その時代を生きた人たちがみんな死んでしまって、(文部省の方針により)ほとんど何も知らされないまま生きてきた人たちが老人になった時でさえ、彼らはやはり自国の過去についての作業が未完成であることを意識するだろう。この未完の作業は、日本文化の中であまりに大きな位置を占めるよになっている為、忘れる事などできないのだ。
適切な比喩を挙げるとすれば、健忘症でなく、消化という概念に基づくものになるはずだ。日本人は半世紀前の出来事を、国レベルでは、感情的にも理性的にも、まだ消化していないのである。
略)
不愉快な歴史的事実に直面した時、日本人はそれを感情の上で処理する手段を持たない。残虐行為の話を消化できず、それゆえ否定しようとする。しかし、その否定は本人にとってさえ、説得力を持たない。
たとえば、「慰安婦」の問題は、同胞の戦争中の行為に表れた、人間の「悪の力」に直面する事を、普通の日本人に要求する。これは恐ろしい要求だ。オーストラリアの社会学者で歴史学者でもあるガバン・マコーマックは、「恐らく史上最大規模の、国家の後押しによるレイプ」と記しているが、私もこの見方に同意する。藤岡教授もいうとおり、兵士に強姦させる為に奴隷狩りをしたという話が事実なら、日本は巨大な性犯罪国家という事になる。もっとも彼はそれに続けて、その話は事実でないと否定しているのだが、彼が否定したからといって、日本人にとって問題が解決するわけではない。
日本軍上層部の優先順位の考え方と、彼らが当時の「敵国人」にどのような姿勢で臨んでいたかを知っている多くの日本人が、その話が事実だった可能性は十分にある事を知っている。そして、心の奥で事実だったと信じている。それが実際にあった事を示す具体的な証拠も沢山ある
自国に対する誇りを失わせるような話は聞かされるべきではないとされる日本の若者についていうと、事実を否定する事は、彼らに大きな不利益をもたらす。東南アジア諸国、韓国、中国をはじめとする諸外国の人々と日本の歴史について話す時、今日の日本の若者は、大きなハンディキャップを負わされている。文部省が、日本の帝国主義時代の重要な問題について、彼らに真剣に議論させないようにしてきたからだ。>
p二一八〜二二一

日本軍は中国の一部地域を荒らし、赤ん坊を銃剣で突き殺し、無数の罪のない市民を強姦し、殺害した。日本軍の高官たちは、大掛かりで組織的な集団レイプ計画や、戦場捕虜に対する野蛮な医学実験計画を後押しした。>p二二七

このくそ偉そうな事をほざくウォルフレン氏という御仁はオランダがどういった事を亜細亜でやってきたか、インドネシアで何をやってきたか理解してこういった事をほざいているのであろうか。

その前に、ウォルフレン氏が絶賛し全幅の信頼を寄せている藤原彰氏とはいったいどういった大歴史学者なのか。
藤原氏の著書「体系・日本歴史6日本帝国主義」日本評論社刊に書いてあるそのアホというよりあまりにもお茶目な文章を引用させていただきます。
以下引用
<六月二五日、三十八度線全線にわたって韓国軍が攻撃を開始し、戦線が開かれた。二六日北朝鮮軍は反撃に転じ、韓国軍はたちまち潰走しはじめた。アメリカは直ちに韓国援助を声明し、早くも二七日には在日空軍を朝鮮に出動させ、一方第七艦隊を台湾海峡に出動させて中国の台湾解放を妨げた。二八日、ソ連代表欠席の中の国連安全保障理事会は、アメリカの要求通り、北朝鮮を侵略者として武力制裁を決議した。この決定に先立って、マッカーサーは在日米軍の全面的出動を命令していた。
 朝鮮戦況は、米・韓の予想とは反対に、民衆の支持を得た北朝鮮軍が圧倒的に優勢であった。
急拠赴援した米軍も、韓国軍同様潰走し、日本を空白にして在日米軍を根こそぎ投入したが、八月末には釜山橋頭堡を辛うじて維持する状態まで追いつめられた。しかし、米国からの増援軍の到着によって、戦線の背後仁川に上陸、圧倒的な海軍、空軍の支援の下に北進して、北朝鮮を焦土としながら中国国境に迫った。十一月中国人民義勇軍が参加して戦局は再び逆転し、米軍は敗北して後退し、一九五一(昭和二六)年に入ると、おおむね三八度線で、戦線が膠着状態となった。>
以上引用終わり
「体系・日本歴史六日本帝国主義」藤原彰著 日本評論社刊 p二二九~二三〇より

私は此のアホ本のこの部分を確認するためだけに古本市で大枚三百五十円も出してこのアホ本を購入いたしました。
北朝鮮が南朝鮮兵に変装させた特殊部隊三一名をソウル青瓦台にある大統領官邸に送り、大統領を暗殺しようとしてすんでのところで発覚した「青瓦台事件」のあった昭和四三年(一九六八年)に出版されている本です。

<六月二五日、三十八度線全線にわたって韓国軍が攻撃を開始し、戦線が開かれた。>
という有名な箇所だけでなく、
<二六日北朝鮮軍は反撃に転じ、韓国軍はたちまち潰走しはじめた。>
<一方第7艦隊を台湾海峡に出動させて中国の台湾解放を妨げた。>
<民衆の支持を得た北朝鮮軍が圧倒的に優勢であった。>
<北朝鮮を焦土としながら中国国境に迫った。十一月中国人民義勇軍が参加して戦局は再び逆転し、米軍は敗北して後退し>
と随所に社会主義の赤い軍隊は正義の軍隊という藤原氏の思い入れたっぷりの箇所がでてきます。
ちなみに、今は誰も信じていない南朝鮮から攻撃を仕掛けたという根拠として、
以下引用
<米・韓国側は、北朝鮮側が先に攻撃をしたと主張しているが、攻撃が韓国側によって準備され徴発されたことは、当初アメリカの新聞、通信によっても報道された。米人ジャーナリストによる、ストーン「秘史朝鮮戦争」コンデ「朝鮮戦争の歴史」二巻などには、いずれもアメリカ側の材料によって、米韓側の陰謀であることを立証した。後者は三部作「アメリカは何をしたか」の一部で、朝鮮戦争の最も詳細な研究であるが、アメリカで出版できず、昭和四二(一九六七)年、日本で発行された。
引用終わり 同書p二三〇

そんな藤原大センセイは他にも史実と違うことでも我が国を貶めるためだったらなんでもやります。

朝日新聞は、平成五年一〇月三一日には第一面にあの有名なハガキ二枚分の大きな写真を掲載し
「『これが毒ガス作戦』と元将校」「当時の日本軍部内写真を公表」との見出しをつけます。
 元将校A氏の証言「『これまでだれにも見せられなかったが、最近、当時の日本軍の行為を正当化するような動きがあり、憤りを感じたため、公表することを思い立った』とAさんは語っている」「南昌攻略作戦の一コマで、一四年三月二一日午後、・・・・写真の光景にははっきりと見覚えがあり、手帳に日時も記入していた」「毒ガス攻撃をするというので全員が防毒マスクをつけて待機、ガス係が点火して写真のような光景になったという」
朝日新聞の解説部分では「百五十余ページの写真帳に掲載された他の写真にはすべて説明があるが、この写真に限って一行の説明もない」とある。
 専門家としてここで藤原彰大センセイ(当時一橋大学教授)が登場。
以下、藤原ダイセンセイの記事部分を全文引用
「実際に中国戦線に従軍し、最近は日中戦争での化学戦の実証的研究を進めている藤原彰・一橋大教授(日本近・現代政治史専攻)は『写真でみると、発煙筒ではなく、毒ガスに間違いないと思うが、放射筒が写っていないので、写真だけからはガスの種類を特定することはできない。私自身、日中戦争での毒ガス実射写真を見たのは初めてだし、公開されるのもこれが初めてだろう』と話している」
 流石はダイセンセイだけあります。
ところが、同じ年の一一月一一日付け産経新聞朝刊にこれに対して反証記事が掲載されました。四名の証言者を実名で掲載し、なおかつ反証記事を書いた産経新聞記者が神田の古本屋さんで入手したAさんと同じ写真集には、「南昌攻略作戦」の項目はなく、別の項目に「煙幕放射」との説明がついていたという。
 つまり、朝日新聞の解説部分「百五十余ページの写真帳に掲載された他の写真にはすべて説明があるが、この写真に限って一行の説明もない」というのは捏造ということになる。ましてや、あれほどまでしっかりと証言していた人間をAという匿名で出した朝日新聞に対して、産経新聞はすべて実名で四人もの証人を登場させている。
その中のおひとりは「カンショウ作戦」(漢字変換出来ません)に歩兵中尉で参加した鵜飼敏定氏(昭和五九年当時七〇才)は、「一四年九月二三日午前、新しょう河を渡る時のもの、対岸の敵に部隊編成を悟られないように、発煙筒をたいた。毒ガスではない」
 同じく同じ作戦に参加した西村英雄氏は「敵がおらず味方しかいない川の手前で何で毒ガスを使う必要があるのか」
 朝日新聞は南朝鮮から北朝鮮に攻め込んで朝鮮戦争が始まったと著書に書いている近代史の大家である藤原彰ダイセンセイには「毒ガス」と「煙幕」との区別もつかない「日中戦争での化学戦」の大家という新しい称号まで与えたことになります。
 この産経新聞の反証記事が掲載されてすぐに、朝日新聞の幹部が産経新聞社に怒鳴りこんできたというような記事を週刊誌かなにかで読んだ覚えがあります。
そして、この捏造記事について朝日新聞は昭和五九年一一月一四日付朝刊の第三面の下隅に「日本軍の『化学戦』の写真」「カンショウ作戦とわかる」との二段見出しのベタ記事を掲載。
でも、当然ですが、朝日新聞による訂正とかお詫びとかいう文言はどこにもありません。
朝日新聞らしいといえばそれまででしょうが・・・・
朝日新聞は昭和五九年六月一四日朝刊で、「イペリットなどの毒ガス 日本軍が使っていた」「マイナス三〇度という気象条件のため、イペリットの液体が凍結して散布不能になるという事故もあったが・・・」といかにもイペリットがマイナス一六度で凍る事を隠してマイナス三〇度で日本軍が使用したように書いていたり、同じく六月一七日に「日本軍の毒ガス使用 不問は米の政治判断か」「東京裁判検察側が抑える」「確証は握っていた」との見出しでいかにも日本軍だけがイペリットを使っていたのを米軍が政治判断で不問にしたように報道しています。
 ところが、米軍は一九四三年一一月、ベクストラム大尉が一〇〇トンのイペリットを貨物船ジョン・ハーベイ号に載せて、バルチモアから連合軍の補給基地イタリアのバリに運んで停泊中にドイツ軍による爆撃で被弾し、大量のイペリットが流失した。そして、失明、皮膚に重い火傷を負った人など多数の負傷者を出しただけでなく一〇〇〇人以上の連合軍兵士が死亡し、一〇〇〇人以上のバリ市民が命を落とした。つまり、米国はイペリットを大量に保有し、使用した可能性もある。それだけでなく、昭和一二年(一九三七年)一〇月二〇日付朝日新聞に「毒ガス弾下を衝く=人馬・マスクで進撃」
同じく昭和一二年一二月一二日付朝日新聞一面「不法!毒ガスで逆襲」「この夜襲戦で断末魔の敵はいよいよ本格的毒ガスを似て抗戦し来れること明らかになった」と記事にある。つまり支那が毒ガスを使用していたのである。
 朝日新聞はこれらの事実を意図的に隠しての毒ガスキャンペーンとしか思えない。そして、これらの毒ガスキャンペーン記事は朝日新聞が行ってきた「靖國参拝」「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などと同じ反日行動です。それにより支那、南北朝鮮が反応し我国の国益を損うという構図です。
 つまり、支那は朝日新聞の反日捏造報道とそれと連携した河野洋平などの売国奴どものおかげで、日本が金を貢いでくれるのです。

こんな天下の朝日新聞御用達の藤原大先生をウォルフレン氏は「日本の大学の歴史学部の外で行われる議論には、あまり影響を及ぼしていない。少なくとも、真実を求める人々や日本人以外の人々に安心感を与えるような形では、発言していない。」とほざいているのです。
こんな程度の腐れ外人です。

そして、このウォルフレン氏はオランダ人です。
亜細亜において自国のやってきたことをどう思っているのでしょう。
インドネシアでオランダが三百年間やった「強制栽培制度」を誇れる歴史とでも思っているのでしょうか。
そのおかげで、オランダの経済は好転しました。それだけでなく、オランダはインドネシア独立時に賠償をするどころか、六〇億ドルの補償金をインドネシアに要求しています。
インドネシア側はこうした被支配の歴史に対し、これまでオランダ女王のインドネシア訪問。インドネシア大統領の訪蘭などで謝罪を要求したが無視しています。

そして、大東亜戦争でさへたった一ヶ月で降伏した腐れヘタレ民族のくせして、そのヘタレ民族が我が国の先人にどのようなことをしたか。
戦勝国の報復・リンチであるいわゆる戦犯裁判において公開裁判の形式をとったA級裁判といわれるものに比べてB・C級裁判はほとんど非公開でおこなわれた。
スクリーンショット 2015-05-06 17.56.37
この表を御覧いただければ、なお歪んだ一面が浮かび上がる。表に現れていないソ連の国際法違反による終戦真際の火事場泥棒といっていい一方的開戦による十日たらずの戦闘にもかかわらず、そのロシアという人種の特性をよく示している戦中戦後の暴行・暴挙による虐殺。そしてソビエト抑留という名の虐殺をおこなったソ連に裁判を行うべき資格がないのは当然であるが、イギリスとともに死刑・有罪数が多いのは、我国に対して侵攻後わずか一カ月の十七年二月に降伏したオランダの異常な死刑判決・有罪判決の多さである。これは復讐裁判といわれる戦犯裁判を端的に表している例です。
下記はその一例です。
堀内豊秋大佐を裁いた裁判官について
 オランダは戦後、日本軍の攻撃で逃げ出した後に降伏して捕虜になったオランダ軍のメナド付近の守備隊長をしていた男が終戦後、急に居丈高になり、自分達と違って現地で慕われていた堀内豊秋大佐に報復感をいだき、卑怯にも自ら裁判官となり大佐を銃殺にしました。
(この事は中堂観恵元海軍少将が、戦後オランダ大使館武官より聞いた話として手記に書いている)
この卑劣なオランダ人裁判長の名は元歩兵大佐F・W・M・ティウオン(F・W・M・Tiwom)という。
他にJ・H・Warowo  W・G・VAN・de Leasar
の二名を加えた卑劣なオランダ人三名により、多くの戦犯とされた先人の皆様がそうであるように、オランダの復讐裁判により堀内大佐は無念にも銃殺刑に処されました。
下記の証言もこの裁判の異常さをよく証明している。
 「私は裁判長から、堀内大佐を弁護するとあなたのためによくないよ、といわれ、判決日を俟たずに帰国させられました」(昭和二十年代後半名古屋大学の学生だった堀内大佐の遺児堀内一誠氏が東京都内に住む堀内大佐の弁護人だった井手諦一郎氏を訪ねた時の井手氏の証言)
つまり裁判長自ら弁護人を脅迫し、強制送還していたのである。

「とても弁護できるような状態ではなかった。充分な審理がおこなわれず、法廷が開かれた回数も極端に少なかった。いきなり判決が下されたような状態だった。弁護人として発言の余地がなかったので、私は、自分が何のために来たのかわからないと、裁判長を問いつめた。裁判長は一瞬詰まった様子だったが、『それは、被告が日本国民であるからだ』と答えた。これほど露骨な報復感情を込めた言い方はない。はじめから裁判の形をなしていなかったのだ」
(昭和二十九年にたずねた緒方健一郎氏に対して井手氏の言葉)
オランダ人はオランダ人という人種が存在する限り先人によるこの史実を永遠に恥じなければならない。

ましてや、こういった事を平気で書く人間のクズです。

<日本軍は中国の一部地域を荒らし、赤ん坊を銃剣で突き殺し、無数の罪のない市民を強姦し、殺害した。日本軍の高官たちは、大掛かりで組織的な集団レイプ計画や、戦場捕虜に対する野蛮な医学実験計画を後押しした。>p二二七

その同じページの少し前にはこう書いている。

多くの日本人が広島への原爆投下があの時代の最大の悪だったと考えている事を知ると、欧米人は憤慨する。>p二二七

まさに、地域を荒らし、赤ん坊だけでなく、無数の罪のない移民を殺害した必要のない実験であった原爆以上の罪がこの世のどこにある。

原爆については別の頁で

<広島の原爆資料館の入館者への訴え方、毎年八月の記念式典の行われかたを見ると、やはり、何かとても大切な事が歴史から切り離されていると感じる。
原爆投下が、歴史的文脈の中でとらえられていないのだ。途方もない災厄が全くだしぬけに広島を襲ったといわんばかりである。>
p一八四

何を言わんかや。
只々怒りを感じるだけである。

こんな人間のクズとしか言えない腐れオランダ人をありがたがって使っている我が国のクソマスゴミは腹を切れ!

あほらし
DSCN3221
「なぜ日本人は日本を愛せないのか」カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel van Wolferen)著 毎日新聞社 平成一〇年(一九九八年)刊

金ちゃん、マロさん三名様で来店。
Tさん二名様で来店。
何をしに来たかわからん二名様来店。
マルガリータさん、Sさん来店。
ドンチャン。
記憶あり。
サルよりマシ。