星雲大師・臨済宗日本佛光山・NPO法人国際ブリアーの胡散臭さ

星雲大師・臨済宗日本佛光山・NPO法人国際ブリアーの胡散臭さ
4月4日土曜日晴れ△
無条件に「台湾」を受け入れる怖さ。
下記のようなイベントが今年も池袋で催されるそうである。

<池袋テレビ【臨済宗日本佛光山☆NPO法人国際ブリアーChannel】
~ 2015年3月号 ~
2015年も池袋西口公園で
台湾と日本の文化交流イベントが開催されます!
今年で4回目を数える本イベント、
今年は台湾のお茶を楽しめる「茶禅」のコーナー、
健康にとっても良い台湾精進料理、
とろける美味しさのエッグタルトやタピオカ入りミルクティなどのお店も。
そして、2011年の震災で日本を大支援してくれた、台湾人の皆さんが多く来場します。
台湾ファンの皆さま、4月の4日と5日は池袋へお越しください♪
日時:2015年4月4・5日(土:11時~17時半、日:11時~16時半)
場所:池袋西口公園>

これだけではわかりにくいが、過去のこの臨済宗日本佛光山、NPO法人国際ブリアーという関係のニュースを見ると色々と見えてきます。

<第2回台日文化交流及び東日本大震災復興支援」の活動が池袋で盛大に開催
発信日時:2013/4/9
「第2回台日文化交流及び東日本大震災復興支援」の活動が池袋で盛大に開催
今年で2回目の開催となる「台日文化交流及び東日本大震災復興支援」の活動が4月6日(土)と7日(日)の2日間、池袋駅近くの豊島区立池袋西口公園で開催された。
この活動は「台日文化交流実行委員会」が主催し、台北駐日経済文化代表処(以下、駐日代表処)、豊島区、豊島区観光協会、豊島区社会福祉協議会、池袋西口商店街連合会、NPO法人国際ブリアーが後援した。6日午前には開幕式が行われ、駐日代表処からは沈斯淳・代表、李明宗・横浜分処長らが出席した。
略)
佛光山本栖寺住職の満潤法師はあいさつの中で、東日本大震災が発生した翌日、成田に到着した台湾からの人命救助のレスキュー隊が被災地にすぐに入れず、生存者を救助できなかったことからNPO法人の必要性を痛感し、「NPO法人国際ブリアー」を設立したことなどを紹介した。高野之夫・豊島区長は、「地元地域と交流できるのは喜ばしいこと。これからも交流の輪を広げていきたい」と述べた。
略)
台北駐日経済代表処《2013年4月9日》>
http://www.roc-taiwan.org/JP/ct.asp?xItem=368170&ctNode=3522&mp=202

<第二回台日文化交流
一筆字、三好沙弥、台日文化交流の焦点
略)
被災者への黙祷
開幕式には大勢の貴賓が駆けつけました。台湾側は駐日大使沈斯淳代表ご夫妻をはじめと し、横浜李明宗分所長、南華大学林聡明校長、東京華僑婦人会羅王明珠名誉会長、台湾観 光協会東京事務所江明清所長、国際佛光会世界総会理事曽文宏氏、大和協会会長友成元一 氏、関東協会会長太田愛子氏、東京の各華僑団体代表等の出席がありました。日本側は元 防衛相小池百合子先生、東京都江東区米沢和裕議員、板橋区長瀬達也議員、豊島区議会村 上宇一議長、豊島区高野之夫区長、豊島区福祉協議会中村丈一会長、豊島区観光協会斉木 勝好会長等に出席していただきました。
開幕宣言後、東日本大震災被害者の冥福を祈り参加者全員で黙祷を行いました。沈斯淳代 表は東日本大震災から二年余り過ぎ、就任後何度か東北を訪れ、被災者の人達の復興しよ うとする意志に感心したこと述べ、更に佛光山及び佛光会の皆様は日本と台湾の交流に貢 献し、良い手本になっていることに感謝の意を表しました。また、佛光山に一層多くの情 報提供をお願いしました。
略)
佛光会 NPO 認定された証
小池氏は東北大震災時に台湾から最大限の支援を頂いた事に大変感謝し、また、このよう な交流活動を通じて様々な方面において、更なる台日の関係を深めていけると信じている と述べられました。
NPO 法人国際理事長満潤法師は東北震災復興支援を続けていくために、今年一月に佛光会 は NPO 法人を正式に認可されました。台日の流は末永く続けられるように願っています。
略)
今年のイベント内容は去年同様に大変人気のある台湾民俗の演技と美味しい精進料理のほ かに、一番注目されたのは星雲大師の一筆字の書法展でした。ほかに、可愛い三好沙弥や 綺麗な花をたくさん飾った甘茶かけの潅仏会場も人気でした。池袋の西口公園さえ入って くれれば、日本人でも、外国人でも仏法に触れ合うチャンスが得られたのです。>
http://www.tokyofgs.com/upload/activity/41_1.pdf

坂東忠信氏も下記のように指摘しています。

<台湾を訪問した中国国務院台湾事務弁公室の主任の張志軍が星雲大師と面会しております。
これに対し台湾国民はこの閣僚級の来客に激しく抗議。>

http://taiyou.bandoutadanobu.com/?eid=1235268

そして、台湾研究フォーラムの永山英樹氏も下記のように指摘しています。

<台湾で「南京虐殺」に様々な見方―総統、ネットユーザー、そして中共の傀儡和尚
2014/12/22/Mon
略)
■仏光山の星雲大師は「大虐殺」目撃者だった
しかしその一方で「台湾に台湾人はいない。みな中国人だ」との「名言」で知られる在台中国人の統一派和尚、星雲大師(国際仏光会世界総会長)は逆に、「南京大虐殺」の宣伝に乗り出している。

七日に新華社のインタビューを受け、「南京大虐殺の生存者」として、「記憶する大虐殺の模様を初めて語った」のだ。
台湾の政治和尚、星雲大師の「南京大虐殺目撃談」は目撃談と言えるか

それによると当時彼は十歳。「日本人は焼き、殺し、略奪し、南京の周囲は百里先まで見渡せた。日本人は男を見れば捉えて荷を運ばせ、女を見れば飯を作らせ、ある者は殺された。刀の光には血の色が滲み、悪事なら何でもした」「父親はたぶん大虐殺で死んだ。母親と一緒に父を探したが、河も道も死体だらけだった」。

戦場の後を見ただけではないのか。この程度の話なら、とても「大虐殺」の目撃談とは認定し難い。そもそもこの人は、あれほど中共とは大の仲良しであるのに、なぜこれまでこの話をしないできたのか。
台湾人の脱中国化に歯止めをかけたい思いで、今回は新華社に語らせられたのかもしれない。
いずれにせよ新華社は、国家哀悼日である十三日、この記事を配信している。もちろん対日本、そして対台湾のプロパガンダとしてだろう。

台湾人が中国人の反日宣伝に疑いを強めつつある中、肝心の日本人がそんな宣伝にいまだ惑わされ続けるのはどうかと思うのである。

ちなみに余談だが、「星雲大師は日本で富士山麓の本棲寺、東京仏光山、福岡仏光山、群馬の法水寺など日本各地に仏光山道場を建てた。『私は彼ら(日本人)が仏光山と私の影響を受けるかもしれない。そのようなばで平和の宣伝をしたい。日本人に平和を尊重させたいのだ。彼らに我々中国人の心を教えたいのだ。そして中国人の彼らに対する希望をも』と話している」(中国報新聞網、十二日)。

「日本各地の仏光山道場」は日台「交流」活動にとても熱心のようだが、親台湾の日本人はそんなところで中国の宣伝に洗脳されないようご注意を。>
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-category-32.html

坂東氏、永山氏が指摘している星雲大師については、日本語ではたいして出てきません。

<星雲大師が語る「チャイナドリーム」
発信時間: 2013-04-08 11:09:46 | チャイナネット |
台湾仏光山の開山宗長である星雲大師は6日、博鰲(ボアオ)フォーラムに出席した際の演説で「チャイナドリーム(中国の夢)」の方向性について語り、人民を幸福にし、平安と喜びをもたらし、社会的な公平と正義をもたらし、貧富の差を縮め、一人ひとりに充分な食事と衣服を与え、幸福に成長させることだと指摘した。人民網が伝えた。
87歳になる星雲大師は6日、正体に応じて博鰲フォーラムに出席し、「誠実さの力」というテーマで鳳凰衛星テレビの劉長楽董事局主席と対話を行った。数百人にのぼる参加者やメディアが聴講し、星雲大師の言葉は聴衆に笑顔をもたらした。
星雲大師は多くの仏教の説話を引用し、また中国の漢字の成り立ちにまつわる興味深い話をした。星雲大師によると、「誠」という字は言葉に信用があるという意味で、また誠実とは自分に対して要求するもので、他人に要求するものではない。また誠実さを持つことでその人は価値を持つことになる。誠実さを持たない人には価値はない。慈悲の心を保つのも難しくはなく、重要なのは思いやりを持つことだと語った。
「チャイナドリーム」をどのように実現するかという問いかけに対して星雲大師は次のように答えた。人民を幸福にし、平安と喜びをもたらし、社会的な公平と正義をもたらし、貧富の差を縮め、貧困などの苦しみを受けている人を時間をかけても抜け出させ、一人ひとりの中国人が充分な食事と衣服を持つことができ、幸福に成長できること、これこそがチャイナドリームだと語った。
「人民網日本語版」2013年4月8日>

<北京 星雲大師の「一筆書き」書法展
2010-05-12 10:03:33     cri     [A  A  A]
台湾の高僧・星雲大師の「一筆書き」書法展が9日から中国美術館で開催されている。星雲大師の各時期の「一筆書き」書法作品140点あまりが展示されている。同展は16日まで開かれる。
「人民網日本語版」より>

日本語ではこのようなものしか出てきません。
まあ、支那政府が報道するだけで胡散臭い腐れ人間ですが、ところが、「星雲大師」「南京」と検索すると下記のようなものが出てきます。

<憶南京大屠殺「人間地獄」 星雲大師:盼日本人尊重和平
http://paper.wenweipo.com   [2014-12-13]
■ 星雲大師接受專訪。新華社
香港文匯報訊 據新華社報道,88歲的台灣佛光山開山宗長星雲大師日前接受新華社獨家專訪時,首次披露鮮為人知的南京大屠殺記憶。在浩劫中失去父親的他提到,國家公祭日的設置,讓全世界都知道中國對日本的態度,知道歷史是永遠存在的。他亦談及在日本建了很多佛光山道場,「我要讓日本人尊重和平,讓他們知道我們中國人的心情,還有中國人對他們的希望」。
屍堆尋父不果 感有家難歸
星雲大師形容南京大屠殺是「人間地獄」,「母親和我,一個36歲,一個10歲,她尋夫,我尋父,人海茫茫,屍首遍地……」「路上到處是死屍,我要跨過死屍才能往前走,正想不知能不能過去,忽然聽到很恐怖的腳步聲從那邊過來了,你一定要躲藏,不然就沒命了。怎麼躲藏?最好就是跟死人睡在一起……」
尋父整整一年兩個月都沒有結果,母親很失望,星雲大師後來在南京棲霞寺出家做了和尚。「南京大屠殺對我的影響,就是讓我有家難歸、有國難投,讓我流浪到世界各地,最後定居台灣。」星雲大師說,兩岸一家親,希望大家攜手讓中華民族越來越強大,不要再遭受被別國欺凌的痛苦。
星雲大師目前正努力和日本很多佛教學者交流。他說,「不能說我和日本人之間有殺父不共戴天之仇就不來往,那太狹隘了……我希望兩國攜手合作,不要戰爭,這才是全民的福氣。」>
http://paper.wenweipo.com/2014/12/13/TW1412130002.htm
<20141209 經歷過戰火無情摧殘 星雲大師談南京大屠殺>

<鮮為人知的南京大屠殺記憶 星雲大師:我是受害人和見證人
(中國‧北京12日綜合電)“佛教珍愛一切生命,為什么大師讓一名畫家來畫血淋淋的大屠殺呢?”“要畫!因為我就是南京大屠殺這場災難的受害者和見證人。”
促成油畫《南京大屠殺》
20多年前,台灣佛光山開山宗長星雲大師和畫家李自健在美國洛杉磯的這番對話,促成了以“殺·生·佛”為主題的驚世巨幅歷史油畫《南京大屠殺》的誕生,從此開始了它在全世界六大洲30個國家和地區廣泛展出的旅程。
12月13日是南京大屠殺國家公祭日。星雲大師週日(7日)在台灣台北接受新華社的獨家專訪。作為倖存者的他多年來首次公開講述了記憶中的南京大屠殺。
今年88歲的星雲大師,形容78年前那場屠殺是“人間地獄”。他回憶道:“日本人從1937年7月7日盧溝橋事變開始,打到南京,是12月中旬。我記得那場南京大屠殺的時候,大雪飄飄,我才10歲啊,也跟著流亡的人潮逃亡。那時候也不知道逃亡到哪里,只希望找到一個安全的地帶,可是無論走到哪里,都不是安全的地方。”
“日本人燒殺掠奪,南京的火光100里以外都能看到。日本人看到大一點的男人就抓了去做挑夫,看到女人就抓了去煮飯,有的就殺害。刀光血影,無惡不作,就是形容那個景象。”講到激動處,坐在輪椅上的大師忍不住仰頭、舉起雙手朝上,似乎又看到當時火光沖天、殺人如麻的情景。
由于父親在南京大屠殺中可能沒了,星雲大師和母親到處尋找。他說:“我看到河里面的人頭朝下、腳朝上,到處都是屍體,血水滲透到河底下的樹葉、泥漿,看得清清楚楚。我還看到路邊的屍體被狗給吃掉了胸膛,只剩下四肢。
從1937年冬到1939年正月出家,整整一年兩個月,星雲大師和母親一直在尋找父親,但沒有結果。母親很失望,星雲大師也在南京棲霞山棲霞寺出家做了和尚。
懺悔才能真正和平
星雲大師說,南京大屠殺對他的影響,就是讓他有家難歸、有國難投,讓他流浪到世界各地,最后定居台灣。
他說:“南京大屠殺奪去幾十萬無辜百姓的生命。父親就在里面犧牲了,可以說是血海深仇。但在我們佛教看來,人類戰爭不斷,以殺止殺是不可能的,只有用感動、用慈悲、用原諒,讓他認錯懺悔,這樣才能真正有和平的希望。”
“人家說回憶是美麗的,但我們的回憶是悽慘悲涼的。”星雲大師說,不過在那個苦難的時代,多少人家破人亡,也不是我們一家才這樣。大家都要接受這個事實,只有勇敢地生活,逝者已去,生者要更加努力,要更加積極。
星雲大師在日本建了很多佛光山道場,包括富士山腳下的本棲寺、東京佛光山、福岡佛光山、群馬的法水寺等。“我想他們或許都會受到佛光山和我的影響,在那里宣傳和平主義。我要讓日本人尊重和平,讓他們知道我們中國人的心情,還有中國人對他們的希望。”
重現血腥慘劇
旅美畫家李自健受星雲大師所託,于2003年創作《南京大屠殺》畫作。星雲大師看到還有很多日本人執迷不悟,因此也鼓勵他把《南京大屠殺》帶到世界各地展出。
該作品的視覺中心為堆積如山、交錯掙扎和相互保護的死難者屍體,與四處流淌的暗紅色血液,凝重的冷灰色調,遠處硝煙瀰漫、低沉灰暗的天空,共同營造了強烈而厚重的悲劇氣氛,給人以窒息壓迫之感。
據李自健說明,他的作品如今已被355萬人次的觀眾參觀過。他在1992年至2006年自費舉辦了世界巡展,又在2010年至2013年舉辦了中國巡展,所到之處觀者絡繹不絕,等候者排成了長龍。
“我記得那幅畫在荷蘭展出時,荷蘭的日本大使館居然利用外交關係,不讓李自健展出這幅畫。”星雲大師說,歷史沒法抹滅,希望日本政治家和德國一樣,向所有受難者道歉。
中國媒體:南京大屠殺30萬數字不容挑戰
中國有媒體週五撰文批評,日本右翼分子始終否認南京大屠殺事件,篡改教科書,在遇難者“30萬”這一數字上大做文章。
然而,該媒體認為這個數字既不是學界學者研究出來的,也不是哪位政治家提出來的,它是二戰后審判戰犯軍事法庭作出的法定判決,是歷史的定論,是戰后秩序不容挑戰的重要組成部分。
公祭日今舉行
中國首個南京大屠殺死難者國家公祭日將于周六正式舉行,中央領導人將出席公祭儀式。
1937年12月13日,侵華日軍在中國南京開始對中國同胞實施長達四十多天慘絕人寰的大屠殺,30多萬人慘遭殺戮,釀成了震驚中外的南京大屠殺慘案。>
http://www.chinapress.com.my/node/584240

そして、李自健に醜い嘘絵画を書かせたことを記事にしています。

<李自健《南京大屠殺》傳遞歷史  陳列國家博物館 星雲大師囑託 「警世之作」不容抹殺 …
2014-5-9 06:15|旺e報
摘要: 這是一幅讓所有中國人永遠過目不忘的油畫,它展現了1937年日軍在南京屠城的暴行。這就是湘籍著名油畫家李自健的代表作《南京大屠殺》。 4月29日,她正式懸掛在中國國家博物館中央大廳 …
這是一幅讓所有中國人永遠過目不忘的油畫,它展現了1937年日軍在南京屠城的暴行。這就是湘籍著名油畫家李自健的代表作《南京大屠殺》。
4月29日,她正式懸掛在中國國家博物館中央大廳,與《開國慶典》等該館50年館藏經典歷史畫作一同展出。
衝擊視覺 善惡對照
據瞭解,《南京大屠殺》於2013年5月由李自健本人捐贈給中國國家博物館。歷時一年,這幅「警世之作」正式並將長期在國家博物館陳列展出,這幅備受各界關注的大型油畫作品也向觀眾傳遞著一個資訊──歷史不容抹殺!
與以往南京大屠殺題材的油畫作品相比,這幅入藏國博的作品視覺衝擊力更強。
這幅大型油畫由李自健創作於2003年,整幅油畫由「屠」、「生」、「佛」三聯組成。畫面中心是堆積如山、交錯掙扎和相互保護的死難者屍體。畫面左側為「屠」:兩個趾高氣昂的日本軍官站立著,其中一個正獰笑著擦拭沾滿鮮血的戰刀。中間一聯為「生」:在屍山的上面,一個孩子正趴在裸露著胸膛慘死了的母親身上哭喊著。右側一聯為「佛」:一位佛家弟子正拖起一位慘死的老人。
畫面左側擦拭刀血的日本屠殺者,與右側躬身彎腰救死扶傷的僧人,形成了善與惡、愛與恨的鮮明對照。這正反兩種力量的強烈對抗和衝突,象徵隱喻性的反復出現,既強化了主題,又產生凝重而強烈的藝術感染力。
此前,這幅油畫已伴隨李自健度過10餘年的世界巡展旅程,走過了十幾個國家,40多座城市。每次展覽,這幅畫都掛在中央大廳,引起世界媒體與公眾的關注。此次《南京大屠殺》能在國家博物館陳列展出,李自健表示內心十分激動,感激之餘也備感自豪,「歷史不能抹殺。我是一個畫家,只能用畫筆去再現歷史,為無辜的30萬遇難同胞申訴。」
李自健是個自學成才的畫家,這個小時候拾煤核、拉過架子車、當過小縴夫的湖南邵陽人,因為《南京大屠殺》而名聲大噪。
談起巨幅油畫《南京大屠殺》的由來,李自健說,這幅畫是上世紀90年代初在美國洛杉磯應星雲大師要求而創作的。
畫作初衷 星雲囑託
一次偶然的機緣,李自健結識了享譽世界的高僧星雲大師。一次,星雲大師和李自健談起了自己的身世:12歲那年,母親帶著他到南京去尋找父親,他們在屍骨遍野的死人堆找了十多天,也沒能找到自己的父親。
「沒有找到父親,卻看到很多很多的死人,那種慘狀深深地留在我腦海中,始終無法忘記。」星雲大師囑託他創作一幅有關南京大屠殺的警世畫作,讓後人記住歷史。
伴隨環繞著貝多芬的《命運交響曲》和盲人阿炳的《二泉映月》那悲傷的旋律, 李自健以寫實的手法,真實地再現了南京大屠殺場景。情勢慘烈、氛圍悲壯的畫面,以無比強烈的視覺衝擊震撼人心。畫作得到了星雲大師的高度評價,「畫得太好了!畫出了我的記憶,超出了我的想像。」
館長評價 勝利象徵
在中國國家博物館這座中華民族宏偉的文化聖殿裡,《南京大屠殺》這幅警世之作向世人源源不斷地傳遞出它特有的內涵和能量。
中國國家博物館館長呂章申曾對李自健說:「《南京大屠殺》能被國博收藏並正式展出,有兩重涵義。其一,是對畫家本人在藝術成就上的肯定。其二,在日本右翼勢力依然強硬頑固的當今時局,將這幅曾讓他們『又恨又怕、百般阻擾海外巡展』的畫作永久陳列在國家博物館這座中華民族宏偉的文化聖殿中,也是一種勝利的象徵。」
「現在,《南京大屠殺》能永久陳列在中國國家博物館,每天面對那樣多的中外觀眾,為真實的歷史代言,讓我深感慰藉。」李自健表示。

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▲4月29日,中國國家博物館中央大廳,觀眾被巨幅油畫作品《南京大屠殺》所吸引。

スクリーンショット 2015-04-06 11.27.52

▲李自健(左)和星雲大師在一起。(王保勝攝)>

http://www.want-daily.com/portal.php?mod=view&aid=111645
このような支那政府の手先を「台湾人」だからと無条件に持ち上げる事は非常に危険です。
台湾には十五%の蒋介石と一緒に来た支那人がいます。この星雲大師も馬と同じ外省人です。
現実に星雲大師の世界佛光会の会長は、台湾与党国民党名誉主席の呉伯雄ですから、主席の馬英九も星雲大師べったりです。

o0500033311741300097

我が国にこのような支那の手先である反日団体が根を張っているのです。

あほらし

Sさん来店。
Mさん来店。
Mさん来店。
訳のわからん二人来店。
もう来ないだろうが、塩、塩。

ドンチャン。
記憶あり。
サルよりマシ。